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兎と梟と猫

2008-04-26 03:57:12 | Art
取材&原稿〆切続きに、ニキの緊急入院も加わり、悪童日記も一週間空洞に。。
さくっとプレイバック。

日曜は、ふくちゃんとIIID Gallery で5/11まで開催中のグループ展「Aurora」へ。

イチオシイラストレーターあさみさんの兎スケッチにノックダウン↑
このGalleryは廃校を利用した世田谷ものづくり学校内にあり、スペース自体も面白い。
(5/3にGallery内で興味深いライブがあるので、その時に詳細を。。)

あさみさんのパートナーの作ったミニアルバムをいただいた。
ジャケットにもあさみさんの味わい深い兎くんが。

この綿菓子のような兎の感触にも似て、ほのかな体温を感じるスウィートなギターポップ。

あさみさん兎が描かれたピンクのうさTもうちに連れ帰ってきた。

うさ、かわいいぞ。

AURA展ではなぜか展示してなかったのだけど、DMに出ていたHIMMAさんの白梟。
このつらがまえに、このたたずまい。食べられても、いい。
このシロフクロウのTシャツとかあったら即買うので。



兎、梟、猫は、なぜか昔から魅かれてやまないとくべつな存在。

↑BBC「Five Owl Farm」より。梟の生活を追ったDVDは、うちのヘビロテBGV。
去年レイさんにもらった白梟もベッドサイドにいつも居る。

水曜にインタビューしたエドツワキ氏は、アトリエにコノハズクを放し飼いにしているのだとか。
取材場所はエドさんのブランドnakEd bunch の展示会場だったのだけど、かわいいアイテム満載で。

以前も新宿のペットショップで遇ったワシミミズクの話を書いたけど、
月曜にまたパークタワーでの打ち合わせ帰りに同じペットショップの軒先で梟を目撃。
カメラがなくて撮れず残念。種類は失念したけど「あけみちゃん」という名が…。
(あけみちゃん=90万円也。「車よりたけーっ」と高校生の一団)
ちなみに前述のワシミミズクは既に売れたのだそう。

☆☆
火曜、ニキの具合がまた急変し、入院。
今度は点滴痕に、青い包帯。。

そして、昨日再入院。。また、毛布を見失ったライナス状態。
年老いた猫と過ごす幸福の深さをいたく思い知る。
でも、無闇に悲嘆はしない。少しずつ衰えていく生命も愛しい生の営みのうちだから。
兎も梟も猫も人も、いつかは等しくその生を閉じる。
かなしいけど、かなしむことじゃない、ほんとは。

ベランダの小手毬が満開に。

春風にゆさゆさゆれる白くまるい花房が愛おしい。
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wind and window

2008-04-18 05:03:44 | Art
昨日、新宿の三井ギャラリー東京で始まったキムナオさんこと木村直人氏のphoto exhibition

「wind and window」(4/17~30)
に行ってきた。

入口のコーナーには、今回、新たに制作したというポスターがずらり。
間近で観ると、和紙のテクスチャーが実に味わい深く。同じ写真でもまた違って見える面白さがある。

ポスターを含め、会場内の作品はすべてスタジオトリコでプリントしたそう。
キムナオさん&キムリエさんの あ・うんマニュファクチュアのたまもの。

私が特に気に入ったのは、この全面レースカーテンの写真ポスター(中央)。


会場には写真家 高木由利子さんのお姿も。超ロングの三つ編みからもオーラが。。
馴れ馴れしくもモエを片手にオリーブをつまみながら一緒にお話できて光栄でしたー。


広い会場には、この20年位の間にパリやアントワープ、イタリアなどで撮影したという
密度の濃いキムナオワールドが集結。プリントがまた繊細!
旅のふとした余白のような瞬間を捉えた写真には、キムナオ調ともいうべき独特の魅力があり、
私自身の遠い旅の記憶をもかきたてられる。恐らくそうなるのは、私だけではないはず。

僭越ながら、「wind and window」の会場の一角に拙文を寄せさせていただいたので引用します。


窓の彼岸 旅の風紋

大仰な放浪でもなければ 
生き急いだ迷走でもない。
貪欲な探検でもなければ 
センチメンタルな彷徨でもない。

歩を止めた瞬間 ふと囁く風のように
瞼を上げた瞬間 燐と閃く光のように
次の瞬間 もうそこには いない。
決して繋ぎとめておくことのできない旅の風紋を
光の粒子の裡に 永遠に包みこむ。

ここに在るのは、そんな一瞬の風紋を映しこんだ
無限の窓なのかもしれない。
風を誘い、風を拒み、風と戯れ、風と交わる 窓。

Wind and Window
窓の彼岸と此岸を行き交う
モノクロームの風を見つけに―
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福井利佐の切り画と影絵考

2008-04-13 19:10:48 | Art
                       ⓒ risa fukui/phil

週末、水天宮での打ち合わせ後、浅草に足を延ばし、
昨年末インタビューした切り画作家 福井利佐さんの個展へ。(↑案内葉書より)
最終日目前になってしまったが、駆けつけた甲斐あり。
江戸末期築の重厚な二階建て土蔵を改装したGallery efのずっしりした空間に、
細密かつ生命力漲る福井ワールドが怖いほど合致していて、ある種の妖気すら呈していた。

迷路のように入り組んだ「切り画」の原本を目の当たりにすると、“鶴の恩返し”みたいに
篭って作業に没頭すると云っていた彼女の息遣いが聴こえてくるような気がした。
切り画を駆使した幻想的なアニメーションも新鮮で、
アイヌ民謡を採り入れたという音楽と相俟って、土蔵全体を霊妙な空気が満たしていた。

彼女をインタビューした記事が掲載されている『モダン・インテリア』vo.11

会場では福井さんご本人ともまたお話できて幸い。
この人はたぶん、海外でブレイクするのでは、という気が。

☆☆☆
前にblogキリコ的影法師の誘惑でもちらと書いたけど、
私は昔から影をよく撮影しており、影絵的な表現に魅かれる傾向がある。
きりりと際立った鋭角の影、何かを際立たせる静謐な影、どこまでも深い暗黒の影。。

たとえば中原淳一のこんな画。(昭和23年発行「ひまわり2月号」より)
 ⓒJUNICHI NAKAHARA 
お菓子の家に誘われるヘンゼルとグレーテル(画の原題は「ハンセルとグレテル」)
ディテールが黒く塗り潰されているゆえ、かえってわくわく想像力をかきたてられる。
ふたりの顔の造作は? 森にはどんな生きものたちが潜んでいる? お菓子の家の素材や造形は?

影絵とは異なるが、楳図かずおの画も、想像力をじわじわ刺激する
黒の面積が圧倒的に多い。
ⓒ楳図かずお/小学館 「蝶の墓」より
学生時代、卒論の一環で楳図かずおの表現を採り上げていた先輩のアーティストタケミさん
「楳図かずおの描くコマの多くは隅々が黒く、ギャグマンガでも怖い印象を与えるのはそのせい」
といった指摘をしていて、なるほどーと思った記憶が。
ちなみに、本人には否定されたけど、彼は楳図かずおに少し風貌が似ている(笑)
(あ、余談ながら、話題になっていた楳図かずおの赤白ストライプハウス、かわいいけどなぁ??
景観を壊すというなら、空を覆う超高層マンションをむしろ規制すべきじゃないのかなぁ??)

少々飛躍するけど、影絵的な表現で大好きなのが、ブルーノ・ムナーリの『霧の中のサーカス』。

これは、その昔、児童書の編集をしていた時、飛び出す絵本みたいなポップアップを作るのが
天才的に上手な先輩むらかみさんからいただいたもの。見れば見るほど、美しい絵本。

霧で視界が曖昧になる情景を、トレーシングペーパーみたいな半透明の紙と
モノクロームの影絵的な手法を用いて、非常に映像的に表現している。

飛翔する鳥の向こうにバス、バスの向こうに車、車の中に猫、その向こうにバイク、
そしてサーカスのカラフルなページが挿入され、再びモノクロームの霧にけぶる影絵で終わる。

その曖昧模糊とした霧の影絵模様は、今日みたいにくぐもった花曇りの日曜、
なかなか起きられずにみる夢にどこか似ている。                      サバラ
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マリオ・ジャコメッリとアジェ

2008-03-30 04:31:49 | Art
週末、写美(東京都写真美術館)で開催中(~5/6)の「マリオ・ジャコメッリ展」と
「シュルレアリスムと写真 痙攣する美」を観てきた。

ジャコメッリ展のチラシやポスターのキャッチ「また見つかった、永遠が。」は、
たぶんランボーの詩「永遠」のパロディ。なんとなく懐かしくなって、書棚の奥からぼろぼろの
新潮文庫を引っぱり出してみたら、その「永遠」の頁に「気狂いピエロ」の映画チケットが(!)
この半券は、恐らく高校生時代に観に行った時のもの(…くらっとめまい)
←前に開いたのはいつだったのか…
映画ではA.カリーナとJ.P.ベルモンドが「見つかった?」「何が」「海にとけた永遠が」..と囁きあう。
(記憶違いがあったら、平にご容赦。ぜひご一報を)

ジャコメッリ展については『NODE』の記事でも書いたが、
日本でこれだけまとまった回顧展が開催されるのは初めて。実際、かなりの見応え。
中でも、雪の中ではしゃぐ神学生を撮ったシリーズは、白と黒のコントラストに潜む白日夢のよう。
雪のきしみや 黒衣のはためきが、眩しい白の時空から 幽かに立ち昇ってくる。

図録を読むと、私が90年前後にいたく傾倒していたトランス・アヴァンギャルディアの画家
エンツォ・クッキが、ジャコメッリ写真のキュレーションを行っていたよう! 作風は異なるが、
どちらも呆気にとられるようなアナザーワールドへの案内人、という点では共通するものがあるかも。

ちなみに、ジャコメッリは生涯イタリアの片田舎にある故郷ゼニガリアで印刷業を営み続けた
“アマチュア写真家”。やはり故郷 境港でアマチュアリズムを貫いた植田正治とは、没年も同じ。

↑恵比寿駅と写美を結ぶ回廊にある、植田正治の砂丘写真。これもアナザーワールドへの道標?
 
ジャコメッリ展の階下で行われていた「シュルレアリスムと写真 痙攣する美」では
学生時代を思い出すような教科書的シュルレアリスム写真より、アジェ(Atget)の写真を思いのほか
豊富に観られたのが収穫。マン・レイに見出されながら、孤高を貫き、無名のまま没したアジェが、
19世紀末に撮り続けたパリの写真もまた、セピアな白日夢の如し。

↑この写真は、写美の展示ではなく、学生時代に自室に貼っていたアジェのポスター写真。
これもまた、私にとってめくるめくアナザーワールドの入り口だった。
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ボッティチェッリの春

2008-03-04 06:01:56 | Art
いちだんと春めいた日。温かな陽射しに無条件に心ときめく。ねこもひとも。
これは英国のパロディ画家スーザン・ハーバードの猫版「プリマヴェーラ(春)」↑。

             ↓本物はこちら。Botticelli「La Primavera」
@Firenze      
そのむかし卒業旅行でヨーロッパ旅行した折、フィレンツェのウッフィツィ美術館で
この作品と対峙したときの衝撃は忘れない。古典絵画より現代アートだった小娘に、
「あーた ルネサンス なめんじゃないことよっ」と、がつんと知らしめてくれた。

ちなみに、フィレンツェ大学の植物学者らがつぶさに数えたという研究報告によると、
右から二番目の精霊クロリスが吐いているのは、薔薇、ヒナギク、スミレ、ワスレナグサetc…
お隣の春の女神のドレスにもヤグルマギク、ヒヤシンスなど約70ほどの花々が描かれているらしく、
絵全体に、フィレンツェ近郊に見られる実際の植物が計300種以上も実物大で登場しているのだとか。
(何が凄いって、全部洗い出した植物学者たちのオタク魂…)。

図像学的には諸説あり、書物によって解釈がかなり異なる。
敬愛する図像学者 若桑みどり氏の『薔薇のイコノロジー』にも、
ボッティチェッリの「春」を巡る興味深い洞察が。若桑さんの切り口は実にシャープで優雅。
薔薇のイコノロジー
若桑 みどり
青土社

このアイテムの詳細を見る


一般的解釈としては、上空で弓を射ろうとしているのは“盲目の愛”を象徴する目隠しキューピッド。
狙われているのは、三美神のひとり“純潔”。右端の蒼褪めた方は、春をもたらす西風の神ゼフュロス。
彼に求愛され、口から花を吐いている精霊クロリスは、
ニンフから花の女神フローラ(or春の女神プリマヴェーラ)に変身。
まあ、誰が誰であるかという解釈はさておき
花をふうっと吐き、メタモルフォーゼしている瞬間のニンフor女神の美貌に、座布団10枚っ(笑)。

昔から、メタモルフォーゼする瞬間を捉えたものにぐっと来る傾向がある。
(「ふしぎなメルモ」が三頭身少女から八頭身美人に変身する瞬間も妙に好きだったし)

これは、前にこのブログでもちらと紹介したベルニーニ作「アポロンとダフネ」より、
アポロンに追いつかれ、指先から月桂樹へとメタモルフォーゼしていくダフネのディテール。

魂が口からふうっっと抜けていく瞬間みたいな恍惚の表情と、
ミルキーホワイトに輝く大理石の滑らかな肌。ベルニーニの面目躍如な“映像的彫刻”。

少し飛躍するが、、ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画は、
天地創造そのもののメタモルフォーゼともいえるダイナミズム。
これはその一部、デルフォイの巫女のディテール。

しかし。。クロリスといい、ダフネといい、またもや口が半開き(笑)。

私はダ・ヴィンチの描く貌は、個人的に全然タイプではないのだけど
ミケランジェロとボッティチェッリの描く貌は、老若男女問わずとても魅力的に感じる。
いずれも、思わず噴き出しを横に添えたくなるような表情。
とかね。
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木村直人写真展@ギャラリー トリコ

2008-02-23 21:24:01 | Art
昨日は、お友達キムリエさんのパートナー、キムナオさんこと木村直人氏の写真展
「reflector」を観に、ふたりが運営する麻布十番の「ギャラリートリコ」へ。

↓麻布十番温泉から西麻布方向に伸びる細い坂道の左手にある トリコのエントランス。


手作りの大きな木の扉を開けると、こんな少年の写真が迎えてくれる。
私はこの写真を勝手に“シェフチェンコの子供時代”と命名。。

ちなみに下になにげに置いてある赤いイングランド製の自転車は、
アレックス・モールトン博士設計の逸品で、へたな車より高価なのだとか。
博士が自ら自転車に乗る姿を撮ったキムナオ氏の写真も観たことがあるけど、傑作。

ふたりが改装した隠れ家のような佇まいのギャラリーは、
シックなモノトーンで統一され、パリとアントワープで撮影された
趣深いモノクロームの写真も すべて凛とした黒いフレームに。

つややかな硝子や床に反射した偶然のきらめき、
窓に浮かび上がる蜃気楼のような一瞬の虚像。
“リフレクター”をテーマにした作品群は、さながら旧い短編映画のワンシーンのよう。
キムナオ氏の写真にはいつも独自の視点がある。「あ、これだ」という瞬間に迷いがない。
ギャラリー内で自ら焼いたプリントも 粒子のひとつぶひとつぶまで美しい。
じっと見つめていると、想像力がじわじわ快く触発される―

明日24日がナイトギャラリー(15:00~21:00)の最終日。急いでトリコへ!

☆☆☆
週末反芻。
珍しく温かだった金曜の午後。「ホテル グランパシフィック メリディアン」で
J-WAVEパーソナリティ クリス智子さんを取材した後、「トラベル・カフェ」で珈琲&甘味補給。

日々、過密化していくスケジュールで ぎう詰めの手帖を呆然と眺めつつ
雑記ノートに向かってしばし頭の整理。ゆりかもめが時々すーっと前を通り過ぎ。。
今週は、取材と打ち合わせと原稿締切の間断なきトリコロール攻勢で
平均睡眠時間2時間弱みたいなモーレツな一週間だった。

そんな中、今週もいろんな人に逢って、いろんな発見があり、いろんなことに心動かされた。
お逢いするのは実にさまざまな世界の人々だが、例えば毎朝生放送を担当している
クリスさんみたいに、超多忙な方に限って、あっけらかんとストレス知らずな印象。
仕事であれ、プライベートであれ、日々のあれこれを愉しんでいる人だからこそ、という気が。

私はといえば、かなり微細なことでも 勝手にあれこれ想像して愉しんでしまえたりする
おめでたいタチゆえ(笑)、別の意味でわりとストレスフリー。
珈琲&甘味があれば、なおしあわせ。

って、今週末も怒涛の締切ラッシュにつき、いやおうなしにプチ巣ごもり生活。
早春の光、まぶしいな。
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サイレント・ダイアローグ

2008-01-31 09:07:03 | Art
一昨日は、『NODE』の取材で、初台のオペラシティにある
「ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)」へ。


ICCというと、「いまいち何やってんのか わかんない」という人が多い。
少なくとも、印象派絵画ばかりに人がたかり、現代アートがファッション&錬金術化している
この国にあって、極めて先鋭的なメディア・アートに特化したICCの試みは
「わかんない」のひとことで片付けられてしまうのも、やむをえないのかもしれない。。

ところが、だ。
実際、取材前にICCの企画展「サイレント・ダイアローグ」(~2月17日)と
通年で展開している「オープン・スペース」の展示作品を観て(体験して)、驚いた。
もう、声をあげて笑っちゃうほど いちいち面白いのだ。

例えば、シイタケの生体電位を音響として抽出したという
マイケル・プライムさんの「ハ,ハ! ユア・マッシュルームズ・ハブ・ゴーン?」なる作品。
電極を付けられたシイタケとスピーカーが四隅にあり、そこに近づくと
「ぽこっぽこぽこぽこっぽこっ」と、やけに景気のいいパーカッションみたいな音とか、
「どっどっどどー(風の又三郎?)」とか、「ずわずわわあっっ」といった
“シイタケの生声”が聴けちゃうのだ!。
キノコ研究家でもあった現代音楽家のジョン・ケージにちなんで創られた作品らしいが、
ずっと聴いていると、なんだかシイタケたちがひどく愛おしくなってしまう(笑)。

他にも、植木に脳波測定用の電極を通して、植木を“お散歩”させたり、
実際の植物に手で触れると、ヴァーチャルな植物の映像が壁にうねうねと増殖していくなど、
植物との“声なき対話”への欲望が、「そう来たか」みたいな形で表れた作品が多々。

クリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノー「インタラクティヴ・プラント・グローイング」

中には、「…何も影響されていない場所とは,自由を意味する」というスローガンのもと
雑草がぼうぼう伸び放題の庭を“制作”している作家も。大胆素敵。
うちのベランダジャングルもアート宣言しようか (笑)。

さらに、通年常設の「オープン・スペース」も、へたなテーマパークより断然楽しめる。
日時計のような円錐オブジェに触れると、さまざまなヴァーチャルな影が現われる作品なんて
もし幼稚園にあっても、老人ホームにあっても、人気者になること間違いない。

minim++「KAGE」

ほかにも、ブラウザのコードを視覚化したCGの海で 文字通りネットサーフィンを体感できる
SF映画みたいな平川紀道さんの作品や、ビデオ映像の時空がリアルタイムで微妙にずれる
岩井俊雄さんのお茶目な「マシュマロスコープ」など、珠玉の“おもちゃ”がいっぱい。
(岩井さんといえば、学生時代、ロンゲにオーバーオール姿を時々工房でお見かけしたなあ(笑))

ICC学芸員の畠中氏のインタビューも実に興味深く、2時間以上も快くお付き合いいただき感謝!
“「わかるもの」を「わかるひと」に届けるのは簡単。
でも「わからないもの」を新たに「わかってもらう」ことが大切。”というのがキーワード。
詳細は3月末発売の『NODE』にて――。

まあ、アートって旅と同じで、コトバだけで「わかるもの」じゃなく
触れてみてこそ。ぜひICCに遊びにいってみてみて。
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雪。私的’80年代風景

2008-01-24 05:12:00 | Art
昨日未明、東京に2年ぶりの積雪。
よりにもよって、そんな日に朝一打ち合わせ@大門。
引っ越したてのクライアントの新オフィスの窓から見えたのは、
みぞれ雪にけぶる東京タワー。まるで、蜃気楼みたいな(みたことないけど)。

デザイナーさんたちと表参道に戻り、ベトナム料理のランチ。久々のフォー。
数年前にベトナムで 何軒ものベトナム料理屋さんを取材した際、
どこでも珍しく完食したほど べトナム料理が口に合う。
久々に飲んだロータスティーの香りも懐かしく、買って帰った。

それにしても、こんな底冷えのする雪模様の日は、プチ引きこもり気分(笑)。
植物の方が、よっぽど元気だ。
雪で植物がしおれていないか気になってベランダを覗くと、
青々と茂ったオリーブの借景に雪化粧という なんだか合成写真みたいな絵づらが。


珍しく早起きした気だるさも手伝って、すぐ仕事に手をつける気分になれず、
音楽を聴きながら、なんとはなしに旧いポストカードの整理に着手。。。
この日、つれづれなるままにかけていたCDは、軒並み’80年代に聴いていた音楽ばかり。

トレーシー・ソーンの遠い渚、キース・ジャレットのブレゲンツコンサート、
パット・メセニー・グループのスティル・ライフ(トーキング)、
ドナルド・フェイゲンのナイト・フライ、タキシード・ムーンのハーフ・ミュート・・・

‘80年代気分は、ポストカード整理にも なにげに影響。
その昔、’80年代に好んで飾っていた旧いポストカードが、やたら目について仕方なく。。
長く飾っていたものだから、さすがに飽きて何年も一瞥すらしていなかったのに、
初めてみたときみたいに新鮮に心ときめく。たとえば・・・

ファブリツィオ・クレリチの「La poltrond di Nonza」


オスカー・シュレンマーの「Sinnder」


マックス・エルンストの「The kiss」


描かれたのはどれも’80年代ではないけれど、
これらの絵は、’80年代の部屋の風景に私をふっといざなう。
あわい雪景色が 忘れていた記憶画を 蜃気楼みたいに現出させたのかもしれない。

1枚だけ、’80年代からずっと変らずに飾っているポストカードある。
エゴン・シーレ。

正確に云うと、、昔このカードを飾っていたけれど、或る日絵葉書として使ってしまった。
ところが十数年前、亡父が偶然にも同じ絵のカードに近況をしたため、私に送ってきたのだ。
以来、ずっと飾っているというわけ。それにしても、不思議。
この絵は、何年経っても見飽きるということがないのだから。

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「ローマの眠り」とバロック

2008-01-22 05:12:38 | Art
(↑グスタフ・ルネ・ホッケ著・種村季弘訳「迷宮としての世界」より転載)

眠い。ここのところ ものすごーく眠い。
冬眠からまだまだ醒めたくないヤマネみたいに眠い。。
ハードワークの果て、夏休みの子どもみたいに好き勝手な休日を満喫した後は、
上90下70みたいな低血圧も手伝って ベッドから起きられないことはなはだしい。

湯たんぽのぬくもりがまだ仄かに残る毛布の中で、ぼんやり思い浮かべる。
ファブリツィオ・クレリチの描いた「ローマの眠り」のことを――

イタリアの幻想画家クレリチの代表作「ローマの眠り」は、
ギリシア・ローマ神話の登場人物や、宗教的聖人など、ローマのあちこちで散見する
“永遠の眠り”に身をゆだねた彫像たちが、一枚の巨大な画布に描かれた絵画作品。
そのシュールな舞台背景に息づくのは、
朽ちながら生き続ける“ローマ”という混沌とした廃墟に潜む
したたかで逸楽的な“永遠性”。

絵の中心からやや左下に横たわっているのは、殉教した「サンタ・チェチーリア」。
これはそのレプリカ像↓ 実物の像が安置されているローマ郊外のカタコンベで買った。

ちなみに聖チェチーリアは音楽の守護聖人でもあり、その名を冠した音楽院や管弦楽団も有名。
彼女をまつった「聖チェチーリア教会」は、ローマの下町トラステヴェレにある。

「ローマの眠り」の左上に描かれているのは、やはりトラステヴェレの別の教会に眠っている
ベルニーニの傑作「ルドヴィカ・アルベルトーニ」像↓

3年前にローマを訪れた際、私は気のおもむくまま歩き回った旅のゴール地点に
この「ルドヴィカ・アルベルトーニ」の居る「サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会」を選んだ。

夕暮れのテヴェレ河沿いを延々歩いてたどり着いた教会は、ちょうどミサ中だった。
終わるまでじっと待っていた私に、外国人観光客らしき紳士がドイツ語で書かれたガイドブックを
見せ、小声で訊ねた。「ねえ、この彫刻はどこにあるのかな?」
私は祭壇脇の像が安置されているはずの場所を指差し囁いた。「たぶん、あそこに」
「よかった。でも待つほかなさそうだね」彼は小さく肩をすくめて隣に腰掛けた。

ほどなくミサが終わり、私たちはそそくさと像の前に向かった。
「ルドヴィカ・アルベルトーニ」に逢うのは十数年ぶりだった。そんなに大きな像じゃないけれど、
初めて逢ったときと同じように 魂をつかまれ 視界がうるんだ。これぞ バロックの至福。

――ぬくぬくした毛布の襞にくるまれ、夢うつつを行き交う私を起こそうと、
ニキがベッドサイドの出窓に飛び乗って にゃあにゃあ騒いでいる。。。
出窓には聖チェチーリアのほか、ベルニーニの「アポロンとダフネ」のプチレプリカ像もあるが
ニキが時々ベッドに蹴落とすのだ。大理石なのでぶつかるとけっこうがつんと刺さる(笑)
←これはローマのボルゲーゼ美術館に居る本物の「アポロンとダフネ」。
アポロンに追いつかれたダフネが、指先から月桂樹に変身していく瞬間を捉えた映像のような彫刻だ。
ニキにこれをがつっとぶつけられる前に起きなければっっと思いつつ、、
またもや二度寝してしまう私。。このブログを書きながらも一瞬うたた寝してしまう始末(笑)
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美しいカレンダーと“もぞりと”こぞりて

2007-12-25 12:47:44 | Art
↑このかわいいノエルイラストは、イラストレーター高田理香さんの作品。
2008年版カレンダーの11月・12月ページのイラストだけど、1年前倒しで(笑)。
(scan精度が低く、独特の色味が再現されていないけど、実際はもっとやさしいトーン)

高田さんを知ったのは、以前、某社のパンフを制作する際、彼女の作品が眼に留まり、
イラストを依頼したのがきっかけ。ミッドタウンのすぐ側で個展を開催されていたので、
最終日の夕刻に足を運んだ。↓「高田里香のカレンダー展」の美しい案内はがき。

天井高の白いスタジオギャラリーには、高田さんの手がけるのプロダクト「WEEKEND STOROLL」で
毎年制作しているカレンダー原画の数々が、ゆったりと展示されており、
作品イメージに合わせてギター奏者の高橋ピエール氏が制作したというオリジナルサウンドも
絶妙に快く。 驚くかな、彼女は作品をすべて“プリントごっこ”で描いているそう。

高田理香さんの2008年カレンダーや、イラスト作品集、猫エッセイ集などを、会場で購入。
どことなくレトロなフレンチテイストに、まろやかな色使いとあたたかな手触り。

静かな森や、あたたかな食卓、海辺のヴァカンス、街角のドライブ、心地よいインテリア…
好きなものたちに囲まれた生活そのものを、気負わず気取らず、淡々と愉しんでいる
高田さんのイラストやエッセイの小宇宙には、何気なく入ったカフェで出された
絶妙なブレンドのハーブティーみたいに ほっと心なごむ香りがある。
何かまた一緒にお仕事ができたらいいな。

☆☆☆ 本日、クリスマス☆彡

かれこれ1カ月以上も前から、クリスマスなものモノやコトに包囲され続けてくると
イブも過ぎればもはや食傷していたりしなくもないけど…まあ明日にはクリスマスカラーの
緞帳がぱっと落ち、街は大晦日&お正月モード一色に染まる、というのが世のおやくそく。
宗教が違うとか、商魂逞しいとか、メディアがかしましいとか いろいろあるかもしれないけど、
これもあまたある“にっぽんのおまつり”のひとつで。ハレルヤではなく、ハレの。

もの心ついた頃から この“にっぽんハレクリスマスまつり”に無邪気に感化されてきた私は、
この時季になるとついお風呂で「♪もろびと こぞりて」とかを口ずさんだりしてしまうわけだが、
実は、長い間ずっと「もりと こぞりて」だと思い込んでいた。勝手に韻を踏んでいた?(笑)。
カミングアウトすると、「もぞりとさん」というクリスマスの妖精みたいな存在が
いるのかなあ…という幼少期の妄想を成人になるまで抱き続けていたのだ。。
「もぞりとって、だれよ?」とつっこまれ、ことのすべてに気づいた時の驚愕ってば…!
ついでに告白すると、「主は来ませり」というサビの歌詞も、「シュハキマセリ」という
なにかクリスマス特有の呪文のような言い回しがあるんだな、、と勝手に想像して歌っていた。
子供時代の思い込みって、つくづくこわい(そんなおばかは 私ぐらいかもだけど)。

冬至から三日間は、環境NGOの地球温暖化防止対策として20時~22時に電気を消し
蝋燭の灯だけで過ごす「100万人のキャンドルナイト」が各所で繰り広げられた模様。
そんなの、自己満足なエコ欺瞞だ、と引くひともいるかもしれないけれど、
蝋燭だけで過ごすのは、なかなかわくわくするし、仄かにゆらめく蝋燭の灯はひどく心地よい。
子供の頃、停電になると必ず蝋燭に見入って前髪を2、3本ちりっと焦がしていたくちなので。
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東京デザイナーズウィーク

2007-11-05 02:31:07 | Art
日曜夜は、最終日の「東京デザイナーズウィーク」を
ライターのRayさんと一緒に2時間ほど見て回った。
本丸の神宮外苑中央会場の中だけだったせいもあり、
どこのブースも意外とこぢんまりした雰囲気。
企業やメーカーだけでなく、学生や個人出展も多く
トーンもまちまちで、なんだか美大の学園祭みたいだった。

19時からはステージに大沢伸一が登場し、トムトムクラブなど80年代ニューウェーブを
がんがんかけ始め、辺りは一段となぞの学際ムードに。
巨大スクリーンのVJなめに臨めるライトアップされた絵画館も、なんだかいつもよりキッチュで。。

そんな中、美大や専門学校等の学生さんたちが屋外展示していた
エコロジカルで独創的なエクステリアオブジェ(?)が予想外に面白かった。
昔、大学の工房とかでよく見た風景が蘇って 少々面映ゆかったが。

シリコンで創った有機的なチェアユニット、
座ると座部が下がって孔雀みたいにアクリルミラーの羽が八方に広がる
“ドラアアグクイーンチェア”(勝手に命名)
ペットボトルの素材でできたシマウマ型の巨大なダストボックス etc.

なかには荒削りでプリミティブな作品もあった。
が、その一方、プロトタイプとして非常に完成度が高く
クレバーでアイデア豊かな作品もあり、いろんな意味で興味深かった。

中でも、東京理科大建築科の学生さんたちの作品は
そのままプロダクトとしても、アートとしても成り立つものが目立った。
私が特に気に入ったのは、壊れた2つの金属椅子のパーツを組み合わせ、
極太の紅い毛糸で縫い合わせてあるチャーミングな白いチェア。
椅子というプロダクトの物語を背負った壊れた椅子と椅子が
支えあって新しい物語を紡ぎだしている。それはロマンティックですらあった。
ひょっとしてこれはフリークな純愛のメタファー(?)と勝手に解釈。
デザイン的にも秀逸で、聞けばベルギーから来たビジターも絶賛していたという。

残念ながら、うっかり愛用のEOS kissを忘れたので、撮影できなかったのが心残り。
冬には、近所の代々木上原でグループ展をするそう。それにはぜひ足を運びたい。


そうそう、椅子といえば、最近ニキはイームズチェアがいたくお気に入り。
脚がくるくる回るタイプなので、以前は載せてもすぐに飛び退いていたのに。
猫は、自分のお気に入りのポジションが2週間~1カ月サイクル位で入れ替わる。
ここしばらくは、ニキ的にイームズモードというわけらしい。その心は不明だが。

クッション部分で爪とぎしようとしていたため、
カバーしようとバスタオルを敷きかけて、はたと思い出した。。
夏に『モダンインテリア』の取材で今田耕司にインタビューした際
「風呂上りには湿っぽいからバルセロナ・チェアにバスタオル敷くねん」と
言っていたことを。。
バスタオル敷きのデザイナーズチェアって、やっぱりさむい。。
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バカボン的現代アート愚考

2007-10-28 09:43:09 | Art
再び朝顔つながりの話題。ますます秋深まるなか、季節外れな。。

12月に創刊される新アート誌『NODE』の原稿を昨夜書いた。
「金沢21世紀美術館」で開催中の日比野克彦による
「明後日(あさって)朝顔プロジェクト21」のレビュー記事だ。
今春、2000株の朝顔の苗が同美術館のぐるりに植えられ
盛夏には、美術館が朝顔にすっかり包囲されてしまった。
11月には、その種の「収穫祭」も行われるそうだ。
http://www.kanazawa21.jp/exhibit/hibino/index.html

ふと、自然に勝る芸術はない、という“快い敗北感”を思い出した。

自然vsアートという古典的な二項対立を語るつもりは毛頭ないのだが、、
超越的な自然の造形に、小賢しいコンセプチュアルアートなど敵わない…
そんな虚無を、学生時代に現代美術を学ぶ中でしばしば感じた。
当時、頭でっかちでとりすました、そして少しも美しくないポストモダ~ンなアートもどきが
巷に増殖する中で、必要以上に疲弊していたのだと思う。
まあ、頭でっかちすぎて自縛に陥っていたのは、ほかならぬ自分だったんだけど。(遠い目)

現代アートが投資の対象として法外にもてはやされているアートバブルな昨今、
「これでいいのだ」と居直る天才バカボン的アート作品に
「それでいいのか」と思うことも少なくなく。

そもそも、美術館やしかるべき台座に鎮座まします芸術品だけが
アートであるわけもなく、例えば路傍の雑草のシルエットや、
頭上を流れる雲の形に、よほど心ときめくということもままあり。
それはむろん、決してお金に化ける代物ではないけれど、
そうした自然の一瞬の佇まいには、人工物には到底かなわない深遠な世界がある。

金沢21世紀美術館を覆った朝顔プロジェクトは
自然と手を結んだアートとして、実にあっけらかんと潔い試みだと思う。
ダンボールとか、朝顔の苗とか、誰にでも手に入る簡便な素材を用いるのは
日比野氏のオハコだが、それは何かを狙ったあざとさではなく
図工や理科に萌える小学生みたいな、ある種のインファンテリズムに近いもののような気がする。

朝顔プロジェクトでは 多義的なコンセプトを掲げているが、
アートもなんだかんだいって“見た目が9割”だったりする(例外もあるが)。

コンセプトも去ることながら、クリスト作品よろしく自力で美術館を包み込んでしまった
植物のしたたかな美しさを目の当たりにすれば、これはこれで「これでいいのだ」と(笑)。


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