10月9日、東京都の東京都町田市議会がGoogleマップの「ストリートビュー」についての規制や法整備を求める「地域安全に関する意見書」を採択した。
Impress Watchの記事
「ストリートビュー」法規制検討を、町田市議会が政府などに要請
個人的には、今年の8月28日に開催されたMIAUシンポジウムの議論において、主要な問題点は既に出尽くしたと思うので、特に情報技術と社会との関連やプライバシー問題という立脚点で独自の意見を述べることはない。
Impress Watchの記事
「ストリートビュー」はどこが問題か、MIAUシンポジウムで議論
あえて言うなら、松代個人はシンポジウムに参加したOpenTechPress主筆の八田氏とほぼ同じ意見であり、特に地域安全に対する問題に対しては全く同意見だ。
むしろ、プライバシー侵害を懸念する主婦連合会の河村氏が「すごく卑近だが、『あの子の家はどこ、こんな車に乗っている』というのが人を傷つける。そのようにして世の中が住みにくくなるのは、わかりやすいデメリットではないか。」との反対意見を述べた点について、地域の住人は当然のように『あの子の家はどこ、こんな車に乗っている』事を把握しているにもかかわらず、地域の住人なら人を傷つけないが、ストリートヴューは人を傷つけるとの認識が自明であることにものすごい危機感を覚える。
意地悪く言い換えれば、近所づきあいのない引きこもりだろうが、小汚いアニオタやエロゲオタだろうが、あるいは不法滞在の外国人だろうが、同じ地域に住んでさえいれば毎日のように近所をはいかいして、その挙句に『あの子の家はどこ、こんな車に乗っている』事を把握していても、そしてそのことをブログやサイトにアップしても人を傷つけないけれど、数ヶ月に1度かそこら巡回するストリートビューカーは(そしてストリートビューは)大いに人を傷つけると、そういうことになろう。
また、町田市議会においてはMIAU等での議論を全く無視して議論を進めた形跡があることについては、たとえ地方議会といえども立法者としての職務を全うしていないのは明らかであり、市議会議員らの怠慢を強く非難したいと思う。
さて、この意見書における本当の問題点は、以下の第4項にある。
4)個人や自宅等を無許可で撮影し、無断で公開する行為につき、都道府県迷惑防止条例上の迷惑行為として加えることを検討すること。
これって、そもそもストレートに日本国憲法に違反するし、街頭で写真を撮影することそのものを禁止するのと同義でもある。
今のところ、この点についてストリートフォトをテーマにしている作家氏や写真愛好者たちが公に何がしかの発言をしたり、あるいは立場を表明した形跡は見当たらない。非常に残念なことではあるのだが、このブログエントリでも皮肉られているように「非アダルト系写真家の表現規制に対する意識の低さ」はちょっとびっくりするものがあり、なにかアクションを起こすことは今後も期待できないだろう。
自分自身は街頭に出ていた、あるいは公道から見える場所に存在していたからといって、必ずしもプライバシー権を放棄したとはいえないという考えにも一定の理解をもつものの、プライバシーという個々人の認識が大きく異なる権利を尺度として、事実上「個人的な快不快を条例なり法律という形で万人へ押し付ける」かのような町田市議会の意見書には絶対的に反対だし、また可能な限り抵抗していくつもりだ。
まぁ、正直言ってWEBでは町田市議会の意見書に賛成する声ばかりが鳴り響いていて、行動を起こす前からもぅすっかりうんざりでもあるんだけどネェ~
自分自身については、被写体となる人々の不快感についても共感するところがありますし、また写真愛好者のマナーについても不快に思うところが多々あるので、このような展開になってしまったことについては、ある意味「自業自得の自己責任」と思うところすら、全くないというわけではありません。
しかしながら、その点を加味してもなおこのような議論の進め方はあまりにも一方的ですし、また立法者が選挙民に媚びるかのような姿勢も垣間見えるところすらあります。
難しい問題ですが、法律とは何なのかという問題も含め、この国の民度が問われていると思います。
ご意見に全面的に賛同します。
街中でカメラを持ち、スナップ写真を撮影するだけで、犯罪者扱いされない昨今の風潮を危惧しています。
このままでは、写真文化自体が消滅しかねません。
ブレッソンのパリ、土門拳や木村伊兵衛の下町、ウィリアム・クラインのニューヨークやロバートフランクのアメリカ、森山大道の新宿・・・
こういった写真はもう撮れないのでしょうか?
日本国においては基本的人権のひとつとして自由権が保障されており、
写真撮影に関しては、被写体側の肖像権等の権利がとともに、撮影者側の表現の自由とのバランスにおいて議論されるべきですが、被写体側の権利(不快感など)のみが主張され、表現の自由からの主張がほとんど考慮されていないように思います。
この件に関して、撮影者側ももっと積極的に主張していくべきだと思うのですが・・