地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【似姿】神話や建国記述「間違ってない」 「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

2015-02-24 08:40:26 | Weblog
▼「誰も幸せにならないいじめ」山崎 柊さん /喜多紗月さん 画
( 産経 2015.2.23 )





神は言われた。

「我々にかたどり、我々に似せて、
人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、
家畜、地の獣、地を這うものすべてを
支配させよう。」


創世記/ 01章 26節
旧約聖書 新共同訳




人は一切れのパンではなく
愛に、小さなほほえみに
飢えているのです。

だれからも受け入れられず
だれからも愛されず
必要とされないという悲しみ

これこそほんとうの飢えなのです。

愛を与え
愛を受けることを知らない人は
貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。


(マザーテレサ『愛のことば』より)





▼誰も知らない「建国記念の日」2015.2.11



◆神話や建国記述「間違ってない」
「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

★産経新聞 2015年2月22日


愛知県一宮市の市立中学の男性校長(56)が、学校のホームページ上のブログに、神話に基づく日本建国の由来などに触れながら、自国に誇りを持つよう訴える記事を掲載したところ、市教育委員会から「神話を史実のように断定的に書いている」との注意を受け、記事を削除していたことが21日、分かった。学校側には教職員組合から抗議文も出されたが、「校長は間違っていない」「感動した」などと記事内容を評価する声も多数寄せられているという。ブログ記事は削除しなければならない内容だったのか。(河合龍一)

市教委や校長によると、校長は建国記念の日を前にした9日、朝礼で「日本の起源」について話し、同日午後に、その基になった原稿をブログに掲載した。

記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。「この話は神話」と断った上で「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。

その上で「皆さんは世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んでほしいと思います」と締めくくっていた。

記事を批判する電話が12日に1件寄せられたことを受け、市教委が校長を注意。校長は「生徒や職員に迷惑をかけたくない」として自ら記事を削除した。

中学社会科の学習指導要領では「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること」と明記されている。

校長は「神話を通じ、子供たちに『自分より人のため』という古代からの日本人の精神性を伝え、自国に誇りを持ってもらいたかった」と話した。市教委学校教育課は「部分的に読むと史実と受け止められかねず誤解を招く」としている。

市教委にはこれまで「偏向教育だ」という匿名の手紙が1通寄せられたほか、一部報道を受け、賛否の電話が十数件あった。学校側にも海外在住の日本人を含め、電話やファクスが多数寄せられ、大半が記事を評価したり、「削除する必要はない」などと校長を激励したりするものだという。


元公立小学校長で狭山ケ丘高校(埼玉県)校長の小川義男氏は「神話と断っている上、学習指導要領にも即しており、何の問題もない」と指摘している。



≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。


仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。


三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。


この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。


古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)






★【産経抄】

神話は国柄を示す 2月23日 - 産経ニュース

◆産経新聞 2015年2月23日



16代仁徳天皇は『古事記』では、恋多き男として描かれる。恋の相手は、吉備の国の豪族の娘、クロヒメ、八田のワカイラツメ、メトリの王(おおきみ)…。その度に天皇の后(きさき)、イワノヒメが嫉妬の炎を燃やす。もっとも、これは神話の「上級編」である。

▼仁徳天皇が高台から見渡すと、かまどを焚(た)く煙が見えない。民の貧しさを知った天皇は、民の税を免除し、自らも質素倹約に努めた。愛知県一宮市の市立中学の校長(56)は、「聖帝」の有名な事跡を紹介して、生徒たちに語りかける。「神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」

▼さらに「天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」例として、マッカーサーとの会談に臨まれた昭和天皇のエピソードを挙げている。小紙はきのう、校長が建国記念の日を前に、学校のホームページのブログに書いた記事の全文を掲載した。東日本大震災の被災地で、人々に膝をついて声をかけられる、今の天皇、皇后両陛下の姿を思い浮かべた読者も少なくないだろう。

▼いずれにしても、一体この記事のどこに、問題があるというのか。記事掲載から3日後、市教委に批判の電話が1件寄せられた。これを受けて市教委が校長に注意し、記事は、ホームページから削除されたという。

▼今年の日教組の教研集会でも、唖然(あぜん)とするような授業が報告されていた。ある教員は建国記念の日について、「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めたという、嘘だらけの日」と説明していた。

神話を敵視する偏向教育はなかなか改まらない。なにより教育界の一部に残る、混乱回避を何より優先する「事なかれ主義」と「隠蔽(いんぺい)体質」には、暗澹(あんたん)たる気分にさせられる。




2015.2.23 皇太子さま55歳 (平成27年2月23日)




▲ 今日も元気

(越智友美さん 愛媛県西条市 産経2015.2.23 )

【賛美】日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会

2015-02-21 23:30:13 | Weblog
▼「かつうらビッグひな祭り」(遠見岬神社)



こう言った。

「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/
世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」


ヨハネの黙示録/ 07章 12節
新約聖書 新共同訳




もし、経験がないならば、尋ねなさい

尋ねることは
恥ずかしいことではありません

けれど、知らないことを、

知っているような
ふりをするのはやめなさい


マザーテレサ 

(『日々のことば』より)




◆東京新聞:日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会(TOKYO Web)


★東京新聞2015年2月21日


▲日本人1000人の声でCDを製作し全米デビューを目指すジェンナさん(右)とプロデューサーのジェット・エドワーズさん=東京都三鷹市で(梅津忠之撮影)



東京都渋谷区を拠点とする合唱グループが米国人プロデューサーと協力し、千人の参加者を集めてアメリカでCDデビューする企画を進めている。メンバーには「ゴスペルは東日本大震災の被災者を力づけてきた。被災地のために歌いたい」と大震災から四年を迎える被災地への思いを胸に参加する人もおり、日本のゴスペル界の力を結集させた歌声が海を渡る。 (横井武昭)

企画を進めているのはNGOゴスペル広場(渋谷区)代表でゴスペル指導者の日本人女性ジェンナさん(33)。普段は全国から二千人が通う教室の会費で途上国支援をしながら普及に努めている。

米国では音楽の主要ジャンルとして確立し、ヒット曲も多い。「日本のゴスペル界が発展するために日本人の力でアーティストや曲をつくり、自分たちの文化として発信したい」と思いが募った。

ダイアナ・ロスなど著名なアーティストを数多く手掛け、今は日本に住む米国人プロデューサー、ジェット・エドワーズさんと昨年出会い、意気投合。千人というかつてない規模でゴスペルを歌い、エドワーズさんが設立したレーベルから全米デビューすることを決めた。

この企画に各地の教室の講師、メンバーらが協力を申し出た。

横浜市内のグループに所属する公務員石原史也さん(55)もその一人。震災後の宮城県石巻市に毎年仲間と通い、浸水した商店街の楽器店や仮設住宅、地域の祭りなどさまざまな場所でゴスペルライブを開いてきた。

最初は「生活が大変な時に歌っていいのか」と戸惑いもあったが、心を込めて歌うと、涙を流して聞く被災者の姿が見えた。「『歌を聞いて元気が出た』『初めて明るい気持ちになれた』と言ってくれ、ゴスペルの力ってすごいと思った」

今回も被災地への思いを込め歌声を響かせる。「ゴスペルには心を一つに平和を祈るというメッセージがこもっていて、一人一人の個性や思いをいかして歌えるのがいいところ。日本発のゴスペルなので、私は被災地のために歌いたい」

CDにはエドワーズさんとジェンナさんが作った英語のオリジナル曲に洋楽のカバーを加え六曲を収録。うち一曲は日本語で歌う。

現在、一般参加者も募っており、十二歳以上であれば誰でも参加可能。定員まで百人ほどある。ジェンナさんは「ゴスペルは大衆音楽。大勢の人と思い切り歌うのは楽しいので初めての人もぜひ参加を」と呼び掛けている。

二十二日と二十七日に東京都武蔵野市内で合同練習を開き、三月十五日に青山学院大学講堂(東京都渋谷区)で収録する。六月下旬~七月上旬にCDを発売する予定。参加費八千円。申し込み方法などは、ホームページで(JAPAN MASS CHOIRで検索)。

<ゴスペル> 米国のキリスト教音楽。米国の黒人の間で、黒人霊歌などを起源に、ブルースやジャズなどの要素も加わって生まれたとされる。ハーモニーに合わせ、時には体をうねらせてステップを踏むなど、感情表現豊かに歌う。




▲2015.2.21 産経 (千葉県勝浦市)

【二人】中国“人民”にも愛された高倉健さん 武士道精神を体現した人

2015-02-20 08:06:38 | Weblog



ふたりまたは三人が、
わたしの名によって
集まっている所には、

わたしもその中にいるのである。


‭マタイによる福音書‬ ‭18‬章20節
‬ 新約聖書 口語訳



最も剛毅なる者は
最も柔和なる者であり、

愛ある者は勇敢なるものである。


(『武士道』新渡戸稲造 )



★【河村直哉の国論】中国“人民”にも愛された高倉健さん
武士道精神を体現した人 - 産経WEST

◆産経新聞 2014年12月5日 07:00更新



▲映画「君よ憤怒の河を渡れ」で
馬乗りロケを行う高倉健。右は女優の中野良子
=昭和50(1975)年11月


俳優、高倉健さんの魅力とは何だったのだろうと、追悼番組などを見るたび考えてきた。それは日本人的な徳に貫かれた生き方の魅力だったのではないかと思う。武士道精神に貫かれた生き方、といってもよい。

単に任侠(にんきょう)シリーズで健さんが刀を手にしているから、という理由ではない。刀を持とうが持つまいが、健さんの演じる男、さらに健さんの生き方そのものが、武士道的な精神を感じさせるのである。

確かに初期の「日本侠客(きょうかく)伝」シリーズなど、役どころもいかにも「武的」だ。第1作で、渡世人集団でもある東京・木場の材木運送業の小頭(こがしら)を任された主人公は、侠客であり、切り込んで敵を倒す。しかしこれだけなら「武的」ではあっても武士道的ではない。敵対勢力のいやがらせに耐え、正道の仕事をまっとうしようとするが、仲間が殺され、付け火されるに及んで、ついに刀を手にする。優しさと義憤があるから、それは武士道的といってよい味わいを帯びてくる。

刀を手にしない作品でも、健さんはどこか武士道的だ。たとえば追悼番組としても放送された「あなたへ」では、故郷の海に散骨してほしいという先立った妻の願いをかなえる義があり、妻を思う優しさがある。この義と優しさが、高倉作品の大きな魅力ではないかと思う。

そしてこの義と優しさは、20世紀にさしかかろうとするころ、日本人の日本人らしさを求めて新渡戸稲造が著した「武士道」において、重視された特性なのだ。「武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない」。新渡戸はそういってまず義について説く。


しかし義だけでは足りない。「『最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである』とは普遍的に真理である。『武士の情』という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた」。そういって新渡戸が「仁・惻隠の心」を重視するように、優しさが武士道には同時に求められる。

ほかに新渡戸が挙げる武士道の「勇」や「礼」、「誠」、「克己」なども、高倉健という俳優の印象、さらに高倉作品のイメージと重なってくる。健さんの礼儀正しさや誠実さは訃報に接して多くの人が伝えた通りだし、禁欲的に役作りに打ち込む姿なども「克己」という言葉を思わせる。

その寡黙さにも筆者など、武士道の心得書「葉隠」を重ねてイメージしてしまう。「葉隠」という書名の由来は、「葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふここちする」という西行の歌とする説がある。饒舌(じょうぜつ)な自己主張ではない、木の葉の間にほの見えるひそやかだが美しい花の心といったものが、高倉健という俳優のたたずまいから感じられてくるのだ。

かくして「高倉健」は、日本人的な価値観を体現した存在だったといってよい。そしてこの名優がこれほど多くの人から愛され、その死が悼まれているということは、筆者には、この日本的な価値観、武士道的な価値観がいまでも多くの人に共有されていることを物語っているように思えてくる。

ことは日本だけではない。中国でも健さんの死が大きく報じられ、追悼されているという。いいことだと思う。本物は、どの国においてもいつの時代にあっても評価されるということだ。


評論家の石平さんが書いているが、中国共産党が反日路線をとる前、中国で国民的なスターだったのは山口百恵さんであり、高倉健さんだった。冗談半分で石平さんは言っている。健さんのような、長身で無口な男というのが中国の若い女性の理想の男性像となり、「背が低くて口達者」な石平さんは女性から見向きもされなかった、とか(石平さんの、すてきなことは言うまでもないが)。中国にもそのような時代があったということだ。

死してなお魅力を放ち続ける高倉健という人の偉大さを、改めて感じる。 (大阪正論室長) =随時掲載します

(産経新聞 2014年12月5日 07:00更新)



葉隠れに散りとどまれる花のみぞ

忍びし人に会ふ心地する


( 『山家集』西行 1118-1190 )




緑の葉の中にわずかに散り残った花を

見いだした感動を詠む。




▲『武士道』新渡戸稲造 著




▲平成27年1月23日(金)

産経新聞号外

白鵬最多V 大鵬超え33度目





【光を人々の前に】神のもとへと導く歌声 黒人教会に響く ゴスペル 奴隷制が生んだ魂の叫び

2015-02-14 20:16:01 | Weblog
▼増加傾向の特別養子縁組25年度は
474件 (産経新聞2015.2.14)




そのように、
あなたがたの光を人々の前に
輝かしなさい。

人々が、
あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父を
あがめるようになるためである。


マタイによる福音書/ 05章 16節
新約聖書 新共同訳




この世の最大の不幸は、
貧しさや病ではありません。

だれからも自分は必要とされていない、
と感じることです。


マザーテレサ
(『マザーテレサ語る』より)




歌を通して神を賛美し、
神に仕えている。

私たちにとってゴスペルは
人間としての礎になっているんです。

(フィリス・ホールさん)




★祈りよ力に
神のもとへと導く歌声 黒人教会に響く
ゴスペル 奴隷制が生んだ魂の叫び

◆47NEWS(よんななニュース)2015年2月5日



▲日曜礼拝でゴスペルソングを熱唱するフィリス・ホール。聖歌隊の手拍子に合わせ、澄んだ歌声が教会に響き渡った=米インディアナ州ゲーリー(撮影・鍋島明子、共同)


聖歌隊が熱唱するゴスペルソングが、集まった信者たちの心と体を揺さぶる。「ジーザス!」「ロード!」。興奮が高まると、人々は叫び、手をたたき、足を踏みならす。その音が歌声と一つになり、礼拝堂の高い天井まで響き渡った。


▽霊歌


米インディアナ州ゲーリーのマウント・モライア・バプテスト教会。黒人街にあるこの教会の日曜礼拝は、「静かに聖書を読む」といった一般的な教会礼拝とはかなり様相が異なる。まるで、コンサートのようなのだ。

20人ほどの聖歌隊を従えた女性歌手が祭壇前に立ち、オルガン、ドラム、エレキギターで編成したバンドが祭壇を取り囲む。牧師の説教や信者の祈りの間に「セレクション」という時間があり、ゴスペルの名曲が次々と大音量で演奏される。

ソロ担当の46歳の女性歌手フィリス・ホールは7歳から歌い始めた。豊かな腰回りが声量を支えている。「幼いころから祖母に連れられて教会に通った。初めて聖歌隊で歌った時は少し怖かったけど、とても気分が良かったのを覚えている」

ゴスペルソングのルーツは黒人霊歌だ。アフリカ大陸から奴隷として米国に連れて来られた黒人たちが、主人が寝静まった夜中、ひそかに集まって祈り、歌った。この世に生きることの苦しみと、死後に天国で救済される願いを歌詞に込めた。

例えば「誰も知らない私の悩み」という霊歌はこうだ。「私は時に落ち込み、ほとんど地に倒れそうになる(中略)友達に伝えてくれ、私もすぐに天国へ行くからと」

ホールは、祖先たちの歴史を振り返った。「彼らは過酷な体験によって信仰に目覚め、それを霊歌として表現していった。奴隷制は、ゴスペルだけでなく、ほとんどの黒人音楽に大きな影響を与えている」

パスターと呼ばれる教会の指導者で62歳のマリオン・ジョンソンは「教会で最も重要なのは牧師の説教だが、その次に重要なのは音楽だ」と言い切った。低音でよく響く声が人を引きつける。「音楽は信者を神のもとへと導いてくれる。うちひしがれている人も歌によって力がみなぎり、祈ろうという気持ちになるんだ」



▲多くの有名黒人歌手が、ゴスペルソングを聞いて育った。聖歌隊のコーラスが始まると、参列者席の女の子が立ち上がり、歓声を上げた=米インディアナ州ゲーリー(撮影・鍋島明子、共同)


▽犯罪


ゲーリーは、全米一の製鉄会社USスチールが20世紀初頭に工場を設立して栄えたが、1960年代から不況に伴う人員整理で失業者が徐々に増加。今では街の中心部はシャッター街になり、店舗や住宅の跡地には雑草が生い茂っている。

人口約10万人の80%以上を黒人が占める。365ある教会は黒人社会の精神的支柱だ。信者の信仰上の悩みだけでなく、生活上のさまざまな相談にも応じている。

この日の礼拝は「シングル・デー」と名付けられ、説教や祈りの中でシングルマザーの子育ての問題が取り上げられた。

黒人のシングルマザー家庭は多く、全家庭の半数を超える。父親のいない子どもたちにとって、教会指導者のジョンソンは、実の父親のような存在だ。「子どもたちのバスケットボールの試合にも、卒業式にも出席しているよ」

ゲーリーは、全米でも有数の犯罪発生率が高い街だ。ジョンソンは、犯罪に手を染めた少年たちのために警察署や刑務所も訪れる。「問題を抱えた人間にこそ神の教えが必要だ。人は外見ではなく、内面がいかに大切かを彼らに教えている」

米国社会に根強い人種差別も黒人教会が扱う問題の一つ。同じ中西部ミズーリ州ファーガソンで8月、白人警官が黒人青年を射殺し暴動が起きた事件について聞くと、「いまだに皮膚の色だけで人を差別する者がいる」と怒りを隠さなかった。


▽陶酔


日曜礼拝の途中、白衣とナースキャップ姿の女性信者2人が祭壇脇に座っているのに気づいた。ゴスペルを聞き、歌っているうちに、宗教的な興奮と陶酔感が高まり、気を失う信者がいるので、待機しているのだ。

この日も聖歌隊のコーラスが最高潮に達した時、参列者席で立ち上がり「ハレルヤ!ハレルヤ!」と、うわ言のように叫びながら、体を震わせる女性信者がいた。

この教会では昔から歌い継がれているゴスペルを演奏するが、最近は、ヒップホップ風のゴスペルも生まれ、若い世代の人気を得ているという。

「私は嫌い。まるでダンスミュージックみたいだから」。40年近く教会で歌ってきたフィリス・ホールにとって、ゴスペルは何よりもまず、神と共にある音楽でなければならない。

“ソウルの女王”アレサ・フランクリンや女優としても活躍したホイットニー・ヒューストンらソウルミュージックの有名歌手の多くがゴスペル出身だが、ホールは「私が尊敬しているのはマヘリア・ジャクソン」と言う。教会を中心に宗教音楽としてゴスペルを歌い続けた伝説の歌手だ。

「歌を通して神を賛美し、神に仕えている。私たちにとってゴスペルは人間としての礎になっているんです」ホールはかみしめるように言った。

(敬称略、共同通信編集委員 藤原聡)
=2014年10月15日


メモ

近くにマイケルの生家

ゲーリーのマウント・モライア・バプテスト教会近くの住宅街に、白い板壁の小さな家がある。
〝キング・オブ・ポップ〟と呼ばれるスーパースター、マイケル・ジャクソンの生家だ。マイケルの父親は、地元の製鉄所のクレーン運転士として働いていた。

庭には記念碑が立ち、フェンスにはファンが寄せ書きするボードが掲げられている。5年前にマイケルが亡くなった後も、訪れる人が絶えない。

オハイオ州から車で6時間かけて来た47歳の女性は「15歳のころからずっと憧れてきた。マイケルが死んで2カ月後、彼の顔を右の背中と脚に彫った」と涙声で話し、タトゥーを見せてくれた。




【祈りよ力に】<米国>神のもとへと導く歌声 黒人教会に響くゴスペル : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/47topics/e/261772.php










▲「一生の責任持つ、実感」

2015.2.14



【アルファとオメガ】建国以来の2つの理念 「自助努力」と「弱者救済」

2015-02-12 04:28:28 | Weblog
▼自国の「建国・独立の日」を正しく
答えられた人の割合 2割未満
(産経新聞 2015.2.11)







わたしはアルファであり、
オメガである。最初の者にして、
最後の者。初めであり、終わりである。


ヨハネの黙示録/ 22章 13節
新約聖書 新共同訳




過去になく未来に
起こる保証もない。

過去においてもトリクルダウンは起きなかったし、
未来においても起こる保証はどこにもない。

トマ・ピケティ
(2015.1.31 日本人記者クラブにて)









※世界的な格差拡大に警鐘を鳴らす本が全世界でベストセラーとなる。
(『21世紀の資本』トマ・ピケティ著)


▲画像は、2015年2月2日の
「NHKクローズアップ現代」に
出演のもの。

https://m.youtube.com/watch?v=A6wJIV56mBg



★真っ向から対立する米国建国以来の2つの理念

「自助努力」と「弱者救済」


◆日経ビジネスオンライン 2014年12月03日 高濱 賛

 米国は、「対立」の状態を通り越して、今や「2つの国家」の様相を呈している。保守派の主張はこうだ。「大統領になればどんな難問でも解決できるというオバマの空手形を信じた無知な有権者がオバマを選んだ。オバマは今やレイムダック。これからの2年、米国は南北戦争以来の最も危険な時代に入ろうとしている。その存続すら脅かされている」。
("America faces most dangerous two years in 150 years," Charles Hurt, Washington Times, 11/5/2014)

▼「南北戦争以来の危険水域に入った」

 一方、リベラル派の主張はこうだ。「オバマは、すべての市民に益をもたらす社会経済的システムの構築を目指した。この夢は共和党の『醜い勢力』によって破られてしまった。これはオバマの敗北と言うより、もっと大きく深いアメリカの真の夢が壊されたことを意味する」
("The Two-Sided Dynamic of Our National Crisis," Andy Schmookler, Huffington Post, 11/20/2014)

 保守派がオバマ大統領の「独りよがり」と「権力乱用」を批判すれば、リベラル派は「解体屋と化した共和党の破壊的政治手法」を激しく非難する。もはや妥協の余地はない。

 高校で米国史を30年間教えてきた元教師、ケネス・ローリン氏(70)=ロサンゼルス近郊在住=は筆者にこう述べる。「公民権運動やベトナム戦争の時ですらここまでの分裂はなかった。とにかく、中高年の白人層と、有色人種(黒人、ヒスパニック)及び白人過激派リベラルとの意見の食い違いは広がる一方だ。北米大陸に『2つの国家』『2つの政府』が存在しているようなものだ」。

▼「自助努力」か、「弱者救済」か

 米国という国家がよってたつ2つの理念。それが真っ向から激突している。しかも、この亀裂が産む「2つの国」の狭間に築かれた「人種の壁」が話をより複雑にしている。

 第1の理念は、建国以来(あるいは建国以前の植民地時代から)、個々の米国民に求められてきた「自助努力」の精神だ。平たく言えば、「働かざるもの食うべからず」。一生懸命働けば、この新天地で必ず夢はかなえられる。まさに「アメリカン・ドリーム」の原点だ。共和党はその精神を基本に「自助自立」政策を重視、「小さな政府、自由競争社会」を目指してきた。

 もう1つの理念は「弱者救済」。「弱きもの、貧しきものを助ける」というキリスト教に由来する助け合いの精神だ。フランス人政治学者、アレクシ・ド・トクヴィルは、その著書「アメリカにおける民主主義」(1835年)の中で、これを「Voluntary associations」(篤志的な付き合い)と名づけている。「社会生活の向上を目指して、個々人のイニシアチブによって行われる相互扶助精神」だ。リベラル派はその精神を政府の福祉政策や貧困対策に盛り込むことに重点を置いてきた。
("Democracy in America," Alexis de Tocqueville)

 米国という多民族国家では、「人種問題」がこの2つの対峙する理念に纏わりついて離れない。「肌の色」は依然として社会における不平等を生み、それが貧富の差となり、不満分子による犯罪へとつながる。当然のことながら保守派は「法と秩序」を前面に押し出す。リベラル派は犯罪を生まぬための福祉・雇用政策の必要性を訴える。


 黒人の中にはいくら「自助努力」をしても貧しさから抜け出せないものもいる。リベラル派は、自分たちが政権をとれば、雇用や教育の面で平等を促進する規制や制度を拡充できる、と訴え続けてきた。オバマ政権が推し進めようとしてきた医療保険制度改革(オバマケア)や移民法改正といったアジェンダは、「弱者救済」政策の一環といえる。

 中間選挙の結果、上下両院を共和党に制覇されたオバマ大統領は、議会の審議や承認を必要としない「大統領令」(Executive Order)で自らの公約を実現させる構えを見せている。これに対し共和党は議会での審議を通さないのは大統領特権の乱用であり、憲法違反だとして大統領弾劾すら口にし始めている。共和党がオバマケアや移民法改正に真っ向から反対している論拠は、まさに「自助努力」と「自助自立」にある。

 どちらが正しいか、その判断は難しい。どちらも米国という国家がよって立つ基本精神をそのバックボーンにしているからだ。

▼黒人青年を射殺した白人警官の行為は「正当防衛」

 ワシントンでの保守とリベラルの対決をよそに、「人種の壁」と「法と秩序」とが真っ向からぶつかり合ったのが、米中西部ミズーリ州セントルイス郡ファーガソンで起きた白人警官による黒人青年射殺事件だった。ファーガソンは大都市セントルイスに隣接する人口2万1000人のちっぽけなコミュニティで、人口の7割弱を黒人が占める。ただし、セントルイス郡全体の人口は白人が70%、黒人は23%。そのため郡関連の行政機関や治安機関のトップはすべて白人が占めている。

 事件発生から3カ月たった11月24日、郡の大陪審は警官の不起訴を決めた。大陪審の構成は白人9人、黒人3人。陪審員の数は、郡の人口に比例するため、白人が多数を占めた。郡検察は大陪審での審理、評決の全容を公開した。それによると、窃盗容疑をかけられていた黒人青年がパトロール中の白人警官と口論になり、最初に手を出した。身の危険を感じた警官は黒人を射殺した。正当防衛ということで不起訴となったのだ。

 この評決が郡レベルで覆されることはない。が、司法省は別途、事件の全容解明を急いでいる。ただし、白人警官を公民権法違反で起訴し有罪判決を下すには、この警官が黒人青年の権利を意図的に侵害したと証明する必要がある。その立証が極めて難しいことはホルダー司法長官(黒人)も認めている。

 大陪審の評決に黒人の怒りが爆発した。警備に当たった警官隊と直接対決することは避けたが、黒人たちは市内の商店に火をつけ、商品を略奪。逮捕者は11月25日時点で80人を超えた。

 黒人の怒りは、震源地ファーガソンだけではなく、ニューヨークやロサンゼルスなど全米各地170カ所に波及し、抗議集会が催された。デモや集会の様子を伝えるテレビ画面には黒人ばかりでなく、若い白人の姿も映し出された。だが、この模様を放映するテレビを苦々しい思いで見ていた白人保守派が全米各地にいたことは一切報道されていない。この点を見逃すわけにはいかない。

 白人の反応を知ろうと、サンディエゴに住む旧知の退役軍人に電話すると、「今家族でテレビを見ている。奴ら(黒人)は火事場泥棒だ。何かあると商店を襲撃しては盗みを働く。メディアもセンセーショナルに大騒ぎするだけで物事の本質を伝えようとしない」と吐き捨てるように言っていた。


▼白人の38%は「不起訴支持」、非白人の58%は「起訴支持」


 大陪審が評決を示す以前から国論は2つに分かれていた。CNNの世論調査では、「白人警官を起訴すべきだ」と答えた白人は23%、非白人(黒人、ラティーノ、アジア系)は54%。逆に「起訴すべきでない」と答えた白人は38%、非白人は15%といった結果が出ている。非白人の5割強が起訴を唱えているのに対し、白人の4割近くが不起訴評決を支持している。



▲起訴されるべき 不起訴が妥当
白人 23% 38%
非白人 54% 15%


("Poll finds racial divide over Wilson charges," Eric Bradner, CNN, 11/24/2014)

 保守派コメンテイターのダニス・プランガー氏は、何が正しいかは人種問題」ではなく、「モラル(良心、倫理観)の問題」だと主張する。「黒人青年を射殺した白人警官が不起訴になったことをめぐって抗議や暴動が起こっている。白人警官だから、とか、白人が多数を占める大陪審の評決だから、とか、こうした事件になると、つねに人種的な固定観念が前面に出てくる。真実は2つに1つ。撃った警官が証言しているようにモラルにかなった行動だったのか、あるいは射殺したことに正当な理由がなく、モラルに反する行動だったのかだ」
("A Moral, Not Racial, Divide over Ferguson," Dennis Prager, National Review Online, 11/25/2014)

 さらに共和党・保守中道派のルディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長 は、市長時代の経験を基にテレビ討論の席でこう語る。「黒人やラティーノの住むマイノリティ・コミュニティほど犯罪率は高い。殺された黒人の93%は黒人によって殺されている。黒人同士殺し合いをしないのであれば、その地域に白人警官が行く必要はない。ファーガソン事件を論ずるにはこうした事実関係も配慮に入れねばならない」。
("Rudy got it right: Cops save minority lives," Bob McManus, New York Post, 11/24/2014)

 オバマ政権になって黒人が非黒人に射殺され、加害者が大陪審で不起訴になった事件として、12年に起きたフロリダ州オーランドのケースがある。撃ったのは自警団員と称するラティーノと白人の混血青年だった。不起訴の評決を受けて、地元はもちろん全米各地で黒人が抗議デモを起こしたが、暴動には至らなかった。「大統領が黒人のオバマだから黒人は自制したのだろう」(主要紙記者)という声を当時聞いた。


▼「オバマにも失望した黒人たち」の憤りが爆発

 それが今回、どうして黒人は暴徒化したのか。しかも「オバマ大統領がテレビ中継で市民たちに冷静さを求めている真っ最中にも黒人たちは商店に火をつけ、商品を略奪し続けた」(地元紙セントルイス・ポストーディスパッチ)。
("President Obama calls for peace in wake of Ferguson decision," staff reports, St.Louis Post-Dispatch, 11/24/2014)

 著名なテレビ・コメンテイターのロー・ダブス氏はテレビ番組で次のように指摘している。「ファーガソンが緊迫している理由は経済問題にある。この町の黒人失業者の数は白人の3倍だ。市全体の失業率は13%と全米平均の2倍以上に上る。年間所得の平均は1万ドル、これは全米平均の3分の1以下だ。この責任は州政府、郡当局、そしてなによりも大統領たるオバマの責任だ」
("Black unemployment three times higher in Ferguson, because of Obama, Lou Dobbs claims," Derek Tsang, www.politifact.com, 8/21/2014)

 オバマ政権になって黒人の生活環境はむしろ悪化している、と主張する黒人ジャーナリストもいる。デロイ・マードック氏はこう指摘する。「黒人成人の労働力率(Labor-force-participation rate)はオバマが大統領になる前の時点の63.2%から14年4月には60.9%に下がっている。さらに16~19歳までの黒人の雇用率は29.6%だったのが14年4月には27.9%と落ちている。さらに黒人貧困層は25.8%から27.2%に上昇した」。
("Black Americans Are Worse Off Under Obama," Deroy Murdock, National Review Online, 5/16/2014)

 08年1月、バラク・オバマ第44代大統領の就任式を感動しながら見守った米主要紙の政治記者(黒人)は、慎重に言葉を選びながらこう筆者に語った。「あの時の熱気はどこへ行ってしまったのだろう。確かに世論調査で聞かれれば黒人の86%はオバマ支持と答えている。しかし陰ではオバマのことをボロクソに言っている。黒人大統領が俺たちをこの貧しさから救い出してくれると信じていたのに、裏切られたというのがホンネだ。『何人もの黒人を閣僚やホワイトハウス高官に登用したって、草の根の自分たちの生活はいっこうによくならないじゃないか』というのだ」。

 同記者はこう続ける。「ファーガソンでの放火や略奪は、半分は、オバマに対して怒りをぶつけたものといえないだろうか。ある黒人牧師は私に皮肉っぽくこう言ったよ。『オバマがレイムダックだって、冗談じゃないよ、あいつはデッドダックさ』」。

 「2つの国家」は、それぞれの「国家」の内部でも、対立が生じ始めたように感じられる。


⬛️著者プロフィール

高濱 賛

在米ジャーナリスト
米政治・経済・社会情勢を日本に発信している。1969年、米カリフォルニア大学卒業、読売新聞社に入社。米特派員、総理官邸・外務省担当キャップ、デスクを経て、調査研究本部主任研究員。98年からUCバークレー校上級研究員。同年から現職。



(真っ向から対立する米国建国以来の2つの理念
:日経ビジネスオンライン2014年12月03日 高濱 賛)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141201/274491/







▲『新資本論』トマ・ピケティ 著

【義人】スペイン・コリア「慶長遣欧使節」末裔 「私達は日本人」/高山右近 没後400年記念ミサ

2015-02-08 19:05:50 | Weblog



言っておくが、
あなたがたの義が律法学者や
ファリサイ派の人々の義に
まさっていなければ、
あなたがたは決して
天の国に入ることができない。


マタイによる福音書/ 05章 20節
新約聖書 新共同訳



自ら活動して、
他を動かしむるは水なり。

つねに己の進路を求めてやまざるは
水なり。

障害にあいて激しくその勢力を
百倍し得るは水なり、云々(うんぬん)。

黒田如水 ( 1546-1604)

(『水五則」)




『潮路はるかに』河北新報社
(写真はミュージカル「常長の祈り」より)



★スペイン・コリア「慶長遣欧使節」末裔 「私達は日本人」

◆NEWSポストセブン 2014年12月2日


スペイン南部、人口3万人ほどの小さな都市コリア・デル・リオ(以下、コリア)に、「サムライの末裔」と称するスペイン人が600人以上暮らしている。彼らの姓は「ハポン」(スペイン語で日本の意)。どんなルーツを持つのか。 * * * コリアに

スペイン南部、人口3万人ほどの小さな都市コリア・デル・リオ(以下、コリア)に、「サムライの末裔」と称するスペイン人が600人以上暮らしている。彼らの姓は「ハポン」(スペイン語で日本の意)。どんなルーツを持つのか。

* * *
コリアに暮らす「ハポン」姓のスペイン人は、約400年前に東北から海を渡った「慶長遣欧使節」の末裔とされる。慶長遣欧使節とは1613年10月に仙台藩主・伊達政宗がノビスパニア(メキシコ)との通商条約締結を求め、イスパニア(スペイン)国王及びローマ教皇の元に派遣した使節のことだ。

仙台藩士の支倉常長を大使とした約200人の一行は月浦(現・石巻)を出航し、3年がかりでメキシコ、スペイン、ローマを訪れた。この時、帰国せずスペインに留まった日本人がコリアに住み着き子孫を残したと考えられている。

『支倉常長遣欧使節 もうひとつの遺産』(山川出版社刊)の著者で現地を調査した太田尚樹・東海大学名誉教授が語る。

「今も教会に残る名簿の調査などから、8人の日本人が残ったと考えられます。恐らく、現地の女性と恋に落ちたのでしょう。ハポン姓の人々はまさに『サムライの末裔』です」

現在、コリアに住むハポン姓の人々にとって、遥か遠い日本は郷愁の対象だ。

「現地の人々の合い言葉は 『ソモス・ハポネス!(私たちは日本人だ!)』。顔立ちや風貌に日本人の面影はもはやありませんが、誰もが真面目で努力家の日本人を尊敬し、ハポン姓であることを誇りに思っています」(太田氏)

ハポン氏たちは、祖先が出航した石巻が東日本大震災で大きな被害に見舞われたことに心を痛めているという。

一方、ハポン姓の謎をめぐる科学的調査も進む。昨年、日本の研究者らが複数のハポンさんから血液を採取。DNA鑑定の結果は今後、発表される予定だ。

※SAPIO2014年12月号



http://www.christiantoday.co.jp/articles/15229/20150203/takayama-ukon.htm


★高山右近 没後400年記念ミサ 金沢教会:石川

◆中日新聞(CHUNICHI Web) 2015年2月3日



▲高山右近をたたえる歌を口ずさむ参加者=金沢市広坂で

命尊んだ生涯学ぶ

キリシタン大名高山右近(一五五二~一六一五年)の殉教四百年を記念するミサが一日、金沢市広坂のカトリック金沢教会であり、集まった信者らや観光客らが、競争より人生や命を大切した右近の生きざまを学んだ。(沢井秀和)

右近が一六一四年に国外追放され、マニラで病死したのが殉教にあたるとして、日本のカトリック教会が最高位の「聖人」に次ぐ「福者(ふくしゃ)」に認められるようにローマ法王庁に働き掛けており、今年にも認定されるという期待が高まっている。

ミサは、没後四百年を迎える三日に、全国のミサが神戸市で開かれるのを前に、金沢教会が催した。参列者が列福を求める祈りをささげた後、右近賛歌を高らかに歌った。

続いて、金沢市出羽町の県立美術館で八日まで開かれている「高山右近とその時代」を企画した学芸第一課担当課長の村瀬博春さん(55)=美学・芸術学=が講演。禁教令が出たころには、右近の家臣らを中心に二千人の信者が金沢にいたと推測。「当時、加賀藩で殉教したことを伝える記録が今のところ見つかっていない。なぜ殉教者が極端に少ないのか」と問い掛けた。

仮説として「これまで命と向き合う生き方を貫いた右近が、家臣ら信者に殉教を禁じ、茶の湯に信仰の真理を見いだすように説得したのでは」と指摘。また「激しい競争原理にさらされる今日こそ、追放の身を選択した右近の真価が深い共感をもって理解されると確信している」と話した。

高山右近 現在の大阪府豊能町高山に生まれ、洗礼名はユスト(義の人)。黒田官兵衛、蒲生氏郷らに洗礼を勧めた。バテレン追放令が出た後も信仰を捨てず、1588年から加賀・前田家に26年間預けられ、金沢城の石垣の修復、高岡城(富山県高岡市)の縄張(設計)にかかわったとされる。

▼右近にちなむ舞踊が披露された慰霊祭=金沢市鳴和町で



右近しのび創作舞踊

金沢・鳴和の教会 孝藤流家元ら奉献


高山右近の没後四百年を前に、金沢市鳴和町の殉愛キリスト教会で一日、慰霊祭が開かれた。孝藤(たかふじ)流家元の孝藤まりこさんらによる右近の生涯を描いた創作舞踊の奉献などがあり、バテレン追放の苦境に遭っても信仰を貫いた故人をしのんだ。

慰霊祭には三十人が来場。教会の山県実牧師(71)が右近をたたえて作詞作曲した賛美歌などを歌った。

山県牧師は、右近が前田利家を頼って金沢に二十六年間住んでいたことを振り返った。宗派の違うカトリック教会で広がっている、右近を聖人に位置付けようとする運動に協調する考えも語った。

山県牧師は「権力者に屈せず、心の生き方を大切にした右近に学ぶことは今も多い。四百年を機に、あらためて魅力を発信したい」と力を込めた。

教会併設の茶室「右近庵(あん)」にはキリストの最後の晩餐(ばんさん)を描いた彫刻を展示。慰霊祭後、来場者が茶を楽しんだ。(福岡範行)


中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井




▲『新書太閤記』吉川英治 (写真)




▲北陸中日新聞 2014年8月8日

青山俊董 (愛知専門尼僧堂長)
2014.8.8 平成26年
今週のことば



【多くの実】後藤さん、湯川さんの解放を祈り、宗教を超えて集まった人たち

2015-02-08 06:23:33 | Weblog




はっきり言っておく。

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。


ヨハネによる福音書/ 12章 24節
新約聖書 新共同訳




わたしたちにできることは、
さまざまな方法で、
彼らに手をさしのべ
続けることなのではないか。


後藤健二さん

(『もしも学校に行けたら』(汐文社))



★追悼 国際ジャーナリスト・後藤健二さん : 論説・コラム :

◆クリスチャントゥデイ 2015年2月3日

http://www.christiantoday.co.jp/articles/15221/20150203/memorial-message-journalist-kenji-goto.htm


国際ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国に殺害されたとみられる動画が、日本時間の2月1日早朝に公開されました。日本政府はこの動画が本物である可能性が高いとしています。これが事実であるならば、深い悲しみを覚えます。ここに、後藤さんのご家族に謹んで哀悼の意を表したいと思います。悲しみに沈むご家族の内に、主なるイエス・キリストが共にいて慰めと平安を下さいますように。

昨年10月末にシリアに渡航したとされる後藤さんからは、ちょうどその時期、毎月1回の掲載を予定していた連載コラムの最初の寄稿「戦争に行くという意味」を頂きました。これが最初で最後のコラムになってしまうとは、想像すらしていませんでした。

後藤さんの霊は、今、神様の御許(みもと)にあります。数カ月にわたる恐怖、不安から解放され、安らぎを得ていることでしょう。

「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(黙示録21:3~4)

聖書は、天国についてこのように語っています。後藤さんは、たくさん流した涙がぬぐい去られ、悲しみも嘆きもない場所にいるのだと思います。

しかし、この世に残された私たちには、それを知りつつも、後藤さんを失った悲しみが残ります。もう後藤さんにこの地上で会うことができないのか、彼の口から話を聞くことはできないのか、もう二度と別れの握手を交わすこともできないのか・・・。

後藤さん、どんなに苦しかったでしょう、どんなに寂しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなに無念だったでしょう・・・。

昨年5月のインタビュー記事を何度も読み返しました。あの時もシリアに向かう前日でした。「今回は、今までで一番危険かもしれない」。そう言って、少し緊張した横顔を見せた彼を今も忘れません。それでも、数週間後に帰国した後藤さんは、いつものように時折SNSやメールを通して連絡をくれました。テレビでの出演も多く、元気で活躍している姿に安堵したものです。

別れ際はいつも「気をつけてくださいね。またお会いしましょうね」と声を掛けました。後藤さんは決まって「大丈夫。無理はしないから。またお会いしましょう」と笑顔を見せてくれました。そう、あのシリア入国前に見せた「必ず生きて帰りますけどね」と語ったあの笑顔です。誰にでも安心感を与えるような温かなあの笑顔に、もう会うこともできないと思うと、寂しさで胸が張り裂ける思いです。

インタビュー記事の中で、「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と語っていた後藤さんを思い出します。この言葉を話し終えた後、少しだけ寂しそうな顔をして、クスッと笑ったように見えました。昔のことを思い出して恥ずかしかったのか、それとも「そんなこと、起こるわけないだろう」と自答したのか・・・。

荒い岩砂漠の土の上にひざまずき、ナイフをかざされ、死を前に何を祈り、何を思ったのか・・・。今は、推測しかできませんが、少なくとも彼が最期に遺した「この内戦が早く終わってシリアに平和を・・・」という言葉に嘘はないと思います。

「関心を持ち続けてほしい。シリアで起こっていることは、『遠い国で起きていることで、われわれ日本人に関係ないこと』ではないということを忘れないでほしい。なぜ僕がカメラを向けたときに、シリアの人々は話をしてくれるのか? それは、彼らがその映像を通して、日本にいる人たちに訴えたいことがたくさんあるからなのです」と、多くの講演会で後藤さんは語っていました。

彼が命を懸けて伝えたかったのは、イスラム国の恐ろしさでも、政府への不満でもなく、「なぜ、こんなことが世界で起きてしまっているのかを真剣に考えてほしい」ということではないかと思うのです。「分かち合い・奉仕・愛」の気持ちが世界中の人にあれば、あんな残忍な事件は起きないはずです。われわれ一人ひとりにできること、それはあらゆる状況下で暮らす人々のことに「関心」を持ち続けること。そして、隣人を思い、祈ることだと思います。

「後藤さんはキリスト者ですか?」と、初めて聞いた時のことを思い出します。「そうです。不敬虔極まりないキリスト者ですが・・・」と、照れたように笑った顔。

後藤さん、あなたは不敬虔なキリスト者なんかじゃありません。立派なジャーナリストであり、立派なキリスト者でした。私たちは、あなたを誇りに思います。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

後藤さんと天国で再会する日を期待して。新聖歌508番「神共に在(いま)して」を心静かに賛美します。

また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝身(ながみ)を離れざれ

(昨年5月に後藤健二さんをインタビューした本紙記者より)


★紛争地の子を取材、手をさしのべ続けた後藤さん : 社会 :

◆読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年02月02日 08時47分


法政二高(神奈川県)から法政大に進学し、学生時代はアメリカンフットボールに親しむスポーツマンだった。

卒業後は番組制作会社を経て、96年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立。ソマリア、イラク、ルワンダなど中東やアフリカの紛争地で取材し、テレビのニュース番組でリポートしていた。

困難な環境に置かれた子供に焦点を当てた取材が多く、アフガニスタンの少女を追った著書「もしも学校に行けたら」(汐文社)のあとがきには「わたしたちにできることは、さまざまな方法で、彼らに手をさしのべ続けることなのではないか」と記している。

97年には洗礼を受けた。キリスト教徒向けのニュースサイト「クリスチャントゥデイ」に掲載された昨年5月のインタビュー記事では、その理由について「取材先で、ひとりで命を落とすような場合を考えた」と説明。小さな聖書を肌身離さず持ち歩き、「命を脅かす現場もあるが、必ず、神様は私を助けてくださる」などと語っていた。

2015年02月02日 08時47分 Copyright © The Yomiuri Shimbun




◆「イスラム国」拘束:後藤さんの解放祈る 官邸前に宗教者 - 毎日新聞

★毎日新聞 2015年01月27日 20時13分
(最終更新 01月27日 21時32分)




▲後藤健二さんの解放を祈る日本イスラム文化センターのクレイシ・ハールーン事務局長(中央)ら、宗教を超えて集まった人たち=東京都千代田区の首相官邸前で2015年1月27日午後1時23分、森田剛史撮影

後藤さんの命を救え--。国内のキリスト教、仏教、イスラム教の信徒約80人が27日、東京都内の首相官邸前に集まり、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられるグループに拘束されている後藤健二さん(47)の解放を祈った。宗教や宗派を超えて呼び掛けた鈴木伶子(れいこ)さん(76)は「命や平和を重んじるのはどの宗教も同じ。後藤さんには元気に帰ってきてほしい」と訴えた。

鈴木さんは、後藤さんが通っていた代々木上原教会(東京都渋谷区)の信徒で、牧師や僧侶らによる「平和をつくり出す宗教者ネット」でも活動する。

10年ほど前、教会で後藤さんと知り合った。いつも穏やかで笑顔が印象的だったが、アフリカ・ルワンダの残虐な内戦を生き抜いた人たちの話をしてくれたこともあった。

後藤さんが先に拘束された湯川遥菜(はるな)さんを助けに向かったと聞いた。「人を助けるためつらい決断をしたのかもしれない。それだけに家族のためにも帰ってきてほしい」。どの宗教者も同じ思いだと考え、今回の行動を呼び掛けた。

官邸前では、キリスト教のプロテスタントの牧師やカトリックの神父、仏教の僧侶らが順にマイクを手に、聖書の一節を朗読したり、お経を唱えたりして、後藤さんの解放と世界の平和を祈った。

宗教法人日本イスラム文化センター(東京都豊島区)のメンバーでインド出身のムハンマド・ユスフさん(42)は、アラビア語で後藤さんの無事を祈り「罪のない人を殺してはいけないというのが神の教え。信仰があるなら早く解放してほしい」と訴えた。

パキスタン出身のクレイシ・ハールーン同センター事務局長(48)も「宗教は関係なく手伝いたいと思って来た。希望を持ちたい」と話した。【藤沢美由紀】




★「果敢な記者」人質に 後藤さん、
10月下旬に音信不通

◆朝日新聞 2015年1月20日22時14分




▲人質となったとみられる後藤健二さん=テレビ朝日から


人質となったとみられる後藤健二さん(47)は、報道で紛争地の実態を広めようとしていた。湯川遥菜さん(42)は「イスラム国」に拘束された後、消息がわからなくなっていた。知り合いだった2人が荒れた大地にひざまずかされ、黒覆面の男がナイフを持つ。インターネット上に20日投稿された卑劣な動画に関係者は無事を祈った。

「海外出張に行く。29日午前中に帰国する」。ジャーナリストの後藤健二さんと10年来の友人という愛知県豊田市の高校教諭、伊藤和正さん(43)が後藤さんからメールを受け取ったのは、昨年10月22日。その後、連絡が取れなくなった。

同月末に「世界の子どもたちは今 紛争取材の最前線から見えること」という題で子どもたちに話をしてもらう予定だった。「紛争地の子どもを一貫して取材していた。厳しい環境にいる子供たちの現実を伝えたいという思いを持っていた」。毎日、後藤さんの携帯に電話をかけ続ける。

後藤さんは番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立した。フリージャーナリストの綿井健陽(たけはる)さん(43)は「後藤さんは90年代半ばから小型ビデオカメラを持って戦場や紛争地帯を取材していた。近年はシリアで果敢な取材をしており、尊敬していた」と言った。

「イスラム文化の理解が深まるよう発信を続けていた本人がこうした形になったことは複雑。無事を祈っています」。児童出版社「汐文社」(東京都千代田区)の編集者、門脇大さん(39)は言った。帰国中の後藤さんと昨年9月に会い、「イスラム国」も含めたシリアの現実を子どもたちに伝えるような児童書の執筆を依頼していた。

小中学校での出前授業で使う映像資料を制作したり、紛争地の現状などについて自ら講演したり。後藤さんは、世界の子どものために活動をする日本ユニセフ協会にも協力。協会を通じて、東日本大震災の被災地支援に取り組み、宮城県石巻市や気仙沼市で活動の記録係をしていた。

12月には出身地の仙台市でシリアの現状を伝える講演会を開く予定だった。協会の中井裕真広報室長は「途上国や紛争地で学校に行けなかったり兵士にさせられたりした子どもの現状を懸命に追いかけ、伝えていた。無事の帰国を祈りたい」。

シリアでの取材に同行したことがあるというシリア人のアラッディーン・アルズィームさん(34)は、10月24日に後藤さんと会って「イスラム国の支配地域へ行く」と聞いていた。「危険だ」と止めたが、「つてがある。行かなければならない」と語ったという。

キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(東京都千代田区)に後藤さんからメールが届いたのは、このころだった。イラク戦争の取材で米軍兵士に銃口を向けられた経験を書いたコラム「戦争に行くという意味」。戦場の兵士と市民の間に見えない一線があるとし、「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」とつづっていた。


■後藤健二さんの足取り
(※関係者の証言などによる)

2014年4月 シリアで取材中に湯川遥菜さんと知り合う。
その後、いったん帰国

10月2日 トルコ経由でシリアに再入国

3日 シリア北部で取材した動画をツイッターに投稿。
「イスラム国が街を取り囲み、攻撃を仕掛けています」と解説

6日ごろ 日本に帰国

8日 東京でテレビ番組に出演

22日 友人に「海外出張に行く。
29日午前中に帰国する」とメール
   
同日ごろ 日本を出国。シリアへ

23日 ツイッターへの投稿が途絶える

24日 日本のニュースサイトの担当者にコラムをメール送信
      
シリア北部で現地の関係者に「イスラム国に行く」と話す

25日 イスラム国の支配地域近くで別の現地関係者と会う


(朝日新聞 2015年1月20日22時14分)





2015.2.1 産経新聞号外
2015.2.7 産経新聞号外

【誠実】重病の子に「第二の家」  小児ホスピスで充実の時を 淀川キリスト教病院

2014-10-23 20:28:48 | Weblog



子たちよ、言葉や口先だけではなく、
行いをもって誠実に愛し合おう。

「ヨハネの手紙一」/ 03章 18節
新約聖書 新共同訳





「親の祈り」 ルイス・カンガス


神さま、
もっと良い私にしてください。

子どもの言うことをよく聴いてやり
心の疑問に親切に答え
子どもをよく理解する私にしてください。

理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。

子どもの失敗を笑ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。
良いところを心から誉めてやり
伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で
子どもをしばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように導く知恵をお与えください。

感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり
彼らのためにならないことはやめさせることができますように。
どうか意地悪な気持ちを取り去ってください。
私がまちがったときには
きちんとあやまる勇気を与えてください。

いつも穏やかな広い心をお与えください。

子どもと一緒に成長させてください。

子どもも私も生かされて愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。


(出典: 「愛と祈りで子どもは育つ」渡辺和子)





◆古代ローマの「ひげのない」
キリストの絵皿、スペインで出土

★AFPBB News 2014年10月8日

http://www.afpbb.com/articles/-/3028366

【10月8日 AFP】スペイン南部で発掘された古いガラス皿に、これまでで最古のイエス・キリスト(Jesus Christ)像の一つが刻まれているのを発見したと、発掘した考古学者らが発表した。その外見は、ひげをきれいに剃った短髪で、従来のイメージとは大きく異なっているという。

 発掘チームは、古代都市カストゥロ(Castulo)遺跡の3年に及ぶ発掘作業中にガラスの破片を多数発見した。そして7月には図柄の刻まれた大きめな破片がみつかり、注目が集まった。

 破片をつなぎ合わせると、それは紀元4世紀に作られた絵皿だった。この皿には、古代ローマの外衣「トーガ」を身につけ、きれいに身なりを整えたキリストの姿が刻まれていた。

 直径22センチの皿は、80%以上が再現され、キリスト教の儀式である聖餐(せいさん)に用いられる聖体のパンをのせるための皿「パテナ(聖皿)」であると特定された。



 発掘作業を率いたマルセロ・カストロ(Marcelo Castro)氏は、「非常に優れた考古学的資料」と出土した皿について評している。

 皿には後光を放つ3人の人物が刻まれていた。中央は十字架と聖書を持つキリストで、その横に立つ2人は使徒ペテロとパウロとみられる。

 専門家らによると、この皿に刻まれているキリストのあごひげのない顔と短い巻き毛の髪形は、歴史上でみられるキリスト像の特徴としては極めてまれだという。

 この特徴あるキリスト像が描かれた皿についてカストロ氏は、古代ローマ帝国のコンスタンティヌス(Constantine)大帝がキリスト教信仰を受け入れた直後の初期の教会時代の名残を伝えるものだと指摘する。

 キリスト教が公認される以前は、ローマ帝国の下で行われていた迫害を恐れ、礼拝は秘密裏に礼拝が行われ、また宗教的な肖像画などもほとんど作製されなかった。

 この聖皿に描かれた古代ローマ様式のキリスト像は、コンスタンティヌス後のキリスト教信仰の「初期に存在」したが「後に他の方法でキリストを描くのが好まれるようになり放棄された」とカストロ氏はAFPの取材に語った。

 発掘チームは、当時ガラス製品の製造が盛んに行われていたイタリア・オスティア(Ostia)で作られたものと考えているという。

 この皿は現在、スペイン南東部リナレス(Linares)の博物館に展示されている。(c)AFP



◆重病の子に「第二の家」 
小児ホスピスで充実の時を

★日本経済新聞 2014/10/10 6:30 夕刊



 重い病気や障害を抱えた子供を受け入れる施設の開設が相次いでいる。英国で誕生した「小児ホスピス」の日本版で、限られた時間を家族と一緒に過ごしたり、子供を一時的に預かって家族を休息させたりするのが狙い。病院とは違い、医療専門職に支えられながら遊びや学びを楽しむ。「『ホスピス=死』のイメージを払拭し、充実した生の時間を送ってもらう施設」と関係者は話す。

■「第二の家」に

 淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)は2012年、区内に小児ホスピス「淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院」を開設した。これ以上治療ができないと宣告された小児がん患者が緩和ケアを受ける6床と、家族のレスパイト(休息)のための6床の計12床。約1週間を上限に利用できるレスパイト病床には現在約170人が登録、新規入院は約1カ月待ちの状態という。


▲子供が不安を感じないように配慮した淀川キリスト教病院の小児ホスピス(大阪市東淀川区)

 コンセプトは「第二の家」。大きな窓から光が入る設計にしたのは、「死を迎える暗い場所ではなく、患者本人が充実した生活を送れ、家族を最大限応援できる明るい施設にしたかったから」と鍋谷まこと院長。柔らかい光を発する病室前の和紙製ライトシェードには、キャラクターや動物があしらわれている。

 「子を亡くした後の両親のケアも大切」(鍋谷院長)との考えから、年に一度、遺族が写真や思い出の品を持ち寄って亡き子をしのぶ「家族会」を開く。「両親が受け入れにくい子供の死を一緒に乗り越えていく」(同院長)ためだ。

 大阪市立総合医療センター(大阪市)は12年9月、日本初の小児専用緩和ケア病室「ユニバーサル・ワンダー・ルーム」を院内に設けた。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(同市)を運営するユー・エス・ジェイの寄付で緩和ケア病棟の一室約40平方メートルを改装。壁やベッドにカラフルなキャラクターが描かれ、遊園地のような雰囲気。家族も一緒に寝泊まりできる。

■「在宅」1万人超

 同センターは11年、小児の緩和ケアに精通した緩和ケア認定看護師や臨床心理士らで作る「こどもサポートチーム」を結成。多田羅竜平緩和医療科部長は「療養場所はどこであれ、継続的にサポートすることが大切。自宅での療養が難しくなればいつでも戻ってこられ、自宅で療養する子供や家族の安心にもつながっている」と語る。


 国立成育医療研究センター(東京・世田谷)は16年、公的な医療機関として国内初の小児ホスピス「第二のわが家(仮称)」を開く。計画では、敷地内に3階建ての施設を建設、個室6室と4人部屋2室のほか、遊び場や学習室を備える。



 阪井裕一総合診療部長によると、人工呼吸や酸素吸入などの医療的ケアが必要な子供は同センターだけで200~300人。全国では1万~1万3千人が在宅療養しているとみられる。「医療の進歩で難病や超低体重児、先天性疾患を持った子の命を助けることができるようになったが、退院後に在宅で生活するには様々な支援が必要」と阪井部長は語る。

 横浜市でも小児ホスピスの構想が動き出した。NPO法人「スマイルオブキッズ」は8月、準備委員会を発足させた。約1億円の寄付を基ににチャリティーコンサートなどで2億円を集め、4年後に3~5家族が過ごせる施設を建てる計画。代表理事の田川尚登さん(57)は「音楽や工作など子供がやりたいことを専門家と一緒に思う存分できる施設にしたい」と話す。

◇            ◇
■発祥地・英国には40カ所 生活の質支える

 小児ホスピスは1982年に英オックスフォードに開設された「ヘレン&ダグラスハウス」が第1号。英国には40カ所以上にあり、ドイツやオーストリア、カナダにも広がった。

 浜田裕子・九州大学医学研究院准教授(小児看護学)によると、これらの施設では、重い病気や障害を持つ子供を広く受け入れ、教育や音楽、芸術などを通して成長を支えている。(1)発達途上にある子供のQOL(生活・生命の質)を支える(2)子供を一時的に預かり、介護負担の大きい家族に休息を与える(3)終末期にある子供とその家族に寄り添う(みとりのケア)――などの機能がある。

 浜田准教授も医師らとNPO法人「福岡子どもホスピスプロジェクト」を立ち上げ、地域に根ざした小児ホスピス設立を目指している。

(藤井将太、編集委員 木村彰)

[日本経済新聞夕刊2014年10月9日付]

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXDZO78188270Z01C14A0NNMP01/

【障害物】ノーベル平和賞 ペンと本こそ最強の武器  マララさん国連演説全文

2014-10-13 10:09:55 | Weblog
タリバンに銃撃されて瀕死の重傷を負ったマララさん (2012.10.20)



そこで、イエスは言われた。

「剣をさやに納めなさい。
剣を取る者は皆、剣で滅びる。 」


「マタイによる福音書」/ 26章 52節
新約聖書 新共同訳



ガンジーは、
キリストのことを知った時、
興味をいだきました。

しかし、キリスト信者たちに会って、
がっかりしたそうです。

キリストに
近づこうとしている人たちにとって、
キリスト信者たちが
最悪の障害物になっていることが
よくあります。

言葉だけきれいなことを言って、
自分は実行していないことが
あるからです。

人々がキリストを信じようとしない
一番の原因はそこにあります。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)

※1979年にノーベル平和賞を受賞した。





★マララさんら2人、
ノーベル平和賞を受賞

◆The Huffington Post (ハフィンポスト)
2014年10月10日 18時02分 JST


ノルウェーのノーベル賞委員会は10月10日、2014年のノーベル平和賞を、女性教育の権利を訴えるパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)と、インドの児童労働問題に取り組んでいるカイラシュ・サティヤルティさん(60)に授与すると発表した。

17歳のマララさんは、1901年に始まったノーベル賞で、全6部門を通じて史上最年少での受賞となる。

マララさんは、パキスタンで女子が教育を受ける権利を11歳の時からイギリスBBCサイトのブログなどで訴えて、2012年10月、イスラム過激組織に銃撃されて重傷を負ったが、奇跡的に回復。支援の輪が世界中に広がった。反政府武装勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)が犯行を認めた。現在はイギリスを拠点に世界で全ての女子や児童への教育実現を唱えている。これまで、教育を求める女性らの夢と希望を一身に受けてきた。



ノーベル賞委員会は発表で、「マララ・ユスフザイ氏は未成年ながらすでに少女への教育の権利のために闘い続けており、子供と若者たちに見本を示すことで、彼らが自らの状況を改善することにも貢献してきた。ユスフザイ氏は最も危険な環境で活動してきた。しかし彼女は勇敢な闘いを通じて少女たちが教育を受ける権利を求める代表的なスポークスパーソンとなった」と評価した。



▲kailash satyarthi
カイラシュ・サティヤルティ氏
(c)Getty Images



サティヤルティさんは、NGO「ACE」などによると、電気技師から、1980年に「BBA/SACCS・南アジア奴隷解放連盟」を設立して活動家に転じた。奴隷的な境遇にある子供の救済や、児童労働の撲滅に取り組んでいる。25年間で7万人余りの子供たちを救済し、社会復帰を支援してきた。

ノーベル賞委員会は発表で、「カイラシュ・サティヤルティ氏は、ガンジーの伝統を守り、さまざまな形で抗議とデモストレーションをすべて平和的に推し進め、経済的利益のために子供たちに対する深刻な搾取が行われたことに焦点を当てた。サティヤルティ氏はまた、子供の権利に関する重要な国際会議の開催に貢献した」と説明した。

http://m.huffpost.com/jp/entry/5963770
(2014年10月10日 18時02分 JST)



http://www.nobelprize.org/


★ペンと本こそ最強の武器 
マララさん国連演説全文

◆東京新聞 2014年10月11日 朝刊



▲2013年7月、
ニューヨークの国連本部で演説する
マララ・ユスフザイさん=共同


 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは昨年七月十二日、自身の誕生日に合わせ、米ニューヨークの国連本部で演説。「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが、世界を変える」などと訴え、多くの人々に感銘を与えた。国際社会はこの日を「マララ・デー」と名付けた。演説の全文は以下の通り。 (国連広報センターのホームページから引用)


◆すべてのテロリストの子どもに教育を

 
最も慈悲深く寛大な神の名において


 潘基文(バンキムン)国連事務総長殿、ブーク・イェレミッチ総会議長殿、ゴードン・ブラウン国連グローバル教育担当特使殿、尊敬すべき年長者と親愛なる兄弟姉妹の皆さん、きょう、久しぶりにお話しできることを光栄に思います。これだけの尊敬すべき方々に囲まれることは、私の人生の中でも、すばらしい機会です。そしてきょう、故ベナジル・ブット首相のショールを身に着けられることは、私にとって大きな名誉です。

 どこからお話を始めたらよいかわかりません。人々が私にどのような話を期待しているのかもわかりません。しかし最初に、私たちをすべて平等にお造りいただいた神に、そして私が早く元気になり、新しい生活を始められるよう祈ってくださった皆さんに感謝します。

 人々は私に信じられないほどの愛情を示してくれました。私のところには全世界から、何千もの回復を祈るカードや贈り物が届きました。そのすべてに感謝します。その素直な言葉で私を元気づけてくれた子どもたちに感謝します。そして、その祈りで私に力を与えてくださった年長者の皆さんに感謝します。

 私が再び元気な姿に戻れるよう助けてくださったパキスタンと英国の看護師、医師、病院職員の方々、そしてアラブ首長国連邦の政府にも感謝したいと思います。

 私は潘基文事務総長のグローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブと、ゴードン・ブラウン国連特使、ブーク・イェレミッチ総会議長の活動を全面的に支持します。そして、皆さんが絶えず発揮しているリーダーシップに感謝します。皆さんは私たち全員を行動へと駆り立て続けています。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ひとつ覚えていてほしいことがあります。マララ・デーは私の日ではありません。きょうは権利を求めて声を上げたすべての女性、すべての少年少女の日です。何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーが、その権利を言葉で主張するだけでなく、平和、教育、平等という目標を達成するために日々闘っています。テロリストによって命を奪われた人々は数千人、負傷した人々は数百万人に上ります。私はその一人にすぎません。ですから私は、多くの少女たちの一人としてここに立っています。

 私の役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません。

 親愛なる皆さん、私は二〇一二年十月九日、左の側頭部をタリバン兵に撃たれました。友達も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。しかし、そうはいきませんでした。その時、沈黙の中から数千の声が上がったのです。

 テロリストたちは私たちの目的を変えさせ、私の意志をくじこうとしたのですが、私の人生で変わったことはひとつだけでした。それは、弱さや恐怖、絶望が死に絶え、その代わりに強さと力、勇気が生まれたということです。私は今までと同じマララです。私の意志も変わっていません。私の希望も、夢もそのままです。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は誰も敵だとは思っていません。ましてや、タリバンその他のテロ集団に対する個人的な復讐(ふくしゅう)心もありません。私はあらゆる子どもの教育を受ける権利を訴えているのです。タリバンやすべてのテロリスト、過激派の子どもたちにも教育を受けてほしいと思っています。

 私を撃ったタリバン兵さえ憎んでいません。銃を持つ私の目前に彼が立っていたとしても、私は撃たないでしょう。それこそ私が慈悲深い預言者ムハンマド、イエス・キリスト、そしてお釈迦(しゃか)様から学んだ思いやりの心です。それこそ私がマーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナーから受け継いだ変革の伝統です。それこそ私がガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。そしてそれこそ、私が父と母から学んだ寛容の心です。私の魂からも「平和を愛し、万人を愛しなさい」という声が聞こえてきます。


◆女性が自ら立ち上がり闘うことが大事


 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、光の大切さがわかるのは、暗闇に閉ざされた時です。声の大切さがわかるのは、沈黙を強いられた時です。私たちは同じように、パキスタン北部スワトで銃を目にした時、ペンと本の大切さに気づいたのです。

 「ペンは剣よりも強し」ということわざは本当でした。過激派が昔も今も恐れているのは、本とペンです。教育の力は彼らにとって脅威なのです。彼らは女性も恐れています。女性の声が持つ力が恐怖なのです。だからこそ彼らは最近、クエッタの攻撃で罪のない学生を十四人も殺したのです。だからこそ彼らは、カイバル・パクトゥンクワ州で多くの女性教師とポリオ撲滅の活動家を殺したのです。彼らが日ごとに学校を爆破しているのも同じ理由です。それは彼らが昔も今も、変化を恐れ、私たちが社会に持ち込む平等を恐れているからです。

 ジャーナリストが私の学校の男の子に「タリバンはなぜ教育に反対しているのか」と尋ねたことがありました。男の子の答えは単刀直入でした。本を指さして「タリバン兵はこの本に何が書いてあるか知らないからだ」と言ったのです。彼らは神のことを、学校に通っているからという理由だけで少女たちを地獄に落とすような、狭小な保守主義者だと信じています。テロリストたちはイスラムとパシュトゥンの名をかたり、自分たちの個人的な利益を求めているだけなのです。パキスタンは平和を愛する民主主義国家です。パシュトゥン人は娘や息子たちの教育を望んでいます。そしてイスラムは、平和、人道、同胞愛を説く宗教です。イスラムの教えによれば、教育を受けるのは子どもの権利であるだけでなく、その義務と責任でもあるのです。

 事務総長殿、教育には平和が必要です。パキスタンやアフガニスタンをはじめ、世界各地ではテロや戦争、紛争によって子どもたちが学校に通えなくなっています。こんな戦争はもうたくさんです。女性と子どもは世界各地で、さまざまな苦しみを抱えています。インドでは、罪のない貧しい子どもたちが児童労働の犠牲になっています。ナイジェリアでは多くの学校が破壊されました。アフガニスタンの人々は数十年間にわたり、過激主義に苦しめられてきました。幼い女の子たちが家事労働に使われ早婚を強いられています。貧困、無知、不正、人種主義、そして基本的権利の剥奪は男性にとっても女性にとっても重大な問題です。

 親愛なる仲間の皆さん、私はきょう、女性の権利と女児の権利を中心にお話ししています。それは女性が最も大きな苦しみを抱えているからです。女性の社会活動家たちはかつて、女性の権利のために立ち上がるよう男性に求めていました。しかし今度は、私たちが自ら立ち上がる番です。男性に女性の権利の代弁をやめるよう求めているのではありません。女性が独立し、自力で闘うことが大事だと言っているのです。


◆全世界で無償の義務教育与えて


 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今こそ声を上げる時です。ですから、私たちはきょう、世界の指導者たちに、その戦略的な政策を平和と繁栄のために支えるよう呼びかけます。

 私たちは世界の指導者たちに、どのような和平協定も女性と子どもの権利を守るものとせねばならないと訴えます。女性の権利に反する取り決めを受け入れることはできないからです。

 私たちはすべての政府に対し、全世界であらゆる子どもに無償の義務教育を与えるよう呼びかけます。

 私たちはすべての政府に対し、テロや暴力と闘い、残虐行為や危害から子どもたちを守るよう呼びかけます。

 私たちは先進国に対し、開発途上地域の女児の教育機会拡大を支援するよう呼びかけます。

 私たちはすべてのコミュニティーに対し、寛容の心でカースト、信条、宗派、人種、宗教、ジェンダーによる偏見を拒絶するよう呼びかけます。それはまた、女性の自由と平等を確保し、豊かな暮らしを送れるようにすることでもあります。半数の人間が抑圧されている世の中が、うまくいくはずなどないからです。
 私たちは全世界の姉妹の皆さんに対し、勇気を持って自分の強さを認め、その能力を最大限に発揮するよう呼びかけます。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちはあらゆる子どもの輝ける未来のために、学校と教育を求めます。私たちは平和と教育を目指す旅を続けてゆきます。誰も私たちを止めることはできません。私たちは自らの権利を求めて声を上げ、その声を通じて変化をもたらします。私たちは言葉の力と強さを信じています。私たちの言葉で世界を変えることができます。私たちはともに、団結して教育を求めているからです。その目的を達成するために、知識という武器を装備し、連帯と団結という盾で身を守ってゆこうではありませんか。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万もの子どもたちが学校に通えていない現実を忘れてはなりません。私たちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。

 ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそ私たちにとって最も強力な武器だからです。

 一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。


(東京新聞 2014年10月11日)



▲『憲法9条は諸悪の根源』 潮匡人 (写真)


【娼婦ラハブ】朝日慰安婦報道、 日本の信頼損ねた責任は重い

2014-09-15 20:58:08 | Weblog



信仰によって、娼婦ラハブは、
様子を探りに来た者たちを
穏やかに迎え入れたために、
不従順な者たちと一緒に
殺されなくて済みました。

ヘブライ人への手紙/ 11章 31節
新約聖書 新共同訳




神様は常にあなたのことを
愛しておられます。
ですから、あなたは
神様に愛された分だけ
多くの人に尽くしてあげなさい。

人の和は、与えることによって
大きく広がっていきます。





▲ハニートラップに気をつけろ!
(写真は、谷垣禎一 自民党幹事長)



★世論・心理・法律…
尖閣脅かす中国の「三戦」

◆日本経済新聞 2013年2月3日 3:30

http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51305900S3A200C1NN9000/


 日中関係を「もっとも重要な2国間関係の一つ」と位置付ける安倍政権。山口那津男公明党代表や村山富市元首相の訪中などで関係改善に向けた地ならしが進む一方、沖縄県の尖閣諸島周辺ではその後も中国の海洋監視船が日本の領海に侵入するなど緊張が続く。「世論戦・心理戦・法律戦」。2003年に中国人民解放軍の重要作戦に加わった「三戦」に日本政府は押され気味だ。


■世論戦


▲昨年12月、尖閣諸島魚釣島の南を領空侵犯した
中国国家海洋局の航空機=海上保安庁提供


 「彼が署名したものを尊重しよう!」。昨年12月1日、米ニューヨーク・タイムズ紙にこんな見出しが躍った。「カイロ宣言やポツダム宣言に基づけば、釣魚島(尖閣の中国名)は中国に返還された」と訴える全面広告だ。


▲昨年10月、久場島沖を海上保安庁の巡視船に
挟まれ航行する中国の海洋監視船


 紙面中央の写真は1945年9月、戦艦「ミズーリ」艦上で日本の降伏文書に署名する当時のニミッツ米太平洋艦隊司令長官。12月1日は43年に米、英、中華民国の首脳がカイロ宣言を発表した日だった。広告主は尖閣の領有権を主張する中国の民間団体など。中国紙「新京報」によると、英タイムズ紙に出した広告と合わせ費用は100万元(約1320万円)だった。


▲昨年12月1日付のニューヨーク・タイムズ紙に
掲載された意見広告


 中国は世論戦を地球規模で展開する。昨年9月28日、政府系の英字紙チャイナ・デイリーはNYタイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズに「釣魚島は中国領だ」とする全面広告やカラーの見開き広告を出した。アフリカや中南米、東欧でも新聞広告が相次いだ。各国駐在の中国大使も現地のテレビや新聞で領有権を主張した。

 「尖閣に領有権問題は存在しない」と静観してきた日本政府も、在外公館を通じた情報発信に乗り出した。「地道に各国のメディアや有識者への説明を続けている。歴史的、法的に根拠は明白で、きちんと説明すれば必ず理解される」と外務省幹部は強調する。中国に偏った報道をしたメディアが、日本の働き掛けで改めて日本の主張を踏まえて報道し直す事例も増えた。

 12年度の外務省の領土保全を巡る広報などの対策費用は約4億円で大半は北方領土と島根県の竹島が対象だった。13年度は2倍増の約8億円を要求しているが、中国共産党の宣伝工作予算とは大差があるとみられる。「中国の宣伝が功を奏し、尖閣の対立は日本が最初に挑発したと思っている人も少なくない」。オーストラリア政府の安全保障ブレーンはこう指摘する。

■心理戦

 世論戦で布石を打ったうえで展開するのが心理戦だ。中国国家海洋局の航空機が昨年12月に領空侵犯し、自衛隊機が緊急出動した。中国の軍用機も繰り返し尖閣周辺の領空に接近する。「中国は日本側が挑発してきたとの口実を作り、利用しようとしている。警戒監視体制を強めることは必要だが(警告射撃など)日本側から口実を与えるような行動に出てはいけない」と森本敏前防衛相は警告する。

 緊張をあおる一方、中国は公明党の山口代表や村山元首相ら要人を招き、友好ムードを盛り上げる。尖閣での領土問題を認め「対話と協議」(習近平共産党総書記)に応じるよう日本の世論に働き掛ける狙いもあるとみられる。

■法律戦

 さらに中国は日本とは異なる論点で法律戦を展開し始めた。国連憲章や戦後国際秩序を前面に打ち出す戦略だ。

 「昨年9月以降、尖閣に関しては歴史問題を中心に訴えるよう党中央からメディアや在外公館に指示が回った」と日中外交筋は明かす。転換点は昨年9月27日。楊潔●(ち)外相の国連総会演説だ。

 「日本のいわゆる『国有化』は中国の主権を侵し、世界の反ファシズム戦争の成果を公然と否定している。戦後国際秩序と国連憲章への重大な挑戦だ」。楊氏は尖閣が「第2次世界大戦の結果、中国に返還された」との前提で日本を糾弾した。国連憲章に言及した背景に「敵国条項」の存在を指摘する声もある。

 敵国条項とは国連憲章の53、77、107の各条を指す。日独伊など第2次大戦の連合国の敵国が、戦争で確定した事項に反したり、再び侵略行動に出たりした場合、国連加盟国は安保理の許可なく軍事的制裁を科せる。尖閣が中国に戦後返されたとの楊氏の主張に立てば、中国の軍事的行動が正当化されかねない。

 日本政府は敵国条項について「日本に適用される余地はもはやない」と解釈している。かつて枢軸国だった日本やドイツも、今は国連加盟国として重要な役割を果たしている。国連内でも同条項は「時代遅れだ」というのが一般的な認識だ。1995年の国連総会では同条項の削除に向けた作業を始めることが決議された。過去の遺物である条項を今更蒸し返して使う国はいないとも考えられている。

 ただ、国連憲章の改定には全加盟国の3分の2以上の多数による決議と、安全保障理事会常任理事国すべてを含む加盟国の3分の2以上による批准が必要だ。その手続きは進んでいないため、敵国条項は今も国連憲章に残る。国際条約としては、いくら実情にそぐわない内容であっても、条文が完全に削除されない限り生き続けるのが現実だ。

(桃井裕理)
(2013/2/3 3:30)



▲お盆に韓国で
日本大使館前を始め、
韓国全土で一斉に慰安婦への
謝罪を求める抗議デモを主導した
「統一教会」の人たち (2012.8.15)

デマを流し、日韓関係を悪化させた
罪は重い。

※写真は統一教会日本法人代表を
務めたこともある江梨川安栄 氏
=写真左側3人目


反省して国民の前でしっかり謝罪してほしい。


★朝日慰安婦報道、
日本の信頼損ねた責任は重い
 
◆世界日報 2014年8月9日 



 朝日新聞は8月5日と6日の両日付で「慰安婦問題を考える」の特集を組んだ。

 そして、5日付の特集の中で「読者のみなさまへ」と題して一部の記事が虚偽であったことを認め、記事を取り消すと発表した。

 ▼強制連行証言を取り消し

 今回取り消されたのは、戦争中に朝鮮人の女性を強制連行したとする自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治氏の証言に関する記事16本である。

 朝日が吉田氏の偽りの証言を大々的に報道したことが、日韓関係や日本の国際的信用に与えたダメージは極めて大きい。にもかかわらず、同紙の特集には明確な謝罪と反省の言葉はない。これらの責任について頬かぶりすることは許されない。

 「慰安婦問題」で今、最大の争点になっているのは、女性たちが日本の官憲によって組織的、暴力的に強制連行されたかどうかである。

 慰安婦について長い間、「強制された」とのイメージが抱かれるようになったのは、1991年から92年にかけての朝日の記事によってだった。その点、同紙の責任は重い。同紙の用語解説には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」とあった。



 さらに済州島での「慰安婦狩り」を証言した吉田氏が朝日紙上にしばしば登場したことで「強制連行」という言葉が定着してしまった。

 今回の特集において「読者のみなさまへ」は次のように述べている。「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」

 誤報を認めたのだ。これで慰安婦が強制連行されたという朝日の従来の主張の根幹は完全に崩れた。

 同紙が根拠のない吉田証言を大きく報道したのは、強い反軍姿勢のため、綿密な裏づけ調査もせずに証言に飛びついたためと言ってよいだろう。

 朝日は吉田証言の取り消しのほか、戦時下に女性を労働力として動員するために組織された女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた。基本的な問題についての大きな報道ミスである。

 残念なのは、「強制連行された」とする朝日の誤報でわが国の名誉と対外信用が著しく傷つけられたことだ。

 また、同紙報道に押された形で「元慰安婦」という韓国人女性が謝罪と損害賠償を求める訴訟を日本政府を相手に起こし、日韓関係をこじらせることになった。



 ▼正しい歴史認識が必要

 現在、日韓関係はいろいろな問題を抱えて緊張しているが、それを解きほぐすには、歴史問題についての共通認識を持つことが必要だ。

 その点、慰安婦問題は一つの試金石となろう。

(8月9日付社説)



▲産経新聞電子版の号外 (2014.9.11)

天の声【バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る】

2014-09-07 09:56:18 | Weblog


水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように
御自分に降って来るのを、御覧になった。


すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
という声が、天から聞こえた。

「マルコによる福音書」/ 01章 10、11節
新約聖書 新共同訳



わたしは罪深い人間です、と自分では言うけれど、
だれか他の人にそう言われると、憤慨するでしょう。
もし、いわれのないことで非難されたら、
苦しむかもしれませんが、

どんな小さなことでも、
事実に基づいて罰されると、それが当然である場合、
わたしはもっと傷つくでしょう。
自分の欠点が人々に知られることを、
喜んで受け入れなくてはなりません。


マザーテレサ
(マザーテレサ『日々のことば』より)






★世界遺産の旅
バチカンの至宝、ミケランジェロの嘆き
サン・ピエトロ大聖堂、そしてシスティーナ礼拝堂を巡る
小野 正惠

◆日経ビジネスオンライン 2014年9月1日

http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20140707/268258/?ST=smart

 今回訪ねる世界遺産は、面積わずか0.44平方kmしかない世界最小の国、バチカン市国。東京ディズニーシーとほぼ同じ広さの国が、まるごと世界遺産に登録されている。現在、1007カ所ある世界遺産の中でも、国そのものが登録されているのは、バチカン市国のみ。1世紀のある出来事に端を発し、聖堂として姿を現したのが4世紀。そして、ルネサンス期からバロック期にかけて壮大な建造物として再生したサン・ピエトロ大聖堂。かつて教皇の宮殿だった建物はバチカン美術館となり、かつて教皇の私的礼拝堂だったシスティーナ礼拝堂は、美の殿堂としてよみがえった。それらに残るのは、パトロンでもあった教皇たちの欲望に促され、しのぎを削った芸術家たちの作品であり、教皇の気まぐれに翻弄された芸術家たちの嘆きと意地の結晶でもあった。

▼システィーナ礼拝堂で体感するミケランジェロの泣きごと

 日本人の感覚から見ると、世界遺産の建物はどれも巨大だが、とりわけ、サン・ピエトロ大聖堂の大きさには圧倒される。前に立てば、山のように立ちはだかる高さに飲み込まれそうになり、両側を見れば、楕円を描く柱廊に吸い込まれるような感覚に陥る。そして、中に入れば、自分が米粒のように感じてしまうのである。


▲サン・ピエトロ広場から見たサン・ピエトロ大聖堂とオベリスク


▲284本の円柱がサン・ピエトロ広場を囲む。広場は10万人を収容できる


 大聖堂のクーポラ(丸屋根)の高さは132.5m、大聖堂の奥行きは216m。収容人員は東京ドームをしのぐ約6万人。大聖堂の脇に続く、バチカン美術館の廊下の長さは延べ7km。内包する美術館数24。


▲バチカン美術館内にある地図のギャラリー。黄金の廊下とも呼ばれ、16世紀半ば、グレゴリウス13世の命で建築家オッタヴィアーノが建造した


 いったい、なぜこれほど巨大な建物が必要だったのだろう。誰がこの巨大建造物を望んだのだろう。たとえこのカトリックの総本山がゆくゆく世界10億人の信徒を持つ運命にあったとしても。

 その答えを握っていたのは、16世紀の教皇ユリウス2世だった。

 さらに時計を逆戻ししてみる。西暦64年、暴君ネロに迫害され、十二使徒の筆頭聖ペテロが逆さ十字の刑に処せられた。324年、古代ローマ帝国でキリスト教を公認した最初の皇帝コンスタンティヌス帝は、ペテロが殉教したこの地に、最初の聖堂を建立する。

 時はたって1506年。バチカンの歴史を大きく塗り替える教皇ユリウス2世が現れた。そして彼は、突然言い放った。「ミケランジェロを呼べ」。後世に自分の名を残したい一心で、自身の廟墓の設計をミケランジェロに命じたのである。

 「ダヴィデ」像で一躍時の人となっていた彫刻家ミケランジェロは、胸を躍らせ、何枚もの素描を書き、それに見合う大理石を探し歩き、1年近くも山に籠もって自ら大理石を切り出した。そして、いざ制作に取りかかろうとしたとき、青天のへきれきが……。教皇の気が変わったのだ。生きているのに縁起が悪いからと廟墓は取りやめ。その代り、自身の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂をもっと見栄え良くするために、天井画を描いてほしいというのである。

 彫刻家ミケランジェロにとって、それは苦痛の命令だった。自分は彫刻家であって画家ではない。そう拒否するも、教皇の意に反することはできない。ミケランジェロの苦痛の日々が始まった。

 何度、故郷の父親に泣きの手紙をしたためたことだろう。「首が痛い。腕もしびれる。うなじは肩に食い込む。腰は腹にめり込む」。体がつらいだけではない。天を仰いで絵筆を握り続けるその顔には、とめどなく絵の具がこぼれ落ちてくる。「自分の顔は床模様のようだ」。さらに言う。「つらいのは、専門でもない画家としての仕事をさせられているからだ」と。



▲「創世記」の「天地創造」から「ノアの物語」までの9シーンをはじめ、旧約聖書に登場する人物が描かれている。1000平方mに描かれた人物はおよそ300人


 一説では、教皇の心変わりの原因は、ミケランジェロのライバル、建築家ブラマンテの陰謀ともいわれている。そもそも絵画が苦手なミケランジェロに天井画など描けるわけがない。そうにらみ、ミケランジェロの名声をつぶそうとしたブラマンテの口添えが、教皇の心を動かしたというのだ。しかし、ミケランジェロの職人魂が、疲労を、苦痛を、陰謀への恨みをもはねのけた。4年後、おびただしい数の人体像が描かれた天井画が完成する。ミケランジェロ37歳のことだった。

 システィーナ礼拝堂の中央に立って天井を見上げてみる。数分間、見上げているだけで、確かにうなじが肩に食い込んでくるのが分かる。首が痛い。この姿勢を4年間、毎日、何時間も保ち続けたとは。ミケランジェロの執念と熱意と意地に感服させられる。


▼神業的彫刻に刻まれた作家の無邪気

 場所を戻してサン・ピエトロ大聖堂。その入り口をくぐり、身廊に立つ。216m先の後陣がかすんで見えるほど広い。直進せずに右手に歩を進めると、人だかりができている。近づけば、白い大理石の像。聖堂の大きさや他の彫刻に比べると、すこぶる小さい。大理石とは思えない柔らかい曲線、憂いと優しさに満ちた聖母の表情、その腕に横たわるキリストの生々しい姿に、息を飲まずにいられない。見とれる間、しばし目線も体も硬直してしまう。

 ミケランジェロの「ピエタ」像である。バックの色大理石とわずかに差し込む日の光を背に、500年以上前に作られたピエタは、まるで生きているかのように、そこにある。


▲高さ174cm。現在ある聖堂右側の礼拝堂に置かれたのは、1749年とされている

 システィーナ礼拝堂の天井画が完成する15年前のこと。フランス人の枢機卿にミケランジェロは呼ばれた。そして命じられた。「ローマで最も美しい大理石像を1年で作ってほしい」。この時、ミケランジェロ23歳。

 若き彫刻家ミケランジェロは歓喜に満ち、指令通り1年で完成させたのが、このピエタ像だった。小さなろう細工でイメージをつくり、一気に大理石を彫り始めた。「石の中の人が早く解放してくれと話しかけるからだ」とミケランジェロは言い、無心で彫り続けた。

 実はこの作品には、秘密がある。完成後、作品の評判を確かめにミケランジェロは聖堂に出向いた。すると耳に入ってきたのは、作者は誰だと言い合う観光客のひそひそ話。胸高らかにその回答を待っていると、何と自分の名ではなく、ミラノ出身の著名な彫刻家の名前。居ても立ってもいられず、ミケランジェロはある晩、聖堂に忍び込んだ。そして、こっそり、作品に自分の名を刻みこんだのだという。ミケランジェロ作品の中で唯一、署名が入っているのがこのピエタ像。観光客の会話を意識してか、聖母の胸に巻きつく帯に刻まれた文字はこう記されていた。「フィレンツェ人ミケランジェロ・ブオナローティが作る」。

 神業かと思うほど完成度の高い作品を作り続けたミケランジェロだが、父親に泣きの手紙を送る弱気な一面や、作者は自分だと主張する無邪気な一面を持つ普通の男でもあったのだ。いや、そんな人間的な一面を持ち合わせていたからこそ、見る人の心に直球で訴えてくる作品を作れたのだろう。


▲ピエタが入り口にあるのに対して、最奥の後陣に置かれた聖ペテロの司教座。中央の鳩の周囲を金の天使が舞う壮麗な作品はベルニーニが手掛けた

▼壮大な構図に隠されたお茶目な本音

 ユリウス2世が火付け役となると、続く教皇たちもこぞって自身の存在の証や主張を芸術家たちに託していった。時はルネサンス最盛期である。ラファエロ、ボッティチェリ、ブラマンテ……。発注先には事欠かなかった。

 天井画完成から24年後。今度は、教皇パウルス3世がミケランジェロを呼びだした。クレメンス7世が発注し、パウルス3世が完成を命じた“仕事”は、システィーナ礼拝堂の壁画制作の依頼だった。すでに礼拝堂の両側は、ボッティチェリや、ミケランジェロの師ギルランダイオ、ぺルジーノらの絵画で埋め尽くされている。

 依頼された題材は、「最後の審判」。天空を示す鮮やかな青の上部中央にたくましい裸体のキリストが舞い、キリストを中心に渦を巻くように描かれた壮観な壁画は、横約13m、縦約14m。描かれた人体の数約400体。制作に費やした年月約6年。ミケランジェロの、ルネサンスの、美術史上の、あらゆる頂点に立つといってもいい感動の作品である。


▲中央がキリスト。その向かって左に聖母、周囲を十二使徒が取り囲む

 キリストの横には聖母、周囲にはそれぞれ聖遺物を持つ十二使徒たち。そして画面の左側には、最後の審判を受けて天国に向かう人々、右側には地獄に転落していく人々が描かれ、時計回りの渦が見て取れる。全容が見渡せるだけの距離を保った位置から見たいが、常に人混みが邪魔をする。が、システィーナ礼拝堂ではその位置を確保するための努力を惜しんではいけない。


▲正面が「最後の審判」、天井画が完成した24年後に制作が開始された

 そして、全容と対話した後、次は近づいてミケランジェロの苦悩と復讐(ふくしゅう)の一場面に焦点を絞って見てみよう。向かってキリストの右下、ナイフを持つ聖バルトロメオの左手にぶら下がっているもの。異様に歪んだ顔とたるんだ皮膚。抜け殻のような裸体。何とこれはミケランジェロの自画像だという。

 もう1つは、向かって右下の隅にいる地獄の番人ミノスだ。ミケランジェロの死後、礼拝堂に裸体は不謹慎だとされ、一部の裸体には腰布が加筆された。が、1994年の修復の際にいくつかの腰布が取り払われた。その際に現れたのが、ミノスの下半身だった。何と、ミノスの体に巻きついた蛇が性器にかみついているではないか。ミノスに投影したのは、制作中に壁画の裸体像を見て「ここは風呂屋でも宿屋でもない」と激高した儀典長だといわれている。

 「裸体が不謹慎? 冗談じゃない。裸体こそ最も美しいのだ」。そんなミケランジェロの声が聞こえそうなワンシーンだ。完成の時、ミケランジェロは60歳。還暦にして、儀典長に向けた茶目っけたっぷりの復讐に、思わず頬が緩む。


▼一心不乱の17年間。最後の力を振り絞ったものは

 システィーナ礼拝堂は、古い礼拝堂を1477~1480年に再建することで、完成を見ていた。が、中枢を成すサン・ピエトロ大聖堂は、苦難の道を歩んでいた。

 1506年にユリウス2世によって着工されたものの、教皇は1512年に、主任建築家に任命されたブラマンテも1514年に他界。後を受け継いだラファエロも、教皇レオ10世も死去し、次々に教皇や建築家が変わっては志半ばで死去。さらにルターの宗教改革やレパントの海戦など、歴史の荒波にも翻弄され、建築はたびたび中断を余儀なくされていたのだ。

 そして、ようやく続行となったとき、再び教皇パウルス3世が呼び出したのが、ミケランジェロだった。その時すでに71歳。未完成ながらさまざまな建築家の思いが込められていた大聖堂を、ミケランジェロは当初のブラマンテの計画を採用しつつ、独自の構想も加えて、再構築を図った。ブラマンテといえば、天井画を描かされるいじめを受けたライバル。だが、芸術に私情をはさまないところがミケランジェロの潔さでもある。やっとフル回転で続行された大聖堂建設だったが、その完成を見るには、巨匠の死後、さらに62年を待たねばならなかった。

 完成した大聖堂は、11の礼拝堂と45の祭壇を持つ、左右対称の堂々としたルネサンス様式。だが、内部を飾ったのは、16世紀末から17世紀初頭にかけて流行した豪華絢爛(けんらん)なバロック様式だった。


▲大聖堂の中核を成すクーポラと大天蓋。
柱上部の円形のモザイク画に描かれた
預言者の持つペンでさえ2mもある。
この建物がいかに巨大かを知る数字だ


 ミケランジェロ設計の高さ132.5m、直径42mのクーポラの下にある、高さ29mの大天蓋は、バロックの巨匠ベルニーニによるものだ。ブロンズ製の柱には、月桂樹の葉やオリーブの枝、教皇の家紋や裸の子供たち、大天蓋には冠や聖書……。クーポラの下に行くと、建物の壮大さとともに、装飾のきらびやかさに目まいを覚えるほどだ。

 71歳で仕事を受け、亡くなるまでの17年間、ミケランジェロは無給で大聖堂の建築に没頭したという。聖堂入り口付近にあるピエタを造ったのが23歳。37歳でシスティーナ礼拝堂の天井画を作成し、60歳の時に礼拝堂の壁画を完成させ、大聖堂の完成を見ずに88歳で世を去ったミケランジェロ。


▲大天蓋の下では、さまざまな儀式が執り行われる

 あまたの芸術家や教皇の足跡が残るバチカン市国の建造物だが、人間味あふれる心で、神のような業を成し遂げたミケランジェロに思いをはせずに、この扉はくぐれない。


▲クーポラの上に上がると、ローマ市内が一望できる。かのゲーテもこの眺望のとりこになった1人だ


◼️バチカン市国に旅するなら

 世界遺産のバチカンを旅する時に役立つのが、スマートフォンアプリ「たびNavi バチカン市国」。見たい場所を検索してクリックすると、音声で説明が流れる仕組み。日本でダウンロードすれば、現地では海外ローミングは不要。詳しくは、こちらへ。

http://www.tabi-navigation.com/vol05_vatican/index.html
http://tabi-navigation.com/


(日経ビジネスオンライン 2014.09.01)

まつりごと【中米の移民が駆け込むテキサスの教会 】

2014-08-12 22:46:00 | Weblog
http://sokoujin.blog90.fc2.com/blog-entry-165.html?sp


主はその玉座を天に堅くすえられ、
そのまつりごとはすべての物を
統べ治める。

主の使たちよ、そのみ言葉の声を
聞いて、これを行う勇士たちよ、
主をほめまつれ。

そのすべての万軍よ、
そのみこころを行うしもべたちよ、
主をほめよ。

主が造られたすべての物よ、
そのまつりごとの下にある
すべての所で、主をほめよ。

わがたましいよ、主をほめよ。


「詩篇」 103編19-22節
旧約聖書 口語訳



鵲(かささき)の渡せる橋に置く霜の

白きを見れば夜ぞ更けにける

大伴家持
(718 -785 『小倉百人一首』より)






▲テキサス州マッカレンの聖心カトリック教会で一息つく移民の家族たち(6月15日)。6月以降このシェルターは、5400人の移民を受け入れている。


★中米の移民が駆け込むテキサスの教会

◆ナショナルジオグラフィック 日本語公式サイト 2014年8月6日

http://www.nationalgeographic.co.jp/smp/news/news_article.php?file_id=20140806005


アメリカ、テキサス州マッカレンに移民たちが到着した。乳児から10代までの子連れの男女がほとんどで、子どもの支えがないと前に進めないほど疲れ果てている。中心部にある聖心カトリック教会(Sacred Heart Catholic Church)の扉を開いた彼らをホールで待っていたのは、修道女や修道士、地元のボランティアたちだ。総立ちの大喝采で迎えられた大人たちの多くは、人目もはばからず涙を流す。


ボランティアのハーミ・フォーシェージ(Hermi Forshage)さんは手をたたきながら、「ビエンベニドス(Bienvenidos)!」と叫ぶ。「ビエンベニドス! ウェルカム!」。

消耗し混乱している移民たちに、返事を返す余裕はない。とにかく、シャワーと食料、そして横になれる場所を求めている。皆、ホンジュラスやエルサルバドル、グアテマラといった中央アメリカからの密入国者で、アメリカのバラク・オバマ大統領がメキシコ国境の“人道危機”と呼ぶ事態の当事者だ。

2014年に入り、5万5000人以上の移民がアメリカ税関・国境警備局から暫定的に入国を許可・・・


ボランティアのハーミ・フォーシェージ(Hermi Forshage)さんは手をたたきながら、「ビエンベニドス(Bienvenidos)!」と叫ぶ。「ビエンベニドス! ウェルカム!」。

消耗し混乱している移民たちに、返事を返す余裕はない。とにかく、シャワーと食料、そして横になれる場所を求めている。皆、ホンジュラスやエルサルバドル、グアテマラといった中央アメリカからの密入国者で、アメリカのバラク・オバマ大統領がメキシコ国境の“人道危機”と呼ぶ事態の当事者だ。

2014年に入り、5万5000人以上の移民がアメリカ税関・国境警備局から暫定的に入国を許可されている。一時滞在者の書類を受け取り、裁判所による裁定が下るまで家族と暮らすことができる。

メキシコ国境の約8キロ北に位置するマッカレンはスペイン語の街で、今や移民をめぐる論争の中心地となっているという。

教会のシェルターに立ち寄る移民たちは、中央アメリカの祖国にはびこる暴力や混乱から逃げ出す者は今後も後を絶たないと言い切る。国民に安全と機会を提供しない政府を、既に誰もが見限っているのだ。

そうした理想の光をアメリカに求める多くの移民は、聖心カトリック教会で最初の出会いを果たす。

プログラムの運営主体はカトリック・チャリティーズUSA(Catholic Charities USA)だ。昨年6月、リオ・グランデ・バレー・カトリック・チャリティーズ(Catholic Charities of the Rio Grande Valley)の常任理事、ノーマ・ピメンテル(Sister Norma Pimentel)シスターが、移民の家族を聖心カトリック教会で受け入れ始めた。国境警備隊員が彼らを近くのバス停に置き去りにしていると知ったことがきっかけだ。

以来、約5400人が聖心カトリック教会を経由してアメリカ全土に散らばっている。一部はアメリカの司法制度に従い、数週間中に保護施設への入所を申請する。引き続き滞在が認められるかどうかは、彼らが受けた脅威の程度、直接的な暴力被害の有無、祖国を捨てるという決断が自らの選択によるかなど、いくつもの条件によって判断されるという。 しかし、多くは法的義務を回避し、密入国者の雑踏に紛れ込んでしまう。

◆「心配しないで。ここにたどり着いたのだから」

修道女や修道士、ボランティアにとって聖心カトリック教会は、アメリカで沸騰する移民をめぐる論争や政治とは無縁の場所だ。

地元教会新聞の編集者で、プログラムの広報を務めるブレンダ・リオハ(Brenda Rioja)さんは、「政治は扉の外に放っておけばいいといつも言っている」と話す。「目の前にいる人を助けるだけだ。世界中の誰もが同じ行動を取れば、世の中はガラッと変わるだろう」。

エルサルバドルで商店を経営していた33歳のホセ・マティアス・ガルシア(Jose Matias Garcia)さんは、ある昼下がり11歳の娘ダニエラ(Daniella)ちゃんを連れて聖心カトリック教会の扉をたたいた。家族が離れ離れになるのは本意ではなかったが、地元ギャングの要求が法外な金額に釣り上げられたため、ほかに手段がなかったという。

ガルシアさんは4月以降、毎週50ドル(約5000円)を支払い続けていたが、その後100ドル(約1万円)に引き上げられた。エルサルバドルやホンジュラスの大部分では、小企業や家族に対する恐喝は当たり前で、もはや習慣化している。

ギャングの意図は明白だった。要求通りに支払わなければ命はない。ガルシアさんは妻と年長の子ども2人を、両親の家に住まわせる決断を下す。実家の町はこれほど事態が深刻化していないからだ。

ガルシアさんとダニエラちゃんは北を目指して祖国を脱出。メキシコで密入国の請負人を雇い、国境沿いの街レイノサまでバスに乗った。メキシコでは警官や兵士に500ドル(約5万円)ほど渡して、無事に国境を越えることができた。

フォーシェージさんはこうした移民たちに、「ここはアメリカです。もう心配しないで」と声を掛けている。

旅の続きについても、フォーシェージさんは説明してくれた。教会を出でバスに乗り込み、ヒューストンを目指して北上することになる。道中には検問所があるが、アメリカ移民税関捜査局の書類が身を守ってくれるという。

目的地は皆それぞれだ。ホンジュラスを脱出した、ある母と息子はノースカロライナ州に向かう。別の家族はシカゴに向けて出発。エルサルバドル出身の若い男性は8月2日までにロサンゼルスに入る計画を立てている。自身の30回目の誕生日を息子と祝うためだ。

PHOTOGRAPH BY JENNIFER WHITNEY / THE NEW YORK TIMES / REDUX


Scott Johnson
for National Geographic News August 6, 2014



▲『移民亡国論 日本人のための日本国が消える』
三橋貴明 (写真)

決意【ローマ法王訪韓を契機にわれわれ自身を振り返ってみよう=韓国】

2014-08-11 21:38:19 | Weblog



イエスは、天に上げられる時期が近づくと、
エルサレムに向かう決意を固められた。

「ルカによる福音書」/ 09章 51節
新約聖書 新共同訳



佐世保から長崎に入った私は、
小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

少年の様子はあきらかに違っていました。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、
強い意志が感じられました。

足は裸足です。

少年は焼き場のふちまでくると、
硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしました。
少年は焼き場のふちに、


5分か10分も立っていたでしょうか。


白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
私は、背中の幼子が、
すでに死んでいることに気づきました。


男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。
幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。

それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。


その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、
血がにじんでいるのに気づきました。
少年があまりにきつく噛みしめているため、
唇の血は流れることなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。

(「焼き場に立つ少年」ジョー・オダネル)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2347.html


『目撃者 : 写真が語る20世紀』 : 朝日新聞創刊120周年記念写真展
= Witnesses : a retrospective photo exhibition of the 20th century
落合杳子, 北上昌子編集 朝日新聞社, c1999


※ジョー・オダネル氏は、
アメリカ海兵隊員であり、従軍カメラマンでした。



▲『生贄の島』曽野綾子 (写真)

★沖縄集団自決訴訟 元守備隊長の梅沢裕氏死去 

■産経新聞 2014年2014年8月7日 12:08

        
        
▲梅澤裕さん

 先の大戦末期の沖縄戦で座間味島守備隊長を務めた元少佐で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする作家、大江健三郎氏の「沖縄ノート」などの誤った記述で名誉を傷つけられたとして提訴した梅沢裕(うめざわ・ゆたか)氏が6日、老衰のため死去した。97歳。通夜は9日午後6時、葬儀・告別式は10日午前9時半、兵庫県西宮市鳴尾町5の1の28、ユアホール甲子園で。喪主は長男、泰裕(やすひろ)氏。

 最新の研究で軍命令説は崩れており、訴訟でも「戦争を知らない人によって真実がゆがめられた。自決命令は出してない」と“無実”を主張した。しかし1、2審判決では、自決命令について「証拠上断定できない」としながらも軍の関与は否定できないとして、名誉毀損の成立が認められず敗訴。23年4月の最高裁決定で上告が退けられ、確定した。

(産経新聞 2014年2014年8月7日 12:08)



▲『沖縄 渡嘉敷島 集団自決の真実』曽野綾子
(大江健三郎氏の沖縄ノートのウソ)



★【社説】ローマ法王訪韓を契機にわれわれ自身を振り返ってみよう=韓国

■ 中央SUNDAY/中央日報日本語版 2014年08月10日13時00分  

http://gensen2ch.com/archives/11100904.html

フランシスコ法王の韓国訪問を契機に韓国の社会構成員は「巨大な質問の壁」と向き合うことになった。カトリックで言う七罪宗のうち、それ自体が罪であり他の罪の根源になる驕慢と貪欲に対し改めて考え自省する懺悔の機会を持つことになったのだ。カトリックではすべての悪は驕慢から始まって、貪欲にその根元を置いていると説明している。驕慢が不完全な自信にとらわれることならば、貪欲は物質と無駄な妄想に誘惑されることだ。

こうした意味から最近の韓国社会を騒がせているユン一等兵暴行死亡事件、セウォル号沈没事故などもこうした人間の悪魔的本性から始まったとみることができる。数カ月早く入隊したという理由で新兵を暴行できるという驕慢と、これを通じ「存在の意味」を求めようとした兵士たちの呆れ返る貪欲。また、事件の真相が明らかになる場合、自分たちのポストが揺らぐことを懸念し縮小・隠蔽に汲々とした軍幹部の姿にも驕慢と貪欲の痕跡が残っていた。



安全は後回しにしたまま若い学生たちを相手に金儲けに没頭したある宗教指導者の悲劇的な終末で私たちは人間の驕慢と貪欲が人間の尊厳性を破壊し社会に大きな害悪を及ぼす過程を鳥肌が立つほど生々しく目撃した。金品ロビーを受けて法改正をした容疑で検察の捜査対象となった野党議員や、癒着の汚名とともに拘束令状が請求され息子の家に札束を隠した与党議員の不正を見て、多くの国民は権力の限りない貪欲にうんざりしている。自分たちの公的地位を私的な金儲けの手段に変質させる破廉恥な行為に、「人間は気まぐれで、嘘つきで、貪欲にぎっしり埋まり、こうした貪欲は敵の略奪よりももっと有害だ」というマキャベリの指摘にうなずかせる。



廉恥を知って義理と志操を重要視したわれわれの高尚清廉の精神はどこへ行き、人権を踏みにじる浅薄な資本主義が横行することになったのか。仏家でそれほど警戒した貪・瞋・痴の三毒が韓国社会の所々に入り込み、他人をうらやましがり、ささいなことに怒る愚かさが幅を利かすのではないのか。



そんな私たちにフランシスコ法王の訪韓は宗教的意味以上の社会的含意を持つ。大統領をはじめとする韓国の指導層は「なぜ世界はフランシスコ法王に熱狂するのか」という質問とともに、苦痛を受け貧しい人のための勇気と希望が込められた彼のメッセージに注目する必要がある。彼はアルゼンチンで194人の犠牲者を出した2004年の火災事件に言及し、「われわれは十分に泣かなかった」と話した。軍隊で暴行されて死亡し、修学旅行の途中に海でおぼれて死亡した若者たちのために、韓国社会がどれだけ十分に泣いたのか反問してみよう。

(中央SUNDAY第387号)
http://japanese.joins.com/article/747/188747.html?servcode=100§code=110



強制連行そんな話今まで聞いたことないよ。

(『新報道2001』2014.8.10(日) 放送)


春の雨【成功するまで失敗し続ければいい。 ローマ法王に米を食べさせた男 ・高野誠鮮さんインタビュー】

2014-04-29 17:29:16 | Weblog



主が来られるときまで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで
忍耐しながら、
大地の尊い実りを待つのです。

「ヤコブの手紙」/ 5章 07節
新共同訳 新約聖書



危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で
味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を
切望するのではなく、
自由を勝ち取るために
耐える心を願えますように。

成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるように、

卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られることに
気づきますように。


(『Bipode More Rokka Karo』ラビーンドラナート・タゴール )


『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』
((幻冬舎)石川拓治 著より)








★成功するまで失敗し続ければいい。
ローマ法王に米を食べさせた男
・高野誠鮮さんインタビュー
【STORY OF MY DOTS】

◆greenz.jp 2014年4月28日 (グリーンズ)


http://greenz.jp/2014/04/28/jousenn_takano/


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地方の過疎問題や、それに対しての地域おこし活動が注目されるようになりました。限界集落を元気したいと思ったとき、あなたならなにをしますか?

高野誠鮮さんのやり方は、斬新なものでした。地元のお米を、はるか遠くのローマ法王に食べてもらうことでブランディングしたり、お酒の飲める女子大生限定で民泊をさせたり、古文書からUFOの記述を見つけてマスコミを大勢呼んだり。一見すると突拍子もないアイデアで次々と結果を出していきました。

特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。

今回は、まるでスーパーマンのような企画力と実行力を持つ高野さんの、現在に繋がる道程のお話をお届けします。

夢中になった航空宇宙の世界


▲高野誠鮮(たかの・じょうせん)
石川県出身。羽咋(はくい)市役所職員、日蓮宗僧侶、科学ジャーナリスト。テレビの構成作家として活動した後、実家の寺を継いで僧侶と羽咋市役所職員を兼務。著書に『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』


「学生時代はもう、馬鹿でしたよ。好きなことはやるんだけど、まったくモノを考えていませんでした」と話す高野さんが、多感な学生の頃に出会ったのは航空宇宙の世界。ちょうど、アメリカとソ連がロケットの打ち上げ競争をしており、未知なる宇宙のロマンに世界中が思いを馳せていた時代でした。

当時もっとも最先端だった、スタンフォード大学のペーター・スタルクさんという教授に、手紙を書いたんです。辞書片手に、下手な英語で「ぼくは先生のことが大好きです」って。今考えると気恥ずかしい熱烈なファンレターですね。

しばらく経ったある日、高野さん宛にものすごく大きなダンボールが届いたといいます。中身は、ペーター・スタルク教授の書いた山ほどの論文と返信のお手紙でした。

「君みたいな熱い学生からこんな熱烈な手紙をもらったのはひさしぶりだ。わたしの書いた論文を君にみんなあげよう」って書いてありました。もう、うれしくてうれしくて。

それ以来、ますます航空宇宙の世界に、のめり込んでいった高野さん。しかし、そこでもうひとつ大きな気づきがあったといいます。それは「自分から叩けば響いてくれる人がいる」ということでした。

アメリカで情報収集と戦略の大切さを学び、人脈を作る



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高野さんは、同じく夢中になったハンガリー出身の元情報将校、コールマン・ボン・キブスキーさんにも手紙を書きました。やはりファンレターです。すると、当時アメリカにいたコールマンから「アメリカに来ないか?」と返事がきたのです。

大好きな人から手紙の返信が届き、航空宇宙の先進国に誘われては、いてもたってもいられません。高野さんはアルバイトでお金を貯め、ヒアリングのカセットテープで英語を一生懸命学んだそうです。そして二十歳のころ、ついにアメリカの土を踏みました。

コールマンには随分可愛がられました。情報収集の大切さとやり方、どういう戦略がアメリカという国で取られているのか、また、軍事的な戦略の立て方なども徹底的に叩き込まれました。

物凄い人的ネットワークも作ってくれ、“人脈というのは人にひけらかすものではなく、人に分け与えて活用するもの”という哲学も教えてもらいました。

「彼らとのつながりが、ぼくの価値観やモノの考え方に影響を及ぼしたことは間違いありません。戦略の大切さも相当教えてくれた」とも話す高野さん。

それから10年以上経った後、地元の羽咋市でUFOによる村おこしや、徹底的に戦略を練って農作物のブランディングをするとは、当時の高野さん自身、おそらく想像もつかなかったことでしょう。まるでつながりが無いように思える青年期の日々が、後々の人生に大きな影響を与えたのです。

「あなたは家を継ぐ人」と言うふたりの預言者との出会い



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アメリカから戻り、そのときの知見を元に、宇宙関連雑誌のライターや、名物テレビ番組『11PM』などのUFO特集に構成作家として関わるようになっていった高野さんでしたが、ある時奇妙な出会いがあったといいます。

取材でニューメキシコに行ったとき、何気なくインディアンのおばあちゃんに、タロットカード占いをしてもらったんです。すると、のっけから「あなたは長男ですね」と言うんです。ぼくは次男なので、当たらないなあと思っていたら、次に「あなたは家を継ぐ人です」と言われました。

高野さんの実家はお寺でした。「長男であり、家を継ぐ人間だ」と言われたことが気になり、帰国後今度はよく当たるといわれていた、新宿の占い師のところに足を運んだそう。すると、またしても「長男ですね?」といわれてしまいます。

高野さんにはひとつ年上の兄がいましたが、すでに他県で家を建てていたため寺を継ぐつもりはなく、高野さんが継がなければお寺には別の人が入ってしまう。そんな状況でした。

ふたりの占い師に言われて、もう寺を継ぐのは運命だと思いました。

月給わずか6.8万円の役所臨時職員へ

しかし、大好きでやっていた航空宇宙やテレビの世界を離れて、将来寺を継ぐために実家のある羽咋市に戻ったものの、その当時は父が現役僧侶だっため、すぐに寺を継ぐというわけにもいきませんでした。

決してやりたかったわけじゃありません。それしか選択肢がなくて、役所の臨時職員になりました。月給が手取りで6.8万円。年齢制限があるため、もっと収入のいい正規職員になるための試験さえ、すでに受けられないという状況でした。

高野さんは上司に聞きました。「どうにか正規職員になる方法はないのか?」しかし、答えは「よっぽどこのまちにとって無くてはならない存在にならないと無理だ」という突き放したもの。そこで高野さんは決意しました。

無理だといわれるほど燃えるんです。やってやろうと思った。

高野さん28歳のころでした。

好きでない仕事だったからこそ、おかしなところがよく見えた。



▲高野さんが羽咋市で行ってきた取り組みは本にもなっている。『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』(講談社)

実は、高野さんの父も公務員で僧侶でした。その姿を小さい頃から見ていた高野さんにとっては、父親への反発もあり、そのどちらの職業についても批判的に見ていたといいます。

批判的に見ていたからこそ、おかしなところがよく見えたんです。たとえばその頃行なわれていたまちづくり大会。担当の人は大会に「600人も集めた」といって得意になっていました。また、よその地域の成功事例を聞くセミナーや、勉強会ばかりをやっていたんです。

「まちづくりそのものはいつから始めるんだろう?」と感じた高野さんは、担当者に「ぼくがまちづくりをしてもいいですか?」と質問。これまでのやり方に否定的だった高野さんに「やりたかったら勝手にやってみろ。臨時職員だから予算はつかないけどな」という言葉をもらいます。

なにも後ろ盾はありませんでしたが、高野さんの快進撃はここから始まりました。

まちをおこし、人をおこす。

まず手始めに、まちに足りていないところばかりに目を向けていたやり方から一転。歴史書から古文書までを読みあさり、羽咋市の一番だけを集めた『羽咋ギネスブック』を仲間たちと自費で作成し、まちの人に配布しました。

また、古文書の中に「麦わら帽のような形の飛行物体」という記述を見つけたことからうどん屋さんに「UFOうどん」というメニューを作ってもらってマスコミを集めたり、『UFOに市民権獲得か!?』という雑誌記事がブレイクして羽咋市の議会で取り上げられることになったり。

自分のまちがどんどんメディアに露出していくにつれ、市民も徐々に盛り上がってきます。


▲法政大学や明治大学の学生と地元住民とで作った棚田雛壇。学生と観光客を呼び込み、地域住民との繋がりも作った。



▲移住者で『神音カフェ』オーナーの武藤一樹さん。山あいの中のカフェながら、「看板は無い方がいい」と高野さんにアドバイスされ、驚くもののお店は盛況。「高野さんと会って人生が変わった」と話す。

その後は、先祖代々の仏壇があるために、古民家を移住者に貸したがらない人に対して、僧侶である高野さんみずから「抜魂」という儀礼を行い、貸主の心配を解消。また、若者を呼びこむために棚田を雛壇に見立てたひな祭りを、毎年都内の学生と地元住民で一緒につくりあげてきました。



▲絶え間なく買い物客が訪れる農産物直売所『神子の里(みこのさと)』。丹精込めて作ったものを正しい価格で販売し、農家自身の首を絞める安売り合戦はさせない。生産者の意識も徐々に変わっていった。

さらに、補助金頼みになっていた農家の所得を上げるため、農家自らが価格をつけられる直売所を、農家自身の出資を募って設立。補助金という足かせを外すことで農家の本気を出させ、商品や値付けにも工夫された直売所には、たくさんのお客さんが訪れるようになりました。



▲“ローマ法王に食べさせた米”『神子原米(みこはらまい)』で作ったおむすびも並ぶ。粒立ちがしっかりしていて、冷めてもふっくらおいしい。お米は発売とほぼ同時に完売する。

極めつけは、羽咋市の米をブランディングするため、田んぼのある神子原(みこはら)という地元の地名から“神の子キリスト”という連想をつなげ、ローマ法王への米の献上を実現。晴れて『ローマ法王献上米』になったお米に買い手が殺到しました。

でも、そこは高野さん、すぐには売りません。問い合わせには「品切れです。有名デパートになら残っているのでは?」と答え、今度はお客さんから問い合わせがきたデパートから「卸させてください」と電話が鳴ります。こうして神子原米は有名デパートにも並ぶことに。

高野さんの地域への貢献は、枚挙に暇がありません。このころには高野さんはすでに「まちに無くてはならない人間」になっていました。

成功するまで失敗し続ければいい。やめなければ成功する。



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多くの成果を残してきた高野さんでしたが、成功したものはあくまでも氷山の一角。成功の裏には、それ以上に多くの失敗があったと言います。

『天皇皇后両陛下御用達米』というブランドを作りたくて天皇皇后両陛下にお米を送ったら、「今晩の夕食に召し上がっていただきます」と宮内庁から返事が来て、ガッツポーズ。こりゃあ売れるぞ!と思いましたよ。

盛り上がった高野さんは、石川県県人会の事務局長や、地域のお偉方をみんな集めて、東京の赤坂のホテルでどんちゃん騒ぎをしたそう。

さんざん騒いだあと部屋に帰ったら、留守電のボタンが点滅していたんです。聞いたら宮内庁からで「今朝の話はなかったことに…」と。そんなずっこけや赤っ恥はたくさんあります。ふりかえれば、楽しい思い出ですよ。

恥をかいても、それでもチャレンジし続けることの大切さを、高野さんは大好きな航空宇宙の話に絡めて教えてくれました。

米ソのロケット打ち上げ競争が始まったときに、アメリカ側は数えきれないぐらいに失敗していた。打ち上がりもしないで、ポコンと横に倒れたりね。

ところがその失敗を繰り返していくうちに、月にまで到達するほどの世界最大級のロケットエンジンを作ってしまった。最高傑作です。これは失敗の積み重ねなんですよ。失敗するというのはやった証拠なんですよ。

ぼくはよく言われました。「そんなことやって失敗したらどうするんだ」って。ぼくの答えはいつも同じです。「成功するまでやったらいい」答えは簡単なんです。

うまくいく秘訣は、私心を無くすこと。



▲高野さんもお気に入りという直売所併設の蕎麦屋『そば処 里山』にて。

行動すれば、失敗もするし、人とぶつかることもある。高野さん自身、羽咋市の農家の所得を増やしたいと考えたとき、最初に農協の組合長とものすごくぶつかったといいます。

ぼくは、「今の農協は“脳が狂う”と書いて脳狂だ」といった。「お前、おれにけんか売りに来たのか?」といわれましたよ。

それで、「ここの農家の所得は年87万円で、農協職員は600~700万円とかもらっている。米価は毎年下がっています。農協職員の給料は毎年下がるんですか?」と聞いた。下がるどころが上がっているんですから。これは狂っているとしか考えられないと思った。

でも、その2年後、大喧嘩した組合長が直売所オープンの際の来賓代表挨拶で、「本来農協がやらなきゃいけないことを役所がやってくれた」とお話してくれたそう。

私心を無くすこと。自分を無くしてしまえば物事うまくいくんですよ。自分をかっこよく見せたいとか、自分だけがお金儲けしたいとかそういうのを無くさないと、一瞬は人を騙せてもうまくいかない。私心が無いことが伝われば、反対していた人たちも味方になってくれるんです。

どうすればできるか、それだけを考えればいい。



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現在の高野さんは、映画『奇跡のリンゴ』で知られるリンゴ農家の木村秋則さんとともに、自然栽培を普及するための活動にも力を入れています。農薬や肥料を使わないという自然栽培は、農産物の総量に対する割合でいえば、わずか1%にも満たないもの。

しかし、どんなにハードルが高くても、高野さんは“できない理由”を考えるのではなく、できる可能性にかけて実行していきます。

どうすればできるか、それだけを考えればいい。できない人はやらないからできないだけなんです。以前なにか提案したとき、70歳代の方に反対されました。「そんなことくらいは、わしだって考えていた」って。ぼくは言いましたよ。「いつまで考えているんですか?なぜ今までやらなかったんですか?」って。

切れた電球の下で、暗いと不平をいったり。議論してたって、いつまでも明るくなんかならないですよ。実際に電球を変えなきゃ、明るくなんかならないんです。

なにかを始めるとき、決断ができないとき、進路に迷うときに思い出したくなるような高野さんの言葉です。なにかをやるとき、そこには責任が発生します。でも、自分で責任をまるごと負うという気概こそが、現状を前に進めるためには大切なことなのかもしれません。

人間は揺らいでしまうと、理由を自分ではなく外に出したがるものなんです。あの人が反対してるからとか、まだ時期じゃないとか、補助金がないとか。理由を外に出すから、うまくいかなくなると後で人を恨むんですよ。それは卑怯者です。自分ができることを精一杯やればいいんです。自分以外の人や環境を理由にしちゃいけない。

そして、自分の目指す先がわからないときに、どう考えたらいいのか、自分の役割の見つけ方についても教えてくれました。

頭でいくら考えても答えが出ないことは、たくさんあります。でも、頭は浅知恵でも、ぼくらの身体は天才です。自分の身体を見てください。正常な細胞は、死ぬときに自分の残ったエネルギーをほかの健常な細胞に与えて死にます。その正常細胞の生き方を真似すればいいんです。

つまり、人間はどう生きるべきか、それは慈悲利他(じひりた)であり、自分以外の他者を生かすこと。それが人間の生き方なんだと思います。

高野さん自身がそうであるように、「若い人に活躍してほしい。自分の知恵を伝えたい」という大人はどんな分野にも数多くいます。自分が動けばそんな出会いはきっとそこかしこにあることでしょう。まずは、それをすると決めること。進む先にはきっと師になる人が待っています。

http://greenz.jp/2014/04/28/jousenn_takano/
(greenz.jp 2014年4月28日 )


■磯木淳寛(Isoki Atsuhiro)

フリーライター。

食、農業、地域、文化などをテーマに雑誌や
webの原稿を手掛ける。
地域に根差した固定種で野菜を育て、
伝統的な日本文化を発信するカフェ&宿泊施設
『ブラウンズフィールド』の企画・運営も務める。

『月刊ソトコト』『NORAH』『離島経済新聞』
『農業ビジネスマガジン』ほか。
【Facebook】磯木淳寛
【Twitter】 http://twitter.com/qotoro
【WEB】ブラウンズフィールド



▲木村秋則さん (写真)
(『奇跡のリンゴ』石川拓治)


【今日の御言葉/今日の聖句】

兄弟の愛【教育勅語原本 52年ぶり確認  「今後の道徳教育考える一助に」】

2014-04-11 04:03:33 | Weblog



兄弟を愛する人は、
いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。

「ヨハネの手紙一」/ 2章 10節
新約聖書 新共同訳




1.親に感謝する
「おとうさん、おかあさん、ありがとう」

2.兄弟仲良くする
「一緒にしっかりやろうよ」

3.夫婦で協力する
「二人で助け合っていこう」

4.友達を信じあおう
「お互いわかっているよね」

5.みずから反省する
「ごめんなさい。良く考えてみます」

6.博愛の輪を広げよう
「みんなにやさしくする」

7.知徳をみがく
「すすんで勉強します」

8.公のために働く
「喜んでお手伝いします」

9.ルールに従う
「約束は必ず守ります」

10.祖国に尽くす
「勇気を出してかんばろう」

11.伝統を守る
「いいものは大切にします」

12.手本をしめす
「まず自分でやってみます」


(明治神宮発行の教育勅語こどもばん
パンフレットより)



▲http://youtu.be/TNn2gIaQBf0

★教育勅語原本 52年ぶり確認 
「今後の道徳教育考える一助に」

◆産経新聞 2014年4月9日 7時55分配信

 ■父母への孝行・博愛…再評価の声高まる

 半世紀ぶりに所在が確認された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本。戦後は学校現場から排除され、“軍国主義教育の象徴”というイメージが独り歩きするようになった教育勅語だが、近年、いじめなど道徳の荒廃が問題となる中で、その内容を再評価する声も高まっている。

 「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」

 下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題がないとの認識を示した。

 明治23(1890)年に発布された教育勅語で示されたのは、(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)-の12の徳目。

 翌24(1891)年から謄本が全国の小学校に配布され、修身(道徳教育)の根本規範とされたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで学校現場から排除された。



 ただ、戦後教育史が専門の貝塚茂樹・武蔵野大教授によれば、当時、GHQの中にも教育勅語の内容を評価する声があり、GHQ民間情報教育局を中心に、昭和天皇による新しい教育勅語を発布することも検討されていたという。

 「教育勅語には万国共通の普遍的な価値が示されている。結局、天皇に否定的なGHQ民政局の圧力で排除され、“軍国主義教育の象徴”とみられるようになったが、戦後はその内容についてほとんど検証されることはなかった。いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」と、貝塚教授は指摘する。

 いじめや校内暴力、不登校などが問題となる中、教育勅語に示された徳目の意義は小さくない。

 文科省幹部の一人は「半世紀ぶりに原本の所在が確認されたことを機に、意義や内容についての検証が進み、今後の道徳教育のあり方を考える一助になれば」と話している。

(産経新聞 2014年4月9日 7時55分配信)



▲教育勅語の原本とされる文書。

「臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ」と守るべき徳目が列挙されている。


 戦前の国民教育の基本理念とされた「教育勅語」の原本とみられる文書が東京国立博物館(東京都台東区)の書庫で見つかり、文部科学省が8日発表した。

 半世紀にわたって所在がわからなかったという。今後、公文書管理法に基づいて国立公文書館に移管され、公開の準備が始まる見通し。
(◆読売新聞2014年4月8日 写真)





★教育勅語原本 52年ぶり確認 
国立公文書館移管、損傷修復し公開へ

◆産経新聞 2014年4月9日 7時55分配信


 文部科学省は8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本を、52年ぶりに確認したことを明らかにした。損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっている。今後、歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開される見通しだ。

 文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・日本橋のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の国立博物館の保管庫で木箱に入っているのを文科省職員が見つけ、当時のメモなどと照合して原本と判断した。

 原本は4ページで、文字が読みにくいほど赤茶色に変色しているうえ、2ページ目と3ページ目がくっつき、御名御璽のある部分が開けない状態。文科省によると、大正12(1923)年の関東大震災で旧文部省庁舎が焼けた際、金庫の中に保管されていたため蒸し焼き状態になり、変色するなどしたという。

 平成23年に施行された公文書管理法では、各省庁などが保管する歴史的な資料は国立公文書館が一括して保管し、原則公開することになっている。

 文科省では今回、教育勅語の原本のほか、全国の小学校に配られた謄本の巻物1巻と、初代文部大臣の森有礼が明治19(1886)年に職員の心構えを記した「自警」など、資料20点を国立公文書館に移管することにした。

(産経新聞 2014年4月9日 7時55分配信)





(一)国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。

(二)国民の皆さん、

(1)あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。

(2)兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。

(3)縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。

(4)学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。また、

(5)もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。

(6)どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。

(7)誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、

(8)一人前の努力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のために働きましょう。

(9)ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。

(10)もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。

いま(1)~(10)に述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、

(11)皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。


(三)このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも
「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。

(四)そこで、
(12)私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。


明治二十三年(1890年)十月三十日
http://sukeikai.meijijingu.or.jp/taisetsu/004.html

【今日の御言葉】