萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

柏原竜二(元東洋大、山の神)の先見力 出雲駅伝解説

2012-10-11 00:00:32 | スポーツへの想い
結果番狂わせと分かっている録画していた出雲駅伝を今録画したものを見ている。今4区。

東洋大、駒沢、早稲田の争いと見る向きがプンプン匂っている中で誰がいち早く”青山学院”というカードを宣告できるのかな?という厭らしい目をしながら。。。。見ているのだ。


表題通り、一位で2区を走っている中央の一年生を見たまんまに褒めた瀬古元S&B(その前早稲田。。。)解説員の後に、「この後の布陣を考えると、青山が一番いい位置につけている、優勝も有り得ますよ」といきなりドカっと自身が持つレース感をぶつけた発言をしてしまう柏原竜二。
正にその通りにレースは展開するのだろう。ニュースしか見ていない自分には、その結果しか知らないが、どう展開していくのかを見たかったが、それよりも解説者、実況アナウンサーの誰が波乱のままレースが終了することを明言出来るのか、しかもいつの時点でという興味で見ている。(最後まで見て書き加えるが、柏原本人が振り返りで口にしているように、青山学院の1・2区の健闘を讃えており、3区の大型ルーキーとアンカー出岐の力量から判断したことを口にしている。他の区間も区間新を含む常に上位を維持できるテンションは素晴らしい)

4区ではもう確信に近い解説や実況が何度も繰り返される。
見たまんまじゃん。さっきとかスタート前に青山を挙げる人はいなかった。
柏原は、青山の出岐選手の「駅伝で無名な大学を優勝に導いてやりたい」という野望を存分に理解しており、その凄味が覆う影響で全ての選手がいい意味でハイテンションを維持できている辺りを感じ取っているのは確かだ。
その解説は切れ味を増していく。もう柏原は何をいうんだろうか?というところに興味は移ってしまった。



レースの高速感、抜くための力量と起こりうるハプニングの確率、、、、

それらを踏まえてドーンとぶち込んでくる柏原竜二(元東洋大学最強陸上選手)の解説は意外というかレース感は現役以上の精度を持っている。


データが頭に入っているとしか思えない。解説に臨むのに現実をすぐに受け容れる柔軟さをなんなくこなしている。
贔屓を自分の出身大学に囚われない解説に邁進出来ている辺りも凄味が人一倍強い。

出雲の後は伊勢、その後箱根である。一号車に乗せるか、スタジオでレース感をフルに発揮させるポジションに導く局はどこが先だろう。。。。


柏原竜二、将来は監督だな。勝ち方にしっかりとしたタクティクスが溢れており、おそらく不測の事態が起きたとしても、修正してミッションを的確に言い当てて、選手をその気にさせることくらい朝飯前だろう。東洋大の選手の表情から走りをほぼ予測している。追いつかなければ連覇は成し得ないという焦燥感から来る焦りの表情を感じ取っていたかもしれない。将来の監督だな、こりゃやっぱ。


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我孫子駅 弥生軒 唐揚げそば(2個)を食す。

2012-10-08 06:56:00 | お出かけの記録
土曜日には前半と後半に用事があり、真ん中を海浜幕張のCEATECで過ごそうと思ったのだが、池袋よりこっちで昼前。最終的に夜の用事は池袋。。。

どうしようということになり、CEATECを断念し、急遽自分の行ってみたい店リストから我孫子の駅中立ち喰いそば、弥生軒の唐揚げそばを食べに行ってみることにした。


池袋に戻り、山手線で日暮里へ。特別快速なるものが駅にいたので、飛び乗ったら、日暮里から松戸、柏と直ぐに着いてしまった。
柏でホームに降りたら、川崎フロンターレのサポーター用ユニフォーム(レプリカ?)を着た人々が居る。。。

そうか、Jリーグで柏レイソルと川崎フロンターレがこっちで試合かぁ。。。
それを観に行くと帰りが間に合わない。。。

もういいやとなって次に着た快速に乗ると、我孫子駅についた。


「ぼくの働いていた弥生軒のおそば、おいしいよ。 山下清」という配膳口のところにかけてあるお店ではなくて、その手前のお店に入った(後で歩き回ったら、同じホーム内にもう一軒弥生軒があり、そこにそのプレートが見れた)。

店に入るなり、券売機に近づくと、唐揚げそば(2個)480円 と書かれた場所を発見。他にも色々とありそうだったが、唐揚げの文字に思わずそのボタンを押して券を渡して「そばで」とお願いした。

「1つのかた」と呼ばれる人がいたので、その方を見ると、なんと巨大な唐揚げがのっかったおそばをもらっているではないか!!

次が俺?茹でた蕎麦を器に移し、台の下のほうからごそごそと唐揚げをのせている。。。。デカっ!それ欲しいと思っているサイズの3倍くらいだわ!

まぁやっちまったもんは仕方がない。

ゴロっとした唐揚げでちょっと大きいとは思っていたが、ドカッ!でんっ!ってのをドンドンと2つものせられるなんて思ってもいなかったので、券売機をもう一度見直してみた。。。

そしたらやっぱり(1個)のものが380円で売っていることを確認。。。あれで十分だけど、まぁ頼んでしまったのは自分自身だ。
少し高いかな?と思ったら十分すぎる価格でのご提供。店には人が溢れかえっている。外で地べたに座って食べている学生もいる。


落っことさないように食べるのが大変でしたが、企画外に大きい品物ですので、慎重に食べてきました。
立ち喰い蕎麦屋さんでの滞在時間が弥生軒ほどかかったことはありません。それほど大きくて美味しいから揚げでした。


その日は上野に戻り、浅草に行き、法被の中にかけるポシェットを購入。
浅草から上野まではかっぱ橋商店街で物見をしながら上野まで徒歩で。
かっぱ橋商店街にはいくつかの蕎麦猪口を見かけて、「小さい。これだと小さい。」と呟きながら、結局再訪することにして後にしました。


上野ではアメ横を何往復もし、ミリタリーから香辛料、ベルトまでを手を出そうとして思い止まるという苦行を敢行。

自転車屋さんがあったので、そこで背中が蒸れないリュックの名前を頭に叩き込み、その場を立ち去りました。


お腹にはまだあのから揚げがゴロゴロしているような状態で池袋に帰還。

土曜日は元上司を囲みました。

日曜日は浅草で購入したポシェットをかけ、股引き、法被、足袋を履いてお神輿を何十年ぶりに担いできました。


今、肩が壊れています。腰も痛くて仕方がありませんが、心地良いくたびれ方でございました。
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まぁお互いにいい道を 浜崎あゆみ風のサングラスの意味を考える

2012-10-04 06:24:57 | 日々の疑問
朝からサングラスをかけた女性を見かける。

『朝っぱらからグラサンかよ。』とツッコみたくもあるが、「あれってもしかしてファッションではなくて小道具では?」と思うようになった。


以前「急遽会社を休むけど、説明はしなくちゃ」って、朝パタパタとやってきた女性社員。

うん?随分と雰囲気が違う・・・なぁと思っていると、「これでもファンデーションだけはしてきているんですよ」と怪訝な顔をしていたであろう私に、自分のメイク状況をお知らせしてくれた。すいません、そんなつもりではなかったのだけど。。。




目元に多くの時間をかけるのであろうメイクは確かに朝の一大行事だなのだろう。(知らないけど)それを回避する手段、それが浜崎グラスではないか?と最近思うようになった。

気取っているのではなくて、目元を見せない恰好としては確かに便利な浜崎グラス。


これからは、怪訝な顔などせず、肌の健康のためのノーメイク、それを見せないようにするグラサン。




とすれ違う人を思うようにすることとする。




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「十六の話」 司馬遼太郎著 二十世紀末の闇と光 井筒俊彦との対談

2012-10-02 01:07:24 | 推薦します!
前に書きました、大学の恩師がお亡くなりになりました。


家族での密葬とのことで、今週末には偲ぶ会を同期の間で開こうかってことに。。。

前に先生を囲んで集まった時には、まさかこんなに早く逝かれてしまうなんて。思いもしなかった。


先生を偲んで、緒方洪庵の話を読んでみたいと思っていたところに、十六の話が借りられることになったので図書館に受け取り、読んでみた。


「洪庵のたいまつ」というのが読みたかった話だ。

偉人洪庵、その生き様に学ぶことは多いが、どこまでも自分には真似が出来る話ではない。洪庵も恩師から受け取り、自分で大きく育てたたいまつの火を弟子一人一人に移していく。そんな偉業が彼の功績であろうと文章は短く結ばれていた。



そのまま最終章のコラム、二十一世紀に生きる君たちへを読み進む。

「二十一世紀にはおそらく私は生きていない。話し合えない、そんな君たちに」という文章は、どこまでも刹那な文章の印象だった。


そして、、、あとがきの後にある、「二十世紀末の闇と光」という、井筒俊彦との対談がとても心に残った。


井筒俊彦ってあらゆる言語が学びたくって、アラビア語を学んだ時の話が妙に熱っぽく語られる。

結局この言語を学ぶには、その後ろにあるイスラームを学ぶべきだという師の話を受けて、色々と深く切り込んでいくのだが、新しい師が来るというので、その師を家に招いたところ、本だらけの部屋に驚愕したというのだ。

どういう意味だと思います?

この本でどうするんだ?と聞かれたので、井筒は本を読んで勉強するんだと答えると、じゃあ火事になったら勉強できないじゃないか?と切り返されてしまったそうだ。
その後、お前旅行するときはどうやって勉強するんだ?と聞いてくるので、必要な本を持っていて読むと答えると、そんなのは勉強じゃない、お前みたいなのは学者じゃないと言われてしまう。
勉強とは基本的なテクストは全部暗記して頭に入れた上で、自分の考えを縦横無尽に走らせることこそが勉強だというのである。

その新しい師は本は一週間で必ず暗記してくるというのだ。恐るべし、イスラム学者!

そして言語の複雑さについても、アラビア語はとても難しく、書いていないことを読まなければいけないという、難解の上の次元の言葉なのだという。。。。近代語の中でもロシア語は少し難解なんだってさ。うううんんん。知らん。


そして、話は民族の数だけ争いが起きうる可能性が増えるという二十世紀末の混沌の始まりに、言語間の上位の言語を共有する必要があり、という意見の前に、最終的な文化の融合の前には大きな揺れのような時期が必要と、それが今だという結び(すいません、ちょっと強引)。遥かな融合を見る前にはどうしてもこう各地で乱闘騒ぎ、衝突が起きまくるの仕方がない、今は衝突する過渡期だ、だからこれを経ないとその上の次元に行き着かないという結論だった。。。利害ってどこかで一致するのかという次元ではなくて、もっと大きな物で結び付けられれば、尊厳という言葉が近いものだと思うけど、お互いをどこか敬虔な者として認め合うことが出来るというね。
無意識という禅のようなものが求めるのとは逆の、識、唯識、識ることを、でお互いを識るには、お互いの言語を覚え合うというレベルではなくて、メタランゲージの確立が必要という結論に至っていく。


この話の紆余曲折の中に出てくる、韃靼という単語と、空海という話が引っかかった。韃靼は韃靼そばの韃靼。タタール、モンゴルと何故かアラビアを結びつけた話が展開される。空海は、ドロドロした体系だっていない(無秩序の)ものから綺麗な結晶体のようなものを作り上げたと表現している。そこにはギリシアまでの思想の流れを汲んだとしか思えないような融合が見られるというのが書かれていた。


司馬の著作で、「韃靼疾風録」「空海の風景」に興味が沸く。
井筒俊彦の著作自体を知らないが、何か読めるようなものはあるんだろうか?探してみるか。。。

でも今、楠木正成は、後醍醐天皇、護良親王の挙兵に付き従って赤坂城で奇襲・奇策、常識を凌駕する争いに向かっていく。ところを読み進んでは他に飛び火している。。。


どんどん図書館に予約していた本が届くので、こなして返すを繰り返す。その中に楠木を捩じ込む。。。。
用意できている本をしばらく取りに行かないようにするか。。。
まだ心の準備できていないとか言い聞かせながら。。。


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家族みんなで自転車一周!

2012-10-01 06:13:40 | お出かけの記録
昨日は夕方から夜に台風が来るというので、午前の早い段階から行動にでる。
6時台に起きてきた息子を連れて、二人で近所のサイクリングに。朝っぱらなので、まだほとんど店の開いていない溝の口の繁華街に向かい、そこから高津駅まで。その後府中街道を川崎方面に上り(南下して)、いつもは走ってはいけないという道(狭くて車の往来が激しい)で帰ってきた。

いつもは朝早くから出来立てのお豆腐を売っているお豆腐屋さんも、日曜日は閉まっていることを学んだりした。


家に着くなり、9階まで階段を昇段。


疲れたーーー!と帰ってくると、家内から「アスレチックに行かない?」との提案。

疲れたばかりだったので、今回は結局パスすることに。

代わりに何か他のものと、提案を募ったら、台風が来るまでに帰って来れるサイクリングに行くという提案にみんなが乗ってきた。


多摩川を川下へ下って、丸子橋に行き、そこから東京側に渡って、多摩川沿いから一本東に並行して流れている丸子川の脇道を二子玉川まで自転車を漕いでみた。

多摩川のサイクリングコースではブヨが大量に発生していて目や鼻や口に飛び込んでくるのが鬱陶しかったが、丸子川の景観を家族で楽しみながらゆっくりと二子玉川まで漕いできた。


初めは二子玉川で食事と思ったのだが、最近の綺麗すぎる景観があまり胸にこない。


なので大山街道はあまり危険なので、二子新地駅の方から高津、そこから溝の口を目指すことにした。


だるま食堂(夜飲み屋、昼は定食屋)というお店が頭にあったので、そこに行くことに。


海鮮丼のご飯量が少なかったけど、今は糖質を抑える。。。。それにはピッタリでした。

一枚も写真を撮らなかったけど、また家族で安全な道を開拓してきます。




息子の自転車もそこそこ安心して見ていられる状態になってきました。

自転車の前に一脚でカメラを据え付けられるものって何かないかな?今度探してみたいと思いました。
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