地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【語り合い】空港・教会・マンホールと島じゅう椿だらけ! 五島列島の椿が生んだ“美髪伝説”

2015-02-28 03:53:27 | 今日の御言葉
『手紙 ~拝啓十五の君へ~』歌 アンジェラアキ




詩編と賛歌と霊的な歌によって
語り合い、主に向かって
心からほめ歌いなさい。

エフェソの信徒への手紙/ 05章 19節
新約聖書 新共同訳




ごうまんで、ぶっきらぼうで、

利己的になるのは、
いともたやすいことです。


でも私たちは、

もっとすばらしいことのために、
つくられているのです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『愛のことば』より)








★空港・教会・マンホールと島じゅう椿だらけ!
五島列島の椿が生んだ“美髪伝説”検証レポート:観光編

★ガジェット通信 2014年11月21日



九州の最西端・長崎県の西100kmに位置する“五島列島”。中通島、若松島、奈留島、 久賀島、福江島の5つの大きな島をはじめ、18の有人島と111の無人島で構成された自然豊かな五島列島には、女性必見の美のルーツがあるのだとか。そのキーワードは「椿」。

長崎の県花でもある椿からとれる“椿オイル”は髪の毛やお肌に使えばしっとり、酸化しにくいオレイン酸が豊富でも健康にも良い万能オイル。椿オイルを日常的に使っている五島列島には“美髪伝説”が? 今回筆者は実際に五島列島に訪れ、椿オイルの魅力や椿を育む五島の自然、名所を巡ってきました。3回に分けてお届けする“五島列島・椿旅レポート”第一弾は、五島列島の観光名所をご紹介します。

※すべての画像は(http://getnews.jp/archives/698937)よりご覧ください。






五島つばき空港こと、福江空港に降り立つと至るところに椿の装飾が。



マンホールにも椿の絵が描かれており、五島列島は椿だらけ。

昔から椿の原生林や自生地が群生しており、椿は島の花にもなっています。五島ではこれまでに約50種類の椿の銘花が発掘されていますが、その中で、もっとも有名なのが1947(昭和22)年に発見された“玉之浦(たまのうら)”。“玉之浦”は濃紅地に白覆輪の中輪で、世界的な名花として知られています。

また、新上五島町には、北部・津和崎米山地区の個人宅にしか咲いていないピンク色の“ヤブツバキ”があります。それまで特に名前はありませんでしたが、2014(平成26)年3月に“上五島つばき大使”に就任された華道家の假屋崎省吾さんにより、“Shogo(ショーゴ)”という名前が命名されました。これは、五島列島でしか見れない美しいヤブツバキをもっと多くの人に知ってもらいたいという想いから名付けられたそう。椿の花が咲くのは3~5月で今回筆者は見ることができませんでしたが、次回五島を訪れる時には美しい椿の花を楽しみたいです。



五島列島には多くのカトリック教会が点在していて、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す取り組みがされています。



中でも“堂崎教会”(正式名称:堂崎天主堂)は1908年に建てられた歴史ある教会。現在は“堂崎天主堂キリシタン資料館”として、布教時代から迫害を経て復活に至る信仰の歴史が展示されています。



建物の中には美しいステンドグラスが。

ヨーロッパの教会ではバラの花が 飾られますが、五島では椿の花や葉や実が、柱や壁や天井にまで建物のあらゆるところにあしらわれています。一枚ずつデザインが少しずつ違っていて、これが100年以上前に建てられた教会だとは驚きです。



また、五島列島は最近映画のロケ地としても有名に。妻夫木聡さん、深津絵里さん主演映画『悪人』の撮影に使われ、印象的なシーンに登場する灯台には今もロケ地巡りで訪れる映画ファンが。2015年2月公開予定の新垣結衣さん主演映画『くちびるに歌を』の撮影にも使われており、ポスターが飾られていました。





この美しい海と山からなる豊かな自然は、日常の喧噪を忘れてリラックスできること間違いなし。筆者もかなり癒されてまいりました。港町だけあって、ニャンコもたくさんいましたよ。





そして、至る所で売られている椿オイルと椿オイルを使った商品たち。椿オイルを使ったキャンディなど、椿オイルが人々の生活に根付いていることが分かります。これまで髪の保湿に使うイメージしかなかったのですが、今回の旅で椿オイルのさまざまな使い方を知ることができました。“五島列島・椿旅レポート”第二弾は“美容編”として、椿オイルを使ったスパ&エステをご紹介します。

(http://getnews.jp/archives/699167)





★ヘッドスパ&エステに名物料理にも“椿オイル”が! 

五島列島の椿が生んだ“美髪伝説”検証レポート:美容編

◆2014/11/27(木)17:00 ガジェット通信



“椿オイル”が生み出す“美髪伝説”を検証するために、九州の最西端・長崎県の西100kmに位置する五島列島を訪れた筆者。前回は「観光編」と題し、空港、教会など、椿だらけの五島列島の街並みをご紹介しました。

今回は「美容編」として、椿オイルを使ったヘッドスパやエステなど、文字通り“肌で感じて”来ましたので、体験レポートをお届けします。


まず訪れたのはヘッドスパ専門店“モンテ・カンゲ”。八窪(はちくぼ)ルミさんは、東京で18年間美容師として活躍。その後、慶應大学の地域起業家養成研を受け、実家である五島市の美容院“しらゆり美容院”の中にこちらのサロンをオープン。「モンテ・カンゲ」とは五島の方言で、モンテ=揉む・ほぐす、カンゲ=頭という意味なんですって。

ほぼ365日毎日パソコンを使い、常に肩こり症の筆者はよくヘッドスパを利用するのですが、椿オイルを使った施術ははじめて。それもそのはず、ヘッドスパに椿オイルを使ったのは八窪さんが日本初! 東京から技術を学びに来る美容師さんもいらっしゃるそう。

温めた頭皮にたっぷり椿オイルをたらし、しっかりとマッサージ。指通りの良い椿オイルのおかげで髪がつっかかる事もなく、とても気持ち良くてついうとうと……。終わった後はシャンプー&ブローをしてもらって、髪がツヤツヤに生き返りました。

八窪さんによると、髪のスタイリングに椿オイルを使うと、その人それぞれの悩みを解消してくれるのだとか。コシのない髪にはコシが出て、爆発しやすい髪はしっとりとまとまる。さらに、シャンプーなどの科学成分で頭皮が荒れていた方が改善されたり、血行が良くなる事で薄毛・白髪にも効果が。なんて万能なオイルでしょう!

100%五島産の椿オイルを使った約70分のヘッドスパはシャンプー・ブロー込みで3000円! 五島だから実現できた超お得プライスです。この夏、映画のロケで訪れた某人気女優もこのヘッドスパがお気に入りで、滞在中何度も利用したそうですよ。

【モンテカンゲ】

長崎県五島市栄町1-43しらゆり美容院内
電話番号:080-1793-5588
営業時間:10:00-18:00/月曜休
http://www3.city.goto.nagasaki.jp/contents/living/detail.php?content_id=2984&category_id=774


続いては、カフェ&エステサロン“バンブー”を訪問。こちらでは手作りスイーツやカレーやパスタを食べたり、お店のオリジナル椿オイル『雫』を使ったエステを受けることができます。

まずは、エステを受ける人、一人一人の毎日のスキンケアや肌状態、悩みをカウンセリングシートに書き込みます。

エステルームは広々としたスペースで、リラックスして施術を受けられます。

使われるのは、4回精製されたオリジナルの椿オイル。これはセラピストの竹村美保子さんがこだわり「椿オイルそのままだと肌なじみが悪かったりもしますが、この純度の高いオイルだとどんな肌質の方にも合います」と自信を持っているオイル。エステ中は、フワフワの泡で洗顔をしてもらい、この椿オイルでマッサージ。これまた気持ちよ良すぎてうとうと……。

施術後は自分のお肌がしっとりプルプルになっていることにビックリ。最近ひどい肌荒れに悩まされている筆者ですが、天然のオイルなら肌に負担をかけずに安心してエステを受けられます。竹村さんにも「市販されている化粧品はどんなに肌に優しく作ったとしても、どうしても化学成分が入ってしまいます。椿オイルならその不安がありませんし、ニキビ肌の方も安心ですよ」とアドバイスいただきました。

店内には、竹村さんが開発したオリジナルブランドの椿オイル『雫(しずく)』が販売されています。これは「古くさいイメージを持たれがちな椿オイルをオシャレなイメージに変えて、多くの方に使って欲しい」という想いからデザインされています。無香料のナチュラルや、ラベンダー、ローズと香りが楽しめるものまで種類豊富。石けんやシャンプーも並んでいます。

また“バンブー”では食用油も販売しているのですが、近所の方はマイボトルを持って、こちらの巨大容器から量り買いしているのだとか。竹村さんにオススメの椿オイルレシピを聞くと「椿オイルと卵料理は相性抜群」とのこと。五島列島では、髪や肌など外からだけではなく、体の中から椿オイルを取り入れているのですね。

【バンブー】

長崎県五島市吉田町2498
電話番号:0959-75-0412
営業時間:10:00-19:00/火曜休
http://www.bamboo-tsubaki.com/


髪もお肌もリフレッシュした後、夕食に五島列島名物“五島うどん”をいただいたのですが、素麺とうどんの中間のような優しい舌触りとツルンとしたのどごしが抜群。このうどんにも椿オイルが使われていて、これが美味しさの秘訣。おみやげにたくさん買って帰りました。

ヘッドスパ、エステ、そして食事でも椿オイルの魅力を感じた筆者。こんなに色々使えるスーパーオイル・椿オイルってどうやって作られているの? 次回は椿オイルを生産する工場の見学レポートをご紹介します。

(http://news.nicovideo.jp/watch/nw1339714)





★無添加・椿オイルは昔ながらの製法でこうして作られる! 

五島列島の椿が生んだ“美髪伝説”検証レポート:工場編

◆ガジェット通信 2014.12.09 17:00 記者 : 藤本エリ


“椿オイル”が生み出す“美髪伝説”を検証するために、九州の最西端・長崎県の西100kmに位置する五島列島を訪れた筆者。「観光編」「美容編」と五島列島に根付いた椿文化を体験して来ました。食べて良し、美容に良しの椿オイル。三回目となる今回は「工場編」と題し、椿オイルがどうやって作られているのかを見学してきました。

美容マニアも夢中! 知る人ぞ知る椿オイルの聖地“今村精油所”



今回お邪魔したのは“今村製油所”さん。山々に囲まれた非常にのどかな場所にあるのですが、こちらで作られた椿オイルには多くのファンが。



日本最大級の化粧品口コミサイト『@コスメ』でも、クチコミ評価7点満点中、6.3点という驚異の高評価! アイテムカテゴリーも、スキンケア・ボディケア・ヘアケアと多岐に渡って登録されていて、そのオールマイティぶりが分かります。





雑誌などメディアにも度々取り上げられ、テレビの取材が入ることも。俳優の六角精児さんの写真も飾られていました。

無添加で素材を大事に。椿オイルができるまで



それではどうやって椿オイルができるのかを見ていきましょう。椿は冬に開花した後、緑色の小さな実をつけ、半年かけて実り、9月に収穫の時期を迎えます。戦前は、島内のいたるところに椿オイルを搾油する工場があり、実を持って行くと椿オイルと交換してくれたそうで、今でも9月頃になると、椿の実を採取する島民の姿が見られるとのこと。

精油の方法は工場によっての違いがありますが、五島市で80年以上続く“今村製油所”では、下記のように昔ながらの“玉締め式”という圧搾法で椿オイルをつくっています。



殻を取り、天日で5日ほど乾燥させた椿の実。中の黒い実を取り出し、手作業で選別。粉砕機にかけて小さな粉にします。



粉砕した椿実を蒸気で20分ほど蒸し上げます。蒸し加減が椿オイルの良し悪しを大きく左右するそう。



蒸した椿実が熱が冷めないうちに、玉締機という機械にしっかり詰め込みます。ゆっくり圧力をかける“玉締め式”で圧搾。余分なモノを抽出しない圧搾方法です。



化学薬品や添加物は使わず紙だけでろ過。搾りかすは天日干しして肥料になるとのこと。椿に捨てるところなしですね。



丁寧に丁寧に絞られた椿オイルはキラキラで濁りのない純度が高いもの。口に入れることができるから、美容に使っても安心ですね。



この今村製油所で生まれた椿オイル、実は資生堂のヘアケアブランド『TSUBAKI』にも使われています。女子なら誰でも一度は使ったことのある、あの『TSUBAKI』ですよ! 普段はシャンプーやトリートメントの成分を気にすることはあまりありませんが、こうしてきちんと選ばれた原料が使われていると知ると嬉しいですよね。

今回の三回に渡る「五島列島“美髪伝説”検証レポート」いかがだったでしょうか。五島列島の豊かな自然と、あたたかい人々によって守れてきた“椿オイル”文化。乾燥が気になるこれからの季節はもちろん、筆者はこの取材をきっかけに椿オイル生活を続けて行こうと思います。皆さんも『TSUBAKI』など、身の回りの椿オイルアイテムから取り入れてみてはいかがでしょうか?


【今村製油所】

長崎県五島市平蔵町3783番地
http://imamura-camellia.p2.bindsite.jp/index.html [リンク]


TSUBAKI | 資生堂
http://www.shiseido.co.jp/tsubaki/



(http://getnews.jp/archives/704122)




映画「くちびるに歌を」公式サイト

主演 新垣結衣 2.28 公開


【行い】小中高37校が参加「2015キリスト教学校合同フェア」3/21

2015-02-26 19:39:26 | 今日の御言葉
▼映画『動乱』(1980) 主演 高倉健 吉永小百合

第1部「海峡を渡る愛」
第2部「雪降り止まずは」





同様に、娼婦ラハブも、
あの使いの者たちを家に迎え入れ、
別の道から送り出してやるという
行いによって、
義とされたではありませんか。

ヤコブの手紙/ 02章 25節
新約聖書 新共同訳




時間の使い方は、
そのままいのちの使い方。

置かれたところこそが、
今のあなたの居場所なのです。

「こんなはずじゃなかった」と
思う時にも、その状況の中で
「咲く」努力をしてほしいのです。



(『置かれた場所で咲きなさい』渡辺和子)






ウソをついているのはこの口か❗️

【朝日慰安婦報道】

★「プロパガンダで国際社会に
『強制連行あった』の事実誤認を拡散」 外部の独立検証委が報告書


◆産経新聞 2015年2月19日 14:46



▲朝日新聞の「慰安婦報道」に対する
独立検証委員会の検証結果が発表された
=19日午後、東京都千代田区
(蔵賢斗撮影)
 


朝日新聞の慰安婦報道に関し、外部の立場から検証を進めてきた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」が19日、東京都千代田区で記者会見し、報告書を公表した。報告書では、平成3年から4年1月にかけての朝日新聞の慰安婦報道を「プロパガンダ(宣伝)」とし、プロパガンダによって国際社会に「強制連行があった」などの事実誤認が拡散し、日本の名誉を傷つけ続けていると結論づけた。

 同紙の慰安婦報道をめぐっては、朝日新聞社から依頼を受けた第三者委員会が昨年12月に報告書を公表。朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について、「慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持った」「影響は限定的だった」などとする委員による検証結果を提示したが、独立検証委は「朝日の責任を回避する議論に終始した」と指摘した。

 第三者委の報告書が、朝日新聞に「強制性」をめぐる議論のすりかえがあったことを指摘したことについては、「核心に触れる批判をした」と肯定的に評価。一方で、第三者委の報告を受けた朝日新聞社の対応については、「朝日はその批判を『重く受け止める』というのみで、受け入れていない」と批判した。


 そのうえで、朝日新聞社に対し、「『プロパガンダ』と『議論のすりかえ』がどの様なプロセスで作られていったのか、記者、デスク、担当部長、社長らの責任を、実名を挙げて明らかにすることを求める」と提言。政府には専門部署と民間の専門家による有識者会議の設置を求めた。

 独立検証委の委員長を務める京都大学の中西輝政名誉教授は会見で、「1992(平成4)年1月に『強制連行プロパガンダ』が集中的に行われた。ここに朝日新聞の慰安婦問題の影響があらわれている」と述べた。


(産経新聞 2015.2.19 14:46)



▲『置かれた場所で咲きなさい』
渡辺和子 (幻冬社)


※渡辺和子氏が9歳の時に
自宅の居間で、1mの距離で、
父 (渡辺錠太郎=当時 教育総監)が
青年将校に襲撃され、
43発の銃弾を浴びて、
亡くなるのを目のあたりにする。
(「二・二六事件」 1936年 2.26)



★小中高37校が参加「2015キリスト教学校合同フェア」3/21

◆リセマム 2015年2月11日(水) 10時15分


カトリック学校とプロテスタント学校合同の「2015キリスト教学校合同フェア」が3月21日(土・祝)に開催される。会場は青山学院高等部校舎(渋谷区渋谷)。事前予約不要で入場は無料。

同フェアは、今回で4回目を迎えるキリスト教小学校・中学校・高等学校37校による合同説明会。キリスト教学校の魅力を伝える特別講演のほか、参加校各校による5分間スピーチリレー、個別相談ブース、無料資料配布コーナーなど、キリスト教学校の学校選びに役立つプログラムが組まれている。

主なイベント内容は、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏による特別講演、フェア参加中学校・高等学校が女子校、男子校、共学校ごとに5分ずつリレー形式で行う参加校スピーチリレー、小学校個別相談ブース、中高入試よろず相談、無料資料配布など。

事前予約、参加費ともに不要のため、当日気軽に参加できるフェアとなっている。

◆2015キリスト教学校合同フェア
日時:2015年3月21日(土・祝)9:50~14:00
会場:青山学院高等部校舎(東京都渋谷区渋谷4丁目4-25)
参加費:無料

【参加校】

函館ラ・サール中学高等学校(北海道)
暁星中学・高等学校(東京都)
白百合学園中学高等学校(東京都)
東洋英和女学院中学部・高等部(東京都)
頌栄女子学院中学校・高等学校(東京都)
普連土学園中学校・高等学校(東京都
聖学院中学校高等学校(東京都)
女子聖学院中学校高等学校(東京都)
青山学院中学部・高等部(東京都)
恵泉女学園中学・高等学校(東京都)
目黒星美学園中学高等学校(東京都)
聖ドミニコ学園中学高等学校(東京都)
玉川聖学院中学部・高等部(東京都)
光塩女子学院中学科・高等科(東京都)
立教女学院中学校・高等学校(東京都)
立教池袋中学校・高等学校(東京都)
晃華学園中学校高等学校(東京都)
サレジオ中学校(東京都)
明治学院中学校・東村山高等学校(東京都)
聖パウロ学園高等学校(東京都)
サレジオ工業高等専門学校(東京都)
桜美林中学校・高等学校(東京都)
東星学園中学校・高等学校(東京都)
カリタス女子中学高等学校(神奈川県)
聖ヨゼフ学園中学校・高等学校(神奈川県)
横浜雙葉中学高等学校(神奈川県)
横浜女学院中学校・高等学校(神奈川県)
横浜共立学園中学校高等学校(神奈川県)
浦和明の星女子中学・高等学校(埼玉県)
不二聖心女子学院中学校・高等学校(静岡県)
暁星小学校(東京都)
白百合学園小学校(東京都)
青山学院初等部(東京都)
聖ドミニコ学園小学校(東京都)
田園調布雙葉小学校(東京都)
カリタス小学校(神奈川県)
清泉小学校(神奈川県)

《畑山望》


(小中高37校が参加
「2015キリスト教学校合同フェア」3/21 | リセマム)
http://resemom.jp/article/2015/02/11/22846.html





▲韓国軍に慰安婦制度 (2002.2.24 朝日新聞)

【婚礼の客】ミラノ…須賀敦子 文才育んだ「霧の街」

2015-02-25 22:15:04 | 今日の御言葉
▼「梅の香に 福島ほっこり」
(福島県伊達市 2015.2.24)




イエスは言われた。

「花婿が一緒にいる間、

婚礼の客は悲しむことが
できるだろうか。

しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
そのとき、彼らは断食することになる。


マタイによる福音書/ 09章 15節
新約聖書 口語訳




他人の過ちや、
罪深いすべてのものに目を閉じ、
神の美徳をさがす
(目の沈黙)


ゴシップや告げ口、
無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、
神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける
(耳の沈黙)


暗さや動揺、
苦しみを引き起こす
すべての言葉をつつしみ、
私たちを啓発し、鼓舞し、
平安や希望や
喜びをもたらす神の真理の言葉、
イエスの言葉を口にする
(舌の沈黙)


うそや混乱、破壊的な考え、
軽率な評価、他人への誤った疑い、
復讐心、さまざまな欲望などに
精神を閉ざし、祈りと黙想において
神の真理と知識に精神を開く
(精神の沈黙)


すべての自分本位の考え、
憎しみ、うらみ、ねたみ、
欲ばりを避け、私たちの心、魂、
精神、力において神を愛し、
神が愛するように人を愛する
(心の沈黙)


マザーテレサ 

(『愛のこころ最後の祈り』より)




★ミラノ…須賀敦子 文才育んだ「霧の街」 :

新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

◆読売新聞 2015年2月24日




▲ミラノ旧市街にそびえるドゥオーモ(大聖堂)。広場から続く目抜き通りに、サン・カルロ書店はある(伊北部ミラノで)=青木佐知子撮影



▲1961年、コルシア書店で本に囲まれている須賀敦子
(河出書房新社提供)


イタリアを題材にしたエッセーや翻訳で知られる作家、須賀敦子は、30歳代を伊北部ミラノで過ごした。

カトリック信者だった須賀は、日本文学のイタリア語訳を手がける傍ら、教会の刷新運動にも加わった。

ローマから列車で北に向かうと、乳白色の霧に包まれた平野が現れ、ミラノに近づいたことを教えてくれる。買い物客でにぎわうミラノの目抜き通りにたたずむ教会の軒先に、その小さな書店はあった。

コルシア・デイ・セルヴィ書店。1960年、須賀はこの書店を切り盛りしていたジュゼッペ・リッカと出会い、翌61年に結婚した。

「本の陳列棚は当時のままだ。月に2、3人は日本人が来るよ」

店員のジローラモ・カッラーロさん(67)が、隣接する教会の物置を改装して作られたという、細長い店内を見せてくれた。60年代当時、書店は教会の近代化を求める「カトリック左派」の拠点だった。カトリック系の女学校などで学んだ後、神学を学ぶためにローマに渡った須賀も、こうした書店の活動に興味を持ち、ミラノに移り住んだ。

須賀は著作「コルシア書店の仲間たち」で、教会の変革に燃える聖職者や編集者らが議論を交わしたコルシア・デイ・セルヴィ書店を、「ごったまぜの交流の場」と記した。サン・カルロ書店に看板が変わった今も、多くの須賀ファンが訪れる。

大学生の頃に書店に通い、その後、書店を手伝ったジャンアンドレア・ピッチョリさん(73)は、「アツコは洞察力に優れていた」と振り返る。「議論を取り仕切るタイプではないが、口を開けば魅力的な発言をした」

須賀は63年、伊出版社の依頼で、川端康成や谷崎潤一郎の作品の翻訳を始めた。友人で、ローマ・サピエンツァ大学のマリアテレーサ・オルシ教授は「私が日本文学に熱中して研究者になったのは、彼女の翻訳作品のおかげ。言葉の微妙な意味の違いに敏感だった」と語り、須賀の「ミラノなまり」のイタリア語をしのんだ。

リッカが41歳の若さで病死した後、須賀は東京に戻り、教会の慈善活動として廃品回収を始める。だが帰国前の須賀は、信仰に生きる道と、文学への憧れのはざまで揺れていた。「日本へ帰って教会の手助けなどするより創作の道を歩きたい思いに駆られる」

当時の日記に、こうつづった須賀だが、やがて文学研究の道に進み、大学の教壇に立った。90年、イタリア生活を追懐した初の著作「ミラノ 霧の風景」を出版。61歳の新人のエッセーは、柔らかで精緻な文体が賛嘆された。帰国から19年後のことだ。

コルシア書店を手伝ったピッチョリさんは、須賀の生き方を「彼女は常に、より困難な道を選んだようだね」とたたえた。時の熟成を経て、研ぎ澄まされた文章。だからこそ、読者の心にしみるのだろう。(文と写真 青木佐知子)


須賀敦子(1929~98)

兵庫県芦屋生まれ。カトリックの聖心女子学院で学ぶ。1953年、24歳でパリ留学。58年、ローマ留学。13年のイタリア滞在を経て、71年に帰国。西洋文学の講師や伊文学の翻訳を手がけ、89年、上智大学教授に。初の著作「ミラノ 霧の風景」が、講談社エッセイ賞と女流文学賞をダブル受賞。98年、心不全で死去。生前に出版された著作は5冊ながら、今も人気が高い。東京のイタリア文化会館は昨年、功績を顕彰し、「須賀敦子翻訳賞」を設立した。

2015年02月24日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun



【似姿】神話や建国記述「間違ってない」 「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

2015-02-24 08:40:26 | Weblog
▼「誰も幸せにならないいじめ」山崎 柊さん /喜多紗月さん 画
( 産経 2015.2.23 )





神は言われた。

「我々にかたどり、我々に似せて、
人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、
家畜、地の獣、地を這うものすべてを
支配させよう。」


創世記/ 01章 26節
旧約聖書 新共同訳




人は一切れのパンではなく
愛に、小さなほほえみに
飢えているのです。

だれからも受け入れられず
だれからも愛されず
必要とされないという悲しみ

これこそほんとうの飢えなのです。

愛を与え
愛を受けることを知らない人は
貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。


(マザーテレサ『愛のことば』より)





▼誰も知らない「建国記念の日」2015.2.11



◆神話や建国記述「間違ってない」
「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

★産経新聞 2015年2月22日


愛知県一宮市の市立中学の男性校長(56)が、学校のホームページ上のブログに、神話に基づく日本建国の由来などに触れながら、自国に誇りを持つよう訴える記事を掲載したところ、市教育委員会から「神話を史実のように断定的に書いている」との注意を受け、記事を削除していたことが21日、分かった。学校側には教職員組合から抗議文も出されたが、「校長は間違っていない」「感動した」などと記事内容を評価する声も多数寄せられているという。ブログ記事は削除しなければならない内容だったのか。(河合龍一)

市教委や校長によると、校長は建国記念の日を前にした9日、朝礼で「日本の起源」について話し、同日午後に、その基になった原稿をブログに掲載した。

記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。「この話は神話」と断った上で「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。

その上で「皆さんは世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んでほしいと思います」と締めくくっていた。

記事を批判する電話が12日に1件寄せられたことを受け、市教委が校長を注意。校長は「生徒や職員に迷惑をかけたくない」として自ら記事を削除した。

中学社会科の学習指導要領では「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること」と明記されている。

校長は「神話を通じ、子供たちに『自分より人のため』という古代からの日本人の精神性を伝え、自国に誇りを持ってもらいたかった」と話した。市教委学校教育課は「部分的に読むと史実と受け止められかねず誤解を招く」としている。

市教委にはこれまで「偏向教育だ」という匿名の手紙が1通寄せられたほか、一部報道を受け、賛否の電話が十数件あった。学校側にも海外在住の日本人を含め、電話やファクスが多数寄せられ、大半が記事を評価したり、「削除する必要はない」などと校長を激励したりするものだという。


元公立小学校長で狭山ケ丘高校(埼玉県)校長の小川義男氏は「神話と断っている上、学習指導要領にも即しており、何の問題もない」と指摘している。



≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。


仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。


三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。


この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。


古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)






★【産経抄】

神話は国柄を示す 2月23日 - 産経ニュース

◆産経新聞 2015年2月23日



16代仁徳天皇は『古事記』では、恋多き男として描かれる。恋の相手は、吉備の国の豪族の娘、クロヒメ、八田のワカイラツメ、メトリの王(おおきみ)…。その度に天皇の后(きさき)、イワノヒメが嫉妬の炎を燃やす。もっとも、これは神話の「上級編」である。

▼仁徳天皇が高台から見渡すと、かまどを焚(た)く煙が見えない。民の貧しさを知った天皇は、民の税を免除し、自らも質素倹約に努めた。愛知県一宮市の市立中学の校長(56)は、「聖帝」の有名な事跡を紹介して、生徒たちに語りかける。「神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」

▼さらに「天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」例として、マッカーサーとの会談に臨まれた昭和天皇のエピソードを挙げている。小紙はきのう、校長が建国記念の日を前に、学校のホームページのブログに書いた記事の全文を掲載した。東日本大震災の被災地で、人々に膝をついて声をかけられる、今の天皇、皇后両陛下の姿を思い浮かべた読者も少なくないだろう。

▼いずれにしても、一体この記事のどこに、問題があるというのか。記事掲載から3日後、市教委に批判の電話が1件寄せられた。これを受けて市教委が校長に注意し、記事は、ホームページから削除されたという。

▼今年の日教組の教研集会でも、唖然(あぜん)とするような授業が報告されていた。ある教員は建国記念の日について、「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めたという、嘘だらけの日」と説明していた。

神話を敵視する偏向教育はなかなか改まらない。なにより教育界の一部に残る、混乱回避を何より優先する「事なかれ主義」と「隠蔽(いんぺい)体質」には、暗澹(あんたん)たる気分にさせられる。




2015.2.23 皇太子さま55歳 (平成27年2月23日)




▲ 今日も元気

(越智友美さん 愛媛県西条市 産経2015.2.23 )

【定め】東京マラソン名物・ キリストランナーことララバイ、 今年は出場せず

2015-02-23 05:14:13 | 今日の御言葉
▼手書きにこだわり。こいのぼり
(埼玉県草加市 2015.2.19 )






こういうわけで、わたしたちもまた、
このようにおびただしい証人の群れに
囲まれている以上、すべての重荷や
絡みつく罪をかなぐり捨てて、

自分に定められている競走を忍耐強く
走り抜こうではありませんか。


ヘブライ人への手紙/ 12章 01節
新約聖書 新共同訳



すべての宗教は、永遠なるもの、
つまりもうひとつの命を信じています。


この地上の人生は
終わりではありません。

終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、
正しく説明されれば、

死を恐れることなどなくなるのです。



マザーテレサ 

(『日々のことば』より)






防犯の都合上、出走が認められなかったらしい…。


★東京マラソン名物・
キリストランナーことララバイ、
今年は出場せず

◆ガジェット通信2015年02月22日 07:00


東京マラソンをイエス・キリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで有名な、ロックバンド「ザ・チャンバーズ」のボーカリスト・ララバイが、2月22日(日)に開催される「東京マラソン 2015」に出場しないことがわかった。

ザ・チャンバーズはOTOTOYニュースの取材に対し「ララバイは今年の東京マラソンには出場せず、現時点では4月26日にロンドンで行われるロンドンマラソンに出走を予定。その凱旋ライブとして5月1日(金)に新宿レッドクロスでザ・チャンバーズ企画のイベントをおこなうことを予定している」と答え、ララバイが当初より今年は東京マラソンへの出場を予定していなかったことを明らかにした。

ララバイは例年、東京マラソンに出場して十字架を背負いながら寒空の下をキリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで知られており、沿道の見物客だけでなく出場ランナーからも写メで目撃報告をツイートされることでおなじみとなっている。筆者も2012年の東京マラソンに出場して完走したのだが(自慢)、その際に品川の折り返し地点で実際にララバイとすれ違った。沢山のコスプレランナーがいる中でも、思わず2度見してしまう別格のインパクトがあったことを覚えている。それだけに今年は不出場というのは非常に残念だが、本業のバンドマンとしての活躍に期待しよう。

ザ・チャンバーズは2月21日(土)渋谷aubeでおこなわれるライヴ・イベントに出演するので、東京マラソンファンの方は、バンドマンとしてのララバイの雄姿を確かめにライヴ・ハウスに足を運んでほしい。(岡本貴之)

・ザ・チャンバーズ オフィシャル・ウェブサイト
http://www.thechambers.jp/

◆ザ・チャンバーズ出演ライヴ情報

〈THE SOFT PARADE~JOSY 2nd single”LASER BEAM” release party~〉
2015年2月21日(土)渋谷aube
OPEN/START 16:00/16:30
ADV/DAY 2000円/2500円(+1D)
w/乱舞虎 / ザ・チャンバーズ / 廃人トニック006 / 鼻ホームランの森 / THE STEPHANIES / Riff / The Muddy Dogs


http://getnews.jp/archives/828148
(2015.02.22 07:00 OTOTOY カテゴリー : エンタメ タグ : OTOTOY)





▲平成27年2月22日 (日) 産経新聞号外

ネゲセV 東京マラソン 女性はディババ



★殺害直前に後藤健二さんの脳裏に
おそらくよぎった詩編

佐藤優 直伝「インテリジェンスの教室」


◆現代ビジネス 2015年2月19日



▲〔PHOTO〕gettyimages

「キリスト教徒の死生観」


【コメント】

1.―(1)

過激組織「イスラム国」による後藤健二氏の殺害をめぐって、さまざまな議論が展開されているが、後藤氏がプロテスタントのキリスト教徒であったことを考慮しないと、分析を誤る。

1.―(2)

例えば、2月4日、自民党の高村正彦副総裁は、<後藤健二さんが外務省から昨年9月以降、3回の渡航自粛要請を受けたにもかかわらず、中東の過激派「イスラム国」の支配地域に入り殺害されたことに「真の勇気でなく、蛮勇とも言うべきものであったと言わざるを得ない」と述べた。党本部で記者団に語った。/高村氏は、後藤さんがイスラム国の支配地域に入る前に「自己責任だ」と述べたことに触れ「個人で責任を取りえないようになることもありうる」と指摘した。>(前掲)。高村氏は、後藤氏の内在的論理を理解できないために、「蛮勇」という否定的評価をするのである。

2.―(1)

後藤氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒だ。筆者も同じ教団に所属するプロテスタントなので、後藤氏の宗教人としての内在的論理を理解することができる。

(略)

イエス・キリストは、99匹の羊を野原に残してでも、迷った1匹の羊を探すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕らえられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。後藤氏には、「誰もやらないのならば、君がやらなくてはならない」という神の声が聞こえたのだと思う。

2.―(2)

突然、心の中に聞こえてくる神の声をキリスト教徒は重視する。後藤氏の場合、湯川氏を捜すことが召命と思えたのである。だから、外務省の渡航自粛要請を無視したのだ。キリスト教徒にとって、神からの召命の方が国家の要請よりも上位に立つからだ。

3.―(1)

2014年5月30日付の日本のキリスト教系メールマガジン「クリスチャントゥデイ」に、後藤氏のインタビューが掲載されている(インタビュー「国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~」)。これを読むと後藤氏の信仰がよくわかる。

後藤氏は洗礼を受けたときの事情についてこう述べる。<「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな…なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。>

後藤氏は、取材先での死を意識してキリスト教徒になった。ジャーナリストとの職業的良心とキリスト教徒としての信仰的良心をできるだけ重ね合わせるようにして生きてきたのだと思う。

3.―(4)

後藤氏は、黒装束のテロリストによって首にナイフを当てられたときも、うろたえず、まっすぐ前を向いていた。そのとき、心に刻み込んでいる詩編が脳裏をよぎったであろう。

<見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い
あなたのまことに従って
彼らを絶やしてください。
主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ
恵み深いあなたの御名に感謝します。
主は苦難から常に救い出してくださいます。
わたしの目が敵を支配しますように。>(「詩編」54編6~9節)


キリスト教徒にとって、死がすべての終わりではない。イエス・キリストを信じる者は、死から復活し、永遠の命を得ると信じている。・・・(以下略)


佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.054
(2015年2月13日配信)より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42134#
(現代ビジネス [講談社] 2015年2月19日)





▲平成27年2月1日 産経号外



【賛美】日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会

2015-02-21 23:30:13 | Weblog
▼「かつうらビッグひな祭り」(遠見岬神社)



こう言った。

「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/
世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」


ヨハネの黙示録/ 07章 12節
新約聖書 新共同訳




もし、経験がないならば、尋ねなさい

尋ねることは
恥ずかしいことではありません

けれど、知らないことを、

知っているような
ふりをするのはやめなさい


マザーテレサ 

(『日々のことば』より)




◆東京新聞:日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会(TOKYO Web)


★東京新聞2015年2月21日


▲日本人1000人の声でCDを製作し全米デビューを目指すジェンナさん(右)とプロデューサーのジェット・エドワーズさん=東京都三鷹市で(梅津忠之撮影)



東京都渋谷区を拠点とする合唱グループが米国人プロデューサーと協力し、千人の参加者を集めてアメリカでCDデビューする企画を進めている。メンバーには「ゴスペルは東日本大震災の被災者を力づけてきた。被災地のために歌いたい」と大震災から四年を迎える被災地への思いを胸に参加する人もおり、日本のゴスペル界の力を結集させた歌声が海を渡る。 (横井武昭)

企画を進めているのはNGOゴスペル広場(渋谷区)代表でゴスペル指導者の日本人女性ジェンナさん(33)。普段は全国から二千人が通う教室の会費で途上国支援をしながら普及に努めている。

米国では音楽の主要ジャンルとして確立し、ヒット曲も多い。「日本のゴスペル界が発展するために日本人の力でアーティストや曲をつくり、自分たちの文化として発信したい」と思いが募った。

ダイアナ・ロスなど著名なアーティストを数多く手掛け、今は日本に住む米国人プロデューサー、ジェット・エドワーズさんと昨年出会い、意気投合。千人というかつてない規模でゴスペルを歌い、エドワーズさんが設立したレーベルから全米デビューすることを決めた。

この企画に各地の教室の講師、メンバーらが協力を申し出た。

横浜市内のグループに所属する公務員石原史也さん(55)もその一人。震災後の宮城県石巻市に毎年仲間と通い、浸水した商店街の楽器店や仮設住宅、地域の祭りなどさまざまな場所でゴスペルライブを開いてきた。

最初は「生活が大変な時に歌っていいのか」と戸惑いもあったが、心を込めて歌うと、涙を流して聞く被災者の姿が見えた。「『歌を聞いて元気が出た』『初めて明るい気持ちになれた』と言ってくれ、ゴスペルの力ってすごいと思った」

今回も被災地への思いを込め歌声を響かせる。「ゴスペルには心を一つに平和を祈るというメッセージがこもっていて、一人一人の個性や思いをいかして歌えるのがいいところ。日本発のゴスペルなので、私は被災地のために歌いたい」

CDにはエドワーズさんとジェンナさんが作った英語のオリジナル曲に洋楽のカバーを加え六曲を収録。うち一曲は日本語で歌う。

現在、一般参加者も募っており、十二歳以上であれば誰でも参加可能。定員まで百人ほどある。ジェンナさんは「ゴスペルは大衆音楽。大勢の人と思い切り歌うのは楽しいので初めての人もぜひ参加を」と呼び掛けている。

二十二日と二十七日に東京都武蔵野市内で合同練習を開き、三月十五日に青山学院大学講堂(東京都渋谷区)で収録する。六月下旬~七月上旬にCDを発売する予定。参加費八千円。申し込み方法などは、ホームページで(JAPAN MASS CHOIRで検索)。

<ゴスペル> 米国のキリスト教音楽。米国の黒人の間で、黒人霊歌などを起源に、ブルースやジャズなどの要素も加わって生まれたとされる。ハーモニーに合わせ、時には体をうねらせてステップを踏むなど、感情表現豊かに歌う。




▲2015.2.21 産経 (千葉県勝浦市)

【二人】中国“人民”にも愛された高倉健さん 武士道精神を体現した人

2015-02-20 08:06:38 | Weblog



ふたりまたは三人が、
わたしの名によって
集まっている所には、

わたしもその中にいるのである。


‭マタイによる福音書‬ ‭18‬章20節
‬ 新約聖書 口語訳



最も剛毅なる者は
最も柔和なる者であり、

愛ある者は勇敢なるものである。


(『武士道』新渡戸稲造 )



★【河村直哉の国論】中国“人民”にも愛された高倉健さん
武士道精神を体現した人 - 産経WEST

◆産経新聞 2014年12月5日 07:00更新



▲映画「君よ憤怒の河を渡れ」で
馬乗りロケを行う高倉健。右は女優の中野良子
=昭和50(1975)年11月


俳優、高倉健さんの魅力とは何だったのだろうと、追悼番組などを見るたび考えてきた。それは日本人的な徳に貫かれた生き方の魅力だったのではないかと思う。武士道精神に貫かれた生き方、といってもよい。

単に任侠(にんきょう)シリーズで健さんが刀を手にしているから、という理由ではない。刀を持とうが持つまいが、健さんの演じる男、さらに健さんの生き方そのものが、武士道的な精神を感じさせるのである。

確かに初期の「日本侠客(きょうかく)伝」シリーズなど、役どころもいかにも「武的」だ。第1作で、渡世人集団でもある東京・木場の材木運送業の小頭(こがしら)を任された主人公は、侠客であり、切り込んで敵を倒す。しかしこれだけなら「武的」ではあっても武士道的ではない。敵対勢力のいやがらせに耐え、正道の仕事をまっとうしようとするが、仲間が殺され、付け火されるに及んで、ついに刀を手にする。優しさと義憤があるから、それは武士道的といってよい味わいを帯びてくる。

刀を手にしない作品でも、健さんはどこか武士道的だ。たとえば追悼番組としても放送された「あなたへ」では、故郷の海に散骨してほしいという先立った妻の願いをかなえる義があり、妻を思う優しさがある。この義と優しさが、高倉作品の大きな魅力ではないかと思う。

そしてこの義と優しさは、20世紀にさしかかろうとするころ、日本人の日本人らしさを求めて新渡戸稲造が著した「武士道」において、重視された特性なのだ。「武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない」。新渡戸はそういってまず義について説く。


しかし義だけでは足りない。「『最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである』とは普遍的に真理である。『武士の情』という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた」。そういって新渡戸が「仁・惻隠の心」を重視するように、優しさが武士道には同時に求められる。

ほかに新渡戸が挙げる武士道の「勇」や「礼」、「誠」、「克己」なども、高倉健という俳優の印象、さらに高倉作品のイメージと重なってくる。健さんの礼儀正しさや誠実さは訃報に接して多くの人が伝えた通りだし、禁欲的に役作りに打ち込む姿なども「克己」という言葉を思わせる。

その寡黙さにも筆者など、武士道の心得書「葉隠」を重ねてイメージしてしまう。「葉隠」という書名の由来は、「葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふここちする」という西行の歌とする説がある。饒舌(じょうぜつ)な自己主張ではない、木の葉の間にほの見えるひそやかだが美しい花の心といったものが、高倉健という俳優のたたずまいから感じられてくるのだ。

かくして「高倉健」は、日本人的な価値観を体現した存在だったといってよい。そしてこの名優がこれほど多くの人から愛され、その死が悼まれているということは、筆者には、この日本的な価値観、武士道的な価値観がいまでも多くの人に共有されていることを物語っているように思えてくる。

ことは日本だけではない。中国でも健さんの死が大きく報じられ、追悼されているという。いいことだと思う。本物は、どの国においてもいつの時代にあっても評価されるということだ。


評論家の石平さんが書いているが、中国共産党が反日路線をとる前、中国で国民的なスターだったのは山口百恵さんであり、高倉健さんだった。冗談半分で石平さんは言っている。健さんのような、長身で無口な男というのが中国の若い女性の理想の男性像となり、「背が低くて口達者」な石平さんは女性から見向きもされなかった、とか(石平さんの、すてきなことは言うまでもないが)。中国にもそのような時代があったということだ。

死してなお魅力を放ち続ける高倉健という人の偉大さを、改めて感じる。 (大阪正論室長) =随時掲載します

(産経新聞 2014年12月5日 07:00更新)



葉隠れに散りとどまれる花のみぞ

忍びし人に会ふ心地する


( 『山家集』西行 1118-1190 )




緑の葉の中にわずかに散り残った花を

見いだした感動を詠む。




▲『武士道』新渡戸稲造 著




▲平成27年1月23日(金)

産経新聞号外

白鵬最多V 大鵬超え33度目





【救うもの】いま注目“明治の大阪の玄関地”そびえる 大正モダン 日本聖公会・川口基督教会

2015-02-18 06:34:06 | 今日の御言葉
▼100年間お疲れ様でした (2015.2.18)



あらゆる汚れやあふれるほどの悪を
素直に捨て去り、
心に植え付けられた御言葉を
受け入れなさい。

この御言葉は、
あなたがたの魂を救うことができます。


ヤコブの手紙/ 01章 21節
新約聖書 新共同訳




だれにでも、沈黙し、
黙想する時間が必要です。

私はいつも沈黙のなかで
祈りをはじめます。

神は静寂の友です-
私たちは神の声に耳を
かたむける必要があります。


祈りは魂を満たしてくれます。

そして、人間は、祈ることで
神に近づくことができるのです。

祈ることで、あなたは清らかで
純粋な心を与えられるのです。

マザーテレサ

(『マザーテレサ語る』より)





▲レンガ造の構造は阪神淡路大震災で
塔などが大きな被害を受けたが
復元された(撮影・西岡潔)


★【都市を生きる建築(27)】
いま注目“明治の大阪の玄関地”そびえる
大正モダン 日本聖公会・川口基督教会

◆産経新聞 2015年2月15日 産経WEST

第23回で取り上げた大阪教会の工事や、第25回の江戸堀コダマビルを請け負った岡本工務店の創設者・岡本新次郎は、1885(明治18)年に大阪の泉北で生まれ、東京で建築を学んだ後に建築家・辰野金吾の事務所と住友の営繕課で修業し、1910年に岡本工務店を設立した。そんな岡本の手がけた建築を、もうひとつ紹介しよう。西区川口に建つ日本聖公会川口基督教会だ。

川口教会のある川に囲まれた川口は、明治時代に大阪港が開港して設けられた居留地だったエリアで、各国の領事館や商館、邸宅などの洋館が立ち並び、モダンな街並みが広がっていた。また対岸の江之子島には大阪府庁や市役所が設けられ、一帯は海から運ばれてきた物資の流通拠点として賑(にぎ)わった。一時期、大阪の中心はここにあった。

川口教会はそんな居留地に設立された聖テモテ教会を源流にもつ教会で、現在の聖堂は1920(大正9)年にアメリカ人建築家ウィリアム・ウィルソンによって設計された。ゴシック様式をもとにしたイギリス積みレンガ造で、塔の頂部のデザインや、先の尖(とが)った尖頭アーチなどにその特徴がうかがえる。礼拝堂の天井は木造の小屋組を露出させたオープン・ルーフで、はさみのように交差する9対のシザーズ・トラスが屋根を支える。

かつては大阪の玄関口として栄え、モダン文化の発信地であった川口だが、中之島図書館や中央公会堂などが保存されてレトロエリアとして人気の中之島東部などと比べると、西部の人通りはまばらでエリアの再生整備も立ち遅れている。


しかしこの地域もまた川口教会をはじめ、かつて港湾で賑わったことを伝える住友倉庫や、アートセンターとして再生した旧工業奨励館、そして戦後の都市居住のあり方を示した川口ビルディングや、小ぶりだが清廉なモダニズム建築の旧大阪税関富島出張所など、優れた建築資源が集中するエリアである。

この2月には水と光の首都大阪を目指すプロジェクトの一環として、川辺の空地にフィッシャーマンズマーケットがオープンするなど、将来の賑わい拠点づくりに向けた動きも始まった。今後、川口教会はエリア全体の文化的、そして歴史的なランドマークとして、新たな役割を担うことになるだろう。

(高岡伸一/建築家・大阪市立大学特任講師)

(いま注目“明治の大阪の玄関地”そびえる大正モダン 日本聖公会・
川口基督教会 - 産経WEST 2015.2.15 13:00更新)
http://www.sankei.com/west/news/150215/wst1502150012-n2.html



▲礼拝堂の屋根は
木造のシザーズ・トラスによって
支えられている
(撮影・西岡潔) 2015.2.15 13:00





『救国のレジリエンス』藤井聡 (講談社 写真)

「列島強靭化」でGDP900兆円の日本が生まれる。



【藤井聡「都構想問題」声明文】
「権力による言論封殺には屈しません」(H27/2/7) - YouTube






▲ 2015.2.18 (記事)


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京都大学 大学院 土木工学 内閣官房参与
維新の会 橋下徹 自民党 住民投票
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国土強靭化 都市計画 松井石根 大将
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虐殺は終戦後、米軍放送で知った
歴史戦 超限戦 中国共産党

【負担】「平壌を再び朝鮮のエルサレムに」 同性愛とキリスト教と北朝鮮

2015-02-16 07:11:45 | 今日の御言葉
▼「場内空っぽ。兵隊どころか住民も」2015.2.15


信者の婦人で身内にやもめがいれば、
その世話をすべきであり、
教会に負担をかけてはなりません。

そうすれば教会は
身寄りのないやもめの
世話をすることができます。

テモテへの手紙一/ 05章 16節
新約聖書 新共同訳



私たちは愛してほしいと願う前に
まず、多くの人を愛していきたいと
願わなければいけません。
神様は
無条件に愛することを
私たちに教えていらっしゃるのです。



★【北朝鮮の同性愛事情-6-】
「平壌を再び朝鮮のエルサレムに」
同性愛とキリスト教と北朝鮮


◆DailyNK Japan(デイリーNKジャパン)2015年2月3日




▲「同性愛は消滅すべき罪悪」などと書かれたプラカードを持った保守キリスト教団体のメンバーが大邱(テグ)クイア・パレードの参加者と衝突している。(画像:読者提供)

連載企画「北朝鮮の同性愛事情」は今回で最終回。最後は「もし北朝鮮が開放されて同性愛が流れ込んだら何が起きるのか?」というテーマについて、現代韓国の同性愛事情とキリスト教の関連から考察してみたい。

▼平壌は「朝鮮のエルサレム」

同性愛に反対し憎悪を煽る韓国のプロテスタント。そもそも韓国にはなぜクリスチャンがこれほど多いのだろうか。

「朝鮮のエルサレム」かつての平壌はそう呼ばれるほどクリスチャンの多い街だった。

19世紀末、福祉や教育分野に進出して布教を進めていたキリスト教だが、クリスチャンの数が爆発的に増えるきっかけとなったのは1907年に起きた平壌大復興だった。

これは平壌のとある教会で、宣教師と教会の指導者が公開の場で涙を流しながら懺悔を行っていたことをきっかけに、信者が急増したという出来事だ。1945年以前の朝鮮半島のクリスチャンの3分の2は現在の北朝鮮に集中していた。

金日成氏の父の金亨稷(キム・ヒョンジク)氏はミッションスクールの崇実(スンシル)学校(現在ソウルにある崇実大学校の前身)を卒業したクリスチャンだ。

母の康盤石(カン・バンソク)氏は平壌にあった長老派系のチルゴル教会の康敦煜(カン・ドヌク)長老の娘だ。「盤石」という名前は使徒ペテロにちなんでいる。


金日成氏の叔父で後に北朝鮮の副主席を務めた康良煜(カン・ヤンウク)氏も牧師だった。金日成氏自身もクリスチャンで中学2年生までは熱心に教会に通っていたと言われている。

朝鮮民主主義人民共和国の成立と朝鮮戦争をきっかけに北朝鮮にいた多くのクリスチャンが弾圧を逃れて韓国へと逃げてきた。1960年台には100万人程度だった韓国のクリスチャン(プロテスタント)人口は現在では1200万人に達している。

1200万人と言えば人口5000万の韓国においては非常に大きな影響力を持つ。韓国国内の最大宗派の長老派教会は非常に保守的で、政治的には「宗教右派」として影響力を行使する。

アメリカの長老派教会が同性婚を認めたことに対して「聖書の言葉をより固く守り、信仰の暮らしへと信者を導くべきアメリカ最大の長老教団がむしろ聖書の権威を無視してそれに反する決議を行ったことは到底許されることではない」と激しく非難し、同性婚認定の撤回を要求している。



▲朴元淳ソウル市長の発言に抗議して市庁舎で座り込み抗議を行う人々(画像提供:@torirun)
「同性愛」をめぐる激しい社会対立


同性愛をめぐっては、最近起きた「ソウル市民人権憲章」をめぐる混乱で対立が改めて表面化した。

12月10日の世界人権の日に発表予定だった「ソウル市民人権憲章」。性的マイノリティへの差別禁止を謳う条項が入っていたが190人からなる市民委員会では圧倒的多数でこれを承認した。

ところが、これに保守キリスト教団体が猛反発。反対を押し切ると見られていた人権派弁護士でリベラルなソウル市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長は、市民委員会の議決を「合意」ではないという理由で無効化した上で、キリスト教団体に「同性愛を支持しない」と語ったのだ。

市長の態度の豹変に、同性愛者の団体のみならず300もの市民グループも猛反発。発言の撤回を求めてソウル市庁舎で300人が座り込み連日連夜の抗議活動を行った。10日後、朴市長は「皆さんが傷つかれたことに申し訳なく思っている」と謝罪に追い込まれた。

このように韓国では社会における性的マイノリティの存在をめぐり厳しい対立が繰り返されているが、「プロテスタント=宗教右派」がその火に油を注いでいるのだ。その右派には一部の脱北者団体も加勢している。

▼脱北者とキリスト教の親和性

脱北者の多くは韓国にやってきてクリスチャンとなりプロテスタントの教会に通うようになる。プロテスタントが脱北者支援に積極的という理由もあるだろうが、北朝鮮が掲げる「唯一思想体系」とキリスト教の「一神教」が似ていることから、惹きつけられるという理由が大きいようだ。

脱北詩人のト・ミョンハク氏は韓国のTV朝鮮に対して次のように語っている。

「脱北して聖書を初めて読むと『北朝鮮はキリスト教を真似して私たちを騙していた』ことにすぐに気づいてしまう。だから教会の雰囲気やキリスト教のあり方が脱北者の心を揺さぶるのだ」

韓国のプロテスタントは、今でも命がけで信者を北朝鮮に送り込んでいるが、そのモチベーションとなっているのは「朝鮮のエルサレム」再建だ。

北朝鮮が開放され、統一されたら堰を切ったように朝鮮半島北部に流れこんで「金氏王朝」からキリスト教国家に塗り替えてしまうパワーを持っている。

同時に、韓国から様々な情報が流入し、自分が同性愛者であることに気づく北朝鮮の民衆も大勢現れるだろう。その時、同性愛をめぐって新たな対立が生じるであろうことは想像に難くない。

2035年の平壌の旧金日成広場。同性婚を求める性的マイノリティと「ホモは許さない」と叫ぶキリスト教信者が衝突する。まさに今の韓国と全く変わらない状況が北朝鮮に出現するかもしれない。

(了)

【北朝鮮の同性愛事情-6-】「平壌を再び朝鮮のエルサレムに」同性愛とキリスト教と北朝鮮 | DailyNK Japan(デイリーNKジャパン)
http://dailynk.jp/archives/34110






★後藤さんはキリスト者だった

◆世界日報 2015年2月5日
オピニオンの「ビューポイント」




▲アンマン市の風景(2014年5月10日、アンマンで撮影)

ヨルダンのパイロットがイスラム過激テロ組織「イスラム国」によって焼殺されたというニュースは世界を再び震撼させている。オバマ米大統領、オランド仏大統領、メルケル独首相ら世界の指導者たちは一斉に「イスラム国」を批判し、「絶対に許さない」と表明している。メルケル首相は「人間がどうしてあのような酷いことができるか分からない」と呟いたという。イスラム国の蛮行を目撃する度に同じように感じる人は多いだろう。

ヨルダンの首都アンマンに昨年取材し、多くの新しい知人と出会った当方はヨルダンからのニュースが気になった。政府や国民は「イスラム国」に対して報復を宣言しているという。ヨルダンは人工国家と言われ、小国家だ。アンマン国際空港やホテルにはフセイン前国王、アブドラ現国王、そしてその息子アブドラ皇太子の3人の肖像画が掲げられている。パレスチナ人難民が多数を占め、地理的にも同国は中東の緩衝地的な役割を果たしている。親米国家であり、イスラエルを容認している数少ないアラブ国家だ。

「イスラム国」がジャーナリストの後藤健二さん(47)と引き換えにヨルダンの刑務所に収容されている女性自爆テロリストの釈放を要求したと聞いた時、正直言って少し変だな、と感じた。女性自爆テロリストは「アルカイダ」幹部の未亡人というが、アラブで拘束中の女性テロリストの釈放の為に人質交換を要求すること自体、普通ではない。目的はヨルダンを揺さぶり、政情を不安定にすることが狙いだったと見ている。

アンマンからの情報によると、ヨルダン当局はパイロットの殺害の報復として、拘束中の複数の過激派テロリストを処刑したという。ヨルダン政府、国民の心情は理解できるが、報復では問題は解決できない事は明らかだ。

いつものように、バチカン放送独語電子版を追っていると、「彼はキリスト者だった」というタイトルの記事に出会った。「イスラム国」に殺害された後藤さんのことが紹介されていたのだ。殺害された後藤さんが敬虔なキリスト者だったことを初めて知った。当方には、後藤さんの生前の発言を読んで理解できなかった部分があったが、その真意が少し理解できたように感じた。

「後藤さんがキリスト者だったから特別だ」という気持ちはさらさらない。後藤氏が神を信じ、イエスのような生き方をしたいと願っていた日本人ジャーナリストだったことを知って、当方は改めて後藤さんの発言を振り返ってみた。「戦争のない世界」を夢見てきたという後藤さんは単なる平和主義者の発言ではなく、神の世界を夢見ていたことが分かった。人質となっていた友人湯川遥菜さん(42)を解放するために危険な地域に取材に出かけたのは、後藤さんの心の中に“イエスに倣って”歩んで生きたい、という熱い思いがあったのだろう。

バチカン放送は後藤さんがカトリック信者か、プロテスタントかは書いてないが、そんなことはどうでもいいことだろう。後藤さんは1997年にキリスト者になったという。幼児洗礼で信者となった人ではなく、人生を歩みだした後、神に出会った人なのだろう。

悲しいことは、後藤さんが無神論者によって殺されたのではなく、“アラーを唱え、神の国を願う”イスラム過激派テロリストによって殺害されたという事実だ。後藤さんにとって、一層辛かったことではないか。神の名を乱用する者から神を一刻も早く解放することが後藤さんの願いに応えることにもなるのではないか。


編集局 2015/2/05 コラム
[ウィーン発コンフィデンシャル]



▲2014年9月11日 産経新聞号外
朝日「命令違反で撤退」
吉田調書 記事取消し 「慰安婦」でも謝罪



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【光を人々の前に】神のもとへと導く歌声 黒人教会に響く ゴスペル 奴隷制が生んだ魂の叫び

2015-02-14 20:16:01 | Weblog
▼増加傾向の特別養子縁組25年度は
474件 (産経新聞2015.2.14)




そのように、
あなたがたの光を人々の前に
輝かしなさい。

人々が、
あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父を
あがめるようになるためである。


マタイによる福音書/ 05章 16節
新約聖書 新共同訳




この世の最大の不幸は、
貧しさや病ではありません。

だれからも自分は必要とされていない、
と感じることです。


マザーテレサ
(『マザーテレサ語る』より)




歌を通して神を賛美し、
神に仕えている。

私たちにとってゴスペルは
人間としての礎になっているんです。

(フィリス・ホールさん)




★祈りよ力に
神のもとへと導く歌声 黒人教会に響く
ゴスペル 奴隷制が生んだ魂の叫び

◆47NEWS(よんななニュース)2015年2月5日



▲日曜礼拝でゴスペルソングを熱唱するフィリス・ホール。聖歌隊の手拍子に合わせ、澄んだ歌声が教会に響き渡った=米インディアナ州ゲーリー(撮影・鍋島明子、共同)


聖歌隊が熱唱するゴスペルソングが、集まった信者たちの心と体を揺さぶる。「ジーザス!」「ロード!」。興奮が高まると、人々は叫び、手をたたき、足を踏みならす。その音が歌声と一つになり、礼拝堂の高い天井まで響き渡った。


▽霊歌


米インディアナ州ゲーリーのマウント・モライア・バプテスト教会。黒人街にあるこの教会の日曜礼拝は、「静かに聖書を読む」といった一般的な教会礼拝とはかなり様相が異なる。まるで、コンサートのようなのだ。

20人ほどの聖歌隊を従えた女性歌手が祭壇前に立ち、オルガン、ドラム、エレキギターで編成したバンドが祭壇を取り囲む。牧師の説教や信者の祈りの間に「セレクション」という時間があり、ゴスペルの名曲が次々と大音量で演奏される。

ソロ担当の46歳の女性歌手フィリス・ホールは7歳から歌い始めた。豊かな腰回りが声量を支えている。「幼いころから祖母に連れられて教会に通った。初めて聖歌隊で歌った時は少し怖かったけど、とても気分が良かったのを覚えている」

ゴスペルソングのルーツは黒人霊歌だ。アフリカ大陸から奴隷として米国に連れて来られた黒人たちが、主人が寝静まった夜中、ひそかに集まって祈り、歌った。この世に生きることの苦しみと、死後に天国で救済される願いを歌詞に込めた。

例えば「誰も知らない私の悩み」という霊歌はこうだ。「私は時に落ち込み、ほとんど地に倒れそうになる(中略)友達に伝えてくれ、私もすぐに天国へ行くからと」

ホールは、祖先たちの歴史を振り返った。「彼らは過酷な体験によって信仰に目覚め、それを霊歌として表現していった。奴隷制は、ゴスペルだけでなく、ほとんどの黒人音楽に大きな影響を与えている」

パスターと呼ばれる教会の指導者で62歳のマリオン・ジョンソンは「教会で最も重要なのは牧師の説教だが、その次に重要なのは音楽だ」と言い切った。低音でよく響く声が人を引きつける。「音楽は信者を神のもとへと導いてくれる。うちひしがれている人も歌によって力がみなぎり、祈ろうという気持ちになるんだ」



▲多くの有名黒人歌手が、ゴスペルソングを聞いて育った。聖歌隊のコーラスが始まると、参列者席の女の子が立ち上がり、歓声を上げた=米インディアナ州ゲーリー(撮影・鍋島明子、共同)


▽犯罪


ゲーリーは、全米一の製鉄会社USスチールが20世紀初頭に工場を設立して栄えたが、1960年代から不況に伴う人員整理で失業者が徐々に増加。今では街の中心部はシャッター街になり、店舗や住宅の跡地には雑草が生い茂っている。

人口約10万人の80%以上を黒人が占める。365ある教会は黒人社会の精神的支柱だ。信者の信仰上の悩みだけでなく、生活上のさまざまな相談にも応じている。

この日の礼拝は「シングル・デー」と名付けられ、説教や祈りの中でシングルマザーの子育ての問題が取り上げられた。

黒人のシングルマザー家庭は多く、全家庭の半数を超える。父親のいない子どもたちにとって、教会指導者のジョンソンは、実の父親のような存在だ。「子どもたちのバスケットボールの試合にも、卒業式にも出席しているよ」

ゲーリーは、全米でも有数の犯罪発生率が高い街だ。ジョンソンは、犯罪に手を染めた少年たちのために警察署や刑務所も訪れる。「問題を抱えた人間にこそ神の教えが必要だ。人は外見ではなく、内面がいかに大切かを彼らに教えている」

米国社会に根強い人種差別も黒人教会が扱う問題の一つ。同じ中西部ミズーリ州ファーガソンで8月、白人警官が黒人青年を射殺し暴動が起きた事件について聞くと、「いまだに皮膚の色だけで人を差別する者がいる」と怒りを隠さなかった。


▽陶酔


日曜礼拝の途中、白衣とナースキャップ姿の女性信者2人が祭壇脇に座っているのに気づいた。ゴスペルを聞き、歌っているうちに、宗教的な興奮と陶酔感が高まり、気を失う信者がいるので、待機しているのだ。

この日も聖歌隊のコーラスが最高潮に達した時、参列者席で立ち上がり「ハレルヤ!ハレルヤ!」と、うわ言のように叫びながら、体を震わせる女性信者がいた。

この教会では昔から歌い継がれているゴスペルを演奏するが、最近は、ヒップホップ風のゴスペルも生まれ、若い世代の人気を得ているという。

「私は嫌い。まるでダンスミュージックみたいだから」。40年近く教会で歌ってきたフィリス・ホールにとって、ゴスペルは何よりもまず、神と共にある音楽でなければならない。

“ソウルの女王”アレサ・フランクリンや女優としても活躍したホイットニー・ヒューストンらソウルミュージックの有名歌手の多くがゴスペル出身だが、ホールは「私が尊敬しているのはマヘリア・ジャクソン」と言う。教会を中心に宗教音楽としてゴスペルを歌い続けた伝説の歌手だ。

「歌を通して神を賛美し、神に仕えている。私たちにとってゴスペルは人間としての礎になっているんです」ホールはかみしめるように言った。

(敬称略、共同通信編集委員 藤原聡)
=2014年10月15日


メモ

近くにマイケルの生家

ゲーリーのマウント・モライア・バプテスト教会近くの住宅街に、白い板壁の小さな家がある。
〝キング・オブ・ポップ〟と呼ばれるスーパースター、マイケル・ジャクソンの生家だ。マイケルの父親は、地元の製鉄所のクレーン運転士として働いていた。

庭には記念碑が立ち、フェンスにはファンが寄せ書きするボードが掲げられている。5年前にマイケルが亡くなった後も、訪れる人が絶えない。

オハイオ州から車で6時間かけて来た47歳の女性は「15歳のころからずっと憧れてきた。マイケルが死んで2カ月後、彼の顔を右の背中と脚に彫った」と涙声で話し、タトゥーを見せてくれた。




【祈りよ力に】<米国>神のもとへと導く歌声 黒人教会に響くゴスペル : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/47topics/e/261772.php










▲「一生の責任持つ、実感」

2015.2.14



【アルファとオメガ】建国以来の2つの理念 「自助努力」と「弱者救済」

2015-02-12 04:28:28 | Weblog
▼自国の「建国・独立の日」を正しく
答えられた人の割合 2割未満
(産経新聞 2015.2.11)







わたしはアルファであり、
オメガである。最初の者にして、
最後の者。初めであり、終わりである。


ヨハネの黙示録/ 22章 13節
新約聖書 新共同訳




過去になく未来に
起こる保証もない。

過去においてもトリクルダウンは起きなかったし、
未来においても起こる保証はどこにもない。

トマ・ピケティ
(2015.1.31 日本人記者クラブにて)









※世界的な格差拡大に警鐘を鳴らす本が全世界でベストセラーとなる。
(『21世紀の資本』トマ・ピケティ著)


▲画像は、2015年2月2日の
「NHKクローズアップ現代」に
出演のもの。

https://m.youtube.com/watch?v=A6wJIV56mBg



★真っ向から対立する米国建国以来の2つの理念

「自助努力」と「弱者救済」


◆日経ビジネスオンライン 2014年12月03日 高濱 賛

 米国は、「対立」の状態を通り越して、今や「2つの国家」の様相を呈している。保守派の主張はこうだ。「大統領になればどんな難問でも解決できるというオバマの空手形を信じた無知な有権者がオバマを選んだ。オバマは今やレイムダック。これからの2年、米国は南北戦争以来の最も危険な時代に入ろうとしている。その存続すら脅かされている」。
("America faces most dangerous two years in 150 years," Charles Hurt, Washington Times, 11/5/2014)

▼「南北戦争以来の危険水域に入った」

 一方、リベラル派の主張はこうだ。「オバマは、すべての市民に益をもたらす社会経済的システムの構築を目指した。この夢は共和党の『醜い勢力』によって破られてしまった。これはオバマの敗北と言うより、もっと大きく深いアメリカの真の夢が壊されたことを意味する」
("The Two-Sided Dynamic of Our National Crisis," Andy Schmookler, Huffington Post, 11/20/2014)

 保守派がオバマ大統領の「独りよがり」と「権力乱用」を批判すれば、リベラル派は「解体屋と化した共和党の破壊的政治手法」を激しく非難する。もはや妥協の余地はない。

 高校で米国史を30年間教えてきた元教師、ケネス・ローリン氏(70)=ロサンゼルス近郊在住=は筆者にこう述べる。「公民権運動やベトナム戦争の時ですらここまでの分裂はなかった。とにかく、中高年の白人層と、有色人種(黒人、ヒスパニック)及び白人過激派リベラルとの意見の食い違いは広がる一方だ。北米大陸に『2つの国家』『2つの政府』が存在しているようなものだ」。

▼「自助努力」か、「弱者救済」か

 米国という国家がよってたつ2つの理念。それが真っ向から激突している。しかも、この亀裂が産む「2つの国」の狭間に築かれた「人種の壁」が話をより複雑にしている。

 第1の理念は、建国以来(あるいは建国以前の植民地時代から)、個々の米国民に求められてきた「自助努力」の精神だ。平たく言えば、「働かざるもの食うべからず」。一生懸命働けば、この新天地で必ず夢はかなえられる。まさに「アメリカン・ドリーム」の原点だ。共和党はその精神を基本に「自助自立」政策を重視、「小さな政府、自由競争社会」を目指してきた。

 もう1つの理念は「弱者救済」。「弱きもの、貧しきものを助ける」というキリスト教に由来する助け合いの精神だ。フランス人政治学者、アレクシ・ド・トクヴィルは、その著書「アメリカにおける民主主義」(1835年)の中で、これを「Voluntary associations」(篤志的な付き合い)と名づけている。「社会生活の向上を目指して、個々人のイニシアチブによって行われる相互扶助精神」だ。リベラル派はその精神を政府の福祉政策や貧困対策に盛り込むことに重点を置いてきた。
("Democracy in America," Alexis de Tocqueville)

 米国という多民族国家では、「人種問題」がこの2つの対峙する理念に纏わりついて離れない。「肌の色」は依然として社会における不平等を生み、それが貧富の差となり、不満分子による犯罪へとつながる。当然のことながら保守派は「法と秩序」を前面に押し出す。リベラル派は犯罪を生まぬための福祉・雇用政策の必要性を訴える。


 黒人の中にはいくら「自助努力」をしても貧しさから抜け出せないものもいる。リベラル派は、自分たちが政権をとれば、雇用や教育の面で平等を促進する規制や制度を拡充できる、と訴え続けてきた。オバマ政権が推し進めようとしてきた医療保険制度改革(オバマケア)や移民法改正といったアジェンダは、「弱者救済」政策の一環といえる。

 中間選挙の結果、上下両院を共和党に制覇されたオバマ大統領は、議会の審議や承認を必要としない「大統領令」(Executive Order)で自らの公約を実現させる構えを見せている。これに対し共和党は議会での審議を通さないのは大統領特権の乱用であり、憲法違反だとして大統領弾劾すら口にし始めている。共和党がオバマケアや移民法改正に真っ向から反対している論拠は、まさに「自助努力」と「自助自立」にある。

 どちらが正しいか、その判断は難しい。どちらも米国という国家がよって立つ基本精神をそのバックボーンにしているからだ。

▼黒人青年を射殺した白人警官の行為は「正当防衛」

 ワシントンでの保守とリベラルの対決をよそに、「人種の壁」と「法と秩序」とが真っ向からぶつかり合ったのが、米中西部ミズーリ州セントルイス郡ファーガソンで起きた白人警官による黒人青年射殺事件だった。ファーガソンは大都市セントルイスに隣接する人口2万1000人のちっぽけなコミュニティで、人口の7割弱を黒人が占める。ただし、セントルイス郡全体の人口は白人が70%、黒人は23%。そのため郡関連の行政機関や治安機関のトップはすべて白人が占めている。

 事件発生から3カ月たった11月24日、郡の大陪審は警官の不起訴を決めた。大陪審の構成は白人9人、黒人3人。陪審員の数は、郡の人口に比例するため、白人が多数を占めた。郡検察は大陪審での審理、評決の全容を公開した。それによると、窃盗容疑をかけられていた黒人青年がパトロール中の白人警官と口論になり、最初に手を出した。身の危険を感じた警官は黒人を射殺した。正当防衛ということで不起訴となったのだ。

 この評決が郡レベルで覆されることはない。が、司法省は別途、事件の全容解明を急いでいる。ただし、白人警官を公民権法違反で起訴し有罪判決を下すには、この警官が黒人青年の権利を意図的に侵害したと証明する必要がある。その立証が極めて難しいことはホルダー司法長官(黒人)も認めている。

 大陪審の評決に黒人の怒りが爆発した。警備に当たった警官隊と直接対決することは避けたが、黒人たちは市内の商店に火をつけ、商品を略奪。逮捕者は11月25日時点で80人を超えた。

 黒人の怒りは、震源地ファーガソンだけではなく、ニューヨークやロサンゼルスなど全米各地170カ所に波及し、抗議集会が催された。デモや集会の様子を伝えるテレビ画面には黒人ばかりでなく、若い白人の姿も映し出された。だが、この模様を放映するテレビを苦々しい思いで見ていた白人保守派が全米各地にいたことは一切報道されていない。この点を見逃すわけにはいかない。

 白人の反応を知ろうと、サンディエゴに住む旧知の退役軍人に電話すると、「今家族でテレビを見ている。奴ら(黒人)は火事場泥棒だ。何かあると商店を襲撃しては盗みを働く。メディアもセンセーショナルに大騒ぎするだけで物事の本質を伝えようとしない」と吐き捨てるように言っていた。


▼白人の38%は「不起訴支持」、非白人の58%は「起訴支持」


 大陪審が評決を示す以前から国論は2つに分かれていた。CNNの世論調査では、「白人警官を起訴すべきだ」と答えた白人は23%、非白人(黒人、ラティーノ、アジア系)は54%。逆に「起訴すべきでない」と答えた白人は38%、非白人は15%といった結果が出ている。非白人の5割強が起訴を唱えているのに対し、白人の4割近くが不起訴評決を支持している。



▲起訴されるべき 不起訴が妥当
白人 23% 38%
非白人 54% 15%


("Poll finds racial divide over Wilson charges," Eric Bradner, CNN, 11/24/2014)

 保守派コメンテイターのダニス・プランガー氏は、何が正しいかは人種問題」ではなく、「モラル(良心、倫理観)の問題」だと主張する。「黒人青年を射殺した白人警官が不起訴になったことをめぐって抗議や暴動が起こっている。白人警官だから、とか、白人が多数を占める大陪審の評決だから、とか、こうした事件になると、つねに人種的な固定観念が前面に出てくる。真実は2つに1つ。撃った警官が証言しているようにモラルにかなった行動だったのか、あるいは射殺したことに正当な理由がなく、モラルに反する行動だったのかだ」
("A Moral, Not Racial, Divide over Ferguson," Dennis Prager, National Review Online, 11/25/2014)

 さらに共和党・保守中道派のルディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長 は、市長時代の経験を基にテレビ討論の席でこう語る。「黒人やラティーノの住むマイノリティ・コミュニティほど犯罪率は高い。殺された黒人の93%は黒人によって殺されている。黒人同士殺し合いをしないのであれば、その地域に白人警官が行く必要はない。ファーガソン事件を論ずるにはこうした事実関係も配慮に入れねばならない」。
("Rudy got it right: Cops save minority lives," Bob McManus, New York Post, 11/24/2014)

 オバマ政権になって黒人が非黒人に射殺され、加害者が大陪審で不起訴になった事件として、12年に起きたフロリダ州オーランドのケースがある。撃ったのは自警団員と称するラティーノと白人の混血青年だった。不起訴の評決を受けて、地元はもちろん全米各地で黒人が抗議デモを起こしたが、暴動には至らなかった。「大統領が黒人のオバマだから黒人は自制したのだろう」(主要紙記者)という声を当時聞いた。


▼「オバマにも失望した黒人たち」の憤りが爆発

 それが今回、どうして黒人は暴徒化したのか。しかも「オバマ大統領がテレビ中継で市民たちに冷静さを求めている真っ最中にも黒人たちは商店に火をつけ、商品を略奪し続けた」(地元紙セントルイス・ポストーディスパッチ)。
("President Obama calls for peace in wake of Ferguson decision," staff reports, St.Louis Post-Dispatch, 11/24/2014)

 著名なテレビ・コメンテイターのロー・ダブス氏はテレビ番組で次のように指摘している。「ファーガソンが緊迫している理由は経済問題にある。この町の黒人失業者の数は白人の3倍だ。市全体の失業率は13%と全米平均の2倍以上に上る。年間所得の平均は1万ドル、これは全米平均の3分の1以下だ。この責任は州政府、郡当局、そしてなによりも大統領たるオバマの責任だ」
("Black unemployment three times higher in Ferguson, because of Obama, Lou Dobbs claims," Derek Tsang, www.politifact.com, 8/21/2014)

 オバマ政権になって黒人の生活環境はむしろ悪化している、と主張する黒人ジャーナリストもいる。デロイ・マードック氏はこう指摘する。「黒人成人の労働力率(Labor-force-participation rate)はオバマが大統領になる前の時点の63.2%から14年4月には60.9%に下がっている。さらに16~19歳までの黒人の雇用率は29.6%だったのが14年4月には27.9%と落ちている。さらに黒人貧困層は25.8%から27.2%に上昇した」。
("Black Americans Are Worse Off Under Obama," Deroy Murdock, National Review Online, 5/16/2014)

 08年1月、バラク・オバマ第44代大統領の就任式を感動しながら見守った米主要紙の政治記者(黒人)は、慎重に言葉を選びながらこう筆者に語った。「あの時の熱気はどこへ行ってしまったのだろう。確かに世論調査で聞かれれば黒人の86%はオバマ支持と答えている。しかし陰ではオバマのことをボロクソに言っている。黒人大統領が俺たちをこの貧しさから救い出してくれると信じていたのに、裏切られたというのがホンネだ。『何人もの黒人を閣僚やホワイトハウス高官に登用したって、草の根の自分たちの生活はいっこうによくならないじゃないか』というのだ」。

 同記者はこう続ける。「ファーガソンでの放火や略奪は、半分は、オバマに対して怒りをぶつけたものといえないだろうか。ある黒人牧師は私に皮肉っぽくこう言ったよ。『オバマがレイムダックだって、冗談じゃないよ、あいつはデッドダックさ』」。

 「2つの国家」は、それぞれの「国家」の内部でも、対立が生じ始めたように感じられる。


⬛️著者プロフィール

高濱 賛

在米ジャーナリスト
米政治・経済・社会情勢を日本に発信している。1969年、米カリフォルニア大学卒業、読売新聞社に入社。米特派員、総理官邸・外務省担当キャップ、デスクを経て、調査研究本部主任研究員。98年からUCバークレー校上級研究員。同年から現職。



(真っ向から対立する米国建国以来の2つの理念
:日経ビジネスオンライン2014年12月03日 高濱 賛)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141201/274491/







▲『新資本論』トマ・ピケティ 著

【生きながらえ、】氷点下10度の海で信者ら沐浴 露全土、130万人が参加へ ロシア正教の伝統行事

2015-02-11 01:06:15 | 今日の御言葉
▼自分のチョコ「一番高く」(日本橋高島屋=東京都中央区)



すなわちわたしは、

きょう、あなたにあなたの神、
主を愛し、その道に歩み、
その戒めと定めと、
おきてとを守ることを命じる。

それに従うならば、
あなたは生きながらえ、
その数は多くなるであろう。

またあなたの神、
主はあなたが行って取る地で
あなたを
祝福されるであろう。


『‭申命記』‬ ‭30‬章16節 旧約聖書 口語訳‬






★氷点下10度の海で信者ら沐浴 露全土、
130万人が参加へ ロシア正教の伝統行事 - 産経ニュース

◆産経新聞 2015年1月19日


ロシア正教会が、キリストが洗礼を受けた日とされる「主の洗礼祭」を祝う19日、ロシア各地の凍結した海や川、湖などで信者らが斎戒沐浴する伝統行事があった。同日は水が聖水に変わり、飲んだり浴びたりすることで無病息災につながると信じられている。

極東ウラジオストクでは、凍結したアムール湾の氷を十字にくりぬいた特設会場を設置。18日深夜に正教の聖職者が祈りをささげ水に十字架を浸した後、水着姿の男女が次々と氷の浮かぶ海水に入った。

気温は氷点下10度前後で、寒さに大声を上げたり、水中で十字を切ったりする姿も。非常事態省は、ロシア全土3千カ所で約130万人が沐浴すると予測。救急隊員らが待機する会場以外では冷水に入らないことや、自らの身体能力を過信しないよう呼び掛けた。(共同)




▲「主の洗礼祭」を祝う行事で祈りをささげる
ロシア正教会の聖職者と、海に入る信者
=18日、ウラジオストク(共同) 2015.1.19 09:55




★(特派員メモ)悩みが冷水で昇華? 

@ウラジオストク 中川仁樹


◆朝日新聞 2015年2月10日9時30分

 零下10度の夜空の下、水着姿の人々が次々と氷混じりの水に入っていく。全身をいったん水中に沈め、上半身を出して十字を切る。これを3度繰り返す。

 ロシア正教で1月19日は、キリストの洗礼にちなむ洗礼祭。ウラジオストクでも、凍った海に十字の特設プールが設けられ、聖職者が清めた「聖水」の中で、多くの人が祈りを捧げた。

 印象的だったのが、初参加の若者の多さ。オリガ・アルピビナさん(29)は「悩みがあって初めて挑戦した。言葉にならないほど素晴らしい体験だった」と感激した様子で話した。

 ロシア全国でも、今年の参加者は150万人以上と昨年から20万人増えた。ソ連崩壊後、ロシアでは欧米文化の導入が進んだ一方、ロシア正教のような伝統的な価値観を見直す動きも若者の中に広がっているという。

 「理屈で考えるのではなく、体験すれば素晴らしさが分かるよ」と、私も挑戦を勧められたが、厚手のコートを脱ぐ勇気はとてもなかった。いまは、風呂で冷たい水でも浴びて、体を鍛えるべきか思案している。(中川仁樹)


★再びアジアを征服しようとするカトリック - News - 社会・歴史

◆The Voice of Russia (ボイス オブ ロシア日本語版) 2015年1月20日


ローマ法王フランシスコは今回の訪問の半年前に韓国を訪れた。ローマ法王の韓国訪問は25年ぶりだった。バチカンはなぜ今、これほどアジアに関心を持って いるのだろうか?東洋学者で歴史家のウラジーミル・コロトフ氏は、欧州におけるカトリック教会の権威失墜が理由だとの考えを表し、次のように語っている。

「欧州におけるカトリック教会は、深い危機に陥っている。西洋社会の完全なる道徳的水準の低下、キリスト教を含む宗教的聖人の愚弄などが見受けられる。バチカンはこれらの状況の中で、世界的発展の牽引役であり、巨大な人的および物質的ポテンシャルを有しているアジアへ関心を向けずにはいられないのだ。しかしアジアにとってカトリックは敵であり、残酷で、無慈悲なものだ。カトリックはアジアで、植民地支配と一緒に進歩を遂げた。カトリックの主な目的は、地元住民の宗教的アイデンティティを変え、民族精神や抵抗する意思を抹殺することだった。カトリックに改宗させられた原住民たちは、争わず、ストライキも起こさず、解放運動を組織することもなかった。カトリックへの改宗の最初の犠牲者となったのがフィリピン人たちだった。16世紀、征服者たちはカトリック教徒になることを拒否した人たちを全て殺害し、カトリックを受け入れた人々で傀儡政権の未来のメンバーを形成した。未だにアジアの外交力はカトリック教徒たちに頼っている。例えば、ベトナムの親米傀儡政権の全指導者がカトリック教徒だったのも、偶然ではない。しかし、バチカンにとって再びアジアを征服するのは容易なことではないだろう。カトリックは、大乗仏教が信仰されているアジア諸国でしか根付いていない。小乗仏教が広まった国では、カトリック導入の試みは成功しなかった。」

アジアにおけるカトリックの主な伝道者となったのは、イエズス会だった。イエズス会員たちは、「カラー革命」や気に入らない政権の転覆を準備している人々が現在使用している技術を用いた。欧州におけるバチカンの基盤が崩れ去ろうとしている今、バチカンは、大きな人的および経済的資源があるアジアへ、自分たちの使節団を派遣している。


| vostok@ruvr.ru

(The Voice of Russia (ボイス オブ ロシア日本語版) 2015年1月20日)





▲『世界を操る支配者の正体』 (馬渕睦夫)


【帰還】日本の正教会信者のための記憶と追悼の教会が建てられる

2015-02-09 23:59:19 | 今日の御言葉
▼産経 2015.2.8 記事(北方領土の日 「2月7日」 )



特にお願いします。
どうか、わたしがあなたがたのところへ
早く帰れるように、祈ってください。

ヘブライ人への手紙/ 13章 19節
新約聖書 新共同訳




つつましい仕事から
離れてはいけません。

こういう仕事はだれもしようと
しないからです。


仕事が小さすぎるということは
ありません。


わたしたちはとても小さいので、
小さいやり方で物事を見ているのです。


たとえ、わたしたちがだれかのために、


ちょっとしたことをしたとしても、
全能の神は、すべてを
偉大なこととして見てくださいます。


偉大なことができる人たちは、
世の中にたくさんいます。


けれど、
つつましい仕事をする人たちは、
ほんとうに少ないのです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『日々のことば』より)






★日本の正教会信者のための記憶と追悼の教会が建てられる
- News - 文化 -

◆The Voice of Russia (ボイス オブ ロシア) 2015年1月22日


今年、福岡県宗像市にロシア正教会の教会ができる予定。対馬海峡の沿岸部に位置する宗像市は、110年前の1905年5月、露日戦争を終結に導いた海戦の場となった。対馬沖海戦では、4830人のロシア人が命を落とした。ロシア海兵の遺体は、潮の流れに乗って宗像市近郊の浜辺に打ち上げられ、地元の漁師たちによって埋葬された。


日本人たちは、自分の国と戦った兵士であったにもかかわらず、仏教の原則に従ってロシア人兵士たちの遺骨を土に返した。宗像市の大島には、対馬沖海戦の慰霊碑が建立されている。そしてここに、アルタイの建築家たちが設計を担当した、木造の正教会の教会も建設される予定だ。

同プロジェクトを立ち上げたのは、フョードルさんという名の日本人。フョードルさんは、ロシア人女性と結婚し、キリスト教を受け入れ、ロシア名も授かった。教会の設計を担当することになったのは、アルタイのバルナウルにある建築スタジオの責任者ピョートル・アニシフォロフさん。アニシフォロフさんは、南極大陸の正教会の教会を設計した建築家として知られている。アニシフォロフさんは、宗像市の教会のための敷地が気に入ったという。日本から帰国したアニシフォロフさんは、次のように語っている。

「私は日本から帰ってきたばかりです。プロジェクトは既に合意を得て、敷地は正教会の教会のために特別に購入されました。これはロシアの木造建築となりますが、もちろん現地の気候状況と文化的伝統が考慮されます。教会のまわりは伝統的なロシア的概観となりますが、私たちは日本の習慣も考慮します。例えば日本人は教会に入る前に靴を脱ぎます。私たちはこの特性も考慮に入れました。また、現地の地震環境もそうです。教会は、アルタイ地方の杉で建てられることが決まりました。建築資材の準備は、近いうちにも始まります。教会はアルタイ地方で建設され、その後、解体されて、極東経由で日本へ運ばれます・それまでに日本では、地元の要求を考慮しながら基礎がつくられます。これは、記憶と追悼の教会となります。そしてこれは、対馬沖海戦で戦死したロシア海兵の記憶をとどめることへの貢献にもなるほか、今も彼らの墓を守り続けている日本人への感謝のしるしにもなります。私はこの依頼をすぐに受け入れました。なぜなら人間関係における情の深さや温かさは、私たちの世界で最も価値のある重要なものだからです。そしてこのようなヒューマニズムの非常に貴重な例は、大切に残し、後世に伝える必要があるからです。」

教会は、聖ニコライ・イポンスキー教会としてきよめられる。ニコライ・イポンスキーは、19世紀半ばに日本へ正教をもたらし、日本正教会を創建し、東京に復活大聖堂(ニコライ堂)を建設したロシアの宣教師だ。アニシフォロフさんは、今年の秋にも、宗像市に正教会の教会が出来上がるとの見方を示している。


| vostok@ruvr.ru





★日本海海戦で戦死したロシア水兵を
追悼し教会を日本で建立へ

◆ 2015年1月30日 ロシアNOW


日本海海戦で戦死したロシア水兵が葬られている日本の墓地の敷地内に、木造の正教教会が建立される。インテルファクス通信が、ロシースカヤ・ガゼータ・ウィークリー(シベリア版)の報道として伝えた。

アルタイ地方の設計事務所が担当

 教会建立は、アルタイ地方のピョートル・アニシフォロフ建設事務所の設計に基づいて行われる。敷地は既に、地元の信者たちにより買収、登記が済んでいる。信者の中には、ロシア出身者が少なくないという。

 建材には、アルタイ産のセイヨウスギを使う予定。シベリアのカラマツは、南極での教会建立に際しても使用されているが(このプロジェクトにも、同設計事務所が参加している)、日本の気候には合わないという。教会はまずバルナウル市で組み立てられ、分解された後、ウラジオストクに搬送される。

 教会の基礎部分は、日本人が建設する。地震の多発、強風、時化を考慮し、教会の高さは10m以下になる見込み。


(2015年1月30日 ロシアNOW)




▲読売新聞 1950年12月12日 (朝刊)

ソ連侵攻で31万人未帰還者。

(外務省発表)






【義人】スペイン・コリア「慶長遣欧使節」末裔 「私達は日本人」/高山右近 没後400年記念ミサ

2015-02-08 19:05:50 | Weblog



言っておくが、
あなたがたの義が律法学者や
ファリサイ派の人々の義に
まさっていなければ、
あなたがたは決して
天の国に入ることができない。


マタイによる福音書/ 05章 20節
新約聖書 新共同訳



自ら活動して、
他を動かしむるは水なり。

つねに己の進路を求めてやまざるは
水なり。

障害にあいて激しくその勢力を
百倍し得るは水なり、云々(うんぬん)。

黒田如水 ( 1546-1604)

(『水五則」)




『潮路はるかに』河北新報社
(写真はミュージカル「常長の祈り」より)



★スペイン・コリア「慶長遣欧使節」末裔 「私達は日本人」

◆NEWSポストセブン 2014年12月2日


スペイン南部、人口3万人ほどの小さな都市コリア・デル・リオ(以下、コリア)に、「サムライの末裔」と称するスペイン人が600人以上暮らしている。彼らの姓は「ハポン」(スペイン語で日本の意)。どんなルーツを持つのか。 * * * コリアに

スペイン南部、人口3万人ほどの小さな都市コリア・デル・リオ(以下、コリア)に、「サムライの末裔」と称するスペイン人が600人以上暮らしている。彼らの姓は「ハポン」(スペイン語で日本の意)。どんなルーツを持つのか。

* * *
コリアに暮らす「ハポン」姓のスペイン人は、約400年前に東北から海を渡った「慶長遣欧使節」の末裔とされる。慶長遣欧使節とは1613年10月に仙台藩主・伊達政宗がノビスパニア(メキシコ)との通商条約締結を求め、イスパニア(スペイン)国王及びローマ教皇の元に派遣した使節のことだ。

仙台藩士の支倉常長を大使とした約200人の一行は月浦(現・石巻)を出航し、3年がかりでメキシコ、スペイン、ローマを訪れた。この時、帰国せずスペインに留まった日本人がコリアに住み着き子孫を残したと考えられている。

『支倉常長遣欧使節 もうひとつの遺産』(山川出版社刊)の著者で現地を調査した太田尚樹・東海大学名誉教授が語る。

「今も教会に残る名簿の調査などから、8人の日本人が残ったと考えられます。恐らく、現地の女性と恋に落ちたのでしょう。ハポン姓の人々はまさに『サムライの末裔』です」

現在、コリアに住むハポン姓の人々にとって、遥か遠い日本は郷愁の対象だ。

「現地の人々の合い言葉は 『ソモス・ハポネス!(私たちは日本人だ!)』。顔立ちや風貌に日本人の面影はもはやありませんが、誰もが真面目で努力家の日本人を尊敬し、ハポン姓であることを誇りに思っています」(太田氏)

ハポン氏たちは、祖先が出航した石巻が東日本大震災で大きな被害に見舞われたことに心を痛めているという。

一方、ハポン姓の謎をめぐる科学的調査も進む。昨年、日本の研究者らが複数のハポンさんから血液を採取。DNA鑑定の結果は今後、発表される予定だ。

※SAPIO2014年12月号



http://www.christiantoday.co.jp/articles/15229/20150203/takayama-ukon.htm


★高山右近 没後400年記念ミサ 金沢教会:石川

◆中日新聞(CHUNICHI Web) 2015年2月3日



▲高山右近をたたえる歌を口ずさむ参加者=金沢市広坂で

命尊んだ生涯学ぶ

キリシタン大名高山右近(一五五二~一六一五年)の殉教四百年を記念するミサが一日、金沢市広坂のカトリック金沢教会であり、集まった信者らや観光客らが、競争より人生や命を大切した右近の生きざまを学んだ。(沢井秀和)

右近が一六一四年に国外追放され、マニラで病死したのが殉教にあたるとして、日本のカトリック教会が最高位の「聖人」に次ぐ「福者(ふくしゃ)」に認められるようにローマ法王庁に働き掛けており、今年にも認定されるという期待が高まっている。

ミサは、没後四百年を迎える三日に、全国のミサが神戸市で開かれるのを前に、金沢教会が催した。参列者が列福を求める祈りをささげた後、右近賛歌を高らかに歌った。

続いて、金沢市出羽町の県立美術館で八日まで開かれている「高山右近とその時代」を企画した学芸第一課担当課長の村瀬博春さん(55)=美学・芸術学=が講演。禁教令が出たころには、右近の家臣らを中心に二千人の信者が金沢にいたと推測。「当時、加賀藩で殉教したことを伝える記録が今のところ見つかっていない。なぜ殉教者が極端に少ないのか」と問い掛けた。

仮説として「これまで命と向き合う生き方を貫いた右近が、家臣ら信者に殉教を禁じ、茶の湯に信仰の真理を見いだすように説得したのでは」と指摘。また「激しい競争原理にさらされる今日こそ、追放の身を選択した右近の真価が深い共感をもって理解されると確信している」と話した。

高山右近 現在の大阪府豊能町高山に生まれ、洗礼名はユスト(義の人)。黒田官兵衛、蒲生氏郷らに洗礼を勧めた。バテレン追放令が出た後も信仰を捨てず、1588年から加賀・前田家に26年間預けられ、金沢城の石垣の修復、高岡城(富山県高岡市)の縄張(設計)にかかわったとされる。

▼右近にちなむ舞踊が披露された慰霊祭=金沢市鳴和町で



右近しのび創作舞踊

金沢・鳴和の教会 孝藤流家元ら奉献


高山右近の没後四百年を前に、金沢市鳴和町の殉愛キリスト教会で一日、慰霊祭が開かれた。孝藤(たかふじ)流家元の孝藤まりこさんらによる右近の生涯を描いた創作舞踊の奉献などがあり、バテレン追放の苦境に遭っても信仰を貫いた故人をしのんだ。

慰霊祭には三十人が来場。教会の山県実牧師(71)が右近をたたえて作詞作曲した賛美歌などを歌った。

山県牧師は、右近が前田利家を頼って金沢に二十六年間住んでいたことを振り返った。宗派の違うカトリック教会で広がっている、右近を聖人に位置付けようとする運動に協調する考えも語った。

山県牧師は「権力者に屈せず、心の生き方を大切にした右近に学ぶことは今も多い。四百年を機に、あらためて魅力を発信したい」と力を込めた。

教会併設の茶室「右近庵(あん)」にはキリストの最後の晩餐(ばんさん)を描いた彫刻を展示。慰霊祭後、来場者が茶を楽しんだ。(福岡範行)


中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井




▲『新書太閤記』吉川英治 (写真)




▲北陸中日新聞 2014年8月8日

青山俊董 (愛知専門尼僧堂長)
2014.8.8 平成26年
今週のことば



【多くの実】後藤さん、湯川さんの解放を祈り、宗教を超えて集まった人たち

2015-02-08 06:23:33 | Weblog




はっきり言っておく。

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。


ヨハネによる福音書/ 12章 24節
新約聖書 新共同訳




わたしたちにできることは、
さまざまな方法で、
彼らに手をさしのべ
続けることなのではないか。


後藤健二さん

(『もしも学校に行けたら』(汐文社))



★追悼 国際ジャーナリスト・後藤健二さん : 論説・コラム :

◆クリスチャントゥデイ 2015年2月3日

http://www.christiantoday.co.jp/articles/15221/20150203/memorial-message-journalist-kenji-goto.htm


国際ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国に殺害されたとみられる動画が、日本時間の2月1日早朝に公開されました。日本政府はこの動画が本物である可能性が高いとしています。これが事実であるならば、深い悲しみを覚えます。ここに、後藤さんのご家族に謹んで哀悼の意を表したいと思います。悲しみに沈むご家族の内に、主なるイエス・キリストが共にいて慰めと平安を下さいますように。

昨年10月末にシリアに渡航したとされる後藤さんからは、ちょうどその時期、毎月1回の掲載を予定していた連載コラムの最初の寄稿「戦争に行くという意味」を頂きました。これが最初で最後のコラムになってしまうとは、想像すらしていませんでした。

後藤さんの霊は、今、神様の御許(みもと)にあります。数カ月にわたる恐怖、不安から解放され、安らぎを得ていることでしょう。

「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(黙示録21:3~4)

聖書は、天国についてこのように語っています。後藤さんは、たくさん流した涙がぬぐい去られ、悲しみも嘆きもない場所にいるのだと思います。

しかし、この世に残された私たちには、それを知りつつも、後藤さんを失った悲しみが残ります。もう後藤さんにこの地上で会うことができないのか、彼の口から話を聞くことはできないのか、もう二度と別れの握手を交わすこともできないのか・・・。

後藤さん、どんなに苦しかったでしょう、どんなに寂しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなに無念だったでしょう・・・。

昨年5月のインタビュー記事を何度も読み返しました。あの時もシリアに向かう前日でした。「今回は、今までで一番危険かもしれない」。そう言って、少し緊張した横顔を見せた彼を今も忘れません。それでも、数週間後に帰国した後藤さんは、いつものように時折SNSやメールを通して連絡をくれました。テレビでの出演も多く、元気で活躍している姿に安堵したものです。

別れ際はいつも「気をつけてくださいね。またお会いしましょうね」と声を掛けました。後藤さんは決まって「大丈夫。無理はしないから。またお会いしましょう」と笑顔を見せてくれました。そう、あのシリア入国前に見せた「必ず生きて帰りますけどね」と語ったあの笑顔です。誰にでも安心感を与えるような温かなあの笑顔に、もう会うこともできないと思うと、寂しさで胸が張り裂ける思いです。

インタビュー記事の中で、「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と語っていた後藤さんを思い出します。この言葉を話し終えた後、少しだけ寂しそうな顔をして、クスッと笑ったように見えました。昔のことを思い出して恥ずかしかったのか、それとも「そんなこと、起こるわけないだろう」と自答したのか・・・。

荒い岩砂漠の土の上にひざまずき、ナイフをかざされ、死を前に何を祈り、何を思ったのか・・・。今は、推測しかできませんが、少なくとも彼が最期に遺した「この内戦が早く終わってシリアに平和を・・・」という言葉に嘘はないと思います。

「関心を持ち続けてほしい。シリアで起こっていることは、『遠い国で起きていることで、われわれ日本人に関係ないこと』ではないということを忘れないでほしい。なぜ僕がカメラを向けたときに、シリアの人々は話をしてくれるのか? それは、彼らがその映像を通して、日本にいる人たちに訴えたいことがたくさんあるからなのです」と、多くの講演会で後藤さんは語っていました。

彼が命を懸けて伝えたかったのは、イスラム国の恐ろしさでも、政府への不満でもなく、「なぜ、こんなことが世界で起きてしまっているのかを真剣に考えてほしい」ということではないかと思うのです。「分かち合い・奉仕・愛」の気持ちが世界中の人にあれば、あんな残忍な事件は起きないはずです。われわれ一人ひとりにできること、それはあらゆる状況下で暮らす人々のことに「関心」を持ち続けること。そして、隣人を思い、祈ることだと思います。

「後藤さんはキリスト者ですか?」と、初めて聞いた時のことを思い出します。「そうです。不敬虔極まりないキリスト者ですが・・・」と、照れたように笑った顔。

後藤さん、あなたは不敬虔なキリスト者なんかじゃありません。立派なジャーナリストであり、立派なキリスト者でした。私たちは、あなたを誇りに思います。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

後藤さんと天国で再会する日を期待して。新聖歌508番「神共に在(いま)して」を心静かに賛美します。

また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝身(ながみ)を離れざれ

(昨年5月に後藤健二さんをインタビューした本紙記者より)


★紛争地の子を取材、手をさしのべ続けた後藤さん : 社会 :

◆読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年02月02日 08時47分


法政二高(神奈川県)から法政大に進学し、学生時代はアメリカンフットボールに親しむスポーツマンだった。

卒業後は番組制作会社を経て、96年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立。ソマリア、イラク、ルワンダなど中東やアフリカの紛争地で取材し、テレビのニュース番組でリポートしていた。

困難な環境に置かれた子供に焦点を当てた取材が多く、アフガニスタンの少女を追った著書「もしも学校に行けたら」(汐文社)のあとがきには「わたしたちにできることは、さまざまな方法で、彼らに手をさしのべ続けることなのではないか」と記している。

97年には洗礼を受けた。キリスト教徒向けのニュースサイト「クリスチャントゥデイ」に掲載された昨年5月のインタビュー記事では、その理由について「取材先で、ひとりで命を落とすような場合を考えた」と説明。小さな聖書を肌身離さず持ち歩き、「命を脅かす現場もあるが、必ず、神様は私を助けてくださる」などと語っていた。

2015年02月02日 08時47分 Copyright © The Yomiuri Shimbun




◆「イスラム国」拘束:後藤さんの解放祈る 官邸前に宗教者 - 毎日新聞

★毎日新聞 2015年01月27日 20時13分
(最終更新 01月27日 21時32分)




▲後藤健二さんの解放を祈る日本イスラム文化センターのクレイシ・ハールーン事務局長(中央)ら、宗教を超えて集まった人たち=東京都千代田区の首相官邸前で2015年1月27日午後1時23分、森田剛史撮影

後藤さんの命を救え--。国内のキリスト教、仏教、イスラム教の信徒約80人が27日、東京都内の首相官邸前に集まり、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられるグループに拘束されている後藤健二さん(47)の解放を祈った。宗教や宗派を超えて呼び掛けた鈴木伶子(れいこ)さん(76)は「命や平和を重んじるのはどの宗教も同じ。後藤さんには元気に帰ってきてほしい」と訴えた。

鈴木さんは、後藤さんが通っていた代々木上原教会(東京都渋谷区)の信徒で、牧師や僧侶らによる「平和をつくり出す宗教者ネット」でも活動する。

10年ほど前、教会で後藤さんと知り合った。いつも穏やかで笑顔が印象的だったが、アフリカ・ルワンダの残虐な内戦を生き抜いた人たちの話をしてくれたこともあった。

後藤さんが先に拘束された湯川遥菜(はるな)さんを助けに向かったと聞いた。「人を助けるためつらい決断をしたのかもしれない。それだけに家族のためにも帰ってきてほしい」。どの宗教者も同じ思いだと考え、今回の行動を呼び掛けた。

官邸前では、キリスト教のプロテスタントの牧師やカトリックの神父、仏教の僧侶らが順にマイクを手に、聖書の一節を朗読したり、お経を唱えたりして、後藤さんの解放と世界の平和を祈った。

宗教法人日本イスラム文化センター(東京都豊島区)のメンバーでインド出身のムハンマド・ユスフさん(42)は、アラビア語で後藤さんの無事を祈り「罪のない人を殺してはいけないというのが神の教え。信仰があるなら早く解放してほしい」と訴えた。

パキスタン出身のクレイシ・ハールーン同センター事務局長(48)も「宗教は関係なく手伝いたいと思って来た。希望を持ちたい」と話した。【藤沢美由紀】




★「果敢な記者」人質に 後藤さん、
10月下旬に音信不通

◆朝日新聞 2015年1月20日22時14分




▲人質となったとみられる後藤健二さん=テレビ朝日から


人質となったとみられる後藤健二さん(47)は、報道で紛争地の実態を広めようとしていた。湯川遥菜さん(42)は「イスラム国」に拘束された後、消息がわからなくなっていた。知り合いだった2人が荒れた大地にひざまずかされ、黒覆面の男がナイフを持つ。インターネット上に20日投稿された卑劣な動画に関係者は無事を祈った。

「海外出張に行く。29日午前中に帰国する」。ジャーナリストの後藤健二さんと10年来の友人という愛知県豊田市の高校教諭、伊藤和正さん(43)が後藤さんからメールを受け取ったのは、昨年10月22日。その後、連絡が取れなくなった。

同月末に「世界の子どもたちは今 紛争取材の最前線から見えること」という題で子どもたちに話をしてもらう予定だった。「紛争地の子どもを一貫して取材していた。厳しい環境にいる子供たちの現実を伝えたいという思いを持っていた」。毎日、後藤さんの携帯に電話をかけ続ける。

後藤さんは番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立した。フリージャーナリストの綿井健陽(たけはる)さん(43)は「後藤さんは90年代半ばから小型ビデオカメラを持って戦場や紛争地帯を取材していた。近年はシリアで果敢な取材をしており、尊敬していた」と言った。

「イスラム文化の理解が深まるよう発信を続けていた本人がこうした形になったことは複雑。無事を祈っています」。児童出版社「汐文社」(東京都千代田区)の編集者、門脇大さん(39)は言った。帰国中の後藤さんと昨年9月に会い、「イスラム国」も含めたシリアの現実を子どもたちに伝えるような児童書の執筆を依頼していた。

小中学校での出前授業で使う映像資料を制作したり、紛争地の現状などについて自ら講演したり。後藤さんは、世界の子どものために活動をする日本ユニセフ協会にも協力。協会を通じて、東日本大震災の被災地支援に取り組み、宮城県石巻市や気仙沼市で活動の記録係をしていた。

12月には出身地の仙台市でシリアの現状を伝える講演会を開く予定だった。協会の中井裕真広報室長は「途上国や紛争地で学校に行けなかったり兵士にさせられたりした子どもの現状を懸命に追いかけ、伝えていた。無事の帰国を祈りたい」。

シリアでの取材に同行したことがあるというシリア人のアラッディーン・アルズィームさん(34)は、10月24日に後藤さんと会って「イスラム国の支配地域へ行く」と聞いていた。「危険だ」と止めたが、「つてがある。行かなければならない」と語ったという。

キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(東京都千代田区)に後藤さんからメールが届いたのは、このころだった。イラク戦争の取材で米軍兵士に銃口を向けられた経験を書いたコラム「戦争に行くという意味」。戦場の兵士と市民の間に見えない一線があるとし、「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」とつづっていた。


■後藤健二さんの足取り
(※関係者の証言などによる)

2014年4月 シリアで取材中に湯川遥菜さんと知り合う。
その後、いったん帰国

10月2日 トルコ経由でシリアに再入国

3日 シリア北部で取材した動画をツイッターに投稿。
「イスラム国が街を取り囲み、攻撃を仕掛けています」と解説

6日ごろ 日本に帰国

8日 東京でテレビ番組に出演

22日 友人に「海外出張に行く。
29日午前中に帰国する」とメール
   
同日ごろ 日本を出国。シリアへ

23日 ツイッターへの投稿が途絶える

24日 日本のニュースサイトの担当者にコラムをメール送信
      
シリア北部で現地の関係者に「イスラム国に行く」と話す

25日 イスラム国の支配地域近くで別の現地関係者と会う


(朝日新聞 2015年1月20日22時14分)





2015.2.1 産経新聞号外
2015.2.7 産経新聞号外