本当に久々の『涼宮ハルヒ』新刊ですね。
タイトルの元ネタは『クトゥルーの呼び声』。
2009年の2期では、『谷川流』先生も、京アニスタッフも、嫌々やってる感じがして、
これは下手に『好き』と言ったら、谷川先生や京アニスタッフが苦しいんじゃないか?とか
勝手に決め付けて、2010年から『けいおん!!』やってました。
3月9日に、青木さんと栃木県野木町に行った折、
『奇妙な黒雲とお天気雨』
を経験し、その日に電車が遅れるような地震があったと書きましたが、
じつは、偶然の一致はそれだけではなかったのを思い出しました。
栃木県の神社めぐりで気になってたのが『雀宮』の雀宮神社。
普通は、『995年』、
『百人一首』
の歌人『藤原実方』が陸奥守に赴任した際、
『997年』、後を追ってきた妻の『綾女』がここで死亡し、
里人が『綾女』の持っていた
『宝珠』
を埋めて祀ったところ、2年後、
陸奥で死んだ実方が雀になって飛来して奇跡を起こしたので
『雀宮』
と名づけたとか言われてますが、
下野薬師寺に左遷(?)された道鏡が納涼の為に建てた建物が
『涼みの宮』
だったから、転訛して『雀宮』になったという説もあるそうで…
『涼宮ハルヒ』
の『涼宮』とコジツケできたら良いなあ、とか思っておりました。
『薬師』
って、
『牛頭天王』
の本地とされていて、『牛』繋がりで、随分ここで引用した神です。
また、『牛頭天王』は
『スサノオ』
と同体とされておりまして、何度もトンデモネタに引用した『大本教』では
『スサノオ』は『出口王仁三郎』に縁が深い神とされています。
『藤原実方』…『涼宮ハルヒの分裂』登場の『藤原』を連想しますね。
『百人一首』も、『分裂』に登場してましたし。
更に、
『995』年
って、
1995年の『阪神大震災』
の丁度1000年前じゃないですか!
藤原実方が死亡したのは
『999年』!!
『1999年』の1000年前。
偶然は面白いですね。
しかも、死亡したのが陸奥の『笠島道祖神』前だったという伝説も有り、
ハルヒコジツケで、
『西宮の戎』の摂社『百太夫』=『道祖神』
という大江匡房『遊女記』の記述を紹介しておりました。
今回の更新ネタの『申』も
『猿田彦=道祖神』
に繋がるコジツケ連鎖の一環ですから、まあ、
コジツケはしとくものですね。
『宝珠』
といえば、
何度か引用しましたが、
『涼宮ハルヒの陰謀』登場の『鶴屋山』のモデルとされる『甲山』に、『神功皇后』が
『如意宝珠』
を埋めたという伝説があるそうですし。
谷川先生、
『涼宮ハルヒの分裂』
書く時に『雀宮』の社伝とか引用してらっしゃったかも??
とりあえず、3月9日には、
雀宮に向かう電車から、東の空に、さっき南西から東北へ横切った
濃い、山のような黒雲がずっと見えていて、雨が降らなきゃ良いと思っておりました。
そしたら地震が起きて、11日にはアレですよ。
全く、久々に
『涼宮ハルヒの分裂』
にコジツケ可能な土地に行ってたらコレですよ。
『ハルヒの呼び声』??
蛇足1。
3月9日には、『消失』の派生物語のゲーム、
『涼宮ハルヒの追想』
が3月24日発売予定のところ、
5月12日に延期になったとの発表が有ったそうで…
マジで9日の『黒雲+地震』は
『消失ハルヒの呼び声』
だったのかも!?
とか勝手にコジツケして恐がってます。
蛇足2。
前回、『神道政治連盟』の名が出てましたが、
『けいおん!!』コジツケ更新ネタで、
2期13話『残暑見舞い!』
での『あずにゃん』の
『よいやさ』
の元ネタは富山県南砥市『井波八幡』の
『よいやさ祭り』
が元ネタで、井波八幡の宮司が
『国民新党』の『綿貫民輔』氏
だから、
『国民新党』ネタ??
とかバカ言ってましたけど、
『綿貫民輔』『町村信孝』『森喜朗』『安倍晋三』『麻生太郎』『石破茂』
この辺、みんな『神道政治連盟議員懇談会』メンバーなんですよね。
『町村信孝』先生、
『ナスカの地上絵は宇宙人が描いた』
とおっしゃてたのが印象的。
町村先生、
『北海道』
の議員ですから、
2期7話『お茶会!』
の『曽我部先輩』が『札幌羊が丘』に居るのとかコジツケ可能。
2期15話『マラソン大会!』、
2期19話『ロミジュリ!』、
2期25話『企画会議!』、
登場の『オカルト研』にもコジツケ可能かも?
蛇足3。
『神道政治連盟』は『神社本庁』と本部所在地が一緒という噂がありますが、
この方々は、どんな成果を上げてらっしゃるかと調べてみれば、面白い偶然の数々が。
神道議員連盟結成前、
1960年池田勇人内閣に『伊勢神宮と天皇家は不可分の関係』と明言させる
→1960年といえば、60年安保ですけど、それはおいといて、
1960年、
『チリ津波襲来』→この年なんですね…
『皇太子誕生』→この方、残念ながら男子に恵まれず、『お世継ぎ問題』『女系天皇問題』が発生してしまったのは記憶に新しいですね。
1966年、『祝日法』改正、2月11日が『建国記念日』になる
→『丙午』で出生率減少…なにもこの年に改正しなくても。
1969年『神道政治連盟』結成
→1969年、靖国神社を国家護持の慰霊施設化目指す『靖国神社法案』自民党が提出、『廃案』
1970年『神道政治連盟議員懇談会』結成
それでは、ますます、『神道』が大いに政治に反映されたかと思いきや、
→1973年まで『靖国法案』毎年提出されたが、『廃案』、それ以降提出されず…
せっかく議員懇談会作ったのに3年でこれ。
『1973年』→『オイルショック』18年続いた『高度経済成長』終了。
偶然って。
1978年『靖国神社』松平永芳宮司、『A級戦犯』合祀、
1979年6月12日大平正芳内閣『元号法』公布施行→順調ですね…しかし、何故、『日付』まで書いてるかといえば、
『1980年6月12日』→大平正芳首相死亡。
偶然って…
1979年は『第二オイルショック』の年でもありますね。
1985年中曽根康弘首相『靖国神社公式参拝』
1985年『61回伊勢神宮式年遷宮開始』
1985年→『円高不況』開始。
翌1986年→チェルノブイリ原発事故、日本にも放射能の雨降る。
他にも、1986年は『61豪雪』『85水害』、11月21日には大島三原山噴火、一時全島避難。
結構凄い。
しかも、式年遷宮途中、
1989年→昭和天皇崩御
1990年→バブル崩壊、『平成不況』、『失われた10年』開始。
1993年、無事『式年遷宮』終了。やったね。
1993年→『北海道南西沖地震』津波で死者多数。『細川護煕』政権樹立、自民党38年間の政権を明け渡す。
『神道政治連盟』の支持する政党の最有力が『自民党』でした。
そして、天候不順で『米不足』。
皇室祭祀は稲の豊作祈願のウエイトも大きく、
天皇陛下が皇居内でも稲作の儀式を行っていらっしゃる国なのに、よりによって
『式年遷宮』終了のめでたい年に
『米不足』
偶然って…
1999年、小渕恵三内閣『国旗国歌法』成立。これで『君が代=国歌』『日の丸=国旗』の法的根拠ができました!
→2000年小渕恵三首相死亡。
…偶然って。
2000年、森喜朗政権『日本は天皇を中心とする神の国』発言。偏向報道で真意が伝わらなかったようで…
→2001年、森喜朗首相退陣。右翼から『売国奴』とされる『小泉純一郎』政権へ。
なぜか、『売国奴』の下で、
2002年2月~2007年10月、俗に言う『小泉景気』の長期成長。
(正確には2006年9月~2007年10月は安倍晋三政権下ですが『安倍景気』とは言われませんね)
…何故?神道政治連盟銀議員懇談会の森喜朗先生、あとすこし我慢していれば『森景気』だったのに。
2005年『62回伊勢神宮式年遷宮』開始。
2006年いわゆる『売国奴』小泉退陣、
神道政治連盟議員懇談会の『安倍晋三』内閣『教育基本法』改正、『教育勅語』否定した『教育基本法』を改正、『愛国心』教育明記。
→翌2007年、『サブプライムショック』、『小泉景気』終了、安倍晋三首相辞任。
これで、今まで、神道理念を政治で実現するたびに偶然、
1973年、高度成長を終わらせ、
1990年、バブル景気を終わらせ
てきた、神道政治連盟、3度目の正直、またまた偶然、
2007年、小泉景気終わらせる。
これまた、
またまた、『式年遷宮』の途中、神道政治連盟銀懇談会の『麻生太郎』首相、衆院選挙に大敗。
→2009年、『鳩山由紀夫』政権樹立、1993年に続き、またもや自民党、式年遷宮のめでたいときに野党に。
偶然って…
そして、運命の、
2010年10月30日『教育勅語発布120周年』記念事業、明治神宮などで盛大。神道政治連盟も大宣伝。
→2011年3月11日東日本震災。福島第一原発事故、東日本の農業、漁業に大ダメージ。
天皇陛下の頭上にも放射性物質を降らせました。もちろん靖国神社にも。
1960年の『伊勢神宮と皇室の不可分』内閣が確認した年に偶然『チリ津波』、
1993年の『61回式年遷宮』無事終了の年に偶然『北海道南西沖地震』の津波、
に次いで、3度目の正直、偶然にも、
『62回式年遷宮』のめでたい最中、
2010年『教育勅語120周年記念』事業盛大にやった翌年に偶然『大津波』
1985年の中曽根康弘首相の『靖国神社公式参拝』の翌年のチェルノブイリ事故に次いで、
2011年は日本の原発が天皇陛下の頭上にも放射性物質を降らせました。もちろん靖国神社にも。
偶然って…
日教組や、朝日新聞や、社共の反対や、外国の陰謀や、まあ、いろいろ、『他人のせい』にしたいでしょうけど、
まあ、
『一神教はバカ=八百万の神マンセー』
で、日本の伝統的神々を主人公にしている話が量産される時代から振り返ってみると、
これだけ、『敬神』『皇室尊崇』の真心から出たはずの行動が、ことごとく
首相の体調不良
や
天変地異
や
不況
によって報われてるのを見ると、妙な気分になります。全部コジツケ、偶然の一致に過ぎませんが。
(偶然じゃなくて、『八百万の神マンセー』作品作ってる方々にもこういう累が及んだら嫌ですしね)
仮に『八百万の神』がいらっしゃると仮定して、
そうすると、偶然の一致だと一蹴できなくなってしまうのがジレンマですよね。
(『神示』なんて迷信だ、と言っちゃえば、全て無関係になるのに。)
何故、八百万の神々は、こういうことをするのか??
『祈り方が間違ってるんじゃないか?』
とか、思いますよね。
そもそも、『江原啓之』先生とかが『パワースポット』とか褒め称える『スピリチュアル』の霊場は何か?
ナンシー・ストーカー『出口王仁三郎』75pによれば、『国家神道』の成立にともない、1906年以降、
『内務省』が神社の整理統合を行い、全国で80000社の神社が消滅させられました。
(島薗進『国家神道と日本人』では全国200000社中60000社)
自然物は知りませんが、古い神社と称する『パワースポット』のいくつかは、
こうした20世紀の『合祀』の姿でありまして、到底、『縄文以来』ではありません。
そんな
『地上げされた神々』
の『パワー』は何のパワーなんでしょうか?
『タタリ』…?
先回の更新で、
教育勅語の存在していた1890年~1948年って1905年の日露戦争勝利以降の40年、暗い時代ですよね。
と書いてましたが、『神社の統合整理』って、1900年から『神社局』が進めていたのを、
1906年から『内務省』が本格的に進めたそうで、1905の分水嶺と合いそうです。
『村の小さな祠を潰したら、暗い時代になって1945年に、神代以来始めて日本全国が外国の支配下になった』
というストーリー?
(判りやすい物語ってウソの証拠らしいですけど)
また、
神への祈り方ですが、明治までは『社家』が伝統を守っているのが普通だったようです。
『飛騨一ノ宮・水無神社の歴史』によれば、1872年、太政官布告で、
従来の世襲社主『毛利』『藤江』『藤枝』を廃して、官が『山崎』『市村』を上から神主に任命したようです。
札幌西野神社宮司が『二礼二拍一拝』の根拠に挙げておられる『神社祭式』が1875年に決められたのは、
こういう
『伝統と切れた他所者』
が神主に押し込まれるという事態に対応していると思われます。
各地の個性的儀式は覚えるのが面倒だから、画一的マニュアル化したってことです。
役人が決めた
『手抜きマニュアル』
『伝統否定マニュアル』
を21世紀になっても死守するために、どこの神社に行っても
『二礼二拍一拝』
と書かれてるわけですね。
『国津神』系神社の本拠、
『出雲大社』は、『北島国造』と『千家国造』が『隔月交替制』で『世襲の御杖代』だったようですが、
1872年の布告で、千家国造と北島国造が『御杖代の世襲職』を解かれ『少宮司』に再任されています。
しかし、『隔月交代制』は廃止され、
1873年、北島国造は『岡山県吉備津神社』への
『転勤』
を命じられます。(拒否してますけど)
『吉備津神社に転勤』って事は、
一迅社から出ていた『大宮祝詞』先生の『倭トトは神様である』にも登場し、
『平坂読』先生の『僕は友達が少ない』でも登場していた、
『吉備津彦』
を祀る有名な吉備津神社の伝統的神主も否定されてる訳で、
吉備津神社も出雲大社も明治に伝統は破壊されちゃってるようです。
今ある『伝統』は、良く言って
『復興』
ですね。
神代からの伝統、一旦切れちゃってます。
実際、千家尊福が1873年に『出雲大社教』という新興宗教を起こしたのは、伝統的儀礼が政府に認められなかったため、
伝統を守る場所として宗教団体を組織したそうで、
そこで守られた儀式が1951年に『復帰』したそうですが、
北島国造側は、両国造隔月交替奉仕の伝統は失われていると主張しているようです。
国津神の旗印がコレですから、他は推して知るべしです。
1876年の『秩禄処分』で、武士の給料が廃止になり、失業した不平士族の失業対策として、『神主』に押し込むこともあったようです。
それが、熊本の神主を中心とするメンバーが決起した『神風連の乱』に繋がったりします。
そういう、『昨日までの素人』には、神社の儀式に対応できるはずもなく、1881年から神主養成機関の設立が急務になります。
1882年『皇典講究所』設立。ぶっちゃけ、『神主専門学校』…『代アニ』の『神主版』ですね。
この、『皇典講究所』は『出口王仁三郎』も卒業しております。
(後の國學院大學。民青と対抗させるべく大学側が核マル派をプッシュしたから自治会を過激派が牛耳ってるという噂があります)
『森喜朗』元首相は『日本は神の国』と仰いますが、
神社を潰し、伝統を潰し、近代に出来た画一マニュアルを死守して平気な顔をしている。
こういう場所に『神』がおられますかね?
ファーストフード、コンビニ的なマニュアル死守してるのが『神の国』??
『人間の力を超えた存在を認めることで、謙虚にさせる』
というのが『神の国』発言の道徳的意図だと思いますが、
『神社潰しても平気』、
『拝み方も役所で決めます』、
ってのは、
『人間至上主義』
じゃないですか?
日本は『何が中心の、何の国』ですかね??
『安倍晋三』元首相の決めた『教育基本法』には
『郷土愛』
を学校で教えるとありますが、
『伝統否定の画一マニュアル』
を各地の神社に押し付けたままにして、『郷土愛』ですか。
さて、前のほうの質問に戻りますけど、
何故、神道を熱心にやると良くないことが起きるのでしょうかね?
…『何故』というより、悪いことが起きて『当然』だと思いますけど。
(何故、『古代の邪神が海中から蘇れるのか』の理由にもなってる気がしますね~)
…上から目線の酷いアゲアシトリ、全く何の根拠も無い単なるコジツケですな…反省。
タイトルの元ネタは『クトゥルーの呼び声』。
2009年の2期では、『谷川流』先生も、京アニスタッフも、嫌々やってる感じがして、
これは下手に『好き』と言ったら、谷川先生や京アニスタッフが苦しいんじゃないか?とか
勝手に決め付けて、2010年から『けいおん!!』やってました。
3月9日に、青木さんと栃木県野木町に行った折、
『奇妙な黒雲とお天気雨』
を経験し、その日に電車が遅れるような地震があったと書きましたが、
じつは、偶然の一致はそれだけではなかったのを思い出しました。
栃木県の神社めぐりで気になってたのが『雀宮』の雀宮神社。
普通は、『995年』、
『百人一首』
の歌人『藤原実方』が陸奥守に赴任した際、
『997年』、後を追ってきた妻の『綾女』がここで死亡し、
里人が『綾女』の持っていた
『宝珠』
を埋めて祀ったところ、2年後、
陸奥で死んだ実方が雀になって飛来して奇跡を起こしたので
『雀宮』
と名づけたとか言われてますが、
下野薬師寺に左遷(?)された道鏡が納涼の為に建てた建物が
『涼みの宮』
だったから、転訛して『雀宮』になったという説もあるそうで…
『涼宮ハルヒ』
の『涼宮』とコジツケできたら良いなあ、とか思っておりました。
『薬師』
って、
『牛頭天王』
の本地とされていて、『牛』繋がりで、随分ここで引用した神です。
また、『牛頭天王』は
『スサノオ』
と同体とされておりまして、何度もトンデモネタに引用した『大本教』では
『スサノオ』は『出口王仁三郎』に縁が深い神とされています。
『藤原実方』…『涼宮ハルヒの分裂』登場の『藤原』を連想しますね。
『百人一首』も、『分裂』に登場してましたし。
更に、
『995』年
って、
1995年の『阪神大震災』
の丁度1000年前じゃないですか!
藤原実方が死亡したのは
『999年』!!
『1999年』の1000年前。
偶然は面白いですね。
しかも、死亡したのが陸奥の『笠島道祖神』前だったという伝説も有り、
ハルヒコジツケで、
『西宮の戎』の摂社『百太夫』=『道祖神』
という大江匡房『遊女記』の記述を紹介しておりました。
今回の更新ネタの『申』も
『猿田彦=道祖神』
に繋がるコジツケ連鎖の一環ですから、まあ、
コジツケはしとくものですね。
『宝珠』
といえば、
何度か引用しましたが、
『涼宮ハルヒの陰謀』登場の『鶴屋山』のモデルとされる『甲山』に、『神功皇后』が
『如意宝珠』
を埋めたという伝説があるそうですし。
谷川先生、
『涼宮ハルヒの分裂』
書く時に『雀宮』の社伝とか引用してらっしゃったかも??
とりあえず、3月9日には、
雀宮に向かう電車から、東の空に、さっき南西から東北へ横切った
濃い、山のような黒雲がずっと見えていて、雨が降らなきゃ良いと思っておりました。
そしたら地震が起きて、11日にはアレですよ。
全く、久々に
『涼宮ハルヒの分裂』
にコジツケ可能な土地に行ってたらコレですよ。
『ハルヒの呼び声』??
蛇足1。
3月9日には、『消失』の派生物語のゲーム、
『涼宮ハルヒの追想』
が3月24日発売予定のところ、
5月12日に延期になったとの発表が有ったそうで…
マジで9日の『黒雲+地震』は
『消失ハルヒの呼び声』
だったのかも!?
とか勝手にコジツケして恐がってます。
蛇足2。
前回、『神道政治連盟』の名が出てましたが、
『けいおん!!』コジツケ更新ネタで、
2期13話『残暑見舞い!』
での『あずにゃん』の
『よいやさ』
の元ネタは富山県南砥市『井波八幡』の
『よいやさ祭り』
が元ネタで、井波八幡の宮司が
『国民新党』の『綿貫民輔』氏
だから、
『国民新党』ネタ??
とかバカ言ってましたけど、
『綿貫民輔』『町村信孝』『森喜朗』『安倍晋三』『麻生太郎』『石破茂』
この辺、みんな『神道政治連盟議員懇談会』メンバーなんですよね。
『町村信孝』先生、
『ナスカの地上絵は宇宙人が描いた』
とおっしゃてたのが印象的。
町村先生、
『北海道』
の議員ですから、
2期7話『お茶会!』
の『曽我部先輩』が『札幌羊が丘』に居るのとかコジツケ可能。
2期15話『マラソン大会!』、
2期19話『ロミジュリ!』、
2期25話『企画会議!』、
登場の『オカルト研』にもコジツケ可能かも?
蛇足3。
『神道政治連盟』は『神社本庁』と本部所在地が一緒という噂がありますが、
この方々は、どんな成果を上げてらっしゃるかと調べてみれば、面白い偶然の数々が。
神道議員連盟結成前、
1960年池田勇人内閣に『伊勢神宮と天皇家は不可分の関係』と明言させる
→1960年といえば、60年安保ですけど、それはおいといて、
1960年、
『チリ津波襲来』→この年なんですね…
『皇太子誕生』→この方、残念ながら男子に恵まれず、『お世継ぎ問題』『女系天皇問題』が発生してしまったのは記憶に新しいですね。
1966年、『祝日法』改正、2月11日が『建国記念日』になる
→『丙午』で出生率減少…なにもこの年に改正しなくても。
1969年『神道政治連盟』結成
→1969年、靖国神社を国家護持の慰霊施設化目指す『靖国神社法案』自民党が提出、『廃案』
1970年『神道政治連盟議員懇談会』結成
それでは、ますます、『神道』が大いに政治に反映されたかと思いきや、
→1973年まで『靖国法案』毎年提出されたが、『廃案』、それ以降提出されず…
せっかく議員懇談会作ったのに3年でこれ。
『1973年』→『オイルショック』18年続いた『高度経済成長』終了。
偶然って。
1978年『靖国神社』松平永芳宮司、『A級戦犯』合祀、
1979年6月12日大平正芳内閣『元号法』公布施行→順調ですね…しかし、何故、『日付』まで書いてるかといえば、
『1980年6月12日』→大平正芳首相死亡。
偶然って…
1979年は『第二オイルショック』の年でもありますね。
1985年中曽根康弘首相『靖国神社公式参拝』
1985年『61回伊勢神宮式年遷宮開始』
1985年→『円高不況』開始。
翌1986年→チェルノブイリ原発事故、日本にも放射能の雨降る。
他にも、1986年は『61豪雪』『85水害』、11月21日には大島三原山噴火、一時全島避難。
結構凄い。
しかも、式年遷宮途中、
1989年→昭和天皇崩御
1990年→バブル崩壊、『平成不況』、『失われた10年』開始。
1993年、無事『式年遷宮』終了。やったね。
1993年→『北海道南西沖地震』津波で死者多数。『細川護煕』政権樹立、自民党38年間の政権を明け渡す。
『神道政治連盟』の支持する政党の最有力が『自民党』でした。
そして、天候不順で『米不足』。
皇室祭祀は稲の豊作祈願のウエイトも大きく、
天皇陛下が皇居内でも稲作の儀式を行っていらっしゃる国なのに、よりによって
『式年遷宮』終了のめでたい年に
『米不足』
偶然って…
1999年、小渕恵三内閣『国旗国歌法』成立。これで『君が代=国歌』『日の丸=国旗』の法的根拠ができました!
→2000年小渕恵三首相死亡。
…偶然って。
2000年、森喜朗政権『日本は天皇を中心とする神の国』発言。偏向報道で真意が伝わらなかったようで…
→2001年、森喜朗首相退陣。右翼から『売国奴』とされる『小泉純一郎』政権へ。
なぜか、『売国奴』の下で、
2002年2月~2007年10月、俗に言う『小泉景気』の長期成長。
(正確には2006年9月~2007年10月は安倍晋三政権下ですが『安倍景気』とは言われませんね)
…何故?神道政治連盟銀議員懇談会の森喜朗先生、あとすこし我慢していれば『森景気』だったのに。
2005年『62回伊勢神宮式年遷宮』開始。
2006年いわゆる『売国奴』小泉退陣、
神道政治連盟議員懇談会の『安倍晋三』内閣『教育基本法』改正、『教育勅語』否定した『教育基本法』を改正、『愛国心』教育明記。
→翌2007年、『サブプライムショック』、『小泉景気』終了、安倍晋三首相辞任。
これで、今まで、神道理念を政治で実現するたびに偶然、
1973年、高度成長を終わらせ、
1990年、バブル景気を終わらせ
てきた、神道政治連盟、3度目の正直、またまた偶然、
2007年、小泉景気終わらせる。
これまた、
またまた、『式年遷宮』の途中、神道政治連盟銀懇談会の『麻生太郎』首相、衆院選挙に大敗。
→2009年、『鳩山由紀夫』政権樹立、1993年に続き、またもや自民党、式年遷宮のめでたいときに野党に。
偶然って…
そして、運命の、
2010年10月30日『教育勅語発布120周年』記念事業、明治神宮などで盛大。神道政治連盟も大宣伝。
→2011年3月11日東日本震災。福島第一原発事故、東日本の農業、漁業に大ダメージ。
天皇陛下の頭上にも放射性物質を降らせました。もちろん靖国神社にも。
1960年の『伊勢神宮と皇室の不可分』内閣が確認した年に偶然『チリ津波』、
1993年の『61回式年遷宮』無事終了の年に偶然『北海道南西沖地震』の津波、
に次いで、3度目の正直、偶然にも、
『62回式年遷宮』のめでたい最中、
2010年『教育勅語120周年記念』事業盛大にやった翌年に偶然『大津波』
1985年の中曽根康弘首相の『靖国神社公式参拝』の翌年のチェルノブイリ事故に次いで、
2011年は日本の原発が天皇陛下の頭上にも放射性物質を降らせました。もちろん靖国神社にも。
偶然って…
日教組や、朝日新聞や、社共の反対や、外国の陰謀や、まあ、いろいろ、『他人のせい』にしたいでしょうけど、
まあ、
『一神教はバカ=八百万の神マンセー』
で、日本の伝統的神々を主人公にしている話が量産される時代から振り返ってみると、
これだけ、『敬神』『皇室尊崇』の真心から出たはずの行動が、ことごとく
首相の体調不良
や
天変地異
や
不況
によって報われてるのを見ると、妙な気分になります。全部コジツケ、偶然の一致に過ぎませんが。
(偶然じゃなくて、『八百万の神マンセー』作品作ってる方々にもこういう累が及んだら嫌ですしね)
仮に『八百万の神』がいらっしゃると仮定して、
そうすると、偶然の一致だと一蹴できなくなってしまうのがジレンマですよね。
(『神示』なんて迷信だ、と言っちゃえば、全て無関係になるのに。)
何故、八百万の神々は、こういうことをするのか??
『祈り方が間違ってるんじゃないか?』
とか、思いますよね。
そもそも、『江原啓之』先生とかが『パワースポット』とか褒め称える『スピリチュアル』の霊場は何か?
ナンシー・ストーカー『出口王仁三郎』75pによれば、『国家神道』の成立にともない、1906年以降、
『内務省』が神社の整理統合を行い、全国で80000社の神社が消滅させられました。
(島薗進『国家神道と日本人』では全国200000社中60000社)
自然物は知りませんが、古い神社と称する『パワースポット』のいくつかは、
こうした20世紀の『合祀』の姿でありまして、到底、『縄文以来』ではありません。
そんな
『地上げされた神々』
の『パワー』は何のパワーなんでしょうか?
『タタリ』…?
先回の更新で、
教育勅語の存在していた1890年~1948年って1905年の日露戦争勝利以降の40年、暗い時代ですよね。
と書いてましたが、『神社の統合整理』って、1900年から『神社局』が進めていたのを、
1906年から『内務省』が本格的に進めたそうで、1905の分水嶺と合いそうです。
『村の小さな祠を潰したら、暗い時代になって1945年に、神代以来始めて日本全国が外国の支配下になった』
というストーリー?
(判りやすい物語ってウソの証拠らしいですけど)
また、
神への祈り方ですが、明治までは『社家』が伝統を守っているのが普通だったようです。
『飛騨一ノ宮・水無神社の歴史』によれば、1872年、太政官布告で、
従来の世襲社主『毛利』『藤江』『藤枝』を廃して、官が『山崎』『市村』を上から神主に任命したようです。
札幌西野神社宮司が『二礼二拍一拝』の根拠に挙げておられる『神社祭式』が1875年に決められたのは、
こういう
『伝統と切れた他所者』
が神主に押し込まれるという事態に対応していると思われます。
各地の個性的儀式は覚えるのが面倒だから、画一的マニュアル化したってことです。
役人が決めた
『手抜きマニュアル』
『伝統否定マニュアル』
を21世紀になっても死守するために、どこの神社に行っても
『二礼二拍一拝』
と書かれてるわけですね。
『国津神』系神社の本拠、
『出雲大社』は、『北島国造』と『千家国造』が『隔月交替制』で『世襲の御杖代』だったようですが、
1872年の布告で、千家国造と北島国造が『御杖代の世襲職』を解かれ『少宮司』に再任されています。
しかし、『隔月交代制』は廃止され、
1873年、北島国造は『岡山県吉備津神社』への
『転勤』
を命じられます。(拒否してますけど)
『吉備津神社に転勤』って事は、
一迅社から出ていた『大宮祝詞』先生の『倭トトは神様である』にも登場し、
『平坂読』先生の『僕は友達が少ない』でも登場していた、
『吉備津彦』
を祀る有名な吉備津神社の伝統的神主も否定されてる訳で、
吉備津神社も出雲大社も明治に伝統は破壊されちゃってるようです。
今ある『伝統』は、良く言って
『復興』
ですね。
神代からの伝統、一旦切れちゃってます。
実際、千家尊福が1873年に『出雲大社教』という新興宗教を起こしたのは、伝統的儀礼が政府に認められなかったため、
伝統を守る場所として宗教団体を組織したそうで、
そこで守られた儀式が1951年に『復帰』したそうですが、
北島国造側は、両国造隔月交替奉仕の伝統は失われていると主張しているようです。
国津神の旗印がコレですから、他は推して知るべしです。
1876年の『秩禄処分』で、武士の給料が廃止になり、失業した不平士族の失業対策として、『神主』に押し込むこともあったようです。
それが、熊本の神主を中心とするメンバーが決起した『神風連の乱』に繋がったりします。
そういう、『昨日までの素人』には、神社の儀式に対応できるはずもなく、1881年から神主養成機関の設立が急務になります。
1882年『皇典講究所』設立。ぶっちゃけ、『神主専門学校』…『代アニ』の『神主版』ですね。
この、『皇典講究所』は『出口王仁三郎』も卒業しております。
(後の國學院大學。民青と対抗させるべく大学側が核マル派をプッシュしたから自治会を過激派が牛耳ってるという噂があります)
『森喜朗』元首相は『日本は神の国』と仰いますが、
神社を潰し、伝統を潰し、近代に出来た画一マニュアルを死守して平気な顔をしている。
こういう場所に『神』がおられますかね?
ファーストフード、コンビニ的なマニュアル死守してるのが『神の国』??
『人間の力を超えた存在を認めることで、謙虚にさせる』
というのが『神の国』発言の道徳的意図だと思いますが、
『神社潰しても平気』、
『拝み方も役所で決めます』、
ってのは、
『人間至上主義』
じゃないですか?
日本は『何が中心の、何の国』ですかね??
『安倍晋三』元首相の決めた『教育基本法』には
『郷土愛』
を学校で教えるとありますが、
『伝統否定の画一マニュアル』
を各地の神社に押し付けたままにして、『郷土愛』ですか。
さて、前のほうの質問に戻りますけど、
何故、神道を熱心にやると良くないことが起きるのでしょうかね?
…『何故』というより、悪いことが起きて『当然』だと思いますけど。
(何故、『古代の邪神が海中から蘇れるのか』の理由にもなってる気がしますね~)
…上から目線の酷いアゲアシトリ、全く何の根拠も無い単なるコジツケですな…反省。