豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

M・A・サリンジャー『我が父サリンジャー』

2021年11月28日 | 本と雑誌
 
 マーガレット・A・サリンジャー『我が父サリンジャー』(新潮社、2003年)を読んだ。『ライ麦畑でつかまえて』の J・D・サリンジャーの長女による父の伝記である。

 実際には長女自身の自叙伝的な部分も少なくない(多い)。サリンジャーの創作の背景や彼の家庭生活には興味があるが、長女自身の人生には興味がないので、申し訳ないが長女に関する部分は読み飛ばした。
 ※ S・モーム『読書案内』(岩波文庫、1997年)で、モームは、「とばして読むことも読書法のひとつ」であり、『カラマーゾフの兄弟』の終わりの数章などよほどの読者でなければとうてい完全に読めるものではない、と言っている。細部が意味をもつのは全体と関係があるときにかぎる。しかし、モーム自身は、自分にとって役に立つことを読みとばしているのではないかが気になって、読みとばすことが苦手であると述懐している(84頁)。
 今回読みとばした中に、サリンジャーに関する興味ある指摘がなかったことを願うが、彼女の生い立ちの細部は読みとばした。

 彼女は、おそらく父親サリンジャーの独特の生活スタイルの影響が大きかったのだろう、放埓な少女時代を送った後に、自動車修理工になるなど迷走した挙句に、ブランダイス大学に入学し、さらにオックスフォード大学の大学院に進学して修士号を取得した。

 サリンジャーがアイビー・リーグを毛嫌いしたため、ブランダイス大学に入学するのだが、サリンジャーが学費の支払いに難色を示したため、母親が離婚時の合意書を暴露すると脅して支払わせたという(424頁)。その一方で、彼女は学生時代に空手インストラクターと衝動的に結婚するのだが、披露宴の費用は父親に支払わせるなどといった娘の行動をみると(同頁)、どちらもどちらと思わざるを得ない。後に離婚したマーガレットの夫は彼女のカードを勝手に使って行方をくらました。
 しかし、彼女はブランダイス大学で親身になって直接指導する教授たちに出会い、勉強に目覚める。同大学のセミナーでキャラハン元英国首相夫妻の知己を得たりもする。そして、祖母を相続して得た資産によってオックスフォード大学の修士課程に進学し、1987年労働者災害補償法の成立過程に関する修論(!)で最優秀賞を獲得し首席で卒業したとのことである(435頁)。

 サリンジャーの長女への教育は、ぼくに言わせれば “phony” (いんちき)そのものである。アイビー・リーグの大学くらいに高い授業料の寄宿学校に娘を入学させ、ニューヨークに出かけるときは娘も一等車に乗せ(流行作家の妻に贅沢をさせないために妻は三等車に乗せた)、プラザホテルほかの超高級ホテルに宿泊して(前日までポール・マッカートニーが宿泊していた部屋に泊まったこともあった!)、ニューヨーカー誌の編集長との面談にも同道する、などなど(284頁ほか)。
 『ライ麦畑・・・』の作者サリンジャー自身もホールデン同様の “innocent”(無垢)な人なのだろうと想像し、まさかご本人が “phony” な側の1人だとは思ってもみなかったぼくの先入観と偏見は見事に打ち砕かれた。娘自身が、「プレップ・スクール嫌いのホールデンファンは驚くかもしれないが、私は寄宿学校に入った」と書いている(304頁)。

 父サリンジャーにかかわる記述として一番印象的だったのは、彼女がサリンジャーを含む戦前、戦中のユダヤ系アメリカ人の微妙な立ち位置について、彼女自身の視点から検討している個所である。
 サリンジャーは1919年に、成功した食品輸入業を営むユダヤ系の父と、アイルランド系の母との間にニューヨークで生まれた(28頁)。
 1920年代には、(後にサリンジャーが寄稿する)サタデー・イブニング・ポスト紙もポーランド系ユダヤ人を蔑視していた。サリンジャーも、「若者たち」は「ジェローム・サリンジャー」で発表したが、「今にできる」(「コツをつかめば」か?)では「J・D・サリンジャー」と表記して、ユダヤ系であることを示す名前(ファースト・ネーム)を避けたという(39~40頁)。

 1939~45年頃、アメリカの反ユダヤ主義は最高潮に達したという(70頁)。当時のアンケート調査によれば、アメリカ人の大部分が(ヒットラーの行為に対して)「ユダヤ人にも責任がある」と考えており、陸軍内でも反ユダヤ主義を主張するビラがまかれたことなど、今日から見れば意外な事実が紹介される(~71頁)。
 サリンジャーの前では、「大学」「アイビー・リーグ」といった言葉は禁句であり(49頁)、自分の言葉づかいを「上流ふう」に見せようとする人物に対して彼は容赦なかったという(60頁)。
 ワスプ(White, Anglo-Saxon, & Puritan)の牛耳る社交界、カントリー・クラブ、アイビー・リーグ名門校に対する激しい怒りは、彼が1920~30年代にニューヨークに生きたユダヤ人、それも半分だけユダヤ人だったという背景から語られている(89頁)。 

 著者は基本的に父サリンジャーに共感的な態度をとっているが、家庭内における暴君ぶりも暴露されている。
 例えば、彼はコーニッシュというウィスコンシン州の森の中での隠遁生活を妻子にも強いながら、パークアベニュー暮らし並みの生活を妻に要求し、1日3回のニューヨークの高級レストラン並みのサービスを要求したという(108頁)。
 そして創作上の行きづまりから、新興宗教を転々とし、カルト、飲尿(!)、ライヒ・・・と帰依先を模索しつづけた。著者は、第2次大戦中の塹壕体験によるストレスが原因と推測する(~108頁)。「フランスのアメリカ兵」に描かれたのはサリンジャー自身の体験だったのだろう。
 彼の価値判断の基準は、1920、30、40年代のハリウッド映画のそれであったという辛辣な観察もある(198頁)。ちなみに彼の愛する映画はヒチコックの「三十九夜」だったという(293頁)。
 
 サリンジャーが妻と離婚後の養育費(子の教育費)をケチったかのような記述を何かで読んだが、本書によれば、サリンジャーは、支払った養育費が元妻の新しいボーイフレンドを「食わせるために」費消されることを怒ったらしい(204頁)。それなら問題は、養育費が正当な目的に使われたかどうかにかかってくる。
 全体としては、父親に好意的で、母親のとくに離婚後の行動については批判的だがーー彼女はダートマス大学の学生から「ミセス・ロビンソン」(映画『卒業』でアーン・バンクロフトが演じた、娘の婚約者と関係をもってしまったあの女性)とあだ名されていたというーー、父は仕事以外の分野では責任感に欠けていたとか(244頁)、自分のプライバシーにこだわるわりには、子どもの面前で言うべきではないこと(夫婦間の私事)を話すなど、プライバシーの観念に欠けていたなど(242頁)、娘ならではの指摘もたくさん書かれている。
 
 ベトナム戦争の際に、太ももにピース・マークを青インクで書きこんだ娘に対してサリンジャーが、アメリカがベトナムから撤退したらどうなるか、おまえは共産主義者が何をするか分かっていないと激怒したというエピソードも興味深い(263頁)。
 ぼくは高校生だった頃、「エデンの東」以来のファンだったスタインベックがベトナム戦争を支持する論陣を張ったことに失望して、それ以来スタインベックを嫌いになったが、サリンジャーがベトナム戦争に対してそんな考えをしていたと分かっていれば、ぼくはサリンジャー『ライ麦畑・・・』を読むことはなかっただろう。ベトナム戦争におけるアメリカの軍事行動を支持しながら、無垢の子どもたちの「キャッチャー」になるなど、当時のぼくには考えられないことであった。
 サリンジャー自身が「ライ麦畑の捕まえ手」、ホールデンそのものだったと思い込んでいたのは、まったくぼくの思い違いであった。 
 なお、彼が日本ぎらいだったことは、「最後の休暇の最後の日」「優しい軍曹」「コネティカットのひょこひょこおじさん」などの作品からうかがうことができるが、本書ではそのことには触れていなかったように思う。
 
 本人(マーガレット)の言葉や行動、サリンジャーの言動など、自分たち家族の実体験がサリンジャーの作品の中にそのまま使われていることの指摘など、サリンジャー作品の背景に関心をもつ人には興味深く読むことができるだろう。 
 著者は、サリンジャーが「自然死」させてしまった初期の短編小説群を発見したことを大いなる喜びと感じ、そこに現われた父こそ、わたしがとどめておきたい「パパ」だったという言葉が印象に残った(65頁)。
 ぼくにとっても、この秋から冬にかけてのサリンジャー読書から得た最大の収穫は、彼の初期短編集を読んで、『ライ麦畑・・・』とはまったく別のサリンジャーの一面を知ったことだった。

 トリビアな話題を蛇足で一つだけ。
 サリンジャーが幼い息子と「屋根ボール」で遊んだとある(229頁)。その遊びの具体的内容は書いてないが、ぼくたちも子どもの頃、ゴムボールを平屋の家のかわら屋根の上に投げて、どこから落ちてくるか分からないボールを捕球するという遊びをやっていた。「屋根ボール」があの遊びだとしたら、あれをやっていたアメリカ人がいたとは・・・。アメリカの進駐軍が日本の子どもたちに伝播させたのかもしれない。

 2021年11月28日 記

 ※ 著者(サリンジャーの長女マーガレット)自身の自伝的な部分は読み飛ばしたのだが、図書館に返却する期限が迫ったので、最後の2章、第33章「自分自身の人生をつむいで」と第34章「目ざめ」を読んだ。
 サリンジャーという「偉大な」作家の娘に生まれ、しかし「偉大」どころか、妊娠した娘に対して中絶を示唆するような(472頁)非人情で、家族に対する責任を放棄し、作中の人物だけでなく実在の娘にも大人になることを許さないような「偉大とは程遠い」父サリンジャーから苦労の末に独立し、やがて結婚して子をもうけ、結婚と子どもを自分の人生に訪れたもっとも喜ばしいことだと考えるような両親のもとで子どもが育つことを素晴らしいと思えるような人間になったことを記して(491頁)、彼女の自叙伝は結ばれる。

 ※ 2021年12月6日 追記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする