萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

天才を名乗る女性(ひと)との遭遇 jump to 絲山秋子の著作

2012-02-18 11:32:41 | プチ萌え
これもひとえに田中慎弥、芥川賞受賞会見のおかげである。意識すると止まらなくという私の悪い性分。(気にしすぎると今度は急速に冷めていくという部分も併せ持つけど)


町田康以来、小説を読み耽っている。(歴史小説、紀行文以外)


実はこの前購入した田中慎弥「切れた鎖」は途中で潔く断念。
これからは絲山秋子に飛び移ることにした。


純文学、川端康成賞受賞の田中慎弥「切れた鎖」、蛹までは面白く読めたのだが、表題作「切れた鎖」は表現は面白いものの、内容が辛く読みにくいので、早々とだが置くことにした。


執着すると時間がもったいないのだ。田中さん、ゴメン!

読んでいて楽しくないのであれば、理解しようなどとはせずに潔く置くことに決めた。



でも、文藝春秋は購入したので、受賞者インタビューはとりあえず読み、田中慎弥の「もらっといてやる」の真意をよく理解することができたし、他の受賞者への影響も考えると、少しばかり反省もされていることについても、芥川賞にまつわる舞台裏もなんとなく理解できた。
このまま掲載されている芥川賞受賞作2作品(共喰い、道化師の蝶)を読むことも可能なのだが。。。。。

ここで切れた鎖と同時に購入した「イッツ・オンリー・トーク」にまずは飛び移ることにした。
飛び移ることにした絲山秋子著「イッツ・オンリー・トーク」。まるで読んでいないのに、なぜ「プチ萌え」カテゴリーなのだと思われるだろうが、絲山秋子のサイトの中に、「絲山秋子」の天才宣言なるものを見て、痛快に感じたからだ。

”天才”という表題を持っているものの、書いていることは「自分には才能はあると信じます」という文のみがあるだけで、評価に媚びずに書いていきたいという意気込みが書かれているばかり。


インタビューの中でも音楽が好きらしく、音楽好きの純文学作家。



またいつか感想が生まれれば、ここに掲載していきます。
コメント

メールって怖ひ。。。。

2012-02-18 05:28:54 | Weblog
このブログもそう思われていることもあるかと思うんですけど、、、、

日本語で書かれた文章って、どこか怒っているように思えるような文面になることが多いんです。
最近、ニュアンスがどうも伝わらなくて、メールで切れられたような文面を見させらると、どうしちゃったんだろうって思っちゃいます。そういうことを考えていると、改めて自分の文章もどうかとね。思うわけですよ。

メールってやっぱりどこか本当のニュアンスだけは伝わらないんじゃないかと。。。。
会話のような双方が作用しあって醸しだす相互理解の部分がないからなのかなぁ。

冒頭にも書いたように、私の書いているここの文章も怒って書いているような印象が多いのかも知れないと読み返して思うことも多いのです。。。。云って置きますけど、かなりニタニタして書いていることの方が多くて、ってこっち側が見えるわけでもないので分かりっこないですよね。。。。


こういう部分が難しい。実際、メールコミュニケーシュンの達人たちは、あの顔文字や絵文字で、そのニコニコ度合いを伝え合っていったのか!と思う向きさえもあります。

特に文字数制限がある場合、文章を簡潔に書くため、曖昧さのある、めだって長くなる表現を断定・体言止めなどにするなどの手段を採ると「キツく」なる。。。。あれに似ているのかな。話す言葉>書く言葉だから、その短さゆえにキツくなるのかとも思うし。。。

じゃあどうするべきか。

私なら、そんなメールをだしたら、相手のところに出向く。
顔を見合わせて、目を見てメール内容にフォローをかけないと、どういうスタンスで書いたのか、相手の気持ちを慮ったなんて絶対伝わらない。

メールではないけど、会議場で発言した後、その場では手短にしか伝えられなかったので、どうしてそういう質問をしたのかを後でフォローして周ることだってする。

メールの場合は実際、怒っていることもあるけど、それだって文章で投げっぱなしジャーマンみたいなことをしていいわけではない。遠隔地なら電話だっていいわけである。声のトーンで真意を伝えないのは、そういうメールの場合、正直危ないからだ。


だからメールしか渡せないならば、長く書いたり、短い方がより伝わるかを推敲したりする必要さえある。


でも、最近受け取るメールは本当にキツい。。。。


意味が通じません、日本語になっていません、無責任ではないか、私にはそれに対する考えはありません!、、、などなどの言葉の羅列はメールだけで書いて「いい場合」と、「そうじゃない場合」があると私自身は思う。どう受け取られてもいいというのだろうか?それはそれで受け取る私に対する冒涜なのではとも思う。


なので、業務的にはメールを送ったら、出来るだけ歩いていって真意を伝える作業を欠かしちゃいけないと思います。


こんな狭い空間なのにそれさえも出来ないなんてことはないようにしたい。


メールというものが、気弱な人が「一方的に言い放てる便利なツール」になんかしちゃいけないんだと思う。気弱なら(相手のところに出向いて真意を伝えられないくらいなら)、メールなんかでそういうことを書いちゃいけないし、書くなとも云いたい。


でも相手にそれを求めるのは。。。。。していかなければいけないんだろうなぁ。。。。
だって自分が目指しているのは・・・・そういうわだかまりがない、意思疎通に不都合がない、翻って云えば、云いたいことがちゃんと云える(マナー前提)状態なのだから。



業務的な愚痴でございました。トホホホホ。
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