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サメ、プロミネンス、蝉時雨絶好調

2009-07-26 15:04:17 | Art
蝉時雨が始まり、「今日も暑いですねえ」という台詞が挨拶になる日々がやってくるといつも、
熟んだ真夏の夢のなかを どこまでもどこまでも回遊しているような気分になる。
ぐるぐるぐるぐる。夢の出口はどっちだ。

              
               ――サメの独りごと@数寄屋橋


22日は皆既日食だったけど、東京は曇天。しかも私はうっかり徹夜原稿明けで、頭も曇天。
太陽の見えない窓外をチラ見しつつ、ソファに横たわってNHKの生中継をうとうと眺める。
各都市の映像(一部は日食中継ではもはやなく、暴風雨中継っぽかったけど)が流れる中、
ピーカンだった硫黄島の皆既日食の瞬間、その神々しさに一気に覚醒。
というか 予想外の突発的落涙。


太陽の絶対的存在と、太陽を覆う影によってその存在を知らしめる月。
おてんとうさまとおつきさまへの畏怖と慈愛が、陰陽ぴたりと交わる恍惚の瞬間というか。
アマテラス神話も皆既日食の暗喩という説があるが、
地動説も電気もオゾンホールも無かった時代の方が、太陽と親密に生きていたのかもしれない。

これは超高感度カメラが捉えたプロミネンス(紅炎)。
どんなアートも、これには敵わないかも。


実は呑気にも前夜になって日食観察アイテムを渋谷の東急ハンズや電気量販店とかで探したら
案の定すべてSOLD OUT。この不況でメーカーも慎重に作り控え、店側も買い控えたのだとか。
「マスコミが変に騒いでるけど、日食が終われば一個も売れないからねえ」と某店スタッフ。確かに。
まあ、メディアでは次の皆既日食は26年後と煽っているけど、それは日本に限ったお話。
たとえば来夏イースター島に行けば、皆既日食が見られるチャンスはあるわけで。

専用眼鏡の代りに、ポスター用の筒を使って即席ピンホール望遠鏡を前夜にちゃちゃっと作った。
底にはBLUE NOTEのコースターをテープで貼り、中心に開けた小さな穴から三日月型に欠けた
陽光を投影するつもりだった…が、曇天で叶わず。ただ、東京の部分日食が最大になった11時台、
妙に肌寒さを覚え、慌ててパーカーを羽織った。薄暗さまでは感じなかったけど。
左は数年前に古書店で見つけた1999年8月11日の皆既日食がテーマの写真集[Le 11 aout 1999]。


作者はフランスのカルチャー誌パープルの初代アートディレクター、クロード・クロスキー。
実はこれらは本物ではなく、メディアの風景写真や広告写真をいじってドラマティックな
皆既日食シーンを捏造し、大量に消費される皆既日食映像を逆説的にパロディ化しているのだ。




日食の翌日、お隣の柿の木から今夏初の蝉時雨が聞こえてきた。
田町で打ち合わせ後、半年毎の検診でかかりつけの歯科医院へ。全個室の診察室すべてに
異なる天井画が描いてあるのだが、この日はとても夏らしい天井画の部屋だった (左)。
帰りに銀座のボザール・ミューで開催中の佐山泰弘さんの個展へ(右)。
看板の下には、またもや看板猫のシーちゃんがふっかり爆睡していた。


これらは全部、実在する猫をモデルにした粘土作品。仕草や佇まいのリアルさには毎度驚かされる。

(佐山さんの作品については以前書いたblogをご参照ください)

夜は赤坂でレイちゃんと打ち合わせwithビオワイン&イタリアン。帰ってから原稿を書くつもりが
大爆睡。眠っても眠っても不思議と眠かった。日食や低気圧の余波?


土曜は神楽坂のアグネスホテルで女優さんの対談取材後、メトロで谷根千方面へ。
言問い通りのゆるい坂を上っている途中、お寺の庭に美しい蓮の蕾が見え、思わず立ち止まる。
上野方面に曲がると、小さな広場で流し素麺をやっていた。ちょっと生ぬるそうだったけど(笑)


東京芸大前にある築100余年の市田邸に着くと、塀から何かどろりと。。
これは昨夏に続き 芸大生が中心になって企画している「続・続・続」展(7/18~26)の
作品のひとつ。融けた氷が溢れ出しているイメージだそう。庭には同じ作者(森一朗氏)の鯉も。


着物姿の若尾文子がつつつ..とやってきそうな廊下の奥には、古箪笥の置かれた小さな蔵があり、
そこで谷中の建物についてのインタビューを上映していた。といっても古い建物を擬人化し、
あたかも建物自体が語っているように映像を加工してあって面白かった。


でもって、こちらが大平龍一氏の作品[Semishigure]。昨夏の同展では、この黄金の蝉4444匹が
市田邸の塀にびっしりへばりついていて呆気にとられたけど、今度はお座敷を占拠していた。
しかも床の間前には、巨大な蝉のご神体が鎮座し、スピーカーが内臓されたその頭部からは
リアル蝉時雨をアレンジした蝉テクノがミンミンジージーシュワシュワ聴こえてくるというあんばい。
その響きが案外クセになる快さで。CDがあったら欲しいかも(笑)



市田邸を後に、SCAI THE BATHHOUSEに寄り道したりしながら
日暮れ前の夕焼けだんだんやよみせ通りあたりをお散歩。


帰りに千駄木の「やなか珈琲店」で休憩。ここには、お店のパッケージでお馴染みの
本多廣美画伯の版画作品が数多く飾ってあると伺ったので訪ねてみたしだい。
2階の喫茶室に行くと、まるでギャラリーみたいに本多さんの作品がずらり。
満員のテーブルを縫ってたまたま座った席にあったのが、この画。
題名は[月光採集の夜]。捕虫網で月明かりを採る猫に思わず微笑。
帰宅後、窓を覗くと、暮れたての西空に 生まれたての細い細い三日月が浮かんでいた。


これは先日、並木通りのギャラリーGKから連れて来た本多さんの版画[猫と女学生]
おまけにいただいた過去の個展案内用の葉書。すべて和紙に手刷り。手触りも味わい深い。



最後に、今日も炎暑なので、ローマで開催されている世界水泳2009の涼しげな画像を――
上はフランス、下はスペインの美女たちによるシンクロナイズドスイミングの艶技。
ただ・・フランスのはテーマが“虫”で、スペインはタイトルが “恐怖の館”。えーっ?!
確かに水着は骸骨柄だし、メイクもなんだか「デトロイト・メタル・シティ」ばりにまがまがしく、
音楽も動きもおどろおどろしくて、アップ映像は気の弱い幼児だと泣いちゃいそうな迫力だった。


ローマも暑そうだなあ。

本日も、蝉時雨が絶好調。

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だまされて。神の手

2009-07-04 23:38:41 | Art
照ったり降ったりしながら、あっという間に7月。もう少しゆっくり回らないかな、地球。


ひたすら蒸した一週間。先週末から母が所用で泊まりに来ていたので、
ベランダのオリーブを伐ってわさわさ投げ入れた花瓶に、ウエルカムヒマワリ。
母は相変わらず若々しい。が、随分と早起きなので 私もつられて早起き& 少々時差ぼけな日々。。


月曜は、夏休みのこどもみたいなゆるい格好で 母と散歩がてらてくてくBunkamuraへ。
ザ・ミュージアムで開催中の[奇想の王国 だまし絵展]を観てきた。
「だまし絵」という夏休みのお子様も視野に入れたテーマなせいか、月曜の昼間でも案外混んでいた。
土日は相当の混雑になるらしい。いかに「だまされたい」人が多いのか。
あるいはトリッキーなCGに食傷気味の昨今ゆえ、「だまし絵」のアナログ感がかえって恋しいのか。

「だまし絵」「トロンプルイユ(目だまし)」とは、遠近法の誕生を機に確立したといわれているが
二次元にニセの奥行きを与える遠近法だって、ある種の「だまし絵」といえるし、
もっと遡ると、ポンペイ遺跡に見られる書割みたいな柱や庭園の壁画だって立派な「だまし絵」だ。
さらに巧妙な複製や画像処理が可能な今は、ニセモノとオリジナルの境界すら危うく、
そんな二項対立も成り立たないほど複雑怪奇だったりするわけで、
究極のだまし絵は、赤瀬川源平じゃないけど、偽札なのかもしれない。。

悪い癖です。話が少しそれました。。
今回の「だまし絵展」は、観る者を無邪気に「だまそう」とする古典的作品から、
観る者の「思い込み」をかく乱する現代アートまでとても分かりやすくまとめられていた。


目玉は、初来日となるアルチンボルド晩年(1590年)の傑作[ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)]。
アルチンボルドの作品の中でもとりわけ完成度が高く、グロテスクの極みにして非常に美しい。
鼻は洋梨、眼球はマルベリー、下唇は桜桃、髭は栗毬で、肩はキャベツとアーティチョーク…。
63個の全パーツ図解もあり、「えーっおデコはメロンなんだ~」などなど みなウケていた。

アルチンボルドからインスパイアされた映画を多々撮っているヤン・シュヴァンクマイエルの怪作
『オテサーネク』を最近観たばかりなせいか、ルドルフ2世が今にも動きだしそうに見えた。

アルチンボルドのようなダブルイメージの作品として、
江戸時代の浮世絵「寄せ絵」や「影絵」も紹介されていた。
「寄せ絵」は江戸的マスゲームとでもいおうか。一人一人、あるいは一匹一匹のポーズが絶妙。

歌川国芳の[みかけはこはゐがとんだいゝ人だ](左)、歌川国藤の[五拾三次之猫之怪](右)
国芳のはネーミングも洒落ている。


爆笑したのはこれ。江戸後期にブレイクしたという影絵を使った宴会芸ハウツー本の挿絵。
影絵そのものはなかなか風雅ながら、障子の奥では筋肉ぷるぷるのポージングで(笑)

歌川広重「即興かげぼしづくし」より、[鉢植に福寿草](上)、[梅に鶯](下)


その他、マグリットやダリ、エッシャーの作品も数点あったが、このあたりになるともはや
単純なだまし絵ではなく、形而上的で、虚実の錯乱を促す奥深い表現が面白いわけで、
もう少しバラエティに富んだ作品が並んでもよかったような気がした。
余談ながら、昔エッシャーの細密なジグゾーパズルにトライしたことがあるが、
完成するまでに本当に何度もめまいを覚え、脳味噌が捻転しそうになった。


年明けに惜しくも他界した福田繁雄の立体[SAMPLE](1977年)は、
フラ・アンジェリコの[受胎告知]に描かれた大天使ガブリエルを象ったブロンズ像の正面に回ると、
「SAMPLE」という文字がぱきっと浮かび上がるという、宗教画の神聖さを見事に換骨奪胎した
まさに福田繁雄らしいトリッキーでアイロニカルな作品。深い。



個人的に興味深かったのは、本城直季の「small planet」シリーズの写真作品。
画質を落としたweb画像では解りにくいけど、ミニチュア模型の渋谷駅前をなかなか
精巧に作っているなぁ…とまじまじ眺めているうちに、実はこれが実写の渋谷であることに
はたと気付かされる。わざとミニチュアのような手法とアングルで撮影し、
観る者の意識をスケールの著しく異なる虚実の間で二重に錯乱させているわけだ。
[2006年]


爽快にだまされた後、短歌関係のパーティに出席する母と別れ、
帰りに表参道ヒルズで開催していた[Blythe Fashion Obsession] に寄り道。
会場には各種ファッションブランドやクリエイターにこれでもかと凝ったスタイリングを施された
ブライス約100体がずらり。珍しい小動物でも観察するみたいに、つぶさに堪能した。
ファッションというのも美しい「だまし」プレイのひとつ。100通りに化けたブライスの
ほんとうの顔はどれなんだろう? たぶん、この答えは永遠に出ないと思うけれど。




火曜は母を東京駅まで見送った帰り、和田倉噴水公園で小休憩。
パレスホテルは建て替えのため、遂に跡形もなく消えてしまった。。
太陽が急に輝き始めた昼下がり、滝のように流れ落ちる噴水の裏側から、しばし世界を眺める。


パレスホテルや和田倉噴水公園が登場する三島由紀夫の短編『雨の中の噴水』を思い出し、
同じ10代の頃に傾倒していたケネス・アンガーの短編映画『人造の水』の場面を思い出し、
さらに映画の舞台になったローマ郊外のティボリ庭園に遊びに行った頃のことを思い出し、、
めくるめくぼーっとしていたら、細かな水飛沫でワンピースがしっとり濡れてしまった。
 



木曜は西麻布で取材後、STUDIO TORICOのすぐ側だったので、キムリエさんに電話して合流。
ちょうど側のギャラリー・ル・ベインで「触れる地球展」を開催していたので一緒に見学した。
手で押すとセンサーがキャッチして回転する実物の1000万分の一の地球儀と
それをさらに縮小した地球テーブルが展示されており、温暖化や異常気象も一目瞭然。
各都市のネット中継画像も見られ、地球儀の一挙一動に子供みたいに大反応してしまった。


神の視点で地球に触れる感覚とでもいうか、この惑星が妙にちっぽけで儚く愛しく思えた。
何億年前からのダイナミックな大陸移動の動きを眺めていると、
国境も国家も小賢しい文明も 砂上の楼閣だなあと。

その後、キムリエさんと広尾まで歩いてのんびりお茶し、さらにもう少し散歩したい気分だねと
骨董通りまでてくてく歩き、キムナオさんも合流して夜更けまで3人でゴハン。
いっぱい歩いていっぱい話した夏の午後。地球が静かに回転している間に――


6月後半は家にこもって原稿を書いていることが多かった反動か、
7月に入ってからよく歩いている気がする。雨予報では自転車にも乗れないからなおさら。
歩いているといろんなことを考える。それが楽しいからまた歩く。乗物の中とは違う思考回路で。

歩きながら時々、「ところであの猫はどうしているだろう?」と考えることがある。
そう思った瞬間、その猫が目の前に現れて驚くことが最近頻発。とくに黒猫。
ニキだけは 現れないけどね。
 
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Cassina、満月週間、夏草たち

2009-06-12 00:17:41 | Art
劇的に器用な職人と、笑っちゃうほど不器用な芸術家。
それぞれ 優劣も貴賎も上下左右もないけど、私的には後者に惹かれる。
編集が死ぬほど巧いヒトと、創らないと死んでしまうから何か創るヒト。同じく、後者に惹かれる。 
秀作を連打するヒトと、連打する駄作の中に 稀に誰かが絶句するほどの傑作を生むヒト。以下同。。
満月の夜明け、ずっと昔から明白に感じていることを、しみじみ反芻。


先週土曜、森アーツセンターギャラリーで開催していた[メイド・イン・カッシーナ展]へ。
満月のせいか妙に身体をクリアに動かしたく、六本木ヒルズまでビアンキを漕いでびゅーん。
正直、何度訪れても愛し難い空間ながら、ここのギャラリーや美術館は昔のセゾン美術館みたいに
我が道疾走系なので、ぜひその路線を貫いて欲しいなと。

↑トップの画像は1920年代末、ウンベルト&チェーザレ兄弟により設立されたCASSINA最初の
カタログ「ちっちゃなテーブル工房」より。当時は意外とクラシカルなデザインの集積だったよう。

カッシーナは戦後、客船用ファニチャーを手がけて以来 生産も飛躍的に増え、コルビュジエ家具初の
復刻も行った。ル・コルビュジエの名作[シェーズ ロング]もそのひとつ。かの椅子で寛いでいるのは
コルのパートナー シャルロット・ぺリアン↓。彼女の復刻家具も温かくてすき。


ル・コルビュジエの提唱した“寛ぐための機械”というコンセプトを さらに官能的に捉えた
フィリップ・スタルクの[レイジー・ワーキング・ソファ](1998年)や、
ちょっと『時計仕掛けのオレンジ』みたいなADワークのアフラ&トビア・スカルパ作
[チプレア](1968年)あたりは、すきというか、願わくば欲しい。。


今やとんと見かけなくなったけど、1980年代末に登場したガエターノ・ペッシェの
[フェルトリ アームチェア]の有機的フォルムに出逢った当時は狂喜したものだ。
柔らかなフェルトの背もたれにすっぽり包まれる快感は、
乱歩の『人間椅子』もびっくり?(座ると後で意外と肩が凝るんだけど…)

以上、ファニチャー写真はすべて[Made in Cassina]図録より。

帰り、ヒルズの一角から、天皇夫妻成婚50周年記念ライトアップの東京タワーをぱちり。
この夜に行われた日本VSウズベキスタン戦の勝利により、日本が2010年に南アフリカで開催される
W杯出場をいち早く決めたことを祝して、ジャパン・ブルーのライトアップに変わったよう。
私は帰宅後、後半からTV観戦。審判の采配が恐怖政治的だったのも去ることながら、
ウズベクがシュートする度に放たれる解説の松木氏の絶叫も恐怖映画さながらだった。

この夜は、狼男が思わず変身しそうな満月が宵闇にくっきり。



月曜は赤坂でインタビュー。取材相手は広報のNPOをたちあげている方。目から鱗の話に敬服した。
このシゴトをしていると、プレス関係者と接する機会がたいへん多く、各々実に千差万別なのだが、
時々 凄腕のプロフェッショナルに巡り会う。たいていは年長者だが、人間の幅がまるで違うのだ。


取材後にレイちゃんから電話があり、赤坂のクレープリーのテラスであれこれ話した後、ビストロで
モヒート&ワイン。古道具屋さんで見つけたというイタリアの古いガイドブックをいただいた。
懐かしいリグーリアの海辺の写真にちょっと遠い目に。。




水曜はオーリエさんのお誘いで、広尾のギャラリー旬で始まった陶芸家 森田榮一氏の「創器」展へ。
山つつじや春椿が大胆に投げ入れられた空間と思い思いに戯れる器たち。ディスプレイというより
インスタレーション。作家とギャラリースタッフの感性の交歓の妙がいとをかし。
6/14まで開催中。ぜひ。

ギャラリーを出た後、オーリエさんと恵比寿のトラットリア(その名もVACANZA!)でゴハン。
直感的に私のことを深く理解してくれる彼女と話していると、不思議なほどげんきになる。


ギャラリー旬ではたっぷりした器に盛られた八ヶ岳直送の花々が印象的だったが
この季節はヒトの意図を超えて生い茂っている植物たちに方々で出逢い、その度に心踊る。

日曜、近所のフリマやオーガニックショップなどに買い物に出かけた折に見かけた緑たち。
花期を終えたミモザの大木には鞘がたくさん! 鞘の中には黒い種が粒々詰っているはず。
今春初開花したうちのミモザには一房しかならなかったけど、いつかこんな風になるといいな。


これは先日試写で訪れた東銀座の築地川公園にぼうぼう繁茂していたローズマリー。この清浄な香り
たまらない。そういえばご近所のNEWPORT入口にもローズマリーがげんきよく繁っていたっけ。
サブリミナル効果か、先日は夕餉のパスタの付け合せにローズマリー入りトマトサラダをどっさり。


これは先週取材で訪れた日本橋の一角で偶然見つけた廃虚ビルに絡みついた雑草たち。
このビルには宮内庁御用達の傾いだ看板が。創業文化三年の鷄屋さんだったらしい。


これは、少し前に銀座で見かけたミキモト本店前の花々。創業110周年記念ディスプレイらしい。
自慢の花珠パールをこれでもかと贅沢に使う装飾もありと思いきや、意外に楚々と可憐で魅かれた。


これは…市ヶ谷の一角、高台の邸の庭で揺れているを見つけ、思いっきりズームして撮ったのだけど、
このほわほわ物体はいったい何?? おわかりになる方、ぜひ教えてください!!
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遠き蝶と熊谷守一

2009-05-07 17:48:16 | Art
去年のちょうどこの時期だった、ニキのいのちが風前の灯だと悟ったのは。
それから2週間もしないうちに、ニキはほんとうに逝ってしまった。

上の写真は随分前にも載せた気がするけど、数年前のある晴れた日に撮った 在りし日のニキ。
たまたまベッドに転がっていた文庫本に肉球を載せてまどろんでいる姿が今も夢のように愛しい。
黄金週間のひととき、雨音を聴きながら、こんなほわほわ眩しい光景をぼんやり思い出し―――

「見上ぐとも見下ろすともなく娘の猫がひねもす窓辺にせつなき瞳」by母


そんな折、母の処女歌集が届いた。ここ20年余りに母が詠んだ短歌を自ら編集した力作だ。
母の眼を通した家族史でもあり、母という個人の自分史でもある。決して厨短歌に陥らず、
感傷にいたずらにのめらず、独創的で潔く、そして清々しい。素直にいい歌集だと思う。

私も微力ながら編集や装幀に携わってきたので、こうして本になってみると万感の思いがある。
何より、電話口の母の声がとても満足そうに弾んでいたのが嬉しかった。

表紙に用いたのは、熊谷守一画伯の最晩年(1975年)の油彩「ノリウツギ」。
私の家でたまたま守一の画集を捲っていた母が、「この画しかない!」と瞬時に直感した一作だ。
熊谷守一美術館館長であり、守一の愛娘である熊谷榧さんの承諾を得て使用させていただいた。

ちなみに これは「ノリウツギ」を制作中の守一。『別冊太陽 きままに絵のみち 熊谷守一』の奥付に
出ていた小さな写真を これまた母が目敏く見つけたのだ。確かに蝶や山の下描きがはっきり見える。


口絵には、母の一首と共に、私が撮影した父の標本箱のモルフォ蝶をあしらった。
「音もなく雪降りしきる夜半に翔つ標本箱の青きモルフォ蝶」

歌集の各章立ても、「黄蝶の軌跡」「黒揚羽舞う」「孤蝶ゆらゆら」など蝶にちなんだものになっている。
亡父の蝶好きは、母にも私にも今も深い影響を与えているのだ。

そもそも、母と私を熊谷守一ファンにしたのも父だった。15年ほど前、「ぜひ」という父と連れ立って
3人で「熊谷守一美術館」に訪れた際、そのあっけらかんたるフォルムの捉え方に衝撃を受けた。
たっぷり潔いタッチに 明快な色彩、そして一切の無駄な背景を排した迷いのない構図。

左:「熊蜂」1972年/右:「アゲ羽蝶」1976年(96歳、絶筆)

守一の終の棲家となったアトリエ跡に榧さんが建てた「熊谷守一美術館」の壁面にも
かの地で描かれた蟻や蜂が刻まれている。種村季弘は『江戸東京《奇想》徘徊記』の
「池袋モンパルナス」の章で、庭木が残る美術館の隣家に守一の旧宅の面影を見出し、
「ここから遠くないわたしの生家もこんな造りの家だった。もうひとつの池袋がまだ現役で
生きているという気がした」と語っている。私もこの近くに住んでいたことがあるので感慨深い。



熊谷守一は洋画家にありがちな渡欧もせず、「へたも絵のうち」を標榜し、
晩年は小さなアトリエにこもり、「袴を穿くのが嫌」と文化勲章も断って、何十年もの間、
鬱蒼たる庭のいきものたちを観察して過ごした無欲の画家。その風貌からよく仙人ともいわれる。
いわく「絵描きくさいのはやりきれない。それが欠点です」

↑『別冊太陽 きままに絵のみち 熊谷守一』より

先日観た「日本の美術館名品展」でも、天童美術館所蔵の守一作品「兎」(1965年)の前でしばし
釘付けになった。猫も兎も蝶も、このひとの描く小さないきものたちは、いのちそのものだ。



ちなみに、この「日本の美術館名品展」@東京都美術館~7/15にはなかなか凄い作品が会している。
看板に使用されているのはシーレの「カール・グリュンヴァルトの肖像」(豊田市美術館蔵)と
フジタの「私の夢」(新潟県立美術館・万代島美術館蔵)。後者は同展のチラシにも使用されており。

猫をはじめたくさんの動物たちに囲まれたこんな夢、私もぜひみてみたく。。

図録の表紙はボナール。娘(ボナールの妹)をとりまくヒナゲシや蝶や犬の構図がどこか日本的。


岸田劉生の傑作「冬枯れの道路(原宿附近写生)」(新潟県立美術館・万代美術館蔵)にも会えた。
1916年頃のこんなすっきりスカーンとした原宿に、ぜひタイムトリップしてみたい。


猪熊弦一郎の「顔31」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵)も印象深かった。
たまたまだが、つい先日 古書店で入手した大佛次郎「猫のいる日々」の装幀も猪熊弦一郎。
猫にめろめろな大佛次郎先生も好きだけど、表から背~裏表紙に跨る大胆なカバー画もいい。




今週は、久々にひいた風邪が微妙にあとをひき、鎌倉行きの約束もキャンセル。涙ぽろぽろ零しつつ、
新玉葱を7つも刻んだ野菜たっぷりのスープをこしらえ、雨で少し冷える休日のひととき
家でひたすらゆるゆる読書や映画に明け暮れていた。けだるい猫のように朝も夜もわがままに。


そんな折に聞いた忌野清志郎さんの訃報。
うちのご近所さんとは知っていたけど…淋しいなぁ。。
詞集「エリーゼのために」の口絵より
合掌。
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それいゆ、前衛バカ伝説

2009-03-27 04:14:21 | Art
日中、所用で渋谷に出たら、春休みの学生たちが右往左往してて学祭ばりのハレ賑わいだった。
10日遅れで確定申告も無事提出。帰り、上原のパン屋さんに寄ったついでに代々木八幡神社に
足をのばしたら、すぐ側で「ホーッホケキョッ」。2月に代々木公園で目撃したのはどうやら
インコだったようだけど、今度こそ正真正銘のウグイスらしい。花冷えの午後、ほっとゆるむ心。


昨日は松屋銀座で開催中の中原淳一展(~3月30日)へ。
画だけでなく、彼の手がけたファッションやインテリア、文章、パリ時代の写真などなど、
「美しく生きる」というの美意識が 隅々まで濃密に息づいていて引き込まれた。
「それいゆ」をはじめとする雑誌の表紙原画も一同に会していて壮観だった。
1956年
ⓒJUNICHI NAKAHARA
「それいゆ」の表紙画では、これがいっとう好き。女の子も猫もパーフェクト。
その昔、えとさんにこのポストカードをもらい、いまも書棚に飾っている。
それにしても戦後の困窮した時代に、贅沢とは一線を画する美しい生き方を提唱した
「それいゆ」は、奇跡のような雑誌と思う。

1958年
「ジュニアそれいゆ」の表紙画ではとくにこれが好き。どきっとさせられる。
十代の少女たちの美しい人間形成を願い、優しく語りかける彼の文章も、
ひょっとしてこれは上品なお婆さまが話しているのでは?…と思うような滋味が。

「青い鳥」1955年
彼は物語の挿絵も数多く手がけているが、このチルチル ミチルは解釈がすごい。これもだいすき。

1954年
これは「ジュニアそれいゆ」の前身「ひまわり」のブラウス広告。
エレガントなファッション画やスタイリングのアドバイスにも今に通じる洒脱さが。

彼は19歳の時(1932年)にも松屋でフランス人形展を開催したらしく、
その時の作品も展示されていたが、私がとくに魅かれたのは、
晩年に仕事を離れ、自分のセーターの端切れなどを使って制作していたという人形。
ジャコメッティばりの細い細いシルエットにシックな装い、そして清潔な憂い。
パリの残像なのか、自分の分身なのか。翅をつけたらウスバカゲロウのように飛んで行きそう。
1967年


図録も買ったけど、平凡社から出ている中原淳一の本シリーズの方が情報密度が高い。
彼のエッセイは、今読めばある種の時代錯誤的要素も否めない一方、
時代を突き抜けた精神的豊かさがそれを圧倒する。



そういえば、これは中原淳一が手がけたペーパーバックのデザインがプリントされた布地で
随分前に作ってもらった夏用のワンピース。中原淳一ワールドを纏うのもなかなか楽しい。




中原淳一展に行く直前、神保町で打合せをした帰りに、
伯水堂で久々に名物のプードルケーキをいただきながらコーヒーブレイク。
なにもかもがほんものの昭和レトロでたまらない。





ここ数日、朝日新聞の夕刊一面で連載している「前衛バカ伝説」が面白い。
(WBC記事はノーチェックだったけど、バカ伝説はオールチェック)

磯崎新、赤瀬川源平、秋山祐徳太子、篠原有司男、岡本太郎、瀧口修造etc…
日本のアヴァンギャルドの水脈を、今に引き寄せて歯切れよく読ませてくれる。
蔡國強や李禹煥など日本と縁のある中国や韓国の前衛芸術家も抜かりなく採り上げていたし、
ナム・ジュン・パイク夫人の久保田成子の記事というのも久々に見た気がする。

しかし驚いたのは、26日付の前衛バカ伝説⑥。
私の大学時代の担当教授でもあったヤマカツこと、メディア・アートの先駆者・山口勝弘氏が
介護老人ホームで車椅子に座って抽象画を描いている姿が掲載されていたのだ。
退官記念パーティで「ミッキーマウスと同い年」と笑っていた先生も御年80らしい。
どうぞお健やかに。


郵便局に切手を買いに行ったら、こんなのが最近発売になったらしく、思わず購入。
決め手はもちろん「まことちゃん」と「カムイ外伝」。
楳図かずおだけで、もう1シート作ってほしいかも。あと、中原淳一バージョンも!

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LOUVRE/JAZZANOVA

2009-03-03 03:46:43 | Art
うかうかしていたら3月。うかうか。しかも3月というのに風がぴゅうぴゅう寒い。ぴゅうぴゅう。
そんななか、うちの窓辺でぷりぷり春色をふりまいているチューリップ群。ぷりぷり。

ほんの数日前までは、そこに淡色のポピーが居た。

先週の水曜は、キムリエさん&カッシーと代々木八幡でランチ後、
拙宅にて 開き過ぎたポピーに見守られながら企画会議(半分はきゃふきゃふ楽しい雑談)。

翌日、水を取り替える際、ポピーがはらはらと散った。ポピーの花びらは 蝶の翅のよう。
開花するときも蝶が羽化する瞬間みたいでみとれてしまうけど、散った姿も愛おしい。



朝方に雪がちらついた27日金曜は、国立西洋美術館で28日から始まるルーブル展のレセプションへ。

3月に発行される『NODE』vol.6のルーブル展特集の取材で個人的に思い入れがあることを
さっぴいても、非常に贅沢かつマニアックなラインナップだなあと思った。17世紀ヨーロッパという
複雑多様な時代の作品群なのに 構成が明快。野心的なアプローチながら 気どりなく解りやすい。

とりわけ心魅かれたのは、ユトレヒトの画家ヨアヒム・ウテワールのマニエリスム的作品
『アンドロメダを救うペルセウス』(1611年)。国立西洋美術館シニア キュレイターの幸福輝氏や
ルーブル美術館学芸員ブレーズ・デュコス氏も個人的に好きな作品として挙げていたが、同感。

科学革命時代にあえて古代ローマ神話を主題に取り上げ、そこにさまざまな暗喩を込めている。

ウテワール作品に描かれたアンドロメダの足元の珍しい貝殻たちは、
大航海時代を象徴するオブジェでもあったわけだが、フランスからイタリアに越境していた
クロード・ロランの『クリュセイスを父親の元に返すオデュッセウス』(1644年頃)も
大航海時代ならではの作品。古代ギリシア神話をイタリア的な風景で補完している所が面白い。

蜂蜜色の薄暮がなんとも甘美。(余談ながら、昔から進学や転居など何か門出めいた局面で、
よくこんな色を湛えた印象的な船出の夢をみたなぁ。。)

目を見張ったのは、ヤン・ブリューゲル(父)とその工房による1600年頃の作品『火』。
科学革命の時代にも存続し続けた驚異の錬金術ワールドにずぶずぶ吸い込まれる。


いずれも間近に対峙すると、時間を忘れる。百聞は一見にしかず、ぜひ目の当たりに。
画像や印刷物だけじゃ、このマチエールは百分の一も解り得ないから(なんでもそうだけど)。


土曜はnewportでデザイナーのふくちゃん&イラストレーターのあさみさんとゴハン。
先日も書いた塩川いずみさんのネコ展の最終日だったのだが、彼女とあさみさんたちが
ユトレヒトから出しているイラストレーション集「AURORA」も店内で販売中。すこぶるよいです。

↓マッシュルームカットがキュートなあさみさんと小島聖似のふくちゃんのシルエット。。

お店を出た後、ふくちゃんと朝7時過ぎ(!)までうちで猫談義。ぁあ 猫噺は無限!


日曜夕刻は、レイちゃん&ハカセと恵比寿で待ち合わせてリキッドルームへ。
渋谷川沿いにヒメツルソバがびっしり密生していた。


はい、こちらのイベント。


ベルリン発JAZZANOVAのJurgen von. Knoblauchの超雑食なDJがすごく好みだった。
ROOT SOULやKYOTO JAZZ MASSIVEのLIVEがかっこよかったのはもちろん、
沖野さんのMCが関西漫才っぽくて爆笑。


帰りに恵比寿のカフェでレイちゃんと雛談義(?)。
ミルクふわっふわのカプチーノと私(うかうか)。。

今日は雛祭。実家では雛壇は出さず、お雛様とお内裏様だけ簡易的に飾っているよう。
さっき酒粕と生姜汁と三温糖で甘酒をこしらえてみた。すごくあったまる。
眠る前に、三島由紀夫の短編『雛の宿』を久々に読み返してみよう

この時季は寒暖差が激しいうえ、免疫力が下がるので、体調不良に陥りがち。どうぞご自愛を。
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ルーヴル、またはイームズ

2009-01-24 06:57:57 | Art
黙々と原稿を書いていると、窓辺のフリージアがふと真夜中に香る。何かの合図のように―
今週は〆切りウィークにつき、後半は怒涛の缶詰モードだった。
そういう時の必須7つ小道具↓

くたびれた取材ノート、年季の入ったクオ・ヴァディス、インタビューが収録されたICレコーダー、
エスプレッソ、ミネラルウォーター(龍泉洞の水)、チョコ(カカオ85%)、蜜蝋のリップクリーム。

で、今週はこんなCDをよく聴いていた。
原稿を書く時はまず音楽は聴かない(聴けない)けど、合間のブレイク(逃避)タイムとか、
肉ジャガを作りながらとか、ベッドに入る前とか、あるいは起き抜けとかに。

ベティ・ブルーのサントラは、先日観た花組芝居の夜叉ケ池でも数曲使われていた。
Stanley CowellとHAUSCHKAは、雨がおちた夜にとても聴きたくなって。
一番よく聴いたのはYMOの’08スペイン ヒホンでのライブ版「GIÓNYMO」。
何かをとうに超えた、遠く澄んだグルーヴ。心身に一番快いかたちでしみこんでいく。


遡ること20日は、国立西洋美術館で2/28から始まる
「ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」の取材。

シニア・キュレイターの幸福氏(ご利益ありそうなお名前)のお話が実に興味深く。
(詳細は3月に発売される『NODE』のルーブル特集をお楽しみに!)

実は私、ルーヴル美術館は卒業旅行以来行っていない。書棚からその時のお土産本を発掘。

あの時はギリシア美術エリアで迷ってしまい、サモトラケのニケばかり印象に残っている。。

ベルトルッチの映画『ドリーマーズ』に、少年少女が手をとってルーヴル美術館を疾走するシーンが
あった。ゴダールやトリュフォーへのオマージュだったのだと思うけど、はっとするほど美しかった。


西洋美術館取材後、さらに渋谷で2件取材。夕刻、コーヒーと何か甘いものが食べたくなって
青山のCēlēb de TOMATOに入ると、編集者のヨシコさんとカメラマンのタカオさんにばったり。
(私は意外な場所で知人に遭遇しても全然察知できず、たいてい相手が気づいてくれるのだけど)

トマトのスイーツをいただきながら3人でしばしお茶。久々に逢うヨシコさんは相変わらずソフトで
タヒチやモルディブやハワイなどリゾート取材でよくご一緒したタカオさんのトークも懐かしく。


翌21日も渋谷で取材。帰宅後に朝刊と夕刊を一緒に読んだ。
かつてゴアがジョージに敗れた日、これは大変なことになるなと嘆息したけど、いまはその逆。

道のりはながくけわしいと思うけど、この“責任”の延長には私たちもいる。

アメリカといえば、米国在住のやまねちゃんと10数年ぶりにコンタクトがとれた。
このところ、懐かしい人たちとの邂逅が続いていてうれしい。

21日の夜は雨になり、ルーブル関連の原稿を幾つか終えるや、
今度はイームズ記事の原稿にとりかかった。
17世紀ヨーロッパから、いきなしアメリカ-ミッド・センチュリー。
どっちも面白いけど、ものすごい脳内トリップに一瞬くらくらっっ

レイアウト用に、自宅でマイシェルアームチェアを撮影。後ろ姿もかわいい。

ニキもイームズをご愛用だった。彼女の呑気な爪跡が、今もシェルのあちこちに残っている。

ぁあ、週末も原稿が続く。。To be continue・・・
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満月週間、クレー、カラス

2009-01-15 21:48:28 | Art
今週は、今年最初の満月ウィーク。連休最終日の夜明け前、雲の間に間に満月が踊っていた。

13日は、歌集の打ち合わせでやってきた母と東京駅で待ち合わせし、新丸ビルでゴハン。
駅前は丸の内駅舎を創建当時の姿に復元する工事の真最中で、方々が工事用の壁で覆われていた。
壊すばかりの東京で、復元という選択は英断。90余年前の姿が甦るのが愉しみ。



翌14日は、母とBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の
「20世紀美術のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展へ。
点数自体はそれほどなかったけど、クレー作品は素晴らしいセレクション!
ⓒkunstsammlung Nordrthein,Düsseldorf
パウル・クレー「リズミカルな森のラクダ」1920年

好みなのはやはりクレーと同じバウハウス仲間のオスカー・シュレンマーと、エルンスト作品。
シャガールはあまり好みじゃないのだけど、「バイオリン弾き」という作品には魅了された。
動物モチーフが多いフランツ・マルクの作品も、独特の寓話的な世界観に引き込まれた。
ⓒkunstsammlung Nordrthein,Düsseldorf
フランツ・マルク「3匹の猫」1913年

今回の展覧会は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館の改修休館に伴う巡回展とか。
グッゲンハイムにもひけをとらない、なかなか厳選された渋い20世紀美術コレクションだなぁと感心。
最終日近くになるとまたすごい行列になるのかもしれないけど、今はまだ空いているので狙い目かも。

ランチ後は母と別れ、取材でホテルパシフィック東京へ。
随所に漂う70年代的モダニズムの香りが個人的にツボ。



本日は、母と日本橋高島屋で開催中の「智積院講堂襖絵完成記念 田渕俊夫展」へ。
京都東山にある真言宗智山派の総本山に奉納された襖絵60面は、墨の濃淡だけで表現されており、
繊細なモノクロームの写真のよう。↓これは夏をテーマにした「金剛の間」の襖絵。田渕画伯いわく
代々木公園でたまたま枝を伐られた欅を見て情を覚え、そこから繁茂した枝葉を想像で描いたという。

じっと眺めていると、葉のそよぎや木漏れ日のゆらめきが しずかに立ち上ってくるよう。


後姿は30代にも見えそうな古希の母を東京駅まで送った後、
帰りに清々しい冬晴れの代々木公園をゆるゆる散策。
都内では珍しい雪つり。

樹木の向こうに一瞬閃く まるい夕陽。


頭上には、あるじなきドラえもんの凧。スネ夫の顔が少し破れていた。


新芽がぷくぷく膨らみかけた桜の梢には、羽をまるく膨らませたハシブトガラスくん。

そうそうカラスといえば、近所のスーパーマーケットの軒先に並んでいた干し柿のパッケージを
嘴で巧みに破り、中身のひとつをあっという間にくわえてひらり飛び去っていく勇姿を本日目撃。
あまりに無駄のないシャープなシゴトっぷりに、思わず「かっこいい…!」と呟いてしまった。
(*よいこはまねしないようにしましょう)
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ハンマースホイとフジタ、その白い迷宮

2008-12-10 03:43:10 | Art
快い冬晴れから一転、どんよりした火曜は終日うちで原稿書き。
けど、月曜に取材や資料探しで動き回ったせいかちょっと気だるい。。
忘れる前に、日曜に上野でみた2つの美術展の感想など、さくっと。

まずは国立西洋美術館。


みたのは、「ヴィルヘレム・ハンマースホイ 静かなる詩情」(例によって最終日滑り込み…)。
ハンマースホイは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したスウェーデンの画家。
日本ではあまり知られていないが、近年欧米で再評価されており、今回は本邦初の大回顧展だった。

↑ポスターやチラシのキーヴィジュアルになった作品<背を向けた若い女のいる室内>をはじめ
数々の絵に登場するオブジェのひとつ、ロイヤルコペンハーゲンのアンティークも展示されていた。

ハンマースホイ作品は、フェルメールをはじめ17世紀オランダ絵画を構図的に引用しつつ、
その極めて精緻で静謐な絵世界の中に、どこか謎めいた演劇的な時空を内包している。
登場人物の多くは後ろ向き。顔が見えていても、その視線はまずこちらに合わされることはない。
<ピアノを弾く女のいる室内、ストランゲーゼ30番地> 1901年

1898年に夫婦で移り住んだストランゲーゼ30番地の居室が、多くの作品の舞台となった。
妻イーダの白いうなじ、黒いドレス、白いエプロン、白いクロス、白い器、白い窓枠、白いカーテン、
白い扉、白い壁、木製のピアノ、木製の椅子、木製のテーブル・・・
それらがそっと現れたり消えたりしながら、繰り返し繰り返し描かれる。
まるで 室内から室内を 透明なカメラが彷徨するように。
<室内、ストランゲーゼ30番地> 1900年頃

そして気づくと、鑑賞者自身がカメラとなってストランゲーゼ30番地に潜む白い迷路を彷徨し、
その不思議な気配に満ちた密室劇にすっかり魂を奪われてしまうのだ。
<陽光の中で読書する女 ストランゲーゼ30番地> 1899年

ハンマースホイは旅先でもこうした独特の室内風景を描いている。
先のストランゲーゼ30番地シリーズでもそうだが、影の位置が不自然であるなど
決してリアリズムではなく、時間経過や視点のずれを巧妙に取り込んでいたりする。
そこに生じる奇妙さを不気味と捉えるか、心地よいと感じるかは鑑賞者しだい。
<リネゴーオンの大ホール>1909年


その日はハンマースホイだけでもう十分満足だったのだけど、帰りに上野公園を散策していたら
ついこれが目に入り、気がついたら「上野の森美術館」に吸い込まれていた。


今度はレオナール・フジタの“乳白色の迷宮”へ――
<仰臥裸婦>1931年

フジタは自画像にもよく猫のこうした表情を描いているが
これはよほど愛する人にしか見せない猫特有のラブラブ顔。
<猫のいる自画像>1927年頃

晩年 カトリックに改宗し、旧約聖書をよく作品の題材にしたフジタの<イブ>シリーズとも初対面。
かつてフジタは「偽りのない処人間の最始の人であるアダムになり、イブを恋人とし、
大自然の楽園で、政治も戦争も機械文明もなく、ただ呑気に暮らしてみたい」と云ったとか。
<イブ>1959年

「平和の聖母礼拝堂」用に創られたステンドグラスも再現され展示されていた。
これは音楽の守護聖人でもある聖チェチーリア。


フジタ展の図録も充実の内容。表紙に用いられているのは大作<ライオンのいる構図>のディテール。
一連の群像表現の中からこの部分を切り取ってくるセンスが心憎い。左端になにげにいるのは猫。


フジタが手がけた陶芸作品や夫人への贈物用に創った木箱なども展示されていた。
友人のコクトーはそれらの作品を見て「ルイス・キャロルの魔法の世界を見出せる」と語ったそう。
そうした作品のひとつ「猫の聖母子」の復刻版を販売していたので入手。

昨日、えとさんのお誕生日プレゼントに贈った。

フジタは仕立て屋としても一流だったようで、愛用の裁縫箱の絵をモチーフにした缶も
ミュージアムショップに。商売上手だなぁとか思いつつ、このガーリー感がたまらず購入(笑)。


☆☆
先日 コーヒーが解禁になったとたん、コーヒーが切れ、近所のやなか珈琲へ調達に。
「いつものを300gお願いします」とオーダーして待っていると、
お店のロゴやパッケージのイメージを手がけている本多廣美氏の個展案内をいただいた。
案内状(↓右)の木版画「月と廃墟」も寓話的でいい。
2008.12.18~23本多廣美「奇想の木版画展」@ぎゃらりーパステル


これはやなか珈琲の壁にかかっていた本多氏の木版画のひとつ。
 
<ひみつ>
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2つの写真展とユルスナールの靴

2008-11-09 07:55:16 | Art
週末、打ち合わせ帰りに銀座で見つけ、思わず連れてきた薄紫色のレースフラワー。
うっすら曇った空の色に融けてしまいそうな。


木曜は夕方に代官山でパリから来日していたマダム キャロル・フランクのインタビュー。
金曜は朝から汐留の日テレで原千晶さんのインタビュー。
冷たい雨がおちるという天気予報はあっさり外れ、眩しいほどの秋晴れ。

たまたま日テレのロビーで流れていたニュースで、イタリアのベルルスコーニ首相が
オバマ氏を「若くハンサムで、日焼けしてる(giovane bello e anche abbronzato)」と評した
人種差別問題が報道されていた。あちゃー なんておばかなイタリアンジョークを全世界の電波に。。


金曜は取材帰りに写真展をはしご。
まず、近所のラムフロムで始まった瀧本幹也 新作展「Iceland」へ。
エントランスには瀧本氏とのコラボレーションが多い坂本龍一氏からのお花も。
Icelandで今春撮影したという不思議なコントラストのランドスケープは、何処か別の惑星の如し。

ときに…Icelandって この世界的な金融波乱の余波であらゆる金融機関が破産寸前に陥っている国。
マネーに翻弄される世界と この静謐な風景との乖離を思いつつ、絵画のようなプリントに眼を奪われ。


いったん帰宅後、夜は筑波時代の先輩 芝田文乃さんの写真展を観に新宿三丁目へ。

真ん中が文乃(あやの)さん。お会いするのは多分10数年ぶり(!) でもほぼ変っていない印象。
彼女はポーランドのクラクフに毎夏長期滞在しており、1年間に撮影したモノクロスナップの中から
約30点を選び、「いったりきたり」シリーズと銘打った写真展を開催している。今回はその9回目。

「芝田文乃写真展 いったりきたり日記 / 2007年版」 本日最終日!必見!
2008年11月1日~11月9日(日)13:00-20:00 @galeriaQ 新宿区新宿3-8-9新宿Qビル4F
新宿三丁目駅 C5出口正面(1F「雪園」。途中階にセクシィなお店があるけどめげずに4Fへ!)

国や街を問わず、何かを待ち受けたり構えることもなく、ふと興味を持った対象や場面を
時にはファインダーを覗くことさえなく 直感的にシャッターを切った写真には
すれちがう瞬間の人々(あるいは小動物)の無防備な仕草や表情、佇まいが絶妙に活写されている。
名前も知らない人たちの それぞれの物語が、奥深い群像劇のように浮かび上がってくる面白さ。

今回の作品とは異なるが、過去の文乃さんの作品にも好きな写真がたくさんある。
これは1992年 芝田文乃写真展『ポーランドの夏休み』より。


これは1993年 芝田文乃写真展『うつつの途中』より。

写真展では過去の写真展の図録も閲覧・購入できるのでぜひ!


☆☆
ハロウィンが終わったとたん、街にはクリスマス装飾がちらほら。
年々 クリスマスが前倒し化している印象だが、意外にも銀座はまだ控え目だった。
打ち合わせ帰りにニューメルサ前で見たLois CRAYONのディスプレイはクリスマス色ゼロ。
スーパーブランドが軒を連ねるなか 非常に地味ながら、実際の本がぎっしり並んだ書棚がナイス。


これは新宿から帰る道すがらに見た伊勢丹の変化球的クリスマスディスプレイ。



近々、紅玉をいっぱい買ってきてタルト・タタンを作ろ――と、これを見て決意。。


土曜はちょっとけだるかったので、日がな一日ゆるゆる過ごすことに決め込む。
ブランチに胡瓜と卵とハムのサンドイッチをどっさりこしらえ、午後はひたすら怠惰に。。
 
うー 我ながらワイルドなできばえ。。前夜に伊勢丹で見たリンゴディスプレイのサブリミナル効果で
(或いはえとさんに伝授されたミドリカワ書房『リンゴガール』の影響か…?!)デザートはリンゴ。

夜はベッドで10年ほど前に読んだ須賀敦子著『ユルスナールの靴』の文庫本をつらつら。

冒頭の3行で本の真価は解る(特に小説やエッセイ)、というのが十代の頃からの持論なのだが
この本は、まさにそれを裏切らない一文で始まる―
「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
 そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
 私はこれまで生きてきたような気がする。」

―靴をモティーフに語られるユルスナール×スガワールドが、こんな日はただただ心地よい。
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駒場散歩とピカソ展

2008-10-09 03:25:21 | Art
月曜、母が伊豆旅行の帰りにうちへ泊まりに。火曜、母と駒場界隈をお散歩し、久々に駒場公園へ。
日本近代文学館はあいにく休館していたけど、英国風の旧前田公爵邸の外観を眺めるだけでも一興。
エントランスのチューダー式アーチから臨める庭園が眩しい。

アーチのディテール。美しいお菓子のよう。


ひときわ金木犀の香りが濃厚だなと思ったら、公園の一角に満開の巨木が。


この季節は、金木犀アロマの天然デオドランド効果で、東京中の排ガス臭がかき消されてほっとする。


どんぐりは まだ青かった。


足元にはショウリョウバッタ。「駒場だからコマバッタね」by母


駒場公園周囲の家々は、どこもハロウィンの飾りつけ率が高く、カボチャ大王があちこちに。


駒場公園脇の日本民藝館にも寄り道。母は35年ぶりだったよう(!)
たっぷり豪気な陶磁器や壺など、宗悦セレクトの工芸品の数々は、時代を超えてあたらしい。
特別展「韓国の鍵と錠」も拝見。魚を象った錠のフォルムがなんとも優美だった。



水曜は、新国立美術館で始まったばかりのピカソ展へ。
小雨が時折りぱらつく天候のせいか、懸念していたほど人も多くなく、快適に観られた。


今展は過去に例のないスケールというだけあり、ピカソの天才っぷりに改めて仰天させられた。
(「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」っていうタイトルは、一考してほしかったけど…)

先日の「アヴァンギャルド・チャイナ」展もそうだったが、この美術館はキュレーションが秀逸。
鳴り物入りの超有名作品以外は 散漫な展示でお茶を濁す一点豪華主義とは確実に一線を画する。

青の時代からキュビズム、新古典主義、シュルレアリスムなどピカソのダイナミックな作風の変遷を
自然に体感できるよう、随所に大作を配しつつ、そこに至るまでの思考過程を紐解く鍵となる
素描や習作を細かく見せる展示になっており、ピカソの脳内に分け入っていくような感覚に。

それにしても生のピカソ作品には、印刷物で観るのとはまったく違う強烈なオーラがあってぞくっとする。
140点をじっくり観て疲れるかと思いきや、傑出した本物に触れてかえって元気に。
そんなわけで、サントリー美術館で同時開催中のピカソ展「魂のポートレート」へも足を延ばした。

こちらはピカソ自身を投影した初期から晩年までの作品60点を網羅。↑猫の塑像もあり。
2つのピカソ展を併せて観たことで、さらに天才の紙一重ぶりを思い知る。

サントリー美術館はスタッフのシックな制服までデザインした隈研吾の美意識が行き届いていて快い。
美術館のあるミッドタウンの一角には、ピカソに関する書物やアイテムをテーマにしたコーナーも。
右はデジカメ撮影中の母。


実は先週末、微熱が出て一瞬ダウン。先日受けた渋谷区の健康診断では
例年通り総て正常値だったけど、この季節は微熱が出ることがなぜか多い。。

日曜、予定では終わっているはずのイサム ノグチについての原稿にやっと手をつけるも、
微熱の名残りで気だるいので、気分転換に近所のお花屋さんで花を思いつくまま包んでもらう。

そういえば母が、「庭の金木犀が伸び放題だったから、今年はたくさん剪定した」と云っていた。
それ、すごくほしかったー、お母さん。
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藤城清治/液晶絵画

2008-09-06 10:10:07 | Art
9月の声を聞くいなや慌しさが舞い戻り。それでも水曜は銀座での打ち合わせ帰りに
教文館の9Fウィンライト・ホールで開催していた「藤城清治 光と影」展へ。
            
藤城清治といえば、1970年代に放映されていた夕方の天気予報の背景の影絵で親しんだくち。
あの黒い切れ長の瞳を見ると、条件反射的にノスタルジーのスイッチが入ってしまう。
アンデルセンや宮澤賢治の童話をテーマにした作品をじーっと見つめていたら、なぜか涙腺がゆるみ。

教文館のビルは昭和初期の造りらしくとてもレトロ。6Fにある子供の本専門店「ナルニア国」では
パロル舎発行の画本 宮沢賢治の挿画を手がけている小林敏也の原画を展示していた。
スクラッチペンで引っ掻いて描く独特の線画と絶妙な構図は
あまたある賢治本の中でも図抜けたインパクト。
 「どんぐりと山猫」


そうそう、写美で先週観た「液晶絵画」の感想メモも一寸。

↑チラシの“少女”はもちろん森村泰昌センセイ。フェルメールのアトリエを再現し、
そこで画家に扮したり、モデルの少女になったり、それらを劇中劇のように撮影した映像を
同時に見せたりと、例によってなりきり放題。上野でやってる本家フェルメール展もかすみそう(笑)

17世紀の静物画風の桃や兎が徐々に朽ちていく様を見せたサム・テイラー=ウッドの映像や
諍いもつれ合う老若男女のアクションを超スロー再生したイブ・サスマンの作品など、
21世紀以降の映像作品群に混って、くらくらするほど懐かしい映像と2つばかり再会した。

ひとつはブライアン・イーノの「サースデイ・アフタヌーン」(↑左下)。
1984年夏頃、とんがったショップでは軒並みこのビデオを流していたっけ。モニターを縦にしてね。

もうひとつは、ビル・ヴィオラの初期作品「プールの反映(1977-1979年)」↓
大学時代、ヤマカツこと映像作家の山口勝弘教授が授業でこの作品をみせてくれた。

1人の男がプールに飛び込む瞬間、「やっ」という声と共に中空でその姿が突如静止し、
水面だけは何事もなかったかのようにゆらめき続け、男の姿も緑のしじまにフェイドアウトしていく。
遠い日の教室で観たわずか7分間の映像との思いがけない再会に、ちょっとめくるめいてしまった。


木曜、キムリエさん&キムナオさん&カッシーと京都以来の再集合。みなと居ると仕事も和むなあ。
高井戸で女優の貫地谷しほりさんを取材後、恵比寿でカッシーとゴハン。さらにホテル クラスカの
ギャラリー&ショップ ドーで開催中の「鳩時計 push me pull you 澄敬一の仕事」展へ。
演劇空間に迷いこんだような印象。会場に居らっしゃった澄さんに興味深い話をいろいろ伺う。
鳩時計の時報「ぽっぽ♪」懐かしい。その後、レイちゃんとラウンジで夜更けまで尽きないお喋り。

金曜、少々寝不足のまま、苦手な朝一打ち合わせ@田町。その後、ダッシュで新宿へ。
編集長をやめて自由を満喫中のはなちゃんとパークハイアットのNYグリルでランチ。
 52Fから臨むこんもり緑の代々木公園。
マウイ&カウアイでのとほほ話や、ゴールドコーストでの私の今では信じ難いバンジージャンプ騒動など
一緒に取材に行った時の笑い話やらなにやら話題は尽きず、気がついたらランチのはずが夕方に。


はなちゃんの車で送ってもらって帰宅すると、宅配BOXに荷物が。
4月末頃、エドツワキさんが手がけるブランドnakEd bunchの展示会で、エドさんを取材した際、
撮影の合間にちゃっかり注文していた秋冬物商品だった。微に入り細に入り凝ったデザイン。

あの時はニキが突発的な入退院を繰り返しており、取材後に即行で病院に行く予定だったため
試着もせずに選んだけど、サイズもちょうどよく。これを着てニキを抱っこしたかったな。


原稿締め切りラッシュ。集中して書かなきゃ。そういうときは、チョコ必須。
ここんとこ切らしていたカカオ100%のビターチョコを、銀座打ち合わせついでに三越デパ地下で補給。

無糖ゆえ、カカオ本来の甘みを感応できる魔性のチョコ。
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アヴァンギャルド・チャイナ

2008-08-30 05:05:51 | Art
今夜はあまりにすごい雷鳴の連続で、PCをしばらく使えず。
さっきやっとメールチェックしたら、案の定、来週からまた多忙な日々に突入―
まあうすうすそんな予感はあったので、少しゆるめだった今週のうちに美術館をハシゴ。
まずは乃木坂の新国立美術館へ。うねったガラス越しに臨める雨模様。ふと金魚鉢の金魚気分に↑

お目当ては、先週から始まった『アヴァンギャルド・チャイナ〈中国当代美術〉二十年』展。
‘80年代の改革開放以降の中国が突き進んできた激動の時代に、
中国のアートがいかに変化してきたかをリアルに伝える絶妙なキュレーションだった。

“ポリティカル・ポップ”とか“シニカル・リアリズム”とか…まあものは言いようだけど
●派、●ismなどと括れないほど多様で鮮烈。とかく欧米偏重になりがちなアート界で異様な存在感。
「不快に感じるかもしれない場面があることを予めご了承ください」
みたいな但書き付きの映像作品も。(確かに30秒で「ご免なさいっ」な作品も少々)
各国の衣装を着た老人たちのリアル蝋人形が車椅子でうごめくインスタレーションは、
その夥しい車椅子の群れに観客も“参加”できるようにしたら、さらに強烈だったかも。

ご近所だからいつでも行けるとあなどって見逃してしまった『青春のロシア・アヴァンギャルド』の
リベンジで行ったわけじゃないけど。“アヴァンギャルド・チャイナ”のカオスに少々中てられた…
北京五輪後の中国で、これがどう変わっていくのか 注視したい。


水曜は、素敵なマダム千鶴子さんのお誘いで上野の都美術館へ。
日仏現代美術展に千鶴子さんのお兄さん(本業は写真家)が入選なさったというので伺ったのだが
公募展を観るのは実に久々。キュレーターが蒐集したものとはまた違う世界をたのしんだ。
美術館前に居た青いキリン。

実はこの日、折からの急激な気温変化のせいか胃腸の具合が芳しくなかったのだけど
向日葵のように明るい千鶴子さんと上野~谷中界隈を散歩しながらお喋りしたらすっかり回復。
ランチ後、お別れして恵比寿の写真美術館へ。ここで上映中の『いま ここにある風景』が
北京五輪の華やかな終幕を目撃した後、どうしても観たくなったのだ。


産業化により激変する風景を世界各国で撮っている
カナダの写真家エドワード・バーティンスキーを追ったドキュメンタリー作品。
グローバル化する中国のランドスケープは、限りなく凄まじく、果てしなくとんでもなかった。
へたなSF映画など消し飛ぶシュールさ。“世界の工場”たる中国のいまを痛烈に照射していた。が、
他山の石にあらず。これはアメリカであり、日本であり、すべてのグローバル世界の側面でもある。
ゆえに戦慄を覚えるのだ。アル・ゴアも支持するというこの映画、
「これは“地球の壊され方”か、それとも人類繁栄の足跡か。」というキャッチが云い得て妙。

ちなみに、この映画でも採り上げられていた世界最大の山峡ダム建設をテーマにした中国映画
『長江哀歌』も今春、やはり写美で観たが、従来の映画セオリーを超越した作品だった。
貯水テストだけで地球の揺れ(?!)が観測されたという超巨大ダム建設のために、
雇われた住民たちが住み慣れた町を延々黙々と粉砕し続ける光景もまた恐ろしくシュールでかなしい。
祖国の古都を自らの手で爆心地のような巨大廃墟にする―それは自らの身体の破壊行為に近い。

同じ監督のジャ・ジャンクーが作った映画『世界』(弟に借りたDVD)も今週観た。

エッフェル塔やタージ・マハールなど世界100カ所以上のモニュメントが10分の1に縮小再現された
北京郊外に実在する観光スポット「世界公園」が舞台。登場人物の多くもそこの労働者たち。

ピラミッドからカメラがパンするとサンピエトロ寺院が見えたり、
マンハッタンを案内していた男がツインタワーを指差し「ここのは爆破されていないぞ」と云ったり。
すべてがシュール極まりなく、フェイクだらけの世界を彩る模造の華やかさが空疎でせつない。

10年ほど前、北京留学中の弟を訪ねて中国旅行した際に感じた この国の無茶苦茶な膨大さや、
隣国なのに欧米よりも新鮮だった街や人のありようをまざまざと思い出した。

半年以上前に試写で観た中国映画『胡同の理髪師』は、北京五輪を控え、どんどん破壊されている
胡同の古い家並みの一角に実際に暮らす90代の理髪師が主人公。(原題は まんま『剃頭匠』!)
華麗なファッションショーや北京五輪のニュースを流すTVをバックに麻雀に興じる
界隈の老人たちがしだいに消えていく中、独りしゃんと胡同で生き続けるお爺さんの素敵なこと!

『いま ここにある風景』でも、高層ビル建築のために立ち退きを迫られつつ
かたくなに拒絶し続ける老婆が、陽だまりで独り淡々黙々と刺繍をする姿が鮮烈だった。

旧い中国を象徴する事物がたとえ粉砕されても、それを目の当りにした記憶は失せない。
大成功の幕を引いた北京五輪の熱狂後の中国社会のあり方は、
中国のアーティストたちに少なからぬ影響を与えるのだろう。
計り知れない映画やアートを生み出すこの国のアヴァンギャルドパワー、ますます気になる。

(あ、写美で『液晶絵画/STILL/MOTION』も観たんだけど、その感想も追って)
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団地~かき氷~バウハウス

2008-07-22 04:43:36 | Art
三連休は出ずっぱり。ひたすら暑かったけど、とっても有意義だった。ちょっと長くなるかも。
まず土曜は『NODE』の取材で取手へ。これは取手市井野団地の子供たち。
井野団地とは昭和44年に作られた大規模団地。今もここには約6千名の住人が暮らしている。

なぜ団地なのかというと、私が“団地萌え”だからではなく(笑)
取手アートプロジェクト(通称TAP)の一環で、この団地内のショッピングセンターを
新進芸術家のための共同アトリエ用に改修した井野アーティストヴィレッジが昨年末より稼動しており、
今回はその取材だった。

かなりユニークかつ興味深いプロジェクト。詳細は『NODE』4号をお楽しみに!

これはアーティストヴィレッジの2階にある、改装された団地部屋。やはり団地萌え心が騒ぐ(笑)
逆光になっちゃったけど、この方はTAPの中核を担う東京藝大の渡辺好明教授。


取材後は、藝大通りにある心地よいGallery&Café「Omonma Tent」で一休み。
Caféの椅子やテーブルもアーティストの作品。今夏オープンしたばかりだそう。
取手アートプロジェクト2008に出かける際は、ぜひ立ち寄りたいスポット。


さらに渡辺教授が車で藝大の取手キャンパスや、市内で活動する卒業生たちの工房などを
案内してくださった。取手キャンパスは広々と緑豊かな敷地が筑波大に似ていてびっくり!
これは民家の一角にある旧い蔵を改装した、彫刻科の卒業生たちのための本格的な工房。
裏はいい感じに鄙びた神社。こうした所から密やかに傑作が生み出されているのだ。


帰りは我孫子駅から千代田線で都内まで爆睡。で、その足で中目黒へ。
ひだか、親方、やごちゃんとわいわい飲みながらの夕飯。終電を逃したので、みんなでうちに。
深夜に'80年代炸裂なDVDを散々観てまたわいわい。

朝方にみんなが帰った後、私のバッグにライムが、そして部屋の一角に檸檬がころころあるのを発見。
ひだかが全部くれるというので、贅沢に生絞りジュースにしていただいた。
このお花は20日が命日のみるを思って活けた。黄色い巨大たんぽぽみたいのはひまわりの一種。

☆☆
日曜は、炎天下の昼下がりに 縁日のような人だかりの表参道を抜け、自転車で麻布十番の
Gallery Toricoで7/29まで開催中の安達ロベルト写真展ContractsI(コントラクツ第一楽章)へ。

音楽家としての顔も持つ安達ロベルトさん。
トリコにはこの企画のために作った澄んだ音響が流れており。
横浜と鎌倉をモチーフにしたモノクロームの静謐な写真と対峙すると、
ステレオタイプな横浜や鎌倉とはまったく異質の昏い世界へと迷い込む。

ロベルトさんとしばしお話した後、キムリエさんと一緒にトリコのすぐ側にあるGallery Café high-kyo へ。
お目当ては、移動かき氷の空海-Kuna-さん

数年前から、夏休みの土日のみ 都内のカフェ、雑貨屋さん、古着屋さんなどで
こんな風に氷をがりがり削って販売しているのだとか。
本業は別にあるそうで、いわく「とにかくかき氷が好きなんです」。
なんてシュールなサマーワーク!


生苺と生白桃のかき氷。人工色素や香料は無添加。天然果実の甘酸っぱさとサクサクの氷が絶妙!
空海-Kuna-さんは来週は別の場所に移動し、high-kyoは8月にCloseするそう。
すこし淋しいけど、その儚さこそ まさに融ける氷のごとし。永遠の夏のひとこまなのかも。。

☆☆
連休最終日は、東京藝大 大学美術館で開催していたバウハウス・デッサウ展へ。

バウハウスが最も盛り上がっていたデッサウ期を中心とした作品はなかなか興味深かった。
ただ、展示最終日だったせいか入口は長蛇の列。sale会場かというような混雑ぶり。。

これはバウハウスとは何の関係もなく、美術館内の食堂。
いま、『モダン・インテリア』でたまたまミース・ファン・デル・ローエの記事を書いており、
クレーのDVDも別の企画で紹介したりしている。ふたりともバウハウスなくしては語れない人たち。
私がバウハウス関係で特に好きなのはオスカー・シュレンマー。彼の静物画のような人物画にも、
機械のような動きをダンスに取り入れた「トリアディック・バレエ」にも、不思議な魅力がある。

土曜は藝大取手キャンパスの施設の充実度に驚かされたが、上野キャンパスはレトロな建物がいい。
敷地内の陳列館で開催していた洞爺湖サミットのポスター展を観た後、
藝大横にある築101年の古民家 市田邸へ。石塀にびっしりと ゴールドの蝉蝉蝉蝉蝉。。。
みーん♪蝉は販売もしていた。
これは彫刻家の学生さんによる「続・続展」なる企画展。
邸に上がると、畳に直置きされた妖怪めいた彫刻たちと、風流な濡れ縁の感じが妙に心和み。。


市田邸を後に、脇の路地から言問通り方向に抜ける路地を散策していると、こんな看板が。。

抜けている箇所にどんな文字を入れるのか、すごく気になる。

言問い通りから三崎通りを抜け、岡倉天心公園の前を通過した辺りで、ばったり黒猫と遭遇。
おおあくび。

通りすがりのマドモアゼルたちも「オー!シャノワッ(Chat Noir)」と撫で撫で。


谷中銀座に続くゆうやけだんだんに出ると、またまた黒猫。
黒猫と逢うとやはり無条件にうれしい。たとえニキみたいにふわふわ尻尾じゃなくても。


谷中界隈には弟が学生時代に住んでいてよく遊びに来たので、なんだか懐かしかった。
歩き回ってお腹が空いたので、「かわむら」で冷たいお蕎麦をつるつるっと食べた後、
並びの甘味やさんでソフトクリームあんみつのデザートをいただいた。甘いものは別腹ですから。

しかし炎天下によくもまぁあちこち歩き回ったなぁ。。
ただ問題は、これから宿題の原稿を書かねばならないこと(夏休み最終日のこどもの心境)。。
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森山大道写真展へ

2008-06-06 02:12:01 | Art
忘れないうちに書いておこう。
先日、写美で開催中の森山大道展(~6/29)に行ってきた。
I レトロスペクティブ 1965-2005 /II ハワイの二部構成になっており、私は後者から観た。

正直、学生時代に写真をほんの少し齧っていた頃は、森山大道の作品があまり好みではなかった。
たとえば緻密なデッサンを学んでいるさなかに、へもへもの円と*印みたいなのがささっとラフに
描かれたミロの鉛筆素描を見せられても、いまいちその魅力の真髄に気付けないように、
森山大道の いわゆる“アレ、ブレ、ボケ”カットは、当時、私の心をさほど動かさなかった。

しかし。昨年発表された森山大道の最新写真集「ハワイ」には参った。
こんなハワイ、みたことなかったから。聖俗混交するハワイの或る本質を 本能的に照射していた。
彼の撮るハワイをひとことで形容するとしたら、圧倒的に「ぼへーーっ」とした感じ。
 ハワイ 2007年
写真集「ハワイ」からセレクトされた150点がダイナミックに配された展示が、まず見事だった。
↑の写真など、どこかの手狭なワンルームがすっぽり収まるくらいの巨大プリント。
もう、理屈抜きに凄い。

私は今まで、ネイバーアイランドも含めハワイには仕事で数回訪れており、
その度に私的拙スナップを撮るのだが、どこをどう切り撮ってもいつも何かしっくりこなかった。
ヨーロッパやアジア、北アフリカの路地裏や雑踏を撮るときの、あのわくわく感に突き動かされて
シャッターを押すという瞬間がついぞ訪れないまま、ハワイではいつもただなんとなく撮っていた。
恐らく仕事で眼にするステレオタイプのハワイ写真に食傷し、ピュアな視線を失っていたのだろう。

森山大道の撮り下ろしたモノクロームの「ハワイ」は、そんなハワイ感をちゃらにしてくれた。爽快。
ただ、小麦色の肌の男女が累々と横たわるワイキキビーチで、独りコンパクトカメラを首にさげ、
パチパチ撮影している森山大道氏の姿は 実に微笑ましかったけれど(会場のビデオ映像で拝見)。


左:青山(「エロスあるいはエロスでないなにか」)1968年 右:ハワイ 2007年

上階に展示されていた「I レトロスペクティブ 1965-2005」も、圧巻だった。
写真という表現に対し、ある種丸腰。とり澄ましたり格好つけたりしていない。
自分にぎりぎりまで問いかけ、そのときどきの回答がひりひり切り撮られている。
それっぽい写真をセンスよく撮る写真家もどきは多いけど、それらとは一線を画する圧倒的な世界。
観終った後、すがすがしいほどの爽快感を覚えた。


写美を出ると淡い夕暮れ。恵比寿ガーデンプレイスの広場には、巨大なオリーブの樹が生い茂り、
その足元の花壇では花びらを吹き飛ばされた花芯たちがふるふる揺れていた。


☆☆
一昨日は水天宮で取材後、夜はひだかのお誘いで代々木のビストロ・ダルテミスへ。
このお店は、原宿にある美味しい仏料理店ラルテミス・ペティアントの姉妹店。

生クリームとウニのジュレのような一皿。
食べ物屋さん取材の鉄人ひだかのおすすめだけあって、大満足のディナーに。ワインの品揃えもgood!

店名のアルテミスはギリシア神話の女神の名。月の神ルナと同一視されることもある。
奇しくも一昨夜は新月。 
思えばニキの容態が急に悪化したのも、先月のちょうど新月。満月の日には灰になった。

先々週に買った百合が、さっきまた咲いた。
百合越しに、在りし日のニキがふと目に浮かぶ―

(↑昨夏撮)
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