年下研究

『けいおん!!』トンデモコジツケ連鎖中!涼宮ハルヒの憂鬱の謎解きコジツケの履歴保管庫。

一方その頃…おイタ佐々木さん

2007-05-09 05:01:43 | 涼宮ハルヒ
UDOさんが、最近の同人漫画のコマ割(ということは、商業誌のコマ割もそうなってゆく可能性が高いのですが)はアニメ、ゲームの動画の影響で、昔なら飛ばしていた展開をコマの連続で表現しようとしている、と指摘しておられましたが、
根路銘さんのコマ割が、40近い作家に言わせると「省略すべきところにコマを使っている」ということになるのだそうで、技巧の習熟とは無関係に、「コマ割=状況の微分表現」という思考回路は若い作家の特徴になりつつあるようです。
それを、古い表現を習得させ、矯正することで、特定の世代に判る漫画様式を永遠化する努力を続けるのは、思想信条の自由によってしか正当化できないかもしれません。まあ伝統技法の作家にとっては、古い技巧をこなせるアシスタントを永久に確保するために必要な抑圧ですが。産業としては単純労働者を安価に大量に常に用意するのは大事なことですからね。
今までのやり方の死守に魅力を感じなくなったので、敢えて以前の私なら試しもしないで全否定だった技法に好意的であろうとしています。
息をするように漫画を描く人たちの真似をするのは容易ではないですが、最近は「状況微分」コマ運びの実習中ですね。
和歌、連歌式変則4コマということで、「間」の重視の発展という線から接点を求めていっているのですが、正解の無いことですから、下描き段階でコマ割のやり直しという以前は無かった訂正が起こるようになりました。
いかに、たまたま決めたコマ割に映像や展開を統制させていたかが判りますね。まあ、偶然性に左右されるのはライブ感覚なんですか?
佐々木さんの隠微な部分を長く時間を使って形に残したかったのですよ。それがコマ割が偶然決まるよりやりたかったということで。
おもしろいのは、確立した技法では、ストーリー→コンテ→下描きという映像化の作業過程で、連続絵のどの部分を出してどこを隠すと効果的かを試行錯誤する事で、「下描き段階でのコマ割訂正」と同じことはやれる、という建前になっていることです。
文字で書くと、確かにコレはその過程での出来事ですから当然やれるはずだし、やれないと変なんですよね。
ところが上述の通り、「行動連鎖をコマの連続で表現するのはコマの無駄、効果的でない場合以外はやるべきでない。面白くするにはもっと漫画的に表現すべき」という事になっていて、この「効果的」が私の場合は「昔の漫画の漫画っぽいコマ割と同じになる事」にすぎなかったので、今まで試せることも試していなかったわけですね。
自分ではコマ割訂正やってるつもりでしたが、「漫画っぽくしよう」と考えて、可能性分岐の一部をそもそも無視していたのですから、やる必要すら生じていなかったんですねえ。
ハルヒやってなかったら2007年にはまだ「最近の若い人のコマ割は無駄が多いなあ」と言っていたと思います。
「昔なら当然省略された部分を描いてしまう事でぐだぐだになってしまうけれど、同人だから担当さんに怒られなくて良いので、自己責任でだらだらやるよ」運動は続きます。