一応、喜緑さんのポーズは機本伸司『僕たちの終末』の表紙のパクリです。
サンクリ突発コピー本の表紙にも転用しましたが、コスカ新刊はサンクリコピー本と違う中身です。
佐々木さんがきょこたんと『OZの魔法使い』の当て嵌めで『分裂』以降の展開を予想する、というネタ。まとまりの良い量のところで一冊にします。
前回の更新に舌足らずなところが有ったので補足すると、竹熊さんは『しぐさ萌え』であって、厳密には『シチュエーション萌え』とは言ってなかったと思います。後者は前者を含むと考えるので、まあ、誤読は発展のうちということで。
カレルヴァンウォルフレンの『文化原因論』云々は、『日本は農耕社会だから鯨を獲るのは伝統で仕方ない。狩猟社会の西洋に批判されても直せない』といった類の思考停止を批判している議論です。(私は魚屋一丁では可能な限り鯨を注文してますが。)
脱線しますが、いつも、私が何かについて問題意識を持っているときに偶然にも関連テーマでネタを振っておられる心の師・久米田康治先生の『さよなら絶望先生146話』で、『自分で言うより他者の言葉を借りた方が説得力があります』とありました。まさに今の私がそうです。(以上脱線)
青木さんから頂いた本に、
大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』と
奥野卓司『ジャパンクールと情報革命』という2冊の本があります。
大塚さんは日本民俗学専攻で、奥野さんは人類学専攻なので、なにやら戦後に柳田民俗学が人類学者石田英一郎と論争になったエピソードを思い出させますが…
大塚さんは神戸芸術工科大だかの先生で、曲解すると『オタ産業を国策でやるなら、論文も書けて、オタク向け作品も書ける人間(これってロコツに大塚さん自身ですね!)に税金を使わせろ』と主張してる方。(前掲書255p)
奥野さんは谷川さんの出身大学、関西学院大の人類学の先生で、誤読すると『これからの商品開発には文化人類学のフィールドワークの方法が必要だ(要するに奥野サン達人類学者を雇えって事ですね!)』と主張してる方。(前掲書185p)
大塚さんは『まず、日本のまんがとは何か日本的なものの反映である、もしくは日本的な伝統に根ざしている、といった一般論的な見解に対しては最初にきっちりと否定しておきます』(前掲書12p)『日本のまんがはハリウッド起源です。』(前掲書280p)と断言する。
さらに乱暴な要約すると、大塚さんは、ハリウッド起源でない日本の漫画やアニメの独自性は敗戦経験に由来する『反戦平和』の倫理思想だけと言いたいらしい。(前掲書280p)
奥野さんは『農耕社会である日本が自らの農耕文化を基盤にして情報社会におけるコンテンツづくりに向うためには、(略)アニミズムを基礎にしたコンテンツづくりが必須だろう。(略)こうしたアニミズムに則った作品が日本のロボットアニメであり(略)それが結果として欧米には真似のできない日本独自のコンテンツ、独自のモノ語りづくりとなっているのである』(前掲書160p)と断言する。
さらに意地悪くまとめると、奥野さんは他国より日本を優位に立てるために論陣を張ってるらしい。(前掲書191p)
同じ日本人同士なのに『日本の漫画・アニメは外来文化である』という立場と『日本の漫画・アニメは日本独自文化である』という立場が。
『日本文化だから』という根拠付けから漫画・アニメについて思考を深めるのは簡単ではないようです。一歩間違うと『文化原因論』の思考停止。
修論で、米連邦最高裁がコモンローの違憲審査について、同じ先例を根拠に判事同士が正反対の結論を出して割れてしまい、歴史を踏まえた解釈は正反対の結論が出るからアテにならないと批判が出た事件を扱ったのですが、それを思い出しますね。
カールポパーは、対立する立場は『問題解決の競争』で優劣を付けろ、と提案していて、それは私の好きな意見なので、どちらの立場が面白い作品を生み出せるかで対決すれば良いと思います。
…といいたいところですが、器用な人なら『反戦平和』でも『アニミズム』でも面白い作品は作れてしまうと思います。私の個人的意見では『キリスト教徒』の作った作品でも面白いのがあります。(大塚さんは『国策』に反対のご様子ですが、『国策』でも面白いものが作れるかについては私自身の考えでは「ケースバイケースだ」…と逃げときます)
要するに、作品が面白くなるか否かは、漫画やアニメが日本文化起源かアメリカ文化起源か、あるいは農耕文化を踏まえるか遊牧文化を踏まえるか、には関係ないのではないかと。
どんな社会、歴史や伝統文化といった環境の中に生まれようとも、そこで面白いものを作り出すという各人の工夫が重要ではないかと思います。
以前、skirthikeさんの消失ネタが石川の私小説の伝統に則ったものではないかと書いた事がありますが、私小説が面白い私小説になるのは伝統だからではなく、祐馬さんの技術力が不可欠だということです。
そういう『技術』を評価し、その中で私の創作上の悩みの解決に繋がったり、将来の作品作りに役立つものを学んでゆくということが、私のハルヒ同人読みの目的の一つです。自分に出来そうに無い技を褒めるというのも重要な目的。(呑み会の折にSENYENの方に電波トークしたときは舌足らずでしたが、こういうことです。)
こう書いておいて紹介しないのはなんなので、同人紹介します。
大凡風邪薬『長門家の食卓で。』:「消失」後日譚。長門ファンにとって長門の「笑顔」は重要なテーマだと再確認させられました。私は、「消失」について「黒幕がいる」という恐ろしい妄想に取り付かれているので、こういう正攻法のハートフルネタが思いつけなくなっております。
長門の行動に対するキョンの動揺を通じて、長門の心の起伏が読者に伝わるように仕掛けを作っているので、読み進めると「ああ、風邪さんの心に長門は何か重いものを残しているな」ということが追体験できます。私も心に何か残りました。
ギャグっぽいプロトタイプが黒歴史だそうですが、このラストの「笑顔」とセリフだけのページの余韻はシリアスでやったから実現したものだと思います。成功。
ただ、オマケの4コマギャグ、「携帯長門」も可愛らしく(嫉妬ハルヒのいじらしさも恥ずかしい!)いい感じだったので、風邪さんのギャグ作品も読んでみたいですね。
ギャグもシリアスも描こうと思えば描けるという芸の幅が、心の動きを想像したり、印象的エピソードを思いついたりするのにプラスになっていると思います。
特に「すきやき」の絡め方が上手いですね。疑問がどんどん重なって、瞬間、一気に謎が解けるという展開が良いです。キョンの意識が一気に引き戻されるところが凄い。こういう時空の絡め方がやりたい。
「涼宮ハルヒの陰謀」の図書館の一件にキョンが言及してますが、「陰謀での出来事」も、「図書館」が「消失長門」と「キョンの選択した長門」の共通の思い出の場所であるという事実も、この話の中ではあまり関わってこないので、ちょっと孤立しています。「すきやき」の件に絞って前振りからエピソードを積み重ねても良かったと思いました。
時間切れで白いということを反省なさっておられますが、今まで書いてきた要因で作品の良さは十分伝わると思います。デジ画の背景も線画で十分綺麗ですし。こういうのはやれるようになりたいです。
ただ、冒頭の「夢」の回想は、「効果処理」が有れば一目瞭然だったと思うので、この点だけは時間切れが惜しいですね。
後書カットの水着長門のやらしさを拝見しますと、サービスシーン大いに期待できるサークルですから、是非、尻などをお願いします。
長くなったので今回は一冊だけです。すみません。つづきます。
サンクリ突発コピー本の表紙にも転用しましたが、コスカ新刊はサンクリコピー本と違う中身です。
佐々木さんがきょこたんと『OZの魔法使い』の当て嵌めで『分裂』以降の展開を予想する、というネタ。まとまりの良い量のところで一冊にします。
前回の更新に舌足らずなところが有ったので補足すると、竹熊さんは『しぐさ萌え』であって、厳密には『シチュエーション萌え』とは言ってなかったと思います。後者は前者を含むと考えるので、まあ、誤読は発展のうちということで。
カレルヴァンウォルフレンの『文化原因論』云々は、『日本は農耕社会だから鯨を獲るのは伝統で仕方ない。狩猟社会の西洋に批判されても直せない』といった類の思考停止を批判している議論です。(私は魚屋一丁では可能な限り鯨を注文してますが。)
脱線しますが、いつも、私が何かについて問題意識を持っているときに偶然にも関連テーマでネタを振っておられる心の師・久米田康治先生の『さよなら絶望先生146話』で、『自分で言うより他者の言葉を借りた方が説得力があります』とありました。まさに今の私がそうです。(以上脱線)
青木さんから頂いた本に、
大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』と
奥野卓司『ジャパンクールと情報革命』という2冊の本があります。
大塚さんは日本民俗学専攻で、奥野さんは人類学専攻なので、なにやら戦後に柳田民俗学が人類学者石田英一郎と論争になったエピソードを思い出させますが…
大塚さんは神戸芸術工科大だかの先生で、曲解すると『オタ産業を国策でやるなら、論文も書けて、オタク向け作品も書ける人間(これってロコツに大塚さん自身ですね!)に税金を使わせろ』と主張してる方。(前掲書255p)
奥野さんは谷川さんの出身大学、関西学院大の人類学の先生で、誤読すると『これからの商品開発には文化人類学のフィールドワークの方法が必要だ(要するに奥野サン達人類学者を雇えって事ですね!)』と主張してる方。(前掲書185p)
大塚さんは『まず、日本のまんがとは何か日本的なものの反映である、もしくは日本的な伝統に根ざしている、といった一般論的な見解に対しては最初にきっちりと否定しておきます』(前掲書12p)『日本のまんがはハリウッド起源です。』(前掲書280p)と断言する。
さらに乱暴な要約すると、大塚さんは、ハリウッド起源でない日本の漫画やアニメの独自性は敗戦経験に由来する『反戦平和』の倫理思想だけと言いたいらしい。(前掲書280p)
奥野さんは『農耕社会である日本が自らの農耕文化を基盤にして情報社会におけるコンテンツづくりに向うためには、(略)アニミズムを基礎にしたコンテンツづくりが必須だろう。(略)こうしたアニミズムに則った作品が日本のロボットアニメであり(略)それが結果として欧米には真似のできない日本独自のコンテンツ、独自のモノ語りづくりとなっているのである』(前掲書160p)と断言する。
さらに意地悪くまとめると、奥野さんは他国より日本を優位に立てるために論陣を張ってるらしい。(前掲書191p)
同じ日本人同士なのに『日本の漫画・アニメは外来文化である』という立場と『日本の漫画・アニメは日本独自文化である』という立場が。
『日本文化だから』という根拠付けから漫画・アニメについて思考を深めるのは簡単ではないようです。一歩間違うと『文化原因論』の思考停止。
修論で、米連邦最高裁がコモンローの違憲審査について、同じ先例を根拠に判事同士が正反対の結論を出して割れてしまい、歴史を踏まえた解釈は正反対の結論が出るからアテにならないと批判が出た事件を扱ったのですが、それを思い出しますね。
カールポパーは、対立する立場は『問題解決の競争』で優劣を付けろ、と提案していて、それは私の好きな意見なので、どちらの立場が面白い作品を生み出せるかで対決すれば良いと思います。
…といいたいところですが、器用な人なら『反戦平和』でも『アニミズム』でも面白い作品は作れてしまうと思います。私の個人的意見では『キリスト教徒』の作った作品でも面白いのがあります。(大塚さんは『国策』に反対のご様子ですが、『国策』でも面白いものが作れるかについては私自身の考えでは「ケースバイケースだ」…と逃げときます)
要するに、作品が面白くなるか否かは、漫画やアニメが日本文化起源かアメリカ文化起源か、あるいは農耕文化を踏まえるか遊牧文化を踏まえるか、には関係ないのではないかと。
どんな社会、歴史や伝統文化といった環境の中に生まれようとも、そこで面白いものを作り出すという各人の工夫が重要ではないかと思います。
以前、skirthikeさんの消失ネタが石川の私小説の伝統に則ったものではないかと書いた事がありますが、私小説が面白い私小説になるのは伝統だからではなく、祐馬さんの技術力が不可欠だということです。
そういう『技術』を評価し、その中で私の創作上の悩みの解決に繋がったり、将来の作品作りに役立つものを学んでゆくということが、私のハルヒ同人読みの目的の一つです。自分に出来そうに無い技を褒めるというのも重要な目的。(呑み会の折にSENYENの方に電波トークしたときは舌足らずでしたが、こういうことです。)
こう書いておいて紹介しないのはなんなので、同人紹介します。
大凡風邪薬『長門家の食卓で。』:「消失」後日譚。長門ファンにとって長門の「笑顔」は重要なテーマだと再確認させられました。私は、「消失」について「黒幕がいる」という恐ろしい妄想に取り付かれているので、こういう正攻法のハートフルネタが思いつけなくなっております。
長門の行動に対するキョンの動揺を通じて、長門の心の起伏が読者に伝わるように仕掛けを作っているので、読み進めると「ああ、風邪さんの心に長門は何か重いものを残しているな」ということが追体験できます。私も心に何か残りました。
ギャグっぽいプロトタイプが黒歴史だそうですが、このラストの「笑顔」とセリフだけのページの余韻はシリアスでやったから実現したものだと思います。成功。
ただ、オマケの4コマギャグ、「携帯長門」も可愛らしく(嫉妬ハルヒのいじらしさも恥ずかしい!)いい感じだったので、風邪さんのギャグ作品も読んでみたいですね。
ギャグもシリアスも描こうと思えば描けるという芸の幅が、心の動きを想像したり、印象的エピソードを思いついたりするのにプラスになっていると思います。
特に「すきやき」の絡め方が上手いですね。疑問がどんどん重なって、瞬間、一気に謎が解けるという展開が良いです。キョンの意識が一気に引き戻されるところが凄い。こういう時空の絡め方がやりたい。
「涼宮ハルヒの陰謀」の図書館の一件にキョンが言及してますが、「陰謀での出来事」も、「図書館」が「消失長門」と「キョンの選択した長門」の共通の思い出の場所であるという事実も、この話の中ではあまり関わってこないので、ちょっと孤立しています。「すきやき」の件に絞って前振りからエピソードを積み重ねても良かったと思いました。
時間切れで白いということを反省なさっておられますが、今まで書いてきた要因で作品の良さは十分伝わると思います。デジ画の背景も線画で十分綺麗ですし。こういうのはやれるようになりたいです。
ただ、冒頭の「夢」の回想は、「効果処理」が有れば一目瞭然だったと思うので、この点だけは時間切れが惜しいですね。
後書カットの水着長門のやらしさを拝見しますと、サービスシーン大いに期待できるサークルですから、是非、尻などをお願いします。
長くなったので今回は一冊だけです。すみません。つづきます。