Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

CAVALLERIA RUSTICANA/PAGLIACCI (Thu, Mar 19, 2009)

2009-03-19 | メトロポリタン・オペラ
125周年記念ガラのデッセイの歌唱についての感想部分で、NYタイムズの批評について私が常日頃から感じている苦言を
呈させて頂いたのですが、告白してしまうと、あれは実は、今日のこの記事のための前フリでして、
日にちの分かれた記事をまたいで前フリを敷くとは、私にしてはいつになく用意周到です。

そこですっかりとばっちりにあって、悪し様に言われたトマシーニ氏ですが、
彼の場合は、公正な評を書ける力のある人なのになぜ書かないのか?という、
批評のスタンスに対する苛立ちであるのに対し、
今日のこの全く同じ『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』の公演について(『道化師』の原題はPagliacciパリアッチで、
このダブル・ビルは、英語では、両方の原題の頭をとって
”Cav/Pag カヴ・パグ”と呼ばれることが多いので、この記事でも以降それにならいます。)、
NYタイムズに、ここに仮にV嬢としておくところの、ある女性の批評スタッフが書いた評が出ていたのですが、
これが、とうとうNYタイムズでは人員削減が昂じて、
オペラのことをほとんど知らないトーシロが評論を書き始めたのか?と疑ってしまうような、
ピントの外れぶり全開の批評になっています。
私もトーシロ度では人のことを言えたものではありませんが、
お金をもらってプロとして批評を書く以上、そんなことではいけません。

もし、実際、彼女にオペラに関するきちんとした知識があるとすれば、
メトからのプレッシャーや歌手におもねって、
自分の知識や本当に思っていることを棚上げして、思ってもいないことを書いているに違いなく、
どちらにしても、批評家としてあるまじきことです。



さて、少し話は変わり。
以前、どこかの記事のなかでも書いたように記憶しており、繰り返しになってしまうのですが、
ただひたすらCDによってオペラ鑑賞を続けていたmy学生~社会人初期時代を経て、
私が生舞台中心の鑑賞、つまり”生オペラ天獄”に完全にシフトする契機になったのが、
実は、来日公演でやってきた、このゼッフィレッリ演出の、メトのカヴ・パグです。
それまでも、海外のオペラハウスの引越し公演をはじめ、ちょろちょろと劇場に足を運んだりしていましたが、
このメトの『カヴ・パグ』を境に、実演の感動への中毒が始まってしまったわけです。
ということで、メトに責任とってもらいましょう!
あの『カヴ・パグ』がなかったなら、貯金もたまって今頃億万長者ですから。
(んなわけはないが、そんな気がするくらいオペラに稼ぎをつぎこんだ&でいる。)

その12年前の麗しの『カヴ・パグ』の話に戻ると、
『道化師』のカニオ役で出演するドミンゴをどうしても近くで観てみたい一心から、
明日から食料を買うお金さえなくなってしまうんじゃないか?というほどの、
当時の私にとっては(今でも来日公演のチケットはそうですが)高額な、平土間7列目のチケットを、
全財産はたいて購入しました。
しかし、舞台が始まって私が脳天をかち割られたのは、『道化師』に辿り着くまだ手前の『カヴ』の方で、
おそらく当時声と歌唱のピークを誇っていたマリア・グレギーナのサントゥッツァと、
ファビオ・アルミリアート(指揮者のマルコのお兄さん)のトゥリッドゥという顔合わせ。
ヴェリズモ作品の舞台から感じる”熱さ”とはこういうものなのか!と、
理屈でなく、体でもって体験できた公演でした。
今、当時のパンフレットを見ると、なんと、ルチア母さんの役で、
ステファニー・ブライスが登場していたんですね。そういえば、ものすごく大柄な女性だな、
と思った覚えがあります。今の彼女の活躍ぶりを考えると感慨深し、、。
私が観た日は、この『カヴ』での主役二人、特にグレギーナの熱唱がすごくて、
完全に公演が火を噴き、オケも燃え上がっていたのを今でも思い出します。
最後の”ぎゃあああああ!!トゥリッッドゥが殺された!!
Hanno ammazzato compare Turiddu!"という脇も脇の女性の叫び声すら、
あの決して音響が良くない上にだだっ広いNHKホールを震撼させるようなすごい声で、鳥肌が立ちました。
私はインターミッションが来ても、座席からすぐに立てなかったくらいで、
そもそも奮発してチケットを買ったそもそもの理由であった肝心のドミンゴの歌唱の方は
なんだかあまり良くおぼえていないくらいです。

と、このように、幸か不幸か、私は生舞台の鑑賞を初めて間もない時期に、
ヴェリズモ作品で大当たりの実演にあたっているので、
NYタイムズで、この公演についてのV嬢の『カヴ』評を読んで、わなわなしてしまったのです。



アラーニャについての、”冒頭のオフステージで歌われるアリアで好調なスタートを切った”というのは私も同意します。
おそらく今日の公演で(『カヴ』、『パグ』両方合わせて)、一番良かった瞬間です。
良く通った、彼にしては大変瑞々しい声で、旋律の細かい部分も大事に歌われ、
アラーニャ嫌いの私が思わず拍手をしてしまったくらいです。
しかし、その後は、V嬢が言うように、”時に絞りだすような声”になり、
”いくつかの高音は割れ”てました(要は、いつものアラーニャ、ということです)。
しかし、このトゥリッドゥ役については、イタリアのど田舎の男にしては
若干ちゃらちゃらしすぎに見えなくもありませんが、
(それに比べて12年前のアルミリアートは、ちょっぴり柄が悪くて貧乏そうで、
ああいう人、イタリアにいそうだよー、浮気もしてそう!してそう!と、説得力満点でした。)
全体においては、V嬢も書いている通り、そう悪い出来ではありませんでした。



しかし、問題はマイヤーです。
彼女は何度も言うようですが、ワーグナーあたりのレパートリーでは世界最高峰の素晴らしい歌手です。
彼女のクンドリなんて、本当にすごかったですから。
でも、ヴェリズモはお願いですから、もう歌わないでほしい。
声域的にメゾにも歌える役だから、というような理由だけで歌えるような役ではないです、サントゥッツァは。
まず、この演目における、彼女の歌唱の最大にして致命的な欠点は、歌が高貴すぎることです。
まるで、それこそ、ワーグナー的な神や英雄の世界になってしまっているのです。
シチリアの、泥臭い人間の愛憎劇の匂いなんて全くしません。
”そんなに気取ってないで、もっと、ばーんと、感情を露骨に出さなきゃ!!”と、
じりじりしながら聴いていた観客は私一人ではないはずです。
しかし、それが出来ない理由の一つは、これまた、彼女の歌唱スタイルが実にワーグナー的であるという点に
戻ってしまうかもしれません。
彼女は決して大きな声量が出ないわけではないのですが(でなければ、あんな分厚いオケが鳴るワーグナー作品で
一線で活躍できるわけがありません。)、
ワーグナー作品で求められる大きな声の出し方と、ヴェリズモのそれは全く違う、と感じます。
ワーグナーのそれは、要所要所で劇場を劈くような声が必要ですが、
ヴェリズモの場合はピンポイントでなく、ずっと分厚い毛布を被っているようなテクスチャーをベースに、
その中から高音が立ち上がってこないとだめで、
実際、トゥリッドゥに泣きすがる場面で、マイヤーがワーグナー的高音を出していたのですが、
それ以外の部分に、ヴェリズモ的”濃さ”が全くないので、これでは観客はカタルシスを得られません。
また、言葉がきちんとはまっていない個所が無数にあって
(彼女の『カヴ』は、母音の扱い方に問題があるのか、
音数が増えているかのような不思議な歌唱です。)
旋律があやふやで、”きちんと役を勉強してきたんだろうか、、?”と思わされる個所まであり、
アラーニャとの重唱が今ひとつぴたりとはまらないのはこのあたりが原因ではないかと思います。
なのに、彼女はNYにさくらか熱狂的なファンでもいるんでしょうか?
やんややんやの喝采で、私はすっかりしらけてしまいました。
そんなさくらに惑わされたか彼女もさくらの一味なのか、
V嬢はマイヤーのことを、”その日の夜、注目をかっさらった”と説明、
”温かくて暗めな彼女の声の特色を生かしてサントゥッツァの嘆きを表現し、
情熱的でありながら、哀れを催させる”と評し、彼女の歌に、
ヴェリズモ的な部分が全く欠落していることは、言及すらありません。
彼女は演技は達者で、いつも一定のレベル以上のものを見せていることはすごいことだと思いますし、
この公演でも、ある種のうざい女(それでいて下品になっていないところは見事)を好演しているのですが、
歌がこれほどまでにヴェリズモ的でないと、演技の上手さでカバーするのも無理があります。
決して歌唱のスタイルとして上品とはいえないグレギーナが、
あの12年前の公演で光輝いていたという事実は、
この作品がどういう歌手を必要としているか、ということを物語っているように思います。
この役は綺麗に歌うだけでは物足りない、ということです。



ローラ役を歌ったジンジャー・コスタ・ジャクソンは、『タイス』にも登場していた歌手で、
”ビッチズ”系諸役に活路を見出しているようで、そのビッチーな雰囲気は見事ですが、
(本当にやな女していて、地ももしかしたらこんな人?と思わされる)
歌がどうしようもなくそれに伴っていない。
『タイス』のような重唱が多い役ならともかく、ソロの役で舞台をはるには声量もなさすぎです。

唯一、この『カヴ』で聴きごたえのある歌唱だったのはマンマ・ルチア役のジェーン・バネル。
彼女は現在上演中の『夢遊病の女』のテレーザ(アミーナの育てのお母さん)役と並行で
この役を歌っているわけですが、豊かな温かい音色で聴いていて実に心地よい声です。



アルフィオ役を歌う予定だったチャールズ・テイラーが体調不良で降板し、
もともと『道化師』のトニオ役だけで出演するはずだったアルベルト・マストロマリノが
掛け持ちで代役をつとめました。
主にイタリアの歌劇場に出演しているようで、これがメト・デビューとなる彼。
大車輪の活躍が観客の心をとらえたか、ものすごい拍手をもらっていましたが、
アルフィオ役にしろ、トニオ役の劇前の口上のアリアにしろ、私は特筆するような歌唱ではないと思いました。
中低音はなかなかいいものを持っていますが、高音に張りがなく、それが歌唱全体の印象に影響しています。
とこういうわけなのですが、ルチア母さんが一番印象に残る『カヴ』、
それはちょっとやばくないでしょうか、、?



今シーズンのカヴ・パグは、一人のテノールによるダブル・ビル(二本立て)を売りに、
アラーニャとクーラそれぞれに、一夜の両演目を歌わせることにしているわけですが、
私の知る限り、メトでは基本、『カヴ』と『パグ』のテノールは別々の歌手に歌わせることが多く、
2006年シーズンに一度、リチトラがダブル・ビルをつとめたことがありますが
それは予定されていた『カヴ』のテノールが体調不良のため、
『パグ』のみを歌う予定だった彼が両方をカバーしたにすぎません。

で、今日のアラーニャのダブルを聴いて、それにはやっぱり理由があるんだな、と再確認せざるをえませんでした。
というのは、トゥリッドゥ役(『カヴ』)ではまずまずだったアラーニャですが、カニオ役(『パグ』)は、全っ然駄目。
考えてみれば、いや、そんなに深く考えなくともわかることですが、
この二つの役って、同じ夜に演奏されるオペラのテノール役という以外、あまり共通点がないですから。
両作品ともヴェリズモだから似た役だろう、みたいな短絡な考えは大間違いです。

トゥリッドゥは、若くて不倫なんかもしてしまうし、あまり物事を深く考えてなさそうな人。
(だからアラーニャにぴったり!)
サントゥッツァやルチア母さんなどとのことも、思いやっているんだか、そうでもないんだか、
よくわからないところがあります。逆にそのドライさが怖くもあるのですが、、。

しかし、一方、カニオは、妻よりも自分がかなり歳が上なのを気にしていたり、
情が深いあまりに相手を殺してしまうほど嫉妬深かったり、非常に複雑に見えて、
それでいて、多分私達の誰でもが持っている、人間の共通の悲哀みたいなものを体現している役で、
こちらは非常に演技力を要する役だと思います。
そして、アラーニャには、この役は荷が重すぎた。これに尽きます。
アリア”衣装をつけろ Vesti la giubba”の泣きの部分や、
最後の”喜劇は終わりだ La commedia e finita!"の言葉での芝居心のなさは泣けてくるほどです。

また、トゥリッドゥの場合はアラーニャくらいの声でもなんとかそれなりに聴ける歌唱になりえますが、
こちらのカニオ役は、やはりある程度ロブストでないと聴くのは辛い、と感じました。



演技にも歌にも、奥行きがなく、こんなにつまらない『道化師』、はじめて。
しかし、そんな『パグ』でも、V嬢の手にかかると、”(アラーニャは)作品中、安定したよい声で通し、
’衣装をつけろ’は心に訴えかけるような迫力で歌われた”とさらっと言ってのけられてしまいます。
こんな程度の歌で、心に訴えかけられてたら、オペラ聴くのにいくら体があっても足りませんよ、って感じです。

さらにひどかったのはネッダを歌ったヌッチア・フォチレ。
声に全く伸びやうるおいがなく、乾いた感じのする歌で大失望。しかも演技がド下手。
表情がどう、とかいうことより、この人は根本的な演技のリズムというのをわかっていない気がします。
2006年にこのネッダを歌ったのはAキャストがラセット、Bキャストがストヤノヴァという、
今では私の大好きなソプラノ二人によるもので、特にラセットはものすごく演技も達者だったので、
それに比べると、せっかくのこのゼッフィレッリのプロダクションのよく出来た劇中劇のシーンが、
ことごとくテンポの悪いフォチレの芝居のせいで台無しになっていました。



シルヴィオを歌ったマルトマンは若々しく、ネッダとの浮気の現場をカニオに発見されそうになったときの逃げ足の速さと、
カニオに刺し殺されたネッダをつい助けに走ってしまうそのすばしっこさが良かったです。歌でなく。



私は音楽は『カヴ』も好きですが、ドラマという面ではこの『道化師』の方が大、大、大好きで、
2006年の、リチトラ、ラセット、アタネリ、クロフトが出演した『道化師』は、
比較的キャストは若いメンバーなのに、しっかりと大人のドラマな感じがしたのに対し、
今日の『パグ』はまるで学芸会のようなちゃちでお子様な仕上がりになっていて、
本当に残念です。
一人一人の力量の差でしょうが、今日のこの公演を観ていた私の友人も、
”いつからメトの『カヴ・パグ』はこんなB級になっちゃったのかしら?”と嘆いていました。
それは、マイヤーやアラーニャといった、役に合わないキャスティングをした今年からでしょう!!
2006年の公演は悪くなかったですから。



それにしても、2006年の公演では、リチトラは白いシャツ+茶のベスト+ハンチング帽という、
いかにも旅芸人な感じのする自然な衣装だったのに、
今年のこのアラーニャのちんどん屋のような青シャツはなんなんでしょう?



夏のパーク・コンサートでも、青のタキシード着てましたが、もしや青は彼のラッキー・カラー??

というわけで、今日の『カヴ・パグ』、許せなかったのは、

● マイヤーのサントゥッツァ
● カニオ役を歌うアラーニャと、彼が着用している意味不明の青いてらてらシャツ
● フォチレのテンポ悪すぎな芝居

この三点でして、意外にも、アラーニャのトゥリッドゥはセーフでした。

指揮台に立ったのはピエトロ・リッツォというイタリア人で、
フィンランドの国立歌劇場でヴァイオリン奏者をつとめていた頃、
2002年に突然病に倒れた指揮者の代役をつとめ、いきなり指揮デビュー。。
以降、フィンランド国内から順調(?)に海外の歌劇場に足がかりを作り、
とうとうメトまで来てしまったというすごい強運の持ち主です。
オケ奏者だった経験もあってか、音の構築という面では悪くないセンスを持っており、
いい音を引き出していた個所もあるにはあるのですが、
指揮の技術が少し弱いのでしょうか?
『カヴ』が途中から崩れ気味になってしまったのが残念。
とはいえ、『カヴ』は指揮者とオケ泣かせの難曲で、この曲でオケがすごく良かった!というのは
滅多にあるものではないので、めげず、残りのラン、頑張ってください。

一テノールのダブル・ビルという側面ではおそらくクーラの方が期待できる上、
(彼はキャラ的にも声質的にも、トゥリッドゥ、カニオ、両方に通ずるものを備えているので)
マイヤーにかわってサントゥッツァ役にコムロジが入るようなので、そちらに期待することにします。


CAVALLERIA RUSTICANA
Roberto Alagna (Turiddu)
Waltraud Meier (Santuzza)
Alberto Mastromarino replacing Charles Taylor (Alfio)
Ginger Costa Jackson (Lola)
Jane Bunnell (Mamma Lucia)
Linda Mays (A Peasant Woman)
---------------------
PAGLIACCI
Roberto Alagna (Canio)
Alberto Mastromarino (Tonio)
Nuccia Focile (Nedda)
Christopher Maltman (Silvio)
Tony Stevenson (Beppe)
Timothy Breese Miller / Jeffrey Mosher (Villagers)

Conductor: Pietro Rizzo
Production: Franco Zeffirelli
Set & Costume design: Franco Zeffirelli
Grand Tier A Even
OFF

***マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ Mascagni Cavalleria Rusticana
レオンカヴァッロ 道化師 Leoncavallo I Pagliacci***