豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東京の坂(第2回) 於多福坂

2007年12月17日 | 東京を歩く
 
(承前)
 鳥居坂教会を過ぎ、ロア・ビル前で外苑東通りをわたって、④不動坂に向かう。正面の公衆トイレ(興ざめだが、どこかには必要だろう)の二股を左方向に。道路下は墓地。こんな一等地にも墓地がある。

 突き当りを右折すると、不動坂。結構な急勾配である。右手に真言宗のお寺さんがあった。われわれ夫婦の実家は、偶然にも両方とも真言宗で、ともに(父方の)祖母が唱える“オンアボキャー ベーロシャノー ・・”というお経を聞いて育った。門前で手を合わせる。
 
 不動坂を登りきって、再び外苑東通りに出る。今度は首都高ないし東京タワー方向に少し進んでから、また右折。ここから長く続く首都高沿いの坂道が、⑤永坂。“永坂更科(更級かも)”の看板も見えている。この坂は、切り通しの上に立つマンションの高い石垣と首都高の橋げたに挟まれての圧迫感と、首都高の騒音で、まるで雰囲気がない。

 早々に右折して、⑥於多福坂に入る。フィリピン大使館前には黒山の人だかり。何があるのか。於多福坂の両脇には、高級マンションと高級な個人の邸宅が並んでいる。どんな人が住んでいるのだろう。登りきったあたりに車止めがあって、クランク状の短くて急勾配の坂がつづく。⑦潮見坂というらしいが、昔はこんな所からも海が見えたのだろう。確かに品川には近いけれど。
 今日歩いた坂の中では、この於多福坂から潮見坂にかけてが一番よかった。道沿いの家々に雰囲気があり、坂道と周囲の建物が馴染んでいる。

 麻布十番の商店街を抜けて、今度は、⑧暗闇坂を登る。かつて木々が鬱蒼と生い茂っていて、昼でも暗かったのでこの名前がついたと書いてあるが、建築のために切られてしまったらしく、「鬱蒼」とは程遠い、寂しい木立である。上り口の左手と、オーストラリア大使館の敷地内に、わずかに面影を残すのみ。
 それに加えて、この通りは車の往来が激しく、散歩するにはふさわしくない。

 暗闇坂を登った所が二股に分かれていて、右手が⑨一本松坂。左手が⑩大黒坂。一本松坂は途中で引き返してしまったが、もう少し奥まで行けば、これまた真言宗の善福寺というのがあったらしい。親鸞像だの、ハリス公使館跡だの、福沢諭吉の墓などがあるらしい。

 大黒坂を下って、麻布十番駅に出る。ここまで約2時間。風は少し冷たかったが、いい運動になった。これからも、時おり東京の坂道散歩をすることにしよう。

 朝日新聞本の帯には、“坂を上ると、お江戸が見える”というコピーが記されている。しかし、もう東京の坂道に“江戸”を見ることは難しい気がする。むしろ、タモリや朝日新聞の本には乗っていない“名もなき坂道”から、ときどき昭和の風景の名残りをのぞき見ることができる。名のある坂道をたどりながら、そんな昭和の名もなき道を探してみよう。

 きょうも、一本松坂の途中をふらりと右折した路地奥に、縦長の窓枠と窓ガラスの隙間がパテで塗り固められた古い洋館があった。いつ頃建てられ、どんな来歴の人が住んでいる(いた)のだろうか。そして、マンションだらけの六本木、麻布の町で、いつまで残ることができるのだろうか・・。

 * 写真は、於多福坂の途中から、東洋英和女学院の校庭越しに眺めた六本木ヒルズ。確かに、六本木の新しいランドマークにふさわしく、六本木の随所から眺めることができた。

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