ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

日本辺境論 / 内田 樹

2010年02月28日 | 読書
内田樹さんの秀逸の日本文化論。日本人の特性と「学ぶ力」の必要性が説かれている。感想でも述べるが「総合的な学習」がうまく機能していない理由もこの論に即して考えてみると面白いかもしれない。


日本辺境論 (新潮新書) / 内田樹

【要約】

日本人ほど「日本文化論(自国文化論)」が好きな国民はいないという。何年かに一度は「日本文化論」が流行り、次の「日本文化論」が出ると先のものはすっかり忘れ、新しいものに飛びつくのだという。そしてそれらの事象も含め、日本という国がうまくいくこと/どうしてもうまくいかないことは「日本が辺境に位置する」ことに起因するという。

日本が「辺境」だとすると中心は?それが「中華文明」であり「西欧文明」ということになる。

「日本の多少とも体系的な思想や教義は内容的にいうと古来から外来思想である。けれどそれが日本に入ってくると一定の変容を受ける。それもかなりの大幅な『修正』が加えられる。…私たちはたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分は何も変わらない」

そうした態度は、他国との比較でしか自国を語れない態度にも表れている。世界第二位の経済大国であるニッポン…これに対し、アメリカはアメリカとは何か、何を目指すのか、「われわれ」アメリカ人は何故、アメリカを作ったのかを語り続ける。

かわりに日本人が固執するのが「場の親密さ」である。

「日米同盟関係が日本外交の基軸である」と語るとき、アメリカは自国の国益のことしか考えない。自国の国益と合致する限りにおいて日米同盟関係は成立する。しかし日本はそう考えない。アメリカからの理不尽な要求に対しても、「理不尽な要求が許されるのはそれだけ親しい間柄なのだ」と解釈し受け入れる。日米構造協議しかり、イラク戦争への人的貢献しかり。

自らの思想やアイデンティよりも場の親密性を優先させる態度、とりわけ「長いものには巻かれ」てみせ、受動的なありようを恭順と親しみのメッセージとして提示する態度は、他国からは主体性のなさ、責任の所在のなさにみえる。戦後の戦争裁判では誰もが「私個人としては反対だった」と述べたという。でも実際に戦争は起きているのだ。

世界や状況に対して主体的に働きかけることは常に外部で行われ、その影響や変化は外部から訪れる。日本人は常に受動者であり続ける。かっての日本にとって「中心」に位置したのは「中国」だった。中華皇帝が中心に存在し、周辺に蕃国が存在する。中国は一文字で表すが(秦、漢、隋、唐、宋、清、明)、周辺国は二文字となる(匈奴、鮮卑、契丹など)。

これら周辺諸国は中華皇帝に対して朝貢を行う。中華皇帝に周辺諸国の支配者であることを見つめてもらう必要があったからだ。日本でも聖徳太子が隋の煬帝に対して親書を送った。しかしここに日本の辺境人としての「(ズル)賢さ」が見られる。本来、中国は臣属国からの「朝貢」を受け恩賞を「下賜」するというスタイルであるにも関わらず、日本は知ってか知らずか「対等外交」として親書を送っている。周辺に位置する国として、既存のルールを知らないフリをして、実だけを獲る。面従腹背。――しかしこれが日本の伝統的な外交戦略となるのだ。

日本が辺境国である以上、世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない。「ふつうの国」になることではなく、「辺境国」でしかできないことを考えることが望ましい。

日本人は固有の経験や生活実感に根付いた「自分の意見」を述べることができない。それは「自分の問題」として考えたことが無く、外部の誰かが考えた意見の中で気に入ったものを採用すればいいと思っているからだ。スタート地点が受身なのだ。そのため日本人の意見というのは「虎の威を借る『狐』」になりがちだ。しかしこうした態度にはいい面もある。

モノを「学ぶ」ということは、事前に何を学びたいか、どのように学べばよいか、といった目的や方法論が分かっていればそれにしたがって学ぶ手段を選択すればいいが、多くの「学び」とは事後的に獲得されるものだ。何かを知りたいといった動機はあるかもしれないが、学ぶことによって、学ぶ前にはそのようなことが存在することさえ知らなかった「いいこと」が事後的に「知」の中に蓄積されていく。

事前に目的や方法論を規定しそれに基づいて「知」を獲得するという方法論では事前に知りうる情報に限界がある。しかし日本人のように受動的な態度で学ぶもの、とりわけ「学べる限り、あらゆる機会に、あらゆるものから学べ」といった態度からは、習得される「知」は無尽蔵だ。師が何も教えなくとも、弟子はそこから学ぶことができるのだ。

「外部に上位文化がある」という信憑は我々の「学び」の動機付けとなっている。そのことは何かにつけ上位文化・霊的成熟さへの「道」を形作ることになるが、その一方で自身の「未熟さ」をも正当化してしまう。この今ここでの霊的成熟さをどう獲得するかという問題に多くの武道かが苦しんできた。

「私は辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、ただしく導かれねばならない」という論理は「道」的なプログラムの成功をもたらしたが、絶対的な「信」、霊的成熟の成立を妨げている。この困難を克服するために宗教者たちは「機」という概念を使った。

他者からの「入力」がありそれに対しての自身が変化し「出力」がある。こうした「入力/出力」のタイムラグや「他者/自己」の二項関係では相手に「先をとられる」状態であり「住地煩悩」である。敵がいて己がいるという状態では「無敵(敵がいない)」にはなれない。そうではなく「入力」によって始めて「入力をうけた自己」が生成する。「外部からの入力を受信する主体」は存在せず、「石火之機」のごとく、その瞬間に初めて生成することによって「先後」「遅速」といった問題を回避した。

「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」であり、事前に「いいこと(報酬)」が約束されているのではなく、「今はその意味や有用性が表示されていないものの中に意味や有用性を先駆的に知る力である。それは資源に乏しい狭隘な国が列強大国と伍していくために必要だった力であり、それを最大化してきた。しかし今、日本ではそうした「学ぶ力」が失われていっている。


【感想】

ははーん、言われれば仕事でも「自分でこれがこれからの社会の在り様です」と独創的に語れる人がいないのはこういうことに起因するのかもしれないと妙に納得。Googleをはじめとした海外のサイトや国内の他のサイトでの先進的な取り組みを、自社に導入するための説得力のある意見を述べる人は数多いるが、結局、独自の視点や他では見られない先進的なアイデアを語れる人は少ないし、そうしたアイデアに対して積極的に賛同するという人も少ない。

これまでであればそれはそれで何とかなったのかもしれないが、一方でデジタル技術の進展やあらゆる製品がソフトウェア重視となり技術力の差が「縮み」つつあり、他方で世界市場自体が1つに結ばれ、勝ち組と負け組みが明確になる中、日本が得意とするリアクション戦略だけでは戦えないのではないか。

仮にガラパゴス化することで日本市場内部だけで生きていこうという前提で考えるならともかく、世界市場を相手にする企業にとっては、いくら「辺境で行こう!」と言われても、そうですかというわけにはいかない。

思わずそう反論したくなるほど、この本は日本人の特性をうまく言い当てていると思う。

多少礼賛過ぎるとしても、司馬遼太郎が明治という時代の「気概」を褒め称えるのは分かる気がする。明治という時代のもっていた「危機感」は国民意識として共有され、それまでのヒエラルキーの崩壊・「立身出世」主義とあいまって「学ぶ力」を十二分に発揮してきたのだろう。また既にあるルールに投げ込まれた上で、そのルール上で「追いつく」という状況でもあったし。

本来、「ゆとり教育」の一環として導入された「総合的な学習」の狙いもこの「学ぶ力」≒「生きる力」を育て上げるためのものだったはず。しかしそれが上手く機能していないのは、教える側/教わる側それぞれの「学ぶ力」の不足があったのではないか。

総合学習のねらいは「変化の激しいこれからの社会を」生きる力を育てること。つまりマニュアル化された知識・詰め込み型りの知識では対応できない問題に対し、解決できる/乗り切れる知恵や能力を養うこと。そのため教科書のような学ぶべき「ゴール」が存在せず自ら作り出さねばならなかった。内田さんの論に即して言うなら、外部からゴールが与えられるのではなく、それぞれの教師が自ら作り出さねばならなかった。しかしこうした自ら目標を作り出すというのは辺境人には苦手ということになる。

また明治の世であれば国家的な危機意識が「学ぶ力」を発揮させ、より高みを望む駆動力になったかもしれないが、社会が豊かになり「立身出世」だけが全てでなくなった現代では、「未熟」であることに安住しても何とかなるという甘えがあり、また現実にマニュアル外の知恵を発揮する場面というのは少なくなってきているのではないだろうか(少なくとも学生時代までにおいては)。

今、日本が直面としてるのは辺境人としての「学ぶ力」はもちろんだが、やはり自らゴールやルールを作り出していく力なのではないだろうか。


日本辺境論 (新潮新書)


坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

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