Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

HD: MADAMA BUTTERFLY (Wed, Mar 18, 2009)

2009-03-18 | メト Live in HD
注:この公演はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。

ガラの興奮もいまだ冷めやらぬうちに、また新たな興奮の日がやって来てしまいました。
3/7の『蝶々夫人』の公演は、オペラハウスでの鑑賞でしたが、
このときほど、映画館で生中継されたライブ・イン・HDを観るための、
自分のダミーが欲しい!と激しく思ったことはありません。
しかし、そんな私を神は見捨てなかった!!
その公演後に、アメリカでも、HDにアンコール上映なるものが存在する
(しかもたった10日ほどのタイムラグで!)と知り、
リアル・タイムではないですが、その時と全く同じ映像が見れる!と大興奮で指折りこの日を待っていたのです。

絶対に遅れてはいけない!と気合満々で会社から映画館に直行したため、一時間も早く着いてしまいました。
開演前までどれほど焦れったかったことか!

ライブ・イン・HDはアメリカでもすっかり人気が定着し、
最初は確か一つの映画館だけでスタートしたマンハッタンも、
今や複数の映画館で再上映が行われるまでになりました。
生のHDの上映の際は、音響の適切さ、客筋の良さ(=オペラヘッドが多い)、
我が家からの地の利などの理由で、メトからすぐ道向かいのウォルター・リード・シアターを贔屓にしている私ですが、
なぜか再上映のネットワークには入っていないようで、
今回私がライブ・イン・HDの鑑賞スポットに選んだのは、チェルシー(西23丁目あたりの界隈)にある、
その名もまんまのチェルシー・シネマズ。
究極のシネコンで、10近くのオーディトリアムがあり、
外のオーディトリアムでは、ハリウッド映画がかんがんかかっている映画館です。
そのため、緊迫した無音状態、例えばピンカートンの乗った軍艦が長崎港に入港する、
という大切なシーンなど、で、他のオーディトリアムから、別の映画の
ごおおおおおおーっ!という効果音がうすら聴こえてくるのは、超興醒めでした。

再上映、しかも、ゲオルギューとか、ネトレプコ、といった超人気歌手は出演していない、
さらに今日は平日の夜、ということで、SFOのシネマキャストの時のような閑古鳥状態を予想しながら
オーディトリアムの扉を開いたのですが、なんとびっくり!
まだ上映開始まで30分以上あるというのに、中央エリアの後方はほぼ満席。
その後もものすごい勢いで座席が埋まって、上映前までには、全エリアほぼ満席状態になってしまいました。
そして、驚くべきは、実に若い客が多い。
高校生や大学生くらいの年齢で、一人で観に来ている女性の姿もちらほら。
素晴らしい。未来のオペラヘッドたちの姿をまばゆい思いで見守る私でした。

しかし、上映が始まって、ますます驚いたのは、客のマナーの良さ。
というか、良さ、という言葉が生ぬるく感じるほど、
一切の私音なく静まりかえって、息苦しくなるほどの沈黙の中で、みんなスクリーンを見つめているのです。
アメリカではほとんど起こりえないと思っていたこの光景に、
一体今日の客筋はどういう人なんだろう?と怖くすらなった私です。
おそらく、私の推測ですが、ほとんどが3/7に生のHDを観たリピーターか、
私のような事情でやむなく映画館に行けなかった客のどちらか。
つまり、明らかに、この蝶々夫人が素晴らしい公演だと知っている客層と見ました。

しかし、上映が始まってすぐ気になったのは、音。
なんだかオケの音がすかすかで、劇場で聴いたときはこんな音じゃなかったのに、、と思っていたら、
すぐに謎が解けました。
音が、スクリーン横のメイン・アンプからしか出ていないのです。
サイドのスピーカーからは全く音が出てない、、、まじかよー??畜生ー!!
普通ならすぐに映写技師に走って文句を言いに行くところですが、
しかし、ラセットの蝶々さんの一挙手一投足を見逃すわけにはいかないのです。ああ、人生最大のジレンマ!!

と思っていたらば、とんでもない事態が発生。
蝶々さんが、ピンカートンに自分の持ち物を見せている場面で、
父親が自害に使用した刀が出てきた瞬間、画面がブラックアウト。
音声は出ているのですが、なんにもスクリーンに映ってません。
数秒で戻る事故だと思いつつも、”ちょっとー!”とぶーたれる客たち。
しかし、これが数秒どころか延々と続き、とうとう客たちが大噴火。
”こっちは金払って見にきてんだぞー。ブラックアウトしたところまで巻き戻せー!”とか、
”勘弁しろよ!”といった怒号が飛び交います。
ああ、おそろしや。
そうするうちに、映画館のスタッフの女性がオーディトリアムの後ろの扉から顔を出し、
そのあたりにいた客たちに事情を説明しはじめると、すでに噴火状態の客が、
”前に行って、全員に向かってちゃんと説明しろ!”ときれる。
”でも、ちゃんと皆さんに聞こえてますから。”としゃらりと口答えをかましたスタッフに、
気が付くと、”No, we can't! (聞こえてないわよ、全然!)”と
オーディトリアムの逆の端から大声を飛ばしているMadokakipがいました。
そんな私を、通路向かいの席から”私、この人たち、こわい、、”という目で見つめている未来のオペラヘッド・ギャル。
まあね、あなたたちもね、順調にオペラヘッドの道を辿ったら、あと数年したら、こうなるんだから。
人生の何にもまして、オペラに関することが最重要事項となるのです。
結局、技師がすぐに修整できると思うので、もう少し待ってくれ、とのこと。

憤懣やるかたなしで着座したあと、隣に座っていた女性二人連れに向かって、
”しかも、この映画館、音響、最悪じゃないですか?”と聞くと、
彼女たちも、”確かに。良く考えてみたら、全然サイドの音が聴こえないわよね。
前回のルチアの時はそんなことなかったのに、。”、、やはり。
しかし、よく考えたら、今、映像を直しているのに便乗して、音のことも文句を言うチャンスでは?
というわけで、オーディトリアムを出て、しつこい客に、
”あと何分でなおるの!?”と、つめられ続けている女性スタッフに、
音響の問題を説明すると、それも技師に取り次いでくれるとのこと。

こういう場合、たいてい言葉と裏腹に修復に時間がかかるNY。
もうこのまま蝶々さんが見れないのでは、、
ああ、アッパー・イースト・サイドの映画館にしておけばこんなことにはならなかったかもしれないのに、、
と悲しみに身をまかせていると、十分ほどで室内の照明が暗転。
ちゃんと再開しました!!!ブラボーッ!!しかも、音の問題も直っていて、
さっきまでのしょぼい音響とは雲泥の差の、クリスプな大音響のサラウンドに。
ちょっと私の好みよりも、音が大き目でしたが、もう不満は言いますまい。

まず、音がきちんと聞こえるようになって、最大の驚きは、
あれほど劇場ではコンディションが悪く感じたラセットが、そう悪くは聴こえないこと。
彼女の場合、調子が悪くても、最低限の声量が十分にあるので、マイクで拾われてしまうと、
劇場でははっきりと感じられた、いつものような迫力、エッジ、ボリューム感に欠けていることが
それほど明らかではありません。
特に、彼女自身が、”この作品を歌っていて、一番ここが好き!”と言っている
ピンカートンの船の入港の後に、ei torna e m'amaと歌う部分では、
劇場では、いつものような、がつーん!と来る感じが乏しいな、と思ったのですが、
(実際、彼女のここの歌唱がすごいと、いつも思わず客席からBravaの声と拍手が飛ぶのですが、
3/7はそれがありませんでした。)
逆にHDにのってしまうと、却ってこの日の歌唱くらいの方がフォームが綺麗にきこえるくらいです。
しかし、それとは引き換えに、彼女がものすごく上手く、
いつも並みに歌っていた部分は、そのすごさが十分には伝わっていませんでした。
それは、ニ幕二部の最後、つまり、公演の最後の最後での、オケの音が、
”劇場ではこんなしょぼい音じゃなかったぞ!”と思うくらい、コンパクトに録音されてしまっていることからも明らかです。
ここは、本当に、グランド・ティアのサイド・ボックスに座っていると、
オケピから地鳴りのような振動を感じた部分なので、こんなしょぼい音に録音されて、、ととっても残念でした。
つまり、HDとは、とても良い部分、あまり良くない部分、両方ともを、
控えめに見せる傾向にあると思います。
なので、仮にラセットが彼女の最高の歌を歌ったとしても、
それと比例するすごさでHDに捉えることは出来なかった可能性もあり、
結果としては、今回のHDでも、十分に彼女の歌の良さは伝わっていると思います。

彼女の演技についてですが、全くHD用に大人しく演技する、というような手心を加えず、
生の劇場モード全開で演技してます。
ここが私がラセットを好きである由縁なんですが。
(アラーニャの言うHDモードの、”スクリーンのための”演技なんて、クソ食らえ、です。)
オペラは何よりも、その公演のために劇場に来た観客に何かを伝えなければならない、というその信念。
HDのスクリーンだけで見ると、仕草や表情がものすごく大きく感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、
メトのオペラハウスでは、しかし、これが、完全に正しい、適切な大きさの演技であることは、
私が自信を持って申し上げます。

一方で、実際の劇場ではちょっと演技が繊細すぎて、
客席に全部が伝わっているとは言い切れないところもあるのですが、
スズキ役のマリア・ジフチャックの演技は、HDで観ると見事です。
彼女の、基本は無愛想なのに、ちょろり、と、蝶々さんのためだけに見せる優しい微笑みや、
彼女のために本気になって泣いたり怒ったりする表情など、本当に上手い。
(彼女は、あの思い出の出待ちの日にサインを頂いた歌手の一人ですが、
側に立っているだけで、温かいオーラが発散されている、素敵な人でした。
その彼女の人柄は、このHDの幕前のインタビューでも伺われます。)

この蝶々さんの公演は、2006年にミンゲラ演出が初演されてから
ほとんど脇役のキャストが変わっていなくて、この脇役陣がものすごくしっかりしているのも魅力になっています。
なかでも、ヤマドリを歌うデヴィッド・ウォンは、声だけ聞いていると、
とてもアジア系とは思えない豊かな深い声で、『ルサルカ』の狩人役の時も思いましたが、美声です。
また、彼もジフチャックと同様に、演技が繊細すぎて、
実演では魅力のすべてが伝わりきっていないのが残念ですが、
同じ日本人として何とか蝶々さんを必死で助けようとしているかのような、
優しさのあるヤマドリを好演していて、HDではその魅力が発揮されています。
ヤマドリが去っていくときに、ふっとラセットが見せる、
”私はこれで日本という国との最後の接点を自分の手で断ち切ってしまったのかもしれない。”
という不安気な表情が見事です。

ボンゾを歌っているキース・ミラーはHDで観ると、なんとなくおわかりになるかもしれませんが、
日系の血が入ったアメリカ人で、彼も、劇場で聴いても、このHDと同様の、深く、良く通る声をしています。
このほか、ゴロー役を歌っているフェダリーも、毎回安定した歌唱を繰り広げているキャストの一人です。

最も実演で観ているときと印象に相違がないのは、シャープレスを歌うクロフトかもしれません。
実演のレポートで、彼が緊張で、手紙のシーンで苦労していた、という部分は、
よーくご覧になると、緊張で手が震えてくると、すぐに腿などに手をおいて、
それを止めようとしていることから伺えます。
しかし、HDとは不思議なもので、劇場では少し離れた席でもあれほど震えているように見えたのが、
スクリーンではそこまでには見えない。
生の舞台というのは、物理的に目で見えることだけでなく、
歌手の感じている気持ちとか、エネルギーを感じる場なんだな、ということがよくわかります。

そして、実演より一層悪い出来に見えるアンラッキーな人はジョルダーニ。
彼はこの日、声の調子があまり良くなかったと思われ、声に独特のざらつき感が目立ち、
高音での勢いも全くなかったのですが、
この手の不調は、容赦なくHDに写し、録りこまれてしまっています。
むしろ、声量はある人なので、実演での方が、良く聴こえたかもしれません。
今日の映画館の客から多くのブーを食らってしまったのは彼一人でした。
(明らかに役のキャラクターに対するブーではなく、パフォーマンスに対するブーでした。)

SFOのシネマキャストの時の公演のラセットの演技が非常にintimate(親密)な感じがするのに比べ、
このメトの公演では、彼女の演技や歌が少しグランドな感じになっているのが興味深かったです。
結果として、SFOが泣ける蝶々さんであるのに対し、メトの蝶々さんは、
むしろ、観客は泣くことも忘れてその迫力に圧倒されて打ちのめされる、といった種類の公演になっています。
私個人的にはSFOのような種類の歌唱と演技の方が好きですが、
メトのこれはこれで、”パワーハウス仕様”といった感じで、また違った種類の歌唱として感銘を受けます。

その一つの原因は、やはりミンゲラの演出にあるように感じます。
ミンゲラはご存知、映画『イングリッシュ・ペイシェント』などの監督で知られる映画畑の人ですが、
彼の初のオペラ演出が、このメトでの『蝶々夫人』(2006年に新演出が初演)です。
彼の生前のインタビュー(彼は昨年、がんが間接的な理由となって逝去しています。)や、
出演者のコメントを聞くと、これでもかなり抜き・引きのコンセプトを演出に取り込もうとしたようですが、
私から見ると、まだまだ詰め込みすぎです。

そのことが、やたら蝶々さん(ラセット)を舞台上で動かす結果になっていて、
SFOがなしとげていた感情表現への集中というものを不可能なものにしています。
ラセットは、ばたばた動かさなくても、自分できちんと感情を歌や演技で表現できる人なので、
こんな枠は必要ありません。

また、この公演で使用されている文楽人形は、やっぱり怖すぎます。
二幕二場の初めに舞が入る部分でも、ピンカートンを演じているダンサーに
へばりついていく蝶々さん人形は、チャッキー(映画『チャイルド・プレイ』に登場する、
人形の形を借りた殺人鬼)も顔負けの怖さです。
しかし、私が言うのは、見た目の怖さだけではなく、蝶々さんの子供を演じる文楽人形について、
今まで何度も言ってきたとおり、大人が意図したとおりに動かせるゆえの、
不気味さを感じるのです。
生前のミンゲラやHDのインタビューでも登場する、彼の奥様であり、コラボレーターでもある、
カロリン・チョアが語っているところによると、
子役を使用すると、演出家が望んでいるとおりに芝居をしてくれない、という問題があり、
文楽人形の使用は、それを解決した、ということになっています。
でも、私は、子役は、自分の境遇をわかっていなければいないほどいい、と思っていて、
舞台で、蝶々さん役のソプラノに抱きしめられながら、身をすくめたり、
呑気に舞台で遊んでいたり、全くオペラで進行していることに興味のない素振りをしたりするのを見ると、
”おお、これだよ、これ!”とわくわくしてしまいます。
子供が自分の身の不幸をわかっていないからこそ、蝶々さんの
”お前のお母さんはお前を抱いて Che tua madre dovra"(シャープレスに、
ピンカートンが戻ってこなかったら?とほのめかされて、それなら、芸者に戻るか、
それかいっそ死ぬわ!”と歌う場面)や、
最後の”さよなら坊や Tu! Tu! piccolo iddio!"での絶唱が光るのです。
親の心、子知らず、、、そして、この子のアメリカでの運命はどうなってしまうのだろう、、。
それを、この文楽人形は、訳知り顔で、かわいこぶって蝶々さんにしっかりと抱きつき、
しなを作ったりして、その計算ずくの可愛らしさ、蝶々さんの気持ちをわかってそうな感じが、私には許せません。
怖すぎるのです。こんな子供いるかっての!と。

ラセットは普段から、非常にユーモアのある会話をする人で、
幕間のインタビューでもそれが全開です。
一幕の最後に、桜吹雪が舞台の床にふりしきって、すべりやすくなっているのを冗談に、
ジョルダーニに舞台袖まで彼女を抱えて行くように指示し、
(ラセットはがっちりしているので、それこそジョルダーニのような大きい男性でないと、
それも難しいと思うのですが)
ジョルダーニがインタビュアーであるフレミングのところまでラセットを連れて来て、
床に下ろすと、”Thank you for carrying my ass.”とジョルダーニに言い放ち、
映画館中大爆笑でした。
訳すと、”私のデカケツを運んでくれてありがとね!”というような意味ですが、
日本のHDではどのように訳されるでしょうか。

今回は彼女が主役ということで、彼女自身も一生懸命気をつかってアップビートな
受け答えに終始していましたが、
第二幕第二場(自決する場面の直前)のインタビューで、フレミングが話しかける前に、
顔の表情がすでに蝶々さんモードになっているのがみものです。
インタビューのおかげですっかり地に引き戻され、
インタビュー後、また一から役に入りなおしたんだろうな、と思うと気の毒でした。
このインタビュー、観ている方は楽しいですが、もうちょっと歌手のことを気遣ってあげてもいいのにな、
といつも思います。

まあ、好き放題書きましたが、どうか、映画館に足をお運びになり、
頭をがつんとやられて、しばらくは言葉も発したくなくなるような
素晴らしいこの公演をご自身で体験していただきたいと思います。


Patricia Racette replacing Cristina Gallardo-Domas (Cio-Cio-San)
Marcello Giordani (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Greg Fedderly (Goro)
David Won (Yamadori)
Keith Miller (Bonze)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
Direction & Choreography: Carolyn Choa
Set Design: Michael Levine
Costume Design: Han Feng
Lighting Design: Peter Mumford
Puppetry: Blind Summit Theatre, Mark Down and Nick Barnes
ON

Performed at Metropolitan Opera, New York on Mar 7, 2009
Live in HD (encore) viewed at Chelsea Cinemas, New York

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***