萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

ハーバード白熱教室講義録(上) マイケル・サンデル

2012-11-30 07:05:39 | プチ萌え
哲学だったのか…。
でもこのレベルで問いかけを叩き込まれると、授業に引き込まれないわけがない。

色々なところでこのマイケル・サンデルさんの著作をみかける。
それを図書館に予約している矢先、新書で似たようなタイトルの本が売れていた。「ハーバード白熱日本史教室」北川智子著


実は立ち読みで、前半のその数奇な運命をみているような読み物を読んでもいた。

日本史は男ばかりが主人公じゃないのでは?という疑問でLADY SAMURAIはいるはずと、その観点で日本史を旋回させてやろうと臨んだその講義が好評を博し、大人気講座になっていったという面白そうな話だった。

続きは借りるかどうしようかと思っていたところ、というのも元々日本人の歴史観の中に『女性を主人公に置く』という不思議な風習があることに気付いていたからだ。

それはNHKを通した歴史観かもしれない。朝の連続テレビ小説では女性(ヒロイン)以外が主人公を務める話はほとんど見受けられず、大河ドラマにもその傾向がたまに見受けられる。
テレビは女性のもの?というか女性に支持を得ることが歴史物の特徴なのでは?と思うことも数知れず、そもそもこの歴史観が堂々と闊歩するテレビから来た印象ってのもどうなんだろう?と思っていた。

だから敢えてそういう着眼点でまとめられたものを読んでみたいと思っていたのだが、中村さんのところでこの本が妬みとも嫉みとも取れる部分でamazonで酷評されているというのだ。


どういう批判なんだろう?と思って読んでみると、どうもその一つはハーバード・白熱教室というタイトルがこのマイケル・サンデルの著作からの引用で、二匹目のドジョウ的な誤解を生むとかどうとか、タイトルだけでこっちのレベルを期待したけど…みたいな。

独断とか、今までにない歴史観?それでも明らかに侍・芸者・フジヤマ・忍者のレベルの極東に対する中世感に比べたら、とは思うものの…。

こちらはまた読めた時に読書感想文を・・・と思っています。


はい。それでは先に借りることのできた「ハーバード白熱教室講義録(上)」に話を移しましょう。

この講義の記録は対話で授業が出来上がっていくところです。

しかも見ていこうとするその段階での考えをベースとして、一旦とことん話し合い、次の設問でしっかりもうワンランク上のレベルでの話をする。
まず、どうだろう?意見のある人は?の問いかけに自分の考えを載せて喋るのだが、当時と同じ究極の設問に皆がしっかりとリンクして話し出している。まずはそこに授業の崩壊がないことが羨ましかった。予習が激しい人間がいて、すっごい後で出てくる考え方をぶつけてくるようなことはしない。


設問は大体こう。

①レールが分岐している手前でブレーキが効かなくなった電車。一方には4人。切り替え側に回避しても1人を轢いてしまう。この場合、どういう行動がいいと思うか?

②船が難破。4人で漂流。生き延びるために3人が弱った1人を殺して食べてしまった。このことに正義はあるのか?

③タバコ会社の費用便益の考え方の導入。人の命に値段をつけることはできるか?
他に、いくらで嫌なことを引き受けるか?という設問で得られた金額に正当性はあるのか?というものもあります。

④高級な「喜び」と低級な「喜び」。幸せを尺度に男子禁制だった女子寮が泊まる男性からお金を取るという決断をするまでの話。

⑤課税に正義はあるのか?ビル・ゲイツの時給は?落ちている100ドル札を拾うよりも高いという事実。不公平のバランスサー。税金の効能について。自主的な寄付を期待する?

⑥世界を救う新薬は知的財産権で守ってしまわれてもいいのか?

⑦政府の存在。コミュニティでの契約。徴兵制。アメリカでは南北戦争時代、徴兵制を敷いたが、市場のメカニズムで「代わりに行ってもらう」人を探せば、それで構わないとしたという。それこそ命の値段?貧しい人には実質の強制にならないのか?

⑧代理母出産後に産んだ子供を手放したくなくなってしまった母性。事前にどこまで予測できたか?全ては契約に則って子供は依頼者に戻すべきか?

⑨人を使うことはいいことか?悪いことか?道徳と行為の間にある考えとは?

ここまでがハーバード。

特別収録の東大での講義録は。。。

①3人の命vs1人の命。

②イチロー1800万ドルvsバラク・オバマ大統領 40万ドル。イチローの年棒って高すぎない?
この格差はあり?なし? 格差・所得・課税、富の再配布の意味。

③裏口入学で東大に入学するのは正しい?正しくない?


設問だけでもワクワクする。
全ての哲学は日常の中にあるという、しかも対話なしにそこでとった判断を共有することは出来ない。

判断には極端なものもあるし、もう一方側にも極端なものが存在する。
哲学とはそこまでに考えてきた、構築してきた判断の積み重ねであり、問いはいつまでも答えがでないが考え方や判断基準を変えてその時その時に下してきた解は存在するのだ。

だから、人の考え方が斬新だと思うと同時に、それでも抗いたくなるような気分になるということがあるけれど、多分それはその人の考え方のどこかのバランスが極端になっていることからの警告なのだと思えるようになった。

もちろん優先順位の違いもそうだろう。

下巻は予約してある。

下巻以外にも著作はまだまだある。繰り返しのことなのかもしれないが、一度読んだ本を今ざっと設問だけ抜き出してみたが、それでも全てが思い出せない。だから本当は所有したいとも思った。でも返却する。

また借りればいいからだ。

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