年下研究

『けいおん!!』トンデモコジツケ連鎖中!涼宮ハルヒの憂鬱の謎解きコジツケの履歴保管庫。

最近のトンデモネタ…大塚英志・宮台真司(神仏習合)VS秋元康・鎌田東二(神仏分離)?

2012-05-07 17:38:16 | けいおん!!
『タチバナ』を良く見かける、というトンデモを書いていたら、

馬場さんから、『瀬川藤子』先生の『VIVO!』2巻(マッグガーデン)を紹介されました。

確かに、収録されている、デビュー作『Love is blind』、


『タチバナ』という『カルト宗教の信者』の『未来人』


が、


『タイムトラベル』


してくるというネタ。

2010年ごろの作品ですが、

『涼宮ハルヒの分裂』(スニーカー2007年)を髣髴とさせる設定ですね。


…しかし、『タチバナ』って何なんでしょうかね???




他にも、

『567』が『大本教』の『聖数』で、『567=ミロク』と読むネタは何度も書いてきましたが、

実写ドラマ版『孤独のグルメ』(テレビ東京2012年)最終回12話で、

『井之頭五郎』(松重豊)の取引相手、『青山奈々』(南沢奈央)が、名刺交換の時、


『お互い、名前に数字が入っている』


と偶然を喜ぶシーン、

まあ、普通は、『五』『七』と考えるところですが、


『ゴロー=56』『ナナ=7』


で、


『567』


と考えるのが『トンデモ好き』の痛い脳。


菅田正昭先生の『出口王仁三郎の大予言』(学研2011年)が指摘したように、

大本教の出口王仁三郎聖師は、『沖縄』に関心があった様なのですが、

『孤独のグルメ』最終回は、


『沖縄料理』


…このぐらいの偶然は、いくらでも起こっちゃうんですよね。

そういえば、瀬川藤子先生の『VIVO!』登場の『仲村渠』という名前は『沖縄』に多い名前ですよね。


蛇足1。

そんなこと言い出したら、

『アイドルマスター』の『765』プロだって、

『567』と関係がある、なんて言い出す羽目になっちゃいますよね!


菅田先生、『大本の神』が、王仁三郎や、大本でない人間に憑依する『裏神業』に言及して、


『辻天水』の、三重県の『錦之宮』の『龍宮神示』


を紹介してますが、

ここで何度か紹介した『三雲益次郎』の弟、『三雲龍三』が丹後半島の『籠神社』で受けたのも


『龍宮神示』


で、たまたま『アイマス』(制作A-1Pictures、2011年)でアニメ化されたのは


『竜宮小町』


が登場する設定のシリーズですし、偶然はいくらでも起こりますね。


『沖縄』ネタだって、偶然、『我那覇響』(CV沼倉愛美)がいちゃったりしますし…

偶然は面白い。



本題、

青木さんから『青山景』先生の『よいこの黙示録』2巻(講談社イブニング2012年)を頂きましたが、

後半に、故青山先生の設定資料とかが収録されてました。

10話最終ページ(単行本66p)に、トランプに活字を切り貼りしたモノで、


『神聖児童教団』


という教団名を並べてあるのですが、写り込んでる活字が、


『会』『愛』『真』『善』


で、167pの設定資料の、『教団のロゴを実際につくったもの』という写真には、


『会』『善』『心』『真』『苑』


という字が写り込んでます。

以前、大本の分派に、『愛善苑』という団体があって、学研『ムー』の設立に関わった


『武田崇元』先生


が幹部をなさってるとか、

幹部の『出口和明』先生は、王仁三郎の『霊界物語』によれば、前世で



『十和田龍』



で、

『美川べるの』先生の『学園天国パラドキシア』(一迅社)の読者投稿に


『十和田龍』


という妖怪があり、『パラドキシア』のドラマCD(2010年)にも大抜擢で登場させられていたとか、
(そういえば、『日下部一成』のCVは『立花慎之介』だから、『タチバナ』繋がりでもあるんですねえ…)

いろいろコジツケしておりましたが、


『会』『愛』『真』『善』

『会』『善』『心』『真』『苑』


を、ぼーっと眺めていると、『愛善苑』が含まれてるなあ…とか妄想してしまいますね。

青山先生がお亡くなりにならなかったら、写真が公開されたかは未知数で、

偶然が無かったら、『愛』『善』『苑』の三文字が揃わなかったというのが不思議。


面白いのは、

『大塚英志』先生、『宮台真司』先生の対談集『愚民社会』(太田出版2011年)で、

宮台先生は、日本を改革する方法として、勝手に要約すると、



一握りのエリートを教育して、愚民を幸せにする道、


『大本教』のように、愚民を煽動して、社会改革させてしてしまう道



という二通りを挙げておりますが、ここで、『大本教』の脚注が、



戦後に『愛善苑』と名を変えた



という所で終わっていて、

その後『大本』にまた復して、

1980年の『第三次大本事件』で、改革派の『いづとみづ』が『愛善苑』を設立した、

という流れをカットしているせいで、


『愛善苑』


が、


『大本』


であるかのような印象操作を行っているのですね。

宮台先生が本文でぶっちゃけておられる愚民を情報操作するというのが早速実践されております。

流石です『太田出版』。

『一迅社』同様、『愛善苑』に詳しい編集さんとかいらっしゃるんでしょうか?
(単なる偶然なんでしょうけどね!勝手な妄想、すみません!!)



蛇足2。

そういえば、『石川雅之』先生の『もやしもん』(講談社イブニング)にも、


『橘』先生、


登場してらっしゃいましたね。


『よいこの黙示録』と同じ


『イブニング』


連載ですし、

前に書いたように、『よいこの黙示録』の最初の『奇跡』は


『蛍』


ですが、

『もやしもん』にも、


『結城蛍』


という『女装男子』キャラが…

大本教に『変成男子』『変成女子』の教義があって、

王仁三郎聖師も、女装コスプレなさってますから、偶然は面白い。


しかも、『金城優』という『蛍』似の『沖縄』キャラも登場して、

『蛍』繋がりで『沖縄』ネタという偶然が面白い。


菅田先生がお読みになったら、絶対、王仁三郎の霊示が…になりそうですね。


蛇足3。

宮台先生、『潮』だかで『宗教』を再評価する内容の発言しておられましたから、

『大本』の道を『創価学会』に期待なさっておられるのかもしれませんけど。


本題、

大塚先生、『愚民社会』で、


『秋元康』先生が、『EXILE』に天皇陛下への献上歌を献上させて、

その席で『はしゃぐ陛下』を報道させることで、

『天皇陛下』を『動員』した形にしてしまったのは、

天皇陛下の権威失墜で、よくない。


という様な秋元先生批判をしておられますが、

これ、『SPA』で、宮台先生が、


『311以降、『けいおん』の様な日常アニメは困難になった』

『まどかマギカみたいなセカイ系を突破する作品が増えるだろう』


という予言なさっていらしたのと合いますよね。

『けいおん』の『山田尚子』監督の母校の噂がある『京都造形芸術大学』の幹部に『秋元康』先生がおられるのですから。

トンデモ好きとしては、


『大塚』『宮台』と、『秋元』『けいおん』は別の『精神世界』を代表しているのか?


とか思いますね(勝手なコジツケすみません…)



蛇足4。

もっとも、宮台先生、『愚民社会』で、


『311で、宮台の言う「終らない日常」は終った』というような発言が増えたが、『終らない日常』は終っていない。


と、『SPA』発言を否定しているような発言なさってますが…


本題、


現に、秋元先生の経営参加してる京都造形芸術大学には、

スピリチュアル系の論客、


『鎌田東二』先生


がいらっしゃいますし。

鎌田先生の『謎のサルタヒコ』(編著・創元社1997年)に、

1996年に、伊勢の猿田彦神社の『宇治土公貞明』宮司が主催した、伊勢の神宮会館で行われたフォーラムが収録されておりますが、

パネラーの『美内すずえ』先生が、

角川書店の『アスカ』連載の『アマテラス』は、


『ムー大陸』の『神人』が現代に転生して、『カルマ』を落とす話


と、漫画の話ですけど、いきなり『ムー大陸』ネタ。

『神人』とか、涼宮ハルヒを連想しちゃいますね…
(石川雅之先生も、『もやしもん』で、『北野社神人』出してましたし、偶然は面白い!!)

そして、


『金髪全裸の白人女』になってる夢を見たが、その夢で登場した場所が、1,2年後に写真集を見たら出て来て驚いた、

そこは、猿田彦と同体とされる『出雲の佐太大神』の生まれた『加賀の潜戸』だった、


という『予知夢』話開陳。…立派に『トンデモ』ですよね?

しかも、沈んだ大陸の人間がカルマを云々て展開は、まるっきり


『黒田みのる』先生の『ダイヤ少女』(元、笠倉出版?九重出版で電子書籍化)


じゃないですか。黒田先生、大本教系の『世界救世教』分派、『世界真光救世教団』宣伝漫画から、『ス光光波世界神団』教祖になられた方。

『火の洗礼』とかいう概念もあって、『火の神』がキーワードの染屋カイコ先生『かみあり』(一迅社)連想しちゃいますね…

染屋先生、『出雲』舞台で『沖縄のヒヌカン(火の神)』出しておられて、またまた


『出雲』

『沖縄』


ああ、偶然は面白い。

『出雲』って、秋元先生が『秋元康の仕事学』(NHK出版2011年)で、歌詞制作の具体例に最初に出したのが


『出雲崎』


というのを思い出しますよね。偶然は面白い。


秋元先生が関わってらっしゃる『ミューズの鏡』(日本テレビ2012)は、

美内すずえ先生の『ガラスの仮面』(白泉社)に似てますが、

『ムー大陸』からの繋がりですか??
(勝手なコジツケすみません…)



そういえば、鎌田先生、


『サルタヒコ』は、『沖縄』の『サダル』神が元ネタ


という説を展開なさっておりまして、またまた


『沖縄』


に繋がってしまうという…




蛇足5。

青木さんから頂いた『ブレイクマックス』2012年3月号10周年記念特大号第3弾(コアマガジン)収録、

『吉田豪インタビュー』第113回に、『山本寛』監督が登場なさっておられますが、

311以降について、



『このままズルズルと何も起こらない日常をダラダラーッと描いていけば、

 みんなが「ワーッ萌え」って言ってくれるような時代ではもうない』

『「何も起こらない日常最高!」って話は(略)勢いがなくなっていった』

『その代わり「まどかマギカ」あたりが受けたというのは、たぶん変わったんだと僕は思う』



と、『愚民社会』での宮台先生が批判した、『SPA』の宮台先生と同じ意見です。

ヤマカン監督、


『自分は自分の常識に従って生きている』

『それを叩かれる』


と悲嘆なさってますが、そういうのが『日常』だったとしたら、

『311』で、『日常』は崩壊したんですから、

叩かれないで済むんじゃないでしょうか?

あるいは、『自分の常識に従って生きる』という『日常』はもう通用しないから、

今までの『常識』を捨て去るのですかね??


ただ、『ブレイクマックス』のインタビュー後半では、


『AKB48』


を支持しておられて、『秋元』『けいおん』の側に立っておられるような…

まあ、『愚民社会』での宮台先生とは反対の立場なのですから、これでよいのですが。


気になるのは、『AKB48』は、『311』で変化したんでしょうか?

していないのなら、『終りなき日常』の継続という『愚民社会』の宮台先生の補強証拠じゃないですかね。

そうなると、ヤマカン監督の


『日常アニメはもう受けない』


という予想は、宮台先生がそうなさったように、否定することになると思います。



また、ヤマカン監督はインタビューの中で、

オタクが一般人から許容されるようになった功績を『ジブリ』と『エヴァ』に帰していて、

『オトナアニメ』のインタビューで、


『もののけ姫』『エヴァ』で『アニメ』は終った


と発言していたのは、『否定』ではなく、『時代の転換点』について具体例を挙げて語っていただけだったのだと判明。

ヤマカン監督、宮崎駿監督も庵野秀明監督も、評価なさっておられたのですね。

これは、私の要約が意地悪かったのに加え、私が読解力不足でした。すみません。



『宇多丸』という方の『私の優しくない先輩』への批判を、


『ネット住民が語ってほしいことを語る話芸』


と分析して、ご自身の言行は、


『全部本気です』


と仰ってますので、



『処女崇拝に拠るファンのかんなぎ叩きは宗教』



という『オトナアニメ』での主張は、話芸ではなく、『本当に』一時的な感情的反発で、



『リアルであるがゆえに(略)拒絶反応が出たら、それはしょうがない』



という『ブレイクマックス』での発言は、冷静さを取り戻して、『処女厨への感情的反発』を克服した結果だと判明。
(勝手な解釈すみません…)


ヤマカン監督が尊敬する『原恵一』監督の、『オトナアニメ』での、

『ファン』の否定的発言に対しての、


それだけキャラに感情移入してくれたのだ、リアルな演出が出来ていた証拠だ


という解釈を採用しておられることがハッキリしました。
(『全部本気です』という設定の『話芸』かもしれませんが)


ヤマカン監督が、本当に冷静さを失って、周囲を攻撃しちゃってた、というのも明らかになってしまいましたが。

會川昇先生や山本幸治Pとのトラブルも、噂通りで、ヤマカン監督が切れ易かっただけなのかも…ただ、後日、

冷静になれば、感情的だったときの過ちは修正なさってると判明しましたので、関係修復も可能だと思われますが。
(『フラクタル』も準備不足だったと認めておられますし…)


脱線しましたが本題。

青山景先生の設定資料集に、『廃仏毀釈』という単語があって、

日本の宗教の生命力を奪った『神仏分離』を否定的に捉えておられたかなあ?

と勝手に解釈。

面白いのは、大塚英志先生原作の『MADARA』(田島昭宇先生作画)ですが、

山本ひろ子先生によれば、『マダラ』神は『念仏』の守護神。

宮台真司先生は、『潮』で取材に応じていらっしゃいましたが、『創価学会』は『法華経』系。


面白いのは、『サルタヒコ』を祭る神社には三重県鈴鹿の伊勢一宮『椿大神社』がありますが、

ここの『山本行隆』宮司は、


『行満堂』


という仏像を祭る施設を1978年に建てて、神社本庁から査察が入る騒ぎになってます。

ところが、1997年の鎌田先生の『サルタヒコ』関連論文中に、『椿大神社』のことは見えません。

鎌田先生は、『神仏分離』の立場らしく、同じ大学の秋元先生の『天皇陛下』の扱いを、


『念仏』守護神の名前を押し出した大塚先生

と、

『題目』を布教する教団の雑誌に登場した宮台先生


が批判なさってると言う面白い偶然。

『緋色の欠片』(アニメ制作、スタジオディーン2012年)のヒロイン『春日珠紀』(CV三宅麻理恵)は、


『神社に行くのもお寺に行くのも大好き』


と言ってましたし、『神仏分離』VS『神仏習合』が、宗教ネタの永遠の課題なんですか?
(勝手な妄想済みません…)


『出雲神仏霊場』も、伊勢、比叡山、高野山が組んだ『神仏霊場』もありますから、

出雲も伊勢も『神仏習合』謳ってはいるんですけど、

出雲では、源為憲『口遊』の


『雲太、和二、京三』

は、

『出雲大社中心の神道が一番、東大寺などの仏教は二番、天皇家は三番』という序列なんだ


と観光客に訴えてる方々が見られましたし、

『神仏習合』とか言いつつ、優劣をつけようと言う動きは盛んに行われてるような気がしますけど。
(あくまで私の個人的印象に過ぎませんけど) 




『ブラックロックシューター』は東浩紀への岡田麿理のリスペクト?

2012-05-04 01:03:03 | けいおん!!
2011年の『まつもとあつし』先生とのインタビューの中で、

グッドスマイルカンパニーの安藝貴範社長は、

アニメに出資する立場からの意見として(私の勝手な要約ですが)


誰に金が回ってるか出資者に判らないで、金が使われてゆく。

良い仕事してる人に金が回るようにしたい。

ブラックロックシューターは、誰が良い仕事してるか判る。


と、ヤマカン監督監修版の『ブラックロックシューター』について語っておられましたが、


『アニプレックス』版の『ブラックロックシューター』、


監督は『吉岡忍』監督で維持。

脚本は、『谷川流』先生、『吉岡忍』監督から『岡田麿理』先生へ。

新たにCG特技監督『今石洋之』監督を起用。


どの位、安藝貴範社長に人事決定権があったか知りませんが、

『まつもとあつし』先生とのインタビューから類推するなら、

吉岡監督は、前作『ブラックロックシューター』でも仕事していたと認められたということになり、

今石監督は『彼氏彼女の事情』等で才能を発揮なさった方だそうですから、そういうキャリアが認められての抜擢でしょう。


問題は、『岡田麿理』先生が抜擢されて、『ヤマカン』監督が外されてることで、

岡田先生は『あの花』の功績で抜擢されたと考えるのが自然かもしれませんが、

『ノイタミナ』枠で岡田先生とヤマカン監督が一緒した最新の仕事は、『フラクタル』なので、


『フラクタル』で仕事していたと判断されたのが『岡田麿理』先生だけだった?


などと不届きな妄想しております。(勝手な妄想すみません…)

私の中で、『フラクタル』の功労者は、


『山本寛』監督、

『岡田麿理』先生、

『東浩紀』先生


の三人だと思うので、


安藝貴範社長が、『フラクタル』での『ヤマカン』監督と『東浩紀』の仕事を評価しなかった??


とか、無責任な妄想しております。

この、論功行賞の根拠が、山本幸治Pのヤマカン監督、東先生への査定だったとしたら、

會川昇先生の一件でのヤマカン監督の山本Pブロックも、納得できるにゃー、とか勝手な妄想をしております。



蛇足1。

『東浩紀』先生の『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書2006年)

読みましたら、『ゲーム』の『分岐』『ループ』が、リアリズムに影響しているという解釈が述べられていて、

東先生が注で触れている『ガンパレードマーチ』(アルファシステム、ゲーム版2000年発売)

が『ループ』の典型例だと思いますが、

東先生は、『田中ロミオ』先生脚本のゲーム

『CROSSCHANNEL』(flyingshine、2003年発売)

を名作だと評価なさっているので、『ループ』展開に注目したのは、『CROSSCHANNEL』の感動からかもしれません。


『未来日記』(えすのサカエ先生の漫画版2006年発表、アスリード制作アニメ版2011年)

『Steins;Gate』(ニトロプラス、ゲーム版2009年発売、WHITEFOX制作アニメ版2011年)、

『まどかマギカ』(シャフト、アニメ版2011年発表)、

といった、『ループ』作品と同時代性だなあと思いました。


ただ、2006年以降の『ループ』作品については、

『ゲーム的リアリズムの誕生』が撒いた種が発芽した?

という可能性もゼロでは無いのですが、

東先生ご自身は、『フラクタル』で敢えて『ループ』をやっていないのが面白いですね。

ヤマカン監督には、


『ネッサに変な踊りやらせればウケる』


と、アドバイスしておられたそうですが、

東先生も、折角深く分析なさったのですから『ループ』させれば良かったのではないでしょうか?



本題。

『リアルのゆくえ』(大塚英志先生との共著、講談社現代新書2008年)読みましたが、

この中で、大塚先生は、


『送り手は楽』


とも受け取れる発言なさっていて、これが、東先生を、


『カオスラウンジ』

とか、

『フラクタル』


に走らせた原因かもしれませんね。


東先生は、


『オタクの居場所を守る』


と仰っていて、大塚先生が、具体的にどうするのか?と問うたのに対し、


『詳細は言えない』


と解せる返答して、自分の計画を秘密にしております。

これ、『カオスラウンジ』の『黒瀬陽平』先生が、


『コミケは、著作権法違反だから、長くは持たない』

『自分達が、オタクたちの為の場所を用意する』


という発言なさったのと対応してると思いますね。

東先生の


『オタクの居場所を守る』


というのがカオスラウンジの、


『コミケに代わる場所を自分達が作る』


という


『コミケ打倒』

『コミケ乗っ取り』


の原案であって、

彼らが他人の作品にやったことが

東先生の指導によるものだった可能性は高いですね。


東先生、『コミケ』に代わる『オタクの祭典』の創始者となって、

『オタキング』岡田斗司夫先生を打倒して、

自分が新たな『オタキング』になるつもりだったんじゃないですかね??

そりゃ、具体的な計画なんて、大塚先生に言えませんよね…
(勝手な妄想済みません!)



蛇足2。

大塚先生、プロップの物語の基本構造から一歩進んで、

東先生と同じ、『要素の組み合わせ』を論じておられ、


『要素のふさわしい組み合わせが大事』


という点まで押さえておられますから、以前ここで要約した、


大塚先生の構造重視と東先生の要素重視


という区別は2008年までに解消していたのだと判明。

大塚先生が柔軟だなあ、と感心しました。
(上から目線すみません…)

東先生は、2002年の対談のときは、要約すると、


『デジキャラットがウケたのは、コゲどんぼ先生の才能のせいじゃない』

『萌え要素を組み合わせさえすれば、オタクは買うのだ』


とぶっちゃけて、

大塚先生が、要約すると、


『でじこは、コゲ先生の才能あってのヒットだし、オタクは、何でも買うわけではない』


と反論する場面もありましたが、

『フラクタル』で、ヤマカン監督が、要約すると


『敢えて古臭い絵柄で行く』

『東先生の意見は全て入れた』


と仰ったのは、


『左』先生の才能で売れるわけじゃない、要素の組み合わせでオタクは買うんでしょう?


と、コゲ先生の才能を否定した東先生へ実践による反論したのかもしれません。



本題。

『ゲーム的リアリズムのゆくえ』の中で、東先生は、要約すると、


『これからは、貧困対策と、自尊心のフォローとが制度の役割となる』

『貧困対策は、最低の生活費保障する富の再分配』

『自尊心のフォローは、カウンセリング』


という制度設計の提案をなさっておりますが、

この、


『カウンセリング』


が、ノイタミナアニメ版『ブラックロックシューター』で、

『納野サヤ』(CV能登麻美子)が


『スクールカウンセラー』


に設定された元ネタなんじゃないか?

とか勝手な妄想してしまいますね。



他にも、東先生が、『カオスラウンジ』立ち上げ以前に、


『これからはミクミクダンス』


と仰ってまして、

主題歌とか『ミク』な『ブラックロックシューター』アニメ化したのは、

東先生の主張を実現して見せたってことですか?



また、サヤが『神足ユウ』(CV阿澄佳奈)を守ろうとしたことが、



東先生が『カオスラウンジ』と共に『オタクの居場所』を守ろうとすること



に対応し、



『少女達に精神的負荷を与えることで、サヤがユウを守ろうとする』



というのは、


『同人作家達に精神的負荷与えることで、東とカオスラウンジが、オタクの居場所を守ろうとする』



という、実際に東先生とカオスラウンジがやっていたことの戯画化ではないのですかね??

いや、



『どうして、負荷与えると、何かが守れるのか?』



という、『ブラックロックシューター』の謎は、



『岡田麿理先生が、東先生とカオスラウンジの理論と実践に感じた疑問』



が、そのまま反映されてるんじゃないですかね?

なぜ、オタクが嫌がることやるのが、オタクを守ることになるのかは、

フランス現代思想研究した東先生の頭脳にしかわからないのかもしれません。


蛇足3。

私の勝手な解釈ですが、

東先生、『リアルのゆくえ』で、



西洋近代の『強い個人になるべき』という考え方



を否定しておられますから、『ブラックロックシューター』の、


『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


という結論にはならないんですよね。

東先生、要約すると、



『他人を説得する労力と時間が無駄に思える』



と仰っていて、まるっきり、



『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


になる前の、『ブラックロックシューター』の展開に近い。



大塚英志先生が、怒って、



『それがポストモダンなのか』



と、『ポストモダン』の論文で文壇で飯を食い始めた東先生の全存在を揺さぶる批判をなさっております。

東先生の反論は、要約すると、


『自分は、言論人の責任なんか感じない。そういう人間だ。こういう生き方しか出来ない。』

『なぜ、東はそう考え、行動するのかを質問することは、人格攻撃だ』


というもので、

噂によると、

311の震災について、

東浩紀先生が『言論人の責任』を云々したとき、

東先生が大塚先生に言ったとおりの『反西洋個人主義』的行動を実践したらしい愛弟子『宇野常寛』先生を、

『言論人の責任』を果たしてない、と東先生が攻撃、

宇野先生は


『人格攻撃だ』


と反論なさったそうですが、

宇野先生の『人格攻撃』の出所は東先生の大塚先生への反論だろうと勝手に思っております。

これ、『リアルのゆくえ』の


大塚英志先生の主張を東先生がパクッていて、

東浩紀先生の立場を宇野先生がパクッてる、


という構図。

宇野先生、『リアルのゆくえ』の東先生の立場を東先生にぶつけてみたんですね。

まったく同じ構図が現出してると思います。


噂を根拠に立論するなんて、時間の無駄ですけど、

まあ、万が一、噂が本当なら、

2008年~2011年の間に、東先生、正反対の主張に転換して、大塚英志先生と同じ意見になられたご様子。

東先生、さすが、進化してらっしゃる。


そうでなければ、

宇野先生は東先生役の迫真の演技をやって、

東先生、もちろん、洒落だと百も承知で大塚先生役の演技してるのかも…?



本題。


『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


は、岡田麿理先生が、ご自身の信念を、クライマックス~ラストに打ち出してるんだと思います。

『リアルのゆくえ』で、大塚先生が批判した東先生の立場を、全否定したのだろうと思います。


いや、2008年の東浩紀を全否定して、『西洋的強い個人主義』に転向した


『東浩紀先生2011』


の魂の軌跡を作品化した実録小説が『ブラックロックシューター』だった???


そう考えると、『痛くても、他人と付き合ってゆこう』は、

大塚英志先生の主張を

『黒衣マト』(CV花澤香菜)という『キャラ』に語らせただけで、

岡田先生、別にそういう意見に賛成してないのかもしれませんね…


じつは、

東浩紀先生と大塚英志先生の『意見』をバーチャルに戦わせるってのが、


『ブラックロックシューター』達の世界


に対応し、


『意見』は『痛みを感じない』

『意見』が死ねば、『東先生』の苦しみはなくなる

=『2008年の東先生の意見』は消え去っちゃいました!『責任ある言論人』だヨ!


というのが『ブラックロックシューターとマトが一体化する前』の対応関係かも。


岡田先生が、そう信じてるかは別にして、


死んだはずの『デッドマスター』とかが復活するという展開、

『痛くても、他人と付き合ってゆこう』というオチ、


は、


『発言にはもっと重みを持たせてね』

『他人と話すのが無駄だなんて言わないでね』


というアニメ制作者の、『責任ある言論人』への要望が示されてるのかも。

『言論人の責任』云々する資格が東先生にはあるのか無いのか、

その辺りをチクリと批判する隠された意図が『ブラックロックシューター』にはあって、

そのせいで、一部視聴者に判り辛い展開になったり、意味不明の部分が生じてしまったんじゃないかなあ?

とか、勝手な妄想をしております。


蛇足4。

ブラックロックシューターにマトが取り込まれるのはNGってのは、


『主義を愛して死する』


という旧制第四高校時代の金沢大学の寮歌『北の都』の歌詞に見られるような立場の否定かも。

岡田先生、『花咲くいろは』で、金沢とか舞台にしてましたし。

『北の都』は聞かれたかも…?


(画像は、本文内容と関係ありません、また、タイトルと本文も関係ない気がします…すみません)