豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

宇野重規『民主主義のつくり方」(筑摩書房)

2021年02月27日 | 本と雑誌
 
 宇野重規『民主主義のつくり方』(筑摩書房、2013年)を読んだ。

 菅首相が、書いたものすら読んだこともないのに、「総合的、俯瞰的」に判断して日本学術会議会員として不適格とした著者の本なので興味を持った。怪我の功名と言うべきだろう。宇野さんの書いたものは、東京新聞の論壇などで時おり目にしており、ぼくとしては彼がなぜ指名を拒否されるのか、理由が分からなかった。政府に好意的であるとは言えないが、ぼくなどがいうのもおこがましいけれど、専門家としての業績は十分である。

 民主主義の「つくり方」という書名から、日本を民主主義社会にするためのハウツ本的な内容を予想したが、この予想は外れた。基本的には政治思想の本である。
 古代ギリシャから、ルソー、トクヴィル、プラグマティズムの思想家たち、ハイエク、アレントその他を、「民主主義」の観点からつないでゆくのだが、著者が引用する思想家の学説の紹介は、門外漢にとって有用だった。その内容を要領よく知ることができるだけでなく、読まずに済ますことができた。本書の広汎な内容をここで要約する能力はぼくにはない。

 著者は、「政治を担う市民は、自律した存在でなければならない。他者に依存したままでは、自らを律することもできないからである。それゆえ、人々が政治の領域に参入するにあたって、まず確保しなければならないのは、他者への依存からの脱却である」(83頁)という「依存への恐怖」を指摘し、「自由」には「他者たちとの相互依存(interdependence)という位相がある」(95頁)ことを紹介しながら、しかし著者自身は「いかなる依存を、どの程度まで認めるか」という「自由と依存の関係をめぐる」繊細な思考が求められていると言う(96頁)。
 ぼくは、理念としては「依存への恐怖」を強くもちながら、現実には家族や周囲の人たちに結構依存して生きてきたので、わが立ち位置を顧みる契機を得ることができた。

 著者は、「民主主義をつくる」のは「習慣」の力であると言いたいようである。
 「一人ひとり個人の信念は、やがて習慣というかたちで定着する。そのような習慣は、社会的なコミュニケーションを介して、他の人々へと伝播する。人は他者の習慣を、意識的・無意識的に模倣することで、結果として、その信念を共有するのである」(139頁)。
 民主主義を「心の習慣」(トクヴィルの言葉。ただし「自由の習俗化」の文脈での言葉。136頁)として捉えようという立場には共感する。ぼくは、新渡戸稲造が「デモクラシー」を「平民道」と説いたことを大学時代に知って共感した。「デモクラシー」は「心の習慣」の問題である。阿部斉さんが “virtue” と呼び、トクヴィルが「心の習慣」と呼んだものこそが「平民道」だろうと思う。

 しかし、どうしたら、心の習慣、平民道としてのデモクラシーが定着するのか。
 ぼくの祖父は、大正デモクラシーのほうが戦後民主主義より民主的だったと言っていた。しかし、ぼくは大正デモクラシーに劣っているとしても、戦後日本の民主主義の中で育ち、その価値を信じている。
 この本は「戦後経験」として、藤田省三の言説を紹介するのだが、藤田の戦後経験を言われても、ぼくにはピンとこない。本書の最後の章では、「民主主義の種子」と題して、被災地支援など最近の日本における若干の民主主義の実験を紹介するが、いずれも特殊な事例であって、ぼくの民主主義とは結びつかなかった。 
 やはりこの本は実践の書ではなく、政治思想の本である。同じ古代ギリシャを対象にしていても、アゴラ(広場)における市民の対話を出発点に置く羽仁五郎『都市の論理』に対して、宇野の本書はポリスの、しかも思想家の思弁が出発点になっている。

 ぼくにとっての「戦後民主主義」の出発点は、1963年の中学校生徒会での経験だった。
 生徒会役員会の第1回目の集会の冒頭で、生徒会長だった3年生の女生徒が、「この生徒会はこれに従って運営されます」と宣言して、閲覧に供したのが『議事運営の手引き』という衆議院(国会だったかも?)事務局編の小冊子だった。
 会議成立の定足数、多数決の際の議決の方法など、(おそらくイギリス議会の「習慣」をわが国会が採用したものだと思う)議事運営のルールが記された本である。ぼくは、この本によって「動議」というものの存在をはじめて知り、その採否の方法に強い印象を受けた。多数決による決定と少数意見の尊重との調整は、民主主義の根本問題だが、議論(熟議)の過程における調整方法こそ「動議」であると、ぼくはその時以来ずっと思いつづけている。

 ぼくは一度だけ、生徒会で発言したことがあった。当時、ぼくの中学校では下校時刻になると校内放送で「アニー・ローリー」が流されていたのだが、ぼくは、その夏に見た映画「エデンの東」に感動して、下校時刻に流れる曲を「エデンの東」に変えてほしいと発言したのである。どういう会議の局面で発言したのかまったく記憶にないが、動議というより不規則発言だったかもしれない。しかし、熱く提案したのだろう、セカンドもなかったのだが、議長は「それでは決を採りましょう」と言ってくれた。圧倒的多数が「アニー・ローリー」を支持したが、「エデンの東」にも数票入った。
 ちなみに、今となっては、やっぱり下校時刻は「アニー・ローリー」だと思っている。今でもぼくは「アニー・ローリー」を聞くと、1963~4年の、中学校の夕暮れ時の、冬枯れのけやき林を思い出す。

 著者が、ジョン・デューイに言及し、民主主義の習慣化を言いながら、日本の戦後の学校における民主主義の習慣化の検討に進まなかったのは、上記のような経験を持つぼくとしては残念である。少なくとも、昭和30年代までの日本の各地の学校では、様々な民主化の試みがあったとぼくは思う。

 宇野さんの本は初めて読んだのだが、著者はきわめて穏やかな民主主義者である。この本で主張されているような「民主主義」の「習慣」化を、首相やその側近たちは自分たちに対する危険な思想だと思っているのだろうか。
 
 2021年2月26日 記

 

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