Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

CECILIA BARTOLI (Tues, Mar 3, 2009)

2009-03-03 | 演奏会・リサイタル
飛行機に乗るのが嫌いらしい、とか、声のサイズが小さいため、
本人がメトで歌うのを避けているらしい、などの噂があるバルトリ。
なんと、私、今回初生バルトリです。

連れに、”今日の夜はバルトリのリサイタルに行って来るからね。”と言ったら、
”あの、頭に小さい蝶リボンをいっぱいつけて歌う人?”と返されました。
彼女のシグネチャー・ロールであるチェネレントラの頭にのっている布のことを言っているんだろうか、、?
しかし、彼女のキャラクターの雰囲気から言って、リサイタルで、
”いっぱい蝶リボン”状態で歌っていてもおかしくはなさそうに思えるところがなんともいえません。



私の連れのように、海といえば山、バルトリといえばチェネレントラ!という連想が働く人は
特にNYでは少なくないでしょう。
というのも、彼女は、メト・デビューとなった1996年の『コジ・ファン・トゥッテ』(デスピーナ役)、
1997年の『チェネレントラ』(表題役)を経て、1998年の『フィガロの結婚』(スザンナ役)を最後に
メトでは一度もオペラの舞台に立っていないからです。
リサイタルでも数年に一度しかNYでは歌っていないという彼女。
今回は、歴史的なオペラ歌手であるマリア・マリブランをテーマにしたCD『マリア』のプロモーションも兼ねた
”200年のマリア・マリブラン”と銘打ったリサイタル・ツアーの一貫でNYに登場です。

メトの舞台で毎年歌声を聴ける歌手と違い、この貴重な機会に熱気ムンムンの聴衆たち。
ものすごくコアなファンと思しき、濃い目の聴衆の姿が多くてびっくりしました。
人気あるんですね、バルトリ。
まるで、ロック・スターのコンサートのようです。

そのバック・バンド、、じゃなかった、バックのオケ演奏をつとめるのは、
既述のCDで演奏をしているのと同じラ・シンティラ・オーケストラ。
チューリッヒ歌劇場付きの、17~18世紀の作品を専門に演奏しているオケで、
通常の(現代楽器を使う)オケとは別に、古楽器のスペシャリストたちが集まったグループです。
CDの方では指揮者がいますが、今回のリサイタルでは、アダ・ペシュというヴァイオリン奏者の方が、
いわゆるコンサート・マスター(CDで紹介されているタイトルはリーダー)で、
バルトリに合わせて全員をひっぱっていく形で演奏されたのですが、
歌うときにも身振り手振りの大きいバルトリが、段々と主導権を握っていくのがおかしかったです。
いつのまにか、身振り手振りという名の指揮で強引にオケをひっぱるバルトリ、、。

私はピリオド楽器とその演奏には全く詳しくなく、生で聴くのも今回初めてなのですが、
実際に音を聴いて、現代の楽器よりも音が素敵だな、と感じたのは、
プログラムの中でソロ演奏もフューチャーされていたハープ(奏者は日本人の方)とクラリネット。
今の楽器のぴーんと張り詰めた音に比べて独特の温かさがあります。
逆にトランペットなどは、現代のきんきらな音になれた耳にはあまりにしょぼい感じがして、
私は好きになれませんでした。

バルトリの歌をさておいて、このような話を先にするとは、彼女の濃いファンに叱られそうですが、
私は今日のリサイタルは、彼女の歌だけというよりは、むしろ、全体のプログラムの妙を楽しみました。

ほとんど交互にオケのみによるピースが噛んでいるので、彼女が実際に歌ったのは、
短い曲も含め、全9曲+アンコール3曲。
オケのピースの中で、すごく新鮮で楽しかったのはロッシーニの『セヴィリヤの理髪師』からの嵐の音楽。
『セヴィリヤ~』は今まで現代楽器のオケによる演奏しか聴いたことがなく、
メトの舞台を中心に鑑賞し続ける限りは、これからも、ロッシーニだけでなく、
どんな作品も現代オケ的な演奏で聴くことになるはずで、こういう機会は滅多にないので。
すごく音がコンパクトなんですが、私はこれはこれで嫌いじゃありません。
(ちなみに、最近、バルトリとフローレスのコンビによる『夢遊病の女』のCD全幕盤がリリースされましたが、
こちらも演奏がラ・シンティラ・オーケストラ。現代オケの演奏に慣れた耳には
音作りにエキセントリックさを感じる部分がいろいろあるのですが、
全体としてはやはり私はこれも嫌いでなく、ピリオド楽器を楽しめる自分の意外な一面にびっくりです。
むしろ、このCDで好きになれないのはバルトリのアミーナ。
この役はソプラノが歌った方がいい。
技術があって、一応高音が出るから誰でも歌っていいという種類の役ではやっぱりないのです。
一応、と書いたのは、もちろんオプショナルで出される高音などは一切チャレンジしていないので。
何より、彼女のしっかりした野太い中低音にげんなり。
筋を知らずに聴いていると、可憐な少女というよりは、恋の手練手管にたけた
年増のおばさんが若い男性=フローレス歌うエルヴィーノ役を落としている場面かと
勘違いしそうになります。歌唱技巧にたけているだけ余計に、、。)

あと、オケの演奏で印象に残ったのは、ドニゼッティの
『クラリネットのためのコンチェルティーノ 変ロ長調』からのアンダンテ・ソステヌート。
ドニゼッティのオペラ以外の作品は今まで聴いたことがなかったのですが、
クラリネット奏者のロバート・ピカップのソロがとても美しく、
ドニゼッティのオペラ作品の歌のパートがクラリネットに置き換わったとでもいうのか、
すごく歌心のあるメロディで、器楽曲でもドニゼッティはドニゼッティしてます。

肝心のバルトリの歌のことについてふれる前に、少し、テーマの”200年のマリア・マリブラン”の話を。
マリア・マリブランというのは、実質たった10年ちょっとという短いキャリアで名声を築いた、
オペラ史上の伝説のプリマドンナの一人。
1808年にパリに生まれ、1836年に亡くなっていますが、ということは、
ドニゼッティやベッリーニの作品がリアル・タイムだった頃の人、ということになります。
彼女のために書かれた、という作品もたくさんあるソプラノです。
正式なオペラの全幕デビューはロンドンでの、『セヴィリヤの理髪師』のロジーナ。
その後、チェネレントラ、タンクレーディ、セミラーミデ、オテロといった、
ロッシーニの作品で名声を高めていきます。
(オテロは今ではヴェルディのそれが有名ですが、
ヴェルディのキャリアが本格的に始まったのはマリブランが亡くなった後です。)
その後NYに移り住み、28歳年上の銀行家(彼の姓がマリブラン)と結婚し、
一時、舞台に立つのをやめていましたが、旦那が破産。
生活のために再び舞台に立ち始め、旦那と離別。
以降、ヨーロッパに戻って、そこから華々しい大スターとしての地位を確立していきます。
ナポリのサン・カルロ劇場は当時拍手喝采が禁止されていたそうなのですが、
それを解除するまでは王の前では歌わない!と宣言してみたり、
ミラノでは、『マリア・ストゥアルダ』を検閲なしで上演するよう官僚に要求したりと、
なかなか根性の入った人でもあります。
17~18世紀に全盛期を迎えていたカストラートたちに負けない人気を持った、
最初の女性歌手、といわれるのが、このマリブランですが、
ベルギー人のヴァイオリニスト、ドゥ・ベリオと再婚し、お腹に子供もできた幸せの絶頂期に、
落馬による怪我がひきがねとなって、たった28歳の若さで命を落としています。
そのマリブランの生誕200年にあたるのが2008年で、彼女を偲ぶイベントがフランスで行われたり、
バルトリが前述の『マリア』を発売したりしているのはこういう経緯です。

で、今日のリサイタルの演目は、ほとんどマリブランに縁のある曲目となっており、
また、そのほとんどが、CD『マリア』に収録されている曲でもあります。

最初の歌唱は、マヌエル・ガルシア作曲の、『女神ユノの復讐』(と、
バルトリのレコード会社であるユニヴァーサル・レコードのオフィシャル・サイトに表記されているのですが、
なぜ、La figlia dell'ariaという原題がそんな邦題になるのかは、私にはよくわかりません。)から、
”でも彼は見えない~私は女王”。
ガルシアはマリブランのお父様のことで(なので、マリアの旧姓はガルシア)、
一家がNYに移り住んで、イタリアのオペラを紹介する公演をうっていた頃の、
娘マリアをフューチャーするために、父親の手によって生み出された家内式手工業的オペラ。
ちなみに、しかし、残念ながら一番NY人に人気のあった演目はこれではなく、
ロッシーニの『セヴィリヤの理髪師』だったそうです。(まあ、そりゃそうでしょうとも、、。)

舞台にあらわれたバルトリは、どこの舞踏会にいらっしゃるの?と聞きたくなるような
ボリュームのある、ネイビーがかったブルーの、裾に銀色の刺繍が入ったいわゆるお姫様ドレスで、
このセンス、確かに頭に蝶リボンを一杯つけてる、と形容されても無理からん。
ファンからの熱狂的な”Welcome back to New York!”の拍手と喝采に、
胸をバシバシ!と叩いて感謝の念を表わし、一層大きくなる拍手の音に、
つづいて、”こうしたい位あなたたちのことを愛してる!”とばかりに一人ハグ・ポーズを決めるバルトリ。
なんか、まだ若いのに、ものすごい貫禄とこちらが押しつぶされそうなほどの濃さ。
こういうのを見ると、オペラの全幕の舞台が活躍の中心の場になっている歌手は、
ディーヴァちっくと言っても(ゲオルギューとか?)、たかが知れてるな、と思ってしまいます。
ソロのリサイタル中心にやって行くには(バルトリはヨーロッパでは全幕ものの舞台にも立っているのかもしれませんが)
これくらいの濃さがないと駄目なのでしょう。
ちなみにインターミッションをはさんだ後は、同じデザインの色違いのドレス(赤)。
ちょっとそれはバルトリ姐さん、手を抜きすぎなんじゃ、、。

で、ガルシアの曲に話を戻すと、曲の成り立ちが成り立ちなので、
旋律の美しさを楽しむというよりは、どちらかというと技巧の妙を楽しむタイプの曲。
バルトリは、技術の方は、もう私があえて重ねて言う必要もないくらいに、
皆様もご存知の通りに実に達者なんですが、声のサイズが想像していた以上に小さくてびっくり。
カーネギー・ホールでこれでは、メトなんかでは聴こえないんじゃないか、と思うくらいに。
特に高音域で音が薄くなる傾向が顕著で、これは以前からそうだったのか、
最近になって見られるようになったことなのか、これが生歌初体験なのでなんとも言えません。
同じボックスに座っていた超バルトリ・ファンのおじさんは、
なんと、ロング・アイランドの東端ハンプトン(金持ちの別荘地として良く知られる。貧乏なNY人の憧れの場所。)から、
ジトニーと言われる長距離バスでかけつけたそうで、そのおじさんが言うには、
98年に観たメトの『フィガロ』では何の問題もなく、きちんと声は通っていた、という話です。
ま、でも、ファンの方のいうことですからね。鵜呑みは危険かもしれません。
ちなみに、おじさんの帰りのジトニーは11時台のマンハッタン発。
ハンプトンご帰着は朝の2時だそうです。バルトリへの愛がなきゃ出来ませんね。

また、これはロッシーニの『チェネレントラ』からの
”悲しみと涙のうちに生まれ~もう火のそばで寂しく”などでも強く感じたのですが、
歌がとても表面的な気がします。
彼女の場合、あまりに技巧への依存性が高いからでしょうか?
特に『チェネレントラ』に関しては、歌っている主がチェネレントラという役ではなく、
バルトリになってしまっています。
最近、同じ曲をコンサート形式で披露したディドナートと比べてもそれは明らかで、
ディドナートの歌からは、きちんとその歌を歌っている役のキャラクターが感じられるのと対照的です。

それから、技術の巧みさに比べると、歌にパンチがないのも意外でした。
私はこの一曲目や、『チェネレントラ』、『セミラーミデ』といった演目からの曲では、
どかーん!と行ってくれるもの、と思っていたのですが、とても大人しい。
私の好きな歌手は、アリアや公演のどこかに、たとえ短い時間であっても、
まるで、この人は私のためだけに歌ってくれているのではないか?と思わされる瞬間がある人がほとんどです。
ディドナートしかり、フローレスしかり。
それは、歌手がこっちを向いて歌ってくれている、というような単純なことではなくて、
歌から感じるパーソナルなコンタクトのレベルというか、これが高い人と、低い人って絶対いる、と思うのです。
そのコンタクトされた感じが、私達聴衆に、”何かが伝わった”という感覚となって体に残るわけですが、
ここらあたりのレパートリーを歌うバルトリからは、
このパーソナルな波長というものが、ほとんど入って来ずじまいでした。
上手いけど、すごく自己完結している歌手なような気がします。
それは、早いパッセージを伴う快活な技巧的に忙しい演目で特に顕著だったように思います。

むしろ、彼女の歌の素晴らしさは、ペルシアー二の『イネス・デ・カストロ』の”いとおしい日々よ”や、
ロッシーニの『オテロ』からの”柳の根元に腰を下ろし~ああ、神様、眠りの中で”
(ヴェルディの『オテロ』の柳の歌とアヴェ・マリアのシークエンスに相当する部分で、
歌詞の内容も大意はほとんど同じです。ヴェルディのそれと同等に美しく感動的な曲です。)
の二曲に集約されていたように思います。
彼女は、静かな曲の時に出てくる声の方が、音色が瑞々しく、またサイズの不足を感じさせない。
会場中に歌声がそっと染み付いてなかなか消えないような歌を歌います。
今までバルトリに関しては、とにかく技巧の人、という印象が強かったのですが、
この二曲での表現力は素晴らしいものがあり、彼女個人が消えて、
オペラの中の人物を舞台に感じることが出来ました。
しかし、皮肉なことに、聴衆からはやはりスーパー技巧の曲の方が受けがいい。
なんと、嘆かわしいことでしょう!

本プログラムの最後の三曲は、ファン・サービスともいえる軽めの曲で、
まず、バルフの『アルトアの乙女』から”月は彼方の山の上で”。
NYということで、英語の曲を入れたのでしょうか?
来日した外タレが、コンサートで”さくら さくら”を歌うのと似た感じ?
しかし、辞めたほうがいいです、今後は。
彼女の英語は、何を歌っているんだか、さーっぱりわかりません。
母音の発音に問題があると思います。
初めは耳だけで聞いていたのですが、全然何を言っているのかわからないので、
”私が歌詞を知らないからだろう”と、歌詞カードを見ながら聴き始めたら、
さらに、”見ても、その言葉を発しているとは思えん、、”と二度びっくり。
言葉が音にきちんと乗っていないので、表現という前のレベルで止まってしまっています。
これはさすがに彼女を愛する聴衆もちょっと引いてしまい、一番聴衆からの反応の薄い一曲となってしまいました。
チェチーリアがせっかくサービスしたのにぃ。
(と思ったら、私の持っている『マリア』にこの曲は入っていないのですが、
発売国によっては収録されている盤もあるようで、単なる観客サービスではなかったようです。
もしや、英語圏で発売される盤だけこの曲を抜いたんじゃ、、。)

二曲目はフンメルによる、”チロル風のメロディー(ヴァリエーション付き)”。
まさにタイトルの通り、チロル風のヴァリエーションが入っていて、
楽しい歌なので誤魔化されそうになりますが、かなり歌うのは難しそうな曲です。

最後はマリブランが作曲したと言われる『ラタプラン』。
ラタプランというのは太鼓の音を表わす擬音語で、
機関銃のような速さでRRRRRと発音される様子がおかしく、
会場からの受けも良い、アンコール・ピースなどに最適な曲。
しかし、こちらも歌の上手い人が歌わないと、とても聴いてられない曲です。

これらの曲に、すっかりアンコールも終わってしまったような錯覚をおこしそうですが、
本当のアンコールはここからで、一曲目は、ドニゼッティの『愛の妙薬』を歌うにあたって、
差し替えのためにマリブランが作曲したと言われる、”ああ、甘い誘惑”。
歴史的な意義や面白さはあるのかもしれませんが、残念ながら曲としてはあまり印象に残りませんでした。

二曲目は、ネタが切れたか、もう曲の準備がないの!というような仕草をしながら、
すでに本プログラムで歌った『チェネレントラ』のアリアから、
後半の”もう火のそばで寂しく”だけをもう一度。
本プログラムで歌ったときよりも、いい意味で力が抜けて、
声も楽に出ていたような気がしました。
歌の出来は、こちらのアンコールの方が良かったです。

あまりの聴衆からのラブ・コールに、もう一曲、クルティスの”忘れな草”。
本当はこれがアンコールの二曲目で終わる予定だったのかもしれません。
(なので、Non piu mestaがおまけだったのかも。)
男性歌手によって歌われることが多い印象があったのですが、
バルトリのフォームが極端に綺麗な歌唱で聴くと、また全然違う魅力が曲から引き出され、楽しみました。
女性が歌う”忘れな草”もいいな、と。


CECILIA BARTOLI "200 YEARS MARIA MALIBRAN"

Cecilia Bartoli, Mezzo-Soprano
Orchestra La Scintilla of Zurich Opera

GARCÍA Overture to La figlia dell'aria
GARCÍA "E non lo vedo...Son regina," from La figlia dell'aria
PERSIANI "Cari giorni," from Ines de Castro
MENDELSSOHN Scherzo from Octet in E-flat Major, Op. 20 (orch. Mendelssohn)
MENDELSSOHN "Infelice," Op. 94
ROSSINI Tempest from Il barbiere di Siviglia
ROSSINI "Nacqui all'affanno...non più mesta," from La Cenerentola
DONIZETTI Andante sostenuto from Concertino for Clarinet in B-flat Major
ROSSINI "Bel raggio lusinghier...Dolce pensiero," from Semiramide
ROSSINI Overture to Il Signor Bruschino
ROSSINI "Assisa al piè d’un salice...Deh, calma," from Otello
BÉRIOT Andante tranquillo from Violin Concerto No. 7 in G Major, Op. 73
BALFE "Yon Moon o'er the Mountains," from The Maid of Artois
HUMMELL "Air a la tirolienne avec variations," Op. 118
MALIBRAN "Rataplan"

Encore:
MALIBRAN "Oh dolce incanto"
ROSSINI "Non più mesta accanto al fuoco" from La Cenerentola
CURTIS "Non ti scordar di me"

First Tier Box 39 Back
Carnegie Hall Stern Auditorium

*** チェチーリア・バルトリ CECILIA BARTOLI ***