地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【兄弟姉妹】差別解消の行進は終わっていない 「血の日曜日」から50年、オバマ大統領が演説 アラバマ

2015-03-14 14:47:09 | 今日の御言葉
▼キング牧師描いたアカデミー賞主題歌賞受賞作
「セルマ」6月に日本公開

http://news.ameba.jp/20150303-333/




大勢の人が、
イエスの周りに座っていた。


「御覧なさい。
母上と兄弟姉妹がたが外であなたを
捜しておられます」と知らされると、


イエスは、

「わたしの母、わたしの兄弟とは
だれか」と答え、


周りに座っている人々を見回して
言われた。


「見なさい。ここにわたしの母、
わたしの兄弟がいる。


神の御心を行う人こそ、
わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」


マルコによる福音書/ 03章 33-35節
新約聖書 新共同訳




【一つのことから】

一つのことより二つ、
三つより百、千のことと、
一つのことから他のことと
押し広めて実行し、

一日より二日、
三日より百日、千日と
努力をして功績を積み上げていけば、
どうして、
心を尽くすことが
できるようにならないことがあろうか。

必ずできるようになる。

志を立てたならば、
まず一つのことから、
思いついた
その日から始めるべきである。



(吉田松陰 『講孟余話』巻の四 中)


一事より二事、
三事より百事・千事と、
事々類を推して是れを行ひ、

一日より二日、三日より百日・千日と、
日々功を加へて是れを積まば、
豈に遂ひに心を尽すに至らざらんや。

宜しく先づ一事より
一日より始むべし。


(吉田松陰 『講孟余話』巻の四 中)





▲ 「差別解消の行進は終わっていない」
(産経新聞 2015.3.9)


★「血の日曜日」から50年、オバマ大統領が演説 アラバマ

◆CNN.co.jp : 2015年3月9日


アラバマ州セルマ(CNN) 米アラバマ州セルマで白人と平等の投票権を求めて行進する黒人のデモ隊が警官隊に弾圧された「血の日曜日」事件からちょうど50年がたった7日、流血の舞台となった橋のたもとで記念式典が開かれ、オバマ米大統領らが演説した。

オバマ大統領は演説で「われわれの行進はまだ終わっていないが、終点に近付いてはいる」と語った。

大統領は行進の参加者を「英雄」とたたえ、その行動は「非暴力の変革が可能であること、愛と希望が憎悪を克服できることを証明した」と強調した。

同事件では1965年3月7日、有権者登録の人種差別に抗議する黒人ら約600人が、セルマから州都モンゴメリーを目指して出発した。橋で待ち構えた警官隊が催涙ガスなどでデモ隊を攻撃する場面は映像や写真で報道され、全米に衝撃を与えた。


事件をきっかけに、議会では同年、人種差別の前歴がある州で選挙関連の州法を改正する際、施行前に連邦政府の審査を義務付ける法案が可決された。しかし最高裁は2013年、同法の主要部分を覆す判断を下している。

オバマ大統領は、米国の人種差別の歴史が「私たちにも長い影を落としている」と述べ、同法の復活を呼び掛けた。

7日の式典には、50年前の行進に参加したジョン・ルイス下院議員をはじめ、連邦議会から100人近い議員が出席した。ルイス議員は「この仕事を成し遂げるために全力を尽くさなければならない。やるべきことはまだ残っている」と力説した。

セルマは現在、黒人が人口の82%を占め、市民の40%以上が米政府の定めた貧困ラインを下回る生活を強いられている。住民の間には、記念式典が終わればメディアも去り、人種問題の改善は望めないとの無力感も広がっている。

(CNN.co.jp 2015年3月9日)



▲「血の日曜日」事件から50年の記念式典で演説するオバマ米大統領



★「血の日曜日」から50年 米公民権運動の現場を歩く

 
◆日本経済新聞 2015年2月27日 7:00
ワシントン支局 吉野直也



 米公民権運動の転機となった1965年の「セルマ大行進」(血の日曜日)から3月7日で50年を迎える。オバマ米大統領もその日にアラバマ州セルマを訪問する計画だ。自由と民主主義を建国の理念に掲げる米国で、なお残る人種差別の現実。2月中旬、黒人差別が激しかった南部のアラバマ、ミシシッピ両州を歩いた。


▲かつて黒人デモ隊と警官の衝突が起きたエドマンド・ペタス橋(セルマ)

 最初に訪れたのは、アラバマ州バーミングハム。綿花貿易から鉄鋼、自動車へと主要産業が変遷し、最近では最先端の医療でも知られる。英国の主要都市バーミンガムからもじったという。バーミングハムの名前を知らなくても、警官が黒人のデモ隊に消防用の高圧放水を向けたり警察犬をけしかけた場面を思い出す人は多いだろう。

 全米で公開中の黒人解放運動の指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師の奮闘を描いた映画「セルマ」。その冒頭はバーミングハムの教会が爆破され、日曜学校の準備のためにたまたま居合わせた4人の少女がなくなるところから始まる。

■当時の黒人の有権者登録2%

 この悲劇の舞台となった16番街のバプティスト教会と道路を隔てたところに公民権協会がある。協会には当時の差別の実態を示す看板が展示されている。「White(白人)」「Colored(有色人種)」。トイレ、水飲み場、レストランから映画館など娯楽施設に至るまでこの看板に沿って白人と黒人が隔離されていたのは、わずか50年あまり前の出来事でしかない。


▲黒人差別が激しかった時代の看板が展示されているバーミングハムの公民権協会

 そのバーミングハムから車で1時間30分ほど離れた場所にセルマがある。人口は約2万人。アラバマ川に面するこの町は、綿花の積み出しで栄え、かつては黒人奴隷を供給していた。65年当時、黒人の人口は白人を上回る1万人弱だったが、有権者登録は2%にも満たなかった。

 3月7日。有権者登録を妨害されていた500人の黒人のデモ隊はセルマから州都モントゴメリーに向けて行進しようとした。セルマのダウンタウンを抜けると警官と黒人のデモ隊が攻防を繰り広げたエドマンド・ペタス橋がある。橋を渡った地点に待ち構えていた騎馬警官はデモ隊に催涙ガスを撃ち込み、ムチやこん棒で殴打した。

 多くの黒人が血だらけになって倒れ、病院に収容された。その一部始終が米メディアによって米国だけでなく、世界中に「Bloody Sunday(血の日曜日)」として報じられた。当時のジョンソン大統領はアラバマ州の警官隊を白人の州知事から取り上げ、連邦政府の指揮下に入れて行進の警護に当たると決めた。


▲公民権運動の歴史的意義を巡って、黒人のグループと懇談するオバマ大統領夫妻(1月、上中央)=ロイター

 仕切り直しとなった3月21日の行進には白人も含めて3000人が参加し、エドマンド・ペタス橋を無事通過した。セルマから州都モントゴメリーまでは約54マイル(約87キロメートル)ある。そのモントゴメリーは、セルマ大行進から10年ほど前に黒人女性ローザ・パークス氏がバスに乗った際に疲労のあまりに白人用の前部の座席に着席した事件で有名だ。

 バスの運転手は乗車してきた白人を座らせるために、パークス氏に席を譲るよう命じたが、パークス氏は拒否した。パークス氏は警官に逮捕され、その後、黒人のバス乗車拒否運動に発展した。連邦最高裁判所は翌年、バスの人種隔離は違憲との判決を出した。

■「黒人大統領はもう出ないかも」


 63年8月にキング牧師が首都ワシントンのリンカーン記念堂でした「I have a dream(私には夢がある)」の演説にはミシシッピ州に触れるくだりがある。「いつの日か、不公平と抑圧という灼熱(しゃくねつ)の炎にさらされているミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わるという夢が」


▲公民権博物館の建設計画で責任者を務めるジャクリーン・ダイスさん

 アラバマ州とともに黒人差別が激しかったミシシッピ州の州都ジャクソンでは公民権博物館の建設が進む。「ミシシッピ州出身の私の両親は、白人から脅され、州から出ざるを得なくなった」。2年前にジャクソンに移った計画責任者のジャクリーン・デイスさん(50)は公民権運動に身を投じた経緯をこう話した。

 ミズーリ州のセントルイスで育ったデイスさんは根強い黒人差別の現状を認めたうえで「黒人の大統領があらゆる問題を解決できるわけではない。われわれの運動が足りなかったことにも原因はある」と黒人初の大統領、オバマ氏を擁護した。オバマ氏の不人気の底流に黒人差別を感じつつ、最後に「私が生きている間にはもう黒人大統領は出ないかもしれない」と寂しそうに語った。


(2015/2/27 7:00)



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