地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【囚人】バルセロナでたどるガウディの軌跡

2015-01-29 03:23:01 | 今日の御言葉
▼「通し矢」2015.1.19 (京都市東山区)


さて、主にある囚人であるわたしは、
あなたがたに勧める。
あなたがたが召された
その召しにふさわしく歩き、

平和のきずなで結ばれて、
聖霊による一致を守り続けるように
努めなさい。

‭エペソ人への手紙‬ ‭4‬章1, 3節
新約聖書 口語訳‬



私たちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。

でもその一滴の水があつまって
大海となるのです。

マザーテレサ

(マザーテレサ『愛のことば』より)




★バルセロナでたどるガウディの軌跡 -


◆日経ビジネスオンライン 2015年1月28日


http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/


2015年1月現在、スペインにある世界遺産は44。世界遺産保有国としてはイタリア、中国に次ぎ3番目だ。その中で唯一、個人の名を冠した遺産が、19世紀から20世紀にかけて活躍した名建築家「アントニ・ガウディの作品群」。バルセロナでは、彼の手掛けた7つの建築作品が世界遺産に登録されている。一個人の作品ながら「世界の至宝」と認められた建築群の顔ぶれを紹介しよう。

色タイルを駆使した館で鮮烈デビュー

いまやすっかりバルセロナのランドマークとなった、サグラダ・ファミリア教会。超高層ビルがあっという間に建ってしまう現代において、この教会は着工から130年余を経た今なお、建設途上にある。尖塔群がそびえる姿は、超巨大な切り株のよう。教会のイメージを覆すこの建物の設計者こそ、「神の建築家」と呼ばれたアントニ・ガウディだ。


▲バルセロナ市街を一望。ほぼ中央、巨大な切り株のごとくそびえるのがサグラダ・ファミリア教会

1852年に生まれ、26歳で建築家となったガウディは、73歳で死去するまでに25の建築作品を残した。世界遺産に登録された7つの建物のうち、6つがバルセロナ市内の中心部にあり、その中の5つが主要な大通りから近い場所にある。中心部の作品は徒歩で回ることも不可能ではないが、地下鉄などを利用して回るのがいいだろう。ここでは、制作年代順に建物を見ていこう。

まずは、31歳の時に手掛けたカサ・ビセンス。タイル製造業者ビセンス氏の別邸で、ガウディの処女作だ。現在も居住者がいるため外部からの見学になるが、施主の職業に応じてタイルを多用した外観は実際に目の当たりにすると、ギョッとするほど奇抜だ。


▲ブロックで組み立てたかのような外観。この家の評判のため、施主の会社の株価が上がったという

ガウディ建築の象徴の1つが、目のくらむような曲線の多用だが、駆け出しだった頃の作品であるこの建物は直線が主体。しかし、多彩な色のタイル使い、ベランダの手すりのうねり具合、随所に見られる鳥や植物といった自然のモチーフなど、後のガウディ作品に見られるエッセンスはしっかり散りばめられている。一見、ガウディらしくないこの建物が、彼の建築の原点なのだ。


▲ガウディは自然を“師”とした。鉄柵のモチーフはシュロの葉である

生涯を独身で過ごしたガウディだが、この建物では、片思いをしていた女性の家の食堂のデザインや装飾を再現したとか。内部が公開される機会があれば、ぜひのぞいてみたいものである。

バルセロナ中心部はカタルーニャ広場を中心にして、南が旧市街、北が新市街になっている。ガウディの世界遺産建築の多くは新市街にあるが、唯一、旧市街にあるのが、34歳の時に手掛けたグエル邸。19世紀後半のバルセロナを代表する実業家だった、エウセビオ・グエルの個人宅だ。グエルは、若きガウディの才能に目を留め、生涯にわたって面倒を見た“パトロン”である。建築家には依頼者が必要。ガウディにとって、大富豪のグエルの存在は大きかった。



▲縦の空間が有効に活用されたグエル邸。屋上に立ち並ぶ煙突も実にカラフルだ

グエル邸は、狭い土地を有効に活用した、地下1階、地上4階の建物。一見すると、外観はシンプルで小さい建物という印象だが、その思いは中に入れば簡単に覆される。そこに広がるのは、実に重厚にして優雅な空間なのだ。特にメーンフロアの中央サロンは高さ17.5mの吹き抜けで、小さな穴の開いた円蓋は、まるで小宇宙のイメージだ。ここでどんな豪勢な生活が繰り広げられていたのかと、自然に想像が広がっていく。



▲初期のガウディは、イスラム建築の影響を受けていた。中央サロンの空間構成は、アルハンブラ宮殿から着想を得たといわれる

グエルは、ガウディから届いた高額の請求書を嘆く執事に、「たったそれだけか。芸術には金がかかるんだよ」と笑ったという。そして、本来は別宅にするはずだったこの屋敷を本館として使用した。内部を見学すれば「確かにこれは芸術だ!」と納得。日本語の音声ガイドが、細部に込められたガウディの趣向も教えてくれる。

バルセロナ市街を一望する高台に広がるグエル公園も、グエルの依頼により、ガウディが48歳の時に着手したものである。共同施設を備えた60戸の分譲住宅地とする予定だったが、資金不足等により未完に終わり、グエルの死後、公園となった。



▲観光客、市民を問わず、グエル公園はいつも多くの人でごった返す

園内には、色鮮やかな破砕タイルをあしらったベンチ、市場になるはずだった列柱ホール、ヤシの木のような脚柱を備えた回廊や陸橋などが点在する。特に、入り口に建つ2棟の建物の屋根は、カタルーニャ生まれの画家ダリが「砂糖をまぶしたタルト菓子のよう」と評したかわいさだ。散策していると次から次へと多彩なオブジェが出現し、テーマパークのようで実に楽しい。さぞや、ガウディは存分に羽を伸ばして設計したのだろう。そう思わせるような場所である。



▲巨大なテラスを縁取るベンチは、実際に職人を座らせて型取りしたという。確かに座れば、体にしっかりなじむ

バルセロナの目抜き通りの1つグラシア通り沿いに建つカサ・バトリョは、ガウディが54歳の時に完成させた集合住宅。色ガラスやセラミックをふんだんに利用したファサード(建物正面)は、これまたお菓子のよう。「しかしまあ、よくもこんなものを……」と思わず感嘆のため息が出てしまう。出窓の形と、そこに設けられた骨のような列柱から、当時の人々はこの建物に「骨の家」「あくびの家」などのニックネームを付けたという。



▲カサ・バトリョの外観。「骨の家」も「あくびの家」も、言い得て妙である

青と白を基調にした内部空間のモチーフは「海底洞窟」だとか。それは、実際に足を踏み入れればうなずける。とにかく直線や角がほとんど見当たらず、どこもかしこもウェーブだらけ。洞窟というより“歪みの世界”に迷い込んだような錯覚に陥る。



▲中央広間はこのように“ぐにゃぐにゃした”空間。平衡感覚を失ってしまう

建設当時、現場を訪れた施主のバトリョ夫妻に対して、建設計画を話すガウディ。施主夫妻は興味深げに傾聴するも、現場を離れると、バトリョ氏が妻に言う。「あの建築家の考えには納得できない」。本来なら、立場的には建築家が下。だがその建築家に面と向かって施主が何も言えないほど、当時のガウディには権威があったのだ。果たして現在、カサ・バトリョはガウディの最高傑作の1つである。


カサ・バトリョから歩いて5分ほどの交差点に建つカサ・ミラは、ガウディがカサ・バトリョ完成の年に着手した高級マンションだ。これも、ホイップクリームを塗りつけた巨大なケーキのような外観だ。うねる外壁は波のよう。バルコニーには複雑な鉄細工が絡みつく。当時の人々は「さすがのガウディも今回はやりすぎだ」とささやき合った。



▲石切り場のような姿から「ラ・ペドレラ」のあだ名が付けられたカサ・ミラ。地元ではもっぱら、そのあだ名で呼ばれている

実は、30代後半の時に地中海の避暑地で、ガウディは人妻に恋をした。彼は彼女に、「いつか地中海の美しさを建築で表現する」と約束したという。恋は成就しなかった。が、彼はその約束を、カサ・ミラで果たそうとしたのだ。ガウディがなぜ独身を貫いたかは不明だが、手掛けた作品に女性にまつわるエピソードがよく出てくることから考えると、恋多き男だったのかもしれない。半面、彼は女性と一度も肉体関係を持たなかったともいわれている。真相は闇のかなただ。

カサ・ミラは室内空間でも、直線や角が極力排されている。カサ・バトリョ同様に、長い間とどまっていると目まいを起こしそうなほどだ。



▲まるで美術館であるかのようなカサ・ミラのエントランスホール

カサ・ミラは建設中、建設基準を大幅に超える違法建築だった。一時、市は取り壊しを命じたが、最終的には記念碑的建築物として法の適用外とした。結果カサ・ミラは、今ではサグラダ・ファミリア教会と肩を並べるガウディの代表作だ。ガウディの権威は施主だけではなく、法さえ圧倒したのである。



▲屋上の煙突や換気塔もこの調子。映画監督のジョージ・ルーカスはこれを見て、「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーと帝国軍兵士を思いついたという

56歳の時、ガウディは再びグエルの依頼で、バルセロナ郊外にあった繊維工業団地の教会建設に着手する。だが、6年目に工事から手を引いたため、完成したのは地下部分のみ。それが、コロニア・グエル地下礼拝堂だ。



▲自然の中にたたずむコロニア・グエル地下礼拝堂。ガウディは周囲の木を切ることを避け、階段のデザインを変更した

未完とはいえ、建物が郊外の自然に溶け込んでたたずむ姿は一見の価値あり。内部のベンチや聖水器のデザインも秀逸だ。また、柱を放射線状に斜めに立て、天井の重さを分散させる内部構造は、後のサグラダ・ファミリア教会に受け継がれている。ガウディ建築の変遷を知るには見逃せない建物である上、のどかな雰囲気に浸ることもできるので、ぜひ足を伸ばしたい。



▲礼拝堂内部の下部身廊。奥に合唱隊席、さらに広報控室がある。ベンチももちろんガウディのデザインだ



そして、ガウディが生涯を捧げたのが、言わずと知れたサグラダ・ファミリア教会。実はこの教会、建設に着手したのはカサ・ビセンス同様、ガウディ31歳の時である。62歳になった頃には、ガウディは他の仕事を一切断り、教会内に寝泊まりするようになる。その姿、みすぼらしい浮浪者のようだったという。まさに、なりふり構わず教会建設に没頭したのだ。ガウディが「神の建築家」といわれるゆえんである。



▲ガウディが生涯を捧げたサグラダ・ファミリア教会

この教会は「生誕」「受難」「栄光」と名付けられた3つのファサードを持つが、完成しているのは東側の生誕のファサードのみ。表面を埋め尽くす彫刻はキリスト誕生を題材にしたもので、その精密さには驚かされる。その驚きは、内部に足を踏み入れても続く。身廊は、円柱の森さながら。ステンドグラスからの光が、木漏れ日のように注ぎ込む。天井は最も高いところで75m。あきれるほどの空間なのである。



▲巨木の群れを思わせるような内部の身廊

また、生誕・受難のファサードにそびえる塔は、いずれもエレベーターで高さ50~60mほどの地点まで登ることができ、そこからはガウディ活躍の舞台となった町を一望できる。ただし、生誕のファサード側の下りは、目のくらむようならせん階段を利用せねばならない。渦巻く階段散策はなかなかスリリングだ。



▲生誕のファサード側の塔内部。のんびり降りてくれば30分ほどもかかる

サグラダ・ファミリア教会にしても、これまで見てきた建築にしても、とにかくガウディ建築は複雑極まりない。さぞや、職人たちも苦労したことだろう。実際、彼の建築は図面で表すことが難しく、建設にあたっては模型が用いられたという。そのためガウディは「図面が描けない」と皮肉られることもあったとか。

そんなガウディは、サグラダ・ファミリア教会の建設を「神からの使命」と信じた。だが、73歳の時に不慮の事故に襲われる。仕事の合間にミサへ向かう途中、路面電車にはねられたのである。道路に身を横たえるみすぼらしい老人に対し、道行くタクシーは病院へ運ぶことを拒否。やっと運ばれた病院でも、浮浪者として放置されたといわれる。その老人が高名な建築家だと気付いた時にはすでに手遅れ。病院収容から3日後に、ガウディは世を去った。

以前は、サグラダ・ファミリア教会の完成には300年はかかるといわれていた。だが、先端IT技術の利用などで、工事がスピードアップ。現在の公式発表では、11年後の2026年に完成するといわれている。自分は完成した姿が見られないと思っていたが、11年後なら十分可能性がある。その姿、楽しみだ。



▲生誕のファサードとは反対側になる受難のファサードの眺め。完成の日が待ち遠しい



最後にせっかくバルセロナを訪れたのなら、もう1つの世界遺産「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」も見ておきたい。ガウディと同時期に活躍した建築家、ルイス・ドメネクが手掛けた病院と音楽堂だ。ガウディより2歳上のドメネクは、ガウディが建築学校の生徒だった当時、その学校で教壇に立っていたという人物である。

グエル邸と同じ旧市街に建つカタルーニャ音楽堂は、とにかく華美の一言。それは外観だけではない。内部も万華鏡のような美しさ。驚くべきことに、天井にまでステンドグラスが施されている。ドメネクは、音楽堂で最も重要な遮音性や音響効果を犠牲にしてまで、装飾美を追求したのだ。カタルーニャ音楽堂には、ガウディに対するドメネクのライバル心が見えるようである。



▲貧しかったガウディとは異なり、ドメネクは上流階級の出身。その広い人脈で、建設には高名な芸術家も多く参加した

採光の美しさが充満する内部は、日中に行われている見学ツアーへの参加が望ましいが、カタルーニャ音楽堂はまだ現役。コンサートが頻繁に行われている。夜のコンサートに足を運べば、日中とは異なる美しさが見いだせるはずだ。



▲宝石箱のような音楽堂内部。天井のみならす、壁も3面がステンドグラスで彩られている

一方のサン・パウ病院は、サグラダ・ファミリア教会からガウディ通りを進んだ突き当りに広がる。広大な敷地に48棟の建物が点在する病院は、黄色やピンクを主体にしたステンドグラス、モザイク、タイルなどが随所に使用され、これまたおとぎの世界のよう。芸術には人を癒やす力があると信じたドメネクが、患者に安らぎを与え、精神的苦痛を取り除くために採用した結果だ。そのため、大病院にありがちな重苦しさなどみじんも感じられない。



▲敷地内の建物はそれぞれ独立して建つが、地下の廊下で結ばれ、自由に行き来できるようになっていた

サン・パウ病院は老朽化のため、2009年に閉鎖。その後は修復作業が行われていたが、2014年に作業が完了した。現在は一般公開が行われているので、ぜひ敷地内を歩いて、“癒やし効果”をとくと感じたい。

バルセロナには他にも、同時代の斬新な建物が多い。その理由は、当時のバルセロナが、スペインの中で一早く産業革命を迎えていたからだ。飛躍的に発展する町は人口が急増し、新たな建築や増改築の必要に迫られたのである。新興ブルジョワは豊かな経済力を背景に、豪華な新建築を次々と建築家たちに依頼。建築家たちは腕をふるって応え、その筆頭がガウディやドメネクだったというわけだ。そして、この「建設の時代」が、バルセロナをスペイン第2の都市に押し上げたのである。


(バルセロナでたどるガウディの軌跡 - JAGZY)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/?P=5

【女の悪意】寺とは何か「教会でもモスクでもありません」と橋爪大三郎氏

2015-01-28 02:51:37 | 今日の御言葉
▼凶事を嘘に「鷽」作り大詰め (2015.1.1 写真)




あらゆる傷の中で、
心の傷ほどいやし難いものはない。

あらゆる悪意の中で、
女の悪意ほど耐え難いものはない。


シラ書〔集会の書〕/ 25章 13節
(旧約聖書 新共同訳)





すべての宗教は、永遠なるもの、
つまりもうひとつの命を信じています。

この地上の人生は
終わりではありません。
終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。


もしも、死は神の家に帰ることだと、
正しく説明されれば、
死を恐れることなどなくなるのです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『日々のことば』より)






★英国国教会、初の女性主教は
「マンU」ファン

◆AFPBB 2015年1月26日 19:23(ロンドン/英国)



【1月26日 AFP】英国国教会で教区の主教に女性として史上初めて指名されたリビー・レーン師が26日、中部の都市マンチェスター郊外のストックポート教区の主教に正式に就任した。

 就任式はイングランド北部にあるゴシック様式のヨーク大聖堂で行われた。レーン師はサックスを演奏することや、地元のサッカークラブ、マンチェスター・ユナイテッドのファンだといった普通の女性であることでも知られている。レーン師は1994年、同教会が初めて女性司祭を認めた年に、夫のジョージ氏とともに司祭に任命された。

 1534年にイングランド王ヘンリー8世が英国国教会を創設して以来、女性が教区の主教に就任するのは初めて。教会内では今も女性を主教とすることをめぐり賛否が分かれ、深い対立がある。レーン師を知る人々は、レーン師ならではのユーモアや良識で、初の女性主教という特別な立場に対して受けるプレッシャーも乗り越えていくだろうと期待している。

(c)AFP/Katherine HADDON




★教会が同性愛者の葬儀でキスシーン再生を拒否、友人ら抗議 米

◆CNN.co.jp 2015年1月15日

http://www.cnn.co.jp/m/usa/35059015-2.html

(CNN) 米コロラド州の教会で行われた同性愛者の女性の葬儀で、教会側がパートナーとのキスシーンを含む動画の再生を断る出来事があり、遺族や友人が抗議の声を上げている。

遺族らによれば、バネッサ・コリアーさん(享年33)の葬儀は10日午前、同州デンバー郊外の教会で行われる予定だった。コリアーさんの友人で遺族の広報を務めるホセ・シルバさんはCNNの系列局KMGHに、「10時には参列者が集まり始めていた。だが10時15分に牧師が、技術的な問題から葬儀の場所を変更すると言った」と語った。

原因はコリアーさんをしのぶために用意されたビデオだった。別の友人がKMGHに語ったところでは、コリアーさんがパートナーとキスしている場面があったため、教会側が式の直前に削除を依頼。だが「遺族はそれを丁重に断り」、近くの葬儀場に会場を変更して欲しいと述べたという。

だが葬儀場の部屋は狭く、参列者が入りきらない事態に。クリスティーナ・ヒグリーさんは「ロビーにもあふれ出してテレビの画面から葬儀を見る羽目になった」と述べた。


これに対し友人らは13日、教会の周辺で抗議活動を行い、牧師に対し謝罪を求めた。別の友人によれば、教会は前日に渡しておいたビデオを紛失、別のコピーを持ってくるよう遺族に頼んだという。「それをチェックして、ようやくキスの場面があることに気がついた」

シルバさんはCNNに対し、教会はコリアーさんが同性愛者であることを前から知っていたと語った。もしビデオを手直しする必要が事前に分かっていたら、対応する方法もあったと彼は言う。

教会からのコメントは得られなかった。


(CNN.co.jp 2015年1月15日)




▲『不思議なキリスト教』橋爪大三郎✖️大澤真幸(講談社現代新書)


★寺とは何か「教会でもモスクでもありません」と橋爪大三郎氏

◆ガジェット通信 2015年1月4日

http://getnews.jp/archives/752716


戦後、新宗教(一般的に幕末~明治以降、現在までに創設されたもの)が勢力を伸ばした背景には、既存の伝統仏教が人々の「救い」になりえなかったという指摘がある。江戸時代に定められた檀家制度を踏襲し、さらには寺院を世襲運営している日本仏教の現状は、世界から見ても特殊だ。改革の必要はないのか。社会学者の橋爪大三郎氏に聞いた。

* * *
現在の「葬式仏教」をやめて、本来の仏教を日本に復興するには、いまの仏教界をスクラップにする、リセットボタンを押さなければならないのでしょうか。

世襲の寺院はつぶして、葬式もやらない。しかしこれでは、新しい仏教がかわりに生まれて来る保証がない。

仏教寺院は現に、日本の葬儀の大部分を担っています。それなりに社会的サービスを果たしている。また貴重な文化財を多く保存してもいる。それを、有無を言わさずリセットするのは、非現実的です。ではどうすればいいのか。

仏教再生の方向をみつけるためには、仏教の根本に戻る以外に、道は見えないと思います。そういう努力がまだまだ足りない。もっとアイデアを出し、議論することが必要です。

たとえば最近、「寺を開こう」というスローガンを掲げ、活動している僧侶たちがいます。お寺を親しみやすい場所に変えようと、境内で各種のイベントを催すなどしたり、手さぐりで運動している。よいことです。

ただ私は、その前に、「寺とはなにか」を突き詰めて考えてもらいたい。寺は教会でも、モスクでもありません。

寺がなければいけないと、経典のどこにも書いてない。寺は仏教の本質と、関係ないのではないか。そこまでさかのぼらないと、人々の深いところに届く運動にならないと思います。

仏教の本質に関係ないことに、価値を認めないようにすべきです。

葬儀はやってもいいが、仏教の本質と関係ない。戒名は、ますます関係ないから、そのことをはっきりさせる。法を説く、という釈尊の活動に立ち帰って、仏教の活動を再組織していく。瞑想や念仏、座禅は、いつどこででもできます。

仏教に関係ないことを削ぎ落とし、もっとも大事なことがらにふさわしい器を造る。仏教再生は、ここから始まるしかないと思うのです。

●取材・構成/小川寛大

※SAPIO2015年1月号

(NEWSポストセブン)

【たいせつな人】キング牧師の遺産 / 病院・教会・葬儀場の3点セット

2015-01-27 02:20:14 | 今日の御言葉
▼無事を祈るモスク
(東京都渋谷区 Sankei 2015.1.23 写真)





兄弟を愛する人は、
いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。

ヨハネの手紙一/ 02章 10節
新約聖書 新共同訳




あなたは
この世にのぞまれて生まれてきた
たいせつな人。

あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと
貧乏であろうと
それは問題ではありません。


あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)




★【産経抄】キング牧師の遺産 1月16日

◆産経新聞 2015年1月16日 05:05



 米アラバマ州モンゴメリーで1955年、一人の黒人女性がバスの座席を白人に譲ることを拒否して、逮捕された。これに抗議する「バス・ボイコット運動」のリーダーに選ばれたのが、マーティン・ルーサー・キング牧師だった。

 ▼新婚まもないキング家には、爆弾が投げ込まれた。キング牧師は、白人側の迫害に屈せず、ボイコット運動を成功に導いた。63年にはワシントンで、「25万人大行進」を実現する。このときの演説にあるのが、あまりにも有名な一節だ。「私には夢がある。私の4人の子供たちがいつの日にか、肌の色ではなく人格によって判断される国に住むことを」。

 ▼きのうはキング牧師の誕生日だった。68年の暗殺を免れ、健康に恵まれていれば、86歳になっていた。誕生日に近い1月の第3月曜日は、米国の祝日になっている。各地で追悼の催しが開かれるはずだ。

 ▼そのキング牧師の子供たちが、遺産争いに明け暮れている。牧師が受賞したノーベル平和賞のメダルは、1000万ドル(約11億7000万円)もの値が付く可能性があるらしい。メダルを売りたい息子2人に娘が反対し、両者の対立は法廷に持ち込まれた。実は9年前にも、牧師の演説草稿など遺品約1万点が、遺族によって売却されている。

 ▼昨年来米国では、白人警官が職務中に黒人住民を相次いで死亡させており、いずれも不起訴処分となった。抗議デモが各地で広がるなか、黒人が白人警官を殺害する事件も起きている。人種間の対立は激しくなるばかりだ。

 ▼キング牧師の夢はいまだ実現せず、子供たちは闘う相手を間違えている。何より悲しいのは、牧師のもっとも大事な遺産といえる、「非暴力の精神」が、ないがしろにされている現実である。

(2015.1.16 05:05)





★【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 
病院・教会・葬儀場の絶妙

◆産経新聞 2015年1月10日 07:36



 年末年始に2週間、ソウルで入院した。胆石で胆嚢(たんのう)摘出などの手術を受けたのだが、韓国での入院体験は初めてでいい経験だった。

 まず病室が5人室だったが韓国人は見舞客が実に多い。家族や友人、知人が入れ代わり立ち代わりでにぎやかだ。特に子供を含め家族の出入りが多く、家族主義(血縁重視)の強さを実感させてくれる。夫婦だと見舞いにきてしばし一緒にベッドに潜り込んで癒やしたりしている。

 日ごろ教会に通っている患者の場合はその仲間が多数やってきて“お祈り”をする。ところが病院内にもミニ教会があって、そこから礼拝案内がきたり牧師が病室に出向く“出前”もしたりしてくれる。病院はソウルでベスト5に入る都心の有力病院だったが宗教系ではない。カーテン越しに隣のお祈りを聞かせてもらったせいか、手術結果も良好で早く退院できた。

 韓国の病院には必ず葬儀場が併設されている。日本人にすれば「縁起でもない」と腰が引けるが、病院・教会・葬儀場の3点セットは絶妙ではある。

 韓国は近年、国策として「医療観光」に力を入れている。得意の美容整形だけでなく一般医療でも外国人歓迎なのだ。緊急入院でそれなりに経費はかかったが、ちゃんとやっていただき困ったことは何もなかった。(黒田勝弘)

(2015.1.10 07:36)




▲2015.1.16 (桑田さん「配慮足りず」)


【死の影】国際ジャーナリスト・後藤健二 ~それでも神は私を助けてくださる~

2015-01-26 01:51:57 | 今日の御言葉
▼「若草山焼き」(奈良県 興福寺) Sankei 2015.1.25



死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。


詩編/ 23編 4節 (旧約聖書 新共同訳)




この世の最大の不幸は、
貧しさでも病気でもありません。

自分が誰からも
必要とされないと感じることです。

マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)






★イスラム国拘束:後藤さん 命守る
「一線」慎重対応 - 毎日新聞

◆毎日新聞 2015年01月21日 21時36分
(最終更新 01月21日 21時49分)


「イスラム国」とみられるメンバーに拘束されたジャーナリストの後藤健二さん(47)は、日本基督(キリスト)教団田園調布教会(東京都大田区)によると、1997年に同教会で洗礼を受け、年に1度ほど礼拝に訪れていた。キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(千代田区)は、後藤さんに月1回のコラムの執筆を依頼していた。1回目の原稿が昨年10月24日にメールで届き、2日後に掲載された。

「戦争に行くという意味」と題したコラムの中で、後藤さんは「最前線で戦う兵士と成り行きを見守るしかない一般市民との間には『見えない一線』というものがあります。戦場を訪れるジャーナリストはそこを行き来します」「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」などとつづっていた。その後、同社は次回のコラムなどについて相談するメールを数回送ったが、後藤さんからの返信は届かなくなった。

テレビ番組製作のため、後藤さんと一緒にリビアなど中東地域を取材したことがあるテレビ東京の福田裕昭解説委員(53)は「とにかく慎重に対応するジャーナリストで、頼りになるパートナー。信じられない」と話す。

福田さんによると、後藤さんはレバノンで戦場ジャーナリストの訓練を受けていた。「平穏だと思っていても、いきなり戦闘地域になることがある。それが戦場では一番怖い」。後藤さんからそんなアドバイスを受けていたという。

パキスタンを中心に活動している国際支援団体代表の喜多村潤さん(29)は「常に現地の人の目線でニュースを伝える人で、それが自分の使命だと強い情熱を持っていた」と話した。【奥山智己、安高晋、三木陽介】



▲トルコとの国境に近いシリア北部の
都市アレッポでの取材風景
(写真:INDEPENDENT PRESS)


★【インタビュー】
国際ジャーナリスト・後藤健二
~それでも神は私を助けてくださる~

◆クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分


混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。日本基督教団田園調布教会の信徒であり、国際ジャーナリストとして活躍する後藤健二さんだ。後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。その様子を、NHKニュースや各ドキュメンタリー番組、テレビ朝日「報道ステーション」、TBS「ニュース23」などを通して伝えている。近年では、主にシリアに出向き、取材を重ねている。

シリアへの出国を翌日に控えた5月27日、後藤さんにインタビューをする機会を得ることができた。柔和な笑顔で出迎えてくれた後藤さんは、「明日、シリアに行ってきます」とどこか楽しい所にでも旅へ行くかのように告げた。今回の取材は、来月3日に控えたシリア大統領選が主な目的だという。「人々の心が乱れ、不安な今だからこそ、日本の人々に訴えたいことがある」とその胸のうちを話してくれた。

「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です。困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」

彼が神の計画のうちに、信仰を持ち、救われたのは、何がきっかけだったのだろうか。きっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。90年代初めの出来事であった。

すでに、国際ジャーナリストとして駆け出していた彼は、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。紛争地に出向くときは、ほとんど一人で飛行機に乗り、現地で通訳やドライバーなどとチームを組む。しかし、日本から一人で危険地帯に出向き、そこで死を迎えるようなことがあれば・・・。

「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。


▲(写真:INDEPENDENT PRESS)

受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を目の当たりにしてきた。当時、混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。どこに泊まるのか、通訳はどうするのか——何もかも決まっていない状況だったが、彼らがすべてを手配してくれた。初めて会った若き日本人ジャーナリストに。

「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」

シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。

最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」

柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。何者かに全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さなのではないかと感じた。人々の心に寄り添った彼のシリアからの言葉に、祈りをもってこれからも耳を傾けていきたい。

(クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分)

http://www.christiantoday.co.jp/articles/13401/20140530/goto-kenji.htm



【証し】生徒ら祈り「奇跡起こって」紛争地の現実伝え続けた後藤さん 迫る期限に募る焦り

2015-01-23 20:35:14 | 今日の御言葉


わたしは、その証しのために
宣教者また使徒として、
すなわち異邦人に信仰と真理を説く
教師として任命されたのです。

わたしは真実を語っており、
偽りは言っていません。


テモテへの手紙一/ 02章 07節
新約聖書 新共同訳






▲玉川聖学院で講演する後藤健二さん (写真 東京都世田谷区)


★日本人殺害脅迫 紛争地の現実伝え続けた
後藤さん 迫る期限に募る焦り

◆産経新聞 2015年 1月23日 7時55分配信




後藤健二さんの著書。
取材対象の子供の写真が表紙を飾っている
(写真:産経新聞)

 ■生徒ら祈り「奇跡起こって」

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人2人の殺害脅迫事件で、23日午後2時50分ごろとされる身代金支払いまでの「72時間の期限」が間近に迫った。「奇跡起きて」。人質のフリージャーナリスト、後藤健二さん(47)と触れ合い、子供の命の大切さを教わった生徒たちは無事に解放されるよう祈る。一緒に人質になっている湯川遥菜(はるな)さん(42)の知人も救出を願った。

                   ◇

 海外で精力的に取材を続けてきた後藤健二さん。その目に映っていたのは、紛争に巻き込まれ、苦難の中で生きる子供たちの姿だ。

 「今、自分が生きているこの時を同じように生きている人(隣人)に、わたしはまず何をしたらいいのか? この本が、そう考えるきっかけになってくれればと願っています」

 内戦が続いていたアフリカ西部シエラレオネの子供兵士らの姿を描き、平成18年に産経児童出版文化賞のフジテレビ賞に輝いた「ダイヤモンドより平和がほしい」(汐文(ちょうぶん)社)のあとがきにはこんな一文が添えられている。

 そして、後藤さんは自分の経験を、日本の子供たちにも伝えようとしていた。

 「無事にご家族の元に帰られますように」「奇跡が起こり解放されますように」。後藤さんが長年講演活動を続けていた女子校「玉川聖学院」(東京都世田谷区)では今、朝の礼拝や夕方のホームルームで、生徒たちが沈痛な面持ちで祈りをささげている。

 後藤さんは10年前から同校の中学3年生に、中東やアフリカの実情を写真などで紹介。教育を受けられなかったり、紛争地で兵士になったりする子供たちの現状を説いてきた。「とにかく無事に帰ってきてくれることを祈るしかない」。水口洋校長(62)によると、事件を知った生徒たちはショックを受け動揺した様子も見られたが、今は誰もが無事に解放されることを強く願っているという。

 児童養護施設「明星園」(長崎市)でも、後藤さんと触れ合った子供たちの思いは一緒だ。

 後藤さんは22年10月、同施設を訪れ、子供たち約40人とカレーを食べた後、紛争地で取材するビデオを見せながら、そこで暮らす子供の話などをしていった。「終始優しい表情で、穏やかな口調で語りかけていた」と奥貫賢治園長(66)。子供たちも「優しいおじちゃんが来た」と、懐いていたという。

 当時5歳で後藤さんと一緒にカレーを食べたことを覚えているという女児は「これからどうなるの」と園長に心配そうに問いかけ、こう祈ったという。

 「後藤さんを助けて」

 大正大(東京都豊島区)では、22年と23年に1年生を対象とした講座に参加。落合崇志(たかゆき)教授(58)によると、黒板に「かけがえない尊い命である」などと書き、「子供の命がどういうふうに失われてしまうのか、といった話をしてくれた」(落合教授)という。

 「自分の見てきたことを伝えたい、子供たちの笑顔を守りたい、という思いを感じた」と落合教授。「ぜひ、また学生たちにシリアの子供たちのことを伝えてほしい」と願った。

(産経新聞 2015年 1月23日7時55分配信)


【不品行】慰安婦問題めぐる西岡氏の著書への損害賠償請求 最高裁が訴え棄却

2015-01-22 21:47:22 | 今日の御言葉


また、不品行と
いろいろな汚れや貪欲などを、
聖徒にふさわしく、
あなたがたの間では、
口にすることさえしてはならない。

また、卑しい言葉と愚かな話や
みだらな冗談を避けなさい。

これらは、よろしくない事である。
それよりは、
むしろ感謝をささげなさい。


「エペソ人への手紙」‬ ‭5‬章3-4‬節
(新約聖書 口語訳)



父母は子供が優れているから
愛するのではありません。

子供であればこそ
優れていようが愚かであろうが
愛するのです。

病身の子を持つ親が子供以上に
つらいのと同様に
神様の愛の心情は
皆さんが優れているいないということを
超越しているのです。




▲請求が棄却された高木健一弁護士

★慰安婦問題めぐる西岡氏の著書への損害賠償請求 最高裁が訴え棄却

◆産経新聞 2015年1月15日 18:12



 慰安婦問題をめぐる書籍の記述で名誉を傷つけられたとして、弁護士の男性が著者の西岡力・東京基督教大学教授と出版元の草思社に1千万円の損害賠償や出版差し止めを求めた訴訟で最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は、男性側の上告を退ける決定をした。男性側の敗訴が確定した。決定は14日付け。

 西岡教授は平成19年と24年に草思社から「よくわかる慰安婦問題」など慰安婦問題に関する書籍を2作品発表した。この中で、原告男性を「事実を歪曲しても日本を非難すればよいという姿勢」などと論評した。

 1審東京地裁は昨年2月、「記述の前提事実の重要な部分が真実であるか、または真実と信じたことに相当な理由がある。公益を図る目的で執筆されており、論評の域を逸脱するものではない」として原告の訴えを棄却。2審東京高裁も1審を支持した。


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▲すべて、こいつらのせい。
※ 往生際が悪い
(左側から、植村隆、福島みずほ、
高木健一、河野洋平氏。写真)



★元朝日記者、
植村氏が文芸春秋などを提訴 東京地裁

◆産経新聞 2015年1月9日 17:49


会見で勤務する大学に届いた手紙を見せる元朝日新聞記者の植村隆氏=9日、東京・霞が関の司法記者クラブ(早坂洋祐撮影) 

「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などとの指摘で名誉を傷つけられたとして、朝日新聞元記者の植村隆氏(56)が9日、文芸春秋と東京基督教大学の西岡力教授を相手に計1650万円の損害賠償と謝罪記事の掲載などを求める訴えを東京地裁に起こした。




 訴状によると、朝日記者だった植村氏が平成3年8月、韓国人元慰安婦とされる女性の証言を初めて掲載した。「意図的に事実を捏造した」と批判する西岡氏の論文や、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との見出しが付いた昨年2月6日号の週刊文春の記事などについて「植村氏や家族への敵意をあおり立てた」としている。提訴後に東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した植村氏は「司法の場で私が捏造記者でないことを証明したい。不当なバッシングには屈しない」と述べた。




 提訴を受け、週刊文春編集部は「記事には十分な自信を持っている」とコメント。西岡氏は「言論人が言論で批判されたのであれば言論で返すべきではないか。なぜ訴訟に出たのか理解できない。私の指摘は言論の自由の範囲内と考えている」と話した。

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▲『よくわかる慰安婦問題』西岡力 (草思社 写真)

【接ぎ木】霧の海、浮かぶ教会 天草市河浦町・崎津地区

2015-01-21 22:23:43 | 今日の御言葉
▼1万個の願い(2015.1.20 Sankei)




彼らも、不信仰にとどまらないならば、
接ぎ木されるでしょう。

神は、彼らを再び接ぎ木することが
おできになるのです。


「ローマの信徒への手紙」/ 11章 23節
(新約聖書 新共同訳)




本当に愛したいと思うなら、
痛みを覚えるまでに
与えなければなりません。

そうすれば、
わたしたちの愛は、
私たち自身から自由になり、

他の人々にとって、
信じるに足るものとなります。


マザーテレサ

(マザーテレサ『100の言葉』より)



★霧の海、浮かぶ教会 天草市河浦町・崎津地区-熊本のニュース
│ くまにちコム

霧の海、浮かぶ教会 天草市河浦町・崎津地区 2015年01月18日

◆熊本日日新聞2015年1月18日




▲厳しい冷え込みで蒸気霧が発生した崎津集落=18日午前7時半ごろ、天草市河浦町

県内各地で厳しい冷え込みとなった18日、天草市河浦町の崎津地区では早朝から蒸気霧が発生し、海辺の集落が霧に浮かび上がる幻想的な光景が広がった。

蒸気霧は主に冷え込んだ朝に見られる現象で、暖かい海水から出た水蒸気が冷たい空気に冷やされて発生する。別名「気嵐[けあらし]」。

熊本地方気象台によると、この日の最低気温は同市牛深で1.8度となるなど各地で平年を下回る冷え込み。崎津集落が面した羊角湾では、午前6時半ごろから徐々に霧が発生。空が明るくなるにつれて“白い海”に崎津教会などが浮かび上がり、訪れたアマチュアカメラマンらが熱心に撮影していた。(石本智)





★九州・福岡県でロシア正教会の建設始まる

◆VOR(ロシアの声) 2015年1月15日


Photo: RIA Novosti

九州・福岡県宗像市で、ロシア正教会の建設が始まった。建設費用は、ヴォロネジ出身の女性ヴィクトリアさんの家族が出している。14日付の新聞「アルタイスカヤ・プラウダ」が報じた。

ヴィクトリアさんは、数年前にヴォロネジから日本にやって来た。

日本人を愛し、彼との結婚を決めたのだった。しかし彼女の母は「新郎が正教の洗礼を受けなければ、娘は嫁にやれない」と厳しかった。そこで日本人男性は、正教徒となり、洗礼名フョードルを得た。めでたく結婚した2人は、3人の子宝に恵まれた。そして一家は、フョードルが宗像に正教会を建てようと決心するほど、敬虔なロシア正教徒に成長した。

教会建設のプロジェクトを担当しているのは、アルタイの建築家、ピョートル・アニスィフォロフとタチヤナ・ディヤコワだ。教会は、有名なアルタイ山脈の杉を使って建てられる。教会の建物はまずアルタイで作られ、解体されて日本に運ばれる。なお教会には、日本で布教活動を展開した聖ニコライ・ヤポンスキイの名が付けられる。

教会は、今年11月に完成する予定だ。


(九州・福岡県でロシア正教会の建設始まる - News - 日本関連 - The Voice of Russia )
(http://japanese.ruvr.ru/news/2015_01_15/282113008/)
(VOR(ロシアの声) 2015年1月15日)



▲白蓮をモデルした
葉山蓮子役を演じる仲間由紀恵 (左側)
※2014年NHK朝の連続ドラマ小説
『花子とアン』より
http://www.youtube.com/watch?v=WnIyN66IHOM&sns=em



★白蓮、直筆色紙で荒尾の教会設立支援-熊本のニュース
│ くまにちコム
白蓮、直筆色紙で荒尾の教会設立支援

◆熊本日日新聞 2015年01月10日




▲柳原白蓮が教会建設の資金として送った直筆の色紙=荒尾市の宮崎兄弟資料館



▲咋夏まで幼稚舎として利用された教会(左)=荒尾市

荒尾市出身の社会運動家宮崎龍介の妻で歌人の柳原白蓮が、昭和20年代に同市内のキリスト教会の建設資金にしてもらうため和歌を記した直筆の短冊と色紙計100枚を送っていたことが市教委の調査で分かった。市に寄贈された色紙2枚を14日から宮崎兄弟資料館で展示する。

送り先は、龍介の父・滔天[とうてん]の兄民蔵の長女の貞[てい](1893-1983年)。市教委や同資料館などによると、貞は東京で英語教師をしていたが、母親の看病で戦後、荒尾に戻り英語を教えた。

クリスチャンだった貞は、荒尾になかった教会設立を目指して寄付を募る一方、白蓮の色紙や短冊を売って資金を確保。1952年ごろ同市増永に教会を建てた。幼稚園を兼ねており、初代園長も務めた。

教会は昨夏まで園舎として利用されたが、老朽化により12日から取り壊され、建て替えられる。現荒尾めぐみ幼稚園の星のぞみ園長(65)は「貞さんと白蓮さんの交流でできた教会と園の歴史を大切にしたい」と話す。

市教委は「色紙は荒尾と白蓮の密接なつながりを示す貴重な史料」として、宮崎4兄弟の長兄八郎が父親に宛てた書簡などと一緒に3月1日まで展示する。(中原功一朗)



▲2015.1.20号外 (写真)

【彼女がくれた愛】NHK2015年度後期朝ドラ 「あさが来た」、主人公は広岡浅子

2015-01-20 21:56:22 | 今日の御言葉
▼吾妻山公園(神奈川県二宮町)2015.1.16 Sankei



わたしには、
あなたがたに言うべきことが
まだ多くあるが、
あなたがたは今はそれに堪えられない。

けれども真理の御霊が来る時には、
あなたがたをあらゆる真理に
導いてくれるであろう。

それは自分から語るのではなく、
その聞くところを語り、
きたるべき事を
あなたがたに知らせるであろう。


「ヨハネによる福音書」 16章12–13節
(新約聖書 口語訳)




私は愛情のすべてを注ぎ、
できる限りの世話をしました。

そしてベッドに寝かせてあげた時、
彼女は私の手を取り、
美しく微笑んだのです。

こんなに美しい笑顔を、
私はそれまでに見たことが
ありませんでした。


「ありがとうございました」


彼女はそうひとこと言って、
静かに息を引き取ったのです。

そんな彼女の死を目の当たりにして、
私は自分に問いかけてみました。


「私が彼女だったら、どうだろう?」


私は正直に答えを出してみました。


「人の気をひこうとして、

『痛い』とか『お腹が空いた』とか
『死にそうだ』とか

言ってしまうかもしれない、、、」


彼女は私に愛をくれました。

彼女は、私が彼女にしてあげた
何倍ものものを、与えてくれたのです。

私たちのところにいるのは、
こういう人々なのです。

この貧しくも美しい人々は、
何も私の所にだけいるのでは
ありません。

誰の側にも必ずいるはずです。

孤独な人はどこにでもいます。
あなたはそのことに
気づいているでしょうか?


マザーテレサ
(『「愛」という仕事』より)





★NHK2015年度後期朝ドラ
「あさが来た」、主人公は広岡浅子
クリスチャンの女実業家 :

★クリスチャントゥデイ 2015年1月19日



NHKは14日、93作目となる2015年度後期の朝の連続テレビ小説が「あさが来た」に決まったと発表した。舞台は大阪で、"朝ドラ"初となる江戸時代、幕末からスタートする。主人公のモデルは、明治の女傑と呼ばれる「広岡浅子」。原作は、古川智映子の『小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯』だ。

「八重の桜」の新島八重、「花子とアン」の村岡花子、「軍師官兵衛」の黒田官兵衛、「マッサン」のエリー(竹鶴リタ)と、ここ数年のNHK大河ドラマ、朝の連続テレビ小説の主人公がクリスチャンであることは、さまざまな場面で話題になっているが、広岡浅子もクリスチャンだ。

広岡浅子は、明治・大正を代表する女性実業家で、1850年、京都に生まれる。富豪・三井高益の三女として、女性らしく、和歌や書道、茶華道などを学ばせられた。だが、生まれつき勝気だった浅子は、「女子も人間です。人間は学問をしなければなりません。女子にも学ぶ機会さえ与えられれば、必ず修得する頭脳はあります」と、事あるごとに両親に反抗して育ったという。

当時は上流階級の子女でも、女性の学問は軽んじられ、学校教育を受けられなかった。この幼少期の経験が、浅子の人生に大きな影響を与えたようだ。

17歳で、大阪の富豪・加島屋の当主、浅岡久五郎に嫁ぐ。夫は花柳界に入り浸りだったが、浅子は泣き寝入りなどせず、「もしあなたが世間並みの道楽をしたら、広岡家を出て行ってもらいます」と言い渡し、坊ちゃん育ちの夫に代わって実業界に身を投じていくことになる。

幸い夫は非常に優しく、温厚な人格者で包容力があり、浅子の好きなようにさせてくれた。むしろ夫の支えがあったからこそ、浅子の才能が存分に発揮されたとも言われており、今回のドラマ化にあたっても、「激動の時代を生きた夫婦の愛の物語」として大胆に再構成されているところが見どころだ。

浅子は、簿記、算術、法律、経済など実業に必要な幅広い知識を独学で修得し、鉱山と銀行の経営にあたった。数字に強く、先を読む力のあった浅子は、大同生命の創業にも携わっている。

学識だけでなく、教養も身に付け、男に負けない度胸を持っていた浅子には、数多くのカリスマ的伝説が残されている。明治維新により、幕藩体制が崩壊し、大阪の富豪たちが資金問題で次々と没落していく中、若干20歳の浅子は、夫を奮い立たせ、諸藩の屋敷を訪ね回って直接貸金を回収。担当していた鉱山にも現場監督のため実際に足を運び、護身用の2丁のピストルを携えて、暗い坑道に入って行ったという。

40代後半に、大阪で最初に女子教育に乗り出した、成瀬仁蔵という人物と出会う。米国の教育事情に影響を受けた成瀬は、梅花女学校を運営しつつ、理想の女子大学設立を目指していた。女子高等教育の必要を主張する成瀬に共鳴した浅子は、資金援助を含めた最高の後援者となる。そして、1901年、東京の文京区に誕生したのが、日本女子大学校、現在の日本女子大学である。

夫の死後、娘婿に事業を譲り、浅子は女性の人権・地位向上に尽力する。特に、売春問題に苦しむ女性の救出に力を注ぎ、大阪愛国婦人会の指導者として国策にも協力した。

また、成瀬の影響もあって、1911年、大阪YMCAの先駆者である宮川経輝牧師から洗礼を受けて、熱心なクリスチャンとなった。日本キリスト教女子青年会(YWCA)中央委員や、大阪YWCA創立準備委員長を務め、『婦人新報』などに評論を掲載するなどして、1919年の晩年まで宗教活動に従事した。

連続テレビ小説「あさが来た」は、2015年9月28日(月)~2016年4月2日(土)まで、全156回で放送予定。

(NHK2015年度後期朝ドラ「あさが来た」、主人公は広岡浅子 クリスチャンの女実業家 : 文化 : クリスチャントゥデイ)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15079/20150119/nhk-asagakita-hirooka-asako.htm

▼2015.1.16 Sankei


★“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?
〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

◆dot.ドット 朝日新聞出版 2014年10月30日



秋篠宮家の次女、佳子さま(19)が学習院大学を辞め、AO入試に挑んだことで話題の国際基督教大学(ICU)。結果はまだ公表されていないが、迎えるためにはやはり大学側も、入念に準備するのだろう。

ところでなぜ、佳子さまと眞子さまの姉妹は、キリスト教精神に基づく大学を選んだのか。天皇は天照大神の子孫とされ、一切の神儀祭事は神道にのっとって実施されている。だが、皇室とキリスト教の関係を調べると、公開されたばかりの「昭和天皇実録」に興味深い記述がいくつか見受けられる。

まずクリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争のころにすでに皇室にあった。戦後、A級戦犯が処刑された1948年ごろには、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたと記されている。

また、実録ではこんなエピソードを伝えている。皇太子(いまの天皇陛下)が結婚する際、皇太子妃(美智子さま)がミッション系の聖心女子大出身だったことから、「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

京都産業大学の所功名誉教授(日本法制文化史)が解説する。

「皇室とキリスト教の関係を、狭い宗教の観点から考えると事実を読み違えるでしょう。明治以降、欧米からさまざまなことを学びながら近代化してきた中で、キリスト教もひとつの西洋文化として、柔軟に受け入れてきたのです」

その流れは現代まで脈々と続き、眞子さまと佳子さまがICUを目指すことになったのは、何の不思議もないことなのだ。そんな歴史と伝統を受け継ぎながら、学習院という皇室の「殻」を破った佳子さまの新たな青春のスタートが待たれる。

※週刊朝日 2014年11月7日号より抜粋


“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?
〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html



※最下段 2015.10.18 産経新聞 記事より


【すべての人に】マニラ 法王ミサに600万人 / スリランカの式典に100万人

2015-01-19 17:31:21 | 今日の御言葉



また、わたしたちが道に外れた
悪人どもから逃れられるように、
と祈ってください。

すべての人に、
信仰があるわけではないのです。

テサロニケの信徒への手紙二/ 03章 02節
(新約聖書 新共同訳)




もし、貧しい人びとが
飢え死にするとしたら、

それは神がその人たちを
愛していないからではなく、

あなたが、そして私が、
その人たちにパンを、服を、

そして愛を、思いやりを
あたえなかったからなのです。

マザーテレサ

(『あふれる愛』より)





▼フィリピンの首都マニラで、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が主宰する野外ミサに集まった人々(2015年1月18日撮影)。(c)AFP/GIUSEPPE CACACE



★ローマ法王が訪比 台風被災地訪問へ 
アジア最大のカトリック国

◆産経新聞 2015年1月15日 20:32



▲15日、フィリピンを訪問したローマ法王フランシスコ(AP)

 【シンガポール=吉村英輝】ローマ法王フランシスコは15日、スリランカ訪問を終え、アジア最大のカトリック国、フィリピンに到着した。同国の信者は国民の8割を占めるが若者のカトリック離れも指摘され、他のキリスト教派が伸長している。法王は台風の被災地も訪れ、人口増加と経済成長が続くフィリピンでの勢力基盤をテコ入れする。

 ローマ法王のフィリピン訪問は、1995年のヨハネ・パウロ2世以来、20年ぶり。18日に特別ミサが行われる首都マニラには、信者ら600万人が殺到すると予想される。警備などのため首都圏では法王が滞在する19日まで、5連休の措置がとられる。

 16世紀のスペイン統治開始以来カトリックが定着するフィリピンは、ブラジル、メキシコに次ぐ世界第3位、7421万人のカトリック信者を抱える(2010年国勢調査)。人口に占める割合も83%と高い。

 カトリック教会は政治力も強く、アキノ大統領は、カトリックが認めない避妊具の使用などを促進する人口抑制法を、2013年にやっと施行できたほどだ。

 一方、カトリック以外のキリスト教は10%ながら新たな信者の獲得に熱心だ。「福音派」は00年から10年で15%増の247万人、地元で誕生した「イグレシア・ニ・クリスト」も同じく28%増の225万人と信者を増やしている。これら新興の教派は、テレビやネットを駆使した布教活動などで若者らを引きつけ、地方でも勢力を広げている。

 法王は17日、2013年に死者・行方不明者計約7300人を出した台風30号の被災地、中部レイテ島のタクロバンを訪問し、家族愛や気候変動問題に言及する見通しだ。昨夏の韓国訪問に続く今回の歴訪で、アジア重視の姿勢がさらに鮮明になった。

(産経新聞 2015年1月15日)



▲スリランカ・コロンボでの列聖式に到着し、集まった信者らに手を振るローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(2015年1月14日撮影)。(c)AFP/LAKRUWAN WANNIARACHCHI


★ローマ法王がアジア歴訪、
スリランカの式典に100万人

◆AFPBB 2015年01月15日 08:26
(コロンボ/スリランカ)
http://www.afpbb.com/articles/-/3036544?pid=15075262%20AFPBB%20News


【1月15日 AFP】
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は13日、スリランカに到着し、アジア歴訪を開始した。翌14日には同国の主要都市コロンボで、17世紀の宣教師ジョセフ・ワーズを同国初の聖人とする列聖式を主宰。地元警察によると、同市の公開儀式としては過去最多の推定100万人が参列した。

 ワーズは、オランダの植民地だった当時のスリランカで、カトリック聖職者の島への立ち入りが禁じられていた中、物乞いに扮して村から村へと宣教活動を行った人物。スリランカ訪問の主な目的を内戦後の国民の和解としている法王は、コロンボでの説教で、困窮した人たちにその人の信仰にかかわらず助けの手を差しのべたワーズは「和平のため宗教的な分断を超えることの重要さ」を示したと語った。

 スリランカの人口2000万人余りの大半は仏教徒で、カトリック教徒はわずか6%だが、カトリック教会は少数派タミル人と多数派シンハリ人の双方に信者を持っていることから、人々を統合させる力を持っているとみられている。

 法王はスリランカの次に、アジア一のカトリック教徒人口を持つフィリピンを15日から訪問する予定。

(c)AFP/Jean-Louis DE LA VAISSIERE, Claire COZENS



▲スリランカ・コロンボで、列聖式を前に病気の子どもにキスをするローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(2015年1月14日撮影



★教皇、スリランカでヨセフ・ヴァズの列聖式

バチカン放送局2015年1月14日




▲教皇フランシスコ、スリランカ・コロンボでヨセフ・ヴァズの列聖式 - AFP


教皇フランシスコは、14日、訪問先のスリランカで列聖式を行われた。

コロンボ滞在2日目、教皇はスリランカでの最初の宗教行事として、インド洋に面した緑地帯、ゴール・フェイス・グリーンでミサを捧げられ、この中で同国の宣教に尽くしたヨセフ・ヴァズを列聖された。

ヨセフ(ジョセフ)・ヴァズ(1651-1711)は、当時ポルトガル領であったゴア(インド)の、ポルトガル系の家庭に生まれた。

1676年、ゴアで司祭に叙階され、後にフィリッポ・ネリのオラトリオ会に入会。当時、オランダの支配下にあったセイロン島(現在のスリランカ)で、カトリックの司祭たちが追放され、司祭が数十年間いないことを聞いたヴァズ神父は、セイロン島に潜入し、物乞い等に変装しながら、各地に潜伏していたカトリック信徒たちを探し出した。

病気や、逮捕、投獄など幾多の困難を乗り越えて、ヴァズ神父は宣教を続け、オラトリオ会の仲間たちの協力を得て、シンハラ語でキリスト教書籍を翻訳したほか、信徒の共同体に礼拝堂を作り、カテキスタや信徒の育成を行なった。

また、病者の世話をし、疫病の蔓延を防ぐための指導と支援を行い、現地の仏教徒たちとも地道に信頼関係を築いた。福音宣教にすべてを捧げ、疲労で動けなくなったヴァズ神父は、1711年、セイロン島のキャンディで、59歳で帰天した。

ヴァズ神父は、1995年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

この日、教皇フランシスコによってとり行われたミサには、およそ50万人の信徒らが参加、スリランカにおける偉大な宣教者の列聖を祝った。

教皇はミサの説教で、ヴァズ神父の宣教者としての素晴らしさは、その言葉と生き方そのものを通して人々を信仰へと導いたことにあるとしながら、聖ヨセフ・ヴァズに、スリランカの人々に対する神の愛と優しさの体現を見ることができると話された。

また、ヴァズ神父から、わたしたちは聖性に生き、和解の福音のメッセージを証しすることへの励ましを得るとも教皇は述べられた。

教皇は聖ヨセフ・ヴァズを模範また師と仰ぐべきこととして、3つの点を挙げられた。

一つは、イエス・キリストがいかなる場所でも知られ愛されるようにと、辺境に赴き、福音のためにあらゆる苦労をしのびながら、神の教会のために尽くす、ヴァズ神父の模範的な司祭としての姿。

次に、ヴァズ神父自身が神への愛に心を完全に開いているがために、平和への奉仕のために宗教の違いを乗り越え、助けを必要とするすべての人々と神の愛を分かち合うことができたこと。

そして、カトリック信者だけでなくすべての人々に福音的な愛徳をもって接し、多宗教という環境の中で、尊重と献身、忍耐と謙遜をもって福音の真理と素晴らしさを伝えた、聖ヨセフ・ヴァズの熱心で勇気ある宣教者としてのあり方、を示された。

聖ヨセフ・ヴァズの模範に倣い、信仰に強められ、この国の社会により平和と正義と和解がもたらされるよう貢献して欲しいと、教皇はスリランカのキリスト教徒に願われた。


(バチカン放送局2015年1月14日)



▼16日、フィリピンの首都マニラの大聖堂でフランシスコ・ローマ法王が執り行ったミサの最中、スマートフォンを掲げる神父。法王の姿を収めようと厳粛な場で思わずパチリ。 【AFP=時事】(2015-01-18)

【戒め】阪神・淡路大震災20年、 思い新たに被災地で追悼記念行事

2015-01-18 22:10:23 | 今日の御言葉



神を愛する者は、
兄弟をも愛すべきである。

この戒めを、
わたしたちは神から授かっている。


‭「ヨハネの第一の手紙」‬ ‭4章21節
(新約聖書 口語訳)




そして、不親切で冷淡でありながら
奇跡をおこなうよりは、

むしろ親切と慈しみのうちに
間違うほうを選びたい。


マザーテレサ

(マザーテレサ『あふれる愛』)



★阪神・淡路大震災20年、
思い新たに被災地で追悼記念行事

◆クリスチャントゥデイ 2015年1月17日09時51分




▲阪神・淡路大震災の3周年を機に、
被災者を中心とした
ボランティアグループによって
始められた「1・17のつどい」は
今年で17回目。

例年、竹灯籠にろうそくを灯して
「1・17」を形作り、
発生時刻の午前5時46分には
黙祷をささげている。(写真:神戸市)



阪神・淡路大震災が発生してから、17日で20年を迎えた。国内の観測史上初となる震度7(マグニチュード7・3)の大地震が兵庫県南部を襲い、死者6434人、住宅被害約64万棟、被害総額約10兆円と、甚大な被害をもたらした。

神戸市中央区の東遊園地では、午前5時から「阪神淡路大震災1・17のつどい」が始まった。「1・17」の形に並べた竹灯籠にろうそくが灯され、地震発生の午前5時46分には黙祷がささげられた。また、神戸市出身の音楽教諭・臼井真さんが復興への願い込め作詞・作曲した「しあわせ運べるように」を、福音歌手の森祐理さんが独唱。午後からは、東日本大震災の犠牲者を追悼するため、竹灯籠を「3・11」の形に変え、東日本大震災が発生した午後2時46分、また午後5時46分に再び黙祷の時を持つ。震災20年を覚えるこの集いでは、午後9時までさまざまな催しが続く。

震災で当時大学4年生だった弟を亡くした森さん。「失望を希望に変えたい」と、多くのボランティアの協力を得て、震災発生から約2カ月後、日本福音ルーテル西宮教会(西宮市宮西町)で「希望の翼コンサート」を開催した。その後、1997年まで30回余りにわたって同コンサートを被災各地で開催し、被災地の人々を慰めた。自身が親善大使を務める日本国際飢餓対策機構のニュースレターでは特別寄稿を寄せ、「瓦礫の中や炊き出しの列の前で歌ったことが昨日のように思い出されます」と震災20年を振り返っている。


▲地震で倒壊した
国道43号線岩屋交差点(神戸市灘区)の復旧の経過。
上から、震災当時(95年)、
復旧工事の様子(96年)、
復旧後(99年)(写真:神戸市)


「弟の命が土台となり、天国への希望を届ける熱意となっていることを思うと、死は終わりでなく、地に撒かれた種として何倍もの実を結ぶものだと改めて思わされています」と森さん。「20年の節目を迎え、この世での命が終わる日まで、弟の命の分までも託された使命を全うしていきたいと、決意を新たにしています」と、寄稿で語っている。

17日午前には、HAT神戸・なぎさ公園(神戸市中央区)で行われる「ひょうご安全の日のつどい」で出演するほか、午後にはピフレホール(同市長田区)で行われる第20回阪神大震災メモリアル集会でも歌う予定だ。

震災時に生まれた子どもも、今年でちょうど20歳を迎える。「1・17のつどい」は今年、神戸市の成人の祝いと連携しているという。「震災時に生まれた子どもも20歳を迎えたと報道で読み、時の速さに驚きます」と語るのは、奈良県生駒市にある生駒聖書学院の榮義之学院長。震災の朝、下からズンと突き上げるような衝撃を感じ、飛び起きたという。ニュースで地震の大きさを知り、神戸から来ていた神学生の家も半壊する被害に遭った。その日の夕方、近くの生駒山に登ると、神戸方面が真っ暗な中、所々で火が燃えているのが見えたという。被災者の守りと平安、そしてこの災害がどんな形であれ益となるよう、山の上で祈りをささげたという。

榮氏の母校でもある同学院は今年で創立86年。現在の土地に建てられたのは、死者10万人余りを出したといわれる関東大震災(1923年)のためだという。創設者の英国人宣教師レオナード・W・クート氏は、当時横浜で宣教活動をしていたが、震災で全てを失い関西へ移住。そのため現在の生駒の地に聖書学院が建てられることになった。また、榮氏が生まれ育った種子島の鴻之峰(こうのみね)は、桜島の噴火で村を失った人々が移り住み、切り開かれた土地だという。



▲地震により倒壊した
兵庫県薬剤師会の建物
=1995年1月17日、
神戸市中央区で(写真:神戸市)


故郷、母校共に「大災害」がそのはじめにあった榮氏。「東日本大震災、御嶽山噴火など、さまざまな出来事がどう益になるかは軽々しく言えませんが、阪神大震災の中を神戸まで歩きながら、復興と回復を祈ったことを思い起こしながら、すでに大きな祝福が注がれ、阪神地区にリバイバルの足音を感じる記念日です」と言う。

17日は、被災地域の教会、キリスト教主義学校でも、震災20年を記念した追悼礼拝やミサ、行事が多数予定されている(関連記事:阪神・淡路大震災、きょうで20年 教会やキリスト教大学でも追悼礼拝やミサ、コンサートなど)。

また、地元の神戸新聞が市民団体のまとめとして伝えたところによると、一般市民による追悼行事は110件に上り、過去最多。正午には、100を超える教会や寺院が鐘を鳴らし、神戸港に入港中の船が一斉に汽笛を響かせるという。

神戸市は、市が保有する阪神・淡路大震災の発生直後や復旧・復興の様子を捉えた写真約1000枚を、オープンデータとして公開。特設サイトを設けて一般に広く公開することで、20年の節目を機に、震災の経験や教訓を継承しようとしている。


(2015年1月17日09時51分記者 : 内田周作)




★阪神・淡路大震災、
きょうで20年 教会や
キリスト教大学でも追悼礼拝やミサ、
コンサートなど : 社会 :

◆クリスチャントゥデイ2015年1月18日


1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から17日で20年となる。被災した地域の教会やキリスト教主義の大学では、追悼礼拝やミサ、コンサートなどが行われ、メッセージや祈りで思いを表そうとしている。

カトリック神戸中央教会(神戸市中央区)では、午前5時40分頃から追悼の祈り、同6時45分から朝のミサ、同11時から前田万葉大司教の司式による大阪大司教区主催の阪神淡路大震災20年記念追悼ミサが行われ、午後3時からはテレマンアンサンブル・チャリティーコンサートが行われる。

夙川聖書教会リバーサイドチャペル(西宮市大井手町)では、午前5時15分から、「復興の十字架」をメッセージテーマに、阪神・淡路大震災20周年祈念早朝礼拝が行われる。同5時46分には黙祷をささげ、祈り、賛美、祈念演奏、説教などが行われる。同教会では「キリスト信仰の有無にかかわらず、20年目のあの時を深い思いを持って迎えるすべての方に開かれています。『あの時』を教会で祈りの内に過ごしましょう」としている。

日本キリスト改革派板宿教会(神戸市須磨区)では、午前10時から「再会・再生・再出発」と題して阪神・淡路大震災20周年記念会を開く。また、神戸聖ヨハネ教会(同)では、午前10時半から日本聖公会神戸教区による阪神・淡路大震災20周年記念礼拝が行われる。

聖成基督教団イエス・キリスト聖成伝道教会(神戸市長田区)では、午後2時から阪神・淡路大震災20年追悼賛美コンサートを行い、御影神愛キリスト教会(同市東灘区)では、18日午前10時半から阪神・淡路大震災追悼記念礼拝を行う。

キリスト教主義の大学では、関西学院大学(西宮市上ケ原)が、17日午後0時半からランバス記念礼拝堂で記念礼拝、同1時15分から関西学院会館「光の間」でシンポジウムを開催する。また、同会館レセプションホールでは、18日午後2時~4時半に、阪神大震災と東日本大震災を覚えてのチャリティーイベント「K.G. OB&OG JAZZ ALL DAY LONG」を開催する。

神戸女学院大学(同市岡田山)も、阪神・淡路大震災20年を覚えて、19日午前10時35分からのチャペルアワーで記念礼拝を行うほか、23日まで講堂横廊下でのパネル展示を開催中だ。

(クリスチャントゥデイ2015年1月18日)





★宗教宗派超え犠牲者に祈り 神戸の教会 NHKニュース

◆NHK news 2015年1月17日



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阪神・淡路大震災の火災で全焼し、その後、建て替えられた神戸市の教会では、宗教や宗派を超えて犠牲者に祈りがささげられました。

神戸市長田区の「カトリックたかとり教会」は、震災の火災で、キリスト像を残して全焼しましたが、その後、敷地に集会所が設けられ、ボランティアの活動拠点になりました。

教会は、8年前に再建され、毎年1月17日に宗教や宗派を超えて犠牲者に追悼の祈りをささげています。

教会の礼拝堂には、17日午前5時半ごろからキリスト教徒だけでなく仏教の関係者や地域の人たちなどおよそ200人が集まって追悼式が行われ、まず、全員で聖歌を歌いました。

そして、午前5時46分、参加者たちは火をともしたろうそくを手に黙とうしました。

また、さまざまな宗派の僧侶がほら貝を鳴らしたり、お経を読み上げたりするなか焼香が行われ、震災の犠牲者に祈りをささげていました。

この教会では、復興支援に携わったボランティアの人たちの思いをつなごうと「コミュニティセンター」が設けられ、今もボランティアが集う場所となっています。

震災で兵庫県西宮市の自宅が半壊し、今は姫路市に住む57歳の男性は、「20年は長かったようで短かったです。犠牲になった人たちの分も生きていかなくてはならないと、改めて強く思いました」と話していました。

また、神戸市中央区の58歳の女性は、「20年がたちましたが、いまだに心に傷を負っている人は多いです。これからも、あの大震災を風化させないことが大事だと思います」と話していました。

(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150117/k10014754161000.html)


★【阪神大震災20年】カトリック教会で般若心経、ホラ貝…神戸・長田区のたかとり教会 - 産経WEST

◆産経新聞 2015年1月17日


ボランティアの活動拠点となった神戸市長田区のカトリックたかとり教会には仏教の祭壇も並べられた。被災者や当時のボランティアら約300人が宗教の違いを乗り越え、犠牲者の冥福を祈った。

午前5時半、聖歌の斉唱や聖書の朗読が始まり、5時46分には、ホラ貝の音が鳴り響く中、犠牲者へ黙祷がささげられた。その後、参列者は般若心経が読み上げられるなかで焼香を上げた。

被災直後に福島県いわき市からボランティアに駆けつけ、20年ぶりに教会を訪れたという布川道照さん(47)は「まちはきれいになっても、心の中はまだ立ち直れていないと感じた」と話した。自身も東日本大震災で自宅が全壊したといい、「このような災害がないことを祈った」と話した。

(産経新聞 2015年1月17日)




※最下段の画像記事は2015.1.17。
他は、2015.1.16 。全て産経新聞。

【祈り】ローマ法王、 フィリピン到着 20年ぶり訪問/「表現の自由には限度」仏紙襲撃

2015-01-17 14:57:07 | 今日の御言葉
▼2015.1.17 「阪神大震災から20年」


希望をもって喜び、
苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。


「ローマの信徒への手紙」/ 12章 12節
(新約聖書 新共同訳)




仕事の最中でも、祈ることはできます。

仕事は祈りを妨げないし、

祈りもまた、
仕事を妨げることは
ないのです。


ただほんの少しだけ心を神に
向けるだけで良いのです。


愛しています、お任せしています、


信じています、神よ、
私は今あなたが
必要です。


こんな感じでいいのです。


これはすばらしい祈りです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『日々のことば』より)







▲アジア歴訪開始 宗教の共存訴え フランシスコ教皇
( 2015.1.14 スリランカ )



★ローマ法王がフィリピン訪問

◆NHK news 2015年1月16日 16時53分


ローマ法王のフランシスコ法王は、アジア最大のキリスト教国フィリピンで演説し、急速な経済発展の一方で拡大する格差や根深い貧困の問題が改善に向かうことを願いました。

ローマ法王のフランシスコ法王は15日夜、スリランカからフィリピンを訪れ、空港でアキノ大統領の歓迎を受けました。

フィリピンは1億人の人口のおよそ8割がカトリック教徒とされるアジア最大のキリスト教国で、ローマ法王の訪問は1995年以来20年ぶりとあって、首都マニラの沿道には法王を一目見ようと大勢の人が詰めかけています。

国民の熱狂的な歓迎ムードのなか、フランシスコ法王は16日に大統領府で演説し、急速な経済発展の一方で拡大する格差や、国民の2割近くが貧困層とされるフィリピンの社会問題を念頭に「貧困の撲滅にはまず意識と精神の転換が求められる」と述べ、汚職の撲滅などを通して格差や貧困の問題が改善に向かうことを願いました。

フランシスコ法王は今月19日まで5日間フィリピンに滞在し、おととし11月の台風の直撃で壊滅的な被害を受けたレイテ島の中心都市タクロバンを訪れるほか、マニラで大規模な野外ミサを行う予定です。

フィリピン政府は、法王の滞在期間中を特別に休日としており、ミサには全国各地からマニラに数百万人が集まるとみられ、軍や警察などは混乱をさけるため4万人を動員して警備に当たることにしています。

(ローマ法王がフィリピン訪問 NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150116/k10014738421000.html





★ローマ法王、
フィリピン到着 20年ぶり訪問

◆日本経済新聞2015年1月16日


【マニラ=佐竹実】ローマ法王フランシスコは15日、訪問先のスリランカを離れ、東南アジア最大のキリスト教国であるフィリピンに到着した。法王の来比は20年ぶり。

AP通信によると、法王はスリランカからフィリピンに向かう機中で、パリでの一連のテロ事件に関連して、表現の自由は重要としたうえで「他人の信仰を侮辱してはならない」と述べ、一定の制限があるべきとの考えを示した。

17日に6千人以上の犠牲者を出した台風30号の被災地レイテ島タクロバンを訪問する。比政府は軍や警察計約4万人を動員して厳戒態勢を敷いている。

訪問の山場は、18日にマニラの公園で開かれる大規模野外ミサ。法王を一目見ようと、1千万人近いカトリック信者が集まると予想されている。

スペイン統治以来カトリックが定着するフィリピンは、人口の8割にあたる約8千万人がカトリック信者だ。

(ローマ法王、フィリピン到着 20年ぶり訪問 :日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM15H7I_V10C15A1FF1000/


▼2015.1.14




★ローマ法王「表現の自由には限度」 仏紙襲撃


◆CNN 2015年1月16日 Fri posted at 12:16 JST


 (CNN) ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は15日、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」が襲撃された事件に関連して、表現の自由には限度があると語った。

 訪問先のスリランカからフィリピンに向かう機中で記者団に対し、法王はイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を載せてテロの標的となったシャルリー・エブドそのものについては言及しなかったものの、誰にも「公益に資すると思うことを言う」自由と責務がある一方で、それが他人を害するならば口にすべきではないと述べた。

 また法王は「自らの宗教の名の下に戦争を起こしたり殺してはならない」「神の名の下に殺人を犯すなど常軌を逸している」と述べた。

 では、誰かの感情を害する発言をしたらどうなるのか。法王は同行者のアルベルト・ガスバッリ氏を見てこう言った。「もし友人のガスバッリ氏が私の母のことをののしったら、パンチが飛んでくるだろう。それは普通のことだ。挑発してはならないし、他の人の信仰を侮辱してもならない。信仰をからかってはならない」

 バチカン・ラジオはこの発言の際、法王はガスバッリ氏に向けて「パンチする振りをした」と伝えた。

 この発言についてローマ法王庁のトーマス・ロジカ報道官は電子メールでCNNの取材に答え、法王の表現はパリでのテロを正当化するものとして解釈されることを意図したものではないと弁解。「法王は暴力を擁護したわけではない」と述べた。


 ◎上記事の著作権は[CNN]に帰属します

(CNN 2015.01.16 Fri posted at 12:16 JST)

(CNN.co.jp : ローマ法王「表現の自由には限度」 仏紙襲撃)
http://www.cnn.co.jp/world/35059092.html




※作中の画像記事は、全て産経新聞より
最下段は、2015.1.16 。

【愛がなければ】大量に売りに出される欧州の教会―信者の減少で

2015-01-16 22:52:53 | 今日の御言葉



たといわたしが、
人々の言葉や御使たちの
言葉を語っても、

もし愛がなければ、わたしは、
やかましい鐘や
騒がしい鐃鉢と同じである。


‭コリント人への第一の手紙‬ ‭13‬章1‬節
(新約聖書 口語訳)




どんな小さいことであっても、
大いなる愛を込めておこなうことは、
人に喜びを与えます。

そして人の心に平和をもたらします。

何をするかが問題ではなく、
どれほどの愛を
そこへ注ぎ込むことができるか、、、 
それが重要なのです。


マザーテレサ
(『「愛」という仕事』より)






★大量に売りに出される欧州の教会―信者の減少で

◆ウォールストリートジャーナル 2015年 01月 05日 14:24 JST

http://m.jp.wsj.com/articles/SB10441675140911724742004580380423474325784?mobile=y



 【アーネム(オランダ)】ある日の夜、オランダのアーネムにそびえ立つ古い教会で、二十数人のだらしない格好をしたスケートボーダーたちが危険なジャンプを始めた。イエス・キリストの肖像画と聖人の石像に見守られながら。

 ここは「アーネム・スケートホール」だ。「聖ヨゼフ教会」から不本意ながらも「リインカーネーション(再生)」した。この教会にはかつて1000人近い礼拝者の祈りの声がこだましていた。

 何百もの教会が、信徒の減少により閉鎖されたり閉鎖の危機にさらされている。キリスト教の信者の減少は西欧全域で、地元のコミュニティ(地域社会)のみならず、各国政府に対しても問題を突き付けている。かつては神聖だったが、今は空っぽになってしまった教会の建物をどうすべきかという問題だ。それは、英国からデンマークに至るまで、さまざまな国の地方で目立ち始めている。

 このスケート場は長続きしないかもしれない。かつて厳かな雰囲気を持っていたこの教会には水漏れがある。このため修復がぜひとも必要だ。市はスケーターたち(ないしスケート場の運営者)に税金を請求している。一方で、今もなおこの建物を保有しているローマカトリック教会は、スケーターたちが出すのは到底無理な金額で建物を売ろうとしている。

 スケート場を運営するCollin Versteeghさん(46)は、地元の政治家を批判しながら、「にっちもさっちもいかない状態だ」と述べ、「われわれにはどうしようもない」と付け加えた。

 このスケート場のような窮状は、西欧各地で見られる。長年キリスト教が信仰されてきた西欧が、どんどん非宗教的になりつつあるからだ。これは信者のみならず、多様な社会を団結させる要素として宗教をみている人々にとっても、つらい現象だ。

 この教会を救う活動をしてきた住民のLilian Grootswagersさんは、「こういった小さな町では、カフェ1軒、教会一つと少数の住宅があり、それが村を構成している」と述べ、「教会が放棄されれば、この国は一変するだろう」と話した。

 他の宗教もキリスト教と同じ傾向をたどっているわけではない。欧州で優勢な正統派ユダヤ教は、比較的安定を維持している。イスラム教は、アフリカや中東のイスラム国家からの移民が増えていることを背景に、信者を増やしている。

 ワシントンのピュー・リサーチ・センターによると、2010年時点でイスラム教信者が欧州全体の人口に占める比率は6%と、1990年の4.1%から増えた。そして2030年には8%、5800万人に達すると予想されている。

 キリスト教徒にとって、教会の閉鎖は感傷的な出来事だ。多くの教会は町の広場の中心にあり、人々はここで祈りをささげ、悲しみや喜びを感じ、神との関係を構築してきた。無宗教で世俗的な住民の中にも、こういった場所が使えなくなったり、撤去されたりするとなると、動揺する人々がいる。

 実際に教会を閉鎖する時、町はコミュニティの意識を再構築しようと努力する。これらの歴史的建造物の有意義な使い道を探すのだ。しかし、建物の維持費は高額なほか、一つの町が財政的に支援できる図書館やコンサートホールの数は限られている。このため、商業プロジェクトがその建物の空間を利用するケースが多い。

 欧州全体で見ると閉鎖された教会の数は極めて少ないものの、国によってかなり差がある。

 英国国教会は、年に約20カ所の教会を閉鎖している。デンマークでは、およそ200の教会が存続不可能ないし十分に利用されていないとみられている。ドイツのローマカトリック教会は過去10年間で約515カ所の教会を閉鎖した。

 ただし、この傾向が最も進んでいるように見えるのはオランダだ。同国のローマカトリック教会の指導者たちは、1600あるカトリック教会の3分の2が10年以内にその活動を停止するとみている。このほか、同国のプロテスタント教会700カ所が4年以内に閉鎖されるとみられている。

 教会保存活動団体「宗教的財産のための未来」のメンバーで前出のGrootswagersさんは「その数はあまりにも多いため、社会全体で対応しなければならない問題だ」と述べ、「誰もが地元の大きな空っぽの建物への対応に手を焼くことになるだろう」と話した。

 米国は今のところ、教会閉鎖の波を回避できている。米国のキリスト教徒は依然として欧州の人々より宗教的な戒律を順守しているからだ。しかし、宗教研究家たちは、米国で教会に通う人が減っていることは、米国も将来同じ問題に直面する可能性があることの表れだと指摘する。

 欧州の多くの教会は、それぞれの地域で何世紀にもわたり中心的な役割を担ってきた。住民たちは教会に深い愛着を感じていることが多く、教会を店舗やオフィスに変えようとする実用的な提案には反対する。

 スケート場運営者のVersteeghさんはスケートホールが町に恩恵をもたらしていると考えている。建物の保護に役立っているほか、若者たちがスケートボーディングという建設的な方法で楽しんでいると言うのだ。しかし、彼によれば、地元のカトリック教徒と市のリーダーたちはその支援を拒んでいる。彼はスケートが持つ反抗的な雰囲気が原因だとみており、「(支援を求めて)どの扉をノックすれば良いのか分からない」と話す。

 教会と市のリーダーたちはそれを否定する。自分たちはスケートホールが好きだが、その資金繰りが不安定だと言うのだ。アーネムのGerrie Elfrink副市長は「彼(主催者のVersteeghさん)はスウィートラブ(甘い恋)を求めているが、われわれはタフラブ(愛のムチ)を与えざるを得ない。彼は安易な方法を求め、『カネをくれれば、問題はなくなる』と主張するが、それは持続不可能だ」と述べる。

 古い教会の再生方法に頭を悩ませ、いささか厳かさに欠ける解決法に行き着いたコミュニティもある。オランダでは、教会がスーパーマーケットや生花店、書店やスポーツジムなどに姿を変えている。アーネムでは、1889年創設の教会の建物にヒューマノイドというファッショナブルな店舗が入居している。そこでは、ステンドガラスの窓の下におしゃれな女性用の衣服が並べられている。

 英イングランド地方のブリストルでは、セントポール教会がサーコメディアというサーカス訓練学校に変わった。運営者によると、天井が高いため、空中ブランコなどの技能を身に付けるのに最適なのだという。

 またスコットランド地方のエディンバラでは、あるルター派教会がフランケンシュタインをテーマにしたバーに変わった。そこには泡立つ試験管などが飾られ、真夜中には等身大のフランケンシュタインをかたどったモンスターが天井から下りてくる仕掛けがある。

 このバーの責任者であるジェーソン・マクドナルド氏によると、この再利用への苦情を受けたことはないという。同氏は「理由は簡単だ。古い教会は何百もあるが、誰もそこに行かない。新たに目的が見つからなければ、空っぽのままそこに残るだけだからだ」と話した。

 多くの教会、とりわけ中小の教会は、住宅として再利用され、それが購入希望者と古い教会とを結び付ける仲介業界の誕生につながった。 

 イングランドとスコットランドの教会は、入手可能な建物をオンラインでリストアップしている。その説明の仕方は不動産仲介業者そのものだ。例えばイングランドのベイカップにあるセントジョン教会は「高いネーブ(身廊)と地下室があり、石でできたアーチ形の天井になっている」とされ、約16万ドル(約1920万円)で購入可能としている。
*****


(2015年 01月 05日 14:24 JST)

◆西欧でキリスト者減少、各地で教会閉鎖相次ぐ :
国際 : クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15037/20150113/western-europe-christian-decrease.htm




※作中の画像記事は、産経新聞 2015.1.16

【目に見えない神】イエス・キリストが裁判受けた建物の遺跡発見か エルサレム

2015-01-15 19:22:53 | 今日の御言葉




「神を愛している」と言いながら
兄弟を憎む者は、偽り者である。
現に見ている兄弟を愛さない者は、

目に見えない神を
愛することはできない。

「‭ヨハネの第一の手紙」‬ ‭4‬章20節‬
(新約聖書 口語訳)





つつましい仕事から
離れてはいけません。

こういう仕事はだれもしようと
しないからです。

仕事が小さすぎるということは
ありません。

わたしたちはとても小さいので、
小さいやり方で物事を見ているのです。
 
たとえ、わたしたちがだれかのために、
ちょっとしたことをしたとしても、
 
全能の神は、
すべてを偉大なこととして
見てくださいます。

偉大なことができる人たちは、
世の中にたくさんいます。

けれど、
つつましい仕事をする人たちは、
ほんとうに少ないのです。


マザーテレサ
(『日々のことば』より)







★風刺画の転載、対応割れる…各国メディア : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

◆読売新聞 2015年01月15日 01時18分


フランスで銃撃テロを受けた政治週刊紙「シャルリー・エブド」が14日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を表紙に掲載した特別号を発行した。

表現の自由か、宗教への冒涜ぼうとくか――。注目を浴びる今回の風刺画転載を巡り、フランスを含め世界のメディアの対応は分かれた。

【パリ=三井美奈、ロンドン=佐藤昌宏】フランスの左派系リベラシオン紙は14日、1面の全面を使ってシャルリー紙の風刺画を転載し、「売店にいます」の見出しを掲げた。社説では転載を自粛したり、絵柄をぼかして掲載したりした外国紙を批判し、「政教分離はシャルリー紙だけでなく、フランスの方針でもある」と主張張。リベラシオンは事件後、シャルリー紙に編集室を提供している。

ル・モンド紙は14日付の1面で、イスラム、ユダヤ、キリスト3宗教の信者が共に風刺画を楽しむ様子を漫画で掲載。一方、保守系フィガロ紙は転載を見送った。風刺画は14日の発行前に、メディアに公開されていた。

英国では主要5紙のうち、ガーディアン、インデペンデント、タイムズの3紙が13日か14日の紙面にシャルリー・エブド紙の最新号の表紙を掲載した。BBCテレビはニュース解説番組で短時間、表紙を映した。ガーディアンは、表紙の掲載について「報道する価値がある」と説明した。

ドイツでは大衆紙「ビルト」が最終面の全面を使って転載したのに対し、有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、シャルリー・エブド紙最新号が山積みになった写真を小さく載せたにとどまった。

一方、デンマーク紙ユランズ・ポステンは、2005年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したところ、各地でイスラム教徒の暴動を招き、同社へのテロ未遂も起きた。同社は9日付社説で、ムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しないと発表している。「我々はこれまで、テロの恐怖におびえてきた。暴力や脅迫に屈してしまったということだ」と説明した。

【ニューヨーク=広瀬英治】米主要メディアは「宗教的な感情を害する」などとして風刺画を転載しない慎重姿勢が主流だ。ニューヨーク・タイムズ紙は長文の記事を掲載する一方、風刺画は転載しなかった。同紙は、編集方針として「宗教的感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と表明している。

AP通信は、ニュース画像としてムハンマドを題材にしたシャルリー紙の一連の風刺画は配信しない方針だ。「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている。報道上の必要があっても、画像は差し控えるなど表現を抑えることはある」という。

米主要テレビも手控えるところが多い。CNNのウェブ上の記事によると、同社首脳は編集会議で「経営者として従業員の安全を守ることの方が今は大切だ」と述べたという。

一方、ワシントン・ポスト紙は、今回の風刺画を転載した。記事の中で、マーティン・バロン編集主幹は「ムハンマドの描写そのものが侮辱的だと考えたことはない。宗教グループに対して明白に、故意に、または不必要に侮辱的な表現は避けるという方針は変わらないが、今回はそれに当たらない」と説明している。

読売新聞グループ本社広報部の話「表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えている。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していく」

2015年01月15日 01時18分 Copyright © The Yomiuri Shimbun





★イエス・キリストが裁判受けた建物の遺跡発見か エルサレム :

◆クリスチャントゥデイ 2015年1月8日




▲十字架にかけられたイエス・キリスト。米国で放送され大きな反響を呼んだドラマ『ザ・バイブル』のワンシーンより。

このドラマを元にした映画『サン・オブ・ゴッド』は、日本でも1月10日(土)から全国公開される。(写真:LIGHTWORKERS MEDIA)


考古学者たちは、エルサレム旧市街で発掘された建物の遺跡が、イエス・キリストが十字架につけられる前に、ヘロデ王によって裁判にかけられた場所であることが非常に高いと主張している。

米ワシントンポスト紙が4日に報じたところによると、この遺跡はエルサレムのダビデの塔博物館にほど近い廃墟の地下を15年前から発掘している中で発見されたという。

この建物は過去オスマン帝国の統治下にあった数世紀の間、刑務所として使われていた。しかし、この発掘の指揮者で、エルサレムの考古学者アミット・レーム氏によると、この地は新約聖書に書かれている、ヘロデ王によるイエス・キリストの裁判が行われた跡である可能性が極めて高いという。

レーム氏は、この遺跡は「エルサレムの古代のパズルの中の重要なピースで、この街の歴史を非常にユニークな、かつ明らかな方法で示しています」と語る。

キリスト教と聖地巡礼の専門家であるイスカ・ハラニ氏は、「歴史的な事実の正確性に重きを置くキリスト教徒にとっては、とても説得力のあるものとなるでしょう」と語る。

「しかし、エルサレムにいるという一般的な精神面での修行として来る人は、十字架刑の地であり、旅の最終目的地であるゴルゴダほどには気にかけないでしょう」とも付け加えた。

この建物からは他にも多くの有用な発見があり、1940年代にユダヤ人の抵抗活動家によって壁に彫り込まれたシンボルや、十字軍の時代から中東地域にあるとみられる鉢などが発掘された。そこでは、古代の地下下水道システムも発見された。そのシステムは、イエスが地上にいた当時、ローマ皇帝のもとでユダヤの地を統治していたヘロデ王が建てた宮殿を支えていたと考えられている。

キリスト教の指導者と歴史学者は、イエスの裁判が現に行われた地について議論を重ねてきた。聖書のいくつかの解釈では、イエスはラテン語で「将校の天幕」を意味する「praetorium」にいるピラトの前に連れて行かれたとされている。学者たちによれば、この言葉は軍隊の兵舎か、あるいは本当にヘロデが建てた宮殿を意味するかもしれない。

ワシントンポスト紙は、ほとんどの歴史学者が、ヘロデ王の宮殿がエルサレムの西部、ダビデの塔博物館の近くに建てられたことに同意しているとも報じている。

ノースカロライナ大学シャーロット校のシモン・ギブソン考古学教授は、ヨハネによる福音書にその裁判が門の近くで、かつでこぼこした敷石の上で行われたという記述があるが、これはその地での考古学的発見と一致していると述べている。

「もちろんここにそういったことが記述された碑文などがあるわけではありませんが、考古学的、歴史的発見と聖書の記述の全てがつじつまが合い、意味を持つのです」とギブソン教授は言う。

カトリックの団体「リージョンズ・オブ・クライスト」も昨年12月、注目に値する新たな発見があったと主張した。古代のマグダラの街にあった、1世紀の覆いのないシナゴーグ(ユダヤ教の教会)が、キリストが人々に宣教をした場所の一つかもしれないというものであった。

「ここが初めて発掘された、実際にイエスが歩き宣教をしたシナゴーグです」と、イーモン・ケリー神父は語った。

マグダラの街は、イエスの女性の弟子の一人、マグダラのマリアの故郷とも考えられている。この古代のシナゴーグは、以前カトリックの団体がこの地に巡礼者のホテル、教派を超えた礼拝所、レストラン、女性用のシェルターを建築することを計画した際、作図のために発掘が行われたあとに発見された。

(クリスチャントゥデイ 2015年1月8日)



※作中の記事画像は、全て2015.1.14産経新聞から。

【夫婦の関係】「少女と遊ぶなら長野。捕まらないから」 “淫行処罰規定”なし、県が上げた重い腰

2015-01-14 16:11:05 | 今日の御言葉



結婚はすべての人に
尊ばれるべきであり、
夫婦の関係は汚してはなりません。

神は、みだらな者や姦淫する者を
裁かれるのです。

ヘブライ人への手紙/ 13章 04節
(新約聖書 新共同訳)



父母は、愛する子供のために
骨身を削って苦労しながらも、
疲れを知りません。

それくらい子供を愛するからです。

本当の愛は神様から始まり、
また愛は父母から来るのです。

父母は子供が優れているから
愛するのではありません。

子供であればこそ
優れていようが愚かであろうが
愛するのです。

病身の子を持つ親が子供以上に
つらいのと同様に

神様の愛の心情は
皆さんが優れているいない
ということを
超越しているのです。




★「少女と遊ぶなら長野。捕まらないから」
“淫行処罰規定”なし、県が上げた重い腰


■産経新聞 2015年1月12日(月)12時40分配信



全国の都道府県で唯一、淫行処罰規定を含む青少年健全育成条例を制定せずに子供たちの健全育成に取り組んできた長野県が、条例制定をめぐる議論で今、揺れに揺れている。インターネットが急速に普及し、子供たちが出会い系サイトやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にアクセスすることが日常化し、大人からの性被害に遭うケースが急増しているためだ。これに危機感を抱いた同県の阿部守一知事は、条例のモデルを作成したうえで、議論を前に進めたい考えだ。一方、従来通り条例には頼らずに健全育成運動で対応すべきだとする地元紙・信濃毎日新聞や県弁護士会などは、条例制定反対を主張。一般の県民の間でも意見は賛否両論真っ二つに割れている。


■条例拒み続けた風土


 長野県が青少年健全育成条例を制定してこなかったのは、県民総ぐるみの運動で子供たちの健やかな成長を見守るとしてきた伝統があるからだ。「脱ダム宣言」などで県政を混乱させた田中康夫元知事も含め、歴代知事は「青少年健全育成条例は制定しない」と明言してきた。こうした気風は、警察権力の拡大に反対する共産党県議団などにとどまらず、保守的立場をとる自民党県議団の県議の間にも根強い。条例がないことを、県政界があたかも長野県の「美徳」や「誇り」にしているかのようだ。

 風向きが変わったのは、県内77市町村で唯一、淫行処罰規定を含む青少年健全育成条例を制定した東御(とうみ)市で平成24年、男性教諭2人が相次いで同条例違反(みだらな性行為などの禁止)容疑で逮捕される事件が起こってからだ。県警が「条例がなければ現行法だけでは摘発できなかった」との見解を示したことから、県も同様の条例を制定すべきだとの議論が巻き起こった。それまで条例制定に慎重な姿勢を示していた阿部知事も、子供を取り巻く環境の変化という現実を突きつけられ、「今の対応だけで本当にいいのか考えていく必要がある」と、条例制定も含めた対策を検討する考えを表明した。

 そして、阿部知事は25年5月、法律やインターネット、子供の成長に関わる専門家らで構成する「子どもを性被害等から守る専門委員会」(委員長・平野吉直信州大教育学部長)を設置。子供を性被害から守るための施策の検討が始まった。


■条例制定に傾いた専門委


 あえて白紙の状態からスタートした専門委の議論は当初、条例制定に慎重な意見が多かった。しかし、県内で過去15年間に18歳未満人口当たりの性被害にかかわる摘発者数が3・8倍も増加し、全国平均(1・6倍強)より深刻さが際立つ実態が報告されたことや、子供たちを取り巻く現状について各種団体などから聞き取り調査を行ったことで、議論の風向きは変わっていった。

 25年12月の第5回会合では、幼い頃に知人男性から性被害を受けた女性が報道陣に非公開で証言に立った。事務局によると、女性は「こんなことになったのはずっと自分が悪いと思い込んで、周囲に相談できないまま悩み続け、体調を崩すこともあった」と明かした。そして、委員らに対しては「子供の成長を大人が阻害しないでほしい」と訴えかけ、子供の性被害防止のための条例制定を求めたという。これを受け、専門委の議論は法的規制が必要との意見に傾いていった。


■条例制定を批判する信濃毎日新聞


 一方、専門委の議論を報じる長野県の地元紙・信濃毎日新聞は「条例化だけが先行している」「淫行処罰規定によって青少年の自由な恋愛に捜査機関が介入する可能性もある」「条例に頼らず県民運動で青少年健全育成を進めてきたこれまでの努力に逆行する」などと批判する論調を強めた。

 これに対し、専門委で証言した女性は事務局宛に反論の手紙を送付。26年1月の第6回会合では「『条例が独り歩きしている』という報道の扱い方に、自分は何のためにあの場面で発言したのか、結果、分からずにいます」などと苦しい胸の内を吐露した女性の手紙が、事務局によって読み上げられた。

 しかし、この会合を報じた翌日付の信濃毎日新聞は、女性の手紙の内容には一切触れなかった。それどころか、「条例制定を前提とした検討の進め方は、全国で唯一、処罰で押さえ込む発想の条例を持たない長野県民の取り組みを否定することにもなる」「公権力の介入を伴う条例の制定に歩を進めている専門委の現状は危うい」などと相変わらずの主張を展開した。

 県弁護士会の主張も基本的には同紙と同じだ。専門委が開いた公聴会で、県弁護士会子どもの権利委員会の上條剛弁護士は「(法規制は)児童買春禁止法や児童福祉法などで十分だ。淫行処罰の規定は曖昧で、捜査する警察のさじ加減一つで冤罪(えんざい)も生まれる」と意見陳述し、条例制定に反対した。


■建前だけでは防げない


 専門委は26年3月、検討を行ってきた結果として、「淫行処罰に限った限定的な条例が必要」とする報告書を阿部知事に提出した。その中で、専門委は判断能力が成熟していない子供への真摯(しんし)な恋愛ではない大人の性行為は「許されざる行為」と断じた。

 また、青少年健全育成運動を中心になって進めてきた「県青少年育成県民会議」も同年4月、内部に検討チームを設置して運動の抜本的見直しに着手した。設立から40年余りがたつ中で子供を取り巻く環境が大きく変化し、運動の形骸化が指摘されてきたためだ。約4カ月間の議論の末、検討チームも子供を大人による性被害から守るためには「(新しい県民運動と)条例との両輪の上に、県民の自主的な活動や行政的な対応が必要」として、淫行処罰規定を含む条例の制定を求める報告書を阿部知事に提出した。

 今は携帯電話やゲーム機など保護者の目が届かないところで、子供が簡単にインターネットに接続することができる時代だ。大人が悪意を隠して近づき、好奇心をくすぐって子供を思うように操ることは難しいことではない。専門委も県民会議もその現実を目の当たりにし、大人のゆがんだ欲望から無防備の子供たちを守るには、建前だけの運動では不可能なことを感じ始めたわけだ。


■大人の欲望に無防備な子供たち


 26年9月定例県議会で、山崎晃義(てるよし)県警本部長は、県警が25年1月から26年10月末の間に子供の性被害16件19人を認知したにもかかわらず、現行法では検挙できなかったため、「行為者に対して道徳的な観点からの指導、説諭にとどめざるを得なかった」と明かした。

 インターネット上ではいま、「10代の女の子と遊びたいなら、長野へ行けばいい。警察に捕まらないから」という趣旨の書き込みが横行しているという。「条例は未成年の真摯な恋愛に公権力が介入することを許す」という信濃毎日新聞や県弁護士会などの主張は、大人による子供の性被害が急増している実態から目を背けた議論としか言いようがない。「権力は法律を使って常に人民を抑圧する」という時代錯誤的な思考が、その根底にあるのではないだろうか。

 さらに、「恋愛なら子供の性行為も許される」という考え方も注意が必要だ。狡猾(こうかつ)な大人が精神的に未成熟な子供に「性行為のないところに恋愛はない」と言い聞かせて、新たな性被害を生みかねない危険性をはらんでいるからだ。

 刑法や児童買春・ポルノ禁止法、児童福祉法といった現行法だけで処罰するには、(1)行為者自身が被害者の年齢が18歳未満であることを知っている(2)性行為などを行う前に金品のやり取りやその約束をしている(3)行為者が親、教員、会社の上司など被害者に対して事実上の影響力(支配性)がある-という要件が立証されなければならない。

 つまり、淫行処罰規定を含む青少年健全育成条例がなければ、これらの要件を立証できない子供の性被害は防止できないのだ。その手立てを持たない長野県で、子供たちは性被害から無防備な状況に置かれている。建前の精神論で子供たちの健全育成を図れるならそれに越したことはないが、現実には子供たちが大人たちのゆがんだ性欲の対象とされているのだ。


■現実を直視した議論を


 また、子供たちの性被害と自由恋愛を同列に議論すべきではない。「自由な恋愛を守るために、性被害から子供たちを守る条例は必要ない」という主張はバランスを欠いている。自由な恋愛を守る代償として、子供たちが性被害に遭っても仕方がないと言っているようなものだ。淫行処罰の条例があっても、自由で健全な恋愛は十分成り立つ。

 幼い頃に受けた性被害は、筆舌に尽くしがたい苦悩を与え、その後の人生を左右しかねない。その重大さを考えれば、あらゆる手段を使って子供たちを性被害から守る必要性があるし、そうした仕組みを早急に構築すべきだ。

 県青少年育成県民会議常任理事として条例によらない健全育成運動の先頭に立ってきた田口敏子さんは「条例は必要ないといいたいが、今の子供たちが置かれた状況をみると、そうはいい切れない。忸怩(じくじ)たる思いだ」と語る。

 子供の性被害を防ぐには、建前の精神論や見栄(みえ)ではなく、現実を直視して具体的な対策を考える議論が必要だ。長野県には今、それが求められている。(長野支局 太田浩信)



▲淫行処罰の条例制定の必要性を盛り込んだ
県民運動の見直し検討報告書を長野県の阿部守一知事(右)に
提出する青少年育成県民会議の田口敏子検討チーム座長
=平成26年8月29日、長野県庁(写真:産経新聞)

【一つの所】日本一敷居の低い教会” 酒場で教会! 新宿ゴールデン街の夜

2015-01-13 16:53:03 | 今日の御言葉


それゆえ、今あなたは、
わたしのしもべダビデに
こう言いなさい、

『万軍の主はこう仰せられる。
わたしはあなたを牧場から、
羊に従っている所から取って、
わたしの民イスラエルの君とし、

あなたがどこへ行くにも、
あなたと共におり、あなたの
すべての敵をあなたの前から
断ち去った。

わたしはまた地上の大いなる者の
名のような大いなる名を
あなたに得させよう。

そしてわたしの民イスラエルのために
一つの所を定めて、彼らを植えつけ、
彼らを自分の所に住ませ、
重ねて動くことのないように
するであろう。


「サムエル記下」 7章8–10節
(旧約聖書 口語訳 )




人類を苦しめる最も大きい問題は、

正に家庭の価値を破壊する
不倫と退廃の問題です。

道徳的退廃こそ、
人類を苦痛と絶望の
どん底に陥れる罪です。




★オール広島弁 任侠道で読み解く、
仁義なきイエス・キリストの生涯

◆dot.ドット 2014年12月24日



「初詣は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺」と、宗教的に節操が無いなどと言われる日本人。12月に入ると、クリスマスムードも一気に高まりますが、われわれ日本人にとってキリスト教はクリスマスや結婚式などイベント時だけ注目するもの。ましてやイエス・キリストの生涯については「12月25日にマリア様から生まれて、最後は十字架に架けられたのは知っているけど、その間に何をしたのかは正直ようわからん」という方も少なくないのではないでしょうか?


 一方、キリスト教の影響が色濃く残るヨーロッパ諸国では、クリスマスシーズンにはイエスの「生誕劇」や、イースター(復活祭)には「パッションプレイ」と呼ばれる受難劇を上演してきました。近年でも、ロックオペラ『ジーザス・クライスト=スーパースター』などミュージカル作品や、メル・ギブソン監督『パッション』など映画の題材としても、イエスの一生はたびたび描かれ、キリスト教が人々の生活に根付いているのがうかがえます。


 本書『仁義なきキリスト教史』は、なんとキリスト教史を、血で血を洗うやくざの抗争史にたとえ、「神=ヤハウェ大親分」「イエス=組長」という大胆な解釈で表現した異色小説。「洗礼」といった宗教用語は「盃を交わす」などの極道用語に置き換えたほか、登場する聖人たちのセリフも任侠映画『仁義なき戦い』さながらにオール広島弁となっており、肩ひじ張らずに読み進められます。


 その一例をあげると、十字架に架けられたイエスが叫んだと伝わる、ヘブライ語の有名な言葉、「Eli, Eli, Lema Sabachthan(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)」。日本語では、「我が神よ、我が神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」などと訳されることが多いですが、著者の架神恭介さんの手にかかれば、

"おやっさん、おやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ!"

といった具合。遠い存在でしかなかった聖人たちが、血の通った人間として語り掛けてくるかのような演出がなされています。


 男たちの熱いドラマに共感し、キリスト教に興味がない人でも一気に読める娯楽大作である本書は、日本人が教養として知っておきたい、キリスト教2000年の歴史をおさらいするのにもおすすめです。今年の聖夜は、ぜひ、イエスの生涯に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
      
(〈BOOKSTAND〉|dot.ドット 朝日新聞出版 2014年12月24日)




▲土曜日夕方になると掲げられる「酒場で教会!」の看板=20日、プチ文壇バー「月に吠える」(東京都新宿区)で


★日本一敷居の低い教会” 酒場で教会!
新宿ゴールデン街の夜 : 宣教 :

◆クリスチャントゥデイ2014年12月22日



新宿ゴールデン街。戦後の闇市に始まり、歴史の流れとともに歓楽街へと変化を遂げた、歌舞伎町一丁目エリアのことを指す。バブルの洗礼を受け、一時期はシャッターが目立ち、そのまま衰退していくかと思われたこともあったが、2000年頃から若い世代の新規出店が増え始めた。今でも、新旧併せて200近くの飲み屋・バーが軒を連ねている。

その一角に、プチ文壇バー「月に吠える」がある。オーナーは、現役のジャーナリストで、客も物書きの人たちが多い。だが、「プチ」というだけあって、誰にでも入りやすい「日本一敷居の低い文壇バー」を称している。

そんな約3坪の小さなバーの入り口に、土曜日の夕方になると「酒場で教会!」という看板が掛けられる。その名の通り、バーで礼拝をするというものだ。主催は牧師の中村透さん。自称「ロクデナシの現役牧師」だ。

ゴールデン街がまだひっそりと静まっている午後4時ころ、冷たい雨が降っているにもかかわらず、「酒場で教会!」には次々と人が集まってくる。8人がけのカウンターはいっぱいになり、補助椅子がカウンターを越えて手渡される。



▲カウンターに並べられた聖書と
「月に吠える」オーナーの著書

クリスマスが近いこの日は、「酒場で教会クリスマス」と題し礼拝がもたれた。中村牧師のギターを伴奏に、「神の御子は」「もろびとこぞりて」など、たくさんの賛美が日本語や英語で歌われる。日本ではなじみの少ない「Trading My Sorrows」など米国のワーシップソングが耳に新しい。

中村牧師は、早稲田大学を卒業後、半年間働いて貯めた100万円を持って日本を飛び出した。香港、バンコク、ビルマ、インドを経由し、できる限りヒッチハイクで西へ向かった。パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコを通って欧州に入る。ギリシャ、イタリヤ、そこから船でアフリカへ。4年ほどで貯金が底を尽き、中南米を旅する資金を稼ぐため、米国に渡る。

日本を出たときには、完全な無神論者だった中村牧師だったが、米国に渡るまでの数々の経験の中で、その心境は大きく変化していた。インドでは、群衆に取り囲まれリンチされそうになった。ジャングルの中でマラリヤを発病し、ウガンダ・タンザニア戦争下では、中国人スパイと間違われ秘密警察に処刑されそうになった。

頭に突きつけられた銃の安全装置が外れたときに、脳内を駆け抜けた乾いた音は数十年を経た今でも忘れられないという。何度も死を覚悟したにもかかわらず、必ず不思議と間一髪で救いの手が伸ばされた。偶然の積み重ねが、いつの間にか必然に変わっていった。

救いの決定打は米国で酒に酔っていたある日のこと。「Where are you?(あなたはどこにいるのか)」という神の声を聞く。同じ声が「What are you doing?(あなたは何をしているのか)」と続いた。幻聴ではなく、頭の中にはっきりと聞こえたこの声が、中村牧師を目覚めさせた。




▲「酒場で教会!」の様子。中村透牧師のギターを伴奏に、「神の御子は」「もろびとこぞりて」など、たくさんの賛美が日本語や英語で歌われた。

日本の神学校に学び、米国で博士号を取得した中村牧師は、カルフォルニア州パサデナの教会で30年牧会。そして、昨年、神の召しを受けて日本に戻ってきた。しかし、日本で神に示された働きは教会の中にあるのではなかった。もし、イエス・キリストが現代に生きていたら、教会の外でどんな働きをするだろうか。その問いの答えが「酒場で教会!」だった。

こうして、今年から始まった「日本で一番敷居の低い教会」には、ノンクリスチャンばかりがやってくる。生後10カ月の赤ちゃんから、青年、おじさんまで、その年齢層は幅広いが、共通して言えることは「中村牧師の人柄に惹かれて」来ているということだ。

途中で入ってきた顔なじみに「悪党が来たぞ!」と声を掛けるような自他共に認める口の悪さでありながら、人が集まってくるのは、その強面の顔の奥に確かに神の愛を見るからかもしれない。ルカによる福音書1章、マタイによる福音書1章からクリスマスメッセージを取り次ぐ言葉には、まさに神の知恵が満ちている。「素晴らしい天のお父さん」「俺たち罪人のために来てくれてありがとう」「あなたが大好きです」と祈りの中で神に呼び掛ける姿は、還暦過ぎとは思えない幼子の信仰で溢れている。


▲クリスマスメッセージを取り次ぐ中村透牧師

中村牧師が語る神のメッセージは、妙にリアルだ。聖書に描かれる人物が、そしてイエス・キリストが、人格を持った生きた存在として迫ってくる。礼拝が終わった後、集まった人たちとバーを出て新宿の夜に繰り出していく中村牧師の背中を見ながら、神に問い掛けずにはいられなかった。「『罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする』と後ろ指差されたあなたは、今も確かに生きておられるのですね」と。新宿ゴールデン街で始まったこの働きを通して、日本の人々がどう変えられていくのか、神の計画が楽しみでならない夜であった。

「酒場で教会!」は毎週土曜日午後4時から6時まで、プチ文壇バー「月に吠える」で開かれる。日曜日午後6時から12時までは「牧師バー!」もやっている。午後8時と10時半に説法タイムを設け、訪れた客の数々の質問に答えている。詳細・問い合わせは、主催者・中村透牧師(ホームページ)まで。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/14881/20141222/church-at-a-bar.htm

(2014年12月22日23時04分 記者 : 新庄れい麻 )