本音はどうであれ、なんとも素晴らしい受け応えをする人がいる。
心が綺麗なんだよ、きっと。
かたや、できることをやらない人達がいる。何度かここにも記録したけど、
「やらない理由」を挙げるのは簡単だ。少なくとも「やる」為の労力の方が
遥かに大きい。
時間も能力も限られている訳だから、やりきれないのはしょうがない。
あとは姿勢の問題で、やろうとする意思があるか、やらねばならない必要
性を心から認めているか、ということになる。これだけで、自ずと振る舞いは
変わって来る。
結局は人と人との関わり合いで成り立っている社会。軽んじてはならない。
申し訳ないけど、教育改革を扱うテレビ番組に出演される現役の先生方を
見ていると、もっとやれ、と言いたくなる。できない理由を列挙して、誰かの
せいにして、何か良くなるんですか? あなたは当事者ですよ、と。
時事ネタを書かないようにしているんだけど、ちょっと気になった年末年始
の神社仏閣の姿勢。今回のおいらは、ちょっと評論家になってみる。
酒の振る舞いをやめた処と継続する処があるそうだ。
やめた理由は明らかだろう。
継続する理由は、「個々人のモラルの問題だから」ということらしい。真に
もって正論ではある。また、酒を提供する者、振舞われることがベースに
なって集まる者、そして集まった者を目当てに成り立つ商売。要は、地域
社会の構造に関わる問題にもなるのだろう。
だからと言って。
九州で起きた凄惨な飲酒運転による事故。その後も停まらない飲酒運転。
正論だけでいいのだろうか。
既存の社会を擁護するだけでいいのだろうか。
確かに、現場レベルで個々が各々に対処していては、構造的な改善には
ならないかもしれない。場合によっては足かせにすらなるかもしれない。
根本的本格的な対応を構造的に構築する必要性、それを否定しているの
ではないけど、マクロとミクロは車の両輪なのだよ。
初詣で飲んで運転する連中は、神社仏閣で振舞われなくたってどっかで
飲むさ。振る舞い酒をやめても効果は不透明。
なんて言葉が聞こえてきそうだ。
本当にそうか?
起こってしまう事象の重大さを考えて、本当にそうか?
日本の経済が低調である。
日本の教育が荒廃している。
日本へのアジアを中心にした諸外国の信用が何時まで経っても向上しない。
やれることをやろうよ。
やろうとしようよ。
キレイごとも正論も必要だけど、足元を疎かにするなかれですよ。
将来の改善も必要だし、今の救済も大事。
・・・と鏡の中のおいらがおいらに説教を垂れる。
はい、頑張ります。
まずはクリックから。
↓


| Trackback ( 0 )
|