愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
幼子のように思い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、
今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、
そのときには、はっきり知られているように
はっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、
この三つは、いつまでも残る。
「コリントの信徒への手紙一」 13章 4-13節
新約聖書 新共同訳
「すべて の人間は生まれながらにして
平等であり、
その創造主によって、
生命、自由、および幸福の追求を含む
不可侵の権利を与えられている。」
★<キング牧師演説50年>
人種問題訴え行進 米・ワシントン
◆毎日新聞 2013年8月24日 21時40分配信
【ワシントン草野和彦、西田進一郎】
米国の公民権運動の黒人指導者、故マーチン・ルーサー・キング牧師が人種差別撤廃を訴える演説をしたワシントン大行進から50周年の記念行事が24日午前(日本時間24日夜)、ワシントンのリンカーン記念堂前の広場で開催された。参加者は記念堂や近くに完成したキング牧師の像の前を行進し、米社会に根強く残る人種問題の解消を訴えた。
記念行事では、オバマ政権を代表して黒人のホルダー司法長官が演説し「50年前の行進は今、女性やラティーノ(中南米系)、アジア系など平等を求める人たちを含む我々の行進に引き継がれた」と指摘。キング牧師ら先人の努力がなければ「私が司法長官になることも、オバマ氏が大統領になることもなかった」と述べた。
米東部ペンシルベニア州から参加したダレン・レウィルさん(60)は「私たちの伝統、歴史のためにここに来た。人種平等の実現のためには、まだまだやらなければいけないことが多すぎる」と語った。
公民権運動の象徴と位置づけられるワシントン大行進は、1963年8月28日に「雇用と自由」をスローガンに実施されたデモで、黒人を中心に約25万人が参加。キング牧師は同記念堂で「私には夢がある」という歴史的な名演説を行った。翌年、公民権法が制定されキング牧師はノーベル平和賞を受賞した。
演説からまる50年となる28日には、同記念堂で米史上初の黒人大統領であるオバマ大統領やクリントン、カーターの両元大統領が演説する。
▲24日、米ワシントンのリンカーン記念堂で演説する
キング牧師の長男
マーチン・ルーサー・キング(3世)氏(AP=共同)
★ワシントン大行進50周年
「郷愁に浸るときでない」 キング牧師長男演説
◆産経MSMニュース2013年8月25日 08:11
米公民権運動を大きく前進させるきっかけとなったワシントン大行進から50周年を記念する24日のイベントで、同運動の黒人指導者だったキング牧師の長男、マーチン・ルーサー・キング(3世)氏が演説した。「今は(同運動の成果という)郷愁に浸るときではない」と話し、なお残る人種間の不公平や同性愛者に対する差別の解消、移民制度改革などへの一段の取り組みを促した。
1963年8月28日に行われた大行進と「私には夢がある」の言葉で知られる牧師の演説は黒人差別を禁じた公民権法の成立などの大きな推進力となった。
キング氏は「仕事はまだ終わっていない。私たちはまだやれるし、やらなければならない」と強調した。
(共同)
▲8月22日、
米公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が
人種差別の撤廃を訴えた演説から
半世紀を経ったが、
米国民の約半数は肌の色による差別撤廃が
「まだ道半ば」と感じていることが調査で分かった。
写真は1963年8月に
ワシントンでのデモに参加したキング牧師(中央)
(2013年 ロイター/Rowland Scherman/U.S. Information Agency/U.S. National Archives)
◆キング牧師の夢、半世紀経っても道半ば=米調査
★ロイター 8月23日 14時6分配信
【ニューヨーク 22日 ロイター】
「私には夢がある」──。米公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が演説でこう語り、人種差別の撤廃を訴えてから半世紀が経ったが、米国民の約半数は、肌の色による差別撤廃は「まだ道半ば」と感じていることが調査で分かった。
この調査は、ピュー・リサーチ・センターが8月1─11日に全米の成人2231人を対象に、電話アンケートの形で実施。その結果、1963年にキング牧師が演説で描いた「人種偏見のない社会」の達成には、まだ多くの問題が残されているとの回答は全体の49%となった。
ただ、黒人と白人が「非常にうまく」付き合っているとの回答は、黒人で73%、白人では81%に上った。調査には黒人376人、ヒスパニック系218人が参加した。
キング牧師は1963年8月28日、約25万人が参加した反人種差別デモで「私には夢がある」と語る歴史的な演説を行い、「黒人は物質的繁栄の広大な海の真ん中に浮かぶ貧困の孤島に暮らしている」と訴えていた。
今回の調査では、白人と黒人の間の経済的格差は50年前とほぼ同じであることも分かった。
ピューによると、1967年から2011年までに、黒人の世帯所得の中央値は約2万4000ドルから約4万ドルに増加。ただ、白人世帯所得の何%に相当するかで見ると、2011年時点でも59%と、1967年時点の55%から小幅上昇にとどまっているという。
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http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html
▲1963年8月28日、
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは
ワシントン行進の群集に
「私には夢がある」という歴史的な演説を行った。
(AP Images)
★「私には夢がある」
◆1963年8月28日
今日私は、米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思う。
100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった。
しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別の鎖によって縛られている。100年を経た今日、黒人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、貧困という孤島に住んでいる。100年を経た今日、黒人は依然として米国社会の片隅で惨めな暮らしを送り、自国にいながら、まるで亡命者のような生活を送っている。そこで私たちは今日、この恥ずべき状況を劇的に訴えるために、ここに集まったのである。
ある意味で、われわれは、小切手を換金するためにわが国の首都に来ている。われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。
今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。
だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれわれは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのだ。われわれはまた、現在の極めて緊迫している事態を米国に思い出させるために、この神聖な場所に来ている。今は、冷却期間を置くという贅沢にふけったり、漸進主義という鎮静薬を飲んだりしている時ではない。今こそ、民主主義の約束を現実にする時である。今こそ、暗くて荒廃した人種差別の谷から立ち上がり、日の当たる人種的正義の道へと歩む時である。今こそ、われわれの国を、人種的不正の流砂から、兄弟愛の揺るぎない岩盤の上へと引き上げる時である。今こそ、すべての神の子たちにとって、正義を現実とする時である。
この緊急事態を見過ごせば、この国にとって致命的となるであろう。黒人たちの正当な不満に満ちたこの酷暑の夏は、自由と平等の爽快な秋が到来しない限り、終わることがない。1963年は、終わりではなく始まりである。黒人はたまっていた鬱憤を晴らす必要があっただけだから、もうこれで満足するだろうと期待する人々は、米国が元の状態に戻ったならば、たたき起こされることになるだろう。黒人に公民権が与えられるまでは、米国には安息も平穏が訪れることはない。正義の明るい日が出現するまで、反乱の旋風はこの国の土台を揺るがし続けるだろう。
しかし私には、正義の殿堂の温かな入り口に立つ同胞たちに対して言わなければならないことがある。正当な居場所を確保する過程で、われわれは不正な行為を犯してはならない。われわれは、敵意と憎悪の杯を干すことによって、自由への渇きをいやそうとしないようにしよう。われわれは、絶えず尊厳と規律の高い次元での闘争を展開していかなければならない。われわれの創造的な抗議を、肉体的暴力へ堕落させてはならない。われわれは、肉体的な力に魂の力で対抗するという荘厳な高みに、何度も繰り返し上がらなければならない。信じがたい新たな闘志が黒人社会全体を包み込んでいるが、それがすべての白人に対する不信につながることがあってはならない。なぜなら、われわれの白人の兄弟の多くは、今日彼らがここにいることからも証明されるように、彼らの運命がわれわれの運命と結び付いていることを認識するようになったからである。また、彼らの自由がわれわれの自由と分かち難く結びついていることを認識するようになったからである。われわれは、たった一人で歩くことはできない。
そして、歩くからには、前進あるのみということを心に誓わなければならない。引き返すことはできないのである。公民権運動に献身する人々に対して、「あなたはいつになったら満足するのか」と聞く人たちもいる。われわれは、黒人が警察の言語に絶する恐ろしい残虐行為の犠牲者である限りは、決して満足することはできない。われわれは、旅に疲れた重い体を、道路沿いのモーテルや町のホテルで休めることを許されない限り、決して満足することはできない。われわれは、黒人の基本的な移動の範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り、満足することはできない。われわれは、われわれの子どもたちが、「白人専用」という標識によって、人格をはぎとられ尊厳を奪われている限り、決して満足することはできない。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨーク州の黒人が投票に値する対象はないと考えている限り、われわれは決して満足することはできない。そうだ、決して、われわれは満足することはできないのだ。そして、正義が河水のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することはないだろう。
私は、今日ここに、多大な試練と苦難を乗り越えてきた人々が、あなたがたの中にいることを知らないわけではない。刑務所の狭い監房から出てきたばかりの人たちも、あなたがたの中にいる。自由を追求したために、迫害の嵐に打たれ、警察の暴力の旋風に圧倒された場所から、ここへ来た人たちもいる。あなたがたは常軌を逸した苦しみの経験を重ねた勇士である。これからも、不当な苦しみは救済されるという信念を持って活動を続けようではないか。
ミシシッピ州へ帰っていこう、アラバマ州へ帰っていこう、サウスカロライナ州へ帰っていこう、ジョージア州へ帰っていこう、ルイジアナ州へ帰っていこう、そして北部の都市のスラム街やゲットーへ帰っていこう。きっとこの状況は変えることができるし、変わるだろうということを信じて。
絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれは、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」
そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければならない。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を鳴り響かせよう。ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせよう。
コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。
だが、それだけではない。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせよう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせよう。
自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外も、プロテスタントもカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつかしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはついに自由になったのだ!」
Copyrighted by Dr. Martin Luther King, Jr. 1963. Authorized by The King Center, Atlanta, GA. For more information about building Dr. King’s Beloved Community, visit www.thekingcenter.org
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html