ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

天安門事件は中国の民主化を進めたのか

2012年09月17日 | Weblog
89年の天安門事件が起こったとき、僕はまだ学生で、その民主化を求める同時代の若者たちが弾圧される姿に「怒り」と全く不甲斐ない自分たちや日本の学生に「苛立ち」を感じたことを覚えている。

1989年の天安門事件というのは、当時、改革開放路線と自由化を推進してきた胡耀邦の死をきっかけに、民主化を求めて天安門広場に集結した学生や市民に対して、人民解放軍が武力弾圧した事件。それまで「中国人民解放軍」は「人民」の見方であると考えられてきた。それは第一次天安門事件の際に、文化大革命を指導した「四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)」がデモ隊を鎮圧するように命じた際、人民解放軍がその命令に従わなかったという歴史がある。国共内戦以来の歴史をもつ人民解放軍は「人民」の軍隊だと支持されてきたのだ。

しかし第二次天安門事件では「人民解放軍」は国家側につくことになる。デモ隊に対して装甲車が突入し無差別発砲を行う。海外メディアがその様を報道し、世界に中国共産党一党独裁支配の異常さを強く印象づけた。その被害者の数は不明だが、数百人から数万人とも言われている。学生運動のリーダーの1人・ウーアルカイシはその直後に香港に脱出、フランスに亡命し、ハーバード大を卒業後、実業家などを経験、台湾で活動している。

またリーダーの王丹はこの事件のために逮捕されたものの、国際社会からの圧力により解放され、アメリカに亡命し現在でも民主運動家として活動している。

あの事件から二十数年を経過し、経済大国になるにつれて、中国国内でも民主化は避けて通れないのだろう。都市部の市民のファッションは日本のそれと変わらないし、携帯電話を持ち、インターネットを使いこなす。

しかし天安門事件がその後の中国を民主化に導いたとはいえないのだろう。

ここ最近の中国国内での日本バッシングを見ていると、その愛国主義(排他主義)的な傾向や偏り具合はとても民主国家のそれとは思えない。それは主義・主張の正当性の是非ではなく、そもそもの偏った思想を感じざろうえないからだ。

 暴徒乱入、無言で破壊・放火…工場再起不能 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

天安門事件以降、中国では愛国主義的教育(そのための反日教育)を徹底している。それ以前を知っている人であれば、その教育方針が恣意的なものであると分かっているのだろうが、幼い時からそういう教育を受けた世代(今の20代)には、天安門事件で闘っていた学生たちの想いも伝わらない。すでに愛国主義・中華思想・反日思想が「当たり前」の物となっているのだろう。かっての日本がそうだったように…

中国民主化のために闘った学生運動が、結果的に天安門事件を引き起こし、中国の民主化を遅らせたという矛盾。しかし今回のような中国人の行動は、各国企業のアジア戦略にも大なり小なり影響を及ぼすだろう。いくら経済が発達したとしても、まだまだ民主国家とは呼べないこと、巨大な市場を抱えながらも、同時に大きな地政学リスクも潜むこと、そうした様子を世界にさらしたのだから。

偏りすぎた思想性を持った世代がこれから中国政財界の中核を担っていくのだとしたら、はたしてこの国と友好な関係を築くことはできるのだろうか。


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