MA by So Shi Te 

南青山のインテリアショップ MA by So Shi Te のブログです!
毎日の出来事を綴らせていただきます。

生きるというのはどういうことでしょうね。

2016-03-02 18:25:02 | Personal
何だかタイトルだけ読むと四朗大丈夫?
 なんて思われてしまうだろうと思い
 今までブログでは書かなかったお題。

特にそんなに悩んでいるわけでもないのでご心配なく。
 ただ40を過ぎるとたまにふとそんなことを考えるようになったりするわけです。

前にもチラッとそんなことを書いた気もするけれど、
 その時にも友人に大丈夫?なんて言われましたね。
 先に言っておきますが大丈夫です。
 頭も大丈夫だと思いますw。


この美しい地球に様々な生き物が生まれ、
 そして漏れなく全てが死ぬわけです。

漏れなく当たると言われると嬉しいけれど、
 漏れなく死ぬと言われるとなんだかがっかりw。

どんなにお金を蓄えても
 その蓄えで300歳まで生きることはできない。
 必ずお迎えは来るもの。

その死ぬまでに生き物は新しい命を宿し、
 新しい命もやがて死ぬという工程を繰り返します。

何のためにそれらの生き物は生まれ、
 そして何のためにこの世で一生を終えるのか。 

生きる理由はなんだろう。
 何だと思います?

いくら考えても答えなどは無く、
 正しい一生など勿論無い。

自分が死ぬ時にはどうであって欲しいだろう。
 
時間は皆平等に経過し、
 そして終わりの時期はそれぞれ違うけれど
 同じ時間軸でこの世を過ごす。

ぽーっと一生を過ごすのもありなわけで、
 仕事に没頭して一生を過ごすのもあり。
 別にどれが正しい人生であるかの問題ではない。

ただ自分がどのように一生を終えたいかというのは自らの意志で決められ、
 その終え方を思い描いてその過程を自らの手で作っていくのが人生。

この世に生まれてきたからにはお金は必要で、
 お金が無ければ残念ながら生きることができ無い(勿論例外の民族などはいるけれど)。

しかしそのお金も沢山あるからと言って幸せは確約されず、
 必要以上のお金を得てしまうとその人の人生をも狂わし、
  そしてそのお金に集る人々に悩まされることだろう。

砂糖にアリが群がるように
 お金には人が群がる。

お金で買えないものは無いと言う悲しい人もいるけれど、
 お金では決して幸せは買えない。

お金では物理的な物は買える。
 サービスも買える。
 しかし人の心までは買えない。

お金で買えるのは刺激であって、
 その刺激は薬物のように効能が大変短い。
 その為人の欲は尽きることが無く、
  自分で制御をしなければ欲に溺れてしまう。

そう考えるとお金というのは重要だけれど、
 人を幸せにする力は無く、
 幸せだと感じる力は自分の感性によるもので、
  その程度でも幸せだと思える精神力が必要な気もする。

どんなに金持ちになったとしても、
 そしてどんなに権力を得たとしても人は皆死ぬ。

そう考えると権力を得ることも金持ちになることも無意味なことに思えてくる。

東日本大震災以来稀に見受ける人種がいる。
 楽しんだもの勝ちで自分の快楽、楽しみを優先したもの勝ち
 みたいな人種。

そのような人種に会う度になんだか寂しい気持ちになる。

人はいつ死ぬかわからない。
 だからそう思ってしまうのも分かる。

でも何かが違う。

人は自分ひとりだけでは幸せになれない。
 他人の不幸を感じて自分の幸せを感じる人もいるかもしれない。
 ただそのような感情は永遠には続かない。

幸福は他人と分かち合うことによって増幅され、
 他人を幸せにすることが己の幸福も得られるもの。

自分さえ幸せであれば良いという考え方は成立しない。
 なぜなら内向きな幸福はお金と同じように幸福への欲求は増幅するばかりで、
 益々貪欲な人間に陥ってしまう。


権力を得ることを目的とした政治家をテレビで見ていると、
 この人は何をしたいんだろうと思ってしまう。

米大統領選に不動産王が出馬して人気を得ているけれど、
 何故にこの人は残りの人生では使い切れない程のお金を貯え、
 こんなことに時間を浪費しているのだろうと考えてしまう。
  まぁ得るものは全て得てしまっただろうから、
   米大統領になり歴史に名前を残すという事が目的なのかもしれない。

あの人は本当に米国や世界のことなどは考えていない。
 なぜなら彼はそんなことを考える必要もない程豊かだから。
 
人並み以上にお金を得る人は必ず陰で悪事を働いている人。
 私利私欲に満ちた人でなければ不動産王にはなれない。

そんな私利私欲に満ちた人間が人の為に人生を尽くそうなどと考える筈がない。

最近あるイタリア人の男性がお店によく来てくださる。
 もう60過ぎの方。家族をイタリアに残し仕事に没頭する彼。
 日本にいるときには各地で仕事をこなし、
  空いている時間があると弊店へいらしてお話をしてくださる。

彼が言うには自分の役目は今までの自分の得てきたものを後世に伝えていくこと。
 それが彼のライフワークでもあり仕事。
 
勿論家族の為にも仕事をするだろう。
 それなりに裕福な暮らしをされているので自分の為にも仕事をするだろう。
  そして後世の為の仕事も忘れない。


みかんの木は美味しいみかんの実をつける。
 その実は鳥や人間などの他の生物の食物となり他の生き物を生かす。

しかしみかんの木も他の生き物を生かすためにだけ実をならすのではなく、
 もともとは実の中の種を残すことが目的であり、
 実は地面に落ち次世代に遺伝子を残す種の栄養となる。

自らが動けない分、他の生き物に食べてもらい種を違う土地に運んでもらう。
 その為に実は美味しい。
 何て賢い生き物なんだろう。


箱に入ったみかんは、時には箱の中で数個腐ってしまい、
 腐ったみかんをそのまま放置すればその他のみかんもそこから徐々に腐っていく。

組織の中には必ず腐ったような人間も必ずいるように、
 その腐ったような人間は周りの人間をも時には巻き込んでいく。
 
その為 腐ったみかんはできる限り他の物と引き離さなければならない。

しかし腐ったみかんも考えようによっては肥やしとなり、
 次に生まれてくるものの堆肥となる。
 捨ててしまえばただのゴミ。
 腐ったみかんも使いようによっては生かされる。

腐った人間も同じ。

木々が死ぬとそのまま土にかえり、
 そして次に生まれてくるものの栄養となる。

人間も自ずから後世への良い養分となる努力が必要なのかもしれない。
 そしてその養分を惜しみなく後世に残すこと。

次世代への橋渡し。

生き物の命を与えられる意味はもしかして次世代への伝承か。
 そのために栄養を貯えそしてこの世を去るときにその栄養と一緒に次世代に残すこと。

稀にこの世で得た全てをあの世に全て持っていくなどという気違いじみた輩がいるけれど、
 そのような人種の残された者達は決して報われない。

技術の進歩は一世代で成しえたものではなく
 何代にも渡り受け継がれてきたもの。

この世に生まれてくる理由は
 一生をかけて学び、そして様々なことを得てそれらを後世に伝えることなのかもしれない。

決して自分の為だけに生きる人生になってはならない。
 
自分の一生も人の役に立ち
 そして後世に伝えていける人生で、
  この世を去るときには人に惜しまれながら死にたいものですね。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木のおもちゃ 親子車 くじ... | トップ | 鯉のぼり と 錦兜 真工藝... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Nieves)
2016-12-02 19:23:36
仕事上 たくさんの方々の 死に接して来ました。
お金があっても 家族は見舞いすら来ない人
認知が進んで 誰が誰かもわからない、食事も排泄も全介助という状態でも 毎週必ず誰かがお見舞いに来てる人、お金も家族もない人など
---- でも 死は訪れます。

私は家族全員をすでに見送りました。若いのに いきなり レアなタイプのガンで 命を取られてしまった母や あまりものショックで自らの命を絶った妹 そして あと4日で退院して家に帰れるという時に急死した父-- 何のために 生かされて どうして そんなことになるのか-- 私には わからないのです。そして 自分もどうしてこれだけの体験をしないといけないのか --- 生きることの意味がよくわからなくなります
返信する
Nieve さん (mabysoshite)
2016-12-02 20:36:32
コメントをありがとうございます。
人生には正解もなければ目的も無い。でも生まれてきた理由は2人の個が愛し合い、産みたいという想いが形になったもの。場合によっては望まれない生もあるかもしれないけれど、大部分は望まれて生まれて来たこと。生まれて来たことによりこの世の様々な事を体験することができて、それが必ずしも幸せに満ち溢れたものでは無いけれど、悲しくて辛い経験が幸せの感情を作り、人をより一層磨き上げる気がします。辛い思いをすると人は優しくなれる。人の辛さを知っているから。でもその辛さの解釈により人はどうにでもなる。
天災でも人は死ぬもので、戦時中ならば人も動物のように殺されます。幸い日本は平和な時代でその事は何にも代え難い幸福なことですが、それが当たり前と感じるか奇跡と感じるかで受け取り方も変わります。
生きることは決して幸せな事ばかりではなく、それも人生。幸せに見えても闇を抱えているものです。
人は1人では幸せになれないんです。お金も同じ。人と分かち合い人が満たされると自然と自分も満たされるもの。己の幸せを追い求める人間は一生幸せになれない。何故なら人間たにち欲は底なしだから。
幸せな人生は人を幸せにすること。でも人それぞれの人生に正解は無く、どう生きようがその人の勝手で他人に迷惑をかけていないのであれば、他人がとやかく言うことでもない。
人生は自分で作る物語。どう生きたいかはその人が判断すれば良いものですかね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Personal」カテゴリの最新記事