Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

GISELLE (Sat Mtn, Jul 12, 2008)

2008-07-12 | バレエ
感動とか感銘とかいう言葉ですら安っぽく聞こえるほどの
類稀な鑑賞体験を与えてくれた昨夜のニーナとカレーニョの公演

字数がいっぱいでその昨日のレポに書くことができなかったのですが、
平土間の一列目でヴィシニョーワと思しき女性が鑑賞していました。
昨夜は怪我でなければ、彼女が本来踊る予定だったわけですが、
そのヴィシニョーワとならんで私が楽しみにしていたのが今日のドヴォ・マキ
(イリーナ・ドヴォロヴェンコ&マキシム・ベロセルコフスキー夫妻)コンビの公演。
しかし、昨日のニーナ&カレーニョの公演のインパクトがあまりにも大きすぎて、
今日は半分抜け殻状態の私ですが、連れが同伴なので、私が極端な感想に走らぬよう、
見張ってもらうことにします。

一幕

どんな役をやってもノーブルな雰囲気のマキ、その分、役によっての変化が乏しい気がします。
それに比べると、ドヴォの方は変幻自在。
彼女に関しては、水曜マチネのレポで、美人系ジゼルで来るのではないかと
予想していた私ですが、舞台にあらわれた彼女は意外や純粋な村娘系。
登場した瞬間、なんだか少し太ったのかな?という錯覚をおこしたのですが、
ニ幕のウィリになってからの場面ではいつもどおりのスリムな体型に逆戻りしていたので、
彼女は踊りで体型の雰囲気を変えることが出来るということなのでしょうか?おそるべし。
そして、相変わらず彼女は動きがきちんと音楽とリンクしているところが私は好きです。
どんなささいな動きでもそう。

さて、やはり夫婦である二人が演じるとこうなってしまうのかもしれませんが、
一幕から二人はラブラブで、今までに観た二公演と比べても、
アルブレヒトのジゼルへの本気度が最も高いのはこのドヴォ・マキ・ペアでした。
昨日のレポで、アルブレヒト役を踊る男性ダンサーのこの役の描き方を
端的に、かつはっきりと示している場面に、ジゼルの死のあとの、彼とヒラリオンとの口論のシーンがあると書きましたが、
今日の公演でのマキの、ヒラリオンに”君のせいだろう!”と言われたあとの反応は、
”俺のせいだと?ふざけんな、ばかやろう!”という強烈な反応で、そのままヒラリオンに
怒りを爆発させる、という流れになっています。
コルネホの”お、おれですか?”という驚きよりは、もっともっと積極的な怒りで、
マキのアルブレヒトは、ジゼルが死んで”気付き”があるというよりは、
すでに、最初から、彼女にかなり本気で恋していた、ということがわかります。

今日のヒラリオンは水曜マチネと同じ田舎もの系スタッパスだったのですが、
今日はどうしたことでしょうか?少し踊りに迷いがあるように感じられました。
ださ度が減少して、その分、スタンダードなヒラリオンに近づいたともいえるのかもしれませんが、
水曜にニ幕での退場の場面ででんぐり返りまで炸裂させたのとは違い、
今日は普通に駆け抜けながら舞台袖にはけていきました。
誰かに指摘されて変更したのでしょうか?確かにものすごいダサい動きではありましたが、
しかし、水曜日には、そのスピリットと思い込みが全編に及んでいて、
格好悪さと思い込みの美学ともいえるものがあったのですが、今日は対照的。
格好は多少良くなったかもしれないけれど、逆にどこか思い切りの悪いダルさが
踊りに忍び込んでしまったように思います。
私は水曜のあの垢抜けないヒラリオン、決して嫌いではなかったのにな、、。

しかし、ヒラリオンよりも何よりも、私がほとんど許せないまでに腹立たしかったのは、
ペザントのパ・ド・ドゥを踊ったコープランドとロペス。
また暴言を吐かせていただくなら、この二人にこのパ・ド・ドゥははっきり言って
まだ無理ではないでしょうか?
恐れ多い仮定ですみません、ですが、もしも、私が芸術監督だったならば、
稽古時の段階で、こんな出来だとわかったら、本番には彼らを登場させないと思います。
それくらいにひどい。
若手にチャンスを与えて、、というのもわかりますが、ここは地方のバレエ団の発表会じゃない。
ABTなんだから、舞台にのるときにはある程度のレベルには達しているべきだし、
ペザントのパ・ド・ドゥだから、お客さんも大目に見てくれるかな?なんて思っているとしたら、
それは主役や準主役のダンサーたち、そして観客に対する侮辱ってもんです。
実際、このペザントのシーンで、すっかり場が盛り下がってしまったのを感じた方は観客の中にも多いはずです。
バレエもオペラもどんな小さな(そして、このペザントのパ・ド・ドゥは決して小さくもない!)場面も、
手抜きするな!といいたい。すべてのシーンが作品を構成する大切なピースなんですから。

特にコープランドに関しては、私はダンサーとしての彼女の将来に不安を覚えます。
ある特定の側面では非常に優れた身体的能力を持っていることを伺わせる彼女ですが、
本人もそれを知ってか、それとも自分の欠点を補うために無意識にその能力に頼ってしまうのか、
とにかくあまりにも強引な踊りで辟易します。
バレエのテクニックについての専門的な知識は限りなくゼロに近い私ですが、
彼女が本当の意味では正しく体を使えていないこと、これだけはわかります。
こんなに観ているだけで疲れるダンサー、他にはいないですもの。
他の優れたダンサーだってもちろんものすごく体のあらゆる部分を使っているわけなのですが、
正しく体が使われていると、観ていて疲れる感じがしないし、何より美しい。
オペラだって、正しく発声が出来ていると、本人も比較的楽だし
(そうでなければ長丁場のオペラを歌いきれるわけがない。)
その声も、観客の勘にさわる性質のものにはなりえず、真に美しい声だな、と感じるのと同じことです。
彼女のダンスからは、動きそのものに備わった妙なリズム(これまた変な力が入っている証拠)と、
どんなポーズもあまりに美しさに欠け、本人が自分が得意だと思っているらしい
スピード感や体のバネを多用しようとすればするほど、その欠点が増幅されるという悪循環に陥ってます。
苦しいことですが、一旦今すべて持っているものを一度アンロードして、
もう一度基本に返ることが彼女には必要ではないでしょうか?
そうでなければ、多分、このまま今の路線でつきすすんでも、もしもいつか古典もののヒロインなどにも
挑戦したいと思っているとしたら、彼女の将来、私には明るいものが見えません。
こんなラインの汚い踊りで、白鳥やジゼルやらに到達するとはとても思えないですから。

一方のロペス。コープランドほどに悪い癖がある感じはしませんが、とにかくまだ未熟。
ジャンプの場面にしても、ただ、ばたばたばたばた慌てているだけ、という感じ。
最後の回転からフィニッシュについては、バランスを失い、両手を床についてしまう始末。
これまでに観たイリーインやマシューズとはあまりに差がありすぎます。
本人の精進不足もあるでしょうが、むしろ私はこの二人をキャストにもってきたABTに苦言を呈したいです。

このパ・ド・ドゥの不出来が影響したのか、もともとドヴォが演じるこの役につきまとっている問題なのか
良くわかりませんが、意外なまでにぎこちないドヴォの狂乱の場は少し残念なものとなりました。

彼女は『バヤデール』の例にあげられるように、彼女の解釈がぴたっとはまると、
素晴らしい踊りを見せてくれるので、もしかすると、この場面がまだ咀嚼できていないかも、という気もします。

バチルドの手の甲にキスをするアルブレヒトを見て、全てを悟り、ショックのあまり、
彼女に”婚約”のお祝いとしてもらった首飾り(その首飾りを渡したときバチルドは
ジゼルの婚約者が自分の婚約者であるアルブレヒトと同一人物だとは夢にも思っていない。
もちろん、ジゼルの方の婚約とは、バチルドの”家”に裏打ちされた婚約とは全く次元が違う。
それは、ジゼルがアルブレヒトと関係を持った、ということを示唆する以外の何物でもないのである。)を、
ひきちぎり、自ら地面に体を投げ出す。
ここまではものすごいテンションでよかったのですが、ここから以降が、なぜだか、突然非常にぎこちない。
彼女にしては、花を引きちぎっていく時のリズムも、なにもかもが、あえて、
音楽と一体化するのを拒否しているような気がするくらい。
もしかすると、それこそが彼女の、狂気を表現するための手段なのかもしれませんが、
あまり上手く機能していないように思いました。
ニーナの、あの音楽とドラマと踊りが渾然一体となった表現と比べると、
各要素が浮き立ってしまっています。
私の連れは、非常にリリカルな踊りではあるが、まるで、すーっとなぞって終わってしまったような
感じかなあ、、との感想を持っておりましたが、
私の感想は、それ以上に、ところどころ、積極的に違和感を感じる場面があった、というほうが近いかもしれません。
多分、そう感じた理由の一つに、正気と狂気の切り替えの際の、ぎこちなさがあると思います。
バレエもオペラも、狂乱の場の最大の肝は、狂気の間に微妙に正気がまじる、ここにあって、
それがせつなさを煽るわけで、意味不明の狂人の戯言だけならば、ちっとも感動的でもなんでもないわけです。
その正気と狂気がかわるがわる現れるさまを表現するところに、バレエ、オペラともに、
演じる側の腕の見せ所だと思うのですが、その二つの現れ方が、ドヴォの場合、
少し極端かつ唐突で、不自然に感じる場所がありました。
この点も、ニーナの正気かと思えば狂気が染み出してきて、気がつけばまた逆になって、という、
微妙な色彩の変化が素晴らしく、
あれを超えるのは本当に難しいとは思ううえ、その記憶もまだ新しいうちに比較されてしまうわけですから、
ドヴォにとってはたまったものではないでしょうが、あのニーナの域に届くには、
まだ道のりが長いような気がします。

そうそう。水曜のマチネ、そして金曜のニーナの公演では今までのヘボさを返上する
演奏を聴かせていたオケですが、今日はお疲れモードでかなりヘロヘロでした。
その狂乱の場での、大切な大切な場面でフルートがクラックした時には、
”やっぱりABTオケ、、、”と思わされました。
いつも正確に楽器を演奏するのは大変だとは私も理解しているつもりですが、
しかし、絶対に外せない一音というのがあって、あのフルートの一音は、
ジゼルがあちらの世界に足を踏み出しつつも、現世の幸せだったころの記憶に思いをはせている、
ということを表現している大事な音なので、”何があってもここだけは失敗しちゃいかんだろう!!”
という箇所なわけです。

ペザントのパ・ド・ドゥの混迷ぶり、そして、ドヴォなら、この狂乱の場ですごいものを
見せてくれるのでは?という期待がやや肩透かしを食らったのもあって、
少しインターミッションではへこんでしまった私なのでした。


ニ幕

しかし、そのドヴォ・マキ、このニ幕は健闘し、我々は報われました。

今日のミルタはパルト。彼女は本当に大柄(背が高い)で、それがやや仇になっているのか、
それとも彼女の踊りのキャラクターなのか、どことなく、大らかな、温かい感じがしてしまいます。
これは、ミルタ役にはちょっと厳しい、、。
もちろん、それを逆手にとった、本当は優しいミルタ像というものの存在の可能性を
否定するわけではなりませんが(そして、完成度の高いものであれば、
そんなミルタ像も見てみたい。)、
その方向で観客を納得させるのは至難の技であり、彼女の表現は残念ながらそこまでにはいたっていません。
だから、極めて中途半端な感じ。観ているうちに、あの『ドン・キホーテ』
森の女王役とキャラが一緒になってませんか、、?と問いたくなってしまいます。
もっと、もっと、マーフィーのような、仲間のウィリすら寄せ付けない冷たさが欲しい!

こうしてみると、今日のドヴォ・マキは、彼ら以外のキャスティングにもやや足を引っ張られた形で、
若干気の毒ではあります。

ジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥの最初の方で、ジゼルがものすごくゆっくりと
片足をあげてポーズをとる場面がありますが、
こういった場面ではドヴォは強い。さすがにこのあたりは体力的にまだ勢いのあるダンサー特有の強さを発揮していました。
足が上がっていく速さ(遅さ、といったほうがいいか?)に全く切れ目やぶれがなく、
本当に綺麗。
また、片足のトゥでたったまま舞台横に移動していく様子や回転の美しさなど、
このニ幕の後半になって、勢いがつき、彼女の地の力が思いっきり噴出、大変見ごたえがありました。
また、どんなにアルブレヒトの命を守ろうと必死になっているときにも、
独特の冷やっとした感じが常に残されていて、それがウィリらしさとなっていて、とてもよかったと思います。

しかし、それらすべての技術もさることながら、私がもっともこの幕、
いえ、この公演全体を通しで、心を動かされた場面は、夜が空けてアルブレヒトの命が救われたことが
はっきりした後、アルブレヒト=マキに、空中でほとんど真横になって抱かれるジゼル=ドヴォ。
この時、ドヴォは、それまでに漂わせていたウィリの浮遊感から一転し、
全体重をマキに投げ出します。
そのことにより、突然ジゼルがウィリではなく、一瞬人間に返ったように感じられ、
この束の間に、やっと現世できちんとアルブレヒトと別れを交わす機会がジゼルに訪れたことを示す、
最高に切ない場面でした。
しかし、それは本当に一瞬で過ぎ去り、やがてジゼルはウィリとしての運命も終え、
永遠にアルブレヒトと別れることになるのです。
(ドヴォはここで普通に、墓の後ろから舞台袖に後ずさりながら消えていきましたが、
昨日のニーナは、後ろに控えているダンサー目がけて立ったまま頭から後ろに倒れていったので、
ジゼルはウィリとしての姿も終えて、清らかな死の世界に旅立ったのだ、と解釈しています。)


(写真はいずれもドヴォ・マキのペア。)

このたった一瞬の体の重さを使って、ジゼルが最早ウィリではなくなって、
現世とクロスする場所でアルブレヒトに別れを告げにきたことを
表現したのは非常に巧みで、かつユニークな表現だと思いました。

過去二回の公演とも、このニ幕でのコール・ドについては、笑ってごまかしたり(コメント参照)と、
言及するのを避けてきましたが、今日は比較的出来がよかったのと、
ミルタ直属の部下の二人のうちのズルマが加治屋さんだったので少しだけ。

これまでは、足の下りるタイミング、腕の角度、てんでばらばらで、コメントする気にもなれないほどで、
『バヤデール』ではもうちょっとましだったのになー、と思っていたのですが、
今日のコール・ドは、まあまあだったのではないでしょうか。

ズルマの加治屋さん。
彼女は本当に踊りと体型から受ける印象が”エアリー”とでもいいましょうか、
ものすごく軽くて、浮遊感があります。
なので、このウィリのプチ・ボス・キャラなんかははまり役で、上半身の表現力もあるので、
もう一人のプチ・ボス・キャラであるモイナ役のメスマーがお気の毒になるくらいなのですが、
しかし、今後演じる役によっては、”重さ”をある程度感じさせられないといけない場面というのも
出てくると思うので、その時にどのような踊りを見せてくれるのか、非常に楽しみなところです。

ニ幕目の健闘で一気にインターミッションの憂鬱をくつがえしたドヴォ・マキ。
連れも、エレガンスを感じさせたドヴォの踊りにうっとり状態でした。
(まあ、前回彼が観たのはレイエスのジゼルだったので、確かに雰囲気はかなり違う、、。)
マキについてはあまりぴんと来なかったようです。
私もそういえば、マキを初めて観たときはぴんと来なかったので、彼の気持ち、良くわかります。
しかし、今日のマキ、私は決して悪くなかったと思います。
細部も丁寧で、好印象を持ちました。
最後に、デイジーの花を一つ一つこぼしながら、墓から舞台上手に向かって、
後ずさりする場面では、
デイジーの花がほぼ一直線に並んでいて(意図してそのようにマキが撒いた)、
ジゼルが死の世界に旅立った軌跡を見せているようでこれまた感動的でした。

うーん、バレエのベル・カント悲恋もの、『ジゼル』。
何度観てもいい作品です。


Irina Dvorovenko (Giselle)
Maxim Beloserkovsky (Count Albrecht)
Isaac Stappas (Hilarion)
Jared Matthews (Wilfred)
Maria Bystrova (Berthe)
Vitali Krauchenka (The Prince of Courland)
Kristi Boone (Bathilde)
Misty Copeland, Carlos Lopez (Peasant Pas de Deux)
Veronika Part (Myrta)
Simone Messmer (Moyna)
Yuriko Kajiya (Zulma)

Music: Adolphe Adam
Choreography: after Jean Coralli, Jules Perrot, and Marius Petipa
Conductor: David LaMarche replacing Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Grand Tier D Odd

*** ジゼル Giselle ***

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2 コメント

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ちょっと違う話ですが (通りすがりです)
2008-07-16 01:18:56
お久しぶりです。フェリのABTラストの公演のチケット争奪戦、楽しく拝見しました。私は同僚から知らされるまでフェリが引退することを知らず、チケット獲得戦には出遅れもいいところでした。毎日メットのサイトを覗いては、不運を呪っていた私でしたが、ところが確か、あれは公演の3日前の夜。いつものようにサイトを覗いていたら、その日は公演の詳細のページに、席種のリストが載っている。あれ、何でだろう・・・と思ったら、なぜかグランド・ティアだけクリックが出来るようになっている。えっ!と思ってクリックをしたら、なんとどんどん進んでしまい、あわててクレジットカードを探し、なんと妻の分も含めて2枚確保できたのでした。その後は、またすぐソールドアウトの画面に戻っていました。あまりに突然のことで、しばらく呆然・・・・。日本から来ていた知り合いにもチケットを頼まれていたのですが、当然ながら知り合いに貴重なチケットを手渡すような私ではない。ふっ。

あの日、madokakipさんはカードを掲げて劇場前にいらしたんですね。(ちなみに私はその昔、フレーニ/ボストン響の「スペードの女王」に乗り込むために、カーネギー・ホールで同じことをやったことがあります。もちろん、成功させました!)私はフェリを見るのが最後になるということに緊張していたのか、そのような方がいらした記憶、まるでありません。残念。

本来ならバレエの場合、オーケストラでしか見ない私ですが、あの時は文句言えませんでした。しかし、madokakipさん、そんないい席でご覧になったとは羨ましい。なにしろフェリは私にとって生まれて初めてのジュリエットであり、妻と初めて行ったバレエも彼女のジュリエット(とボッカのロミオ)、バレエの忠臣蔵(なんか、泥臭い例え方)、特別なのです。ジュリエットといえば、フェリでしかあり得ません。その後遺症なのか、あの日以来、ABTはおろか、バレエというものに足を運んでいません。私をバレエに呼び戻すことなど、誰に出来ようか・・・・!
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チケット入手にドラマあり! (Madokakip)
2008-07-16 13:27:36
 通りすがりです さん、

こんにちは!またお話できて嬉しいです。

しかし、通りすがりですさんの、このフェリの公演の劇的なチケット入手の物語は!!!
奥様の分まで2枚も、しかもグランド・ティアーを入手されるなんて、すごい強運ですよ!
ウェブのチケットセールスは公演に行けなくなった人たちのキャンセル・チケットのメトへの寄付返し分が突然反映されたりするので、気が抜けませんね。
で、そうわかってはいても、さすがに一日中PCに張り付いているわけにもいかないので、
やっぱり最後には運の問題になるのですよね。
そんな強運でもってゲットしたチケットを、絶対に知り合いであろうと渡せないってもんです(笑)。

あの日はものすごい人出で、しかも、やはりフェリの最後の公演ということで、現れた観客の方たちにも独特の
熱気・興奮・緊張感がありましたね。
本文に、”チケット今さら手に入ることはないと思うけど、がんばってね”と冷ややかな目線の日本人がいて、、なんていうくだりがありますが、
それは女性同士でして、絶対にご夫婦ではありませんでした!(本当に!)
特に通りすがりですさんのように、カーネギー・ホールでサインを掲げてチケットを獲得した経験がおありの方なら、
きっと温かい目で見守ってくださったと思いますので、
いずれにしても、違う方だったことは確かです。

今シーズン、ニーナが登場する公演も似た状況で、たくさんの人がカードを持って公演前に立っておられましたが、
気持ちは痛いほどわかりました。まさに去年の私ですから、、。
来シーズン、いよいよ彼女はABTから引退してしまうそうなので、
さらに激しいチケット争奪戦が繰り広げられることでしょう。

フェリの公演はおっしゃるとおり、それは素晴らしいもので、大体が私がこうしてバレエ沼にずぼずぼはまり始めている大きな理由の一つは彼女の公演に触れることができたからですが、
ニーナもABTへの思いが強いのか、引退が近くなっているということで、特に今シーズンの『ジゼル』(7/11)では、
尋常ならざる輝きを発していました。
もしも、もしも、バレエに呼び戻されてみようか、、という気が少しでもされるようであれば、
ぜひ、来シーズンの彼女のABTとの最後の公演、ご検討ください。
またのコメント、お待ちしております。
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