わたしを愛する人は、
わたしの言葉を守る。
わたしの父はその人を愛され、
父とわたしとは
その人のところに行き、一緒に住む。
「ヨハネによる福音書」 / 14章 23節
新約聖書 新共同訳
平和な家庭は天国の基礎であり、
家庭の原動力は愛です。
家庭を愛するように宇宙を愛すれば、
どこへ行っても
歓迎されるようになります。
▲金正恩第1書記(右)と、
中国の李源潮国家副主席(左)
(2013年7月27日 平壌)
★「北に人権はない」
在英の脱北者が証言
◆
世界日報日本語版2013年10月28日
北朝鮮の人権問題を調査している国連調査委員会(マイケル・カービー委員長)による公聴会が23日、ロンドン市内で行われ、英国在住の北朝鮮脱出住民(脱北者)が赤裸々に証言した。脱出住民は送還後に北朝鮮当局によって厳しく処罰されているほか、脱出先の中国でも人権無視の過酷な扱いを受けていることが明らかにされた。公聴会では、北朝鮮から脱出し、最終的に英国に定住した4人が証言した。証言したのは、「英国北朝鮮住民連盟」に属する人たちで、同連盟代表のキム・ジュイル氏によれば、同連盟には約600人(大人は300人程度)の北朝鮮出身者が所属している。カービー委員長は同公聴会に北朝鮮政府代表者も招待したが、在英北朝鮮大使館からの出席者はいなかった。4人の証言者のうち、2人の証言内容の要旨を紹介する。
(ロンドン・行天慎二)
◾️国連調査委、ロンドンで公聴会
中国で人身売買される
▲23日、ロンドン市内で行われた国連調査委員会による公聴会
◾️ キム・ソンジュさん(男性、1973年9月10日生まれ)の証言
大学生の時までは国に対して何の恨みもなかったが、北朝鮮は1990年代半ばに深刻な飢饉に見舞われた。両親と妹がこの飢饉に耐えられなかった。政府は食糧配給をカットしたため、自分は家を出なければならなくなった。父は亡くなり、妹も家を出た。母を中国にいる親戚(朝鮮族)の所へ送った後、自分も行って住もうと思った。家財を売った後、冷たい豆満江を腰まで漬かって渡って国境を越え、中国のハルビンに行こうとした。しかし、国境を越えてすぐに中国軍につかまって収容所に入れられた。そこに3日間いたが、他にも30人ほどの脱北者が入れられていた。中国当局は身元調査をして指紋を採った。そして自分を北朝鮮に送還した。
送還後は、北朝鮮当局によって人間以下の扱いを受けた。尋問され、尋問者から殴られた。韓国とのつながりがないか、宗教団体に関係していないかと追及され、犯罪者にされた。他の者と一緒に政治犯収容所に送られたが、そこの地下室で身体検査をされた。収容所の看守はカネを隠していないか探した。看守に、収容所に入った以上は人間ではなく動物のように扱われると言われた。
監房への入り口は高さが50センチしかなく、監房の中に40~50人が入れられて身動きができない状態だった。囚人同士で会話していて体罰を受けることもあった。女性の監房では、10人が外で裸にされているのを見た。女性看守がカネを隠し持っていないか探していた。囚人たちの中にはカネを小さく包んで口からのみ込んで体内に隠し、排泄物として回収する者もいた。収容所に15日間いたが、1日3回食事があるものの、小さなカップでトウモロコシのかゆが出ただけだ。足りないので看守にもっと要求した者もいたが、駄目だった。
その後、刑務所に送られた。そこで刑罰として1カ月間伐採作業や石材を運ぶ作業をさせられた。刑務所内で熱病が発生し、感染して病院に収容された。病院に3日間いたが、看守がいなかったので逃げた。市場で中国に戻る手助けをしてくれる人に会った。警備兵に賄賂を渡して中国に戻ったが、母親は再婚していたため別の場所に行き、最後に北京で再度逮捕された。
北朝鮮に送還されて、国家保安部によって尋問された。国家保安部には中国当局から自分が韓国行きを目的にしているとの情報が入っており、間違ったことをしゃべれば殴られた。母親に再会するために中国行きを再度考えていたが、その後、叔父から母親は亡くなったと聞かされた。叔父の話では、母親は逮捕されて北朝鮮に送還され、6カ月間収容所にいた。3年間の矯正教育の判決を受けたが、病気になり病院に収容された。逃亡する恐れがあるため手錠を掛けられていた。7日後に亡くなったが、家族にはすぐには知らせがなかった。当局は遺体を渡さず、実験用に使用したようだ。
最初の脱出は2006年3月、2回目もその年で、3回目が07年の2月。最初は食糧が無く、生きていけないので脱出した。2回目は北朝鮮にいる理由がなかった。母親は中国にいる時にキリスト教会と関係したが、自分は無関係だった。母親が6カ月間収容所に入っていた時に、教会との関係だけでなく韓国に親戚がいることを問題視されたと思う。自分も教会や韓国との関係を尋問されたが、北朝鮮は宗教は麻薬のようなものだから根こそぎにしなければならないと考えている。
母親が亡くなった後、3回目は12人のグループで駅から車で早朝に逃亡した。豆満江を渡った後、英国の宣教師に会って保護され、英国に来ることができた。援助してくれた人からは韓国や米国へ行くこともできると言われたが、イデオロギーが対立する韓国や米国へ行けば、再度北朝鮮に送還された場合には重罰にされると考え、英国に来た。
北朝鮮には人権は存在しておらず、人権侵害のための抗議も見たことがない。政府に抗議するものは反逆罪で死刑になってしまう。そうした者は3代にわたって罰せられる。
◾️パク・ジュンオンさん(女性、30代半ば)の証言
6歳で学校に行き始めたが、最初に金日成の革命史を学ばされた。学校では授業の合間に清掃作業をし、放課後は近隣の農作業を手伝ったり、冬場はゴミの収集などをさせられた。中等学校3年生では、春に40日間、秋に15日間の農作業奉仕活動があり、朝4時半に起床し、夜8時まで働いた。大学時代も勉強以外に農作業や軍事訓練の時間があった。
母親は行商人をしていたが、1997年に商売がうまくいかなくなり、負債のため家を出て行った。当時兄は軍隊にいたが、問題があって一時帰宅した。軍隊から人が兄を捜しに来て、見つけて一晩中殴り、連れ戻した。3日後に兄は刑務所から逃げて再び姿を見せたが、軍隊に捕まり、その後再会することはなかった。わが家も軍隊によって監視された。
自分は98年2月に北朝鮮から中国へ逃げたが、母親も先に中国に逃げていた。妹夫婦も母親と一緒に中国に行っていたが、妹の夫は98年1月に帰ってきて、北朝鮮ではもう住めないので家族全員中国へ行こうと語った。家族は軍隊の人間に監視されていたし、父は病気で動けなかった。父は自分に兄弟たちと一緒にいるように忠告した後、容体が悪化していった。監視の兵士は1月23日、兄を見つけ出せなければ自分を連れていくと述べた。父を残して、2月21日に家を出て、妹や兄と連絡を取ったが、落ち合い場所に兄は間に合わなかった。妹の夫が警備兵に賄賂を渡して、24日に妹と一緒に国境を越えた。
中国では、妹の夫の知り合いを通じて母親のいる所へ行った。母親はカネがなく、未婚の自分をどうすることもできず、結婚をさせると言いながら、自分を仲買人(北朝鮮の女性)に渡した。仲買人が自分を客に見せて値段を付けられた。結婚後は山間の田舎に連れて行かれたが、全く行動の自由が無く、家族の者だけでなく近隣の全員で監視された。最初に、「おまえは買われたから自分たちはおまえを好きなようにできる。良からぬことを考えるなら元の家族に告げる。逃げれば中国の警察に通報する」と言われた。
息子が生まれた後、中国の警察に捕まった。警察は息子は自分と一緒に連れて行けないと言われたため、夫の所に残したが夫は長男を売ろうとした。北朝鮮の人間が生んだ子供は中国内で正式に登録ができないので、何らの権利もなく学校にも行けない。
それで中国人に養子として売る。中国は、北朝鮮の女性と生まれた子供は中国人とは認めない(他方、北朝鮮に送還された場合にも、中国で妊娠していた場合は中国人の血が混じることを好まず、中絶させる)。妊娠した時に隣人は、病院に行っても適切に扱ってくれないので中絶した方が良いと言ってくれた。自分は子供は希望になると考えたため、中絶はせず妊娠を隠してひそかに生んだ。夫はギャンブルをして子供に全く関心を示さず、名前も自分だけで付けた。2004年に北朝鮮に送還された。4歳の息子は売られたものと思っていたが、中国で家族の所に電話をかけた時に一緒に住んで生きているのを確認した。
北朝鮮では国家保安部の収容所に入れられた。再逃亡しないように手錠を掛けられた。麻薬を持っていないか身体検査をされた。女性独房内では生理用ナプキンがなく、渡された小さなタオルで、朝、コップ1杯の水が支給された時に体を拭いたが、水を誤用したとして罰せられた。尋問では真実を語れば減刑にすると言われ、韓国や教会などのつながりなどを詮索された。1グループ40人で、3グループが工場や発電所などで働かされた。丘の斜面をならす作業をやらされた時に、逃亡しないように靴を脱がされ、牛のように荷車を引かされた。その時に脚をけがして化膿した。病院に移されたが治療ができず別の収容所に送られて、傷病兵用の薬で手当てを受けた。1カ月後に足が治り、仲介人を通して中国行きを決めた。
列車に乗れず線路を歩いて国境を越えた。子供と再会したが、祖母と一緒にいたものの浮浪児のような状態だった。中国からモンゴルに行き、最終的に韓国へ行くことにしたが、失敗して再送還されたら今度は死刑だと考えたので決死の覚悟をした。グループでモンゴル国境まで行ったが、子供を連れた自分は足が悪くみんなから遅れた。一人の男性がモンゴルから国境を越えて助けに来てくれたので国境を越えられた。この男性と後に再婚することになった。モンゴルは難民として親切に扱ってくれて、韓国大使館に連絡を取ってくれた。
北朝鮮では成功した者や上層階級には人権があるかもしれないが、国に従わない者には人権はない。しかし、個人としては誰にも人権があるはずだ。 (世界日報日本語版2013年10月28日)
▲12日、ニューヨークの
国連本部前で中国の人権理事会入りに反対し、
僧への暴行を模したパフォーマンスをする
チベット系人権団体(共同)
★中国、サウジ、キューバ…
「人権状況劣悪国家」
ゾロゾロ国連人権理入り
◆産経MSNニュース 2013年11月13日 09:48
【ニューヨーク=黒沢潤】
国連総会は12日、人権理事会(47カ国)の理事国改選選挙を行った。改選数14カ国のうち、中国やサウジ、キューバなど、「国内の人権状況が劣悪」と国際人権団体などから非難されている国々が相次いで当選した。
アジア枠(4カ国)からは中国、サウジに加え、ベトナムとモルディブが当選した。中国とベトナムは一党独裁体制下で言論弾圧などの国内統制を強め、サウジも女性の人権侵害などをめぐって国際社会から批判されている。アジア枠には当初、ヨルダンが立候補を表明していたが、今月上旬に突如、出馬を撤回したため、4カ国に対する事実上の信任投票となった。
東欧枠(2カ国)からはマケドニアのほか、同性愛者の権利侵害などが批判されているロシアが事実上の“無風選挙”で当選した。北米・西欧枠(2カ国)からは英国とフランスだけが立候補し、当選した。
選挙戦となった中南米枠(2カ国)からは、ラウル・カストロ独裁体制下にあるキューバがメキシコとともにウルグアイを破って当選。アフリカ枠(4カ国)からは、過去の人権侵害について人権理の調査を拒絶したアルジェリアのほか、南アフリカ▽モロッコ▽ナミビア-が当選した。
今回の選挙結果について、国際人権団体「UNウオッチ」(本部ジュネーブ)の幹部、ヒレル・ノイヤー氏は「今日は人権擁護にとって“暗黒”の日となった。(今選挙は)政治が人権を蹂躙(じゅうりん)して構わないというメッセージを発しただけでなく、人権擁護の楯となってきた国際機構に頼る世界中の(弾圧の)犠牲者を失望させることになった」と非難した。
選出された14カ国は来年1月から3年の任期で就任する。
(産経新聞 2013年11月13日09:48 )
ウイグル(中国) での核実験で住民19万人死亡推定
2008年11月21日 東京新聞 中日新聞
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http://www.iryokagaku.co.jp/frame/03-honwosagasu/390/index03-390.html
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死のシルクロード(英BBC放送YouTubeより)
【今日の御言葉】