熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

北川智子著「ハーバード白熱日本史教室」

2012年11月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ハーバードの短期特講・日本史の「ザ・サムライ」と言う夏期講座を受けて、わんさと歴史上の「ある種のサムライ」が登場するサムライ文化を称賛する男ばかりの日本の歴史を聴いて、おかしいと感じて、とにかく、「Lady Samurai」がいた筈だと確信して、日本歴史の研究を志して、プリンストン大学で博士号を取得したと言う。
   幸い、20代最後に、ハーバード大学の東アジア学部のレクチャラーになって、「Lady Samurai」を開講したら、1~2人しか受講生がいなかった筈の講座がスパークして大人気を博して、学生が押しかけて来て、その上、ティーチング・アワードまで獲得した。
   その経緯や、著者が開講した「LADY SAMURAI」とアクティブ・ラーニングの「KYOTO」の講義の模様が、この新書に収容されている。
   実に爽やかで、彼女の語り口が正に痛快そのものである。

   早速、ハーバード大のホーム・ページをひらいて、Department of East Asian Languages and Civilizations,を見たが、既に彼女の名前はなく、
   英国ケンブリッジ大構内ののニーダム研究所THE NEEDHAM RESEARCH INSTITUTE, a centre for the study of the history of East Asian science, technology and medicine.に移っていて、更なる歴史学者としての研鑽を積んでいる。
   アメリカの大学者には、アイビーリーグなどとオックススブリッジとを懸け持って研鑽を積む人が多いのだが、やはり、歴史の研究では、大英帝国として一昔前に7つの海を支配して世界帝国を築いていた英国の歴史と伝統の重みとその成果から得られるものには、大変なものがあるのであろう。

   私にも、欧米生活とフィラデルフィアでのMBA経験があるので、多少は、著者の語るアメリカの大学事情や学問環境などが分かるので、この本を読んで、関心のあったのは、著者の日本歴史に対する歴史観なり考え方、そして、講義の内容などであった。
   読後に、念のために、アマゾンのこの本のレビューを見たのだが、非常に投稿者が多くて人気の程は分かるのだが、極めて評価が悪くて、悪評には参考になりましたかとの問いに賛成者が多くて、好評には反対者が多かったのには一寸意外であった。
   しかし、私には、特に悪評をするレビューアー自身の無理解と質の悪さがまず第一で、非常に偏見が強くて、それに、若くて青二才(?)の可愛い(?)学問経験の少ないヤングレディが突出しすぎている生意気さへの反発と、出る釘である人気者を叩き潰そうとする外野たちが、それに迎合して評価していると言った感じで、非常にさびしく感じた。
   この講座は、正に最初の試みで、それもハーバードと言う途轍もない大舞台での初戦であり、これだけの実力を見せる学者であるから、将来の成長発展が大いに期待されると言うべきであろう。

   中には、著者が、大学の専攻が、数学と生命科学で理系であり、それが、大学院で日本歴史学と言う文系に転向して学者になれるのかと言ったようなコメントがあったのだが、これは、アメリカでは、大学はあくまで教養過程に過ぎず、勉強は大学院でするものであるから、大学院には、(特にMBAコースなどでは多いのだが)畑違いの者が大学院で新しい専攻に変わって研究を続けるなどと言うのは、異例でも何でもなく、大学者にもそんなケースが結構多い。それに、欧米のトップ大学の大学院教育の学問水準の高さと質量における広さ深さは桁違いであり、著者の学問研鑽努力は並大抵のものではなかった筈である。
   むしろ、理系と文系両方を勉強したと言うダブルメージャーの経験があると言うことは、学者として願ってもないキャリアと言うべきであろう。
   これは、企業経営にも言えることで、大学で理学や工学を勉強して、大学院へ入ってMBAを取得するか、あるいは、その逆と言ったΠ型の経営者は理想的なケースと考えられている(尤も、人として資質が必須条件だが)。近年、工学部で経営学への傾斜でMOTが重視されているのも、その辺の事情である。

   さて、実際の授業の「LADY SAMURAI」だが、大学院を終えた新米の学者が、初年度で、これだけ豊かで充実したプログラムを組んで、秀吉の正室ねねなど突出した日本女性を歴史の表舞台に引き出して、秀吉など為政者のペア・ルーラーとして「LADY SAMURAI」を語りながら、日本歴史を別な新しい視点から甦らせると言った快挙は、正に、特筆に値する。
   

   ねねが、大名やその妻女たちに送った書簡やフロイスなど宣教師の書いた文書などをも紐解いて、歴史の裏面・深層にまで分け入っており、
   「一般的に、守護大名とその本妻は、「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として考えられていたために、女性にも政治に介入できると言うより介入せざるを得なかった。」との仮説を立ち上げている。
   戦国時代末期の武士の上流階級の女性は、直接戦うことはしなかったが、本妻たちは本妻らしくペア・リーダーとして、また、側室は側室で斬首されるなどサムライらしい最期を遂げることで、Lady Samuraiらしく生きた。と言う著者の見解なり歴史観には、異論なり色々な見解はあろうが、非常に斬新な切り口で日本歴史に挑んで、問題提起をした功績は大きい。
   異論反論は当然であろうし、白紙の状態からアメリカで日本史を学んだのであるから、むしろ、アメリカなり欧米の日本歴史学に対する実像虚像を垣間見せてくれたのでもあるから、はるかに、そのインパクトは大きいのではなかろうかと思っている。

   歴史学には、詳しくないので、偉そうなことは言えないが、政治や、経済や、文化や、社会や、視点の置き方によっていくらでも史観が変わるであろうし、第一、正確な真実など把握不可能であろう。
   現実にも、私が大学時代に学んだ日本史と今読んでいる日本史とも大きく変わっているし、私の専攻分野の経済史(特に経済発展史)や経済学史などの変わりようなどは、激しくてついて行けないくらいである。
   歴史学に、もとより、決定版などある筈もないし、固定観念に凝り固まった日本歴史に、新しい史観や思想・哲学を注入して新風を吹き込むことも大切であろうし、そのようなクリエイティブかつイノベイティブな試みによって歴史学が発展して来たのではないかとさえ思っている。

   ところで、日本でも、ねねやまつ、政子、篤姫など、傑出した女性を主人公にした小説やTV・映画などあって、何も、女性を無視した歴史認識などしていないと言う反論もあったのだが、これらは物語の世界であって、全く、著者の考えているLady Samuraiとは、次元の違う話である。
   とにかく、洋画の世界で見た日本女性(中国人スターが多い)しか知らず、全く、時代遅れの日本歴史観や日本人観しか持ち合わせていないアメリカの学生たちに、派手なサムライの世界だけではなく、サムライとLady Samuraiとがペアになって日本の歴史を作ったのだと語ることによって、サムライで完結していた日本史を超える日本史概論を大きな物語として語ろうとした著者の試みは、称賛に値する。

   さて、もう一つのアクティブ・ラーニングの「KYOTO」は、現在のICT技術を駆使した壮大なプログラムで、正に、理系文系ダブルメイジャーの著者の面目躍如たる授業であろう。
   京都にタイムトラベル。1542年から1642年まで100年の京都をテーマにして、歴史事実と向かい合ったうえで、京都の歴史地図を描いてコンパクトにまとめ、その後、学内のスタジオを活用したラジオ番組作りや動画作りに進むのだが、自分の責任でラジオの番組や動画を作らねばならないので、きちんと史料を読むことや講義の受講は欠かせないし、その作品を校内向けに発信する。最後は、大学のメディアセンターでの4D映画での仕上げで、グループ作業でタイムトラベルを4Dにして、それも本人が必ず出演する作品をしあげて、再び、学内のWEBに流すのであるから皆が見るので手が抜けない。成功者は、YouTubeに登場させたと言う。

   1542年から1642年と言えば、織豊時代の初めから、家光の時代で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が活躍した時代であり、京都にはポルトガル人宣教師たちが訪れるなど国際色豊かな時代であり、日本の歴史の中でも、政治経済、文化文明的にも一番面白い活気のある時代であったから、この時代を徹底的に勉強して、自分自身がタイムスリップして、その時代の人間として、ラジオの実況や自作自演の4D映画まで作り出して公衆に披露すると言うのであるから、見上げたものであり、この授業から得た学生の知識教養なり日本観に対する理解などは、計り知れないものがあろうと思う。

   最後に、著者は、「海外で教えられる日本史は、それ自身がいわば「外交官」的役割を持っています。」と言う。
   軍備無き(?)ハードパワーの欠けた日本の国威発揚は、ソフトパワーをフル活用することが必須であり、最近の日本軽視日本無視の世界的風潮を跳ね返す意味でも、この著者の言を肝に銘じるべきであろう。
   著者は、ハーバード大学の日本学に対する水準の低下と極めて低調な学生のアプローチについて語っているが、これこそ、日本の国際社会における最大の危機として受け止めるべきであろう。
   北川現象に対して、日本歴史学界やその道の権威筋などの反発や反論があったようだが、それならば、自分たちの説く日本歴史学の真髄の世界へ向かっての発信力の無さ、無力さこそを恥ずべきであろうと思う。

   私自身は、近年稀にみる熱狂的な敢闘魂に燃えた若人である著者北川智子さんの快挙を、日本人として大いに誇るべきだと思っている。
     
   
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1 コメント

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私も読みました (本のソムリエ)
2013-04-04 20:28:28
今はケンブリッジなんですね。

アマゾン評価は差が大きいものですが、私は評価しました。

どんどん活躍してほしいですね。

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