空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『ラブカは静かに弓を持つ』

2022年05月23日 22時54分37秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

映画でも小説でも、
始めの10分間、始めの10ページで、
「当たり」の感触を得ることがあるが、
この本は、まさに「当たり」の予感

橘樹(たちばな・いつき)25歳は、
全日本音楽著作権連盟の職員。
資料部へ異動したばかりの橘は、
新しい上司である塩坪信宏(しおつぼ・のぶひろ)に
地下の資料室に呼び出される。
面接で昔チェロを習ったことがあると言ったことから、
塩坪は、橘にミカサ音楽教室への潜入調査をするよう命令する。

というのは、
連盟はミカサと係争中。
レッスンの際、演奏する曲に対して
著作権料を支払えという問題で、
裁判が進んでいるのだ。
そこで、素性を隠して業界最大手の音楽教室でレッスンを受け、
教室で著作権が及ぶ楽曲が演奏されている証拠を集めてほしい、
そして、それを裁判で証言してもらいたいというのだ。
連盟が音楽教室から受け取る見込みは10億円だという。

命令されて、橘の中には、鬱屈があった。
橘がチェロを習っていたのは、
5歳から13歳までで、
その通学途中に誘拐されそうになり、
チェロの学習をやめてしまったのだ。
その時の経験は、橘の中でトラウマとして残っており、
チェロを見ただけで恐怖心が沸き、
深海の悪夢に苛まれて、
不眠症に悩んでいた。

期間は2年間と言われ、
やむを得ずスパイの役目を引き受けた樹は、
二子玉川にあるミカサ音楽教室に週一で通うことになる。
ボールペン型の録音機を胸に挿し、
地方公務員をよそおって。

担当講師は、
樹より少し年上のチェロ講師・浅葉桜太郎(あさば・おうたろう)。
橘は浅葉の指導で久しぶりにチェロに触れ、
音楽をやる喜びが芽生えて来る。
貸与されたチェロで、自宅近くのカラオケルームで練習に励み、
不眠症もなくなってきた。
そして、浅葉の教え子たちと月一で、
懇親会に参加するようになり、
人と繋がる喜びを感じるようになる。
しかし、彼らを騙しているという罪悪感が高まって・・・

題名の「ラブカ」とは、醜い深海魚の名前で、

橘に与えられた課題曲の一つが「戦慄(わななき)のラブカ」
映画の音楽だ。
その映画は、スパイ映画で、
イスラエルの諜報部員が
ドイツに潜入したものの、
敵国で自分の居場所を見つけてしまう話だ。
素性を偽って平穏な市民生活に潜り込んでいるスパイのことを
映画の中でラブカと呼んでいるのだという。

孤独を泳ぐ、醜いスパイ

その映画の内容が、
潜入調査の音楽教室で
居場所を見つけてしまう
橘の姿と重なって来る。

小説の中で、映画のことをこう語る。

「主人公の男はね、
有能な諜報員として一目置かれている存在ではあるけれど、
天涯孤独の身の上なんだ。
それが潜入先の敵国で
一般人を装ううちに、
普通の暮らしがどんなものであるのかを知ってしまう。
隣人と楽しく酒を飲み、
近所の子どもとパンを焼くような生活が
自分の人生にも起こり得るんだと気づいてしまえば、
あとは辛い。
その気持ちは本当なのに、
自分のすべては嘘だから」

やがて、裁判の日が近づく。
法廷に立てば、その情報は必ず浅葉たちにもたらされる。
橘がスパイだったことを知れば、浅葉を悩ませることになる。
しかも、浅葉は、初めての、そして年齢制限で、
最後の音楽コンクールに応募している。
悩ませ、コンクールに落としてはならない。
それを避けるために、
橘は、ある計画を立てる・・・

実は、著作権を巡る
音楽教室との裁判は事実だし、
音楽教室に潜入スパイが送られ、
裁判で証言したことも実話

小説の中の全日本音楽著作権連盟とは、
日本音楽著作権協会(JASRAC)、
ミカサ音楽教室とは、
ヤマハ音楽教室のことだ。

その裁判については、
別のブログ(多分、明日)で紹介しようと思うが、
この小説が見事なのは、
その潜入スパイを
「戦慄のラブカ」という映画にからませて、
スパイという存在の悩みと、
二重重ねにしてみせたこと。
卓抜な発想と言えよう。
読者は橘と同化して、
周囲の人間を騙す悩みに浸ることになる。
それは、人間同士の「信頼」「絆」の物語だ。

「当たり」の予感は間違っていなかった

音楽についての浅葉の言葉。

「楽器から奏でられた音は、
その一瞬だけ、地上の空気を震わせて、
瞬く間に消えていく。
音楽はそれの連なりだ」

今年の「本屋大賞」の候補になるだろう。
もしかしたら、直木賞候補にもなるかもしれない。

筆者の安壇美緒(あだん・みお)は新進の作家。
1986年北海道生まれ。
早稲田大学第二文学部卒業。
2017年、「天龍院亜希子の日記」で
第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。

 


映画『ハケンアニメ!』

2022年05月22日 22時53分04秒 | 映画関係

[映画紹介]

「ハケン」とは、「派遣」のことではなく、
「覇権」のこと。
アニメの頂点を指す。
直木賞作家・辻村深月
アニメ制作の舞台裏を描いた小説を映画化。

三つの話が織りなされる。
一つは、アニメ作家、王子千晴を巡る動き。
デビュー作「光のヨスガ」が脚光を浴びるも、
その後スランプに陥り沈黙、
「伝説の天才アニメ監督」と呼ばれるが、
8年ぶりとなる新作「運命戦線リデルライト」で復活をはかる。
その制作会社のチーフプロデューサー、
有科香屋子は、王子監督を口説き落とし、
「運命戦線リデルライト」を企画、
王子に発破をかけつつ完成させるために手を尽くすが、
天才肌でわがままな王子に振り回される。

もう一つは、新人アニメ監督、斎藤瞳を巡る動き。
国立大を出て県庁で働いていたが、
王子監督の「光のヨスガ」と出会い、
「見てる人に魔法をかけるような作品」を作りたくて
業界大手に入社。
このたび、抜擢されて、
デビュー作「サウンドバック 奏(かなで) の石」に挑む。
チーフプロデューサー、行成理( ゆきしろ・おさむ) とぶつかりながら、
自分の理想とするアニメ作りに励む。

そして、もう一つは、
新潟県のある市が
「サウンドバック」のモデルとなっていたことから、
市の職員が「聖地巡礼」のスタンプラリーを企画し、
その相談役に指名にされた
新潟の原画プロダクションで働くアニメーター、
並澤和奈(なみさわ・かずな)の動き。

この3つは、原作では別に章建てされ、
別々に語られるが、
映画では、そうはいかず、
並行し、絡み合って描かれる。

「リデルライト」と「サウンドバック」は、
週末の夕刻の同じ時間帯に放送されるため、
どちらが勝つか、つまり「覇権」を掴むかが、関心を呼ぶ。

世間は「天才監督対新人監督」ともてはやす。

アニメ作りの現場は、
膨大な人がからんでおり、
その制作過程が興味深い。
と共に、それらの人々の
ものづくりに対する情熱、熱意、努力が伝わってきて
感動的だ。
特に、終盤、瞳が最終回の変更を提案する場面の
メンバーの意見が胸を打つ。

脚本(政池洋佑)、演出(吉野耕平)共によくできており、
俳優陣も健闘。
特に、斎藤瞳を演ずる吉岡里帆は出色の出来で、
新人監督の戸惑いと苦悩を全身で演ずる。

行城プロデューサーの悪口を言う人たちに
啖呵を切るシーンは、
作品の白眉とも言えるシーンだが、
吉岡里帆は演じきり、
ただ可愛いだけの女優ではないと、見直した。


プロデューサーの行城理を演ずる柄本佑もなかなかよく、
ビジネスとしてのアニメプロジェクトを統括し、
綺麗事では語れない業界の裏方を引き受け、
作品を世に送り出すためには
自分が悪者になることも厭わない、
現実にありそうな人物像を演じきった。
助演賞もの

王子千晴に中村倫也

有科香屋子に尾山真千子

当然、彼らが制作する二つのアニメが登場するが、
実際にアニメ化してほしいほど魅力的。
なんとかスピンオフできないものだろうか。

エンドクレジットの後に、
かなり重要なシーンが出て来るので、
席を立たないように。

5段階評価の「4 .5」

拡大上映中。

 


前ブログのコピー完了

2022年05月21日 23時18分25秒 | 身辺雑記

本ブログに初めて訪問された方は、
「空飛ぶ自由人・」という題名に
不思議さを感ずるかもしれません。
「2」があるのだから、「1」があるのか、と。

そのとおり、
「空飛ぶ自由人」というブログは存在し、
そちらが「1」。

つまり、本ブログは、その続編ということになります。

ブログ「空飛ぶ自由人」(つまり、「1」)は、
2005年10月25日に始まり、
2022年4月11日まで、
16年半続いた、
投稿数5038という、
長いブログです。
当初、私の勤め先の「事務局長のブログ」として始まり、
2012年に私が定年退職するのに伴い、
個人のブログとして継承し、
続けて来たものです。

ところが、今年3月になって、
ブログ管理会社が、サービスを停止することになった、
と通知してきたため、
やむなく、goo blogに引っ越し、
「空飛ぶ自由人・2」として、
4月に、再スタートしました。

では、前のブログの記事はどうなるか。
ブログ管理会社の方針では、
サービスの終了する
8月1日に全て削除されるとのことです。
ブログ運営会社には、
新規投稿はできなくても、
過去のブログを保存しておいてもらって、
閲覧だけでも出来るようにしてもらえないか、
有料でもいい、
と提案しましたが、回答はなし。
会社としては、
きれいさっぱり、
ブログに関する全サービスを終了させる意向と思われます。

そうなると、
ネット上で「空飛ぶ自由人」というブログは消滅し、
誰も閲覧することは出来なくなります。

しかし、前のブログには、
私の膨大な映画評読書感想文
旅行記、更に私の家族の記録が積み重ねられています。
特に、旅行記は、写真満載のもので、
どうしても消滅させるには忍びない
goo blogにそのまま引っ越す道もありましたが、
分量的に、まず不可能。

そこで、サイトをまるごとコピーするソフトがあるというので、
当たってみると、いろいろありますが、
なかなかうまくいかない。
ようやくGetHTMLWというソフトに行き当たり、
これがうまく作動し、
5時間以上かけて、
前の記事をパソコンに取り込むことに成功。

しかし、データが大きすぎるのか、
始めの方の3分の1と、
なぜか途中の約1年間分がコピーされませんでした。

そこで、頃合いを見て、
コピーが終わった分を次々に削除し、
残った1625日分で再取り込みを試みてみると、
1時間半ほどで、見事に成功。
全部調べましたが、
5038日分が完璧にコピーされました。
写真も文字色の指定もそのままに。

8月1日をもって管理会社が削除し、
宇宙の彼方に消え去る予定だった記事が、
私のパソコンの中に丸ごと存在することになったのです。
すごい
感動です
こんなに優秀なソフトを無料で公開してくれた
設計者に心から感謝し、
その技術を讃えます。

その後の作業。
ご覧のとおり、保管されたブログのデータを開くと、
画面に数字の列が出ます。


そこをクリックすると、
該当日のブログの画像が現れ、
番号ひとつで1日に対応。
どの番号が何日のブログに対応するのか
分からないと不便なので、
まず、
ブログの管理ページにある記録をコピペして、
必要事項だけを残し、
↓のような目次を作成


全部で89ページあります。
拡大したものが↓。

そこで、
数字の列の番号をクリックして、
現れたブログの日付を調べ、
目次の脇に番号を記録していきます。
それが↓。

こうすれば、
あの旅行記は、とか、あの映画評は、
というのを目次に付けた番号で探せばいいことになります。

(番号は、大部分は順番ですが、

 不規則なところもあります。)

この作成過程で、
図らずも16年半の人生を辿ることになろうとは。
まあ、よく仕事をし、よく映画を観、
よく本を読み、その合間に
よく旅行をしています。
勤めながら、よくあんなことが出来たものです。

というわけで、
前の「1」のブログは、
外から閲覧はできないものの、
私のパソコンの中に存在
ほっとした思いがいたします。

あと2カ月後、
8月1日午後1時をもって、
「空飛ぶ自由人」(1)は、
完全にネットから消滅します。
皆様ご愛読、ありがとうございました。
そして「2」もよろしく。

 


『死の医学』

2022年05月19日 23時03分59秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

著者の駒ヶ嶺朋子(こまがみね・ともこ)氏は、
早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修、
獨協医科大学医学部医学科、
同大学院医学研究科卒の博士(医学)。
現在は獨協医科大学病院で脳神経内科医として、
診療にあたっている。

つまり、哲学科社会学専修から
医療に転じて医学博士になり、
かつ詩人であるという人。

【目次(抜粋)】

第一章 魂はさまよう
  今や明らかになった「体外離脱」のメカニズム
  脳科学が明らかにした「体外離脱体験」
  国際語になっていた「カナシバリ」

第二章 「暗いトンネル」を抜けて
  科学の領域に入ってきた「臨死体験」
  死後、私たちの魂は生き続けるか
  臨死体験をした人が得たものとは

第三章 譲り渡される命と心
  死の恐怖を緩和させるために臨死体験は起きる?
  揺れる「生死のボーダーライン」
  混同されている尊厳死と安楽死

第四章 生と死が重なるとき
  死者と再会する人たち
  生と死は重複している
  現代医療に欠如している「魂」の概念

第五章 カゴの中の自由な心
  希望の有無がリハビリを左右する
  脳の「左半球至上主義」
  脳とコンピューターがつながる時代が来ている

第六章 擬死と芸術表現
  「狐憑き」の正体は脳炎だった
  進化はなぜ「解離」をもたらしたか
  不幸をも生きる力にする人間の脳

臨死体験や幽体離脱、金縛り、
失語症や幻視、憑依現象などの
乖離症といったテーマについて、
医学がいまどこまで分かっているかを解説。
「オカルト現象」のメカニズムも解明。

脳に電気刺激を与えることによって
臨死体験や体外離脱体験ができることも解明。
臨死体験については、
花畑や長いトンネル、
光、幸福感、亡くなった家族との再会など、
古今東西、宗教・文化圏・民族を超えて共通項が存在する。
それで、脳の機構に由来する生理的現象ではないかというのが、
神経学一般の共通認識になっているという。

私は多分、死の恐怖を和らげるために、
脳にそういう機能があらかじめプログラムされているのだと思うが、
では、そんなプログラムを一体、誰が作ったのか、
という疑問に到達する。
人類の進化の過程で自然に習得したというのは、
ちょっと説得力に欠ける。
ついでに言うと、
キリシタン迫害の時代、
十字架にかけられた信者たちが
恍惚として賛美歌を歌いながら死んでいった、
というのも、そういう殉教の状況の中で、
脳の中に歓喜を感じさせる機能があったのだと思うが、どうか。

死については、「死後の世界」があるのか、
という問題提起もある。
魂の存在だ。
人間の肉体は魂の容器で、
肉体が滅びた後も、魂(霊魂と言った方がいい)は
残るのか。
魂は記憶までも内包するのか。
記憶は脳の生理的現象、
蓄積装置でしかないのではないか。

臨死体験にも、
「魂仮説」と「脳内機能仮説」の両方があるという。

まだ魂の存在には、追究の余地があるようで、

科学一辺倒でもダメ、
宗教だけでも哲学だけでもダメ。
ところにより超科学的思考の許容も必要なのかもしれない。

と書く。
また、こうも書く。

死生観の構築は長年、宗教が担ってきた。
だが科学の台頭で、
宗教はこうした表舞台から一歩引いている。
そのため、安定した死生観や
「魂が存在する根拠」さえ
あいまいなものとなってしまった。

乖離について、こう書く。

機能不全家族に生まれたり、
戦火の只中で産声を上げたり、
不運にもいじめや虐待に遭い、
悲惨な幼少期や思春期を過ごしたのだとしても、
それさえも力にする方法を
人間の脳が持っていることをここに知らせたい。

後半はやや専門的過ぎて
理解不能だった

ただ、人間が「死」の向こうに何を見るか、る
という問題は、
人間の精神の救済になるので、
一層極めてもらいたい。

 


映画『流浪の月』

2022年05月18日 22時58分24秒 | 映画関係

[映画紹介]

ある地方都市の公園。
引きこもりの大学生・佐伯文(ふみ)は、
雨が降り始めているのに、
濡れながら本を読んでいる少女を目にする。
気になった文は少女に傘を差し出す。
少女は10歳の更紗(さらさ)。
「家に帰りたくない」と言う少女を、
文は自分のアパートに連れて帰る。

更紗は伯母の家に引き取られた「やっかいもの」で、
家にいる親類の少年に性的虐待を受けている。
文は、母親との関係で、ある問題を抱えている。
そのまま二人は2か月間を過ごす。
それは孤独な二人にとって、
輝くような時間だったが、
捜索願いが出されており、
文は更紗の目の前で逮捕されてしまう。
文は「誘拐犯」の「ロリコン男」で少年院送り、
更紗は可哀相な「被害女児」となってしまった。

それから15年。
更紗はファミレス店員として働き、
恋人亮と暮らしていた。
亮との間では結婚話も進んでおり、
実家も訪ねるが、
亮は、そういう「不幸な帰る所のない女性」を
恋人にする癖があることを知る。
また、更紗という珍しい名前で
当時報道されたこともあり、
周囲の人間には、ロリコン男の被害女児と知られていた。
15年経ってもネット上の記事は消えることはなかったのだ。

そんなある日、
同僚に連れられて訪れた深夜営業のカフェの店主
文であることに更紗は気付き、動揺する。
その日を境に15年間封じこめて来た思いが動き出す

やがて、15年前の誘拐犯が喫茶店を営んでおり、
被害女児との交際が始まっている、
とネットで拡散し、
二人は追い詰められていく。

文と更紗の間には、
肉体的な関係はなく、
ただ、孤独な二人が魂の共鳴をしただけだ。
観客はそのことを知っているが、
世間はそうは見ない。
悪意のある憶測と好奇心
興味本位に二人を話題にあげる。
人と人の間にある真実は、
誰にも分からないものなのだが、
世間は、勝手に虚像を作り上げる。
そして、「ロリコン」「変態」「可哀相な子」という罵倒の言葉。

そのため、更紗と婚約者の間は破綻し、
文と恋人らしい女性は別れを迎える。
取り残された二人は・・・

という、ある男女の姿をじっくりと見せる。

「悪人」「怒り」で
人間の奥底にある真実を描いた李相日の渾身の監督作品。
文を演ずるのは、松坂桃李
実は、この人は大変演技がヘタだとして、
たびたびこのブログでも批判してきたが、
今回の作品で見直した
難しい役に取り組み、なし遂げた。
そのため8キロ減量したそうで、
はじめの方では、別人かと思った。
対する更紗は広瀬すず
心の傷を抱える難役を見事にこなした。
可愛い容貌の奥に隠された哀しみをよく表現した。
「亮ちゃん、私、そんなに可哀相な子じゃないよ」
の声が印象的。
亮を演ずる横浜流星も、普段の役柄を越えて好演。
そして、特筆すべきは、
子供時代の更紗を演じた白鳥玉季
幼少時代と成人時代を別な俳優が演ずると、
その落差に戸惑うものだが、
白鳥玉季は、そのまま成人した広瀬すずと
不自然さがなく、つながる。
過去と現在を行き来する構成の
この作品では、特にそれが効果的だ。

撮影監督には、「パラサイト 半地下の家族」のホン・ギョンピョを招いた。
二人の内面を切り取ったようなカメラ・アイが、期待に答える。
そして、音楽の原摩利彦も素晴らしい。
原作は、2020年本屋大賞受賞凪良ゆう(なぎら・ゆう)の小説。

絶望的な環境の二人だが、
ラスト近く、ある秘密が明らかになることによって、
真実の扉が開く。
世間の目など負けずに、
二人の生きる道が見えて来る。

鑑賞後の夜、
文と更紗のこれまでの来た道、
これから行く末を思って眠れなくなった。
映画を観ての、こんな経験は、
ここ数年で久しぶりだ。
それだけ、この作品が人間を深く
見事に描いているということだろう。

この作品、アメリカでリメイクされるかもしれない。
それ以前に、来年のアカデミー賞の
日本代表作品に推薦してもらいたいものだ。

5段階評価の「5」

拡大上映中。