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医学と芸術展、 木村伊兵衛とブレッソン展

2010-02-08 06:21:06 | Art

昨日はすごい突風が吹いていた。いろんな思いがびゅんびゅん飛んでいく。
自分ごと飛ばされないようにしないと。

先週はシゴト的には、ほっと一息だったので比較的ゆるゆる過ごした。
日曜はオーリエさんと幾つかの企画展を見て回った。
まずは「ミナ ペルホネン と トラフの新作/習作」@クラスカのギャラリー&ショップ ドー。



ファブリックはもちろん、リンゴみたいなコネクティングシェルフや、
温かな手触りのテーブルウエアまで、ミナの世界観そのままのインテリアがとても心地よかった。
ちなみに、クラスカの2Fはトップ写真のようにスカーンと何もないスタジオになっていた。
なんにもない空間というのは、実は奇妙なほど雄弁。勝手にいろんな思いがフラッシュバック。


クラスカを出て、今度は六本木の「G tokyo 2010」@森アーツセンターギャラリーへ。
アイコンになっていたのは、杉本博司《放電場128》ギャラリー小柳


東京の先鋭的な15のギャラリーが一堂に会すアートフェアゆえ、日本の現代アートの今をさくっと
俯瞰できて便利なのだが、各々まったく異質の尖り方をしているので、一気に見ると
ビュッフェ料理をてんこ盛りにして食べてしまったみたいに、少々胃もたれする。
個人的に印象に残ったのは、先述の杉本博司、タカ・イシイギャラリーの畠山直哉、
アラタニウラノの横山裕一でした。昨夏見た越後妻有トリエンナーレの「FUKUTAKE HOUSE」
(廃校になった学校の各教室がアジアの先鋭ギャラリーになっている)をちょっと思い出した。


せっかくなので、さらにその上にある森美術館で開催中(~2/28)の
「医学と芸術展 生命の愛と未来を探る」にも足をのばした。

もっとも身近かつ未知な身体を、〈医学と芸術〉〈科学と美〉という切り口で問いかけた
森美術館らしい野心的な企画展で、3部構成の第1部「身体の発見」では、
芸用解剖学の先駆的なダ・ヴィンチ(中央:頭蓋骨の習作15c)も、
円山応挙(右:波状白骨坐禅図18c)も、ウォーホールの描いた《心臓》も並列で見せていた。大胆!


第2部「病と死と闘い」では、アート作品と見まごうような奇天烈な医療装置や器具に並んで、
デミアン・ハーストや やなぎみわの作品が展示されていた。これまた独自解釈で大胆不敵。



ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」2003-2005(↑)は
ホスピス患者の許可を得て、亡くなる直前の顔と亡くなった直後の顔を左右に並べた写真作品。
眠るような死顔のリアリズムに、しばしその場を動くことができなかった。
さらに、頭蓋骨を擦って描いたというフィリピン人作家の作品は、視覚より何よりその骨の匂いが
辺りに充満していて絶句した。凄絶な「メメント・モリ(死を想え)」。


第3部「永遠の生と愛に向かって」は(「未来館」の企画展みたいなネーミングかも?)は、
デカルトからF.ベーコン、ヤン・ファーブルなどなどが時空を超えて蒐集されており、
あまりにジャンルも解釈も超越的で面食らったが、全体的には非常に興味深かった。

最後の最後に、この企画展に多大な医学資料や美術作品を提供した英国のウエルカム財団の
コレクションを使って、あのクエイ・ブラザーズ(!)が作成した短編「ファントム・ミュージアム」
を上映していて、個人的にすごくうけた。


この作品は大好きなDVD「QUEY BROTHERS SHORT FILM COLLECTION」にも
収録されているのだけど、よもやあのマニアックな迷宮的映像と
ここで再会するとは ゆめゆめ思わなかった。


帰りに、マドラウンジでオーリエさんとゴハン。
ここのところ、彼女と深遠な会話をする機会が多い。

月はどっちに?


2月2日の朝、東京にほんのり雪がトッピングされたが、
翌日には全部消えてしまった。




日曜、「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン――東洋と西洋のまなざし」@写美の
最終日に滑り込み。2007年に竹橋の近代美術館でブレッソン展を見た時も最終日目前で
大混雑だったが、今回もかなりの混みようだった。でも彼らの写真と対峙していると
スーッとその世界に入り込んでしまうので、意外と気にならなかった。


木村伊兵衛(左:ブレッソン撮影)も、ブレッソン(右:木村伊兵衛撮影)も
非常に共通点が多いが、通常は見られないフィルムのベタ焼きも含め
あらためてふたりの作品とじっくり向き合ううちに、ふたりの足音が聞こえてきた。

伊兵衛の足音は「たたた、つつつ」、ブレッソンの足音は「ひたひたひた」。
木村伊兵衛の視点は、軽快な黒子を思わせ、
ブレッソンの視点は、流麗な透明人間のよう。


(左:浅草1953年/右:江東界隈 1953年 木村伊兵衛)



(上:セビーリャ、スペイン 1933年/下:イエール、フランス 1932年  ブレッソン)

伊兵衛の空間はブレッソンに比べると、快いゆるさがある。
ブレッソンの構図は伊兵衛に比べると、より絵画的な快さがある。
過去の写真展や写真集などで見知っている作品も多いのだが、
それでも、何度見ても、彼らの写真からは 写真の根源的な快さを感じる。


実は、恵比寿の写美に行く前日、
内藤ルネの「“ロマンティック”よ、永遠に」(~2/8)にも足を運んでいました。
この話は 次回に。
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