Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

HANSEL AND GRETEL (Sat Mtn, Dec 29, 2007) Part II

2007-12-29 | メトロポリタン・オペラ
第三幕

スクリーンに映し出されたのは、血が飛び散ったお皿と、食べかけのように置かれたフォークとナイフ。
観客の親子から、”やばいぞ!”という声が漏れる。

眠り続ける子供たちのそばに、露の精が現れる。
この露の精を歌ったのは、クックと同じく、リンデマン・プログラムのメンバーのオロペーザ。ソプラノ。
彼女は今期、『フィガロの結婚』のスザンナ役に繰り上がり大抜擢となりましたが、
本来は、まだ、今日のような比較的小さい役で経験を踏んでいくべき段階でしょう。
彼女の歌には、発声が乱雑に聴こえるときもあって、やや繊細さが欠けているような気がするので、
リンデマンのメンバーの中では個人的にはそれほど好みの声と歌唱ではないのですが、
無難にはこの役を歌い演じていました。


やがて、口を開いたおどろおどろしいスクリーンが現れ、オケの音楽が流れる中、
舞台の奥手から登場した、巨大なお菓子。
丁度、口の中で停止。




”きっと罠よ!”と警戒心を見せるグレーテル(さすが姉)を、
執拗な誘惑で説得し、一掴み食べさせるヘンゼル。
”さあ、あなたの番よ!”とのグレーテルの言葉に、やはりお菓子にパクつくヘンゼル。

すると、”私の家にさわったわね!”という声が。
びっくりして食べるのをやめる二人だが、もう、止まらない。
しかも学ばない二人。
”風の音、風の音”と、食し続ける。

これが、二人の恐怖の体験のスタートとなるのである。

やがて、魔女の家に招じ入れられる二人。
この魔女、メゾソプラノによって歌われるのが通例のようですが、
このプロダクションでは、ベテラン・テノールのラングリッジが担当。
男性が魔女役を歌うことで、大変面白い効果が出ていて、私は、よいアイディアだと思いました。

しかも、冒頭の写真で見られるとおり、素顔は非常に細面のラングリッジが、
ほとんどその素顔を伺いしれないほどの特殊メイクかつ詰め物により、
見事に太ったおばあちゃんに変身。
この魔女、お菓子作りが趣味。おいしいお菓子で子供をおびき寄せては
魔法にかけて、ぴちぴちの子供の肉を食べるのが趣味な、こわいばあさんなのでした。
しかも、こういう性別不詳、みたいなおばあさんってたまに存在するので、
このラングリッジが演じる魔女もちっとも不思議に思えないところが、
よく考えると不思議ではありませんか。



むりやり前掛けととんがり帽子を二人に身につけさせ、舌なめずりをする魔女。
しかし、むちっとした子供の肉がお好みの彼女は、
”ヘンゼルが痩せすぎてる!”とけちをつけだすのです。
グレーテルに、”あんた、ヘンゼルに肉付けする手伝いをしなさい!”と命令しつつ、
いきなりヘンゼルを捕獲し、手足を縛り付けて身動きがとれない状態にしたうえで、
自らお得意のお菓子の腕を奮い、得体の知れない食品を作り出したあげくに、
それを大きな漏斗が先についたホースで、無理やりヘンゼルの口に流し込みます。
このお下劣寸前に陥りそうなきわどいシーンを、救っていたのは、なんといってもラングリッジのハチャメチャぶり。
いい歳こいた、普段はワーグナーもの(指輪のローゲ役など)等、
(半)王様、神様系のキャラを歌っているベテラン歌手が、
粉まみれになって嬉々として歌い踊る姿は、痛快でもあり、恐ろしくもあり、、、。



誰か、彼を止めて。



また、こんな激しい振り付けにもかかわらず、歌の方も一切手を抜かない。
実際の細身の体からは意外なほど、しっかりとしたたくましい声で、声量も充分だし、
年齢もそう若くはないというのに、きちんとしたメンテナンスを怠っていない証拠、と感激させられました。

そして、ここからが、ヘンゼルとグレーテルのちょっとした成長物語になっているのです。
特にヘンゼル。弟、弟していたはずが、いつの間にか、
ヘンゼルが食べられそうになって恐怖におののく姉グレーテルを、
手足を縛られながらも叱咤激励、冷静に指示を出し続け、
最後、意外と詰めのあまい魔女が、オーブンを覗き込んだところを、
思い切り二人が後ろから突き飛ばして、あっけなく魔女を殺害。



これにより、魔法にかけられて、部屋に転がっていた、今まで魔女に連れてこられて
行方不明となっていた子供たちが、命を吹き返す。

生き返ったのはよいのですが、子供たちがいっせいに、
”目が見えないよ、視力をとりもどすには、
愛情ある誰かからふれられることが必要なの”と歌います。
憐れに感じたグレーテルが、子供たちに触れると、みんなが視力を取り戻し、
この体験で自分が得た力に、自分でもびっくりのグレーテル。
そう、もう二人は子供ではなくなったのです。

この子供たちの合唱は、声の響きはなかなか美しかったのですが、
高い音で音がややぺしゃり気味か?
でも、一生懸命にギョロ目の指揮者、ジュロウスキを見つめながら歌う姿に、
この演目の内容ともあいまって、これでいいのだ、と思わせられました。

最後に遅ればせながら、父ペーターと母ゲルトルートが到着し、大団円。

幕後に振り返ってみるに、ジュロウスキが引き出したかった音が
全部オケによって再現できていたか、といわれれば微妙な部分もあり、
それを指揮者のせいとするか、オケのせいとするか、は人により、意見もそれぞれでしょうが、
全体の演奏の印象は、悪くはなかったと思います。

子供たちもなかなか楽しんでいたようだし、大人にも見ごたえのあるセットデザインと、
シニカルな笑いを誘うユーモアのセンスで、
大人と子供、どちらの聴衆にも耐える演出を作り上げたのは見事。

作品についていえば、音楽は美しく、非常に聴きやすいですが、ただ、物語としての深みには少し欠けるかもしれません。
逆に、そのおかげで、いつもはオペラ一作品観るとぐったりとしてしまう私ですが、
今日は、気楽な気持ちで楽しめました。

オペラが小難しいと思い込んでいる大人と、子供たちには最良の入門編。
子供たちのために、と、必死になってがんばる上演にかかわった大人たちの姿が感動的でもあり、
メトから子供たちへの、贅沢な冬のプレゼントとなりました。

追記:コメント中でふれられているNYタイムズの記事はこちら
中央にあるビデオの欄で、ライブ・インHD用に収録された映像の一部が見れます。
ラングリッジのはじけぶりを堪能ください。

Christine Schafer (Gretel)
Alice Coote (Hansel)
Rosalind Plowright (Gertrude)
Alan Held (Peter)
Sasha Cooke (The Sandman)
Lisette Oropesa (The Dew Fairy)
Philip Langridge (The Witch)
Conductor: Vladimir Jurowski
Production: Richard Jones
Set and Costume Design: John Macfarlane

ORCH R Odd
OFF

***フンパーディンク ヘンゼルとグレーテル Humperdinck Hansel and Gretel***

HANSEL AND GRETEL (Sat Mtn, Dec 29, 2007) Part I

2007-12-29 | メトロポリタン・オペラ
本当に嘆かわしい。
私の記憶力の話である。

今シーズン開幕前、どの演目を観にいくべきかを審査した際
ヘンゼルとグレーテルは、落選寸前だった。
キャストがシェーファーとプローライトがちょっと、、なんて失礼なことまで言って。
しかし、私が全然好きになれなかったアーノンクール指揮、
ザルツブルク音楽祭でのぬめぬめした『フィガロの結婚』の映像
の中で、
唯一、シェーファーのケルビーノが良い意味で気になったので、突然見たいリストに浮上。
そして、シーズンの開幕以前にたった一枚発表になっていた恐怖のスチール写真のほかにも、
プロダクションの写真が徐々に出てくるにしたがって、鑑賞確定。

一ヶ月前、バーンズ&ノーブルで冒頭の写真にある、カラヤン指揮の全曲盤も入手
シュワルツコップ(1950年代を中心に活躍した
ドイツとオーストリアもののオペラと歌曲を得意とした大歌手。
上品なルックスで、『ばらの騎士』の元帥夫人などが当たり役。
ちなみに、私は、自分のお葬式で流してほしい曲は、大変ベタであるが、
彼女がセル指揮で歌ったリヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』。
このときの彼女の歌のような音楽に送られたら、オペラハウスで雑音をたてる輩やら
タクシーの運転手に喧嘩を売るような罪深い私でも、心静かにあちらの世に行ける気がする。)
が、嬉々として声まで違って聴こえるほどのりのりで少女グレーテルを演じているさまと、
カラヤンといえば通常思い出されるきんきらぴかぴかの指揮のスタイルになる前の、
堅実さも残しながら、ぴかりと光る指揮が素敵。
私はこの頃の彼のスタイルの方が好きなのです。
(カラヤンはこのヘンゼルの録音と同じ50年代に、カラスと組んだルチアでも、
気合の入った演奏を聴かせてくれます。)
シュワルツコップとグリュンマーのドイツ語も素敵、、、
とすっかり気分はドイツ!グリムの世界!と盛り上がっていたところ、
つい数日前、メトのサイトを見て、固まった。

sung in English

サング・イン・イングリッシュ、、、、?
って、英語かよーーーーーーっ!!!

昨シーズンの『ファースト・エンペラー』の時も実感したのですが、私、英語のオペラがどうも苦手。
正直言うと、ミュージカルもかなり苦手なのですが(例外はありますが)、
その理由の大きなものの一つが、英語で歌われる、という点にあります。
日本語で歌われるミュージカルを聴いて、違和感というか、気持ち悪さを感じられる方って結構いらっしゃると思うのですが、同じ感覚ですね。
英語はロックならOK,でもオペラは駄目!という激しい思い込みの持ち主です。

英語だなんて!
気分はドイツ!グリムの世界!が彼方に消えていくぅー。

しかし、その、シーズン開幕前の記事に、私自身がこう書いているじゃありませんか。

出た!英語のオペラ。危険度高し。

記憶力悪すぎ。

さて、なぜ、こんなことをくどくどと書いたかというと、
今日のこの『ヘンゼルとグレーテル』、予想に反してDavid Pountneyによる英訳がすばらしかったのです。
細かい部分の訳出を思い切って切り捨て、
各場面のキーワードとなる言葉を大事にしながらそれを軸に展開させつつ、
適度に英訳独自のユーモアも加えていて、大変楽しめました。
これ以上巧みに英訳出することはまず不可能なんじゃないでしょうか?
もちろん、自分が日常使っている言葉がオペラの音楽に載る、
ということから来る違和感は多少はあるのですが、これなら、ほとんど気にならない範囲です。

今日は演目のせいと、土曜のマチネであることが重なって、子供たちの姿がたくさん。
というか、ほとんどの観客が、子供たちとその引率係の親という組み合わせ。
むしろ、私のような大人一人で鑑賞組はわずか。
年齢の低い方は相当低くて、赤ちゃんの泣き声と思しきものが、途中聴こえてきましたが、
赤ちゃんにオペラとは、、、子守唄代わりか?贅沢。
チケットを手配した際、すでに平土間は二席しか残っておらず、
前から三列目の一番右端か、今日座った、平土間ど真ん中という選択で、
もともと平土間の息詰まるような窮屈さと、前に背の高い人に座られると一巻の終わりという恐怖から、
ほとんど三列目を選びかけた私ですが、予約係の女性が執拗に中央をすすめるので、
仕方なくそちらにして大正解。キッズが多いのが吉と出た。
私の前に座っていたのは、日本人の親子づれと思われる方の女の子。故に前方の視界が全開!!!
この状態だと、この席はこれ以上ないくらい良席です。

通常の幕の下に、薄いスクリーンが設置され、その後に続く幕を象徴するようなイメージがあらわれます。

一幕目は、真っ白い大きなお皿と、綺麗に並べられたフォークとナイフ。

なかなか評判が良いと聞く、1972年生まれの若いロシア人指揮者ジュロウスキは、
現在ロンドンフィルの首席指揮者だそうです。
見た目は目がぎょろんとしていてちょっと怖いですが、なかなか繊細な指揮ぶり。
オケからどういう音を引き出したいかということを表現する技術が巧みで、
そうかといえば、ほとんどオケにまかせっきりで、”あんた、さぼってんじゃないの!”と思うほど、
なーんの動作もない瞬間もあり、、。面白い。他の演目でも聴いてみたい。

さて、童話からの勝手なイメージから、まだ電化製品のない時代の、
ドイツの田舎の、森にほどちかいお家がヘンゼルとグレーテルの住まいかと思いきや、
今回の公演では、なんと、ヘンゼルとグレーテルの家のセットに冷蔵庫発見!
インテリアを見るに、なにやら1950年代を思わせる。

どうやら、お父さんはブラシのセールスマン(オリジナルのドイツ語版では箒の行商人)、
お母さんは会社勤めだが(オリジナルでは無職。というか、女性が仕事に出れるようになるのは、
ずっとオリジナルよりも後の話のはずだ。)
家族揃って、常に貧乏、という設定のよう。

グレーテルを歌うソプラノのシェーファー。かわいい!かわいすぎる!!!
多分、ライブ・インHDなんかの大画面で、顔のどアップなんかを見た日には印象も違うとは思うが、
舞台で見ているかぎり、本当の女の子みたい!!
彼女は身のこなしを含めた演技が非常に巧み。
もともと繊細な声質だとは思うので、メトでは少しボリューム不足に聴こえるのはさておき、
今日はそれに加えて、少し高音にキレを欠いていたように思えたのですが、
それを帳消しにしてしまうほどのこのかわいらしさ。

対してメゾのクートが演じるヘンゼル。クートは初めて聴いたので、
この役のためなのかを判断することが出来ないのですが、
独特の男っぽい、ドライな響きがあって、なかなか役にあってます。
この役は、高音のレンジで歌う箇所が少ないにもかかわらず、
声が不足しているように感じることは皆無でした。

最初の方の幕のこの二人が、いい味を出していて私は好きなのです。
すぐに親のいいつけを忘れて遊びほうける。ふざけて悪さをする。
でも、その遊び方、ふざけ方が、ど貧乏の只中にいるのをものともしないほど、
想像力に溢れていて、元気いっぱいで、非常にほほえましい。
親は辛い暮らしだー、食べ物欲しい、金欲しい、と不満いっぱいなのに引き換え、
彼らは結構楽しい生活を送っているのです。
ただし、いつも腹を空かして、がりがりですが。

さて、例にもれず、いいつかった用事もそっちのけでいつの間にか遊びほうける二人。
そこへ、母ゲルトルートが帰宅。
このゲルトルート役を歌ったプロウライト。でかい。異様にでかい(縦に)。
シェーファーが小さいので、余計に、私は、ゲルトルートが家の扉を開けて
部屋に入ってきたとき、竹馬か何かが足にくっついているのかと思いましたが、
履いているのは、普通のパンプスだけでした。
プロウライトの演技は、あまりにもお決まりの動作、といった感じで、
歌われている内容やその時の登場人物の感情ときちんとコネクトしていないのがきつい。
歌唱もやはりそれと似た傾向があって、表面だけ子供に対して怒っているような印象。

ただ、ここは演出的にはかなり面白い部分で、安賃金で働いて、苦労に苦労を重ねる母親の気持ちも理解せず、
遊びほうける子供たちに大切な料理も台無しにされ
(不注意により、ライス・プディングが入っていた容器もろとも破壊される)、
子供を家から追い出した後、自殺をしようと薬まで口にする、という場面で、
実は、世界中にこうした母親がたくさんいるに違いないことを思うと、
なかなか切ないシーンであり、プロウライトの表現力がもっと豊かだったら、と思わずにはいられませんでした。

また、このライス・プディングが駄目になる瞬間については、母親も一枚かんでいるので、
必ずしも子供だけの責任ではないにもかかわらず、
”苺をとってこい!”と、呪われた森に、夕方近い時間に二人を家から追い出すとは、
この母親、幼児虐待をも思わせ、怖いです。

ヘンゼルとグレーテルが呪いの森に向かった後、
ちょっとした幸運により、久しぶりにブラシや箒を売り切った父親が、
たくさんの食料を抱えて帰宅します。
父親ペーターを演じたアメリカ人のバリトン、ヘルドは、
私、メトでこんなに大きな声の人、聴いたことがない!と思うほど声がでかい。
というか、正直言って、うるさい。
大きい声だからいいってものではない、という典型例。
プロダクションとセットデザインも含め、主要キャストが全員ヨーロッパ人という面子の中で、
キャラクターも浮いていたのは否めません。
(アメリカ人だから駄目ということはないんであって、結局は彼の歌にまわりのキャストの人とブレンドするような
繊細さが感じられなかった、ということが問題なんだと思います。)

久しぶりのごちそうにしばし夫婦で喜ぶも、ペーター、やっと気付く。
”子供はどこだ?”

ここで、母親ゲルトルート、さりげなく嘘をつきやがるのです。
”さあ、知らないわ”
ひどい女!あんた、さっき、呪いの森に二人をやっただろうが!!

しかし、とうとう真実はばれ、いかに呪いの森が恐ろしい場所かをペーターに力説され、
二人を助けに行くことを決意するゲルトルートとペーター。
親として当たり前だ!早く出発しなさい。


ニ幕

深々とした森のセットで攻めてくると思いきや、大きな部屋の中に、
葉っぱで埋まった壁が二つ、長テーブルをはさむようにして、舞台の両側に立っているだけ。



その両方の壁に平行に、頭が葉っぱになっている男が並んでいます。



大変ユニークだと思ったのは、苺を摘む、ということを表現するために、
グレーテルが、この葉っぱ男の内ポケットを探ったりすること。
なんでこんなエア・プラントのような葉っぱから苺が出来るのか?
という疑問が湧かないわけではないが。

せっかくボールいっぱいになりかけていた苺を、またしても遊びふざけるうちに、
全部食してしまうヘンゼルとグレーテル。。。
(頭悪いんじゃないか?と思えるほどに、同じ間違いを繰り返す、
ここが面白くて私は好き。)

ここのカッコーの声が効果的。
そうそう、今日の聴衆はすばらしく優秀。このカッコーのシーンでは、本当に水を打ったように
静まり返ってました(赤ちゃんが泣いてましたが、まあ、赤ちゃんはしょうがない。)
ここだけでなく、みんな本当に各シーンを一生懸命見ているのが伝わってくる。
こんなに子供たちが多いのが信じられないくらいのマナーの良さに、
ますます他の公演日の大人の方のマナーの欠落ぶり(特に最近オペラヘッドの間でも観察される)が
許しがたく思えてくるのでした。

見る間に夜の闇が近づいてきて、帰り道がわからなくなってしまったヘンゼルとグレーテルが
おびえているところに現れるのが眠りの精。
日本語では”眠りの精”なんて呼び名でかわいらしいですが、英語ではsandman。
そのsandmanの言葉どおり、ものすごいおじいの特殊メイクで現れたクック。
全くご本人の顔の原型をとどめてませんが、実はこのクック、
リンデマン・プログラムのワークショップで、私が好印象を持ったメゾ。
本当はすごくかわいらしい人なのに、このメイク、ひどすぎる。
でも、歌の方は、あいかわらず、非常に繊細で、うっとりするような響きを聴かせてくれて、
とても嬉しかったです。彼女はやはりいいです!

眠りの精が、金色の粉を振りまくと、眠りに誘われていく葉っぱ男たち。
やがて、ヘンゼルとグレーテルも眠りの世界に。。

その眠りの中で、二人は、14人の天使に守られ、豪勢な食事まで振舞われて有頂天になります。



このプロダクションでは、14人の天使が、なぜか、コックのような格好をしていて、
しかも大きな面をかぶっていて、不気味。
ゴムで出来た大統領のお面、あれを思わせる怖さです。

また、この天使による晩餐会を取り仕切る執事がこわい。
いきなり床板を外して床下から舞台に現れるのですが、頭が魚なのです。
なのに、思い切り裾が長い燕尾服で、きびきびと取り仕切る。
私は、この魚の面をかぶったお兄さんが、嬉々として執事を演じている姿を見て、
これは何と贅沢なエンターテイメントか、と思いました。
いや、彼だけではなく、この舞台にのぼる全ての人 -お面のせいで、本当の顔が見えない人も含めて- が、
ものすごい全力で役になりきっているのです。
誰一人として、子供向けのオペラだから、と手を抜いている人がいない。
すばらしすぎます。
こういうのを見ると、感謝の念と、なんとNYの子供たちは恵まれているのか、と思ってしまいます。

余談ですが、デザイン画では、この執事の頭はワニだったのですが、
なぜ、魚になったのか、、気になる。

幸せな気持ちで夢を見続けるヘンゼルとグレーテルを舞台にのせたまま幕が降り、
インターミッションへ。

<Part II につづく>

Christine Schafer (Gretel)
Alice Coote (Hansel)
Rosalind Plowright (Gertrude)
Alan Held (Peter)
Sasha Cooke (The Sandman)
Lisette Oropesa (The Dew Fairy)
Philip Langridge (The Witch)
Conductor: Vladimir Jurowski
Production: Richard Jones
Set and Costume Design: John Macfarlane

ORCH R Odd
OFF

***フンパーディンク ヘンゼルとグレーテル Humperdinck Hansel and Gretel***