豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

中西太『西鉄ライオンズ・最強の哲学』

2008年01月15日 | 本と雑誌
 
 正月にふらりと本屋に立ち寄って、中西太『西鉄ライオンズ 最強の哲学』(ベースボールマガジン社新書)というのを買った。

 西鉄ライオンズ黄金時代の4番バッター、中西太が西鉄監督だった三原脩の野球哲学を解説するという形をとりながら、西鉄ライオンズ自体の思い出を語った本である。

 当時、小学校の3、4年生だったぼくには知る由もなかった三原と巨人の因縁話などが語られていて、なるほど、“水原、三原因縁の対決”とはそういうことだったのかと今頃になって知った。 

 中西が三原の女婿だったことも、そういえばそうだったような、はじめて耳にするような話である。どうでもいいことのようだが、実は、三原の選手起用に結構影響を与えたらしい。
 この本のエピソードによると、ある年、三冠王のかかった中西と首位打者のかかった豊田泰光とは、何毛差で首位打者を争っており、西鉄が優勝を決めた後の消化試合に二人を出すかどうかをめぐって、二人の仲はぎくしゃくすることになったという。

 主な登場人物は、中西と三原を除けば、豊田そして稲尾であるが、関口清治、大下弘、仰木彬、和田博実、高倉照幸、若生忠男、河村英文(稲尾の別府緑ヶ丘高校の先輩だったらしい)などなど、懐かしい選手が次々に登場してくる。

 昨年末、稲尾が亡くなった直後に、朝日新聞2007年12月14日夕刊の死亡欄に“花井悠さん”の死亡記事が載っていた。中西の本には出ていなかったと思うが、花井という選手もぼくの記憶の中には残っている。
 岐阜高校のエースとして甲子園で準優勝、慶応から日本石油を経て、1957年の入団で1964年の引退と書いてあったから、まさにぼくが野球少年だった時代の真っただ中で活躍した選手である。
 三原、中西のような“主流派”ではなかったのだろう。

 ただし、この本、本当は、上前淳一郎の『巨人軍 影のベストナイン』(角川文庫)のような、当時の西鉄ライオンズのインサイド・ストーリーを期待して買ったのだが、それほどには時代背景のなかでの西鉄ライオンズを描いたものではなかった。
 あくまで、中西太の西鉄ライオンズ私史であった。

 ネット上で検索すると、西鉄ライオンズ物語としては、三原脩『風雲の軌跡』(ベースボールマガジン社)をはじめ、稲尾和久『神様、仏様、稲尾様--私の履歴書』(日経ビジネス人文庫)、豊田泰光『風雲録』(葦書房)、立石泰則『魔術師--三原脩と西鉄ライオンズ(上・下)』(小学館文庫)、小野博人『ああ西鉄ライオンズ』(西日本新聞社)、『鉄腕伝説 稲尾和久--西鉄ライオンズと昭和』(同社)など、たくさんの本が出ていることを知った。また、時間つぶしの読書のネタを仕入れることができた。

 * 写真は、中西太『西鉄ライオンズ 最強の哲学』と、上前淳一郎『巨人軍 陰のベストナイン』の表紙カバー。
 なお、関口清治、大津守(ぼくにとっては近鉄パールスの大津だが)も昨年亡くなられたようだ。

 追伸 きょうのYAHOOのフロント・ページの広告に、エポック社の“野球盤ACE”というのが3月22日に発売されるとあった。野球盤発売50周年記念とある。野球盤は1958年にできたのか。1958年といえば、「少年サンデー」と「少年マガジン」の創刊の年ではなかったか。確かに両誌にはよく“長嶋茂雄の野球盤”の広告が載っていた。今回のは、“浮き上がる魔球!”というのが売り物らしい。一体野球盤から浮き上がったあの鉄球はどうなるのだろうか。
 3月22日はぼくの誕生日の2日後である。対象年齢は5歳以上となっているから、58歳を迎えるぼくも一応対象年齢ということになるのだろう。バッターの人形がいかにも“パワフル・プロ野球”風なのはちょっと気になるが。

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