地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

手を合わせる

2012-09-30 14:37:42 | 今日のみことば

見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける。


[イザヤ書 / 49章 16節] (新共同約)



手を合わせれば

憎む心もとけてゆき

離れた心も結ばれる

まるいおむすび

まるいもち

両手を合わせて作ったものは

人の心をまるくする

両手を合わせて拝んでゆこう



坂村真民『手を合わせる』
(さかむら しんみん 1909年 - 2006年)
 

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キリル総主教、訪日を終えて

9月14日から18日まで日本を訪れた、ロシア正教会の最高指導者、キリル総主教は、ロシアと日本が二国間関係の新たなページをめくる時が訪れたと述べた。
 
 
キリル総主教、訪日を終えて              
=セルゲイ・ピャタコフ/ロシア通信撮影

       

「今こそ、両国関係の新たなページを書き記す時だと思っています。対立を続けることもできますが、我々が共に生き、一つの運命で結ばれていることに気づく時がやってきたと思うのです。自然災害や、その他の悲しいあるいは喜ばしい状況が等しく訪れる、ひとつの地域に我々は生きているのです」。キリル総主教は、9月18日に東京でこう述べた。

 

天皇陛下との会見:「正教会はロシア人と日本人の心のかけ橋」 

総主教は、天皇陛下と会見した後、記者団に報告を行った。「天皇陛下とは、さまざまな意見の交換を行うことができました。今日まで残り、発展を続けている正教会を日本に建てた、亜使徒聖ニコライの功績の意義についてお話しいたしました。正教会はロシア人と日本人を結ぶ、心のかけ橋であることは間違いありません。聖ニコライが日本で成し遂げたことは奇跡のようです。比較的短い期間で教会を建設しました。この教会は、正教の教義や宗規に則ったものであると同時に、日本人の真の文化的生活に溶け込み、その精神においても、文化的形態においても、その本質においても、外国のものではありません。これは日本人の正教会なのです」。

 

野田首相との会談 

野田首相との会談では、総主教は日本人の温かい歓迎に感動したことを伝えた。「私は聖ニコライ列聖40周年記念で来日しました。日本の正教会は国内では少数派の教会ですが、最も困難な時にあたっても、両国民の関係発展に寄与しています」。

野田首相は、ロシア正教会は「日露関係の要だ」と会談で述べた。

会談のなかでは、国際関係における精神的なものの意義に話がおよび、「心のつながりが基本です。これがなければ国民の間の関係は強固なものとなりません」と総主教は述べた。

総主教は、日本とロシアが共に、最良の両国関係を築くべく進む必要があると考えている。このような努力の一例となるのが、総主教が8月に調印したばかりの、ロシアとポーランドの共同声明だ。

この共同声明のなかで、キリル総主教とポーランド司教協議会ヨーゼフ・ウィチャリク会長(プルゼミスル大司教)は、両国の信仰者に向けて、「双方が関わってきた過ち、不正、全ての悪について赦しを求める」よう呼びかけた。
 総主教は、野田首相による両国関係強化の努力への支持を表明した。

 

「和食の衝撃」

また総主教は、日本とロシア、さらには世界各国との関係の強化における、日本食を中心とする日本文化の意義を高く評価した。

「私が日本食に衝撃を受けたのは、はるか昔の1969年でしたが、それは感動という衝撃でした。日本食は日本文化の重要な部分で、世界では日本の優れた外交役となります」。

総主教は18日に日本訪問を終え、ウラジオストク行きの飛行機で帰国した。4日間の滞在で、日本の複数の都市をまわりながら、地元の正教会でミサを行ったり、日本人の聖職者に教会の賞を与えたりした。今回の総主教の訪問は、ロシアから日本に渡って正教会を建設した宣教師、亜使徒聖ニコライ・カサートキンが死去してから100年となるのに合わせて実現され、最終日となる18日に、天皇陛下と会見した。

 

http://roshianow.jp/articles/2012/09/20/39071.html


派閥争い

2012-09-30 04:10:40 | 今日の御言葉
はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、

「わたしはパウロにつく」
「わたしはアポロに」
「わたしはケパ(ペテロ)に」
「わたしはキリストに」と言い合っていることである。


キリストは、いくつにも分けられたのか。


パウロは、あなたがたのために十字架に
つけられたことがあるのか。



それとも、あなたがたは、
パウロの名によってバプテスマを受けたのか。


わたし(パウロ)は感謝しているが、

クリスポとガイオ以外には、
あなたがたのうちのだれにも、

バプテスマを授けたことがない。


[コリントの信徒への第一の手紙 1章12節] (JA1955)



皆さんは、使徒を中心として全体の信徒が従っていった
初代教会を手本としなければなりません。

そうでなければ、天倫を妨げる障壁に責任をもち、
神様の審判の行使を代わってすべき終末の聖徒である皆さんに、
世界的に許諾した天の福を任せることはできないのです。



そして皆さんは、

天のみ旨を自分のものとして利用する人になっていないか、


自らよく考えてみる時になったことを
肝に銘じなければなりません。


・・・・・・・
★中央日報日本語版2012年9月11日

◆【統一教会三男の文顕進氏、弔問を拒否される】


世界基督教統一神霊協会(統一教会)の兄弟間の内紛が再燃する兆しだ。統一教会の公式後継構図から離脱した文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の三男文顕進(ムン・ヒョンジン、43)統一教会世界財団(UCI)会長が10日午前、京畿道加平(キョンギド・カピョン)を訪れ弔問しようとしたが果たせずに引き返した。

  文会長はこの日午前10時ごろ葬礼式場周辺に到着した。だが、文総裁の遺体が安置された天正宮博物館には近づくことができず、一般向けの焼香所が設けられた清心平和ワールドセンターの前で統一教会側によって制止された。文会長は1時間ほど統一教会側と弔問問題を話し合いソウルに戻った。天正宮は清心平和ワールドセンターから1.5キロメートルほど離れた山中に位置している。

  文会長側によると、統一教会側は文会長夫妻にだけ弔問を認めた。警護員など同行した一行30人は弔問を許されなかった。文会長側関係者は「身辺に問題が生じる恐れもあり弔問できなかった」と明らかにした。文会長は11日に再度弔問に向かう計画だ。

  これに先立ち文会長は自身が所有するソウル・盤浦洞(パンポドン)セントラルシティに別途の焼香所を設けた。11日まで3日間にわたり弔問客を受け付ける計画だ。統一教会と未来に対する立場の違いから教会との決別を宣言したという内容の資料を配布するなど、「独自路線」を明確にした。また、日刊紙に発表した聖和委員会(葬儀委員会)遺族名簿から文会長の名前だけ抜けていたと指摘した。

  これに対して統一グループのアン・ホヨル対外協力室長は、「天正宮参拝は事前に名簿を提出した人だけができる。文会長を除いた残り一行が手続きを守らないためであり、一方的に文会長の弔問を妨げたのではない」と反論した。

  文鮮明総裁は7人の息子をもうけた。統一教会の企業部門は四男の国進(ククチン、42)氏に、教会は七男の亨進(ヒョンジン、33)氏に譲り、財産をめぐる法廷訴訟を行うなど兄弟間の対立は深まった状態だ。

(中央日報日本語版2012年9月11日)

千代に、八千代に・・・

2012-09-30 00:13:14 | 今日の御言葉

それゆえあなたは知らなければならない。


あなたの神、主は神にましまし、
真実の神にましまして、


彼を愛し、
その命令を守る者には、

契約を守り、


恵みを施して千代に及ぶ。


[申命記/ 7章9節](JA1955)


人間が罪を犯すようになった動機は、
私たち人間自体にあるのではなく、
罪を犯させた主体的な悪の存在がいて、
その悪の主体が動機になったのです。

この罪を犯させた主体が誰かといえば、
聖書に現れている悪魔サタンです。



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(2012年8月21日22時26分  読売新聞)

【慰安婦問題、誤解広げたのは宮沢内閣の河野談話】

 いわゆる従軍慰安婦問題が日韓の論議となる背景には、
宮沢内閣当時の1993年の河野洋平官房長官談話が、
日本の官憲による強制連行があったかのような印象を与えた問題がある。

 慰安婦問題が日韓の政治・外交問題化したのは、一部全国紙が90年代初頭、戦時勤労動員だった「女子挺身隊」について、日本政府による“慰安婦狩り”だったと全く事実に反する報道をしたことが発端となった。韓国世論が硬化する中、政府は資料の調査と関係者からの聞き取りを行い、宮沢内閣の加藤紘一官房長官(当時)が92年、旧軍が慰安婦募集などに関与していたとする調査結果を発表した。しかし、強制連行の裏付けとなる資料は見つからなかった。

 韓国側の批判はなお収まらなかったため、宮沢内閣は翌93年、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などとし、「おわびと反省」を表明する河野談話を発表した。韓国側に配慮し、あいまいな表現で政治決着を図る狙いがあったが、逆に強制連行があったという誤解を内外に広げる結果につながった。

 談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は後に「強制連行を立証する資料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言した。安倍内閣当時の2007年には「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。

(2012年8月21日22時26分  読売新聞)