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僕らはみんな生きている♪

生きているから顔がある。花や葉っぱ、酒の肴と独り呑み、ぼっち飯料理、なんちゃって小説みたいなもの…

「パトスとエロス」 マス

2008年12月06日 | ケータイ小説「パトスと…」
岡田さんは「よう辰雄君、来てたのかぁ」と言いながら納戸から出てきた。

「今、現像してたから分からなかった。どう、見てみる?」
「ううん、こないだ見たからいい、臭いし」

「今日は定着液替えたばっかりだから新鮮に臭いよ」

岡田さんは写真クラブに入っていて現像も自分でやる。
暗室に改造した納戸に辰雄も入れてもらったことがあるが、真っ暗ではなく赤い裸電球が一つだけついていて、小さな流しといろんなものが雑多に置かれた机の下まで1畳ほどしかない狭い室内の全てを赤く染めていた。
この赤色は写真に写らないのだそうだ。

2人で入ると動けるスペースはほとんどなく、岡田さんは

「ちょっとゴメンね、はいちょっと失礼」

とか言いながら辰雄の肩を押さえ棚の印画紙を取って袋から出しだしたり、洗濯物のようにぶら下がっているフィルムを虫眼鏡で見たりした。
薬液の酸っぱい臭いが鼻をついた。

「すごく臭いね」と辰雄が遠慮がちに言うと
「うーん、確かに臭いなぁ。でもこれが不思議とだんだん好きになってくる」
と岡田さんは笑った。


暗室から出ると臭いのない空気がとても新鮮で、キャンプ場の朝のように辰雄は腕を伸ばして深呼吸をした。

真空管アンプがバックロードホーンにイムジチのクラシックをゆったりと送り込んでいた。

「これ学校で聴いたことがあるよ」
「シューベルトの『ます』かい?」
「そうそう、それ」

「なかなかいいものを聴くんだね。これは室内楽だからオーケストラと違って分かりやすいかな」
「ピアノとバイオリンでしょう?」

「他にもあるけど、ほら、これを見ながら聴くと面白いよ。えーっと今丁度ここだ」

岡田さんが持ち出したのは楽譜だった。指でなぞってくれる音符を追っていくとピアノからチェロへ、バイオリンへと主旋律が移っていくのがはっきりとみえた。
魚の鱒がしぶきを上げる渓流を踊ったり、ゆったりとした淵をゆるやかに泳いでいる姿が浮かんだ。


クッションを抱えイームスの椅子にお尻をすっぽりと埋めて辰雄はハーモニーの世界にいた。
楽譜を目で追っていくと自分が五線譜を泳ぐ鱒になったような気がして気持ちがよかった。

曲が終わった時、ふと見ると岡田さんはブラシのついたブロアーを持ちカメラの手入れをしていた。

「何してるの?」