[映画紹介]
先のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞に
ノミネートされたカナダ映画。
3月8日からNetflixで配信。
当初、間に合わず、英語字幕だけだったが、
その後、日本語字幕も付いた。
インドのある村で
集団性暴力を受けた娘のために、
裁判に挑む父親に密着した
ドキュメンタリー映画。
ある日、13歳の少女・キラン(仮名)が
親戚の結婚式の祝いの席から連れ出され、
3人の村の男に集団レイプされた。
父親のランジットは警察に訴え、
3人の男は逮捕され、裁判にかけられる。
それに対して、村の有力者たちは異議をとなえる。
キランは、レイプした男の一人と結婚すべきだというのだ。
それが村の習慣だと。
レイプされた女と結婚する男はいないから、
レイプした男と結婚するしかない、との理屈だ。
父は拒否し、裁判となる。
支援団体の応援も得た。
しかし、村人の反応は冷たい。
村の中で解決すべきだったのに、
裁判に持ち込むなんて、と。
加害者の家族からは、
殺すぞ、家に火をつけるぞ、と脅迫される。
村人からは村八分の仕打ちを受ける。
何かが起こって死人が出ても、
父親と支援団体の責任だ、とも言われる。
すさまじい二次加害だ。
個人より村の掟が尊重されるのだ。
しかし、父親は一歩も引かなかった。
事件以来、心に傷を負って、
ふさぎ込み、口をきかなくなった娘が
あわれでならない。
そうさせた男たちには、
罪をつぐなわせるべきだと。
迷いも、ゆらぎもない。
娘のキランは、勇気を出して、
レイプされた状況を、法廷で証言する。
13歳の少女には、
あまりに苛酷なことだ。
そして、判決では、
3人の男は懲役25年の刑を受ける。
日本より重い。
判決を聞いて、村人の一人はいう。
「刑が重すぎる。
25年も刑務所にいれば、人生の半分が終わってしまう。
裁判をしなくても改心したかもしれない。
村で解決できなかったのか」
「誰しも間違いは犯すし、
加害者にも未来はある、
許すべきだ」
こうした経緯を、キランをはじめ、
父親、母親全員顔出ししてのドキュメンタリー。
日本だったら、モザイクがかかり、
声も変えられる。
キランは13歳の自分の映像を見て、
顔出しを許可したという。
そして、時代遅れの言葉を恥ずかしげもなく口にする
村の有力者たちも全員顔出し。
不名誉な映像だと思うがクレームはなかったのか。
さすがに、加害者の少年たちの顔には
モザイクがかけられていたが。
一切ナレーションはなく、
親子や人々の発言だけを追う。
リアリティあふれたドキュメンタリー。
まるで劇映画のよう。
インドで生まれ育った女性監督(ニシャ・パフジャ)ならではの描写力だ。
貧しい農夫の父親が
やせた土地に種をまき、
鍬をふるって耕す姿が胸を打つ。
また、支援団体の人に話す父親の
脇で聞いている
母親の絶望に耐えた表情が心に響く。
最後に字幕にこう出る。
「インドでは、9割以上のレイプ事件が
闇に葬られている。
キランの勝利は、
多くの女性たちに闘う勇気を与え、
同エリアで声を上げる被害者の数は倍増している」
事件が起きたのは、2017年4月19日。
今、キランは20歳で、
支援を受けて村を出て、勉学にいそしみ、
将来は警察官になりたいと言っているという。
父母や家族は、村で平和に暮らしている。
父親はある人にこう言われた。
「自力では虎を仕留められない」
父親は言った。
「自力で虎を仕留めてみせる」
そして、
「僕は実際に虎を仕留めた」
これが題名の由来。
インドの村社会でのレイプに対する意識の低さに驚かされるが、
ひるがえって、日本を見ても、
レイプ裁判の難しさはよく知られている。
レイプを告発した後、
男性警察官に恥辱に満ちた体験を話さなければならないだけでなく、
裁判でも、恥ずかしい経験を事細かに証言しなければならない。
そして、密室の出来事を否定する
恥知らずの加害者と
法廷で闘わなければならないのだ。
しかし、13歳の少女・キランの勇気に学ばねばなるまい。
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