ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

さよならサリンジャー、さよならシーモア、グラース家の人々

2010年01月30日 | 読書
J.D.サリンジャーがなくなったという。

訃報:サリンジャーさん91歳=「ライ麦畑でつかまえて」 - 毎日jp(毎日新聞)

サリンジャーは大好きな作家の1人。野崎孝さんが訳した短編集「ナイン・ストーリー」の作品は何度読み直したことだろう。その中でも、特に好きだったのが、「バナナフィッシュにうってつけの日」。その後の作品でも登場するグラース家の長兄・シーモアの最期の1日を描いたものだ。

その凄さを語るのであれば、1つは言語感覚の鋭さ。これはきっと当時、原書で読んだ人などがよく分かるのではないか。

今でも語られているのか、代表作「ライ麦畑でつかまえて」での言葉遣い。野崎さんの訳は、正直、僕は無理をしている感じを受けてしまうのだけれど、文学がどうしても「文学らしさ」に囚われてしまう、現在を生きている言葉からずれてしまうという宿命がある中で、その当時の若者たちの言葉遣いに近づいた結果だったのだろう。

「ライ麦畑」だけでなく、「ナイン・ストーリーズ」や「フラーニーとゾーイ」で交わされる会話、ちょっとした暮らしぶりの描写は、村上春樹や伊坂幸太郎の書き言葉としての「表現」とは全く違う。新鮮さ、みずみずしさ、同時代性…「言葉」による表現活動でどのように「現在」を切り取ることができるか、その1つの頂点がサリンジャーの作品にはあった気がする。

サリンジャー作品のもう1つの凄さというのは、なんといってもその繊細さ。感受性豊かな心の持ち主の心の機微とそれを理解できない人々の残酷さ、スノッブさ、(無自覚な)暴力性を描ききったことだろう。誰が「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモアを分かってあげただろう。世界とは、あまりに残酷で、厚かましく、恥知らずな存在なのだ。

大人になるということは、あるいはこの社会で生きていくということは、こうした暴力と厚かましさに慣れ親しんでいくことなのかもしれない。だからこそ、その失われていくイノセント・ワールドへの郷愁が心に響いてくるのだ。

その後、シーモアがこの社会から脱したように、サリンジャー自身、隠遁生活にはいる。そしてその社会と隔絶した様は生きる伝説となり、だからこそ「ライ麦畑でつかまえて」は青春のバイブルのようになった。

閉話休題。

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」では、「ライ麦畑でつかまえて」をモチーフに、インチキが横行する社会に対して「笑い男事件」と呼ばれるサイバーテロを敢行する青年ハッカーの姿が描かれる。彼もサリンジャーの登場人物同様、「無垢な世界」とインチキだらけの現実社会の狭間で絶望し、苦悶する。しかしそうした世界は、やはりそうした世界を作品として描くことを通じて、暴力的で傲慢なビジネスの世界に取り込まれていくという矛盾にさらされる。あらゆるものは現実にスポイルされていくのだ。

最期まで隠遁生活を続けたサリンジャーのご冥福を祈ります。


ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)


ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)


フラニーとゾーイー (新潮文庫)


大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 「笑い男事件」:我々を我々たらしめるもの - ビールを飲みながら考えてみた…
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Blu-ray Disc BOX 2【Blu-rayDisc Video】




コメントを投稿