[書籍紹介]
1964年の東京オリンピックの
記録映画を巡る物語。
東京オリンピックの約1年半前の1963年3月、
公式記録映画の監督を務めることになっていた黒澤明が降板を表明。
この時点から物語は始まる。
(注:正式辞任は11月6日)
博打をしのぎにしている
白壁一家のヤクザ・人見稀郎(きろう)は、
親分からの指示を受け、
中堅監督の錦田欣明(にしきだ・きんめい)を
黒澤の後任監督にねじ込んで、
興行界に打って出るべく動き出す。
錦田は、三流監督とみなされていたため、
その起用は無理筋と思われた。
オリンピック組織委員会には
政治家、財界関係者が名を連ねており、
その下には土建業者や右翼、ヤクザ、警察など、
あらゆる業種が莫大な利権に群がっており、
その狭間で錦田を監督として指名するのは、
通常の方法では困難で、
稀郎は監督選定に権限を持つ委員たちの周辺を洗い、
金や女を使って言うことを聞かせようとする。
これに、あらゆる方面から魑魅魍魎が絡みついてくる・・・
というわけで、オリンピック記録映画の監督選定をめぐる
あれこれを、一介のヤクザを通じて描く。
というのは、相当無理があり、
現実感はない。
その活動を通じ、
児玉誉士夫や大映社長の永田雅一らが実名で登場する。
他に安藤昇、田宮二郎、若松孝二らも。
変名の登場人物もあり、
どうやら筆者の実名表記の基準は、
存命かどうかということのようだ。
差別対策の団体や公明党の前身団体も名前を変えて登場する。
こうした魑魅魍魎を人見は嫌悪するが、
自分もその一人なのだ。
稀郎は、学徒動員で出兵し亡くなった兄の影響で、
映画好きのヤクザとして、変人扱いされている。
また、兄貴分として稀郎の後ろ楯となる、
実在の伝説のヤクザ花形敬は、
敗戦国日本を憂いて自身の体を傷つける。
一時期稀郎を守る篠村は児玉機関の生き残りだ。
当時の映画界にあった差別も取り入れられている。
テレビの台頭で、その存在がおびやかされる前の映画界が
テレビを一段下と見て、楽観している様子も描かれる。
歌舞伎町の喫茶店「スカラ座」まで出て来る。
私も学生時代、この喫茶店をよく利用した。
オリンピック記録映画の裏話としての着眼点はいいが、
扱い方を間違えて、後味は大変悪い。
オリンピック記録映画の監督として、
最初に話を受けた黒澤明が、
予算を理由に降板したのは事実で、
その後も今井正、今村昌平、渋谷実、新藤兼人ら
複数の監督に話が流れたが、次々と断られ、
最終的に市川崑が監督を受けた。
市川崑は、筋書きなどはないはずのスポーツ競技のために
まず緻密な脚本を書き、
これをもとに壮大なドラマとして記録映画を撮るという
前例のない方式を取るが、
これは、錦田の方針として
本書の中に取り入れられている。
この時の脚本執筆陣は、
市川の妻で脚本家の和田夏十、
新鋭脚本家の白坂依志夫と詩人の谷川俊太郎。