そればかりでなく、
苦難をも
誇りとします。
わたしたちは
知っているのです、
苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、
練達は希望を
生むということを。
『ローマの信徒への手紙』/ 5章 4節
【焦げた木の枝にも新芽は生える】
キリストは、
すべて信じる者に義を得させるために、
律法の終りとなられたのである。
ローマの信徒への手紙 / 10章 4節
草花が太陽に向けて花を咲かすように
私たちも人の温かさにふれた時
固く閉じていた心がやさしくなごみます。
ちょっとした思いやりが
人の心を感動させ
小さないたわりが
人と人を結びつけるきずなとなります。
すべて信じる者に義を得させるために、
律法の終りとなられたのである。
ローマの信徒への手紙 / 10章 4節
草花が太陽に向けて花を咲かすように
私たちも人の温かさにふれた時
固く閉じていた心がやさしくなごみます。
ちょっとした思いやりが
人の心を感動させ
小さないたわりが
人と人を結びつけるきずなとなります。
わたしの掟を受け入れ、
それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、
わたしの父(=神様)に愛される。
わたしもその人を愛して、
その人にわたし自身を現す。
(『ヨハネによる福音書』 14章21節)
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素敵な答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に
帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
(R・S・M)
それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、
わたしの父(=神様)に愛される。
わたしもその人を愛して、
その人にわたし自身を現す。
(『ヨハネによる福音書』 14章21節)
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素敵な答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に
帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
(R・S・M)
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの
心に注がれているからです。
(『ローマの信徒への手紙』 5章5節)
あなた方が泣き悲しむ時、
そこには神様の悲しみが
あなた方と共にあります。
あなた方が無限に幸福を感ずる時、
神様もまた、無制限に幸福を感ずるのです。
ですから私たちが歓喜の勝利を得るために
前進を重ねる時、
神様もその時
喜びを感じておられることを
私たちは知るのです。
その神様の愛とその力で、
私たちは前進するのです。
私たちの前方には、
希望と喜びが、あるのみです。
(R・S・M)
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの
心に注がれているからです。
(『ローマの信徒への手紙』 5章5節)
あなた方が泣き悲しむ時、
そこには神様の悲しみが
あなた方と共にあります。
あなた方が無限に幸福を感ずる時、
神様もまた、無制限に幸福を感ずるのです。
ですから私たちが歓喜の勝利を得るために
前進を重ねる時、
神様もその時
喜びを感じておられることを
私たちは知るのです。
その神様の愛とその力で、
私たちは前進するのです。
私たちの前方には、
希望と喜びが、あるのみです。
(R・S・M)
つまり、あなたがたには、
キリストを信じることだけでなく、
キリストのために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
(『フィリピの信徒への手紙』1章29節)
苦しみそのものには価値がありません。
キリストと、
その受難を分かち合えるものとなった時、
私たちの苦しみは、
この世で最も尊い賜物になるのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より)
キリストを信じることだけでなく、
キリストのために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
(『フィリピの信徒への手紙』1章29節)
苦しみそのものには価値がありません。
キリストと、
その受難を分かち合えるものとなった時、
私たちの苦しみは、
この世で最も尊い賜物になるのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より)
キリスト(メシヤ)を信じることだけでなく、
キリスト(メシヤ)のために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
(『フィリピの信徒への手紙』1章29節)
人を一番愛し
高め
大切にできる所が天国です。
(R・S・M)
キリスト(メシヤ)のために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
(『フィリピの信徒への手紙』1章29節)
人を一番愛し
高め
大切にできる所が天国です。
(R・S・M)
主に結ばれているならば
自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。
(『コリントの信徒への手紙一』15章58節)
苦労の多い社会であるから
一日も早く平和にしてあげたいと思い
困難な道だからこそ
最も愛する者を遣わすのです。
悲しみと孤独の境地を通過する時
その気持ちを神様に帰しなさい。
涙を流しただけ
神様の心情を知ることができ
苦労する人の心の痛みを
理解できるのです。
あなたが歩んだ苦労の道は
いずれの日にかきっと
多くの人に希望と喜びを
与えることでしょう。
(R・S・M)
自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。
(『コリントの信徒への手紙一』15章58節)
苦労の多い社会であるから
一日も早く平和にしてあげたいと思い
困難な道だからこそ
最も愛する者を遣わすのです。
悲しみと孤独の境地を通過する時
その気持ちを神様に帰しなさい。
涙を流しただけ
神様の心情を知ることができ
苦労する人の心の痛みを
理解できるのです。
あなたが歩んだ苦労の道は
いずれの日にかきっと
多くの人に希望と喜びを
与えることでしょう。
(R・S・M)
そのように、
これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。
(『マタイによる福音書』18章 14節)
あなたが神様の名を
呼んだ時から、
神様とあなたの間には
親と子の絆が結ばれます。
たった一人で
孤独の道を歩く時も、
大勢の人々の中で
幸せに生きる時も、
すべてが親なる神様と
一緒なのです。
(R・S・M)
これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。
(『マタイによる福音書』18章 14節)
あなたが神様の名を
呼んだ時から、
神様とあなたの間には
親と子の絆が結ばれます。
たった一人で
孤独の道を歩く時も、
大勢の人々の中で
幸せに生きる時も、
すべてが親なる神様と
一緒なのです。
(R・S・M)
神は、その独り子をお与えになったほどに、
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
(『ヨハネによる福音書』 3章 16節)
互いに競争しながら
ブツブツ言う人よりも
何も言わずに
私がしようと
真心を込める人になりましょう。
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
(『ヨハネによる福音書』 3章 16節)
互いに競争しながら
ブツブツ言う人よりも
何も言わずに
私がしようと
真心を込める人になりましょう。
子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
(『ルカによる福音書』 18章 16節)
神様は私たちに
早く成長してほしいと願っておられます。
人の悲しみを自分の悲しみとして受けとめ
人の喜びを共に喜ぶような
柔軟な心の持ち主となるように。
そして、困難なことを誰よりも率先して実行し、
そこに、いつも神様への感謝を忘れない、
素直な人になってほしいと願っておられるのです。
(R・S・M)
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
(『ルカによる福音書』 18章 16節)
神様は私たちに
早く成長してほしいと願っておられます。
人の悲しみを自分の悲しみとして受けとめ
人の喜びを共に喜ぶような
柔軟な心の持ち主となるように。
そして、困難なことを誰よりも率先して実行し、
そこに、いつも神様への感謝を忘れない、
素直な人になってほしいと願っておられるのです。
(R・S・M)
妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、
夫がそれを持っています。
同じように、
夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、
妻がそれを持っているのです。
(『コリントの信徒への手紙一』7章4節)
国や世界のために
夜も昼も意に介せず
夫と妻が公的な涙の事情を勧告し合い
親と子が受け答えをしながら暮らせる家庭には
「未来の幸福」が宿ることのできる
礎が芽生えます。
たとえ今は草屋か六畳一間の暮らしでも
そこには新たな国が興る
陽の光が輝きを放ち、
希望の泉がとうとうと流れるのです。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
(『ヘブライ人への手紙』 11章 1節)
他人から何と言われようと
他人が何と思おうと
けっしてあきらめることなく
自分が正しいと信じる道を歩み続けると
決意するならば、
その瞬間
皆さんは信仰者として
最高の基準に到着することができます。
その基準に到着した時に
神様は無条件で皆さんを
信頼することができるのです。
だから、孤独の時、
さびしい時こそ
神様のことを思いなさい。
神様を信じて
けっして希望を失わないこと、
これが信仰者にとって大切なことです。
(R・S・M)
見えない事実を確認することです。
(『ヘブライ人への手紙』 11章 1節)
他人から何と言われようと
他人が何と思おうと
けっしてあきらめることなく
自分が正しいと信じる道を歩み続けると
決意するならば、
その瞬間
皆さんは信仰者として
最高の基準に到着することができます。
その基準に到着した時に
神様は無条件で皆さんを
信頼することができるのです。
だから、孤独の時、
さびしい時こそ
神様のことを思いなさい。
神様を信じて
けっして希望を失わないこと、
これが信仰者にとって大切なことです。
(R・S・M)
信仰の弱い人を受け入れなさい。
その考えを批判してはなりません。
何を食べてもよいと信じている人もいますが、
弱い人は野菜だけを食べているのです。
食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、
また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。
神はこのような人をも受け入れられたからです。
(『ローマの信徒への手紙』14章 1節)
あなた方を迫害する冷酷な人がいた時、
その人に向かって怒鳴り返さず、
涙をもって、
神様の祝福が彼らの上にも
注がれるように祈ってあげるとしたら、
神様はあなた方に同情し、
祝福してくださるでしょう。
他人のために常に祈ることによって、
あなた方は神様の心情に近づいていくのです。
どれほど困難な道であっても、
固い決意をもって歩みなさい。
そうすれば神様が、
「私の子よ、
私はいつもおまえのそばにいる」
とささやいてくださるでしょう。
その考えを批判してはなりません。
何を食べてもよいと信じている人もいますが、
弱い人は野菜だけを食べているのです。
食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、
また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。
神はこのような人をも受け入れられたからです。
(『ローマの信徒への手紙』14章 1節)
あなた方を迫害する冷酷な人がいた時、
その人に向かって怒鳴り返さず、
涙をもって、
神様の祝福が彼らの上にも
注がれるように祈ってあげるとしたら、
神様はあなた方に同情し、
祝福してくださるでしょう。
他人のために常に祈ることによって、
あなた方は神様の心情に近づいていくのです。
どれほど困難な道であっても、
固い決意をもって歩みなさい。
そうすれば神様が、
「私の子よ、
私はいつもおまえのそばにいる」
とささやいてくださるでしょう。
思い違いをしてはいけません。
神は、人から侮られることはありません。
人は、自分の蒔いたものを、
また刈り取ることになるのです。
(『ガラテヤの信徒への手紙』6章7節)
あなたが神様の名を
呼んだ時から、
神様とあなたの間には
親と子の絆が結ばれます。
たった一人で
孤独の道を歩く時も、
大勢の人々の中で
幸せに生きる時も、
すべてが親なる神様と
一緒なのです。
神は、人から侮られることはありません。
人は、自分の蒔いたものを、
また刈り取ることになるのです。
(『ガラテヤの信徒への手紙』6章7節)
あなたが神様の名を
呼んだ時から、
神様とあなたの間には
親と子の絆が結ばれます。
たった一人で
孤独の道を歩く時も、
大勢の人々の中で
幸せに生きる時も、
すべてが親なる神様と
一緒なのです。
憎しみはいさかいを引き起こす。
愛はすべての罪を覆う。
(『箴言』10章12節)
草花が太陽に向けて花を咲かすように
私たちも人の温かさにふれた時
固く閉じていた心がやさしくなごみます。
ちょっとした思いやりが
人の心を感動させ
小さないたわりが
人と人を結びつけるきずなとなります。
(R・S・M)
愛はすべての罪を覆う。
(『箴言』10章12節)
草花が太陽に向けて花を咲かすように
私たちも人の温かさにふれた時
固く閉じていた心がやさしくなごみます。
ちょっとした思いやりが
人の心を感動させ
小さないたわりが
人と人を結びつけるきずなとなります。
(R・S・M)