地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

生け贄【宗教対話サッカー: ローマ法王が発案、多宗教の選手参加】

2014-09-11 12:57:06 | 今日の御言葉


▼<日本・ベネズエラ>アギーレ日本代表監督
Photo By スポニチ
親善試合 日本2―2ベネズエラ
(2014年9月9日 日産スタジアム)

m.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/09/09/gazo/G20140909008902650.html




この方こそ、わたしたちの罪、
いや、わたしたちの罪ばかりでなく、
全世界の罪を償ういけにえです。

ヨハネの手紙一/ 02章 02節
新約聖書 新共同訳



だれにでも、沈黙し、黙想する時間が必要です。
私はいつも沈黙のなかで祈りをはじめます。

神は静寂の友です-私たちは
神の声に耳をかたむける必要があります。

祈りは魂を満たしてくれます。
そして、人間は、祈ることで
神に近づくことができるのです。

祈ることで、あなたは清らかで
純粋な心を与えられるのです。

マザーテレサ
(『マザーテレサ語る』より)




★宗教対話サッカー:
ローマ法王が発案、多宗教の選手参加

◆毎日新聞2014年9月2日




▲フランシスコ・ローマ法王(左端)に
サッカーのユニホームを贈る
元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ氏(右端)
=2014年9月1日、福島良典撮影



 【ローマ福島良典】キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教など多宗教の選手が参加して世界平和の実現を祈願するサッカーの親善試合が1日夜(日本時間2日未明)、ローマの競技場で開かれた。宗教間対話を進めるフランシスコ・ローマ法王の発案。

 「平和のための宗教間試合」として慈善団体が初開催した。サッカー愛好家のフランシスコ法王は「競い合うことは争いではなく、平和の種だ」とのビデオメッセージを寄せ、宗教指導者が試合に先立ち、平和の象徴である「オリーブの木」の植樹式を行った。

 試合には現役選手に交じって、元アルゼンチン代表のスーパースター、ディエゴ・マラドーナ氏がフル出場し、約2万人の観客を沸かせた。マラドーナ氏は試合前、バチカンで法王と会見した後、記者団に「サッカーは多くの戦争を止めることができる」と述べた。

 イタリアのジャンルイジ・ブフォン選手も毎日新聞の取材に「若者たちの注目の的である選手たちは平和のメッセンジャーだ」と語り、元チリ代表のイバン・サモラーノ氏は「サッカーには国境がない」と力説した。

 サッカー選手団との会見で法王は「今回の試合は、さまざまな宗教の信徒が互いに尊重しつつ、共に暮らす平和な世界を作ることができるという象徴的な行為だ」と強調した。だが、エジプトの元選手は、イスラエルの選手が参加する試合には出られないとしてボイコットした。

(2014年09月02日 12時08分)



故チャベス大統領の葬儀の様子 (2013.3.8)
▲http://m.blogs.yahoo.co.jp/poyanko2007/66382091.htm


★「天におられるわたしたちのチャベスよ」
支持者が神格化、教会が反発

◆MSN産経ニュース 2014年9月8日



▲ベネズエラのチャベス前大統領(AP)

ベネズエラの与党、統一社会党の集会で党員が、昨年死去した反米左翼チャベス前大統領を神格化し、キリスト教の祈りの言葉「主の祈り」の文言を変えて唱えたことが波紋を広げている。カトリック教会が抗議すると、チャベス氏の後継者マドゥロ大統領は「新たな異端審問だ」と反発。非難の応酬になった。

「天におられるわたしたちのチャベスよ」。1日に開かれた同党の集会で、女性党員が「わたしたちの父」をチャベス氏に言い換え「わたしたちを資本主義の誘惑に陥らせず、悪からお救いください」などと祈りの言葉を唱えた。



チャベス氏は「21世紀の社会主義」を掲げ貧困対策を推進。貧困層や内外左派勢力の間でカリスマ的人気を誇ったが昨年3月、がんとの闘病の末、死去した。

強権姿勢を強めていた同氏と対立したベネズエラのカトリック教会は、ウロサ大司教らでつくる司教会議が3日「『主の祈り』はイエス・キリストの言葉であり変えてはならない」と不快感を表明した。(共同)

(MSN産経ニュース 2014年9月8日)


▲『グローバリズムが世界を滅ぼす』エマニュエル・トッド (他)

父を礼拝する時【新指導者決まるウクライナ正教会 / 追加制裁の恐れあっても人道支援】

2014-09-09 13:15:25 | 今日の御言葉


わたしどもの先祖は
この山で礼拝しましたが、
あなたがたは、礼拝すべき場所は
エルサレムにあると言っています。

イエスは言われた。
「婦人よ、わたしを信じなさい。
あなたがたが、
この山でもエルサレムでもない所で、
父を礼拝する時が来る。 」

「ヨハネによる福音書」/ 4章 20、21節
新約聖書 新共同訳



富は、精神的なものであれ、
物的なものであれ、
正しく用いられないなら、
息苦しさを与えます。

マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)




オヌフリー府主教

★ウクライナ正教会:新指導者決まる -

◆毎日新聞 2014年8月14日



【モスクワ田中洋之】ウクライナ正教会(モスクワ総主教庁系)は13日、先月5日に死去したウラジーミル府主教に代わる新たな指導者としてオヌフリー府主教を選出した。オヌフリー府主教はウクライナ西部出身。選出後の祈祷(きとう)では、「(ウクライナ東部での)流血の惨事が終わり、平和が訪れることを心から望む」と述べた。同正教会を管轄するロシア正教会指導者のキリル総主教は13日、オヌフリー府主教選出を承認し、祝福した。

一方、独立系のウクライナ正教会(キエフ総主教庁系)は、オヌフリー府主教が「ロシア派」であり、分裂状態にある両組織を一つの独立教会にするための対話は期待できないとの見解を示した。

国民の7割が信者とされるウクライナ正教会は、ソ連時代から続くモスクワ総主教庁系と、ウクライナ独立後に分離したキエフ総主教庁系が対立しており、最近のロシア、ウクライナ間の緊張激化は両組織の確執を深める要因となっている。

(毎日新聞 2014年8月14日)


◆追加制裁の恐れあっても人道支援

★ロシアNOW2014年8月14日

http://m.jp.rbth.com/politics/2014/08/13/49661.html


アメリカ大統領とイタリア首相は、モスクワがウクライナ南東部の住民に人道支援を行うことを、ウクライナへの内政干渉と呼び、欧米からの新たな対ロシア経済制裁を示唆した。ロシアの専門家は、ロシアとアメリカが回帰不能点、これまでにない新たなレベルの対立に向けて、さらに勢いよく進んでいると考える。


▲マクシム・ブリノフ/ロシア通信

タス通信によると、ウクライナで食糧、薬、飲料水を供給するための人道支援車列は、トラック280台からなるという。人道支援物資はあわせて2000トン。モスクワ州政府によると、穀物400トン、砂糖100トン、離乳食62トン、救急器具・薬54トン、寝袋1万2000袋、発電機69台などだという。


ウクライナ情勢については、世界で異なる評価がなされている。ウクライナはテロリストとの戦いと呼び、ロシアと国際的な専門家の一部は内戦、人道危機と呼んでいる。国連はウクライナ南東部で起こっていることを人道危機とは正式に認めていない。ロシアが赤十字国際委員会とともに開始した一般市民に対する人道支援を、欧米は強く批判している。アメリカはロシアに対して次の制裁を行おうとしており、ヨーロッパの賛同者を探している。ロシアと欧米の関係における今後の政治的シナリオについて、またロシアの現在の動きが純粋な人道支援なのかについて、ロシアの専門家に意見を聞いた。

▼セルゲイ・カラガノフ氏、ロシア国立研究大学「高等経済学院」世界経済・世界政治学部長

アメリカでは、あきらめるべきではないと考えられている。ロシアも引き下がろうとはしていないようだ。ロシアとアメリカには次の対立に進むよりも、以前の関係に戻ってほしいと思っているが、次のレベルの対立の方が近そうだ。このような敵意は、冷戦時代ですら記憶していない。

アメリカは自国が強い分野すなわち経済分野で動くであろうし、ロシアは軍政分野で動くであろう。

▼アレクサンドル・コノヴァロフ氏、戦略評価研究所長

アメリカとヨーロッパは、人道支援物資を積んだ車列の目的について、異なる意見を持っている。ロシアは支援について、赤十字国際委員会、ウクライナ政府の了解を得たと言っているが、ウクライナ政府も赤十字国際委員会も今のところ、これを認めていない。

数百台の「カマズ」トラックの車列が進むと、アメリカとウクライナには、積まれているのが人道支援物資だけではないと懸念する理由ができる。アメリカは、ウクライナにトラックが無断で入国すれば侵略と見なされる、と警告している。また、トラックが空の状態で戻らない可能性もある。人民共和国の幹部をこっそり乗せて、ウクライナ南東部から運び出すかもしれない。それが起こったら、私は歓迎したい。情勢を不安定化させる者を全員運び出すことは、地域のためになるからだ。

▼セルゲイ・ミヘエフ氏、政治学者

アメリカとEUの立場には狂信的なところがある。分離独立派への支援ではなく、ウクライナ軍の攻撃によって死にそうになっている一般市民に人道支援を行うことに対して、ロシアに新たな制裁を科そうとしている。

制裁と、アメリカがヨーロッパにかけている圧力は、ロシアとヨーロッパの関係を破壊している。死にかかっている市民に薬を送ったことでロシアがEUから罰せられるというのは理不尽であり、またEUがアメリカに完全に依存していることを意味する。

ウクライナ南東部に武器を供給したいなら、わざわざ人道車列をつくる必要もない。

南東部の幹部を運び出すという話については、本当に必要であれば、何の問題もなく実行できると述べておこう。

ウクライナ軍は、独立を宣言している人民共和国の国境地域を再びコントロールしようと、大々的な戦いを組織したが、結果的に失敗した。ウクライナ国家安全保障会議のアンドレイ・パルビイ書記は、国境地域の再コントロール作戦を指揮したが、約3500人のウクライナ軍人が行方不明となったために、辞任を余儀なくされた。ウクライナは現在でも、国の多くの地域をコントロールできていない。したがって、わざわざ人道支援を装って幹部を運び出すという話には、塀の落書きレベルの信憑性しかない。作為のある情報、素人のブロガーとプロらしからぬマスメディアが今日、あまりにも幅をきかせすぎている。

▼ヴィクトル・リトフキン氏、軍事専門家

ロシアが深刻な経済的、政治的損失を被りながらも、現在ウクライナ軍の攻撃にさらされているウクライナ南東部の市民を助けようとすることは、人間として当たり前の行動。一般市民が多連装ロケットシステムで撃たれ、住居が壊され、きれいな水を飲むことができず、基本的な人間生活を送れないでいる。命を助け、人道支援を行うことは、人間の義務である。そのため、50万人とも70万人とも言われているウクライナ難民を、ロシアは受け入れているのである。紛争地帯に残っている人には、食べ物や薬を届けなくてはならない。これは人間の聖なる義務であり、できるなら実行する。

イリヤ・スラスチョノフ

(ロシアNOW 2014年8月14日)



▲ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会の
スヴィトスラフ首位大司教
(写真:ウクライナ宗教情報サービス)



★ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会と
ロシア正教会が互いを非難、
世界のキリスト教共同体や国際組織に支援・擁護求める : 国際 :

◆クリスチャントゥデイ2014年8月25日

http://www.christiantoday.co.jp/articles/13924/20140825/ukraine-greek-catholics-russian-orthodox-church.htm

ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会のスヴィトスラフ首位大司教は各国のカトリック司教協議会や政治指導者、及び善意ある全ての人々に対し、ウクライナの情勢とギリシャ・カトリックに対するロシア正教会の非難について述べた。ウクライナ宗教情報サービス(RISU)が22日に伝えた。

「ウクライナには世界のキリスト教共同体の効果的な支援と善意ある全ての人々による支援が必要です。メディアで宣伝が蔓延しているという文脈の中で、私たちはあなた方に情報を批判的に評価するよう求めます。私たちには、あなた方の祈り、あなた方の識別力、あなた方の良い言葉と効果的な行いが必要なのです。沈黙と怠惰はさらなる悲劇につながるでしょう」と、スヴィトスラフ首位大司教の書簡には書かれている。

「プロテスタントはロシア寄りのテロリスト集団によって標的とされ、もっともゆゆしい暴力に苦しんできました。福音教会『メタモルフォシス』のアレクサンダー・パヴレンコ牧師の2人の息子たちと、その教会の2人の執事であるヴィクトール・ブロダルスキーとヴラディミール・ヴェリチコは、そのテロリストたちによって教会の礼拝から連れ去られ、拷問を受け、そして殺されました。彼らの遺体はスロヴィアンスクの合同墓所から発見されました」と、スヴィトスラフ首位大司教はその書簡に記している。

「残念なことに、ウクライナ東部で包囲されたギリシャ及びローマ・ウクライナ・カトリック、キエフ総主教庁のウクライナ正教会、そしてプロテスタントは、ロシアの正教会指導層の誇張によってさらに危険にさらされており、それはロシアの政治当局やメディアの宣伝にますます似るようになってきています」と、スヴィトスラフ首位大司教は続けて述べている。

さらにスヴィトスラフ首位大司教は、「ロシア正教会の最高位でモスクワにおいて発行された最近の文書の中で、それもとりわけ各正教会総主教に宛てた書簡の中で、ギリシャ・カトリックとキエフ総主教庁のウクライナ正教は、失礼にも『東方帰一教会(ユニエイト)』とか『分派たち』と呼ばれ、名誉を毀損されています。彼らはウクライナ東部の軍事紛争について責任があるとされ、その戦闘、とりわけ軍事活動の結果続いている正教の聖職者や信徒に対する暴力を生み出しているとして非難されています。ロシア正教の指導者たちはギリシャ・カトリックや他の信仰告白について中傷的な情報を広げては、自らをロシア正教のための戦士とみなしている分離主義の武装勢力による危険にそれらをさらしているのです」と記した。

「私たちはこれらの主張や非難を強く拒否します。ウクライナ軍は教派的な存在として構成されているわけではありません。従って、さまざまな教派の従軍聖職者たちが反テロリスト作戦の地帯で奉仕しています。従軍聖職者たちは地元の宗教共同体の生活に干渉することを認められていません。ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会の従軍聖職者たちが他の諸教会や宗教団体の会員に対して暴力行為を犯したという非難は真実ではありません」と、スヴィトスラフ首位大司教は述べている。



▲ロシア正教会モスクワ総主教のキリル1世(写真:Presidential Press and Information Office)

一方、8月18日、ロシア正教会モスクワ及び全ロシアのキリル総主教聖下は国際連合と欧州委員会、及び欧州安保協力機構に書簡を送った。その中でキリル総主教は、「ウクライナ南東部において現在続いている武力紛争の状況の中で、ウクライナ正教会の聖職者や信徒の権利がひどく侵害されている数えきれない事実」について述べたという。19日にロシア正教会が公式サイトで伝えた。

ロシア正教会によると、「キリル総主教聖下は、ウクライナ南東部の敵対者たちによって引き起こされている現在の困難な状況を利用してウクライナの正統な正教を害するユニエイトや分派の試みをめぐるロシア正教会の憂慮をこれらの国際組織の高官に伝えた」という。

その書簡の中でキリル総主教は、「ウクライナにおける武力による内紛の被害者となってしまったウクライナ正教会の聖職者たち数人の悲劇的な死亡事件に言及するとともに、ウクライナ正教会の聖職者たちに対する暴力のけしからぬ事実に対して、またそれらの聖職者たちを迫害や脅しにあわせようとする現在続行中の試みに対して、それらの国際組織の指導者たちの注意を喚起している」という。

また、キリル総主教は「ウクライナ正教会の教会や修道院に深刻な物的被害が引き起こされてきており、それは何千人もの多くの難民にとって最後の避難所となってきたと説明している」という。

ロシア正教会によると、キリル総主教は「ウクライナ最大の宗教団体であるウクライナ正教会が直面している諸問題にこれら高位の国際組織が無関心のままでとどまらないようにという自身の希望を表明している。ウクライナ正教会は、いかなる政治的関与とも相容れることなく、現在のこの非常に困難な状況の中で牧会的配慮を何百万人ものその信徒たちに行い続けていると、ロシア正教会の総主教は述べた」という。そして、「キリル総主教は国際連合や欧州委員会、欧州安全保障協力機構に対し、自らの権威ある声を上げてウクライナ東部の正教のキリスト者たちを擁護するよう呼び掛けている」という。

(クリスチャントゥデイ2014年8月25日)


▲『物語ウクライナの歴史』黒川祐次 (写真)

最後のヨーロッパの大国

天の声【バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る】

2014-09-07 09:56:18 | Weblog


水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように
御自分に降って来るのを、御覧になった。


すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
という声が、天から聞こえた。

「マルコによる福音書」/ 01章 10、11節
新約聖書 新共同訳



わたしは罪深い人間です、と自分では言うけれど、
だれか他の人にそう言われると、憤慨するでしょう。
もし、いわれのないことで非難されたら、
苦しむかもしれませんが、

どんな小さなことでも、
事実に基づいて罰されると、それが当然である場合、
わたしはもっと傷つくでしょう。
自分の欠点が人々に知られることを、
喜んで受け入れなくてはなりません。


マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)






★世界遺産の旅
バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き
サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る
小野 正惠

◆日経ビジネスオンライン 2014年9月1日

http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20140707/268258/?ST=smart

 今回訪ねる世界遺産は、面積わずか0.44平方kmしかない世界最小の国、バチカン市国。東京ディズニーシーとほぼ同じ広さの国が、まるごと世界遺産に登録されている。現在、1007カ所ある世界遺産の中でも、国そのものが登録されているのは、バチカン市国のみ。1世紀のある出来事に端を発し、聖堂として姿を現したのが4世紀。そして、ルネサンス期からバロック期にかけて壮大な建造物として再生したサン・ピエトロ大聖堂。かつて教皇の宮殿だった建物はバチカン美術館となり、かつて教皇の私的礼拝堂だったシスティーナ礼拝堂は、美の殿堂としてよみがえった。それらに残るのは、パトロンでもあった教皇たちの欲望に促され、しのぎを削った芸術家たちの作品であり、教皇の気まぐれに翻弄された芸術家たちの嘆きと意地の結晶でもあった。

▼システィーナ礼拝堂で体感するミケランジェロの泣きごと

 日本人の感覚から見ると、世界遺産の建物はどれも巨大だが、とりわけ、サン・ピエトロ大聖堂の大きさには圧倒される。前に立てば、山のように立ちはだかる高さに飲み込まれそうになり、両側を見れば、楕円を描く柱廊に吸い込まれるような感覚に陥る。そして、中に入れば、自分が米粒のように感じてしまうのである。


▲サン・ピエトロ広場から見たサン・ピエトロ大聖堂とオベリスク


▲284本の円柱がサン・ピエトロ広場を囲む。広場は10万人を収容できる


 大聖堂のクーポラ(丸屋根)の高さは132.5m、大聖堂の奥行きは216m。収容人員は東京ドームをしのぐ約6万人。大聖堂の脇に続く、バチカン美術館の廊下の長さは延べ7km。内包する美術館数24。


▲バチカン美術館内にある地図のギャラリー。黄金の廊下とも呼ばれ、16世紀半ば、グレゴリウス13世の命で建築家オッタヴィアーノが建造した


 いったい、なぜこれほど巨大な建物が必要だったのだろう。誰がこの巨大建造物を望んだのだろう。たとえこのカトリックの総本山がゆくゆく世界10億人の信徒を持つ運命にあったとしても。

 その答えを握っていたのは、16世紀の教皇ユリウス2世だった。

 さらに時計を逆戻ししてみる。西暦64年、暴君ネロに迫害され、十二使徒の筆頭聖ペテロが逆さ十字の刑に処せられた。324年、古代ローマ帝国でキリスト教を公認した最初の皇帝コンスタンティヌス帝は、ペテロが殉教したこの地に、最初の聖堂を建立する。

 時はたって1506年。バチカンの歴史を大きく塗り替える教皇ユリウス2世が現れた。そして彼は、突然言い放った。「ミケランジェロを呼べ」。後世に自分の名を残したい一心で、自身の廟墓の設計をミケランジェロに命じたのである。

 「ダヴィデ」像で一躍時の人となっていた彫刻家ミケランジェロは、胸を躍らせ、何枚もの素描を書き、それに見合う大理石を探し歩き、1年近くも山に籠もって自ら大理石を切り出した。そして、いざ制作に取りかかろうとしたとき、青天のへきれきが……。教皇の気が変わったのだ。生きているのに縁起が悪いからと廟墓は取りやめ。その代り、自身の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂をもっと見栄え良くするために、天井画を描いてほしいというのである。

 彫刻家ミケランジェロにとって、それは苦痛の命令だった。自分は彫刻家であって画家ではない。そう拒否するも、教皇の意に反することはできない。ミケランジェロの苦痛の日々が始まった。

 何度、故郷の父親に泣きの手紙をしたためたことだろう。「首が痛い。腕もしびれる。うなじは肩に食い込む。腰は腹にめり込む」。体がつらいだけではない。天を仰いで絵筆を握り続けるその顔には、とめどなく絵の具がこぼれ落ちてくる。「自分の顔は床模様のようだ」。さらに言う。「つらいのは、専門でもない画家としての仕事をさせられているからだ」と。



▲「創世記」の「天地創造」から「ノアの物語」までの9シーンをはじめ、旧約聖書に登場する人物が描かれている。1000平方mに描かれた人物はおよそ300人


 一説では、教皇の心変わりの原因は、ミケランジェロのライバル、建築家ブラマンテの陰謀ともいわれている。そもそも絵画が苦手なミケランジェロに天井画など描けるわけがない。そうにらみ、ミケランジェロの名声をつぶそうとしたブラマンテの口添えが、教皇の心を動かしたというのだ。しかし、ミケランジェロの職人魂が、疲労を、苦痛を、陰謀への恨みをもはねのけた。4年後、おびただしい数の人体像が描かれた天井画が完成する。ミケランジェロ37歳のことだった。

 システィーナ礼拝堂の中央に立って天井を見上げてみる。数分間、見上げているだけで、確かにうなじが肩に食い込んでくるのが分かる。首が痛い。この姿勢を4年間、毎日、何時間も保ち続けたとは。ミケランジェロの執念と熱意と意地に感服させられる。


▼神業的彫刻に刻まれた作家の無邪気

 場所を戻してサン・ピエトロ大聖堂。その入り口をくぐり、身廊に立つ。216m先の後陣がかすんで見えるほど広い。直進せずに右手に歩を進めると、人だかりができている。近づけば、白い大理石の像。聖堂の大きさや他の彫刻に比べると、すこぶる小さい。大理石とは思えない柔らかい曲線、憂いと優しさに満ちた聖母の表情、その腕に横たわるキリストの生々しい姿に、息を飲まずにいられない。見とれる間、しばし目線も体も硬直してしまう。

 ミケランジェロの「ピエタ」像である。バックの色大理石とわずかに差し込む日の光を背に、500年以上前に作られたピエタは、まるで生きているかのように、そこにある。


▲高さ174cm。現在ある聖堂右側の礼拝堂に置かれたのは、1749年とされている

 システィーナ礼拝堂の天井画が完成する15年前のこと。フランス人の枢機卿にミケランジェロは呼ばれた。そして命じられた。「ローマで最も美しい大理石像を1年で作ってほしい」。この時、ミケランジェロ23歳。

 若き彫刻家ミケランジェロは歓喜に満ち、指令通り1年で完成させたのが、このピエタ像だった。小さなろう細工でイメージをつくり、一気に大理石を彫り始めた。「石の中の人が早く解放してくれと話しかけるからだ」とミケランジェロは言い、無心で彫り続けた。

 実はこの作品には、秘密がある。完成後、作品の評判を確かめにミケランジェロは聖堂に出向いた。すると耳に入ってきたのは、作者は誰だと言い合う観光客のひそひそ話。胸高らかにその回答を待っていると、何と自分の名ではなく、ミラノ出身の著名な彫刻家の名前。居ても立ってもいられず、ミケランジェロはある晩、聖堂に忍び込んだ。そして、こっそり、作品に自分の名を刻みこんだのだという。ミケランジェロ作品の中で唯一、署名が入っているのがこのピエタ像。観光客の会話を意識してか、聖母の胸に巻きつく帯に刻まれた文字はこう記されていた。「フィレンツェ人ミケランジェロ・ブオナローティが作る」。

 神業かと思うほど完成度の高い作品を作り続けたミケランジェロだが、父親に泣きの手紙を送る弱気な一面や、作者は自分だと主張する無邪気な一面を持つ普通の男でもあったのだ。いや、そんな人間的な一面を持ち合わせていたからこそ、見る人の心に直球で訴えてくる作品を作れたのだろう。


▲ピエタが入り口にあるのに対して、最奥の後陣に置かれた聖ペテロの司教座。中央の鳩の周囲を金の天使が舞う壮麗な作品はベルニーニが手掛けた

▼壮大な構図に隠されたお茶目な本音

 ユリウス2世が火付け役となると、続く教皇たちもこぞって自身の存在の証や主張を芸術家たちに託していった。時はルネサンス最盛期である。ラファエロ、ボッティチェリ、ブラマンテ……。発注先には事欠かなかった。

 天井画完成から24年後。今度は、教皇パウルス3世がミケランジェロを呼びだした。クレメンス7世が発注し、パウルス3世が完成を命じた“仕事”は、システィーナ礼拝堂の壁画制作の依頼だった。すでに礼拝堂の両側は、ボッティチェリや、ミケランジェロの師ギルランダイオ、ぺルジーノらの絵画で埋め尽くされている。

 依頼された題材は、「最後の審判」。天空を示す鮮やかな青の上部中央にたくましい裸体のキリストが舞い、キリストを中心に渦を巻くように描かれた壮観な壁画は、横約13m、縦約14m。描かれた人体の数約400体。制作に費やした年月約6年。ミケランジェロの、ルネサンスの、美術史上の、あらゆる頂点に立つといってもいい感動の作品である。


▲中央がキリスト。その向かって左に聖母、周囲を十二使徒が取り囲む

 キリストの横には聖母、周囲にはそれぞれ聖遺物を持つ十二使徒たち。そして画面の左側には、最後の審判を受けて天国に向かう人々、右側には地獄に転落していく人々が描かれ、時計回りの渦が見て取れる。全容が見渡せるだけの距離を保った位置から見たいが、常に人混みが邪魔をする。が、システィーナ礼拝堂ではその位置を確保するための努力を惜しんではいけない。


▲正面が「最後の審判」、天井画が完成した24年後に制作が開始された

 そして、全容と対話した後、次は近づいてミケランジェロの苦悩と復讐(ふくしゅう)の一場面に焦点を絞って見てみよう。向かってキリストの右下、ナイフを持つ聖バルトロメオの左手にぶら下がっているもの。異様に歪んだ顔とたるんだ皮膚。抜け殻のような裸体。何とこれはミケランジェロの自画像だという。

 もう1つは、向かって右下の隅にいる地獄の番人ミノスだ。ミケランジェロの死後、礼拝堂に裸体は不謹慎だとされ、一部の裸体には腰布が加筆された。が、1994年の修復の際にいくつかの腰布が取り払われた。その際に現れたのが、ミノスの下半身だった。何と、ミノスの体に巻きついた蛇が性器にかみついているではないか。ミノスに投影したのは、制作中に壁画の裸体像を見て「ここは風呂屋でも宿屋でもない」と激高した儀典長だといわれている。

 「裸体が不謹慎? 冗談じゃない。裸体こそ最も美しいのだ」。そんなミケランジェロの声が聞こえそうなワンシーンだ。完成の時、ミケランジェロは60歳。還暦にして、儀典長に向けた茶目っけたっぷりの復讐に、思わず頬が緩む。


▼一心不乱の17年間。最後の力を振り絞ったものは

 システィーナ礼拝堂は、古い礼拝堂を1477~1480年に再建することで、完成を見ていた。が、中枢を成すサン・ピエトロ大聖堂は、苦難の道を歩んでいた。

 1506年にユリウス2世によって着工されたものの、教皇は1512年に、主任建築家に任命されたブラマンテも1514年に他界。後を受け継いだラファエロも、教皇レオ10世も死去し、次々に教皇や建築家が変わっては志半ばで死去。さらにルターの宗教改革やレパントの海戦など、歴史の荒波にも翻弄され、建築はたびたび中断を余儀なくされていたのだ。

 そして、ようやく続行となったとき、再び教皇パウルス3世が呼び出したのが、ミケランジェロだった。その時すでに71歳。未完成ながらさまざまな建築家の思いが込められていた大聖堂を、ミケランジェロは当初のブラマンテの計画を採用しつつ、独自の構想も加えて、再構築を図った。ブラマンテといえば、天井画を描かされるいじめを受けたライバル。だが、芸術に私情をはさまないところがミケランジェロの潔さでもある。やっとフル回転で続行された大聖堂建設だったが、その完成を見るには、巨匠の死後、さらに62年を待たねばならなかった。

 完成した大聖堂は、11の礼拝堂と45の祭壇を持つ、左右対称の堂々としたルネサンス様式。だが、内部を飾ったのは、16世紀末から17世紀初頭にかけて流行した豪華絢爛(けんらん)なバロック様式だった。


▲大聖堂の中核を成すクーポラと大天蓋。
柱上部の円形のモザイク画に描かれた
預言者の持つペンでさえ2mもある。
この建物がいかに巨大かを知る数字だ


 ミケランジェロ設計の高さ132.5m、直径42mのクーポラの下にある、高さ29mの大天蓋は、バロックの巨匠ベルニーニによるものだ。ブロンズ製の柱には、月桂樹の葉やオリーブの枝、教皇の家紋や裸の子供たち、大天蓋には冠や聖書……。クーポラの下に行くと、建物の壮大さとともに、装飾のきらびやかさに目まいを覚えるほどだ。

 71歳で仕事を受け、亡くなるまでの17年間、ミケランジェロは無給で大聖堂の建築に没頭したという。聖堂入り口付近にあるピエタを造ったのが23歳。37歳でシスティーナ礼拝堂の天井画を作成し、60歳の時に礼拝堂の壁画を完成させ、大聖堂の完成を見ずに88歳で世を去ったミケランジェロ。


▲大天蓋の下では、さまざまな儀式が執り行われる

 あまたの芸術家や教皇の足跡が残るバチカン市国の建造物だが、人間味あふれる心で、神のような業を成し遂げたミケランジェロに思いをはせずに、この扉はくぐれない。


▲クーポラの上に上がると、ローマ市内が一望できる。かのゲーテもこの眺望のとりこになった1人だ


◼️バチカン市国に旅するなら

 世界遺産のバチカンを旅する時に役立つのが、スマートフォンアプリ「たびNavi バチカン市国」。見たい場所を検索してクリックすると、音声で説明が流れる仕組み。日本でダウンロードすれば、現地では海外ローミングは不要。詳しくは、こちらへ。

http://www.tabi-navigation.com/vol05_vatican/index.html
http://tabi-navigation.com/


(日経ビジネスオンライン 2014.09.01)

弁護者【故チャベス前大統領への「主の祈り」、 カトリック教会が抗議声明 | 世界のこぼれ話 】

2014-09-06 23:59:59 | 今日の御言葉


しかし、弁護者、すなわち、
父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊が、
あなたがたにすべてのことを教え、
わたしが話したことをことごとく
思い起こさせてくださる。

「ヨハネによる福音書」/ 14章 26節
新約聖書 新共同訳



【最も幸福な人とは最も多くの人に幸福をもたらす人】

(ブラジルの諺)


http://m.blogs.yahoo.co.jp/poyanko2007/66382091.html

★故チャベス前大統領への「主の祈り」、
カトリック教会が抗議声明 | 世界のこぼれ話

◆Reuters 2014年9月5日


【カラカス 4日 ロイター】 - ベネズエラの与党議員がキリスト教の「主の祈り」をもじって故チャベス前大統領の賛歌を唱えたことに対し、同国のカトリック教会が抗議声明を発表した。

カトリック教会は「主の祈りは私たちの主イエス・キリストご本人の口から発せられたものであり、ゆえに触れるべからざるもの」と指摘。

「個人礼賛のために国歌の詩を変えてはならないのと同様、主の祈りを変えることも許されない。このもじりを行った人物は、偶像崇拝の罪を犯している」とした。


http://quasimoto.exblog.jp/19925334/

与党議員は1日の党集会で、主の祈りになぞらえ、故チャベス氏に資本主義の悪からの保護を求める文言を唱えていた。

(ロイター 2014年9月5日)


これも、Kの法則なのか......。

★ローマ法王のおいが交通事故、
妻子計3人が死亡

◆AFPBB News 2014年8月21日

http://www.afpbb.com/articles/-/3023532?pid=14226362


【8月20日 AFP】アルゼンチン中部コルドバ(Cordoba)州で19日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王のおい、エマニュエル・オラシオ・ベルゴリオ(Emanuel Horacio Bergoglio)さん(38)が運転する車がトラックに追突し、乗っていたベルゴリオさんの妻と2人の子どもが死亡、ベルゴリオさんも重傷を負った。当局が発表した。

 ベルゴリオさんは、フランシスコ法王の兄弟、故アルベルト(Alberto)さんの息子。コルドバ州警察本部長がAFPに語ったところによると、事故で亡くなったのはベルゴリオさんの妻と、二人の間の8か月と2歳の子どもだという。

 ローマ法王庁(バチカン)のフェデリコ・ロンバルディ(Federico Lombardi)広報局長によると訃報を知ったフランシスコ法王は「深く胸を痛め」、「痛みを分かち合ってくれる人には、共に祈りをささげてほしいと願っている」という。

 アルゼンチン出身のフランシスコ法王は、昨年3月に法王に選出されて以来、母国へは一度も帰っていない。

 警察によると、ベルゴリオさん一家が乗っていた車はコルドバ州の高速道路を走行中にトラックに追突し、炎上したという。事故当時の状況に関する捜査が引き続き行われている。(c)AFP


(2014年08月20日 07:58 発信地:ブエノスアイレス/アルゼンチン)

腹を立てる者【ドイツのスポーツはなぜいじめ・体罰がないのか 教会とスポーツ、ちょっと意外な関係】

2014-09-05 16:36:48 | 今日の御言葉



わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、
『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

マタイによる福音書/ 05章 22節
新約聖書 新共同訳



お互いに、心の底から
愛し合っている人たちは、
この世でいちばん幸せ者です。
彼らは少ししか、いいえ、
まったく何も持っていないかもしれません。
 
でも幸せなのです。
すべてのことは、
どのように愛し合うかにかかっているのです。

マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)



★ドイツのスポーツはなぜいじめ・体罰がないのか
教会とスポーツ、ちょっと意外な関係

(第8回 日本は体育会系教育に期待しすぎ)

◆東洋経済オンライン 2014年08月06日

http://toyokeizai.net/articles/-/44522

高松 平藏 :ドイツ在住ジャーナリスト



スポーツには教育的役割があるが、ドイツでは「公正」「寛容」など、より普遍的な価値観をつかってスポーツを意義付けている。そのため、われわれにはピンとこないが、キリスト教がかかわってくるような一面もある。日本の「体育会系」と比較しながら、ドイツのスポーツを見てみよう。

体育会系に期待する日本人

「こんにちは!」日焼けした男子生徒が筆者の姿をみると、元気な声で挨拶してくれた。筆者はこの夏、日本のある高校を訪ねる機会があったのだが、校門をくぐり抜け、校内を歩いている時のすれ違いざまの出来事だ。さらにしばらく歩いていくと、スポーツバッグを持ったグループとすれ違った。それぞれが私に向かって「こんにちは」としっかり挨拶してくれる。「体育会系」の部活の生徒さんなのだろう。日本の蒸し暑い夏に、なんとも爽やかな挨拶である。この明朗快活にして礼儀正しい態度に文句のつけようはない。日本社会で共有されている人間の理想像の一部を体現している。

 日本社会では、特に高度経済成長期に顕著だったが、雇用する側にとって体育会系を重視する傾向があった。今日でも「ゆとり世代」にやきもきする企業の人事部は「やはり、体育会系をとるべきか?」と考えることも少なくないようだ。

 体育会系に染まり上がった若者に、何を期待しているのだろう。おそらく厳しい上下関係の人間関係に順応し、弱音を吐かずに、目の前のタスクを完了させようとする強い意志に期待しているのだろうか。明朗快活な挨拶はその象徴だといえよう。


社会的スキルが培われるドイツのスポーツ

ドイツでもスポーツに対する教育的期待はある。一般的にドイツにおけるスポーツは地域のスポーツクラブ(NPOと理解すると分かりやすい)のメンバーになって行うが、青少年に対しては社会的スキルの獲得といった側面での期待がある。

 社会的スキルとは、自尊感情をもつこと、責任感を伴うリーダーシップ、他者への共感、他者との協調、一定の批判能力いったことを指すが、要は社会的に妥当性のある行動がとれる能力のことである。

 人数の多いスポーツクラブでは年齢別のサッカーチームを作っていることがある。例えば10代後半のメンバーが中学生ぐらいの年齢のチームのトレーナーとして練習や試合で活躍。また中学生程度のメンバーが小学校の低学年程度の年齢のチームのサブ・トレーナーとして練習の補助を行う。そんなケースが散見される。

 筆者が住むエアランゲン市のあるスポーツクラブのサッカーの指導に長年関わっている男性は「これによって責任感が培われる」と述べる。ドイツの学校では先輩・後輩システムがないことから、スポーツクラブは社会的スキル獲得のよい機会になってくるというわけだ。

 日本の先輩・後輩システムでも学校行事や部活で下級生に対して責任を持つことが生まれやすく、それが社会的スキル獲得の訓練になる一面がある。しかし、第3回でも述べたように、ドイツのスポーツクラブでは子供から大人までメンバーがいる。日本の部活のように卒業もなければ引退もない。

 つまり人間関係が学校で完結してしまいがちな日本に比べ、ドイツのスポーツクラブのほうがより普遍的な老若男女の社交が成り立つ。やや余談めくが、主に西洋の学生に比べて、日本の学生のほうが子供っぽいといわれることがある。学校外の人間との社交が少ないことが「子供っぽさ」につながっているのかもしれない。


スポーツにもかかわる教会


ドイツ・スポーツの教育的役割の背後にあるのが、公正、寛容、平等といった社会的に普遍性のある価値観である。 実はこういった価値観はキリスト教が繰り返し確認しているものと重なる。

 昨今、毎日曜日に教会へ礼拝に出かける人はかなり少なくなったが、ドイツの社会を見ているとキリスト教の価値観が隅々にまで広がっており、学校の授業でも「宗教」の時間がある。日本で宗教というと、カルト宗教などの影響もあり、ちょっと構えてしまうようなところもあるが、ドイツの様子をみていると社会秩序に必要な「価値のOS」のようなところを担っているのだ。



バイエルン州のスポーツ連盟の分科会には「スポーツと教会」委員というものもあり、キャンプなどのイベントや山での礼拝などを行っている。職務としては教会の代表同士の意見交換、スポーツ団体や教会内で「公正、寛容、相互理解」といった価値を教えることといったことをあげている。

 エアランゲン市では市内のスポーツクラブが芝生の広場に一同に集まり、訪問者に競技の紹介や体験をしてもらう「クラブ見本市」のようなしつらえの「スポーツフェスティバル」が行われたことがある。開催されたのが日曜日だったのだが、開会式でまず行われたのが仮設舞台での礼拝。黒い僧衣で現れた牧師、ユリア・アーノルド師は「スポーツと教会」委員のメンバーの一人だ。楽団による賛美歌が演奏され、ボールを小道具にしながら説教が進められたが、強調されたのは、「公正」「寛容」「敬意」といった価値だった。


普遍的な価値をもとに


ひるがえって、日本の体育会系の若者はバスを降りるときにも「ありがとうございました」、コンビニで買い物しても「失礼します」と挨拶をする者も少なくない。明朗快活なこういった態度は確かに見ていて気持ちはいい。が、ドイツの日常生活では、スーパーで買い物するときにレジ係の人と「こんにちは」「さようなら」とごく普通に挨拶を交わす。挨拶だけに着目すると、体育会系でなければ他人ときちんと挨拶できない、というイメージがあるとすれば、それは奇妙なことでもある。

 部活における上下関係という秩序も健全に動くうちはよい。また「いちおう」上下関係があるだけで、スポーツを共通項に先輩も後輩も一緒にコロコロ笑いながら毎日を過ごすクラブはきっとよい思い出が残るであろう。

 しかし上下関係のもと、勝利のために指導者による無理なトレーニングがはびこり、いじめがおこるようでは、その「苦行」を生き延びる「勝ち組」のためだけのスポーツになってしまう。

 ここで再びドイツをみると、スポーツを通して公正、寛容、平等といった社会的な普遍的価値を身に付ける教育的期待がある。これらの価値はキリスト教という社会の「価値のOS」とも重なるわけだ。そのせいか前述のようにスポーツの祭典の開会式で礼拝が行われるのも珍しいことではない。

 日本の文科省のサイトの「体育の目的の具体的な内容~すべての子どもたちが身に付けるべきもの~」というページを見ると、フェアプレーや協力・責任に関する「態度」に言及はしている。しかし体育会系では上下関係や規律で挨拶や精神的な強さは養われるが、実際にこうした普遍的価値を強調されることは、少ないのではないか。ドイツのように信仰をもってかかわることは難しいだろうが、普遍的価値をもとにした、社会的スキルを養う場としてスポーツを捉えなおすことが大切だと思う。

(東洋経済オンライン 2014年08月06日)

愛と共感【中国当局、教会や十字架など相次ぎ強制撤去】

2014-09-04 01:38:16 | 今日の御言葉



神は言われた。

「我々にかたどり、
我々に似せて、人を造ろう。」

「創世記」/ 1章 26節
新共同訳 旧約聖書




世界を負かすのに爆弾や銃を
用いさせないで下さい。

愛と共感を用いさせて下さい。

平和は微笑みから始まります。

あなたが微笑みたくない人にも
1日5回微笑みましょう。

神の光をともして、世の中で、
またすべての人々の心の中で、
あらゆる憎しみや権力愛を
消しましょう。

マザーテレサ
(マザーテレサ『インドから世界へ』より)







★中国当局、教会や十字架など相次ぎ強制撤去

◆ 日テレNEWS24 2014年8月29日

http://www.news24.jp/articles/2014/08/29/10258088.html

キリスト教徒が急増する中国で、当局が十字架や教会そのものを強制撤去する動きが相次ぎ、当局とキリスト教信者の間で対立が深まっている。



キリスト教信者が多い浙江省温州では、27日と28日だけで少なくとも3か所の教会の十字架が違法な建築との理由で当局に強制撤去された。十字架を取り外された教会は、省全体でこれまでに300か所以上にのぼる。4月下旬には完成間近だった教会の建物そのものが違法建築だとして、すべて解体、撤去されたケースもある。こうした動きに信者らは猛反発しており、当局との間で激しい衝突が起きケガ人も出ている。



中国では貧富の格差などを背景にキリスト教信者が急増し、すでに共産党員の数を超える1億人以上に達しているとみられる。当局は、キリスト教の影響力が増すことに神経を尖(とが)らせているものとみられる。

(日テレNEWS24 2014年8月29日)






◆十字架は違法建築!?
中国当局に強制撤去された杭州の教会
=台湾メディア

★サーチナ 2014-08-16 05:57

http://news.searchina.net/id/1540734

台湾メディア・蘋果日報は14日、中国浙江省杭州市で12日に教会の十字架が当局に強制撤去されるなど、同省内でキリスト教信者と当局との緊張関係が高まっていると報じた。

記事は、ローマ法王フランシスコが14日に訪韓したさいに中国の領空を通過、習近平国家主席に対してあいさつの電報を送ったことを紹介したうえで「中国当局が最近十字架を強制撤去し、国内の信者とのあいだに緊張が走っていることを法王は知っているだろうか」とした。

そして、同市にある鼓楼堂教会の外で12日午後に突然私服警察官が張り込みを開始、強制撤去の知らせを知った信者や牧師約100人が教会に駆け付けると、当局は1000人近い武装警官らを出動させて教会の門を封鎖、「あたかもテロリストに対処するような体制」が敷かれるなか、現地時間13日午前1時頃までに十字架が強制撤去されたと伝えた。 記事はまた、同省温州市にある教会でも十字架が強制撤去される危機に見舞われたことを紹介。

信者の話によると、2カ月ほど前に当局から「十字架は違法建築であり速やかに撤去せよ」との通知を受け、その後教徒らが毎晩教会内に張り込んで撤去に抵抗したため、今のところ当局は行動を起こしていないという。教会側は弁護士数人の協力を得て、強制撤去を行おうとする当局に対して訴訟を起こす構えでいるとのことだ。

(編集担当:今関忠馬)



(写真は蘋果日報の14日付報道の画面キャプチャ)

怠惰な生活【地域教会が協力し「広島土砂災害支援室」設置  ボランティアが八木・可部東地区で活動】

2014-09-03 13:19:40 | 今日の御言葉



兄弟たち、わたしたちは、
わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。
怠惰な生活をして、
わたしたちから受けた教えに
従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。

テサロニケの信徒への手紙二/ 03章 06節
新共同訳 新約聖書



ごうまんで、ぶっきらぼうで、

利己的になるのは、
いともたやすいことです。

でも私たちは、

もっとすばらしいことのために、

つくられているのです。

マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)



★地域教会が協力し「広島土砂災害支援室」設置
 ボランティアが八木・可部東地区で活動


◆クリスチャントゥデイ 2014年9月1日20時45分

http://www.christiantoday.co.jp/articles/13966/20140901/hiroshima-dosha-saigai.htm



▲1階が土砂で埋もれたマンション前で自衛隊、消防、警察が合同で捜索を行なっている。(写真:日本国際飢餓対策機構)


広島地域の教会が協力し、広島宣教協力会内に「キリスト教会・広島土砂災害支援室」(室長:堀川寛・三滝グリーンチャペル牧師)を設置するなどし、教派を越えて、広島の土砂災害支援のために活動を行っている。

同支援室は、日本福音同盟(JEA)の公式サイトなどを通じて、これまでの支援の第1弾の報告を発表し、「天候不順、被害者捜索の影響に加え、狭小道路地域ということも相まって、個人宅の土砂出しはほとんど手付かず、よくて開始されたばかりといったところです」「この3日間、20名を超えるボランティア参加者が与えられておりますが、まだまだ必要が続く見通しを持っております」などと、状況を報告した。

主な活動は、大きな被害が出た広島市安佐南区八木と安佐北区可部東での泥出し作業。三滝グリーンチャペルのスマイル館に設置されたボランティアセンターでは、電話対応やボランティアの受け付け・割り振り、支援物資などの受け取り・備蓄、県外からのボランティア滞在受け入れなどを行なっている。

一方、JEAは松本順・援助協力委員長を被災地に派遣。松本委員長は8月28、29日に被災地を訪れ、日本ホーリネス教団広島教会関係者宅の泥出し作業などを視察した。また、同支援室の関係者らとミーティングを行ない、見舞金も手渡した。




▲市販のプラスチックボードを使い、工夫しながら泥を土嚢(どのう)に入れるボランティア。これにより、2人ペアで行なわなければならない作業を単独でもできるため、作業の効率化につながっているという。(写真:日本国際飢餓対策機構)


同じく、広島で支援活動を行っている日本国際飢餓対策機構は、同公式サイトで現地の様子やボランティア活動の様子を報告している。

同機構の報告によると、八木地区は最大被害地であることもあり、連日各種メディアにより報道され、メディア関係者が訪れる他、行政に登録して参加しているボランティアも多数活動しているという。一方、可部東地区は避難指示が出ていることもあり、メディア関係者のほか、自衛隊やボランティアの姿もほとんどないという。そのため、同地区の住民は支援から孤立している状態にあり、同機構は現地に住む牧師を通じて、被災者住宅の泥出し作業の支援を行なっているという。

「ちょっと腹立たしいのは、ここは危険地帯(避難指示発令)だからということで、いくら行政にお願いしてもボランティアを出してくれないんだ。マスコミさんも被害が大きかったから八木(安佐南区)のことばかり報道して、可部東の現状をほとんど伝えていないんだな、いくら危険だからといって人命救助の時以外は誰も来てくれないのはねえ」という、可部東地区の男性住民(70)の声も伝えた。

一方、カトリック広島司教区は、同教区内の信徒に向け、祈りと募金を呼び掛けている。同教区内には「カリタス広島災害サポートセンター」を開設し、支援活動を実施。「すでに広島教区内のみならず、ローマや長崎といった教区外からもお祈りとボランティア支援、募金の申し出を受けています」という。一方、同教区によると、今回の災害で信徒1人が亡くなったという。


▲土砂で押し流された車(写真:日本国際飢餓対策機構)


各団体を通しての広島土砂災害支援の募金は下記の通り。

■ 広島宣教協力会 01370-3-108803(土砂災害支援)
■ 日本国際飢餓対策機構 00170-9-68590(広島土砂災害)
■ (JEA)日本福音同盟援助協力委員会 00190-5-7790(広島土砂災害指定)
■ カトリック広島司教区 01310-0-16760(広島土砂災害支援)
※ いずれも郵便振替
※ いずれも通信欄に()内の但し書きを明記

関連タグ:日本福音同盟(JEA)日本国際飢餓対策機構(JIFH)カリタスカトリック教会メールマガジンを購読する

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★広島土砂災害:カンボジアで追悼ミサ
学校支援の男性悼み

◆毎日新聞 2014年09月02日 14時41分(最終更新 09月02日 15時03分)




▲岡村健二さんの寄付でカンボジアのバッタンバンに
建設された小学校
=バッタンバン友の会提供


悲しみは海を越えて広がった。広島市北部で先月20日未明に発生した土砂災害は、多額の私財を投じてカンボジアの小学校建設を支援していた岡村健二さん(89)=安佐南区緑井7=ものみ込んだ。信仰心のあついカトリック教徒で、内戦で荒れた現地の子供たちに「国を立て直してほしい」と夢を託していた岡村さん。カンボジアでは追悼ミサが開かれ、突然の死を悼んだ。

岡村さんはテレビ局の職員だった26歳の時、祇園カトリック教会(安佐南区)で洗礼を受けた。教会の神父らは2001年、内戦の被害が大きかった首都プノンペンの北西約300キロの都市バッタンバンを視察。学校整備などが遅れた現状を目の当たりにし、現地の子供たちの教育を支援する「バッタンバン友の会」を結成した。

テレビ局を退職し、子供もいなかった岡村さんは活動に共鳴。「夫婦2人の老後に多くの蓄えはいらない。カンボジアの将来に役立ててほしい」と多額の貯蓄を寄付した。バッタンバンには01年以降、12の小学校が建てられ、友の会が現地の教会と連携して運営。今も数千人の子供が通い、「岡村学校」と呼ばれているという。

高齢の岡村さんが現地を訪れることはなかったが、「友の会」会長でスペイン出身のルイス・カンガス神父が毎年、現地で撮影した写真を岡村さんに見せていた。雨期にも水没の心配がない高床式の校舎、真新しい机に向かい笑顔で勉強する子供たち--。「岡村学校には、あなたのお子さんがたくさんいますよと話すと、岡村さんはうれしそうにほほ笑んでいた」とカンガスさんは話す。

8月20日未明。自宅1階で寝ていた岡村さんは土砂に巻き込まれ、帰らぬ人となり、情報は教会を通じて現地に伝わった。災害の4日後、バッタンバンなど3カ所の教会で開かれた追悼ミサには、岡村さんを慕う信徒や子供たちが数多く参列した。

友の会の神谷和佐子事務局長は「『子供たちに教育を』という岡村さんの遺志をしっかりと引き継いでいきたい」と話している。

【岡崎英遠】

御自身【インド首相に東寺案内 安倍首相、仏像など見学】

2014-09-02 15:36:04 | 今日の御言葉




わたしたちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。

キリストは御自身を


否むことができないからである。


「テモテへの手紙二」/ 02章 13節
新約聖書 新共同訳



愛は、
それぞれの季節が実らせる果実といえます。

マザーテレサ

(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)




★インド首相に東寺案内 安倍首相、仏像など見学

■産経新聞 2014年8月31日 11:43 【安倍首相】



東寺の五重塔を背に報道陣に向かって手を振る
インドのモディ首相(左)と安倍晋三首相
=31日午前10時10分、京都市南区の東寺(代表撮影)



 安倍晋三首相は31日午前、来日しているインドのモディ首相に世界遺産の東寺(京都市南区)を案内し、共に仏像などを見学した。前夜の京都迎賓館での夕食会に続く「おもてなし」で、インドとの関係強化を目指す意向を強くアピールする形となった。

 東寺は真言宗の開祖・弘法大師空海ゆかりの寺院で、密教を通じてインドとの関係も深い。





 安倍首相は東寺講堂前でモディ首相を出迎え、講堂内に安置された仏像や、国宝の五重塔を一緒に見て回った。大日如来像の前では並んで合掌した。

 安倍首相は境内を散策中もモディ首相の隣を歩き、手ぶりを交えながら談笑。集まった報道陣に笑顔で手を振り、写真撮影に応じるなど文化や歴史を通じて首脳間の交流を深めた。

(2014.8.31 11:43)



▲パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会する安倍首相(2007.8.15)


★「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」
 モディ首相

■産経新聞 2014年9月2日 11:22 【インド】



 インドのモディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の話題に触れ、その功績をたたえた。

 モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。

 首相は第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会している。首相の判事への思い入れは強く、両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めた。

 インドのパール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。

(2014.9.2 11:22)


▲『パール判事の日本無罪論』田中正明(写真)

確信【平成青少年遣欧使節団 スペイン訪問/ 志、時を超え 】

2014-09-01 17:04:25 | 今日の御言葉
聖ウルスラおとめ等殉教者  St. Ursula et Soc. Vv.



兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、
あらゆる知識で満たされ、
互いに戒め合うことができると、
このわたしは確信しています。

ローマの信徒への手紙/ 15章 14節
新約聖書 新共同訳




説明不足は
怠け心。

つい「分かっているはず」と
思いがちです。
言葉を惜しまず、
親切な対応を心掛けましょう。




キリスト教世界体感/
(4)聖ウルスラ学院英智高/平成の常長が行く

◆河北新報オンラインニュース 2014年8月23日

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140823_13009.html



キリスト教をモチーフとした絵画やフレスコ画で装飾されるラス・デスカルサス・レアレス修道院を見学する平成青少年遣欧使節団員たち=7月29日、マドリード市


<海外志向強まる>

仙台市若林区の聖ウルスラ学院英智高2年菅原みなみさん(16)は、学校の授業で学ぶキリスト教について理解を深めることも、宮城県の高校生10人らの「平成青少年遣欧使節団」に参加した目的の一つだった。
7月29日、慶長遣欧使節団を率いた支倉常長が400年前に洗礼を受けたマドリード市のラス・デスカルサス・レアレス修道院を訪問した。

自ら通う校名の由来となった伝説上の聖女「聖ウルスラ」がモチーフの絵画と出会い「神聖な雰囲気を感じることができた」。常長ゆかりの場所で、キリスト教の世界観を五感で学んだ。
マドリード市内の日本大使公邸で同日あった昼食会。佐藤悟大使が「スペイン語を使う人口は世界に約4億人。習得して損はしない言語だ」と説明すると、菅原さんは「スペインで語学を勉強すれば、中南米でも働けますか」と尋ねた。

もともと、海外で活動できる看護師を志望していた。「看護師に限らなくても、国際的に活躍できる仕事には絶対に就きたい」。渡航を通じて海外志向が強まった。


<「現場」歩き感動>

同高2年の豊川絢菜さん(16)は、公式的な日本人外交使節として初めてスペインを訪れた常長の偉業を知ったことがきっかけで、歴史好きになった。出発前「世界史の先生になるか出版社で働き、歴史や考古学に関わる仕事をしたい」と語っていた。

平成使節団は、スペイン王室の離宮アルカサール(セビリア市)、イスラム教とキリスト教の様式が融合した大聖堂メスキータ(コルドバ市)、スペイン・カトリックの総本山トレド大聖堂(トレド市)などの歴史的建造物を回り、常長の足跡をたどった。

マドリード市ではラス・デスカルサス・レアレス修道院のほか、常長らが投宿したサン・フランシスコ・エル・グランデ教会を見学。

「400年前、常長もそこから街並みを眺めただろうと想像し、感動した」。時空を超え、郷土の先人と同じ場所に立てたことに胸を躍らせた。
歴史の「現場」を歩き、新たな発見もあった。「常長をもっと知りたくなったし、スペインの宗教史も勉強したい。将来どんな職業に就くか、迷いが出てきた」


(2014年08月23日土曜日)






平成青少年遣欧使節団 スペイン訪問(上)/
志、時を超え

★河北新報オンラインニュース2014年8月25日



大西洋に注ぐグアダルキビル川の岸辺で、悠久の流れを見つめる支倉常長像。平成使節団のメンバーたちは、先人が400年前に成し遂げた偉業に思いをはせた=7月26日、コリア・デル・リオ市
太平洋と大西洋の荒波を乗り越えて始まった交流は、新たな歴史を刻んだ。
仙台藩祖伊達政宗の命を受けた支倉常長ら慶長遣欧使節団が1614年、公式的な日本人外交使節として初めてスペインに渡ってから、ことしで400周年となった。

宮城県内の高校生10人ら「平成青少年遣欧使節団」が7月25~30日、同国を訪問。慶長使節団の子孫とされる「ハポン(日本)」姓の人々が住むコリア・デル・リオ市、常長が当時の国王に謁見(えっけん)した首都マドリード市など、その足跡をたどった。

400年前は江戸幕府がキリスト教を禁止した時代背景もあり、政宗が求めたとみられる宣教師派遣や太平洋交易は達せられなかった。それでも、慶長使節団は粘り強い外交交渉を重ね、かの国には日本を愛する人々がいまも残る。

常長の世と異なり、現代では両国の交流を妨げるものはない。若者たちは屈託ない笑顔を見せながら友好を深め、東日本大震災からの復興支援に感謝の言葉を述べた。

(報道部・小木曽崇、写真部・坂本秀明)




宮城県の村井嘉浩知事からスペイン国王フェリペ6世への親書。
仙台の伝統工芸品「玉虫塗」の文箱(上)に納められ、
東日本大震災からの復興支援に対する感謝の気持ちがつづられている




「珍しい食材はあるの?」。高校生たちは鮮魚店の店頭に並ぶ
魚介類を見ながら店員に質問した
=7月26日、コリア・デル・リオ市




ゆっくりと時が流れるコリア・デル・リオ市内を見下ろす高台。
一行は青空の下、白壁がまぶしい街並みを
のんびりと散策した=7月26日

(2014年08月25日月曜日)




支倉常長が洗礼を受けた
ラス・デスカルサス・レアレス修道院の教会。
神聖な空気が漂う中、天井には
壮大なキリスト教的世界観が広がっていた
=7月29日、マドリード市



平成青少年遣欧使節団 スペイン訪問(下)/
絆、海を越え

◆ 河北新報オンラインニュース2014年8月25日

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140825_15032.html



支倉常長の宿舎があった場所に立つ平成使節団員たち。
視線の先には、常長も見たであろう王都の街並みが広がる
=7月29日、マドリード市の
サン・フランシスコ・エル・グランデ教会



交流会で平成使節団の高校生が魚を
さばくのを興味深そうに見守る
「ハポン(日本)」姓の人々。
高校生が作ったアジのかば焼きやずんだ餅を試食した
=7月26日、コリア・デル・リオ市



大鍋に作られたシーフードたっぷりのパエリア。
一面に広がる鮮やかなオレンジ色を前におどける高校生たち
=7月26日、コリア・デル・リオ市


(2014年08月25日月曜日)



▲『潮路はるかに 慶長遣欧使節船出帆400年』
河北新報社 (写真)