ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

まだ始まってもいないよ―北野武の「キッズ・リターン」

2004年07月03日 | 映画♪
北野武の映画でどれがお薦めかと聞かれると、「ソナチネ」と言いたい気持ちをグッとこらえ、「キッズ・リターン」と答えることにしている。この映画は誰もが楽しむことができるオーソドックスな青春映画であり、誰もの心に響くノスタルジーと「希望」と「挫折」、「再会」を丁寧に描いきつつ、ラストの「まだ始まっちゃいないよ」とのセリフが示すように北野武が「生きる」ことを肯定した感動作だ。



この映画の(北野武としての)前作は名作「ソナチネ」であり、こちらは「死」と「暴力」が当たり前のように日常に潜む暴力団組長 村川が「死」にむかって走っていく映画だったが、こちらは「悪がき」高校生のマサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)が二人乗りした自転車で坂道を駆け上がっていくところから始まる。それは「死」ではなく「未来」に向かっていくように。

マサルとシンジは授業をサボってはやりたい事だけをやっている半端な高校生。ある日、マサルがカツアゲした生徒の助っ人ボクサーにコテンパンにやられたことから、2人してボクシングジムに通うことに。酒もタバコもやめてトレーニングに励むマサルだったが、ふざけてはじめたスパーリングで弟分のシンジにカウンターを決められてしまう。傷ついた自尊心。そしてこの時から2人がそれぞれの道を行くことになる――。
ヤクザとしてのし上がっていくマサルとボクサーとして成長していくシンジ。しかし、かって自転車で駆け上がった登り坂もやがて下りにさしかかっていくように、それぞれの「挫折」にむかっていくこととなる。

この映画は本人が『自殺』と呼ぶバイク事故の後に撮られた映画であり、あの「フライデー」殴り込み事件以来2度目の芸人としての北野武の「死」という状況下で撮られたものだということを考えると、この映画の撮影自体が1っの「リハビリ」だったのではないか、と思う。

だからこそ、再会した2人が昔と同じように自転車にまたがり、校庭を何度も何度も大きな円を描きながら走りつづれる姿、シンジの「俺たち終わったのかな?」の問いに「バカヤロー、まだ始まってもいないよ」と応えるマサルの言葉は感動的だ。

それは北野武自身の「再生」しようとする意思であり、幾つもの栄光と挫折を繰り返しながらも「日常」を生きていかねばならない僕ら自身の言葉でもある。日常とは「栄光」も「挫折」も「希望」も「裏切り」も「出会い」も「別れ」も全てを受け入れた上で繰り返される「円環運動」に他ならないのだから。そう、校庭を回りつづける二人のように…

この映画はそれ以上でも、それ以下でもない等身大の「青春映画」の傑作といっていい。

それにしてもこの映画がデビュー安藤政信はセンセーショナルだったなぁ。。。


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