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の・ようなもの 「そうだったのか!中国」読書感想+α(サマリー)

2015-07-30 05:54:32 | 日々の疑問
「そうだったのか!中国」の中で出てくる毛沢東の考え、人類は必ず資本主義を経験し、それをし尽すと共産主義に行き着くという考え。

その資本主義政策を3年行い、もう十分その時期を果たして、共産主義国家を樹立出来るとし、それに踏み切った。で、ほぼ今の形がある。ちょっと違うかも知れないけど。いやいやちょっと待って!その3年で十分という部分…。何年やれば十分かは分からないけど、問題は山積しているし、まだまだ積み上がってる。

気付いたというか、この毛沢東の考えをこう単純にしてくれたおかげで、なんとなく意味が分かってきた。いや今の中国がいいか悪いかとか、好きか嫌いかという意味ではなくて…。


多分、資本主義が経なければならない様々な試練は全て経験しつくし、その果てを目指して今がないわけにはいかない。エヴァンゲリオンの人類補完計画にも似た何かを感じ取ったわけだ。


資本主義、グローバリゼーション、利潤を求めて行き着く先は、世界の末端までその労働力価格の安い場所がなくなるまで拡がる。

その進行中には、色々なことが起こる。マルクスが危惧していた生産過剰による暴落やら、恐慌などもしっかり起こる。計画で行っている必要もないのに、自然とその過剰感が値段に現れ、供給が需要を満たしてしまえばしっかりと企業の淘汰が起きる。現時点では、不祥事や事件も普通に今なお起こり続けているがそれは途中・中途だからである。

先行者利益は確実に被淘汰を受けることを繰り返すに決まっており、同じことだけをしていれば、確実に均される(ならされる)軌跡に収斂していくので、この主義の中では、突出することを繰り返すが確実に2番手にもおこぼれがあり、贋物が出てきてということを何億万回というサイクルの果てに、最後は本物しか許されない状態に近づくのではないかと思わされる。既存の技術は洗練され尽くすのである。

それは結果老舗でも新興企業でもいいんだけど、中途なものは排除されるはずである。

の・ようなものは淘汰され、それぞれの世界で一番のものだけが残り、純粋な分業がもたらされるはずなのだ。それが完璧な共産という考えなのだろう。とか色々考えさせられたのである。


池上彰さんは、多分何もかも分かってるのね?
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