Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

OPENING NIGHT GALA 後編 (Mon, Sep 22, 2008)

2008-09-22 | メトロポリタン・オペラ
Metropolitan Opera Opening Night Gala

前編から続く>

最初のインターミッションをはさんで、マスネの『マノン』から第三幕。
ポネルが演出するこの舞台、第一場のクール・ラ・レーヌのお祭りの場面は、
ゼッフィレッリ演出の『ラ・ボエーム』のカフェ・モミュスのシーンとつい比べたくなるグランドさ。
空中には綱渡り用の綱が張られ、そこを行ったり来たりする曲芸師の姿も。
ただし、『ラ・ボエーム』が徹底的に写実的な感じがするのに対し、
こちらの『マノン』は、例えばプセット、ジャヴォット、ロゼットといった
脇役のボンネットを極端に大きくして、まるで、『不思議の国のアリス』の
いかれ帽子屋(マッド・ハッター)のような頭と体の比率に見せていたり、
写実的な描写には全くこだわらずに、むしろ祭りの”雰囲気”の再現に重心が置かれています。

ちなみに、私の連れは、マスネの『マノン』を嫌っていて、特にこの三幕一場で、
ギヨーが歌う Dig et dig et don!というフレーズを聴くとむしずが走るといい、
”マスネが舞台で屁をひって立ち去る音楽”とまで形容している。
言いすぎだろう、、、それ。
しかし、私も二場の修道院のシーンは好きだけど、この一場に関しては、正直、似た感想で、
詰め物的、というか、舞台を華やかにするためだけに作られたような音楽に聴こえるので、
聴いていて若干辛い。
『椿姫』の夜会のシーンでは、バレエのための音楽という体裁をとっていても、
きちんと曲のベースに、その後起こる事件へのテンションが時限爆弾のように
刻々と高まっているのとは、実に対照的です。

オープニング・ナイトにこの作品が選ばれたのも、まさにその華やかさゆえ、なのですが、
しかし、この豪華な演出でなければ、苦痛度がもっと高まっていたことは間違いありません。



ルネ・フレミングの衣装を担当したのは、シャネルのカール・ラガーフェルド。
これまた、祭りのシーンのセットで貴重となっている淡いライラックの色と、
あまりに似通っているともいえる、グレーとライラックの中間のような色のドレスをデザイン。
ただし、彼女の肌の色に非常に良くあっていて、美しく見せる色を採用しているあたりはさすが。

このドレスもバックが美しくて、少し高めの位置から裾をドレープさせて落としている
デザインは非常に凝っているのですが、オペラの舞台というのは、
歌手が客席に後ろを向ける時間が非常に短いので、
もうちょっと前身ごろのデザインに工夫が欲しかった気がします。
首周りのラインがあまりシャープでないために、やや野暮ったい感じがするのと、
胸とスカートの部分の切り替えの部分も、ただ縫い合わせてあるだけで、
なんのアクセントづけもないので、平面的で、べたーっとして見え、
後ろから観たときの美しさに比べると、前がまだ縫いかけなのかな?とも思えるほど平凡でした。
スカートの裾から少し上のところに、裾に平行して、クリスタルを縫い付けてあったりして、
ディテールにはものすごく凝っており、きっと側で見ると非常に美しい衣装なんでしょうが、
この細かさは、舞台を遠目で鑑賞している人に見えるのか、というのはやや疑問です。

ただし、下の写真にあるとおり、修道院のシーンでは、このドレスの上に、
黒いケープを重ねて登場するのですが、このケープをつけると、
襟ぐりや腰周りの野暮ったさが消え、とてもスタイリッシュな印象に。



『椿姫』でやや暴走してしまったのか、ルネ・フレミングがこの『マノン』のしょっぱなから
少し声が荒れだしたのが残念。
少し重めの声である割には、高音がいつも比較的安定している彼女なのですが、
今日は珍しく、この『マノン』で高音のコントロールにてこずっている感がありました。

二場の修道院の場で、デ・グリューを誘惑する際の彼女の演技のアプローチは、
議論も多いことでしょう。
というのも、祈祷台の上に仰向けに体を投げ出すという、
あまりにあからさまな誘惑の仕方に、思わず観客からどっという笑いが起こったからです。
本当に恐ろしいことです、
修道院という聖なる場所で、マノンへの未練と肉欲に耐えるデ・グリューの苦悶。
それを、Dig et dig et dongのような屁を先にひった割には、
うまく音楽にのせているマスネであるのに、この、たった一つの演技の方向性の誤りが、
全くこの物語の印象を違うものにしてしまったのです。

そういえば、DVD化された昨シーズンの『マノン・レスコー』(こちらはプッチーニの作品)の
ライブ・イン・HDにのった公演のインタビューの中で、デ・グリュー役を歌ったジョルダーニが、
”マスネのマノンとプッチーニのマノン・レスコーの違いは?”
と聞かれ(そして奇しくも、その時のインタビュアーはフレミング)、
”プッチーニの作品が、マノンとデ・グリューの恋、ほとんどそれしか描写していないのに対し、
マスネのマノンは、教会対煩悩の葛藤とか、恋以外のことにもポイントが置かれていること。”
と言っていましたっけ。
その大事なポイントである、教会と煩悩の対立が、コミカルな絵に終わってしまっては、
これが全幕の公演だったとしたら、噴飯ものだったことでしょう。

しかし、今日のガラでは、ややフレミングが、演技や歌を、ガラ仕様に組みなおしたのでは?
と思わされる場面が多く、この場面も、本当に作品が伝えたいことはとりあえず横に置き、
とにかく観客へのエンターテイメントに徹し、ピントが多少外れていても、
楽しんでもらえればよし!という方向を目指した場合、一つのアプローチの仕方ではあると思います。

レスコーを歌ったのはドウェイン・クロフト。彼はキャリアも長く、
舞台での立ち姿が美しいので、このあたりの役では安心して見ていられますが、
いつまでたっても彼らしさ・個性があまり出てこないのはなぜなのでしょう、、?至って地味、です。

登場場面は多くないながら、存在感があったのは、デ・グリュー父を演じたロバート・ロイド。
自分の思い通りに生きてくれない息子への苛立ちと怒り、許すということを知らない頑固さを、
巧みに歌い込んでいました。
パートは違えど(ロイドはバス)、ジェルモン父を歌ったトーマス・ハンプソンに、
彼のように役の性格をきちんと分析し、それを歌に込めるという姿勢が1/100あったなら、、。

ヴァルガスはこちらの作品でも真摯な歌唱を聴かせ、
”消え去れ、優しい面影よ  Ah! Fuyez, douce image "も気合の入った、
彼にしては熱唱といえるものでしたが、ただ、それでも、まだ、
少し綺麗にまとまりすぎているというのか、もう少しドラマティックでもいいのだけれど、、
というのが私の感想です。

徒歩通勤の指揮者、マルコ・アルミリアートが指揮をすると、
レヴァインが振るときよりも、オケからずっとのびのびした音が出てくるような気がします。
歌手へのサポートも巧みで、この作品まではオケも好調。

『椿姫』、そして『マノン』、各一幕ずつとはいえ、共に二場ずつあるので、
すでにこれだけでも、時間的に結構な量で、すでにお腹いっぱいの観客も多いはず。

『カプリッチョ』は、リヒャルト・シュトラウスの他の作品、
例えば『ばらの騎士』や『サロメ』などと言った作品に比べると、
少なくともメトでは(そして多分、世界のオペラハウスでも)、
上演頻度が少ない作品ではありますが、オペラにとって、音楽と言葉のどちらが大切か?という
非常に重要なテーマを、若くして未亡人となった伯爵夫人と二人の男性との
三角関係に重ね合わせて描いた、興味深い作品。
二人の男性がそれぞれ作曲家と詩人、つまり音楽と言葉を暗示していて、
伯爵夫人がどちらの男性を選ぶか、というプロットが、
音楽と言葉のどちらが重要か、という命題と重なっているわけです。
この彼女の選択が、三人が制作に関わっているオペラ作品のエンディングをも
決める、ということで、今日演奏される、この最終シーンでは、
”オペラのエンディング”という言葉がしばしば使われ、
それが、この『カプリッチョ』を最後の演目として持ってきた理由となっていると思われるのですが、
(そして、余韻のある終わり方もガラのエンディングにぴったり。)
作品の知名度という点では、『椿姫』、『マノン』に続いて、
上のものから段々と下がっていく結果になってしまったので、
なんと、二度目のインターミッションを挟んで『カプリッチョ』が始まる頃には、
帰ってしまったお客さんも少なくなく、空席がちらほら見られました。
オープニング・ナイトは、オペラヘッドが観客に占める率が一番低い公演だと私は見ていますが、
オープニング・ナイトは何よりも社交の場である、というタイプのお客さんにとっては、
この『カプリッチョ』は、最もどうでもいい、興味のわかない、辛抱の要る演目なのでしょう。

しかし、そんな早退組のお客様はお生憎様、としか申し上げようがない。
なぜなら、ルネ・フレミングの持ち味が最も良く出ていたのがこの作品だったから。



ジョン・ガリアーノがデザインした衣装を身にまとい、舞台に現れたルネ・フレミングの姿は、
まさに関西の派手なおばちゃん風。
写真ではこの迫力を十分にお伝えできないのがもどかしいが、
微妙に写りこんでいる、ターコイズやら金やら黒でできたプリント、
これが、背中では全身に及んでいるのだ。
そして、そのプリントが、なんともウィーンのアール・ヌーヴォーっぽい雰囲気をかもし出していて、
その派手なことは、まるで背中に彫りものをほどこしているかのような凄い迫力である。

まさに、悪趣味スレスレなのだけれども、少なくとも、セットの雰囲気に合わせて工夫を凝らし、
それを衣装に反映させようとした、そのチャレンジ精神は評価されてよいと思う。
(オペラは1770年代のパリという設定だが、コックスの演出では年代を1910-20年あたりに動かしている。)



しかし、この関西のおばちゃん風の上着を脱いだ後、下に着たドレスに現れた、
このゾウリムシのような、ポケットのような変な布は何、、?
体の左側から布に流れを生み出す効果を上げているのはよいのですが、
遠めに観ていると、ポケットの付いたドレスという感じで、かなり変ではありました。
ドレスのフォーム自体は美しいだけに、このゾウリムシ・ポケットは残念。
リスクが本当に、損失として顕在化してしまった、とでもいえばよいでしょうか、、。
それでも、目に優しい美しさ、ということであれば、前の二作品のデザイナーたちの
ドレスに軍配があがるでしょうが、リスクを承知でユニークな作品を提示したガリアーノの、
その心意気は買いたいと思います。



そして、ゾウリムシごときで心配することなかれ!!
なぜならば、フレミングの歌が、これまでのどの作品よりも、作品にフィットしていて、
今日のオープニング・ナイト・ガラの中で、最も聴きごたえのある作品となったからです。

惜しむらくはオケ。この長丁場の拘束時間(特にガラはインターミッションも、
通常の公演よりも長めになる傾向にあるので。)に、
やや疲れが出たか、もしくはこの作品がややリハーサル不足なのか、
サマーズ率いる演奏は、『椿姫』や『マノン』に比べると演奏の切れ味に欠けたのが残念。
特にオーケストレーションに関しては、『マノン』なんかに比べて、
ずっと複雑かつ面白く出来ている作品なので、オケが調子がよければ、もっともっと手ごたえのある、美しいものが聴けたはずです。

とにかく、ルネ・フレミングの、どこか人生に倦怠感を感じているような、
それでいて、何かを信じたい、と焦燥感も感じているような、
それら全てを洗練された態度にカモフラージュして、、と、
深みのある役作りが光っていました。
この演目に関しては、ガラ・バージョンをかなぐり捨て、本来の全幕公演に最も近いアプローチで
役に取り組んでいたような気がします。
まあ、しかし、当然といえば当然ですね。
演目の『カプリッチョ』自体、ガラ・バージョンをかなぐり捨てた、
かなりマニアックな演目なわけですから、、。
しかし、その”ガラにはマニアックすぎるのでは、、”と思われる危惧を押しても
プログラムに乗せただけあって、ルネ・フレミングの持ち味と良さが十全に出きっていました。

また、この最終場面は、ほとんど彼女のワンマン・ピース的な演奏なのですが、
一人でぐいぐいと舞台をひっぱっていく様は頼もしく、各作品ごとで色々な批判があっても、
やっぱり、それなりに力がある人なのだ、と実感。

今日の彼女と同じことを、同じくらいの存在感でこなせる歌手が他にどれだけいるのか?
と言われると、答えに窮しますから。

まずは(ゲルプ氏在任期間中は)今シーズンで最後になるであろうと思われる、
このスター依存型幕ものガラ。
”レトロ”もさることながら、こういったタイプのガラを支えられる力のある歌手の数が
現在極めて少ない、ということの方が実のところなのかもしれません。


Giuseppe Verdi LA TRAVIATA Act II
Renee Fleming (Violetta)
Ramon Vargas (Alfredo)
Thomas Hampson (Germont)
Theodore Hanslowe (Flora Bervoix)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
Paul Plishka (Doctor Grenvil)
Kathryn Day (Annina)
Juhwan Lee (Giuseppe)
John Shelhart (A Messenger)
Conductor: James Levine
Production: Franco Zeffirelli
Costume Design for Renee Fleming: Christian Lacroix

Jules Massenet MANON Act III
Renee Fleming (Manon Lescaut)
Ramon Vargas (The Chevalier des Grieux)
Dwayne Croft (Lescaut)
Robert Lloyd (Count des Grieux)
Monica Yunus (Poussette)
Reveka Evangelia Mavrovitis (Javotte)
Ginger Costa-Jackson (Rosette)
Bernard Fitch (Guillot de Morfontaine)
John Hancock (De Bretigny)
Jason Hendrix (The Porter of the Seminary)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Jean-Pierre Ponnelle
Costume for Renee Fleming: Karl Lagerfeld for Chanel

Richard Strauss CAPRICCIO Final Scene
Renee Fleming (The Countess)
Michael Devlin (Major-Domo)
Conductor: Patrick Summers
Production: John Cox
Costume for Renee Fleming: John Galliano

Grand Tier Box Odd/Front
ON

*** オープニング・ナイト・ガラ Opening Night Gala ***


OPENING NIGHT GALA 前編 (Mon, Sep 22, 2008)

2008-09-22 | メトロポリタン・オペラ
Metropolitan Opera Opening Night Gala

今年はシーズン・オフの合間合間に色々なメトがらみのニュースに事欠かず、
かつ、いろいろなイベント(映画のプレビューレクイエムの演奏 など)があったので、
例年の”いよいよ始まるわあ。”という感じとは少し違って、なだれこむような勢いで
オープニング・ガラの日がやってきましたが、やっぱりこの日はオペラヘッドにとって、
格別に嬉しいものです。

今年のオープニング・ナイトはルネ・フレミングのファッション・ショーもかねるらしい、
と耳にした日から、ならば私もそのスピリットにあやかって!と、
真剣に、”オープニング・ナイトに着る服探し”が始まりました。
過去のオープニング・ナイトにおいては、会社から直行するはめに陥り、
ほとんど普段と変わらないような格好でオペラハウスに駆け込んだこともありますが、
そんなことだけは絶対に今年は避けたい。
なので、今日は何ヶ月も前に申請して自宅勤務の日にしてもらいました。
私の上司や同僚は、私のオペラ狂いに信じられないくらい理解があり、
彼らなしには今のような調子でオペラに通うことも、このブログを書くこともままならないと思う。
本当に感謝してます。

さて、私の家の近所にかなり強烈な個性のゲイのおじさんが経営している
ユーズドのお洋服のお店があるのですが、これが、ユーズドといって、あなどってはならない!
スタイリストやモデルの御用達と思われ、新品同様の商品やら(往々にしてタグがついたまま)
とんでもない美しい商品が時に現れるので、全く気がぬけないのです。

たまたま私がオープニング・ナイト用の服を探し始めたころ、
なんとも繊細な生地の、素敵なデザインのドレスが店内にあらわれたので、”これは、、?”と尋ねると、
お店のお姉さんが、”これは実はシャロン・ストーンがゴールデン・グローブ用に
作らせたドレスらしいんだけど、今年結局欠席することになって、それでうちに来たのよ。”
気軽なお姉さんの人柄に便乗して、ゲイのおじさんがむこうからじっと
”買わないんなら着ないでよね。”という視線をなげかけてくるのも完全シカト状態で、
無理矢理試着させてもらったのだが、やっぱり着ると欲しくなる!!
それにしても、なんて手の込んだ生地!
しかも、裾がいわゆるトレインと言って、長く引き摺るような裾になっており、
これなら、ルネ・フレミングも尻尾を巻いて逃げていくだろう、というようなセレブ系ドレス。

おいくらですか?と尋ねて、私の銀行口座の残高との比較がはじまったとき、
突然、オープニング・ナイト当日の行動シュミレーションが私の頭の中で始まってしまった。
うちは、エレベーターすらない、ウォークアップのビルである。
しかも、NYのストリート(東西に走る通り)の大部分が一方通行になっているのだが、
私の家の前の通りはメトとは逆方向なので、いつもはほんの10歩ほど歩いて、
アベニュー(南北に走る通り)の角でキャブを拾うことにしている。
この長い裾をもって、階段を歩いて降り、さらにはアベニューまで歩いている自分の姿を思い浮かべると、
なんだかがっくり来てしまった。
”やっぱりちょっと考えます”と言ってドレスをお返しすると、
お姉さんは気さくに”OK! また気が変わったら来てね!”と言ってくれたが、
ゲイのおじさんの、”だから着ないでって言ったじゃないの!”という視線が背中に痛い。

結局、こちらでいう”ガウン”(フォーマルなロングドレス)は我が家に全く不釣合いである、
という結論に達し、もう少しトーン・ダウンした、シンプルなワンピース型のドレスに落ち着き、
かわりに髪をプロにお任せすることにした。

NYは日本以上に美容院の質がピンきりなので、要注意である。
私は一度、安かろう、悪かろうの匂いがぷんぷんしている美容院でパーマを任せるという
人生最大の過ちを犯し、その変な髪形が自分の頭にのっているという屈辱感のために、
その後半年間外出するのも億劫になってしまったことがあるくらいなのだ。

なので、慎重に、アッパーイーストのマダム達も顧客にいそうなサロンを選択。
up-do(髪をアップにすること)を出来るスタイリストの人を割り当ててくださった。
このスタイリストのお兄さんが、滅茶苦茶腕がよくて、
”今日は、オペラに行くっていうお客さん、すでにあなたで三人目よ。”
(ちなみに、まだ開店してからまだほとんど時間がたっていない。)
といいながら、ものすごい勢いで、髪を形作っていく。

す、すごい!
ここから6時間、どうやってこの頭をキープしようか、と思っている私なのに、
さらに早く来て髪をセットしていった方がいるとは、、。
うーむ、オープニング・ナイト、盛り上がってます!
仕上がりに大満足し、お兄さんには来年もよろしくお願いします、とお伝えして、
自宅に帰ってきたら、突然眠気が襲ってきた。
しかし、この頭ではうかうか横にもなれないのだ。
おしゃれをするのは大変である。

首尾よくキャブをつかまえ、オペラハウスに向かうと、
あと2ブロックほどでリンカーン・センター!というところで、
ふと窓の外を見ると、今日のガラで『マノン』の第三幕を指揮する予定のマルコ・アルミリアートが、
蝶ネクタイなしのタキシード姿で楽譜を抱え、あわただしく路上を”徒歩通勤”する姿が見えた。
ガラの華やかな雰囲気とはあまりに対照的な、その姿に目頭が熱くなりました。

今年は比較的開演間際に到着したので、
オペラハウス入りするお客さんウォッチングを出来なかったのが残念ですが、
座席がサイドボックスだったので、パルテールと平土間に座っているお客さんがよく見えました。

パルテールにはブルームバーグ現NY市長や、
まもなくメトでルチアを歌う予定のダムローの姿が見られました。
余談ですが、そのダムロー、ルチアのオケとのリハーサルで
ホームラン級の歌唱を聞かせてその場にいた人たちを驚かせた、という話が伝わっているので、
公演が本当に楽しみです。
そして、もちろん正面のボックスにいるのは、メトでお馴染みの大パトロンたち。
平土間にはマーサ・スチュワート、ジョン・リスゴーをはじめとする著名人や俳優の姿が見られました。

ゲルプ現支配人の考えでは、オープニング・ナイトというものは、
そのオペラハウスの”自分たちはこういう演目を、こういうスタイルでやっていくんだ!”というような、
強いメッセージ性のある公演であるべきで、
その考えに基づいて行われたのが一昨年の『蝶々夫人』であり、昨年の『ルチア』であったわけですが、
今日のこのルネ・フレミングを中心に据えたガラ、というのは、彼の就任前(つまりヴォルピ前支配人時代)に
すでに、メトが彼女に約束していたものらしく、ゲルプ氏はその約束を尊重した、ということのようです。
ゲルプ氏は、今年のこの一人の歌手に頼るガラというのは、”レトロである”とまで言い放っており、
あまり本意ではないことを匂わせています。

かくいう私も実は、オープニング・ナイトはおおいに全幕もの推進派で、
ガラは、大勢の歌手によっていろいろなアリアが歌われる類ならまだしも、
一人もしくは二人の歌手が、幕単位の抜粋をつぎはぎで歌う、というまさに今日の形式は、
個人的にはあまり好きでないパターンです。
というのも、”いいところどり”という言葉がありますが、幕ごとのガラというのは、下手をすると、
演目によっては、とっちらかった印象になったり、また歌手の歌がまずかった場合、
アリア単位なら我慢もできる長さですが、幕単位になると、かなり苦痛になりえ、
また歌が良かったとしても、全幕に比べると物語として食い足りない、、と、
”悪いところどり”に終わってしまうことがままあるからです。

各幕で、違ったファッション・デザイナーにルネ・フレミングの衣装のデザインを担当させたり、
この次期に合わせて彼女の香水が発売されたり、という話題づくりも、
そのレトロさや食いたりない感じを補うための苦肉の策だったのかもしれません。

例年通り、メト・オケの伴奏つき、観客全員起立してのアメリカ国歌の斉唱があり、
いよいよ、『椿姫』の第二幕でオープニング・ナイトがスタートです。

第一場のパリに程近い田舎(といってもあくまでおしゃれな田舎であることがポイント)
にあるヴィオレッタとアルフレードが住む屋敷のシーン。

この『椿姫』でルネ・フレミングの衣装を担当したのはラクロワですが、
なんだか、このドレス、デザインは悪くないと思うのですが、
まるでゼッフィレッリがデザインしたセットの大道具の一つであるソファのカバーの余った生地で
作ったのかと思うくらい、部屋のソファと色が似通っているのです。
ラクロワだけではなく、次の『マノン』のラガーフェルドにもいえることですが、
少しセットの全体の基調となっている色彩に、衣装の色が似通いすぎているのが私にはやや残念でした。
もうちょっと冒険してもよかったのにな。
ソファの近くに寄って歌ったりすると、まるでジャングルの中の迷彩服のように、
ソファと一体化してしまうルネ・フレミングなのでした。



ルネ・フレミングのヴィオレッタについては、過去にめった斬りにしてしまったレポがありますが、
今日の歌を聴いても基本的な感想は変わりません。
また、それは純粋に歌だけの問題ではなくて(歌もおおいに問題ではあるのですが)
本来は演技力のある彼女が、なぜだか、このヴィオレッタについては何かを掴み損ねている気がしてなりません。
いや、掴みたくても、今の彼女では掴めない、と言った方が適当か?

アルフレードとは対照的に大人で世慣れしているヴィオレッタは
人前では絶対にみっともない形で感情を爆発させることがないし、
(彼女が本当に自分の気持ちを激しく吐露するのは、一人でいるときと、
アルフレードに対して”私を愛してね”という場面くらいしかないと思う。)
特にこのジェルモン父と話すシーンは、
父に”一時的”にではなく、”永遠に”息子と別れてください、と言われ、
つい、そんなこと、絶対にできません!と言う場面以外は、
アルフレードをあきらめなければならないと最初から予感しつつ、
父の言葉に観念していく、という、きわめて抑制の効いた歌の中に、
どのように彼女の辛い本心を滲ませるか、というところがポイントであると思うのだけど、
このフレミングのヴィオレッタは、いかにも最初から気が強いし、
ジェルモン父に喧嘩腰なのが私には全く違和感がありました。
で、ここで歌に話は戻ってしまうのですが、この”抑制の効いた歌”を歌うためには、
やはり、一般的にこの役に必要とされるといわベル・カント的なテクニックが不可欠なのだと思います。
今の彼女のヴィオレッタの歌唱の問題点は、このベル・カント的テクニック不足を補うために、
ドラマティックな歌唱を代わりにすえて、それに合わせて役作りを行っている点にあるのでは、と思います。
もしも、彼女にテクニックがあったなら、もっと違った役作りをするのではないかな、
という感が拭えませんでした。

ただ、付け加えておくと、こういう理由により、いわゆるオーソドックスな、
ベル・カント的アプローチのヴィオレッタが好きな向きには彼女の歌はかなり厳しいものがありますが、
逆に、そんなことはどうでもよい、ドラマティックで結構!というお客さんには、
悪い出来ではなかったと思います。
今日のガラの中では、この『椿姫』が最も声も良く出ており、高音も確かでした。

ルネ・フレミングよりも個人的に罰したいのはトーマス・ハンプソン。
この人はいつから、こんなに俺様、ハンプソン様風の歌しか歌えなくなってしまったのでしょうか?
それとも、最初から?
また刺され覚悟で言うと、どんなに声がよくて、歌唱力があったとしても、
こんな歌を歌うようになっては、オペラ歌手もおしまいだと思います。
今日の彼の歌のどこからも、ジェルモン父のキャラクターの微塵も感じられなかった。
そこにいたのは、ジェルモン父のパートを歌っている”ハンプソン様”だけ。
”ガラなんだし、そこまでやかましいことを言わなくっても、、”?
いやいや、幕物のガラで、ほんの少しでも良いところがあるとすれば、
それは短い時間だけでも、そのオペラのエッセンスに、そのオペラの登場人物の心のひだに
触れられる、というところにあるのに、それが全く感じられないのだから、最悪です。

ラモン・ヴァルガスはいつもどおり、安定した歌唱で実に丁寧に歌っているのだけど、
彼にはもう少し華が欲しいかな、、。
通常の公演ではそこまで感じないのだけど、
こういうガラの場では少しその地味さが目立つかもしれません。
俺様ハンプソン様よりは、華がなくても真摯な彼の歌の方が私にとっては
数千倍好ましいのには間違いありませんが。
このアルフレードはカウフマンがメトで何度も歌っている役だし、
彼は『マノン』のデ・グリューも持ち役にしているはずだから、
ヴァルガスではなくって、カウフマンという手もあったのではないか?と考えたのは私だけでしょうか?

二場の夜会のシーン。
ここでルネ・フレミングが衣替え。というわけで、唯一三人のデザイナーのうち、
ラクロワだけが二点衣装をデザインしたことになります。
この写真ではドレスの全体が見えないのが残念ですが、後ろから裾のラインが
非常にゴージャスで、大変美しいドレスでした。
また、こうやって写真で近くで見ると少し胸元のデザインがやり過ぎな風にも見えますが、
舞台で見ている限りは、この赤の部分が、何となく、椿をイメージさせていて、
なかなか効果的だと思いました。
(『椿姫』は適当につけられた邦題ではなく、
デュマ・フィスの原作 La dame aux Camelias から来ています。)

また、ドレスの本来の生地の色は赤っぽい色なのですが、
アルフレードになじられた後に、床に打ち伏せるシーンでは、
ライティングの色に反応して、写真にあるような深い紫色になるのも美しかったです。




一場よりはこの二場の方がフレミングの役へのアプローチに破綻が少なく、
場全体としては一場より見ごたえがありました。

レヴァインの指揮については、一場が少しゆっくりに過ぎ、
逆にこの二場の、特に、アルフレードが博打を打って勝ち続ける部分など、
ややテンポが早すぎるような気もしましたが、
もちろんこれは私の好みの問題が大きいのは言うまでもありません。

オケは『レクイエム』に続いて、非常にクリスプで締まった音で好感を持ちました。
このテンポの問題を抜きにすれば、最もオケのまとまりが良く、出来が良かったのは
この『椿姫』だったように思いますが、それは『マノン』や『カプリッチョ』に比べると、
作品そのものが、それこそ毎年のように演奏されるメトの(もちろん世界でも)定番中の定番で、
オケが作品慣れしているということも無視できないと思います。

しかし、この二場の合唱シーンは何度聴いても泣ける。
泣けて、だけど、ガラにふさわしい華やかなシーンもあって、、なんて懐深い。
やはり『椿姫』は名作なのだ、と思い知らされるのでした。

後編に続く>

Giuseppe Verdi LA TRAVIATA Act II
Renee Fleming (Violetta)
Ramon Vargas (Alfredo)
Thomas Hampson (Germont)
Theodore Hanslowe (Flora Bervoix)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
Paul Plishka (Doctor Grenvil)
Kathryn Day (Annina)
Juhwan Lee (Giuseppe)
John Shelhart (A Messenger)
Conductor: James Levine
Production: Franco Zeffirelli
Costume Design for Renee Fleming: Christian Lacroix

Jules Massenet MANON Act III
Renee Fleming (Manon Lescaut)
Ramon Vargas (The Chevalier des Grieux)
Dwayne Croft (Lescaut)
Robert Lloyd (Count des Grieux)
Monica Yunus (Poussette)
Reveka Evangelia Mavrovitis (Javotte)
Ginger Costa-Jackson (Rosette)
Bernard Fitch (Guillot de Morfontaine)
John Hancock (De Bretigny)
Jason Hendrix (The Porter of the Seminary)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Jean-Pierre Ponnelle
Costume for Renee Fleming: Karl Lagerfeld for Chanel

Richard Strauss CAPRICCIO Final Scene
Renee Fleming (The Countess)
Michael Devlin (Major-Domo)
Conductor: Patrick Summers
Production: John Cox
Costume for Renee Fleming: John Galliano

Grand Tier Box Odd/Front
ON

*** オープニング・ナイト・ガラ Opening Night Gala ***