豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

安岡章太郎『アメリカ感情旅行』

2023年03月03日 | 本と雑誌
 
 安岡章太郎『アメリカ感情旅行』(岩波新書、1962年)を読んだ。
 ロックフェラー財団の奨学生(!)として、1960年11月から半年間、アメリカのテネシー州ナッシュヴィルに滞在した著者のアメリカ滞在記。
 ノンフィクションではあるのだろうが、安岡が日々の雑事、交渉の際に感じたアメリカないしアメリカ人にたいする感情が愉快で、凡百のアメリカ滞在者とはちがって当然文章も安岡流で、私小説のようにも読める(「海辺の光景」ならぬ「ナッシュヴィルの光景」のような)。滞在時の日記に基いているのだが、帰国から出版までの1年間に、さらに推敲を重ねたのだろう。
 
 ロックフェラー財団は、60年安保条約改定をめぐって巻き起こった反米運動、反米感情を懐柔する目的で、有望な作家に留学の機会を与えたのだろうが、それを割り引いても、そして2020年の現代において読んでも面白かった。
 敗戦国民のアメリカに対するコンプレックス(まさに「複雑な気持ち」)が、今日とは違ってまだ差別が公然と行われていたアメリカ黒人に対する差別との対比で描かれている。安岡はナッシュヴィルに滞在したのだが、南部人(白人)の屈折した感情もよく観察されていると思う。
 法律の世界では、“separate but equal” の時代である。バスやレストランなど公共の場で黒人と白人の座席は「分離はするけれど、 平等に」乗車や着席の機会は提供しているから憲法が禁止する差別には当たらないという論理が連邦最高裁でまかり通っていた時代である。
 南部ではまだ黒人に投票権(選挙権)を認めていない州もあった。字も読めない黒人に投票権など与えてもろくなことにはならないと安岡にいう者もいた。私財を投じて黒人のための学校を設立し、教え子の黒人を校長に据えるような人物であってもそう語るのである。

 一番印象的だったのは、南部の田舎町のミドルクラス下層に属するごく普通の白人中年男が、「なぜ日本人はハガチーを追い返したのだ?」と安岡に問いただした場面である。
 ハガチー(本書ではハガティー)というのは、1960年安保改定の地ならし協議のため改定前に日本を訪れたアイゼンハワーか誰かの特使である。その来日を阻止しようとした安保反対の学生たちのデモの隊列が、羽田周辺でハガチーの一行を乗せた車列が通る道路をふさいだため、ハガチーは都心にたどり着くことができずに帰国せざるを得なくなった(はずである)という事件である。
 そんな事件を、アメリカ南部の片田舎の一般人が知っていて、初めて会った日本人に質問したことに驚いた。しかもその男の息子が、「親父はアイク(アイゼンハワー)が大嫌いだから、悪口を言っても平気だよ」と取りなして安岡を安心させる。

 ぼくの手元にある本書は、1977年発行の第20刷だが、その頃に読んだ記憶はない。なんで買ったのかも覚えていない。反ベトナム戦争、反アメリカだったはずのぼくは、何でこの本を買ったのか不思議である。1976年のアメリカ建国200年にあやかって出版各社が自社のアメリカ本を宣伝したのかもしれない。
 ただし、思い返してみると、ぼくはいわゆる「第三の新人」の中では安岡章太郎は好きなほうだった。朝日新聞の日曜版に「サルが木から下りるとき」という随筆が連載されていたが、毎週面白く読んだ記憶がある。最近の卵の値上げを機に、素人でニワトリを飼う人が出てきたというニュースを見たが、この話を聞いてぼくは「海辺の光景」に出てきた安岡のお父さんを思い出した。 
 アメリカ滞在もので、ぼくが好きだったのは庄野潤三の「ガンビア滞在記」(中公文庫)に始まる「ガンビアの春」「シェリー酒と楓の葉」など一連のガンビアものだったが、あれはもう少し後の時代だろう。ただし、庄野のガンビアものも「早春」以降の4、5作目になると、さすがにもういいという気持ちになった。

 亀井俊介の本と違って、団捨離しにくい読後感である。もう一度読むことはないだろうが。

 2023年3月3日 記
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