地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【完全な愛は恐れを...内村鑑三】「実態と乖離」と問題視 道徳教材ほぼ全校使用との調査結果に

2014-10-28 21:45:59 | 今日の御言葉
▼『武士道』新渡戸稲造 (写真)
http://www.shipboard.info/blog/archives/2011/08/post_2445.html



愛には恐れがない。
完全な愛は恐れを締め出します。
なぜなら、恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が
全うされていないからです。

ヨハネの手紙一/ 04章 18節
新約聖書 新共同訳



愛に恐怖なし、最上の道徳たればなり。
愛に疑惑なし。最大の真理たればなり。
愛に束縛なし、真箇の自由なればなり。


内村鑑三
(内村鑑三 「所感十年」)




http://www.moral-science.com/reagan.html

▲1993年(平成5年)に「The Book of Virtues」(道徳読本)という名の本にして、アメリカで出版されたこの830頁もある大著が「第二の聖書」と言われるほど毎年ベストセラーとなっている。

この本は、日本の『修身教育』が元となっている。
http://b-co811.hatenablog.com/entry/20130131/p1


★下村文科相「実態と乖離」と問題視
道徳教材ほぼ全校使用との調査結果に -

◆産経新聞 2014年10月17日 20:29更新


下村博文文部科学相は17日の衆院文部科学委員会で、公立小・中学校のほぼ全校が道徳教育の教材「私たちの道徳」を使用しているとの同省調査結果について「個人的に教育関係者に聞いてみたら1回しか使われていない事例もかなりある。結果は相当高い数字だが、実態とはかなり乖(かい)離(り)している感じだ」と述べた。維新の党の遠藤敬氏の質問に答えた。

遠藤氏は「聞けば聞くほど教材は使われていない。道徳の教科化に向けた流れが厳しくなる」と問題提起。これに対し、下村氏は「残念ながら道徳に対しては教育現場に必要以上の精神的拒否反応がある」と指摘した上で、「教材は軍国主義を増長させるような偏向の中身ではない」と訴えた。

下村氏は教材の活用を促すため教師用の指導資料を今年度中に作成し、全国の小中学校に配布する考えも示した。

教材は今年4月に全国の小中学校に配布された。14日に公表された調査結果では平成26年度の道徳授業で小学校(2万262校)の99・5%、中学校(9658校)の98・4%が使用している。

(産経ニュース 2014.10.17 20:29更新)



▲KAZUYA氏 (写真)
道徳教育に内村鑑三の
代表的日本人を読め!


http://youtu.be/QdLp2tudFi0

★お題目主義

◆北海道新聞[卓上四季] 2014年10月23日



米国・ルイジアナ州の郡庁舎にある旧約聖書の十戒の展示物について、ある下院議員がテレビのインタビューを受けた。議員は十戒こそ道徳の根幹と主張したが、「うそをつくなかれ」など三つの戒めしか覚えていなかった

▼失笑を買う中、哲学者のチャーチランドは違和感を持った。議員は人望があり、道徳的人格の持ち主。それは十戒をすべて知っていることとは別問題だと(「脳がつくる倫理」化学同人)

▼ふと、この話題が頭をよぎったのは、中央教育審議会が小中学校の道徳を教科に位置付けるよう答申したからだ。学習に当たって「誠実」「正義」などのキーワードの明示を求め、政権はいじめ根絶や愛国心育成に期待している。だが、米国の例を引くまでもなく、道徳と「お題目」を覚えるのでは、訳が違う

▼道徳性を評価するというのも気になる。徳の有る無しをどう分けるのか。入試に使われる可能性があるだけに、先生の顔色ばかり気にする「ヒラメ生徒」の出現の方が、むしろ心配だ

▼道徳は学校だけで身に付けられるものではない。例えば、なぜ食べ物を粗末にしてはならないか、どうして高齢者に席を譲るのか。家庭で、そして電車の中でも学ぶ機会はある

▼要は、社会とどう向き合うのか、自分の頭で考え続けるほかない。「道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺(まひ)である」。芥川龍之介の言葉が警鐘に終わればいいが。

2014・10・23



▲『代表的日本人』内村鑑三 (写真)



婦人を遇するの道は、
その高貴なる品性をはげますにあり、
その賎劣なる虚栄心に訴ふるにあらず。

(内村鑑三 「独立宣言」)



【信仰】初舞台・初主演 有村架純、人間らしいジャンヌに挑戦「信じる気持ちは同じ」

2014-10-27 00:31:42 | 今日の御言葉
▼舞台「ジャンヌ・ダルク」公式サイト
主演・有村架純、共演・東山紀之
※東京公演は終了しましたが、11月に横浜、大阪公演があります。
http://www.jd2014.jp/



キリストに根を下ろして造り上げられ、
教えられたとおりの信仰を
しっかり守って、
あふれるばかりに感謝しなさい。


「コロサイの信徒への手紙」/ 02章 07節
新約聖書 新共同訳



ごうまんで、ぶっきらぼうで、

利己的になるのは、
いともたやすいことです。

でも私たちは、

もっとすばらしいことのために、

つくられているのです。

マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)






★有村架純さん初舞台「どん欲でありたい」

◆NHK news web 2014年10月22日 13時43分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141022/k10015601201000.html


有村架純さん初舞台「どん欲でありたい」

去年の連続テレビ小説「あまちゃん」で主人公の母親の青春期を演じ、大ブレイクした女優の有村架純さん(21)。
現在、初めての舞台で主役を務めています。

「一つの仕事をやり遂げれば、前より成長した自分に出会えると信じている」という有村さん、舞台という新しい仕事に挑む心境を伺いました。


舞台ならではの快感


有村さんが初舞台で演じているのは、15世紀のフランスで、イギリスの侵略から祖国を守ったヒロイン、ジャンヌ・ダルク。

3時間余りの芝居のほとんどに出演し、かっちゅうを着けた合戦シーンもあるハードな役です。

有村さんは「最初は殺陣(たて)の稽古をやっても、ふらふらしちゃって、なかなか思うようにいかなかったんですが、稽古の際、いつも1時間はトレーニングしていたんですよ。そのかいもあって、今は自分の動きたいように動けるようになって、100人以上のエキストラさんと一緒になって戦うシーンは、舞台で旗を振りながら、振動だったり、声だったりというのが全部心臓に響き渡ってきて、鳥肌が立ちますね。自分の身が、きゅっとなるんです」と語り、初舞台ながら十分に楽しんでいる様子でした。
ただ、テレビなどで活躍してきた有村さんにとって、映像と舞台の演技の違いも感じています。

「舞台でのお芝居は、まず発声が違いますね。体を動かして使って表現するところも、映像だとしっかりと顔の寄りがありますが、舞台は引きのお芝居だから、ちゃんと体もことばもしっかり伝えることが舞台上のお芝居では大事だと(演出家に)言われました。」(有村さん)


どの作品にもどん欲でありたい


「あまちゃん」で、有村さんは歌手を夢見て上京する少女という役どころでしたが、有村さん自身もドラマと同じように、女優の夢をかなえるため兵庫県から上京しました。

「あまちゃん」をきっかけに飛躍を遂げた今、芝居のおもしろさに目覚めています。

「デビューして1年くらいは、全然自信もなかったし、不安すぎて泣いたりもしたし、ネガティブだったんですけど、仕事を重ねていろんなことを経験していくうちに、どの作品に対しても、どん欲でいかなきゃいけないし、そうありたいと思うようになりました。『このお芝居はこれじゃない』といっぱい悩むこともあるし、コツとか感覚をつかみたい。その感覚をつかめたときは『あ、これこれ、すごい、やったあ!』という快感がお芝居にはあるのかなと思います」(有村さん)

最後に、どんな気持ちで新しいお芝居に臨むのかという質問に対し有村さんは。

「その先を考えるんです。一つの山を乗り越えたときに、きっと自分の仕事に対する気持ちが変わったり、人間として大きくなっている自分がいる。自分が一生懸命やって、やり遂げたあとにどうなるかと、それを楽しみに変えています。そんな自分を想像しながら、早くこの自分に出会いたいから頑張ろうと思って演じています。」(有村さん)

有村さんの初舞台「ジャンヌ・ダルク」は現在、東京で上演中で、来月には、大阪、横浜でも上演される予定です。


(トップページ文化・エンタメニュース一覧有村架純さん初舞台「どん欲でありたい」10月22日 13時43分)


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141022/k10015601201000.html



★初舞台・初主演 有村架純、人間らしいジャンヌに挑戦「信じる気持ちは同じ」

◆サンスポ 2014年10月5日


「落ち込んだら、とことん落ち込んで、寝て、次の日に持ち越さない」と、初舞台に意気込みをみせる有村架純=東京都港区(緑川真実撮影)  相手をまっすぐ見据えて話す。澄んだ大きな瞳からは、いちずに女優の仕事に取り組む意志の強さが伝わってくる。愛らしい表情の中にある秘めた「ど根性」。昨年のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」で1980年代の少女を演じ一躍、人気が全国区となった有村架純(かすみ)(21)が10月、舞台「ジャンヌ・ダルク」に挑む。本格的な女優デビューから4年。初舞台で初主演の挑戦だ。(藤沢志穂子)



 「舞台はやりたいと思っていたので良い機会と思いました。大きな作品で私にできるのかな、と心配な気持ちもありました」

 15世紀初頭のフランスで「神の声」を聞き、イギリス軍との戦いを勝利に導きながら、「異端者」とされ、19歳で火刑となった伝説のジャンヌ。女優、ミラ・ジョボビッチ主演の映画「ジャンヌ・ダルク」(1999年)を見るなど勉強を進めるうち、等身大の女性像を演じようと決めた。「ミラの演じるジャンヌは神に取りつかれ、気が狂ったように叫んでいる場面もある。私はもっと人間らしくしたい。19歳の普通の少女が男の人たちに交じって一生懸命、頑張っているような」と話す。

 テレビドラマを見て、「私ならこう演じる」と女優を志した。自分で芸能事務所を探し、志願し、落ち続けても諦めなかった。女優になりたい夢を信じて努力を重ねてきた自分と、神をいちずに信じた同年代のジャンヌの姿が重なる。「『信じる』という気持ちはすごく分かります」

 舞台で以前ジャンヌを演じた女優、堀北真希からは「本当に大変だから頑張ってね」とエールを送られた。それをかみしめる稽古が大詰めを迎えている。

 「ドラマも舞台も気持ちでお芝居するのは同じ。でも、技術面で舞台上の芝居を成り立たせることに苦戦。気持ちをコントロールできずに言葉をばーっと言っちゃったり。見ているお客さまにもっと伝えることを考えなくては」と意気込みをみせる。

 重いよろいを身に着けての殺陣や階段の上り下りなど派手な立ち回りもある。稽古の始まる1時間前には稽古場に入ってウオーミングアップ、自宅では寝る前の筋トレを欠かさない。「疲れて寝ちゃうときもありますけど。だいぶ足に筋肉がついてきました。舞台でピタッと止まれなかった動きができるようになって」と笑う。

 食事にも気を使う。1人暮らしの自宅では自炊。自分で研究し、体に良いものを食べるよう心掛ける。「スタミナが足りないと思うときはお肉を食べて。疲れがたまって体がだるくならないようにクエン酸を取ろうと梅干しやグレープフルーツを食べてます」

 座長としての責任も重い。うまく演技ができなくて、悔しくて人知れず泣くこともある。「でも、私が手を抜くわけにはいかない。時間は進んでいくし自分の代わりはいない。とにかく切り替える。とことん落ち込んで、寝て、次の日に持ち越さないようにします」

 そんな有村を周囲は温かく見守る。演出家・白井晃に共演の東山紀之、西岡徳馬ほか、100人を越すというエキストラ…。「西岡さんが頭をポンポンってたたいて、『頑張ってるよ、頑張ってる』って。普段そう褒めてもらったり、頭をなでられることがないのでうれしかったですね」と、はにかんだ。

 7~24日、赤坂ACTシアター。キョードー東京(電)0570・550・799。

http://www.sanspo.com/smp/geino/news/20141005/oth14100514180020-s.html
(産経新聞)



【尊ばれるべきもの】賀川豊彦 恋と結婚 戦前に「神聖な愛」説く :

2014-10-26 21:20:59 | 今日の御言葉




結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、
夫婦の関係は汚してはなりません。
神は、みだらな者や姦淫する者を
裁かれるのです。


「ヘブライ人への手紙」/ 13章 04節
新約聖書 新共同訳



それでも

人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。

それでも彼らを愛しなさい。

もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、
何か隠された動機があるはずだ、と非難します。

それでもいい行いをしなさい。

もし、あなたが成功すれば、不実な友と、
ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。

それでも成功しなさい。

あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。

それでもいい行いをしなさい。

誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。

それでも誠実で親しみやすくありなさい。

あなたが歳月を費やして建てた完成した物が、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。

それでも建てて完成しなさい。

ほんとうに助けが必要な人々ですが、
彼らを助けたら、
彼らに襲われてしまうかもしれません。

それでも彼らを助けなさい。

持っている一番いいものを分け与えると、
自分はひどい目にあうかもしれません。

それでも一番いいものを分け与えなさい。


マザーテレサ
(コルカタ(カルカッタ)の〈孤児の家〉の壁に書かれた言葉より)



★恋と結婚(1)戦前に「神聖な愛」説く
大手小町 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)


★読売新聞2014年10月22日




▲大正時代の「身の上相談」のあと、
昭和戦前には
「悩める女性へ」が始まる。
賀川豊彦の登場を告げる記事
(1931年6月20日)


いつの時代も恋と結婚は悩みの種。激しい恋は、時として親や社会を敵に回すこともある。それでも、人を思う気持ちは変わらない。1月、5月に続く連載では、恋と結婚をめぐる100年の人生案内の変遷をみていく。

大正時代の人生案内(当時のタイトルは「身の上相談」)は記者が回答しており、現実的な回答が多い。

1916年(大正5年)3月4日の相談は、好きな男性から愛を告白された18歳の女性から。「養父の遺言で、私と養父のおいとは結婚しなければならぬ。義理と恋との板ばさみで苦しんでいます」

回答は「あなた方の胸に往来している考えはまだ夢のようなものです。養父母の大きな恩の前に夢のような初恋うぶごいは犠牲にしなければなるまい」。

結婚は家と家との結びつきであり、当時の民法では親の同意が必要。家督相続人(長男や一人娘など家を継ぐ者)どうしの結婚は困難だった。

16年4月13日の相談は、かつて恋人がいたが二人とも家督相続人であったため、結婚をあきらめたという女性から。家族を安心させるために婚約者がいるが、「どう思い返しても結婚は嫌です」という相談に対し、回答は「女としての力と義務を果たしてください。どうせ、あなた一人がかぶりを振った(拒否した)とてどうなるものでもないではありませんか」。

恋愛は危険なものと見られていた。23年7月28日の相談は、男から恋文が来るので困っているという女学校の4年生から。「異性も恋しく離れたくもないような気もいたします」という女性に対し、記者は「あなたはすでに堕落のふちに一歩も二歩もはいっている」と警告する。

1931年(昭和6年)、回答者として賀川豊彦が登場し、人生案内(当時は「悩める女性へ」)に革命が起こる。賀川は宗教家としての信念から、恋愛は神聖で、家族の犠牲にしてはならないと説いた。

「22歳の処女。父が銭湯をはじめ、私が番台をあずかっているうちに三助(銭湯の下働き)と恋に落ちてしまいました。両親は二人をどうしても許してくれないのです」

賀川の回答は「恋愛に生きようとすれば多少の犠牲も払いますが、それも覚悟されなければなりません。あなたが恋人を得るためにあるいは両親のもとを出なければならない場合もありましょうがこれはやむを得ません」(32年1月21日)。

当時は今とは違う階級社会。恋人に財産がないため、親から結婚に反対されているという相談は多い。賀川は、一貫して結婚するよう説いた。

驚くのは、親の同意どころか、法律上の届け出すらいらないとしていることだ。

27歳の女性からの相談。「主人は郷里の方々には自分を独身と見せかけ、私をよその者だと申します。一生を肩身せまく暮らすことを考えると味気なくなります。私はいとしい主人と別れ新生活に入るべきでしょうか」

賀川の回答は「性生活にはいった動機が男の方に多少不純であってもあなたがそれを許すことができ、あなたの方にも愛が発生しているなら、あなたも大胆に今の家庭生活を続けてよいと思います。おそらくあなたの主人は日本の家族制度を恐れて、あなたを愛していても法律上の手続きをとり得ないのでしょう。そういう場合には、法律上の手続きを無視して愛の手続きを送ってもいいじゃありませんか」(33年5月16日)。

戦前、親の許しがないなど様々な事情から、法律上の届け出をしていない事実婚は多かった。賀川の回答は、救いとなっただろう。

戦前の結婚事情を研究している大塚明子・文教大学准教授は「当時、恋愛を理想とする考えは、都市の中間層に広がっていた。しかし、情熱的恋愛をしている若者は、結婚相手を見極めることができないとされ、見合い結婚が一般的。恋愛結婚を親が許してくれないなら、人生相談の回答は『許してくれるまで待て』というのが普通だった。賀川の回答は過激で、戦後の考えに近い」と話す。

(敬称略、引用文は仮名遣いなどを改めています)(斎藤雄介)


賀川豊彦(かがわ・とよひこ) 1888~1960。キリスト教社会運動家。神戸で救貧活動を始め、労働組合や生活協同組合を指導した。自伝的小説「死線を越えて」は大ベストセラー。ノーベル文学賞、平和賞の候補となった。

2014年10月22日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



★ノーベル賞候補だったキリスト教社会活動家・賀川豊彦の胸像完成
神戸で除幕式 : 社会 :


◆クリスチャントゥデイ2014年10月22日




▲賀川豊彦の胸像。彫刻家の小杉三朗氏が、粘土の原型の上に漆(うるし)を浸した麻布を何層にも貼っていく「乾漆(かんしつ)」という方法で半年かけて制作した。

キリスト教社会運動家、労働運動家、国会議員など幅広い活動をした賀川豊彦(1888~1960)の精神を引き継ぎ、その働きや事業を顕彰する賀川記念館(神戸市中央区)で、開館50周年を記念して胸像が設置され、21日に除幕式が行なわれた。関係者など約30人が集まり、同館内にある日本基督教団神戸イエス団教会の上内鏡子牧師の司式の下、胸像の設置を祝った。

この日披露された胸像は、高さ約2メートル、幅60センチ、奥行き60センチ。社会活動や貧民救済に生涯をささげた賀川豊彦が、ネイビーブルーのスーツと柔和な顔立ちで再現された。彫刻家の小杉三朗氏が、粘土の原型の上に漆(うるし)を浸した麻布を何層にも貼っていく「乾漆(かんしつ)」という方法で半年かけて制作した。

小杉氏は「賀川豊彦の人間としての温かみを表現するために、大きなふっくらとした手に特に力を入れて作りました。これをきっかけに現代の若い人にも賀川豊彦の生き方をぜひ広く知ってほしい」と話した。

賀川記念館は1963年にオープン。賀川の社会活動や労働運動、YMCA、キリスト教の伝道活動などを振り返るミュージアムや、スラム街で労働者のために開業した一膳飯屋「天国屋」にちなんだ「天国屋カフェ」、研究室などが併設されており、年間約3千人以上が訪れる。

賀川は戦前、インドのガンジー、米国のシュバイツァーと並び、「貧民街の聖者」として日本よりも海外で知名度が高かった。そのため現在も海外からの訪問客が多く、韓国や中国の牧師が研究のために訪れることも多いという。同館の西義人参事は、「日本と同様、韓国や中国でも経済格差の広がりに社会が苦しんでいる。キリスト教と社会運動の両面に人生をささげた賀川豊彦の生き方に、現代の教会のあり方のヒントが求められているように思う。ぜひ日本でも多くの人にその生涯を知ってほしい」と話した。

賀川豊彦は神戸生れ。戦前の日本の労働運動、生活協同組合などで大きな役割を果たした。16歳のとき、日本基督教会徳島教会で南長老ミッションの宣教師から受洗。キリスト教社会主義やトルストイの反戦運動に影響を受け、17歳で明治学院高等部神学科に入学した。

21歳のとき、神戸のスラム街に住み路傍伝道を開始し、女工だったハルと出会い結婚。その後、米国のプリンストン大学、プリンストン神学校に留学。帰国後は牧師としても活動する。1920年に出版した自伝的小説『死線を越えて』は、当時の大ベストセラーとなり、一躍名を知られるが、印税のほとんどを社会運動のために投じた。

また労働者の生活の安定のため、神戸購買組合(現・コープこうべ)を設立するなど生活協同組合にも取り組んだ。その後も労働運動、無産運動を取り組みながら、1920年代は「神の国運動」を開始。日本全国や、中国、米国など海外でも伝道活動を行なった。

戦後は貴族院議員を務め、日本社会党の結成にも参画。ブラジルやタイなど海外での伝道活動も続けた。また近年の資料から、1947年と48年にはノーベル文学賞の候補に、1954年から56年にかけてはノーベル平和賞の候補者として推薦されていたことが分かっている。1960年死去。勲一等瑞宝章を贈られた。

【自由】北のナイトクラブに聖書…拘束された米国人解放 /「出国停止は拉致と同等」

2014-10-25 23:07:43 | 今日の御言葉



自由を得させるために、
キリストはわたしたちを
解放して下さったのである。

だから、堅く立って、
二度と奴隷のくびきに
つながれてはならない。

‭「ガラテヤ人への手紙」‬ ‭5‬章1‬節
新約聖書 口語訳



真の人生は、個人の私的な欲心を捨てて、
公益のために生きる人生です。

これは孔子やイエス、釈迦やムハンマドなど、
世界的な宗教指導者であれば誰もが語る古今東西の真理です。

この真理は誰もが知っていて、
あまりにもありふれているので、
かえってその価値を見失いがちです。

しかし、いくら歳月が過ぎ、世の中が変わっても、
この真理だけは変わりません。

世界がいくら急速に変わったとしても、
人が生きていく本質は変わることがないからです。


◆【記者訴追 韓国に問う】 経済評論家・三橋貴明氏

「先進国になり損ねた国は放置」「出国停止は拉致と同等」

★産経新聞 2014年10月22日 06:07

http://www.sankei.com/affairs/news/141022/afr1410220003-n1.html


▲経済評論家の三橋貴明氏(豊吉広英撮影) 

まず、大前提として、公人に対する批判は、一般人以上に許容されなければならない。これは先進国なら常識である。

 そして、加藤達也前ソウル支局長(現東京本社社会部編集委員)が書いた記事は、そもそも日本人に向けたものであり、書かれている情報については、朝鮮日報などのソースも記されている。にもかかわらず、朝鮮日報をとがめることなく、加藤前支局長の記事だけが名誉毀損(きそん)だという。

 越えてはいけない一線を越えてしまっており、これで、韓国が先進国でも、法治国家でもないことが明らかになってしまった。

 韓国は「こっちが間違っているというけど、そっちも間違っているじゃないか」という「相対化」が得意技だが、慰安婦問題で朝日新聞が劣勢に立ったことを受けて、その印象を薄めるために、今回の問題を起こしているのではないか。

 ただ、今回の問題が浮上した結果、韓国のゆがみは一層明らかになった。

 韓国は財閥経済とグローバリズムがドッキングしているのが特徴だが、これだと政府は国民所得を増やす政策が打てない。経済が行き詰まる中、批判をそらすための戦略が「反日」となっている。

 先進国になり損ね、法治国家でもない国とは、「放置主義」を取ることがお互いのためだ。韓国の反日はこれからも続くし、両国は延々ともめ続ける。今後も加藤前支局長に起きたようなことが起きても不思議ではない。もめることに嫌気がさして譲歩すれば、それは国益を害することになる。もともと隣国同士で仲の良いケースは世界でもほとんどない。そういうものと理解すべきだ。

 一方で、加藤前支局長の出国停止については明らかに不当で、「拉致」と同等であると考えなければならない。帰国には、日本政府、特に外務省が動く必要がある。加藤前支局長を正当に取り戻せるか否かは、日本が国家として成り立っているかどうかを示すことになる。日韓議員連盟も、現地に乗り込み、加藤前支局長を取り戻すぐらいの活動をすべきだ。(談)



 【プロフィル】みつはし・たかあき

 昭和44年、熊本県山鹿市生まれ。44歳。東京都立大(現首都大学東京)卒業後、外資系ITコンサルティング会社などに勤務し、中小企業診断士の資格を取得。その後、経済評論家としての活動を開始し、経済政策を中心に評論活動を続けている。韓国経済にも明るい。著書に「本当はヤバイ!韓国経済」(彩図社)、「愚韓新論」(飛鳥新社)など。



▲山谷えり子拉致問題担当大臣
(写真は拉致被害者の横田めぐみさん 2014.9 国連にて)




★北のナイトクラブに聖書…拘束された米国人解放 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

◆読売新聞2014年10月22日



【ワシントン=白川義和】米国務省は21日、北朝鮮に拘束されていた米国人、ジェフリー・フォウル氏が約6か月ぶりに解放されたことを明らかにした。

北朝鮮が米国に移送を求めたため、国防総省の飛行機が平壌でフォウル氏を乗せ、グアム経由で同氏の自宅のあるオハイオ州に向かった。

AP通信によると、フォウル氏は56歳で、北部清津チョンジンのナイトクラブに聖書を置いてきたことが問題にされたという。同氏は4月下旬に訪朝したが、「観光目的に合わない違法行為をした」として北朝鮮当局が拘束、調査していた。

北朝鮮に拘束されている米国人はこれで、ペ・ジュンホ氏とマシュー・ミラー氏の2人となった。両氏は「敵対行為」などで労働教化刑の判決を受けている。国務省のハーフ副報道官は21日の記者会見で、フォウル氏の解放を「歓迎する」と述べ、残る2人の即時解放を求めた。今回の解放の経緯の説明は避けた。

2014年10月22日 12時42分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


http://seiwadai.exblog.jp/2310829/

【女呪術師】なぜ黒猫は魔女の使いと言われるのか…聖書と魔女狩りに理由が

2014-10-24 23:59:10 | 今日の御言葉




人がまだ婚約していない処女を誘惑し、
彼女と寝たならば、
必ず結納金を払って、
自分の妻としなければならない。


もし、彼女の父親が彼に与えることを
強く拒む場合は、
彼は処女のための
結納金に相当するものを
銀で支払わねばならない。



女呪術師を生かしておいてはならない。



「出エジプト記」/ 22章 15.16.17節
旧約聖書 新共同訳





▲『魔女の宅急便』角野栄子 (写真)

◆なぜ黒猫は魔女の使いと言われるのか…聖書と魔女狩りに理由が


★マイナビウーマン 2014年10月19日
(Peachy - ライブドアニュース)

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9374359/



黒猫が魔女の使いといわれる理由は、聖書と魔女狩りにあるといわれています。旧約聖書「出エジプト記」22章18節に出てくる女呪術師が、1611年に英国国王の命令で作られた欽定訳聖書では「魔女」と訳されました。これが魔女狩りの聖なる理由となり、実際に魔女を探す際「黒猫を飼っているかどうか」が目印にされていたのだそうです。飼い主の女性とともに黒猫も処刑されていた記録が残っているといわれています。

※画像は本文と関係ありません

(OFFICE-SANGA 山下まちか)





▲ロッテでドラフト2位で指名を受けた
田中英祐投手



★【浪速風】ドラフト会議は「文武二刀流」に注目する 10月22日
産経WEST

◆産経新聞 2014年10月22日


京都大学はもちろん難関だが、プロ野球に入るのは毎年100人未満で、さらなる狭き門である。明日のドラフト会議では京大の田中英祐投手に注目している。指名されるか、どの球団が指名するのか…。東大出身のプロ野球選手は過去に5人いるが、京大からはまだない。

▼1970年代の広島カープに、赤ヘル軍団の主軸としてセ・リーグ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンス選手がいた。引退後は米国の医科大に再入学して整形外科医になり、さらに大学で聖書学も講義した。選手時代から練習の合間に医学書を読み、広島大医学部に通って研究を続けていたという。

▼「すべてのエネルギーをたった一つの目標に注ぎ込むのは悲しいことだ。神様はさまざまな才能を与えて下さっているのに」。ホプキンスさんの言葉である。工学部で学んだ「SFA(表面力測定装置)における水和構造の逆計算理論」を卒論テーマに、プロのマウンドへ。「文武二刀流」を応援したい。

http://www.sankei.com/smp/west/news/141022/wst1410220037-s.html


http://www.webnews.gr.jp/sign2/2828_120506.html


【誠実】重病の子に「第二の家」  小児ホスピスで充実の時を 淀川キリスト教病院

2014-10-23 20:28:48 | Weblog



子たちよ、言葉や口先だけではなく、
行いをもって誠実に愛し合おう。

「ヨハネの手紙一」/ 03章 18節
新約聖書 新共同訳





「親の祈り」 ルイス・カンガス


神さま、
もっと良い私にしてください。

子どもの言うことをよく聴いてやり
心の疑問に親切に答え
子どもをよく理解する私にしてください。

理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。

子どもの失敗を笑ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。
良いところを心から誉めてやり
伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で
子どもをしばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように導く知恵をお与えください。

感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり
彼らのためにならないことはやめさせることができますように。
どうか意地悪な気持ちを取り去ってください。
私がまちがったときには
きちんとあやまる勇気を与えてください。

いつも穏やかな広い心をお与えください。

子どもと一緒に成長させてください。

子どもも私も生かされて愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。


(出典: 「愛と祈りで子どもは育つ」渡辺和子)





◆古代ローマの「ひげのない」
キリストの絵皿、スペインで出土

★AFPBB News 2014年10月8日

http://www.afpbb.com/articles/-/3028366

【10月8日 AFP】スペイン南部で発掘された古いガラス皿に、これまでで最古のイエス・キリスト(Jesus Christ)像の一つが刻まれているのを発見したと、発掘した考古学者らが発表した。その外見は、ひげをきれいに剃った短髪で、従来のイメージとは大きく異なっているという。

 発掘チームは、古代都市カストゥロ(Castulo)遺跡の3年に及ぶ発掘作業中にガラスの破片を多数発見した。そして7月には図柄の刻まれた大きめな破片がみつかり、注目が集まった。

 破片をつなぎ合わせると、それは紀元4世紀に作られた絵皿だった。この皿には、古代ローマの外衣「トーガ」を身につけ、きれいに身なりを整えたキリストの姿が刻まれていた。

 直径22センチの皿は、80%以上が再現され、キリスト教の儀式である聖餐(せいさん)に用いられる聖体のパンをのせるための皿「パテナ(聖皿)」であると特定された。



 発掘作業を率いたマルセロ・カストロ(Marcelo Castro)氏は、「非常に優れた考古学的資料」と出土した皿について評している。

 皿には後光を放つ3人の人物が刻まれていた。中央は十字架と聖書を持つキリストで、その横に立つ2人は使徒ペテロとパウロとみられる。

 専門家らによると、この皿に刻まれているキリストのあごひげのない顔と短い巻き毛の髪形は、歴史上でみられるキリスト像の特徴としては極めてまれだという。

 この特徴あるキリスト像が描かれた皿についてカストロ氏は、古代ローマ帝国のコンスタンティヌス(Constantine)大帝がキリスト教信仰を受け入れた直後の初期の教会時代の名残を伝えるものだと指摘する。

 キリスト教が公認される以前は、ローマ帝国の下で行われていた迫害を恐れ、礼拝は秘密裏に礼拝が行われ、また宗教的な肖像画などもほとんど作製されなかった。

 この聖皿に描かれた古代ローマ様式のキリスト像は、コンスタンティヌス後のキリスト教信仰の「初期に存在」したが「後に他の方法でキリストを描くのが好まれるようになり放棄された」とカストロ氏はAFPの取材に語った。

 発掘チームは、当時ガラス製品の製造が盛んに行われていたイタリア・オスティア(Ostia)で作られたものと考えているという。

 この皿は現在、スペイン南東部リナレス(Linares)の博物館に展示されている。(c)AFP



◆重病の子に「第二の家」 
小児ホスピスで充実の時を

★日本経済新聞 2014/10/10 6:30 夕刊



 重い病気や障害を抱えた子供を受け入れる施設の開設が相次いでいる。英国で誕生した「小児ホスピス」の日本版で、限られた時間を家族と一緒に過ごしたり、子供を一時的に預かって家族を休息させたりするのが狙い。病院とは違い、医療専門職に支えられながら遊びや学びを楽しむ。「『ホスピス=死』のイメージを払拭し、充実した生の時間を送ってもらう施設」と関係者は話す。

■「第二の家」に

 淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)は2012年、区内に小児ホスピス「淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院」を開設した。これ以上治療ができないと宣告された小児がん患者が緩和ケアを受ける6床と、家族のレスパイト(休息)のための6床の計12床。約1週間を上限に利用できるレスパイト病床には現在約170人が登録、新規入院は約1カ月待ちの状態という。


▲子供が不安を感じないように配慮した淀川キリスト教病院の小児ホスピス(大阪市東淀川区)

 コンセプトは「第二の家」。大きな窓から光が入る設計にしたのは、「死を迎える暗い場所ではなく、患者本人が充実した生活を送れ、家族を最大限応援できる明るい施設にしたかったから」と鍋谷まこと院長。柔らかい光を発する病室前の和紙製ライトシェードには、キャラクターや動物があしらわれている。

 「子を亡くした後の両親のケアも大切」(鍋谷院長)との考えから、年に一度、遺族が写真や思い出の品を持ち寄って亡き子をしのぶ「家族会」を開く。「両親が受け入れにくい子供の死を一緒に乗り越えていく」(同院長)ためだ。

 大阪市立総合医療センター(大阪市)は12年9月、日本初の小児専用緩和ケア病室「ユニバーサル・ワンダー・ルーム」を院内に設けた。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(同市)を運営するユー・エス・ジェイの寄付で緩和ケア病棟の一室約40平方メートルを改装。壁やベッドにカラフルなキャラクターが描かれ、遊園地のような雰囲気。家族も一緒に寝泊まりできる。

■「在宅」1万人超

 同センターは11年、小児の緩和ケアに精通した緩和ケア認定看護師や臨床心理士らで作る「こどもサポートチーム」を結成。多田羅竜平緩和医療科部長は「療養場所はどこであれ、継続的にサポートすることが大切。自宅での療養が難しくなればいつでも戻ってこられ、自宅で療養する子供や家族の安心にもつながっている」と語る。


 国立成育医療研究センター(東京・世田谷)は16年、公的な医療機関として国内初の小児ホスピス「第二のわが家(仮称)」を開く。計画では、敷地内に3階建ての施設を建設、個室6室と4人部屋2室のほか、遊び場や学習室を備える。



 阪井裕一総合診療部長によると、人工呼吸や酸素吸入などの医療的ケアが必要な子供は同センターだけで200~300人。全国では1万~1万3千人が在宅療養しているとみられる。「医療の進歩で難病や超低体重児、先天性疾患を持った子の命を助けることができるようになったが、退院後に在宅で生活するには様々な支援が必要」と阪井部長は語る。

 横浜市でも小児ホスピスの構想が動き出した。NPO法人「スマイルオブキッズ」は8月、準備委員会を発足させた。約1億円の寄付を基ににチャリティーコンサートなどで2億円を集め、4年後に3~5家族が過ごせる施設を建てる計画。代表理事の田川尚登さん(57)は「音楽や工作など子供がやりたいことを専門家と一緒に思う存分できる施設にしたい」と話す。

◇            ◇
■発祥地・英国には40カ所 生活の質支える

 小児ホスピスは1982年に英オックスフォードに開設された「ヘレン&ダグラスハウス」が第1号。英国には40カ所以上にあり、ドイツやオーストリア、カナダにも広がった。

 浜田裕子・九州大学医学研究院准教授(小児看護学)によると、これらの施設では、重い病気や障害を持つ子供を広く受け入れ、教育や音楽、芸術などを通して成長を支えている。(1)発達途上にある子供のQOL(生活・生命の質)を支える(2)子供を一時的に預かり、介護負担の大きい家族に休息を与える(3)終末期にある子供とその家族に寄り添う(みとりのケア)――などの機能がある。

 浜田准教授も医師らとNPO法人「福岡子どもホスピスプロジェクト」を立ち上げ、地域に根ざした小児ホスピス設立を目指している。

(藤井将太、編集委員 木村彰)

[日本経済新聞夕刊2014年10月9日付]

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXDZO78188270Z01C14A0NNMP01/

【お互いに】 “マッサン巡り”「北海道編」前に聖地巡礼

2014-10-22 15:52:08 | 今日の御言葉
photo 相武紗季 (マッサンに出演中)



あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。

わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。


「ヨハネによる福音書」/ 13章 34節
新約聖書 新共同訳




家族の間に、もう少し多くの愛、一致、平和、
そして幸せがあったなら、こんなに多くのアルコール依存症や、
麻薬中毒者は生まれなかったことでしょう。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)



http://gipsypapa.exblog.jp/16910703/

▲小樽聖公会 (北海道小樽市)


◆【サタデープラス】“マッサン巡り”「北海道編」前に聖地巡礼

★2014年10月18日15時0分 スポーツ報知




▲ニッカウヰスキー余市蒸溜所。
マッサン効果で大人気となっている


視聴率も好調のNHK連続テレビ小説「マッサン」で、注目されるのが北海道余市町と小樽市。主人公の「マッサン」と「エリー」のモデルでニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝さんとリタさん夫妻が亡くなるまで生活を営み、来年1月5日から放送が始まる「北海道編」の舞台となる。今回は、地元の小樽商科大に通う女子大生・荒谷沙織さん(23)と“マッサン巡り”の旅に出かけた。(樋口 智城)

旅に同行してくれた荒谷さんは、放送を記念し7月に当地で開催された「おたる・よいち ご当地ハイボール レシピコンテスト」で、最優秀賞に輝いた「ハイボール女王」だ。レシピを考案した「クレイン(鶴)ズ・ブーケ」は、政孝さんからリタさんへのプレゼントをイメージし、見た目も花束の鮮やかな赤を連想させる。

荒谷さんと、まず向かったのはニッカウヰスキー余市蒸溜(りゅう)所だ。政孝さん=「マッサン」が1934年、ドラマでメーンテーマとなるウイスキー造りのため造った施設だ。

荒谷さんは、お客さんの数に驚いた。「昔、私が友人と2人で来たときは、他に人はいませんでした」。朝ドラ効果で、今は平日も昼食時のレストランは30分待ち。観光バスがひっきりなしに訪れる。統括するアサヒビール広報によると「見学者数は、9月末時点で累計前年比143%」と激増。ウイスキー造りの実演など、“オトナ”の社会見学にはうってつけだ。

「竹鶴邸」もいい。当初、蒸溜所にあったマッサン夫妻の住居で、46年に近郊の余市町山田町に移築。2002年に再び現在地に移された。

資料や年表が展示された一般公開部分のほか、特別に、普段は非公開の部屋も見せてもらった。おしゃれな応接間に、ピアノが1台。リタさんはよくピアノをマッサンに聴かせていたという。

他の部屋にもおしゃれな仕掛けが。「見てください、この畳に『竹と鶴』の模様が描いてありますよ!」と荒谷さん。押し入れを開けると、マッサン専用の小便器もあった。「専用便器を造らせるあたり、ちょっとワンマンな感じしますねー。趣味人ぶりにビックリしました」と荒谷さん。

地元の人にも聞いてみた。あるおばあちゃんは「房子さん(リタさんの養子)と私、同級生だったんよ」。当時の思い出ってありますか?

「こちらに竹鶴さんが引っ越されたのが戦後間もなく。リタさんは落ち着いた、いい人でしたよ。家に遊びに行ったらクッキーとか作ってくれて。そのころは甘いものなんてないから、うれしかったなー」

他にエピソードは? 「房子さんがリタさんとケンカして、ウチに逃げて来たこともあってね」、「そうそう、政孝さんはリタさん以外に彼女が―」。それ以上はまずいかも。余市編は、このあたりで…。

「40年代、余市町に外国人はリタさん一人だけ。だから、(外国人が住んでいた)隣町の小樽や札幌に遊びによく行っていたんです」。こう話すのは、小樽商科大の高野宏康教授。放送をきっかけに、地元を盛り上げようと、竹鶴家の文献・資料をかき集めた。いまや屈指の「マッサン研究家」といってもいい。

「リタさんは『外国人で目立ち過ぎる』という理由で、当時、汽車に乗らなくなった。苦労はあったでしょうね」。余市から小樽に。リタさんは砂利道を車で2~3時間かけて通ったという。

小樽行きは、イギリス国教会系の教会・小樽聖公会で祈りをささげるためでもあった。「お金がないからボロボロなのよ。寄付募集って言っといて~」。現在の聖公会では、上品かつ陽気な女性司祭が迎えてくれた。「当時、英国人のアン・ステブリさんって立派な宣教師がいてね。リタさんと仲良かったらしいんですよ」

関西弁で話すリタさんに、アンさんが「すっかり日本になじんでいるねー」と指摘したとか。ちなみにこの聖公会、明治期には詩人・石川啄木の姉がオルガンを弾いていたのだという。リタさんが61年に亡くなったあと、マッサンも自らも死期が近づいた79年に洗礼を受けている。

リタさんが映画を見るのは、もっぱら「電気館」。ビビアン・リー主演「哀愁」が好きだった。82年に閉館。今はドラッグストアだが、建物に「電気館」の文字は確認できる。

マッサンが愛した喫茶店もある。小樽最古の28年(昭和3年)創業「米華堂」だ。現在は3代目。他界した2代目・八木清さんは、当時、マッサンから「ボーヤ、ボーヤ」と呼ばれてかわいがられていた。清さんの妻・光子さん(80)は「この喫茶店の看板メニューのアップルパイをよく食べてて。お土産にも持って帰っていたらしいですよ」。リタさんとも自宅で一緒に食べていたかもしれない。

◆マッサン 「マッサン」こと亀山政春(玉山鉄二)はウイスキー造りの本場スコットランドへと留学し、生涯の妻となるエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)と出会う。母の反対など苦難を乗り越え、2人は日本で夢の国産ウイスキー造りを進めていく。モデルとなったのは、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝さんと妻・リタさん。劇中では現在、大阪が舞台となっている。



▲『マッサンとリタ』オリーブ・チェックランド 和気洋子訳(写真)


★「マッサン」ロケ効果、レトロで人気の木造教会


■読売新聞2014年10月19日 14時26分
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20141019/20141019-OYT1I50004-L.jpg



▲教会で大岡司祭(奥)の説明に聴き入る見学者たち(田原本町で)



 NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のロケ地の一つ、田原本聖救主教会(奈良県田原本町)が、人気スポットになっている。

 レトロで美しい内部が印象的で、18日も大勢の見物客らが訪れた。ツイッターなどでも「雰囲気のいい礼拝堂ですね」と注目を集めており、教会は「信者でない人にも関心を持ってもらうのはありがたい」と歓迎している。

 教会は木造平屋で、1933年に建てられた。中には木製のベンチが並び、窓ガラス越しの日差しがセピア色に輝く。ここを舞台に、玉山鉄二さんとシャーロット・ケイト・フォックスさん演じる主人公夫婦の物語が進む。

 地元商工会などが18日に企画した「ぶらり田原本まちあるき」には、教会目当てに約50人が参加。大岡創司祭(60)が「大改修をしなかったため昭和初期そのままの造りが残り、物語の雰囲気に合ったようです」などと秘話を披露した。

 参加した同町の主婦(71)は「内部は初めて見たけど、いい雰囲気でした」と話していた。

 教会は毎月第4日曜の礼拝以外は閉まっており、見学希望者は大岡司祭(0744・22・3584)へ。

2014年10月19日 14時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun



★マッサンに乾杯

■読売新聞 2014年10月22日

 

◇中区に「竹鶴」バー


▲竹鶴ゆかりの品々を前に、「竹鶴」で乾杯する関係者ら
(広島市中区流川町のCafe SPICEで)


 竹原市出身のニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝(1894~1979)の生誕120周年と同社80周年を記念した期間限定バー「竹鶴 MUSEUM BAR HIROSHIMA」が、広島市中区流川町の「Cafe SPICE」にオープンした。31日まで(営業時間午後6時~翌午前3時)。

 店内には製造工程を記録した「竹鶴ノート」や第1号ボトルなどが並び、竹鶴のウイスキー造りにかけた思いを感じながら、その成果である同社の「竹鶴」ブランドを味わうことができる。北海道余市町と仙台市にある蒸留所ごとの特長や成熟期間の違いによる味や香りを比べるセットもある。

 竹鶴を支え続けた妻・リタが残したレシピを再現したローストビーフ、ミートパイなどのメニューや、夫婦をイメージしたウイスキーベースのカクテルも楽しめる。

 夫婦をモデルにしたNHK連続テレビ小説「マッサン」の影響などで、これまでウイスキーになじみが薄かった女性の関心が高まっているといい、今年1~9月の「竹鶴」ブランドの売り上げは、前年同期と比べて4割以上伸びているという。

 同社の親会社、アサヒビールの米倉淳・中国統括本部長は「ニッカウヰスキー第3の聖地・広島で竹鶴の情熱を味わって」と話している。

2014年10月22日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



【送り出すとき】「隠れキリシタンの聖地」澤田美喜記念館

2014-10-21 22:15:01 | 今日の御言葉
▼澤田和夫神父 (カトリック東京教区)
※澤田美喜女史の甥です。




同様に、娼婦ラハブも、
あの使いの者たちを家に迎え入れ、
別の道から送り出してやるという
行いによって、
義とされたではありませんか。


「ヤコブの手紙」/ 02章 25節
新約聖書 新共同訳





考える時間を持ちなさい

祈る時間を持ちなさい

笑う時間を持ちなさい

 

それは力の源

それは地球でもっとも偉大な力

それは魂の音楽

 

遊ぶ時間を持ちなさい

愛し、愛される時間を持ちなさい

与える時間を持ちなさい

 

それは永遠につづく若さの秘密

それは神が与えてくれた特権

自分勝手になるには、一日は短すぎる

 

読書する時間を持ちなさい

親しくなるための時間を持ちなさい

働く時間を持ちなさい

 

それは知識のわき出る泉

それは幸福へつづく道

それは成功の価値

 

施しをする時間を持ちなさい

それは天国へと導く鍵

 
マザーテレサ

(コルカタ(カルカッタ)の「孤児の家」の壁にある看板より)





http://blog.canpan.info/kalmia/archive/230

▲澤田美喜 女史 ( 1901 - 1980 写真 )
終戦後、エリザベス・サンダースホームを創設して、
アメリカ軍と日本人女性との間にできた、
混血孤児2000人を育て上げる。
※写真には、隠れキリスタンが所有していた、
「マリア観音」が写っている。


【記者のイチ押し】「隠れキリシタンの聖地」澤田美喜記念館
- 産経ニュース

◆産経新聞 2014年10月19日 07:07更新

http://www.sankei.com/smp/region/news/141019/rgn1410190067-s.html


■平成28年夏に世界文化遺産登録の可否が審査される「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」。その中には江戸時代を含め約250年間に及ぶキリスト教弾圧で人目を避けながらも信仰を続けたキリスト教徒「隠れキリシタン」による独自の宗教・文化も含まれる。「踏み絵」など約800点のコレクションを誇る大磯町の澤田美喜記念館を訪ね、国内キリスト教信仰の“原点”に触れてきた。

JR大磯駅前に広がる約1万坪もの広大な敷地。戦後、日本人女性と米軍兵士らとの間に生まれた孤児を保護するために社会事業家の澤田美喜が開設した児童養護施設があり、その一画に「隠れキリシタンの聖地」と呼ばれる同記念館が建つ。

「ノアの箱舟」をイメージして昭和63年に開館した船型の記念館。案内してくれた運営委員の西田恵子さん(61)によれば、孤児と同じく、差別に苦しんだキリシタンに感慨を深めた澤田が長崎の五島列島や天草地方を回り、「使命感を持って収集した」(西田さん)ものがそろっている。展示場奥には、養護施設で幼くして亡くなった孤児の納骨堂もあり、張り詰めた空気が満ちている。

背部にキリスト像が彫られた「観音像」や鏡面に光を当てるとキリスト像が照らし出される「魔鏡」は、弾圧が強まる中、信仰を守り抜いたキリシタンたちの強い意志がうかがえる。ユニークなものとして、禁教令を発布した徳川家康が十字架を身につけた木像もあり、キリシタン大名による十字架模様の陣がさ、十字架が彫られた大黒天の木像などは、キリスト教が極東の地でどのように宣教されたかを示す貴重な財産だ。

今年1月、カトリックの総本山バチカンで行われたローマ法王フランシスコのスピーチは、「厳しい迫害を受け、彼らは孤立していたが、常に神の民だった」とキリシタンを称賛した。明治期に長崎を訪れた外国人神父がキリシタンと出会い、驚きを持って世界に伝えられた「信徒発見」から来年は150周年。未解明な要素が多いキリシタンに関心を示す研究者も多く、同記念館のコレクションに注目が集まることは必至だ。

同記念館は今年3月にリニューアルし、澤田の生涯を伝える内容を拡充した。西田さんは「(澤田にとり)キリシタンの遺物は心のよりどころでもあった」としており、貴重な“神の遺産”を伝えていく。

所在地は大磯町大磯1152。開館時間は午前10時から午後4時(月曜休館)。料金は一般500円など。問い合わせは(電)0463・61・4888。(川上朝栄)

(産経ニュース 2014.10.19 07:07更新)



http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/ke11.html

▲聖ミカエル教会 (聖公会 神奈川県鎌倉市)

★教会で仮装コンテスト 鎌倉

◆タウンニュース2014年10月3日

http://www.townnews.co.jp/0602/i/2014/10/03/254143.html


第3回「ハローイン古都鎌倉」が11月15日(土)、小町通りの聖ミカエル教会で開催される。企画する市民団体「かまくらんどまーく ハピ☆ラキ」は現在参加者を募集している。

当日は、仮装コンテスト(1エントリー500円)が午後1時30分から、仮装スタンプラリーが午後3時30分から4時30分まで行われる。

昨年の仮装コンテストには幼児から社会人まで50人ほどが参加し、「レッドカーペット」を歩いた。

問い合わせ、申し込みは【電話】・【FAX】0467・25・1095今井さんへ。

鎌倉版のローカルニュース
(タウンニュース2014年10月3日)




▲『澤田美喜―黒い肌と白い心 (人間の記録) 』沢田 美喜 (写真)

出版社 : 日本図書センター
発売日 :2001/1/25

【その日一日だけ】島根県代表団 モスクワの女子修道院に牡丹の木 贈呈

2014-10-20 21:56:00 | 今日の御言葉
http://www.nrbj.info/?p=902



だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が
思いわずらうであろう。一日の苦労は、
その日一日だけで十分である。


「‭マタイによる福音書」‬ ‭6‬章34‬節
新約聖書 口語訳



ほんとうに愛したいと願うなら
人をゆるすことを知らなければなりません。

マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)



★ロシアの名前の知られざる事実

◆ロシアNOW 2014年10月9日 タラス・レピン

http://jp.rbth.com/arts/2014/10/09/50553.html


いつから人に名前をつけるようになったのか。
昔の名前はどのようなものだったのか。
ロシアの名前の歴史を探る。




写真提供:ロシア7

初期の名前

名前をつけるという伝統がルーシで始まったのは、キリスト教以前の時代。習慣、外見、環境に関連するあらゆる言葉が名前になった。

ペルヴイ(第1)、フトラク(第2)、トレチャク(第3)などの生まれた順番、チェルニャワ(浅黒)、ベリャク(色白)、マリュタ(背が低い)などの外見、モルチャン(寡黙)、スメヤナ(笑い上戸)、イストマ(倦怠)などの性格や特徴が名前になったりしていた。


他には自然からブィク(オウシ)、シチュカ(カワカマス)、ドゥブ(オーク)、手工業からロシュカ(スプーン)、クズネツ(鍛冶屋)、シュバ(毛皮)など。年齢とともに、より適切な名前に変わることもあった。

悪魔や他の人から悪影響をおよぼされることのないようにと、ネクラス(見てくれの悪い)やズロバ(意地悪)など、事実や架空の欠点を名前にすることも多かった。このような名前をつけると、邪視や堕落から守られると信じられていた。

ルーシでキリスト教の名前がつけられるようになった後でも、偉大なる将軍アレクサンドル・ネフスキー、啓蒙家で詩人のシメオン・ポロツキー、モスクワ大公イヴァン1世などを含め、階級の高低にかかわらず、異なる社会で追加的な名前として通称が残った。ピョートル大帝(在位17世紀末~)によって禁止されるまで、通称は使われていた。だが15世紀からすでに、通称は姓に変わっていた。

▼2つの名前

14世紀から16世紀まで、新生児が誕生すると、その日の聖人にちなんだ直接名がつけられるようになった。公のキリスト教の名前とは異なり、直接名は親族の間でしか使われなかった。皇帝ヴァシリー3世の直接名はガヴリイル、その息子のイヴァン雷帝はチト。時に兄弟の2つの名前が同じになってしまうこともあった。イヴァン雷帝の息子2人の公の名前はドミトリー、直接名はウラムだった。

直接名の伝統の発祥はリューリク家。この時代の大公は異教の名前とキリスト教の名前を持っていた。ヤロスラフ・ゲオルギー(ムドルイ)やウラジーミル・ヴァシリー(モノマフ)など(前者が異教の名前で、後者がキリスト教の名前)。

リューリク朝の名前

リューリク朝の名前には2つのカテゴリーがあった。ヤロポルク、スヴャトスラフなどの2つの語幹からなるスラヴ名と、オリガ、グレブ、イーゴリなどのスカンジナビア名。これらは高位者の名前であったが、14世紀からは一般的に使われるようになった。祖父が死亡すると、新生児の孫にその名前をつけることができたが、生存中の兄弟が同じ名前を持つことは許されていなかった。

キリスト教の名前

ルーシではキリスト教の強化とともに、スラヴ名が過去のものとなっていき、ヤリロやラダといった異教に関連する名前など、禁止名一覧もつくられた。キリスト教名の普及により、リューリク家の人々の名前も徐々に変化。キリスト教の洗礼の際にウラジーミル1世にはヴァシリー、キエフ大公妃のオリガにはエレーナという名前が与えられた。


ロマノフ朝の名前

ロマノフ家の名前が変化したのはエカチェリーナ2世の時代。孫をニコライ(奇蹟者聖ニコライから)、コンスタンチン(亜使徒聖大帝コンスタンティンから)、アレクサンドル(聖アレクサンドル・ネフスキーから)と名付けた。ロマノフ家の子孫が増えると、ニキータ、オリガなどの昔の名前や、ロスチスラフといったスラヴ名もあらわれた。

ロマノフ家では先祖の名前がつけられ、また先祖の習慣に従っていた。そのため、ニコライ、アレクサンドル、ピョートルが多い。ただし、ピョートル3世(1728~1762)、その息子のパーヴェル1世(1754~1801)が殺害されてから、ロマノフ家ではピョートルとパーヴェルが禁止された。

君もイヴァン、僕もイヴァン

イヴァン(イワン)という名前は広く普及。ロシア帝国では農民の4人に1人がイヴァンだった。浮浪者は警察につかまると、自分のことをイヴァンと名乗っていたため、「親族を覚えていないイヴァン」という表現まで生まれた。

古代ヘブライ名のイヴァンはほとんど普及していなかったが、イヴァン1世以降、リューリク家では4人がイヴァンと名付けられた。そしてロマノフ家でも使われていたが、1764年にイヴァン6世が非業の死を遂げた後、禁止された。

▼父称

ルーシでは父称が出生名の一部として使われていた。これはその人と父とのつながりの証明であった。貴族も普通の人も、「ミハイル、ペトロフ・スィン」(ピョートルの息子のミハイル)と自分を名乗っていた。

語末が「イチ」の父称は特権であり、高位者だけが所有していた。スヴャトポルク・イジャスラヴィチなどのようにリューリク家でも使われていた。


19世紀からは、新しいインテリゲンツィヤが父称を使うようになった。1861年に農奴制が廃止されると、農民の父称の使用も許されるようになった。

現代ロシア人の生活に父称は欠かせない。これは相手に対する尊敬の念を込めた呼び方であり、同じ名前と姓と持った人を区別するためにも必要だ。


(ロシアNOW 2014年10月9日)



http://daikonpapa.cocolog-nifty.com/daikonpapa/2013/04/post-11e8.html


★島根県代表団
モスクワの女子修道院に牡丹の木 贈呈

◆The Voice of Russia 2014年9月16日 04:55

http://japanese.ruvr.ru/news/2014_09_16/277335029/



▲Photo: RIA Novosti


モスクワ中心部にあるマルフォ・ マリインスキイ女子修道院に、日本のシンボルがお目見えする。リア-ノーヴォスチ通信がロシア正教会宗務局報道部の情報として伝えた。

それによれば「16日、マルフォ・マリインスキイ女子修道院で祝賀セレモニーが執り行われ、その中で、島根県代表団が友好のしるしに、モスクワ総主教管区に日本のシンボルの一つ、ユニークな牡丹の木を贈る。」

正教会報道部はまた「植樹式は、2007年に極東でスタートした『花咲く日ロの道』プロジェクトの枠内で行われる。これまですでに、ウラジオストーク、ハバロフスク、サンクトペテルブルグに、牡丹を含め、美しい花を咲かせる日本産の様々な木々が植えられてきた」と指摘した。

マルフォ・マリインスキイ女子修道院は、1909年、モスクワ大公セルゲイの妻、エリザヴェータ・フォードロヴナ(ニコライ2世の妻アレクサンドラの姉、ボリシェヴィキによりウラルで惨殺された)によって設立された。革命後閉鎖され、ソ連時代はイコン修復所などとなったが、1990年から修道院を甦らせる作業が始まった。

現在、修道院には25人のシスターがおり、敷地内に障害児のリハビリ施設を設けたり、重度の遺伝病患者の支援に取り組むなど、エリザヴェータ・フョードロヴナの志を継ぎ、幅広い慈善プログラムを展開している。

又修道院では、援助を必要とする人々を常に受け入れており、食糧品・医薬品支給のほか、生活及び人生相談に応じている。

なお敷地内に建つ、美しいポクロフスキイ聖堂は、建築家シューセフの傑作の一つである。

リア-ノーヴォスチ
(The Voice of Russia 2014年9月16日)



★モスクワで第19回「日本の秋」

◆The Voice of Russia 2014年9月17日 02:16




▲Photo: RIA Novosti

モスクワで恒例の「日本の秋」フェスティバルが始まった。日本の伝統音楽のコンサートや各種の展示、レクチャーその他イベントが行われる。

イタル・タス通信は在ロシア日本大使館のクサカベ・ヨウスケさんに特別インタヴューを行った。「モスクワにおける「日本の秋」祭は日本大使館が95年に始めたもの。多くのロシア人、モスクワ市民に愛されている。今年もイベントが盛り沢山だ。現代日本文化を紹介するJ-FESTや、日本映画
祭、また日本の舞台芸術を代表するものとしてアンサンブル「京都創生座」および劇団「チェルフィッシュ」の公演が行われる。また、今年は日露武道交流年ということで、11月には日本武道館の代表が武術のデモンストレーションを行う。モスクワ以外でも、たとえば各地で映画祭や、サンクトペテルブルグの「折り紙の味」展など、様々なイベントが行われる」

日本文化を知るのに欠かせない日本語そのものの学習熱もロシアでは高まりを見せている。クサカベさんによれば、1990年に550人だったロシアにおける日本語学習者は、2012年には1万1400人にまで増えている。

イタル・タス

(The Voice of Russia 2014年9月17日 )






★牡丹なら「松江産」

吉村慎司, 「ロシアNOW」への特別寄稿

■ロシアNOW 2012年12月12日


生産量上回る注文

ロシアの花市場に、日本産の牡丹(ぼたん)が広がり始めた。山陰の古都・島根県松江市から苗木の試験輸出が始まって4年目。最初の年に200本だった出荷量は順調に増え、今年は過去最高の1500本に達した。

「マツエの牡丹は今年はいつ買えるの」。この夏、ウラジオストクやハバロフスクの花屋に、一般客からのこんな問い合わせが相次いだ。

松江の牡丹輸出の仕組みはこうだ。生産者団体のJAくにびきが、松江に隣接する鳥取県の境港から、ウラジオストク行きの定期フェリーに乗せて苗木を出荷。パートナーであるウラジオストクの花業者が受け取り、極東地域に流通させる。


苗木を運び込むだけではない。松江市や島根県、日本貿易振興機構(ジェトロ)なども協力して、ウラジオストク、ハバロフスクの2都市で毎秋PRイベントを開いて知名度アップに努めてきた。

今年は9月下旬から10月中旬にかけて、一般消費者向けの展示即売会を3回開催。どの回も大入りで、数百本の苗木が即日完売となった。特に、「松江ブランド展」として催したイベントにはウラジオストク市内の会場に2000人が詰めかける盛況ぶりだった。

なぜ人気が出ているのか。理由は、少なくとも価格ではなさそうだ。今年の苗木の販売価格は1本1100ルーブル(約2800円)で、日本での相場の約3倍だ。輸送などの経費がかかるためで、安価な中国産の牡丹と比べれば5~10倍の開きがある。

JAくにびき特産課の佐川真二係長は、好調の理由をこう説明する。「ロシア市場の牡丹は、花が下向きに咲く中国産が主流。この中で、上を向いて花開く松江の牡丹は美しさで競争力があります。また、中国産に比べて枯れにくいとの評価もいただくようになりました」。実際、リピート客が目立つという。前年試しに買ってみた牡丹が予想以上にきれいに咲き、別の色・種類を集めたくなった客も多いようだ。

実は今年、ロシアから2000本近い注文が来ていた。生産量が追いつかないため1500本に抑えざるを得なかったという。

JAくにびきは今、ロシア市場向けの牡丹栽培を始めることを計画中だ。来春にもウラジオストクからパートナー業者を招いて、品種や量の詳細を詰める。

牡丹はこれまで極東に限った展開だったが、2013年にはサンクトペテルブルクなどヨーロッパ側の大都市での販売も実現しそうだ。JAの佐川係長は、「ロシアは花を好む国民性もあり、我々にとって有望な市場。まずは年間出荷量を早期に1万本レベルに引き上げたい」と意気込みを語っている。

(http://m.jp.rbth.com/articles/2012/12/12/40375.html)


(ロシアNOW 2012年12月12日)

【掟を守る人】三大宗教の聖地 エルサレムで触れた イスラエル人の日常生活

2014-10-19 22:11:42 | 今日の御言葉




わたしの掟を受け入れ、
それを守る人は、
わたしを愛する者である。

わたしを愛する人は、
わたしの父に愛される。

わたしもその人を愛して、
その人にわたし自身を現す。


「ヨハネによる福音書」/ 14章 21節
新約聖書 新共同訳




私たちは、祈ることで
誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。

なぜなら、少しでも神に近づいた
人間は、

まわりにいる人たちに
楽しさと愛を広めるからです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『マザーテレサ語る』より)



ヘルツェルの丘で献花
(イスラエル)


http://m.youtube.com/watch?v=tLcK07CU0fY


◆三大宗教の聖地 エルサレムで触れた
イスラエル人の日常生活


★NEWSポストセブン 2014年8月23日 07:00






【エルサレムに住む人々の日常】

イスラエル軍がパレスチナ・ガザ地区への侵攻を行う昨今。ニュースでは多数の死者が出ていることが報道されており、この国への注目は日に日に高まっている。日本人には物騒な印象のイスラエルだが、実際に訪れてみると、人々は働き、物を買い、食べて飲んで祈り、世界の街で見てきたものと変わらない人々の生活があった。

筆者が滞在した街は、ユダヤ、イスラム、キリスト教徒の聖地があるエルサレムだ。観光地としても人気があり、各宗教の巡礼者をはじめ、多くの旅行者がこの街を訪れている。城壁に囲まれた旧市街には、石造りの細い路地が続き、数多くの史跡が立ち並んでいた。建物は石造りで、中世の町並みをそのままに保存している。

高低差の激しい土地に建設されたからか、街を歩く時は常に、坂道や階段を登ったり降りたりする必要がある。この町並みの中をイスラエル料理のファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)でもつまみながら散歩したりすると、別の時代に迷い込んだようで楽しい。

街はユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒ごとに居住区が決められており、ユダヤ・キリスト教徒の居住区は比較的きれいに保たれている。イスラム教徒の居住区はゴミがまばらに落ちている印象があるが、賑やかで雑多な商店が立ち並んでおり、他の居住区に比べると人々も活気に満ちている。

旧市街の城壁を出て新市街に出ると、国立のイスラエル博物館周辺の広い公園では、家族連れがBBQをしており和やかな空気が流れていた。新市街の目抜き通りでは、軍服姿の若者の姿が目立つ。イスラエルでは一部の例外を除き、男女共に18歳から兵役が義務づけられている。

街で見かけた兵士の一人は、警備任務の休憩中か、サボり中なのかは分からなかったが、サブマシンガンを肩にかけたままアイスクリームを口にしていたり、ブティックの買い物袋を下げた兵隊も見かけた。初めて見たサブマシンガンは重く冷たく感じたが、地元の人は気にするそぶりもなかったので、エルサレムでは日常的な風景なのだろう。

国民の安全な生活を守るため、イスラエルでは徹底した治安管理が行われている。まず、大きなショッピングモールに入るには、荷物のチェックが必要だ。空港のセキュリティチェックと同様、ゲートをくぐり、荷物はX線で中身を確認される。出国するときも、バッグの底まで荷物を調べられ、パンツ一丁になるまでボディチェックを行われた。

厳しい治安管理のためか夜間の一人歩きも、地区によっては問題ない。新市街にはデートに使いたくなるような洒落たレストランもあるし、クラブや、酒場だって当然ある。若い人がそのような場所で笑い、楽しんでいるのは、他の世界の大都市と変わらぬ風景だ。

筆者がエルサレムで滞在した宿は、迫害を逃れたキリストがローマ軍に捕まったとされる“オリーブの丘”を登った先にあった。イブラヒムというおじいさんが自宅を開放している宿で、食事付きで料金も安いため、日本人のバックパッカーから人気のある宿だ。この宿がある地区はイスラム教徒が多く、住んでいるのは主にアラブ人だ。

宿に滞在して数日が経った時、事件が起こった。路上で遊んでいる子供の前を通りがかった時「ハーイ!」と挨拶をされたのだが、続けざまにツバを吐きかけられたのだ。ツバはこちらに届くことはなく、筆者は自転車に乗っていたため、その場は走りすぎたが、一瞬、何が起きたのか分からなくなった。こちらはただ通り過ぎただけなのだ、何も悪いことはしていない。

夜、宿に帰って、ボランティアで長期滞在しているタイ人の女性に話をしたところ、彼女も石入りの雪玉を投げつけられたと聞いた。この時も特に理由はなかったそうだ。その雪玉は彼女の額に当たり、流血したそうだが、周辺住民との衝突を避け、泣き寝入りしたと聞いた。

言葉が通じない中ではお互いのバックグラウンドが分からず、相手をアイコン化して捉えてしまいがちで、誤解が生まれやすい。イスラエルは経済協力開発機構(OECD)の調査で、相対的貧困率(大多数よりも貧しい「相対的貧困者」の全人口に占める比率)が高いとされた国のひとつだ。

見た目が彼らとは違い、イスラエルでは目立ちがちな私たちアジア人は、海外に旅行できる裕福な人種として、子供たちの嫉妬を買ったのかもしれない。この出来事を通して、少しやるせない気分になったが、もちろん、エルサレムのアラブ人の子供が、そのようなことをする子供だらけなわけではないことを追記しておく。

ストリートアートのスター、バンクシーのウォールアートを見にパレスチナ自治区に足を踏み入れた時も、そこには変わらない人々の暮らしがあった。パンを作る人、タクシーの運転手をする人、お土産を売る人、カフェでコーヒーを飲む人。小銃を持った警備兵がいる以外は物騒な気配は微塵もないと感じた。イスラエルは旅行者にとって大変魅力的な土地である。かの国の人々に平和が戻り、また訪問できる日が来ることを、筆者は願ってやまない。

(文・鈴木雅矩)

http://www.news-postseven.com/archives/20140823_272867.html?PAGE=1#container
(国際情報 / 2014.08.23 07:00)




ハニートラップに気をつけろ!
(▲自民党 谷垣禎一幹事長)



★モサドの強みは世界を敵に回してでも生き残る国是と佐藤優氏

◆NEWSポストセブン 2012年7月15日 16:00


 中国大使館元書記官の“スパイ疑惑”が浮上し、世界各国のインテリジェンス機関に注目が集まっている。各国のインテリジェンス機関を知る元外務省主任分析官・佐藤優氏は、中でもイスラエルのインテリジェンス機関・モサド(諜報特務庁)やシンベト(保安局)、アマン(軍事諜報局)が実に優秀だと指摘する。その理由はどこにあるのか。佐藤氏が解説する。

 * * *
 イスラエルのインテリジェンス機関が強力な理由は、この国が特別の使命を持っているからである。

 独自国家を持っていなかったため、第二次世界大戦中に600万人のユダヤ人が殺害された。この経験を踏まえてイスラエルは、イスラエル国民(そこにはユダヤ人だけでなくキリスト教徒、イスラーム教徒のアラブ人もいる)に加え、全世界のユダヤ人を擁護するという特別の使命を持っている。


http://www.freeseclub.biz/blog/438.html

「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」ということをイスラエルは国是にしている。そのためイスラエルのインテリジェンス機関は、全世界のユダヤ人ネットワークを活用することができる。このネットワークは、単に情報を入手するためだけでなく、他の民族の内在的論理を世界各地に居住するユダヤ人の同胞から教えてもらうためにも活用できる。

 日本が対外インテリジェンス機関をつくる際に、モサドから学ぶべきことが多くある。

※SAPIO2012年7月18日号
http://www.news-postseven.com/archives/20120715_126492.html?PAGE=1#container




▲『サバイバル宗教論』佐藤優 (写真)





【永遠の命】中国、キリスト教会を手入れ、子ども含む100以上拘束

2014-10-18 08:51:33 | 今日の御言葉
▼ジャーナリストの兼次映利加 氏




自分の命を愛する者は、
それを失うが、
この世で自分の命を憎む人は、
それを保って永遠の命に至る。

「ヨハネによる福音書」/ 12章 25節
新約聖書 新共同訳





とてもシンプルなものなのです。

私たちすべてが必要としているのは、
祈ること、そして、他の人をもっと
愛し始めることなのです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『マザーテレサ語る』より)


http://sp.recordchina.co.jp/news.php?id=67826



★中国、家の教会を手入れ、子ども含む100人以上拘束 : 国際 :


◆クリスチャントゥデイ2014年9月26日


中国広東省仏山市で21日、比較的規模の大きい家の教会に警察の手入れが入り、子どもを含む100人以上のキリスト教徒が逮捕された。目撃者によれば、礼拝中に200人余りもの警官がなだれ込んだという。中国における大規模なキリスト教取り締まりの一環と考えられる。

「なぜわれわれの教会が手入れを受けたのか分かりません」と、ある地元の信者は、中国における迫害の増加を追跡・監視しているグループ「インターナショナル・クリスチャン・コンサーン(ICC)」に語った。「政府は、われわれが集まったり、教会として礼拝をささげることを許さないのです」



信者らによれば、教会は何の警告もないまま手入れを受け、警察は拘束の理由として、「不法な集会」を開いたからだという通告を残していっただけだという。30人以上の信者が23日の時点でも拘束されたままだと伝えられている。

「仏山市の地元当局が、子どもも含めて100人以上の教会員を逮捕するなんて信じられません。ほとんどの人々は解放されましたが、この経験はトラウマになります」と、ICCの東南アジア地域担当マネージャー、キム・スヨン氏は話す。

「ICCは、広東省地元当局に市民の権利と宗教的自由を尊重し、無実のキリスト教徒たちを一刻も早く解放するように訴えています」

手入れを受けたマウント・オリベット教会は20年の歴史があり、信者数は約170人だとICCは伝えている。

中国では、政府の承認を受けている教会のみが合法とされ、全ての家の教会(地下教会)は「不法な集会」とみなされる。しかしここ数カ月は、公認教会も政府によるこのような取り締まりの対象となっている。

http://ronpakozo.blog.fc2.com/blog-entry-397.html


南東部にある温州市の教会は先日、教会の十字架を守ろうとして警察に立ち向かい、ニュースになったばかりだ。この教会の信者らは、2カ月以上にわたって毎晩夜通し祈りをささげながら十字架を守り、その衝突の様子は何度かビデオ映像で伝えられた。

「中国政府が行っていることは非常に野蛮です」と、地元の教会リーダー、チェン・ツィーアイさんは米CNNに語った。

この7月、中国でよく知られるツァン・シャオジー牧師が懲役12年の刑に処せられたが、その理由は民衆を集めて「公の秩序を乱した」からだとされている。ICCやその他の監視グループは、この事件を中国がキリスト教の拡大を阻止しようとしている証拠の一つとみなしている。

「この事件は、無実の教会リーダーを犯罪者に仕立てることによって、中国政府が宗教的弾圧を隠蔽し続けていることを示しています」と、チャイナ・エイドのボブ・フー代表は当時語っていた。

(クリスチャントゥデイ2014年9月26日)




トニー マラーノさん (写真 バチカン前)
http://www.zakzak.co.jp/smp/society/domestic/news/20140725/dms1407251140004-s.htm


★【痛快!テキサス親父】「沖縄自治区」設定も要警戒だぜ 
ウイグル・香港の現実を見よ

◆ZAKZAK 2014年10月03日

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141003/dms1410031140011-n1.htm



▲香港の民主派は、親中派の梁振英行政長官のパネルを掲げてデモ行進した(ゲッティ=共同)

 ハ~イ! みなさん。俺の地元、テキサスの『ダラス・モーニングニュース』に、中国新疆ウイグル自治区で先月21日、多数の死者が出る衝突があった-という記事が掲載されていた。

 同自治区の公式ニュースサイトは、40人の「暴徒」が公安当局による射殺か自爆で死亡したと報じたらしいが、真実はよく分からない。中国共産党政権が、海外メディアの現地取材を認めていないからだ。

 新疆ウイグルには、ウイグル族というイスラム教徒が多数住んでいる。ウイグル族は1933年と44年の二度にわたって、東トルキスタン共和国を建国したが、中国人民解放軍が49年に侵攻し、55年に自治区を設置してしまった。



 中国共産党政権は、ウイグル族を力で押さえ込み、独自の文化や宗教、言語を制限してきた。これに反発するデモや暴動に対し、共産党政権は「テロは許さない」として弾圧を強めている。男性だけでなく、女性や子供も犠牲になっていると聞く。

 7月末に発生した暴動について、米政府系放送「ラジオ自由アジア(RFA)」は8月、ウイグル族死者だけで「少なくとも2000人」とする亡命組織「世界ウイグル会議(WUC)」のラビア・カーディル議長の発言を伝えている。事実なら、とんでもない話だ。


 共産党政権の弾圧は、香港でも起きている。


 2017年の香港行政長官選挙から、共産党政権は民主派候補を事実上排除することを決めた。これに抗議する民主派のデモは日に日に拡大し、参加者は一時10万人を超えた。これに対し、警官隊は先月28日、催涙弾を発砲して制圧しようとしたという。

 香港には、海外メディアや外資系企業も多数常駐しており、新疆ウイグルのような過酷極まる弾圧は1日時点では見られないが、今後は不明だ。実際、北京(共産党政権)が香港政府に戒厳令を敷くよう求めるのではないかとか、人民解放軍が出動するという噂も流れているという。

 ともかく、米国や日本などでは、精神の自由や、経済活動の自由、身体の自由などが保障されているが、中国にはそれがないようだ。あの国の体質がよく分かる。



 台湾や沖縄の一部リーダーは、中国との連携を深める言動を繰り返しているが、ウイグルや香港、チベットの現実をよく見た方がいい。「平和ボケ」を続けていたら、いつの間にか「台湾自治区」や「沖縄自治区」ができてしまうぜ。

 親愛なるみなさんと日本と米国に神のご加護がありますように。神様、ウイグルや香港、チベットの人々とともにいてください。

 では、また会おう!

 ■トニー・マラーノ 評論家。1949年生まれ。テキサス州在住のイタリア系米国人。サラリーマンを退職後、動画サイト「ユーチューブ」などで連日、評論活動を行っている。世界のあらゆる“悪”と戦う「プロパガンダ・バスター」でもある。大変な親日家であり、日本でも圧倒的ファンを獲得している。著書に『テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」』(青林堂)など。




http://ameblo.jp/vamosabailar53/entry-11904524518.html

【男女】カトリック司教ら、「同性愛肯定」 報告書に反発 バチカンも火消し

2014-10-16 10:09:09 | 今日の御言葉



そして、こうも言われた。

「それゆえ、人は父母を離れて
その妻と結ばれ、二人は一体となる。


だから、二人はもはや別々ではなく、
一体である。従って、
神が結び合わせてくださったものを、
人は離してはならない。」


「マタイによる福音書」/ 19章 05-06節
新約聖書 新共同訳



すべての宗教は、永遠なるもの、
つまりもうひとつの命を信じています。

この地上の人生は終わりではありません。
終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、
正しく説明されれば、
死を恐れることなどなくなるのです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)



家族問題に関する世界代表司教会議に
出席したフランシスコ・ローマ法王(中央奥)
=バチカンで13日、AP


★カトリック司教ら、「同性愛肯定」
報告書に反発 バチカンも火消し


◆産経ニュース 2014年10月15日



【AFP=時事】

ローマ法王庁(バチカン)が、同性愛の信者らに対するより肯定的な姿勢を求める報告書を公表したことを受け、ローマ・カトリック教会の司教らは14日、同性愛関係に根本的に反対し続ける姿勢を表明した。一方、バチカンの広報部も、報告書が与えた影響の火消しに動いた。

家族のあり方に関するカトリック教会の教義を見直すためにバチカンで開催中の「世界代表司教会議」では13日、「同性愛者たちにはキリスト教コミュニティーへの貢献となる資質がある」とした上で、教会は同性愛者らに歩み寄るべきと提案する中間報告書が公表され、世界中に波紋を呼び起こした。

保守派からは、フランシスコ(Francis)法王の支持を受けるバチカンのリベラル派が推進してきた改革政策に反発する動きが出ている。バチカンが発表した最新の議事録要旨によると、会議に出席する司教らは、同性愛者コミュニティーに送るメッセージへの「適切な慎重さ」を求め、「教会側にそのような傾向(同性愛)に対する肯定的な評価があるという印象が生じないよう」にする必要性を訴えた。

報告書の受け止められ方に対する懸念を反映するかのように、バチカンの広報部も14日、中間報告書は大きな意味合いを持つものではないと指摘。これは単なる暫定報告書であり、必要以上の重要性を与えられてしまったと強調した。



© AFPBB News 提供 バチカン市国のサンピエトロ広場(St Peters' Square)での一般謁見の終わりに、司教らにあいさつするフランシスコ(Francis)法王(2014年10月8日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

世界代表司教会議は非公開であるため、同性愛や同居カップル、離婚した信者の扱いなどの議題について、どのような対立が実際に起きているかを知ることは困難だ。同会議は19日に閉幕し、来年10月に再び司教と一般信者らの参加する会議が開かれる。その後、フランシスコ法王が最終的な結論を発表する予定で、2016年初頭が見込まれている。

【翻訳編集】AFPBB News

(産経新聞2014年10月15日)




930年生きた人間始祖 アダム
( 『原罪』 ミケランジェロ 1510年  システィーナ礼拝堂)
http://yamatayori.exblog.jp/1620416


古代には長寿の人たちが存在したのか


◆大紀元 2014年10月16日

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/10/html/d13827.html

【大紀元日本10月16日】洋の東西を問わず、古来の伝説や経典には驚くべき長寿の人物が多数存在する。例えば、旧約聖書にはアダムが930年生きたと書かれ、中国の文献には数百年生きた道士たちの記録がある。メソポタミア文明のものとされるシュメール王名表には、在任期間が数万年に及ぶ王たちの名前が列記されている。これらの人物は、本当に存在したのか? 様々な考察と事例を集めてみた。

単なる数字のパターンという説

シュメール王名表には、在任期間が3万年を超える王たちが存在する。聖書と王名表に共通するのは、どちらも大洪水以前の人物たちが異常に長命だということ。そして、大洪水以降、人間の寿命は徐々に短くなっていく。例えば、アダムの寿命は930年、ノアは500年、アブラハムは175年。王名表では、洪水後も在任期間が1000年を超える王もいるが、洪水以前に比べれば、その期間は劇的に短くなっている。

一方、南テキサスにある「神の教会」に所属するアーノルド・メンデズ氏(Arnold Mendez)は、大洪水以前の時代から現代まで続く人間の寿命の減少は、放射線や毒素に晒されることによって見られる有機体の衰退現象に符号すると指摘する。

一方、ブランディーズ大学(Brandeis University)のドゥワイト・ヤング氏(Dwight Young)は、大洪水後のシュメール王たちの寿命について、単なる数字のパターンであると指摘する。洪水後、一番在任期間が長いのはエタナ(Etana)であるが、この数字は前任者2人の数字を足した数と合致する。また、ある王の在任期間は60の倍数であり、ある数字は二乗である。例えば、900は30の二乗であり、625は25の二乗、400は20の二乗といった、パターンのある数字が目立つ。また、短い数字の場合は、6の二乗が頻繁に現れると指摘する。

古代中国の長命な人物たち

鍼灸師のジョセフ・ホウ博士(Joseph P. Hou)によれば、秦の時代、崔文子(さい・ぶんし)という医師が、300年生きたという記録がある。また、後漢の頃、吉楽(きちらく)という人物が280年、高位の和尚である慧昭(けいしょう)は290年、楽正子長は180年生きたという記録もある。中国医学の百科事典、「中薬誌」によれば、唐の時代、何能嗣(か・のうし)という人物は168年、道のマスターである李青雲(り・せいうん)は250年、罗明山(ろ・めいざん)は124年生きたという。

ホウ博士によれば、東洋における長寿の秘訣は、「生命を養うこと」。身体的な部分のみならず、精神面の養生も必要であると古代の医学書には書かれている。

現代の長寿者たち

現代でも、長寿で健康な人たちがいる。150歳を超えるという人もいるが、これらの人々は田舎暮らしのためか、それを証明する書類がなく、ギネス記録に載ることはない。

例えば、ネパールのナラヤン・ショードリーさん(Bir Narayan Chaudhary)は、自分は141歳だと主張する。「インディア・トゥデイ」の報道によれば、村の老人たちのほぼ全員が、1888年に、ショードリーさんがネパールで初めてのアンケート調査を行っていたことを記憶している。調査は責任のある仕事であり、この頃、すでにショードリーさんは21歳にはなっていたはずだと村人たちは推測する。一方、ショードリーさんはこの頃、すでに33歳だった話す。

ホウ氏は自身の著書の中で、「これらの超人的に長生きする人たちに共通するのは、彼らの生活がシンプルで慎ましく、戸外でのハードな肉体労働やエクササイズを欠かさないことである。彼らはそれを、若い時からずっと毎日続けている。彼らの食事は質素で、人間関係も家族だけであり、とてもシンプルだ」と指摘する。彼の著書に登場するロシアのアゼルバイジャン地方で庭師をするシサリ・ミスリンローさん(Shisali Mislinlow)は、自分は170歳だと主張し、「私は決して急がない。これが重要で、生きるのに急ぐ必要はない。私はこのような肉体労働を150年も続けている」と話している。

(翻訳編集・郭丹丹)
(14/10/16 07:00)



マサッチオ(1401-1428, イタリア)
『誘惑』 フレスコ、1426-27年。 
サンタ・マリア・デル・カルミネ、ブランカッチ教会。フローレンス。

http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/201301030000/

【神の家族】キリスト教団体も多数出展、 日本最大級の国際協力イベント 「グローバルフェスタ」開催

2014-10-14 22:32:15 | 今日の御言葉
http://blog.goo.ne.jp/pegasus_es2004/e/a0199c360ae3d6bb1c6c7851666bc8df


従って、あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、神の家族である。


「エフェソの信徒への手紙」/ 02章 19節
新約聖書 新共同訳



そして、不親切で冷淡でありながら
奇跡をおこなうよりは、

むしろ親切と慈しみのうちに
間違うほうを選びたい。


マザーテレサ
(マザーテレサ『あふれる愛』)




▲キリスト教や絵本の出版社、
グッズメーカーなど
40社以上が出展した
=7日、大田区産業プラザ
(東京都大田区)で


★クリスマス見本市&キリスト教ブックフェア、例年にない大盛況
初の即売会も : 文化 :


◆クリスチャントゥデイ 2014年10月9日11時26分



日本キリスト教書販売株式会社(日キ販)主催の「クリスマス見本市&キリスト教ブックフェア」が7日、大田区産業プラザで開催された。クリスマスグッズやキリスト教グッズ、絵本、キリスト教書の特別展示と即売会が行われ、キリスト教の出版社や絵本の出版社、グッズメーカーなど40社以上が出展した。2015年のカレンダーをはじめ、今年度の新商品が多く並んだ会場は、キリスト教書店関係者や教会・保育園・幼稚園関係者、一般の来場者で賑わった。

日キ販によると、同イベントは例年、「クリスマス見本市」として開催されているが、今年は出版社や書店の要望に応え、「キリスト教ブックフェア」を併せて開催する運びとなった。

実際、イベント会場入り口には、日キ販が主催する「キリスト教本屋大賞2014」のノミネート作品や受賞作品が並ぶなどし、クリスマス関連品だけでなく、キリスト教書店で注目の書籍も充実していた。

午前には、出展社によるプレゼンテーションが行われ、イベントの前半は書店関係者向けに商談のための時間が設けられた。ミニワークショップ「お店での魅力ある棚作り・ディスプレイ術」も開催され、書店関係者は、講師から紙と色紙で作るポップアップの作り方を真剣に教わった。



▲ミニワークショップ「お店での魅力ある棚作り・ディスプレイ術」の様子



▲商品を買い求める来場者


イベントの途中から、会場は一般にも開放され、訪れた来場者は会場を回り、紹介される商品を興味深そうに眺めていた。各社のブースにあるスタンプを集めてプレゼントが当たるスタンプラリーも行われ、来場者はスタンプラリー用のカードを持ちながら各ブースを回った。

今年は、初めて一般来場者に向けた即売会を実施。キリスト新聞に広告を出したり、SNSを利用するなど事前広報にも力を入れた。主催者側の意向を受け、出展各社もイベント限定の割引価格や、特典付きでの提供を行うなど、来場者に嬉しいサービスが多くあった。

フェイスブックで今回のイベントを知ったという2人組みの20代の女性は、「キリスト教書店で見たことのある商品だけでなく、新しい商品がたくさんあって楽しい。クリスマスのスノードームを買ったが、お手ごろな価格だったのも嬉しい。カタログなど持ちきれないほどもらったので、一度荷物を整理したら、今度はクリスマスの小物を探しに行きたい」と、満喫している様子で話した。

日キ販の担当者は、「ここ数年で言えば大変盛況だった。一般の方にも来ていただくようご案内した結果、想定以上に多くの方が来てくださった。話を聞いている感じでは、メーカーも手ごたえが例年より感じられたと思う」と話す。

北海道から沖縄まで全国に点在するキリスト教書店は、同業者同士が普段会う機会がなかなかない。「このイベントがこれからどうつながっていくのかは分からない部分も多いが、書店も売り上げが厳しく、なかなか明るい話がない中で、年に1回メーカーと書店で集って楽しく話したり、商談できる場の提供になれば良いと思う。この業界を盛り上げていきたい」と期待を語った。



▲色鮮やかなクリスマスグッズが並ぶ会場

(クリスチャントゥデイ 2014年10月9日11時26分 記者 : 新庄れい麻)


★キリスト教団体も多数出展、
日本最大級の国際協力イベント
「グローバルフェスタ」開催 : 社会 :

◆クリスチャントゥデイ2014年10月8日



日本最大級の国際協力イベント「グローバルフェスタ JAPAN 2014」が、4日、5日の両日、東京都千代田区の日比谷公園で開催された。今年は日本が政府開発援助(ODA)を開始して60年を迎えることから、国際協力60周年記念イベントとして例年以上の盛り上がりを見せ、キリスト教主義のNGOなども含め、出展者数は295団体に上った。

今年出展したキリスト教主義の団体は、アジアキリスト教教育基金(ACEF)、アジア学院、グッドネーバーズ・ジャパン、日本カトリック信徒宣教会(JLMM)、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)、日本国際飢餓対策機構(JIFH)、ワールド・ビジョン・ジャパンなど。

アジアの発展途上国の一つであるバングラデシュで、初等教育活動を行っているアジアキリスト教教育基金は、実際に現地に足を運んだことのあるスタッフが、バングラデシュの手工芸品を販売。普段も教会のバザーなどを巡回して販売をしているというが、グローバルフェスタでのブースが最大規模だという。毎年の人気商品である、手作りの「ひつじ」や「やもり」だけでなく、新しく入荷した布製品も店頭に並んだ。



▲アジアキリスト教教育基金(ACEF)のブースで販売されたバングラデシュの手工芸品


▲日本カトリック信徒宣教会(JLMM)のブースではミサンガ作りに子どもたちが取り組んだ。

グッドネーバーズ・ジャパンは、現在行っている「古着10tキャンペーン」や、URGENCY NETWORK と MOTHERBOARD が共同で展開しているチャリティーキャンペーン「Ticket To Rise」の紹介を行った。「グッドネーバーズとはどういう意味ですか」などと、興味を持ってブースに来る来場者の質問に答えていた。

日本カトリック信徒宣教会は、東ティモール、カンボジア、モンゴルに信徒宣教者と呼ばれるスタッフを派遣し、現地の教会と連携を取って活動を行っている。ブースでは、活動紹介コーナーだけでなく、専修大学の国際協力サークル「S.I.A」と協力したミサンガ作り体験コーナーも併設。お揃いのTシャツを着た若いスタッフで賑わうブースには、子どもたちがたくさん集まっていた。

日本国際飢餓対策機構のブースも、多くの人で賑わっていたが、スタッフの話によると、特に大学生や中高生などの若い人たちが、海外での支援について話を聞きにやって来たという。

ワールド・ビジョン・ジャパンは、現地で働くスタッフと実際に話ができる場所を設けた。昨年は、25年以上勤務経験のあるスタッフが話をしたというが、非常に好評だったという。

「若い世代の人たちの大きな励ましになったようだ」と話すのは、広報担当のスタッフ。国際協力に関わりたいが将来に不安があるという若者たちに、「NGOで働いても生計が立てられるのだ」と勇気を与えられたという。また、話を聞く側だけでなく、話をするスタッフにとっても、自分の経験を話すことは良い刺激になる。現地での活動では知ることのできない日本の現状を肌で感じることができるとともに、興味を持って話を聞きに来てくれる人が多いと、非常に励まされるという。



▲日本国際飢餓対策機構(JIFH)のブースで学生たちの質問に答えるスタッフ


グローバルフェスタは、国際協力の参加を促進することを目的に毎年開催されている。来場者は意欲的に各ブースを回っており、出展者も多くの来場者との関わりの中でプロ意識を高め、さらなる活躍が期待される。



▲開会を宣言するAKB48のメンバー、マサイ族の戦士、外務省国際協力局長の石兼公博氏(中)、国際協力機構(JICA)理事長の田中明彦氏(左)、国際協力NGOセンター(JANIC)理事長の大橋正明氏(右)

一方、今年のグローベルフェスタでは、オープニングセレモニーに人気アイドルグループ「AKB48」のメンバーが登場。出題されたクイズで、世界195カ国中、約150カ国が開発途上国であることを知ると、驚きを隠せない様子だった。ライブコンサートも行われたが、国際協力イベントにちなみ、父親がアメリカ人で英語が非常に堪能という平田梨奈をセンターに、「大声ダイヤモンド」が英語バージョンで披露されるなど、華やかなステージとなった。

また、特別ゲストとしてマサイ族の戦士3人を迎え、「恋するフォーチュンクッキー」でダンスのコラボレーションも。マサイ族の戦士は、「人がたくさん集まっていて、村の祭りみたいだ」と感想を語った。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/14226/20141008/gfjapan-2014.htm
(クリスチャントゥデイ2014年10月8日)

【障害物】ノーベル平和賞 ペンと本こそ最強の武器  マララさん国連演説全文

2014-10-13 10:09:55 | Weblog
タリバンに銃撃されて瀕死の重傷を負ったマララさん (2012.10.20)



そこで、イエスは言われた。

「剣をさやに納めなさい。
剣を取る者は皆、剣で滅びる。 」


「マタイによる福音書」/ 26章 52節
新約聖書 新共同訳



ガンジーは、
キリストのことを知った時、
興味をいだきました。

しかし、キリスト信者たちに会って、
がっかりしたそうです。

キリストに
近づこうとしている人たちにとって、
キリスト信者たちが
最悪の障害物になっていることが
よくあります。

言葉だけきれいなことを言って、
自分は実行していないことが
あるからです。

人々がキリストを信じようとしない
一番の原因はそこにあります。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)

※1979年にノーベル平和賞を受賞した。





★マララさんら2人、
ノーベル平和賞を受賞

◆The Huffington Post (ハフィンポスト)
2014年10月10日 18時02分 JST


ノルウェーのノーベル賞委員会は10月10日、2014年のノーベル平和賞を、女性教育の権利を訴えるパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)と、インドの児童労働問題に取り組んでいるカイラシュ・サティヤルティさん(60)に授与すると発表した。

17歳のマララさんは、1901年に始まったノーベル賞で、全6部門を通じて史上最年少での受賞となる。

マララさんは、パキスタンで女子が教育を受ける権利を11歳の時からイギリスBBCサイトのブログなどで訴えて、2012年10月、イスラム過激組織に銃撃されて重傷を負ったが、奇跡的に回復。支援の輪が世界中に広がった。反政府武装勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)が犯行を認めた。現在はイギリスを拠点に世界で全ての女子や児童への教育実現を唱えている。これまで、教育を求める女性らの夢と希望を一身に受けてきた。



ノーベル賞委員会は発表で、「マララ・ユスフザイ氏は未成年ながらすでに少女への教育の権利のために闘い続けており、子供と若者たちに見本を示すことで、彼らが自らの状況を改善することにも貢献してきた。ユスフザイ氏は最も危険な環境で活動してきた。しかし彼女は勇敢な闘いを通じて少女たちが教育を受ける権利を求める代表的なスポークスパーソンとなった」と評価した。



▲kailash satyarthi
カイラシュ・サティヤルティ氏
(c)Getty Images



サティヤルティさんは、NGO「ACE」などによると、電気技師から、1980年に「BBA/SACCS・南アジア奴隷解放連盟」を設立して活動家に転じた。奴隷的な境遇にある子供の救済や、児童労働の撲滅に取り組んでいる。25年間で7万人余りの子供たちを救済し、社会復帰を支援してきた。

ノーベル賞委員会は発表で、「カイラシュ・サティヤルティ氏は、ガンジーの伝統を守り、さまざまな形で抗議とデモストレーションをすべて平和的に推し進め、経済的利益のために子供たちに対する深刻な搾取が行われたことに焦点を当てた。サティヤルティ氏はまた、子供の権利に関する重要な国際会議の開催に貢献した」と説明した。

http://m.huffpost.com/jp/entry/5963770
(2014年10月10日 18時02分 JST)



http://www.nobelprize.org/


★ペンと本こそ最強の武器 
マララさん国連演説全文

◆東京新聞 2014年10月11日 朝刊



▲2013年7月、
ニューヨークの国連本部で演説する
マララ・ユスフザイさん=共同


 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは昨年七月十二日、自身の誕生日に合わせ、米ニューヨークの国連本部で演説。「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが、世界を変える」などと訴え、多くの人々に感銘を与えた。国際社会はこの日を「マララ・デー」と名付けた。演説の全文は以下の通り。 (国連広報センターのホームページから引用)


◆すべてのテロリストの子どもに教育を

 
最も慈悲深く寛大な神の名において


 潘基文(バンキムン)国連事務総長殿、ブーク・イェレミッチ総会議長殿、ゴードン・ブラウン国連グローバル教育担当特使殿、尊敬すべき年長者と親愛なる兄弟姉妹の皆さん、きょう、久しぶりにお話しできることを光栄に思います。これだけの尊敬すべき方々に囲まれることは、私の人生の中でも、すばらしい機会です。そしてきょう、故ベナジル・ブット首相のショールを身に着けられることは、私にとって大きな名誉です。

 どこからお話を始めたらよいかわかりません。人々が私にどのような話を期待しているのかもわかりません。しかし最初に、私たちをすべて平等にお造りいただいた神に、そして私が早く元気になり、新しい生活を始められるよう祈ってくださった皆さんに感謝します。

 人々は私に信じられないほどの愛情を示してくれました。私のところには全世界から、何千もの回復を祈るカードや贈り物が届きました。そのすべてに感謝します。その素直な言葉で私を元気づけてくれた子どもたちに感謝します。そして、その祈りで私に力を与えてくださった年長者の皆さんに感謝します。

 私が再び元気な姿に戻れるよう助けてくださったパキスタンと英国の看護師、医師、病院職員の方々、そしてアラブ首長国連邦の政府にも感謝したいと思います。

 私は潘基文事務総長のグローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブと、ゴードン・ブラウン国連特使、ブーク・イェレミッチ総会議長の活動を全面的に支持します。そして、皆さんが絶えず発揮しているリーダーシップに感謝します。皆さんは私たち全員を行動へと駆り立て続けています。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ひとつ覚えていてほしいことがあります。マララ・デーは私の日ではありません。きょうは権利を求めて声を上げたすべての女性、すべての少年少女の日です。何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーが、その権利を言葉で主張するだけでなく、平和、教育、平等という目標を達成するために日々闘っています。テロリストによって命を奪われた人々は数千人、負傷した人々は数百万人に上ります。私はその一人にすぎません。ですから私は、多くの少女たちの一人としてここに立っています。

 私の役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません。

 親愛なる皆さん、私は二〇一二年十月九日、左の側頭部をタリバン兵に撃たれました。友達も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。しかし、そうはいきませんでした。その時、沈黙の中から数千の声が上がったのです。

 テロリストたちは私たちの目的を変えさせ、私の意志をくじこうとしたのですが、私の人生で変わったことはひとつだけでした。それは、弱さや恐怖、絶望が死に絶え、その代わりに強さと力、勇気が生まれたということです。私は今までと同じマララです。私の意志も変わっていません。私の希望も、夢もそのままです。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は誰も敵だとは思っていません。ましてや、タリバンその他のテロ集団に対する個人的な復讐(ふくしゅう)心もありません。私はあらゆる子どもの教育を受ける権利を訴えているのです。タリバンやすべてのテロリスト、過激派の子どもたちにも教育を受けてほしいと思っています。

 私を撃ったタリバン兵さえ憎んでいません。銃を持つ私の目前に彼が立っていたとしても、私は撃たないでしょう。それこそ私が慈悲深い預言者ムハンマド、イエス・キリスト、そしてお釈迦(しゃか)様から学んだ思いやりの心です。それこそ私がマーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナーから受け継いだ変革の伝統です。それこそ私がガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。そしてそれこそ、私が父と母から学んだ寛容の心です。私の魂からも「平和を愛し、万人を愛しなさい」という声が聞こえてきます。


◆女性が自ら立ち上がり闘うことが大事


 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、光の大切さがわかるのは、暗闇に閉ざされた時です。声の大切さがわかるのは、沈黙を強いられた時です。私たちは同じように、パキスタン北部スワトで銃を目にした時、ペンと本の大切さに気づいたのです。

 「ペンは剣よりも強し」ということわざは本当でした。過激派が昔も今も恐れているのは、本とペンです。教育の力は彼らにとって脅威なのです。彼らは女性も恐れています。女性の声が持つ力が恐怖なのです。だからこそ彼らは最近、クエッタの攻撃で罪のない学生を十四人も殺したのです。だからこそ彼らは、カイバル・パクトゥンクワ州で多くの女性教師とポリオ撲滅の活動家を殺したのです。彼らが日ごとに学校を爆破しているのも同じ理由です。それは彼らが昔も今も、変化を恐れ、私たちが社会に持ち込む平等を恐れているからです。

 ジャーナリストが私の学校の男の子に「タリバンはなぜ教育に反対しているのか」と尋ねたことがありました。男の子の答えは単刀直入でした。本を指さして「タリバン兵はこの本に何が書いてあるか知らないからだ」と言ったのです。彼らは神のことを、学校に通っているからという理由だけで少女たちを地獄に落とすような、狭小な保守主義者だと信じています。テロリストたちはイスラムとパシュトゥンの名をかたり、自分たちの個人的な利益を求めているだけなのです。パキスタンは平和を愛する民主主義国家です。パシュトゥン人は娘や息子たちの教育を望んでいます。そしてイスラムは、平和、人道、同胞愛を説く宗教です。イスラムの教えによれば、教育を受けるのは子どもの権利であるだけでなく、その義務と責任でもあるのです。

 事務総長殿、教育には平和が必要です。パキスタンやアフガニスタンをはじめ、世界各地ではテロや戦争、紛争によって子どもたちが学校に通えなくなっています。こんな戦争はもうたくさんです。女性と子どもは世界各地で、さまざまな苦しみを抱えています。インドでは、罪のない貧しい子どもたちが児童労働の犠牲になっています。ナイジェリアでは多くの学校が破壊されました。アフガニスタンの人々は数十年間にわたり、過激主義に苦しめられてきました。幼い女の子たちが家事労働に使われ早婚を強いられています。貧困、無知、不正、人種主義、そして基本的権利の剥奪は男性にとっても女性にとっても重大な問題です。

 親愛なる仲間の皆さん、私はきょう、女性の権利と女児の権利を中心にお話ししています。それは女性が最も大きな苦しみを抱えているからです。女性の社会活動家たちはかつて、女性の権利のために立ち上がるよう男性に求めていました。しかし今度は、私たちが自ら立ち上がる番です。男性に女性の権利の代弁をやめるよう求めているのではありません。女性が独立し、自力で闘うことが大事だと言っているのです。


◆全世界で無償の義務教育与えて


 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今こそ声を上げる時です。ですから、私たちはきょう、世界の指導者たちに、その戦略的な政策を平和と繁栄のために支えるよう呼びかけます。

 私たちは世界の指導者たちに、どのような和平協定も女性と子どもの権利を守るものとせねばならないと訴えます。女性の権利に反する取り決めを受け入れることはできないからです。

 私たちはすべての政府に対し、全世界であらゆる子どもに無償の義務教育を与えるよう呼びかけます。

 私たちはすべての政府に対し、テロや暴力と闘い、残虐行為や危害から子どもたちを守るよう呼びかけます。

 私たちは先進国に対し、開発途上地域の女児の教育機会拡大を支援するよう呼びかけます。

 私たちはすべてのコミュニティーに対し、寛容の心でカースト、信条、宗派、人種、宗教、ジェンダーによる偏見を拒絶するよう呼びかけます。それはまた、女性の自由と平等を確保し、豊かな暮らしを送れるようにすることでもあります。半数の人間が抑圧されている世の中が、うまくいくはずなどないからです。
 私たちは全世界の姉妹の皆さんに対し、勇気を持って自分の強さを認め、その能力を最大限に発揮するよう呼びかけます。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちはあらゆる子どもの輝ける未来のために、学校と教育を求めます。私たちは平和と教育を目指す旅を続けてゆきます。誰も私たちを止めることはできません。私たちは自らの権利を求めて声を上げ、その声を通じて変化をもたらします。私たちは言葉の力と強さを信じています。私たちの言葉で世界を変えることができます。私たちはともに、団結して教育を求めているからです。その目的を達成するために、知識という武器を装備し、連帯と団結という盾で身を守ってゆこうではありませんか。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万もの子どもたちが学校に通えていない現実を忘れてはなりません。私たちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。

 ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそ私たちにとって最も強力な武器だからです。

 一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。


(東京新聞 2014年10月11日)



▲『憲法9条は諸悪の根源』 潮匡人 (写真)


【すべての言葉】赤旗、慰安婦「吉田証言」記事取り消しのおわび記事

2014-10-12 15:50:41 | 今日の御言葉


言っておくが、人は自分の話した
つまらない言葉についてもすべて、
裁きの日には責任を問われる。

マタイによる福音書/ 12章 36節
新約聖書 新共同訳




あなた方が泣き悲しむ時、
そこには神様の悲しみが
あなた方と共にあります。

あなた方が無限に幸福を感ずる時、
神様もまた、無制限に
幸福を感ずるのです。


ですから私たちが
歓喜の勝利を得るために
前進を重ねる時、
神様もその時
喜びを感じておられることを
私たちは知るのです。

その神様の愛とその力で、
私たちは前進するのです。

私たちの前方には、
希望と喜びが、あるのみです。





▲「朝日新聞、慰安婦問題で一部反省 
吉田証言「虚偽と判断し記事取り消します」( 朝日 2014.8.5)



赤旗、「吉田証言」記事取り消しのおわび記事

◆読売新聞 2014年09月29日 13時55分

http://www.yomiuri.co.jp/national/20140929-OYT1T50060.html


共産党機関紙「しんぶん赤旗」は27日の紙面で、「『吉田証言』の記事を取り消します」
とのおわび記事を掲載した。

同紙は1992~93年、3回にわたり、吉田清治氏の証言や著書を取り上げていた。

同紙は、「歴史を偽造するものは誰か」と題し、「河野談話」を否定する論調への反論記事を
2ページにわたり展開。その中で、過去の「吉田証言」の記事に触れ、赤旗編集局名で
「『吉田証言』は信ぴょう性がなく、本紙はこれらの記事を掲載したことについて、お詫びし、
取り消します」とした。

赤旗編集局は読売新聞の取材に対し、「朝日の8月5日の(慰安婦報道に関する)特集記事が
きっかけで、赤旗でも過去の検証が必要になった。同時に、河野談話に対する攻撃に反論が
必要と判断した」と説明した。

(Yomiuri Online 2014年09月29日 13時55分 )






★外務省、慰安婦「強制」記述などHPから削除 
「アジア女性基金」拠金呼びかけ文


◆産経新聞 2014年10月11日 05:00


 外務省は10日、元慰安婦に償い金を支給したアジア女性基金の「拠金呼びかけ文」をホームページから削除した。文中に「多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」との記述が含まれていたためで、次世代の党の山田宏幹事長が6日の衆院予算委員会で「問題がある」と指摘し、岸田文雄外相が削除を検討する考えを示していた。

 削除したのは「歴史認識」の項目に掲載されていた「『女性のためのアジア平和国民基金』への拠金呼びかけ文」(平成7年7月18日)。基金の呼びかけ人が発表した文書で、政府の公式文書ではないが、外務省は過去の経緯を紹介する観点から閲覧できるようにしていた。

 慰安婦の強制性をめぐっては、平成19年に第1次安倍晋三内閣が「政府発見の資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を示すような記述は見当たらなかった」との答弁書を閣議決定している。

http://www.sankei.com/smp/politics/news/141011/plt1410110005-s.html
(産経ニュース 2014年10月11日 05:00)



▲お盆に韓国で
日本大使館前を始め、
韓国全土で一斉に慰安婦への
謝罪を求める抗議デモを主導した
「統一教会」の人たち (2012.8.15)

虚偽を流し、日韓関係を悪化させた
罪は重い。

写真は統一教会日本法人代表を
務めたこともある江梨川安栄氏
(=写真左側3人目)

国民の前でしっかり反省して
謝罪してほしい。


★朝日慰安婦報道、
日本の信頼損ねた責任は重い
 
◆世界日報 2014年8月9日
 


 朝日新聞は8月5日と6日の両日付で「慰安婦問題を考える」の特集を組んだ。

 そして、5日付の特集の中で「読者のみなさまへ」と題して一部の記事が虚偽であったことを認め、記事を取り消すと発表した。

 ▼強制連行証言を取り消し

 今回取り消されたのは、戦争中に朝鮮人の女性を強制連行したとする自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏の証言に関する記事16本である。

 朝日が吉田氏の偽りの証言を大々的に報道したことが、日韓関係や日本の国際的信用に与えたダメージは極めて大きい。にもかかわらず、同紙の特集には明確な謝罪と反省の言葉はない。これらの責任について頬かぶりすることは許されない。

 「慰安婦問題」で今、最大の争点になっているのは、女性たちが日本の官憲によって組織的、暴力的に強制連行されたかどうかである。

 慰安婦について長い間、「強制された」とのイメージが抱かれるようになったのは、1991年から92年にかけての朝日の記事によってだった。その点、同紙の責任は重い。同紙の用語解説には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」とあった。





 さらに済州島での「慰安婦狩り」を証言した吉田氏が朝日紙上にしばしば登場したことで「強制連行」という言葉が定着してしまった。

 今回の特集において「読者のみなさまへ」は次のように述べている。「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」

 誤報を認めたのだ。これで慰安婦が強制連行されたという朝日の従来の主張の根幹は完全に崩れた。

 同紙が根拠のない吉田証言を大きく報道したのは、強い反軍姿勢のため、綿密な裏づけ調査もせずに証言に飛びついたためと言ってよいだろう。

 朝日は吉田証言の取り消しのほか、戦時下に女性を労働力として動員するために組織された女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた。基本的な問題についての大きな報道ミスである。

 残念なのは、「強制連行された」とする朝日の誤報でわが国の名誉と対外信用が著しく傷つけられたことだ。

 また、同紙報道に押された形で「元慰安婦」という韓国人女性が謝罪と損害賠償を求める訴訟を日本政府を相手に起こし、日韓関係をこじらせることになった。


△韓国軍に慰安婦制度
(朝日新聞2002.2.24)


 ▼正しい歴史認識が必要

 現在、日韓関係はいろいろな問題を抱えて緊張しているが、それを解きほぐすには、歴史問題についての共通認識を持つことが必要だ。

 その点、慰安婦問題は一つの試金石となろう。

(8月9日付社説)