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豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

サマセット・モーム「要約すると」

2025年03月17日 | サマセット・モーム
 
 サマセット・モーム「要約すると」(新潮文庫復刻版、平成6年、初版は昭和43年)を読んだ。再読、前回は飛ばし読みだったが、今回は最初から最後まで通読した。

 訳者あとがきで中村能三(よしみ)氏は邦訳のタイトルを原題の「サミング・アップ」(Summing Up)のままにしておけば良かったと書いているが、「要約すると」と “Summing Up” にどんな違いがあるのか。「要約すると」のほうが内容を要約していて分かりやすいとぼくは思う。
 “summing up” を辞書で引いてみると、「要約」のほかに「説示」という語義があった(アンカー英和辞典)。「説示」は裁判官が評決に先立って陪審員に対して行う当該事案の事実関係の整理および適用すべき法律の説明のことだが、「要約」の第2義が陪審員に対する「説示」というのはアングロサクソン的である。ただし、小山貞夫「英米法律語辞典」(研究社、2011年)では、陪審に対する「説示」には “instruction” “charge” “direction” の語が当てられていて “summing up” はない(1331頁)。陪審員に対する「説示」のうち、当該事案における「事実の概要」の部分だけを “summing-up” というらしい(ウィズダム英和辞典)。
 モームは、英国法律家協会(1825年)を創設した中心人物(ロバート・モーム)を祖父にもち、父親(ロバート・オーモンド・モーム)はフランス大使館付の弁護士、次兄(フレデリック・ハーバート・モーム)も法廷弁護士(後に大法官 Lord Chancellor に就任している)という法律家一家に生まれた異端児だったから(※朱牟田夏雄「モーム 人と生涯」同編「サマセット・モーム」研究社、9頁~)、ひょっとすると文字通り法律用語の意味で “summing up” (「事実の概要」)というタイトルを選んだかもしれない。
 
 モーム自身は、本書は自伝でもなく回想録でもないと書いているが、随想を交えた回想録だろう。新潮文庫の帯にも「自伝的回想記」と明記してあるではないか。
 全体は大きく3部構成になっている。序盤は、劇作家として名を成し、収入も安定し(相当な資産を形成したようである)、社交界(文壇、劇壇?)にも地位を確保するまでの初期モームの自伝的な回想が語られる。中盤ではモームの文学論、文学観が語られ、終盤ではモームの宗教観、人生観が語られる。
 モームは医学校に学んだが、医師時代に経験したロンドンの貧民窟での様々な人との出会いが後の創作活動に大きく寄与したという。モーム作品に登場する人物は、すべて彼が出会った人物をモデルにしているという。「お菓子と麦酒」のトマス・ハーディだけでなく、数多のモデル疑惑を招いたことがあったようだ。

 モームの文学観で印象的なのは、彼も「大衆文学 vs 純粋文学」の構図にこだわっていることである。モームは劇作家として観客を集めることができ興行的に成功した作品をいくつも書いたが、劇壇における批評家の評価は低かったらしい。批評家たちの高踏的な批評ないし無視に反発したモームは、後世に残るような文学はシェークスピアもスウィフトもみな発表当時は大衆文学だったと書いている。
 モームが後世に残る作家であるかどうかは分からないけれど、少なくとも20世紀を生き延びた作家であることは間違いないし、何といってもモームの作品による印税収入は、モームが作家という職業の一番の幸福であるという精神的自由を保障する経済的な基盤を提供したことは間違いない。そしてぼくと同時期の受験生の多くはモームを読んだのだった。その中にはぼくのようにモームのファンになった者も少なくなかっただろう。ぼくにとって大学受験勉強の最大のご利益は(奥井潔先生を通して)モームと出会ったことだった。

 彼の哲学論は哲学の素養のないぼくには理解できなかった。
 モームはホワイトヘッドはじめ当代の哲学者たちの文章の難解さを批判し、バートランド・ラッセルの文章(イギリス語)を褒めている(240頁)。ぼくは活動する平和主義者としてのラッセルを尊敬していたが、たしかに1960年代の大学受験界ではモームもラッセルも頻出の出典だった。その文章が英語として素晴らしかったことなど考える余裕もなかった。それどころか、「大衆的」「通俗的」と批判されたというモームの語彙の豊富さに圧倒されながら辞書引きに追われた記憶が残っている。
 モームがホッブズのイギリス語を褒め、そのジョンブル気質を高く買っていたことは前にも書いた。モームのホッブズ評価は、本書を以前に斜め読みした際に印象に残った箇所の一つだった(227頁)。その後ぼくはホッブズを(翻訳で)何冊か読んだが、モームの評価がきっかけだったかもしれない。ホッブズを「ジョンブル気質」などという側面から評価した論者はモーム以外にぼくは知らない。ホッブズのどの部分が「ジョンブル気質」の表れなのか、そもそも「ジョンブル気質」とは何なのかは分からないが、そう思って読むと論理が明快であるような気もした。結局ホッブズを読んでも、彼が君主政支持なのか民主政支持なのかすら分からなかったが、「主権者権力の絶対性」を説いてクロムウェルに恭順の意を示すあたりが実利実益的な「ジョンブル気質」の表れなのだろうか。
 第1次大戦後のモームが、やがて無産階級を基盤とする政権がヨーロッパにも増えることを予見しているのも印象的だった(268~272頁)。モーム自身は自分が生きているうちは(第1次大戦以前の)旧体制が維持されることを願っているが、その後のヨーロッパはモームの予見通り、東欧諸国だけでなく、イギリスの労働党政権をはじめ西欧諸国の多くの国でも社会民主主義政権が成立することになった。ボルシェビキ政権の成立を阻止するためにスパイとしてロシアに派遣されながら、結局ボルシェビキ政権の成立を阻止できなかった経験、ロシア中間階級の勃興を実感した経験がそういわせたのか。あるいは、医師時代に脳膜炎の幼児を救うことができずむざむざと死なせてしまった貧民窟での苦い経験がそう思わせたのだろうか。

 モームの宗教観、人生観が語られる終盤が一番興味深かった。ぼく自身が人生の終盤に近づいているからだろう。
 本書の最終章近くで、モームは、幼少時に経験した母の死から50年間癒されることなく、その後の人生が幻影であり自分はその幻影の中で役割を演じているに過ぎないという気持ちを抱きつづけてきたと告白している(291頁)。一方で、モームは自分の幸運さに驚いている、自分より才能のある人物が自分のような幸運に巡り合えなかった事例を知っているとも書いている(270頁)。そんなモームでも幼少期の母の死を引きずって生きていたのである。モームは幼少期に父母を失って、そりの合わない叔父(国教会牧師)のもとで不幸な少年時代を過ごしたが、そのせいか彼の小説に登場する人物たちの背後には「家族」の存在が感じられない。
 そして「死」は最後の絶対的な自由を与えてくれると書いている(276頁)。医者が相当の健康を保障してくれる限り長生きしたいとも書いているが、彼の資産はそれを保障してくれたのだろう、モームは1965年にリヴィエラの別荘で倒れ、ニースの病院で91歳で亡くなっている。
 
 本書の文中には「人間の絆」にも出てくる話題がいくつも登場すると訳者が解説で書いている。ぼくは「人間の絆」は読んでいない。読みだしたがつまらなかったので途中で投げ出した。とりあえず、Macmillan Education から出ていた abridged 版 “Of Human Bondage” (金星堂、1982年)で済ませた。「人間の絆」にはモーム自身による要約版があるが(“Of Human Bondage [abridged]”, Pocket Books, 1964)、邦訳は出ているのだろうか。「映画で英会話 人間の絆」(朝日出版社、2000年)にはベティ・デイビス主演の映画化された「人間の絆」(邦題はなぜか「痴人の愛」、1934年)のCD‐ROM がついているので、この映画も見た。金星堂版のほうの表紙はリメイク版映画(MGM、1964年、主役はキム・ノヴァク)のスチールが入っている。
 ちなみに、最近「人間の絆」の新訳版が「人間のしがらみ」というタイトルで出版された広告を見た(光文社古典新訳文庫)。「絆」にも「しがらみ」という意味はあるけれど、「しがらみ」の方が直截的で内容にふさわしい。特に最近の日本では(「被災地との絆」!のように)「絆」に過剰に肯定的な意味を持たせる用法が跋扈しているので。
 「要約すると」にはモームの自伝的記述が頻出するから、自伝的な小説「人間の絆」と共通する部分が多いのは当然だろう。ぼくは本書と「作家の手帳」(新潮文庫、中村佐喜子訳、昭和44年)との共通点を何か所かで発見した。「老年の償い」(年寄りには年寄りならではの良いところもあるといった趣旨)などは「作家の手帳」にもほぼ同文の記述があった。「償い」という訳語への違和感を感じたが、本書の訳者も「償い」と訳している。本書の中村能三さんと中村佐喜子さんはご関係があるのだろうか。

 本書はモームが60歳の頃の作品だというが、「作家の手帳」とはどちらが先に出たのか。(※“The Summinng Up” は1938年刊、“A Writer's Notebook” は1949年刊だった)。さらに1958年に “Points of View” (「作家の立場から」田中西二郎訳、新潮社、1962年)という作品を作家生活の最後の書として出版し、その後も1962年には “Looking Back” という回顧録を書いているという。長生きしたモームは60代、70代、80代と数回にわたって回顧録(風の作品)を書いていたのだ。これらの回顧録も、モーム流の “Mixture as Before” (「相も変わらず」)だったのだ。
 ぼくなりにモームを一言で要約すると「シニカルなストーリー・テラー」ということになる。ユーモアはない。

 2025年3月17日 記