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『死の医学』

2022年05月19日 23時03分59秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

著者の駒ヶ嶺朋子(こまがみね・ともこ)氏は、
早稲田大学第一文学部哲学科社会学専修、
獨協医科大学医学部医学科、
同大学院医学研究科卒の博士(医学)。
現在は獨協医科大学病院で脳神経内科医として、
診療にあたっている。

つまり、哲学科社会学専修から
医療に転じて医学博士になり、
かつ詩人であるという人。

【目次(抜粋)】

第一章 魂はさまよう
  今や明らかになった「体外離脱」のメカニズム
  脳科学が明らかにした「体外離脱体験」
  国際語になっていた「カナシバリ」

第二章 「暗いトンネル」を抜けて
  科学の領域に入ってきた「臨死体験」
  死後、私たちの魂は生き続けるか
  臨死体験をした人が得たものとは

第三章 譲り渡される命と心
  死の恐怖を緩和させるために臨死体験は起きる?
  揺れる「生死のボーダーライン」
  混同されている尊厳死と安楽死

第四章 生と死が重なるとき
  死者と再会する人たち
  生と死は重複している
  現代医療に欠如している「魂」の概念

第五章 カゴの中の自由な心
  希望の有無がリハビリを左右する
  脳の「左半球至上主義」
  脳とコンピューターがつながる時代が来ている

第六章 擬死と芸術表現
  「狐憑き」の正体は脳炎だった
  進化はなぜ「解離」をもたらしたか
  不幸をも生きる力にする人間の脳

臨死体験や幽体離脱、金縛り、
失語症や幻視、憑依現象などの
乖離症といったテーマについて、
医学がいまどこまで分かっているかを解説。
「オカルト現象」のメカニズムも解明。

脳に電気刺激を与えることによって
臨死体験や体外離脱体験ができることも解明。
臨死体験については、
花畑や長いトンネル、
光、幸福感、亡くなった家族との再会など、
古今東西、宗教・文化圏・民族を超えて共通項が存在する。
それで、脳の機構に由来する生理的現象ではないかというのが、
神経学一般の共通認識になっているという。

私は多分、死の恐怖を和らげるために、
脳にそういう機能があらかじめプログラムされているのだと思うが、
では、そんなプログラムを一体、誰が作ったのか、
という疑問に到達する。
人類の進化の過程で自然に習得したというのは、
ちょっと説得力に欠ける。
ついでに言うと、
キリシタン迫害の時代、
十字架にかけられた信者たちが
恍惚として賛美歌を歌いながら死んでいった、
というのも、そういう殉教の状況の中で、
脳の中に歓喜を感じさせる機能があったのだと思うが、どうか。

死については、「死後の世界」があるのか、
という問題提起もある。
魂の存在だ。
人間の肉体は魂の容器で、
肉体が滅びた後も、魂(霊魂と言った方がいい)は
残るのか。
魂は記憶までも内包するのか。
記憶は脳の生理的現象、
蓄積装置でしかないのではないか。

臨死体験にも、
「魂仮説」と「脳内機能仮説」の両方があるという。

まだ魂の存在には、追究の余地があるようで、

科学一辺倒でもダメ、
宗教だけでも哲学だけでもダメ。
ところにより超科学的思考の許容も必要なのかもしれない。

と書く。
また、こうも書く。

死生観の構築は長年、宗教が担ってきた。
だが科学の台頭で、
宗教はこうした表舞台から一歩引いている。
そのため、安定した死生観や
「魂が存在する根拠」さえ
あいまいなものとなってしまった。

乖離について、こう書く。

機能不全家族に生まれたり、
戦火の只中で産声を上げたり、
不運にもいじめや虐待に遭い、
悲惨な幼少期や思春期を過ごしたのだとしても、
それさえも力にする方法を
人間の脳が持っていることをここに知らせたい。

後半はやや専門的過ぎて
理解不能だった

ただ、人間が「死」の向こうに何を見るか、る
という問題は、
人間の精神の救済になるので、
一層極めてもらいたい。