昨日のブログで
小説「ラブカは静かに弓を持つ」を紹介したが、
その中に、著作権を巡る裁判が出て来る。
モデルにしたのが、
日本音楽著作権協会(JASRAC)と
ヤマハ等音楽教室の間で争う裁判で、
内容は,
「音楽教室でのレッスン時、
講師や生徒の演奏に著作権料は発生するのか」
という問題。
2017年2月2日、
JASRACが音楽教室から著作権料を徴収する方針を固めた、
と朝日新聞が報じた。
音楽教室側の動きは早く、
ヤマハや河合楽器製作所など教室を運営する事業者は、
この日のうちに会合を開いて結束を確認、
徴収に反対する「音楽教育を守る会」を結成した。
教室側は、2017年6月に
JASRACを相手取る訴訟を東京地裁に起こした。
音楽教室でのレッスン時の演奏について、
JASRACに著作権料を徴収する権利がない
ことを確認するよう求めるもので、
約250の事業者・団体が原告に名を連ねた。
裁判の途中、
「ラブカは静かに弓を持つ」で描かれる状況が起こる。
東京・銀座にあるヤマハの上級者向けバイオリン教室に
約2年間、
「生徒」として通って潜入調査した職員(女性)が証人として出廷。
「講師の演奏はとても美しく、コンサートを聞いているようだった」
と述べ、
「公衆に聞かせるための演奏といえる」という
JASRAC側の主張に沿う証言をしたのだ。
教室側の代理人は反対尋問で、
入会する際に職員が職業を「主婦」と偽っていたことを指摘したが、
職員は「JASRAC職員と名乗れば、
断られるかもしれないと思った」と説明した。
東京地裁は2020年2月、
「教室の生徒が支払うレッスン料には
音楽著作物の利用の対価が含まれている」とし、
指導時の演奏についても
支払い義務があるとする判決を言い渡した。
教室側の訴えを退ける、JASRAC側の全面勝訴だった。
教室側は判決を不服として控訴。
控訴審の知財高裁でも両者の主張は真っ向から対立した。
教室側は「レッスンは数人で行われ、
講師と生徒の顔ぶれも基本的に固定される」として、
「不特定多数の公衆は教室に存在しない」と訴えた。
演奏の目的についても、
講師は「演奏技術の手本を示すため」、
生徒は「技術を学び練習するため」だと主張。
音楽教室は営利事業である一方で、
学校教育を補完する役割を果たしてきた点も
考慮されるべきだと訴えた。
対してJASRAC側は、
レッスン時の講師と生徒の演奏は
教室を運営する事業者の管理下にあり、
その演奏によって事業者が利益を得ているため、
事業者が楽曲を演奏しているとみなすことができる、と主張した。
契約すれば、誰でもレッスンを受けられることから、
生徒は「不特定多数の公衆」にあたるとも指摘。
教室の事業者に支払い義務がある、
と結論づけた一審判決の正当性を主張した。
さらに、弁論ではこんな訴えもあった。
「音楽著作物は作り手が涙ぐましい労力と時間をかけている。
1年間に700億円を売り上げている音楽教室業界にも、
音楽著作物の創造のサイクルに参加していただくことが公平で正しい姿だ」
教室内での演奏行為にどこまで著作権が及ぶのか、
も注目されるポイントだ。
具体的には
①生徒の演奏
②講師の演奏
③録音物の再生
という三つの演奏行為がある。
このうち、生徒の演奏については
22条をあてはめるのが難しいとみる専門家もいる。
このため、音楽教室側からは
「生徒の演奏には著作権が及ばないという部分勝訴でも
大きな収穫だ」(大手事業者の関係者)
との声もあがる。
著作権法22条:「著作者は、その著作物を、
公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として上演し、
又は演奏する権利を専有する。」
JASRAC側の主張の根幹にあるのは、
物理的に演奏をしているのは生徒や講師であっても、
収益をあげている音楽教室が
楽曲を利用・演奏しているとみなせるという考え方だ。
生徒の演奏も、教室の管理下にある以上は、
講師の演奏と同一視できるということになる。
1988年の最高裁判決で、
スナックでの客のカラオケの歌唱について、
店から著作権料を徴収することが認められた。
この最高裁判決の元になっている理論は俗に「カラオケ法理」、
専門的には「規範的利用主体論」といわれる。
JASRACはこの理論に基づいて、法廷闘争を勝ち抜いてきた。
仮に知財高裁が生徒の演奏に著作権が及ばないと判断すれば、
この理論にひびが入る可能性がある。
だからこそ、JASRAC側は「全面勝訴しか考えていない」と
強気の姿勢を崩さない。
高裁は一審判決を支持。
ただ、一審判決を一部変更して、
レッスン中の教師の演奏には「演奏権」が及ぶが、
生徒の演奏には「演奏権」が及ばない
(使用料を支払う義務がない)
と判断した。
JASRAC、音楽教室双方が
この判決を不服として、上告し、
今も最高裁で審理がおこなわれている。
JASRACは教室からの徴収額を
年間3億5千万~10億円と試算。
当面は楽器販売を手がける大手の教室から徴収し、
将来はネットで生徒を広く集める
個人経営の教室からも徴収する方針だ。
この経緯に対して、
世論は二つに分かれる。
①「教育」と考えて、JASRACはセコく請求するな。
レッスン中、講師の演奏時間なんて1割もない。
楽器を習いたての生徒の演奏なんてまとも音も出せない、
それを著作権法第22条には該当すると言えない。
個人的な楽しみのために楽器演奏を教え教わろうとする人達の前に
JASRACがしゃしゃり出てきて著作権料を要求するのは、
ヤクザがショバ代を要求する姿と重なり、粋ではない。
そこまでみみっちく著作権料を取り立てるのは、音楽への冒涜。
音楽人口の拡大を阻害し、音楽界を支える裾野を削ることにもなる。
プロやトップアマの養成所ならともかく、
個人の趣味レベルの零細な教室については、
教育機関における音楽教育と同視して
著作権料フリーでいい。 等々。
②音楽教室は営利企業であり、
収益を上げているのだから、
その一部を著作権者に還元すべき。
作曲者や作詞者が収入を得て生計を立てるには
著作権管理は必須。
JASRACが要求しているのは、
レッッスン代の2. 5%。
なお、宇多田ヒカルは
「私の曲は(音楽教室では)無料に使ってほしいな」
と発言している。
私は、聴衆の前での演奏かどうかは擱いていても、
著作物である楽譜を用いていることは確かなのだから、
営利企業として相当な利益を上げている
大音楽教室からは徴収し、
零細の音楽教室は免除でいいと思うが。
線引きは、生徒数で分ければいい。
著作権と言えば、私の経験。
学生時代、ある合唱団の運営に関わった。
都内のホールで演奏会をした後、
しばらくして、音楽著作権協会から請求を受けた。
どうやら、ホールから協会に
プログラムを提出する
自動的なシステムができているようだ。
その時、「この曲は、誰の作曲のものですか?」
と聞かれた。
同じ題名で、複数の作曲家のものがあるらしい。
当時はまだパソコンもデータベースもない時代だから、
著作権協会の職員が
台帳をめくって調べたのだろう。
そういう経験があったので、
後に、あるところで、
ディズニーの曲を多数使った音楽プログラムを企画した時には、
事前に音楽著作権協会に申請をした。
無料の公演であることと、
事前に申請した誠意ある態度から、
著作権料を割引してもらったことを覚えている。
なお、一定の小節以下なら、
楽曲は無料で使用可能だという。