
8月18日のつづき。小諸懐古園からしなの鉄道信濃追分駅までの落穂拾い。
最初は懐古園の天守閣跡に立つ松(下の写真)。小津安二郎「父ありき」にはこんな松はあっただろうか。1951~2年頃の撮影だから70年以上前である。小さな松の木も育ったことだろう。

ついでに「父ありき」のスクリーン越しにぼくが恋した文谷千代子。笠智衆宅のお手伝いさん役で、笠の異変を慌てて息子役の佐野周二に伝えに来るシーン。

小山敬三美術館の前に(島崎)藤村記念館に立ち寄った。
島崎藤村は小諸学舎の教師時代に7年間小諸に住んでおり、小諸とはゆかりが深い。若き日の小山敬三も相談に訪れて、藤村の助言を受けてフランス留学を決意したという。ぼくの個人的な興味は「新生」事件だが、この件に触れた展示はなかった。ただ、「新生」のモデルとなった姪のこま子の写真が一枚展示してあった。
下の写真は藤村記念館の前景。向かって左側に藤村の胸像がある。

懐古園の城内には何軒か神社があったが、懐古神社は菅原道真をまつる天満宮で、必勝合格祈願という赤いのぼりが立っていた。孫の志望校合格を祈願してお参りした。
受験時代のぼくがそうだったが、志望校より結果的に自分にあった学校に入学できたかどうかのほうが人生にとって重要である。

帰り際に見た小諸駅前の(小諸城)大手門。新しそうだったから再建されたものだろう。

帰路の車窓からわずかにとらえた小諸側からの浅間山(連山)。
しなの鉄道の沿線には木々が繁っている場所が多く、なかなか浅間山をとらえることができない。おそらく信越本線時代に列車から垂れ流され、吹き飛ばされた汚物から農地や住宅を守るための防風(便?)林の役目を果たしていたのだろう。かつては「黄害」などと呼ばれていた。

最後は、われわれが乗って来たしなの鉄道の列車(冒頭の写真)。
しなの鉄道の車両は、東急に似たシルバーに赤いラインの入った車両や、この写真のような緑色に塗られた車両など、典型的なグレーと赤のツートンカラーの車両のほかにも何種類かあった。そういえば、芦原伸の「草軽電鉄物語」だったかで、草軽鉄道は東急電鉄系だと紹介していた。各社から払い下げられた車両がしなの鉄道を走っているのだろう。
2025年8月23日 記