ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

グラン・トリノ:クリントイーストウッドが描いた古きアメリカの総括

2009年05月25日 | 映画♪
クリント・イーストウッドの最後の出演作ということもあってか、また監督としての実績からか前評判どおりの良作。作品自体は意外とオーソドックスな作品ながら、笑いあり、涙あり、全く退屈するところがない。遠く離れた父親にちょっと電話でもしてみようかな、と素直に思ってしまった。

【「グラン・トリノ」予告編】


【あらすじ】
朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキーはフォード社を退職し、妻も亡くなりマンネリ化した生活を送っている。彼の妻はウォルトに懺悔することを望んでいたが、頑固な彼は牧師の勧めも断る。そんな時、近所のアジア系移民のギャングがウォルトの隣に住むおとなしい少年タオにウォルトの所有する1972年製グラン・トリノを盗ませようとする。タオに銃を向けるウォルトだが、この出会いがこの二人のこれからの人生を変えていく…。(「goo 映画」より)

【レビュー】

映画の役柄というわけでなく、クリント・イーストウッドは保守主義者である。共和党員であり、実際、カーメル市長を2期勤めていたりもする。そういう意味でもこの役柄とクリント・イーストウッド本人が重なって見えてしまうのは仕方がないのだろう。

先日見た、「告発のとき」でもそうなのだけれど、古きよきアメリカへの幻想・憧憬といったものが、今のアメリカ社会にはあるのだろうか。「告発のとき」ではトミー・リー・ジョーンズが古きよきアメリカの象徴として演じたが、この映画ではイーストウッドが古きアメリカの象徴として存在することになる。

この映画を現代のアメリカの迷いだと考えるとどう見えるだろう。ウォルト自身はフォードで働きアメリカの自動車産業を支え、戦後の繁栄を享受した存在だ。同時に朝鮮戦争という負の遺産を背負い、また人種差別という偏見から抜け出せずにいる。

彼は古い時代の憧憬やルールに閉じこもり、新しい変化を拒絶している。もちろんその新しい変化は彼にとって、あるいは社会にとって好ましいものとは限らない。アメリカの誇りでもある自動車産業を飲み込もうとする日本車勢に対し、息子は日本車のセールスマンとして「共に」歩く道を選んでいるが、そのことをウォルトは苦々しく思っている。近所に住み始めた黄色人やメキシカンに対しても快く思わない。

しかしそれらは現在のアメリカの現実なのだろう。そして古いアメリカはそのことを未だ受け入れきれていないのだろう。

物語は、この「古きアメリカ」ウォルトがタオやスーといったモン族との交流を通じて、少しずつ偏見が解けていく様がユーモアに描かれていく。しかしそうした様を快く思わないモン族のギャングたちとウォルトとのいざこざがあり、ギャングたちがタオの家を襲いスーをレイプするという「憎しみの連鎖」へと繋がっていく。

この「憎しみの連鎖」は、しかし、現在のアメリカの外交政策そのものではないか。他者の考え方・ルールにあわせるのではなく、自身のルールを相手に強制しする。暴力には暴力で対抗し、結果、異文化との衝突に終わりがない。ウォルトの行動はギャングたちを煽ることになり、そしてタオもまた復讐を求めようとする…

ウォルトは「これから」があるタオをこの憎しみの連鎖から何とか救いたいと考える。それはまた自身にとっての、あるいはアメリカのこれからにとっての選択肢なのかもしれない。「やられたらやり返す」だけでは何も解決しないのだと。解決するための手段・残されたものにとって最適な解決策とは必ずしも「力」によるとは限らないのだと。

この作品ではクリント・イーストウッドがその経験を発揮し、役者としても、監督としても魅力的な作品に仕上げている。個人的にはそのあたりの「余裕ぶり」に物足りなさを感じたりはするのだけれど、誰もが認める秀作といえるだろう。


【評価】
総合:★★★★☆
役者としての貫禄は◎:★★★★★
ちょっとこなれ過ぎた感が…:★★★☆☆

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DVD「グラン・トリノ」


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