豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎 “晩春”,“長屋紳士録”

2010年08月27日 | 映画
 
 閑話休題。
 最初に見たDVDは、“晩春”である。1949年製作だから、ぼくが大学生のころは製作からまだ20年しか経っていなかった。にもかかわらず、随分古い映画のように思っていた。現在はそれから40年が経っているが、この40年間のほうが短かったような気がする。
 “晩春”のテーマは妻と死別した父の再婚と、娘の晩婚である。父(笠智衆)に再婚話が出ると娘(原節子)は「不潔だ」と嫌悪感を示す。そして一人身の父を案じて自分の結婚話にも乗ってこない。父は一計を案じて再婚を決意したと娘に告げる。父の再婚相手に多少心を開き始めていた娘は結婚を決意する。そして娘の結婚披露宴を終えて父が家に帰って来るところで映画は終わる。このような場合、娘の「婚姻の意思」に瑕疵があるかなどとは問わないでおこう。

 もう1本の“長屋紳士録”は1947年の作品。“晩春”とはうって変わって東京の下町の貧しい長屋が舞台。長屋の住人、笠智衆が靖国神社で捨て子を拾ってくる、そして同じ長屋で独り暮らしをしている飯田蝶子にその子を押しつけるのである。
 最初は嫌っていた飯田蝶子も、やがてその子の父親が子どもを引き取りに来るころには情が移っていて、その子が去った後に号泣するところで話は終わる。
 
 小津の作品を見ていつも感ずるのだが、小津の基本的なテーマは家族だが、彼は裕福な家族も、貧しい家族も、どちらもうまく描くことができる。“晩春”は、鎌倉に住む大学教授が主人公である。その生活風景もさりげなく描かれる。娘はお茶会に通い、父の再婚相手とは能の鑑賞会で出会う。“長屋・・・”とは別世界である。
 笠智衆もすごい。変幻自在というか、彼を見ても小津映画の製作年度の前後関係はまったくわからない。学生時代に彼の台詞回しに違和感があると言ったら、先生にひどく叱られたことがある。いまではとても味のある演技だとわかる。彼が出てこない小津映画は面白くない。

 また小津作品には、今ではなくなってしまった戦後昭和の風物がふんだんに登場する。やがて「昭和考古学」、「昭和民俗学」が語られる時代になったら、小津映画は格好のフィールドになるだろう。頻繁に登場するのは物干しである。あの廃材のような柱に2、3か所、少し上向きかげんで竿を引っ掛ける木が打ちつけてある。あれに手製の三またで竿を乗せたのである。大工が手間賃仕事で作った木製のゴミ箱もよく出てくる。これも昭和30年代まで残っていた。
 “長屋・・・”の捨て子は最初から最後まで、いわゆる「正ちゃん帽」をかぶっている。小津の他の作品にも正ちゃん帽の子どもがしばしば登場するのだが、昭和25年に世田谷で生まれたぼくには、こんな帽子をかぶった子どもの記憶はまったくない。いつ頃、どのあたりで流行したのだろうか。

  “晩春”では二人が東京に出かけるときの鎌倉-新橋間の湘南電車がいい。木の床、木の手摺り、木のつり革(文字通り皮製である)など。こんな電車は昭和43年にぼくが四谷の予備校に通っていたころも総武線で使われていたので、匂いまでが懐かしい。
 
 * 小津安二郎“晩春”(日本名作映画集21[Cosmo Contents発売])、同“長屋紳士録”(同19)のケース。

 2010/8/27

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